ホラズム地方・17~20世紀、ヒヴァ・ハン国, イチャン・カラ
紀元前後~18世紀、サーマーン朝、シャイバニ朝、ブハラ・ハン国
紀元前4世紀~ソクド人、14~16世紀ティムール帝国
ティムール生誕地、14~16世紀ティムール帝国
紀元前3世紀~ 仏教遺跡カラテパ、ダルヴェルジンテパ
ズルマラ・ストゥーパ、テルメズ要塞、キルクキズ要塞、考古学博物館
ウズベキスタンの首都、国立歴史博物館、日本人墓地、ナヴォイ劇場
ウズベキスタン周遊 概要
ヒヴァ
西門と城壁 世界遺産 イチャン・カラ
クフナ・アルク見張り台からの展望
ムハマド・アミン・ハーンのカリタ・ミナル(高さ26m)とメドレッセ(神学校)
17世紀の面影を残す。
カリタ・ミナル(高さ26m)
イスラム・ホッジャ・ミナレット(高さ45m)からの展望
ヒヴァ全体が見渡せる。トルクメニスタン国境近い。
キジルクム砂漠とカラクム砂漠に囲まれている。
近くをアムダリア川が流れている。
ウズベキスタン模様の陶器 親子三代 ジュマ・モスク(金曜モスク)10世紀の建物 柱の数:212本(インドの綿花の木で造られた柱もある) |
代表的なウズベキスタン模様の服装をした婦人
ブハラ
アルク城 18世紀のブハラ・ハーン時代
城壁:約790m
アルク城広場で催し物の練習をしていた。
城内にモスクや博物館があった。多くの子供たちが見学に来ていた。
ウズベキスタンの子供たち
若者たちも多くいた
ブハラ・ハーン 18世紀頃
ソ連時代に築いた井戸 展望台かと思った。
中央アジアで一番高い。砂漠の灯台ともいわれる。
街道の交差点をドーム状の屋根で覆っている。
かつてラクダが通り、隊商の取引所やスーク(商業地区)であったが、
現在は、ほとんどが土産店になっている。
タキ 街には幾つも残っている。
「地球の歩き方」に乗っているタキの有名なおじさん
近くにキャラバン・サライ(隊商宿)があった。
刺繍をする婦人
ミル・アラブ・メドレッセ 16世紀に建設
1920年にソ連の爆撃で破壊されたものを修復した。
ナディール・ディバンバギ・メドレッセ 1622年完成
日輪と2羽のフェニックス、白い鹿らしいのを掴んでいる。
フェニックスはウズベキスタンの国章
フッジャ・ナスレッディン像
とんち話で有名な学者
熟した白い桑の実
甘くてとても美味しかった。
レストランでは熟した暗赤紫色の桑の実が出た。
とても甘く美味しかった。
とても甘く美味しかった。
ボロ・ハウズ・モスク
ハウズ(用水池)の前にあるモスク栗の木の柱20本、水面に反射して40本に見える。
栗の木の柱
玉座の前で記念撮影していた。
イスマイル・サマニ廟 9世紀・中央アジア最古のイスラム建築
サマーン朝のイスマイル・サマニが父親のために建てた。
この廟を3回反時計回りに廻ると願いが叶えられるという。ワン。
チャル・ミラル (4本のミナレット)
トルクメニスタンの商人が4人娘のために建てた。
サマルカンド
レギスタン広場・シェルドルメドレッセ(神学校)
ライオンかトラが背中に日輪を背負っていて、白い鹿らしい動物を追っている。
偶像崇拝を禁止するイスラムでは珍しい、架空の動物だからとか
ゾロアスター教の影響とかの説がある。
ウズベキスタンの200スム札(約3円札)にも描かれている。
青のサマルカンド・ティラカリメドレッセ・1660年完成
きれいな青のドームの下の礼拝堂
青と金のコントラストがとてもきれい!!
天井の美しさも見事です。(金箔約3kg使用)
青のタイルは中国の陶磁器とペルシャの顔料を使用している。
グル・エミール廟
青いドームに63本の線は、孫のウルグベクが
ムハンマドの死亡年齢(63歳)として入れた。
エル・ソロシ劇場にて 歴史民族舞踏 見学
人族衣装を着たダンサー達
レギスタン広場 ライトアップ プロジェクションマッピング実施中故障
グル・エミール廟 ライトアップティムールの墓でターニャさんが説明している。
ティムールの石棺
シャブ・バザール
シャブ・バザールにて ガイド:ターニャさん
ウルグベク天文台址 ウルグベク像
六分儀
保存・保護のためレンガ積みドームが地上の六分儀を覆っている。
シャフリ・サブス
月面のクレータとアルデバラン(おうし座の星)を見た。
国際緯度観測所の職員 親しげに日本語で話しかけてきた。
SONY光学30倍デジカメで撮影した月面2018.05.24 18:42 (Toshkentにて)
アク・サライ宮殿址
アク・サライ宮殿(夏の宮殿)の一部(大門高さ38m)が残っている。
ティムール立像
ティムール帝国を築いたティムールの生まれ故郷(1336年4月8日誕生)
ティムールは、モンゴル族のアミールタラガイ家に生まれたが裕福でないためシルクロードの隊商を襲う盗賊団の首領になり、気前よく戦利品を全員に分け与えていたので仲間から信頼され、人望もあり統率力もあったので、部下も増え1370年にサマルカンドに政権を樹立した。その後も軍事指導者として遠征を繰り返しティムール帝国を築いた。
中国遠征の途中で1405年2月18日68歳で病死した。
鉄門
サマルカンド・テルメズ間にある険しい山道を抜ける隘路。
赤茶けた地肌で鉄門と呼ばれていた。
古代にはバクトリア・スクディアナ間の通路として使われ、
この地方の重要な関所でもあった。
かつてアレキサンドロス大王も玄奘三蔵も通った道である。
歴史的遺産なのに現在、石灰岩が出てきたので採掘がされている。
「大唐西域記」玄奘三蔵紀行図 往路で鉄門を通った。
テルメズ
ズルマラ・ストゥーパ 1~3世紀 高さ13m
綿花畑の中にあり遠くから見る。
葡萄棚の日陰でポーズ
綿花畑近くでポーズ
ファヤズ・テパ
釈迦三尊像
左:アーナンダ(阿難) 右:マハーカッサバ(大迦葉)
1~2世紀の白い石の仏像、釈迦の髪の毛が螺髪になっていない。
ファヤズテパにて発掘、タシケント国立歴史博物館所蔵
釈迦三尊像は、この僧房の奥の方の壁(窪みがある)から「うつぶせの状態」で
倒れ砂に埋もれたのでイスラムの侵入者達にも見つからず、
顔も壊されずに保存状態良く残った。
ファヤズ・テパ (Fayaz Tepe)
アフガニスタン国境(アムダリア川)近くの仏教遺跡
ユネスコ日本信託基金により保存修復された。
カラテパ遺跡
クシャン時代の仏教遺跡 紀元前後(日本:縄文・弥生時代)
アムダリア川右岸にある西トルキスタン最大の寺院跡、7世紀に玄奘三蔵も来た。
考古学者・加藤 九祚(きゅうぞう)博士が発掘に携わった。
1998年3月、10数mを超える大きなストゥーパ(仏塔)を発見した。
2002年に「ドストリク」友好勲章を受章した。
2016年9月12日94歳で逝去
「加藤の家」 事務所兼住居として94歳まで過ごしていた。
カラテパ遺跡 アフガニスタン国境
アフガニスタン国境まで約400mの軍事基地内に遺跡がある。
アムダリヤ川沿いに柵が設置されていて銃を持った警備兵が監視している。
アムダリヤ川の反対側はアフガニスタンになる。
ここまで来るのに事前にパスポートのコピーを送っておいて
カラテパ遺跡に入る前にパスポートの検査がある。
遺跡周辺にはたくさんの素焼き破片が置いてあった。
ダルヴェルジン・テパ遺跡
ダルヴェルジン・テパ遺跡 紀元前3世紀
街は四角く城壁に囲まれた丘陵地
遺跡内の「金持ちの家」から金製品や金の延べ棒が36kg発掘された。
考古学者・加藤 九祚博士が発掘に携わった。
現在はヤギが放牧されていて、子供たちの遊び場になっている。
太陽が沈むダルヴェルジン・テパ遺跡
カンピル・テペ遺跡
アレクサンドロス大王時代(BC4世紀頃)からクシャーン王朝(AD3世紀頃)までの都市址
軍事要塞の城壁は修復されていた。
アムダリア川対岸アフガニスタンまで約3km
ピダイエフ研究所長 N氏
発掘跡
キルク・キズ要塞
城壁は修復されていた。
40人の女性という意味、要塞の門を閉めて立てこもり敵と戦った。
内部は日干し煉瓦が風化していた。
9~10世紀に建造、スーフィー派の巡礼宿
管理人
アルハキム・アト・テルメズ
イスラム教聖地の一つ
ここに3回来ればメッカに1回巡礼したことになると言う。
イスラム教モスクでウラマーの祈りを聞いた。
モスクの天井にアラビア文字
礼拝に来たウズベキスタンの若者
モスク内で記念撮影テルメズの要塞
日干しレンガで造られている。保護のため電気柵が施されている。
テルメズ考古学博物館
顔が壊された仏像
象の像 象と蓮?で仏教関連の彫り物
ネアンデルタール人の化石発掘、復元模型の少年像
テルメズ考古学博物館の職員
神聖な水漕 1~3世紀頃
カニシカ王のコイン 大型模型
カニシカ王は仏教を庇護したが、彼自身はゾロアスター教であったという。
テルメズ18:23 夜行列車 8:10タシュケント南駅
テルメズからタシュケント南駅まで約12時間
1等寝台車 4人部屋を2人で使用
冷房・扇風機が無く蒸し暑かったがM氏と4人で一杯飲みながら談笑したのち、
良く寝た。
8:10 タシュケント南駅到着
タシュケント
ホテル ウズベキスタン前の公園にある騎馬に乗ったティムール像
ティムール像は、サマルカンド、シャフリサブス、タシュケントの3か所にある。
ホテル ウズベキスタン近くに地下鉄の駅があった。
中央アジアでは2か所、タシュケントとカザフスタンのアルマイトにある。
ウズベキスタン国立歴史博物館
1~2世紀のクシャーナ朝の王子の頭部(レプリカ)
オリジナルはタシュケント・ハムザ研究所にて保存している。
6世紀 経験の浅い婦人
Surkhandana地方出土
ナヴォイ劇場(アリシェル・ナヴォイ記念国立アカデミー大劇場)
タシュケントにあるオペラとバレイのための劇場
シベリアに抑留されていた日本人捕虜約60万人のうち建築に適した工兵457人が
強制的に派遣され1947年11月完成予定で建設した。
1966年4月26日のタシュケント地震では、78,000棟の建物が倒壊するがナヴォイ劇場は
壊れなかったので市民達の避難場所になった。
タシュケント抑留日本人墓地(公営ヤッカサライ墓地の一部)
シベリアに抑留されタシュケントで強制労働させられ亡くなった日本人墓地
タシュケント日本人墓地には87名が眠っている。
抑留日本人共同墓地
ウズベキスタン各地で日本人抑留者25000人のうち884名が亡くなっている。
5月15日、成田空港からタシュケント・ウルゲンチへ
成田空港11:15 ウズベキスタン航空HY528便 16:20タシュケント空港
タシュケント空港18:50 ウズベキスタン航空HY57便 20:10ウルゲンチ空港
成田空港36番GATEウズベキスタンの学生たち
沖縄・那覇にて空手大会に参加、入賞メダルを見せてもらった。
ウズベキスタン航空HY528便 機内
カザフスタン・アルマトゥイの高校生、体操競技で東京に来ていた。
タシュケント空港
タシュケント空港
ビール1本 5000~20000スム(\77~\308)
いつもビールかワインを注文する。
昼からの一杯はとても美味しい!!
ウズベキスタン製ワイン等の飲み物
麺料理も美味しかった。
シシカバブサラダと野菜の炒め物
ナン
ウズベキスタンダンサーの絵のあるレストラン
レストランの壁の絵
昼食時いつもビールかワインを注文するT氏
K夫妻(88歳、85歳)元気いっぱい!
興味深そうに見る人たち
手を振ってくれる学生さん
レンガを積んで運ぶに荷車、青信号はLEDライトサマルカンド大学の民俗歴史学部
シャフリサブス出身の女子学生と話す。
サマルカンドにあるロシア正教会
サマルカンドからシャフリサブス間の丘陵地帯にある民家
ここに日本人女性が1人で1年間滞在して生活していったという。
のどかな丘陵地帯にある民家で絨毯を織る女性
地方の民家ではパオも使っている。
土漠地帯を流れるアムダリア川
遥か彼方まで見渡す限りの土漠真っ直ぐな道路:右側通行
キジルクム砂漠(赤い砂の砂漠)29万8000㎢
赤い砂にタマリスク
ラクダ草
ラクダに食べられないように鋭い棘が生えている。
砂漠に咲く花
砂漠の中に鉄道が敷かれている。
砂漠のあちこちで石油が見つかっている。
シャフリサブスからテルメズ間の山岳道路
ヒンドゥークシュ山脈の西側付近にあるパミール高原を越える。
テルメズで雨交じりの砂嵐に遭遇した。
5月24日、タシュケント空港22:00 ウズベキスタン航空HY527便 9:20成田空港
5月25日、成田空港 無事帰国
テルメズ仏教遺跡とウズベキスタン周遊11日間(2018年5月15日~25日)
ホラズム地方・17~20世紀、ヒヴァ・ハン国, イチャン・カラ 、カリタ・ミナル
紀元前後~18世紀、サーマーン朝、シャイバニ朝、ブハラ・ハン国
紀元前4世紀~ソクド人、14~16世紀ティムール帝国
ティムール生誕地、14~16世紀ティムール帝国
紀元前3世紀~ 仏教遺跡、カラテパ、カンピルテパ、ダルヴェルジンテパ、
ズルマラ・ストゥ、ーパテルメズ要塞、キルクキズ要塞、考古学博物館
ウズベキスタンの首都、「石の町」、歴史博物館、日本人墓地、ナヴォイ劇場