2011年5月7日土曜日

ベトナム・カンボジア周遊8日間・旅行雑記(4月17日~24日)

ベトナム・カンボジア大周遊8日間 パンフレット


2011年4月17日から24日までJTB旅物語ベトナム・カンボジア周遊8日間に
いつもの4人で参加しました。

旅行申し込みは2月中旬、東日本大震災は3月11日、福島第一原発の爆発による放射能飛散も
3月末頃にはやや落ち着いてきたので行くことにしました。
ツアー申込のキャンセルもなく中高年の人達14名が参加しました。
ツアー旅行は初めてでしたが、ただ付いて行くだけで

いろいろなところに連れて行ってくれてとても楽でした。

旅行費用はツアー代、燃料サーチャージ、空港税等含めて約16万円でした。
海外旅行保険3000万円補償で3710円、カンボジアe-Visa取得料4000円は別。

ヒンドゥー教と仏教が交錯する世界文化遺産として
カンボジア・クメール文化のアンコール・ワット遺跡群と
インドネシア部ジャワ島のプランバナン、ボロブドゥール遺跡があり
共に共通点があり興味深かった。


カンボジア アンコール・ワット 2011年4月20日撮影


創建:12世紀末 信仰:ヒンドゥー教
南北約1300m、東西約1500mの堀で囲まれた敷地内にある。
インドネシア・ジャワ島 プランバナン 2009年7月5日撮影
創建:9世紀 信仰:ヒンドゥー教シヴァ神 ロロ・ジョングラン寺院 約5km四方
プランバナン ロロ・ジオングラン寺院
ムラピ山の噴火で埋まっていた。現在修復中
カンボジア アンコール・トム バイヨン寺院 2011年4月21日撮影 創建:12世紀末 信仰:仏教 観世音菩薩の四面塔
南大門    バイヨン寺院  現地ガイドCHANYAさん
周囲約12Kmに囲まれた都城
インドネシア 中部ジャワ島 ボロブドゥール 2009年7月6日撮影 23cmブロックの安山岩200万個の空積み構造
ムラピ山の火山灰に1000年以上埋もれていた。
早朝の ボロブドゥール


  旅行雑記




  1. 成田空港早朝7時集合なので成田ビューホテルに前泊した。15日間駐車場無料、4000円/泊


  2. ホーチミン市RAMANA HOTEL SAIGONでドアロックがかからないことや、金庫が開かなくなり壊して開けることになり他のツアー客を待たせて市内観光に遅れて出発した。


  3. ホーチミン市の夜はオートバイや人々がたくさん出ていて、屋台も多く歩道で食事をしている。午後10時から11時まで街を散歩したが、ものすごい活気である。屋台で蒸しトウモロコシを$1で2本購入して食べた。もちもちしていて美味しかった。バンタン市場で買ったマンゴウ(4個$6)がとても熟れていて美味しかった。


  4. ホーチミン市中央郵便局で土産を売っていた。$1で竹のトンボを買った。


  5. $1が約20000ドンで桁が大きくて換算し難い。
  6. 「ゼロを三つ取って四倍する」と¥換算になると言っていた($1≒¥80にて)。

  7. ホーチミン市ドンコイ通りはフランス風のおしゃれな街並みであった。サイゴン川近くのHotel Majesticでトイレを借りた。とてもきれいなホテルであった。


  8. プノンペンホテルのプールで午後9時ごろ泳いだ。突風が吹き雷が鳴りプールの水面が波立っていた。夜中大雨になり朝まで降り続き、ベランダに溜まった雨水が部屋の中まで滲みだしてきて水浸しになった。


  9. ホーチミン市もプノンペン市もオートバイと人と自動車が混然として動いていて、交通ルールなど無いように見える。しかし慣れか何かでぶつからないで動いている。日本人には、ものすごい危険を感じる。


  10. プノンペン市からシェムリアップ市までの約6時間のバス旅行は、交通ルール無視で対向車線を警笛を鳴らして追い抜き、対向車と正面衝突しそうになる直前で対向車を回避ける。前席で運転状況を見ていると体全体に力が入り、シェムリアップのホテル到着時には肩が凝ってしまった。


  11. シェムリアップ市の名前の由来は、シャム(タイ)を追い出したという意味。


  12. プノンペンのバス旅行現地ガイドは女性のトイレ話ばかりで面白くなかった。ガイドは副業のビールや水の販売、マッサージ($16)の勧誘に熱心であった。マッサージはインドネシアでは約90分300円であったのでカンボジアで$16は高すぎる。


  13. そのバスは動力駆動系(変速機かクラッチ)に故障があり、やっとのことでプノンペンのホテルまでたどり着いた。


  14. 途中の5号線、6号線の周辺は見渡す限りの平地。ただただ広い。灌漑設備がないため、乾季には農業ができない。雨季になると広大な水たまりになる。灌漑設備が整えば三毛作も可能のはず。


  15. 内戦による負の遺産として数千万個の地雷が至る所に埋めてある。その地雷で片手片足を無くした人を多く見かける。地雷1個$5だが撤去に約$500かかる。完全撤去まで100年以上かかると言われている。人間は愚かなのか?


  16. ポル・ポトの大虐殺は4年間で総人口800万人のうち200万から300万人を虐殺した。知識人の6割が殺された。クメールルージュの兵士は13歳程度の子供ばかりで洗脳されていた。人間の尊厳とは何か?


  17. アンコール・ワット遺跡群を案内してくれた現地ガイドのCHANYAさんはタイガーウッズ似であった。彼の父親は元警察官でその犠牲者の一人である。


  18. カンボジアでは現在、教師や医者の数が少ない。国が回復するまでまだまだ時間がかかる。


  19. タ・プローム寺院はスポアン(榕樹)の根に絡みつかれていた。フランス調査隊が比較のためこの寺院だけ修復しないで残した。自然の脅威に驚かされる。


  20. ヒンドゥー教ではリンガ(男性のシンボル)とヨーニ(女性のシンボル)、そして結合像が多く見られる。


  21. アンコール・ワットの第三回廊は遺跡保護と安全上の理由で入場制限(100人以内)されていて、ツアーでは案内されないことになっていた。たまたま第三回廊に登る人が少なかったので自己責任で登ることができて、とてもラッキーであった。


  22. ベトナムの平均給与約30000円、カンボジアの平均給与8000円、タイの平均給与50000円、ラオスの平均給与3000円。カンボジアで1日1人$1は必要、不足分は内職で稼ぐ。警察官の一部は交通違反で切符を切らず着服する。警官バッチを$10で売っている人もいる。高級官僚は賄賂で家や自動車を何台も持って居ると言う。貧富の差がとても大きい。


  23. カンボジアの国家予算の半分以上が政府間無償援助とのこと。日本橋(カンボジア日本友好橋)もODA無償援助で大林組が建設した。


  24. ツアーのベトナム料理もカンボジア料理も中華料理に似て美味しかったが種類が少なかった。


  25. シェムリアップのPacific Hotelは快適であった。夜、ブランディを飲んでいて酔ったせいか手が滑り床に落としてグラスを割ってしまった。チェックアウトの時グラスの弁償金として$5支払った。


  26. ハノイ市のHotel Muong Thanh Hanoiでは、絨毯から針が出ていて痛い思いをした。ホテルの保守員が来てペンチで抜こうとしたが抜けず、曲がらず、ハンマーで叩いて潰した。この金属は鉄のひげ(ウイスカー)かもしれない。
    各部屋で温度コントロールできなく強烈な冷房で風邪を引いた。翌日から午後11時に冷房を止めてもらえるようホテルに依頼した。


  27. 4月21日強烈な冷房で風邪をひいて、翌日から気持ち悪くなり吐き気がした。その後、下痢になり食欲がほとんどなくなった。水分補給だけで4日間過ごし、帰国後福生病院で検査してもらうとサルモレラ菌による急性胃腸炎で強力な抗生物質(クラビット500mg)を5日間飲んで回復した。体重が約5Kg減ってやつれた。


  28. 食中毒の原因は鶏卵か肉類と思うが心当たりがない。同室の方も同じころ下痢をしていた。


  29. バンタイ市場では、洗っていない糞付きの卵を売っているのを見て驚いた。


  30. 2か所の刺繍工場で働く女性にアメリカ軍が撒いた枯葉剤により身体障害になった方がいた。


  31. 中華料理の「ツバメの巣」というものを売っているのを見た。一度試食してみたい。


  32. ハロン湾の生け簀にいたシャコ1匹$6で買って船で茹でてもらい食べたが、あまり美味しいとは思わなかった。


  33. 陶器生産のバンチャ村で素朴な陶器を1個$3で購入した。トンボの絵付けがしてあった。

ホーチミン市からプノンペン市へ(4月17日、18日)



ベトナム・ ホーチミン市のオートバイ通勤風景



ホーチミン市バンタイ市場 外国人の見物者も多い


ホーチミン市の屋台 スルメなど売っている
屋台で買ったスチーム蒸ししたトウモロコシ
ホーチミン市の通勤風景、ものすごいオートバイの群れ
いわしの大群のようにお互いがぶつからない
統一会堂
統一会堂の庭に咲く蓮(ロータス)

聖母マリア教会
左側:結婚式が執り行われていた。

中央郵便局  中央にホーチミン肖像画
お土産も売っている


SAIGON SPECIAL Beer


フォー(Fho) 米粉の麺


ピーナッツ売り(ホーチミン市にて)


ベトナム・ホーチミン市からカンボジア・プノンペン市へ

カンボジア・プノンペン市の 建築現場

地震がないとのことで支柱が細い


ワット・プノン(丘の寺)、  ペン夫人の丘

プノンペンの由来

ペン夫人がメコン川岸に流れ着いた流木の中に仏像を見つけて

近くの丘に1372年に寺を建立とたことに因んで、

「ペン夫人の丘」つまり「プノン・ペン」と呼ばれるようになった。

日本橋

カンボジア日本友好橋(トレンサップ川にかかる700mの橋)

1973年クメールルージュにより破壊された橋をシアヌーク殿下の要請で

日本の無償援助で修復(大林組建設)。


独立記念塔(1958年建立)

1953年11月9日フランスから完全独立

カンボジアビール Angkor Beer


プノンペンからシェムリアップへ(4月19日、バスにて約6時間)



シェムリアップはプノンペンから北西へ約250KIm、

トレンサップ湖の北側にある街、アンコール・ワットまで5Km。

シェムリアップはシャム(タイ)を追い出したという意味。

プノンペンホテルのバイキング朝食


プノンペン市・国立博物館

国立博物館入口、ガルーダ像

国立博物館中庭

上座部仏教で言うところの沙羅双樹(王宮の庭にて)

インド原産の常緑高木・沙羅双樹
釈迦がクシナガラで入滅したとき臥床の四辺にあり、花を咲かせ、たちまち枯れ、
白色に変じ、さながら鶴の群れのごとくであったと言います。


日本には沙羅双樹がなかったので夏椿を沙羅双樹の代わりに植えました。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」

平家物語の冒頭の沙羅双樹の花は夏椿です。

プノンペン 王宮 

1866年ノロドム王が遷都の時に建設
1991年シアヌーク殿下帰還

現在シハモニ国王(シアヌーク王の息子)居住


ゴールデン・シャワー・ツリー(タイの国花)

マメ科ナンバンサイカチ


シルバーパゴダ(エメラルド仏の寺院)



銀寺の銀タイル(5329枚約6トン)


プノンペンからシェムリアップへ(5号線)

交通規則を無視した追い抜き、対向車線逆走、定員オーバーのオートバイ、

警笛を鳴らしての追い抜きなどで事故が起こるのではないかと

バスの前席で身体に力が入り6時間後ホテル到着時には肩が凝っっていました。

もちろん身の安全のためシートベルトはしていました。

年間の事故死が1万人を超えているのもうなずけます。


高床式家屋・5号線

遠くウドンの丘が見える

バイクタクシー・5号線


車上に荷物と人(5号線)


トレンサップ川(5号線)


未舗装の5号線


見渡す限りの平地(5号線)


5号線、6号線、7号線の分岐


6号線



クメール・ビレッジにて(観光用)


自転車利用の井戸ポンプ


高床式家屋の下、ハンモック


カシューナッツ


クメール・ビレッジ 米粉練り


米粉の麺


ジャックフルーツ


クメール・ビレッジ近くの兄妹


このバスは動力駆動系(変速機かクラッチ)の故障でやっとのことで

シェムリアップのホテルにたどり着いた。


トイレ休憩(8号線)

ここでマンゴウ2個$1で購入


6号線 スピアンプラットテュフ


6号線の街


6号線の街


Angkor Beer


シェムリアップ Pacific Hotel


アンコール遺跡群(4月20日)

アンコール・ワットは12世紀初頭創建のヒンドゥー教ヴィシュヌ神に捧げられた寺院である。

フランス人アンリ・ムオが再発見、世界文化遺産。

中央祠堂を構成する5基の尖塔は宇宙の中心を模していた。

連続3日間券$40(顔写真入り)

朝日に映えるアンコール・ワット鑑賞

雲の中を昇る太陽

聖池前、人気のある写真撮影ポイント

JTB旅物語メンバー14名

聖池に映るアンコール・ワット

アンコール・ワットのデバター(女官)
世界中の人々に触られて胸が黒光りしている。
現在、触ることが禁止されている。


魅惑の微笑みをたたえたデバターが時空を超えて神々の世界へ案内してくれる。


第二回廊の内側はデバターのギャラリーのよう。

同じ姿、同じ表情のデバターは居ない。


リンガとヨーガの結合像


第三回廊への階段


第三回廊内側 沐浴のための池


第三回廊内に後世に置いた仏陀


第三回廊への急勾配階段
100名を目安に入場制限(遺跡保護と安全上の理由)

JTB旅物語では案内できないことであったが空いていたので自己責任で登れた。


第三回廊への階段


バンテアイ・スレイ寺院「女の砦」

967年創建、ヒンドゥー教シヴァ神ヴィシュヌ神に捧げられた

参道の両側にリンガを模した像が並び、寺院にヨーニ がある


神々のレリーフ(浮彫り)

赤色の砂岩で造られている


カイラス山で瞑想するシヴァ神

抱きついているのは妻のパールヴァティー

下方で魔王ラーヴァナがカイラス山を動かそうとしている。


バンテアイ・スレイ第二周壁の門前



東洋のモナリザ」と呼ばれるデバター

フランスの作家、冒険家、義勇兵、レジスタンス、政治家 アンドレ・マルローは、

これらのデバターを盗掘して国外に持ち出そうとしてプノンペンで逮捕され、

禁固3年の判決を受けたが、フランス政府の嘆願運動で減刑されフランスに帰った。

この事件をもとに「王道」を著したので、このデバターも有名になった。

アンドレ・マルローはド・ゴール政権で情報相や文化相に就任した。

中央祠堂周辺は遺跡保護のため立ち入り禁止となりデバターは近くで見られなくなった。


中央祠堂


デバター達


守護神達

男性を祀る建屋はデバターが、女性を祀る建屋には守護神が立つ


バンテアイ・スレイ中心部


地雷被災者

カンボジア内戦の負の遺産と言われる数千万個の地雷は、至る所に埋まったままである。

1個$5の地雷を撤去するのに約$500かかり、完全撤去まで100年以上かかる。

片手片足を無くした人を良く見かける。

小型地雷は兵士を致命傷にするのではなく、負傷させて他の兵士が救助することによって兵力を削ぐことを目的にしている。

らい病(ハンセン病)を患った少女

らい病は適切な治療で治癒が可能な病気であるが 貧しくて治療ができない。


マンゴウ・アイス  (日本人経営のクッキー店にて)

氷はミネラルウオーターから作られている

カシューナッツのクッキー

日本人が現地の人を雇って作っている。

賞味期限のある唯一の土産品


アンコール・ワット で昼食(クメール料理)


西バライ大貯水池にて


プレ・ループ(神の姿)寺院 創建981年

 プレ・ループ寺院中央祠堂

周囲すべてが森林で眺めが良い
夕日鑑賞に行ったが太陽は雲に隠れて見えなかった。

プレ・ループ寺院からの夕日を見に行ったが地平線に雲があって見えなかった。

アプサラダンス(宮廷舞踏)・ディナーショー

KoulenⅡにて