2026年1月20日(火)~25日(日)前泊含めて5泊6日
「はじめてのラオス5日間」(株式会社JTB旅物語・コースNo.S1821-0)に参加した。このツアーは添乗員が同行しない形式で、現地ガイドが案内してくれるスタイルであった。参加者は23名で首都圏から8名、中部から5名、関西から10名でビエンチャンで合流した。
1月のラオスは東京の寒さと違い、日中は30℃を超える日もあり乾季のせいか雨に降られた日はなかった。ルアンパバーンでは同じホテルに2連泊できたため、移動の負担も少なく快適であった。世界遺産ルアンパバーンの街や郊外のパークウー洞窟、メコン川クルーズ、愛子様も訪れたクアンシーの滝なども見学した。
ラオス料理はベトナム料理と似ていて美味しく旅の楽しみを一層引き立ててくれた。
現地ガイドのTeさんは、日本に留学経験があり、日本語も堪能で、熱心に案内してくれて大変参考になった。ルアンパバーンでは特別に不発弾ビジターセンター(UXO Lao Visitor Center)に連れて行ってもらい、Teさん自身のラオス内戦の経験も話してもらい戦争について深く考えさせられた。今回の旅は、内容・天候・食事・ガイドすべてにおいて満足度が高く、心に残る素晴らしいツアーであった。
はじめてのラオス5日間カタログ
旅行費用 約242,589円内訳
旅行代金:旅行代金169,800円、成田空港施設使用料3,160円、海外空港税4,980円、
燃油サーチャージ25,020円、国際観光旅客税1,000円。(1月21日出発、8月18日申込)
前泊ホテル代:5,400円+700円(入湯税)アートホテル成田(1月20日)
交通費:秋川駅(JR)成田駅1,980円、成田山新勝寺(TAXI)アートホテル成田800円(2,400円/3人)、成田空港(LCB)東京駅1,500円、東京駅(JR)秋川駅945円
海外旅行保険:9,260円(6日分)ジェイアイ傷害火災保険株式会社(t@bihoたびほ)
その他:326,000KIP(約2,346円)+37$(約5,698円)+2,000バーツ(約10,000円)
ビール代、果物(マンゴスチン、ランブータン、タマリンド)、土産代など
日程
2026年1月20日(火)
自宅11:40~(Ta車)~11:45秋川11:51~(JR武蔵五日市線)~11:59拝島12:11~(JR中央線青梅特快)~13:07東京13:15~(JR総武線)~14:20成田・・15:05成田山新勝寺・・15:45駿河屋16:40~(TAXI)~16:55アートホテル成田
2026年1月21日(水)
アートホテル成田7:00~(送迎バス)~7:19成田空港第1ターミナル・・8:38PriorityPassラウンジ希和(朝食)・・8:55成田空港NaritaTerminal1Gate27 9:30(VN307)~13:55ホーチミン(HoChiMinhCity)空港・乗継15:55~(VN920)~16:40プノンペン(PhnomPenh)空港・乗継17:30~(VN920)~18:55ビエンチャン(Vientiane)Wattay空港~(観光バス)20:05~~20:27Tamnak Lao Restaurant(夕食)~(観光バス)~21:29LAO PLAZA HOTEL
2026年1月22日(木)
LAO PLAZA HOTEL8:00~ビエンチャン観光(タートルアン寺院、凱旋門)~ビエンチャン11:45~(QV103)~12:30ルアンパバーン~ルアンパバーン観光(王宮博物館、ワット・シェントーン、ワット・マイ、プーシーの丘)~21:20Le Palais Juliana
2026年1月23日(金)
Le Palais Juliana5:30~ルアンパバーン観光(托鉢見学、朝市散策)~ルアンパバーン郊外観光9:00(酒造りの村バンサンハイ、織物と紙漉きの村バンサンコン、パークウー洞窟、メコン川クルーズ)~ルアンパバーン観光(ワット・ヴィスンナラート、ナイトマーケット)~21:30Le Palais Juliana
2026年1月24日(土)
Le Palais Juliana9:00~ルアンパバーン郊外観光(クアンシーの滝、モン族の村)~ルアンパバーン観光(伝統美術小数民族センター「Traditional Arts and Ethnology Centre (TAEC)」、不発弾ビジターセンター「UXO Lao Visitor Center」、スーパーマーケット)~ルアンパバーン19:15~(VN930)~20:15ハノイ・乗継~
2026年1月25日(日)
ハノイ00:20~(VN310)~7:00成田8:20~(LCB)~東京駅9:23~(JR中央線高尾特快)~10:16立川駅10:25~(JR青梅線)~拝島駅10:42~(JR五日市線)~10:50秋川駅~11:50自宅
ラオス人民民主共和国(Lao People's Democratic Republic)・社会主義共和制国家
人口約758.2万人(2023年)、首都ビエンチャン、ASEAN加盟国、ラオス人民革命党による一党独裁。
5つの国に囲まれた内陸国ラオス
北は中国、東はベトナム、南はカンボジア、南西はタイ、西はミャンマーと国境を接している。面積は日本の本州に相当し、国土の約70%は高原や山岳地帯である。
ラオス民族の構成比率(言語グループ別)
ラオス政府が公式に認めている50民族(160以上の部族)の構成比率は、
大きく4つの言語グループに分類される。
| 言語グループ | 人口比率 | 主な民族 | 居住エリアの特徴 |
| ラーオ・タイ語族 | 約62.4% | ラーオ族(53.2%)、プータイ族、タイルー族など | メコン川沿いの低地(水田稲作) |
| モン・クメール語族 | 約23.7% | クムー族(11%)、カタン族、マコン族など | 主に中部・南部の丘陵地帯 |
| モン・ミエン語族 | 約9.7% | モン族(9.2%)、ヤオ族(イウミエン) | 北部・中部の標高の高い山岳地帯 |
| チベット・ビルマ語族 | 約2.9% | アカ族、ラフ族、プーノーイ族など | 北部の山岳地帯 |
| その他(未分類) | 約1.3% | ベトナム系、中国系など | 都市部など |
50民族の中でも、特に人口が多く社会的な影響力が強いのは以下の3グループである。
ラーオ族(Lao): 約53.2%
ラオスのマジョリティであり、政治・経済・文化の中心を担っている。
低地ラオ(ラーオ・ルム)とも呼ばれている。
クムー族(Khmu): 約11.0%
モン・クメール語族の最大勢力で、ラオスの先住民族の一つとされている。
主に山の中腹に住むことから中地ラオ(ラーオ・トゥン)に分類される。
モン族(Hmong): 約9.2%
19世紀頃に中国南部から移住してきた民族で、独自の文化や刺繍、銀細工などで知られている。
高地ラオ(ラーオ・スーン)の代表格である。
居住地による伝統的な3分類
かつてラオスでは、50の民族を複雑に覚える代わりに、
「住んでいる標高」で3つに分けて呼ぶのが一般的であった。
現在も日常会話ではよく使われる。
ラーオ・ルム(低地のラオ): ラーオ族など。
ラーオ・トゥン(中地のラオ): クムー族など。
ラーオ・スーン(高地のラオ): モン族やアカ族など。
ラオスの特産品
豊かな自然と多民族国家ならではの「手仕事」が融合したものが多く、
素朴ながらも非常に質の高いものが揃っている。
飲み物・食品
ラオスコーヒー(アラビカ種・ロブスタ種)
南部ボラベン高原で栽培されています。特にアラビカ種はフルーティーで香りが高く、
日本でもスペシャルティコーヒーとして人気が高まっている。
ビア・ラーオ(Beerlao)
ラオスの国民的ビール。
ジャスミン米を使用しており、すっきりとした味わいが特徴である。
ラーオ・ラーオ(米焼酎)
バン・サンハイなどの村で作られる伝統的な蒸留酒。
もち米が原料で、度数は高いですが独特の甘みがある。
ドライフルーツ・ハニー
マンゴーやパイナップル、ドラゴンフルーツのほか、野生のハチミツも濃厚で美味。
最近は「バタフライピー(青い花のハーブティー)」も美容に良いお土産として注目されている。
伝統工芸・雑貨
ラオス織物(シルク・コットン)
シン(Sinh): 女性が着る伝統的な巻きスカート。
地域や民族ごとに模様が異なり、幾何学模様や動物(象やナーガ)の刺繍が非常に精巧。
手織りスカーフ: 藍染(インディゴ)の落ち着いた色合いのものが人気。
モン族の刺繍製品
山岳民族モン族による鮮やかで細かい刺繍が施されたポーチ、バッグ、コースターなど。
動物や日常生活を描いた「ストーリー・クロス」も有名。
サー・ペーパー(楮紙)製品
バンサンコンで作られる紙。
花びらを漉き込んだランプシェード、ノート、レターセットなどがある。
竹・ラタン細工(ティップカオ)
ティップカオ: もち米を入れるための蓋付きの籠。
機能美があり、最近では小物入れとして買う観光客も多い。
シルバーアクセサリー(銀細工)
ルアンパバーンは古くから銀細工が盛んで、
仏教の物語や自然をモチーフにした純度の高いシルバー製品が見つかる。
ライス略史
1353年、ランサーン王国として統一。
1899年、フランスのインドシナ連邦に編入される。
1949年、仏連合の枠内での独立。
1953年10月22日、仏・ラオス条約により完全独立。その後内戦が繰返されたが、
1973年2月、「ラオスにおける平和の回復及び民族和解に関する協定」が成立。
インドシナ情勢急変に伴って、
1975年12月、ラオス人民民主共和国成立。
タイGDP:約5462億2400万米ドル(2025年、IMF)30位
ラオスGDP:約163億2200万米ドル(2025年、IMF)135位
1人当たりのGDP
ラオス:1人当たりのGDP:2,067ドル(2024年、IMF)155位
タイ:1人当たりのGDP:7,493ドル(2024年、IMF)97位
日本:1人当たりのGDP:32,443ドル(2024年、IMF)38位
ルクセンブルク:1人当たりのGDP:138,757ドル(2024年、IMF)2位
リヒテンシュタイン:1人当たりのGDP:210,704ドル(2024年、IMF)1位
ラオス平均給与
都市部(ビエンチャン等) バーン・ナー・ワン(農村部)
主な収入形態 月給(工場、店、公務員) 現金(観光、農業、家畜)+自給
推定月間現金収入 約 20,000円 〜 約 5,000円 〜 12,000円
食費 市場やスーパーで購入 ほぼ自給(米、野菜、鶏)
住居費 家賃が発生する場合がある 自分の土地に自分で建てる(無料)
主な支出 燃料、通信費、外食、教育 ガソリン、薬、学用品、衣類
幻の核攻撃計画「ハゲワシ作戦(Operation Vulture)」
第1次インドシナ戦争の佳境、1954年のディエンビエンフーの戦いにおいて、
アメリカがフランス軍を救済するために核兵器の使用を検討した計画は実在した。
計画が中止された最大の理由は「国連による非難」ではなく、
「イギリスの反対」と「アメリカ国内の政治的条件(議会の反対)」による。
フランス軍がディエンビエンフーでベトミン軍に包囲され絶体絶命となった際、
アメリカ軍内部(特にアーサー・ラドフォード統合参謀本部議長ら)で検討されたのが
B-29爆撃機による大規模な通常爆撃、および3発の戦術核兵器を使用してベトミン軍を壊滅させるという「ハゲワシ作戦」であった。
ニクソン副大統領(当時)やダレス国務長官も介入に前向きであったが、
アイゼンハワー大統領は慎重な姿勢を崩さなかった。
中止された3つの主な理由
計画が立ち消えになった背景には、国連というよりも以下の国際政治的なパワーバランスが働いていた。
① イギリスの強い反対
アイゼンハワー大統領は、軍事介入の条件として、イギリスを含む同盟国との「共同行動(United Action)」を必須とした。しかし、当時のイギリス首相チャーチルとエデン外相は、介入が中国やソ連を刺激して「第三次世界大戦」に発展することを極端に恐れ、協力を断固拒否した。これが最大のブレーキとなった。
② アメリカ議会の反対
アメリカ議会の指導者たち(後の大統領リンドン・ジョンソンなど)も、朝鮮戦争が終わった直後ということもあり、「同盟国の協力が得られない単独介入」には反対した。
③ アイゼンハワー自身の懸念
アイゼンハワーは「わずか10年前に日本に使ったばかりの恐ろしい兵器を、再びアジア人に使うことの政治的代償」を恐れていた。
「もし使えば、我々は文明国としての名声を失うだろう」という趣旨の発言をしている。
当時の「国際世論」と国連の立場
当時、国連がこの秘密計画を察知して正式に非難決議を出したという事実はなかった。
ジュネーヴ会議(1954年4月〜)まさにディエンビエンフーが陥落する直前から、インドシナ和平のための国際会議が始まっており、そこで軍事介入を行うことは外交的に極めて困難であった。
インドのネルー首相ら「非同盟諸国」は、アジアでの核使用や植民地戦争への介入に強く反対しており、その声は国際社会に響いていた。
もしこの時、核が使われていたら、冷戦の歴史は大きく変わり、
その後のベトナム戦争の形も全く違うものになっていたと言われている。
1. 第1次インドシナ戦争下の米仏関係(1945–1954)
当初、アメリカは「反植民地主義」の立場から、フランスのインドシナ復帰に冷ややかであった。しかし、1949年の中国共産化と1950年の朝鮮戦争勃発により、方針が劇的に変わった。 アメリカは、フランスの戦いを「植民地維持の戦い」ではなく「東南アジアにおける共産主義拡大を阻止する防波堤」と見なすようになった。
戦争末期の1954年には、フランス軍の戦費の約80%をアメリカが肩代わりしていた。
米仏の不協和音
フランスは「金は出すが口も出す」アメリカに対し、主権を侵害されていると感じていた。また、アメリカが「完全な独立」をベトナムに与えるよう圧力をかけたことも反発を招いた。アメリカは、フランス軍の旧態依然とした戦術を批判し、もっと現地民(モン族などの少数民族を含む)を組織化した遊撃戦(マキ)を重視すべきだと考えていた。
2. ジュネーヴ協定と主役の交代(1954–1960)
1954年のディエンビエンフー敗退後、ジュネーヴ協定によってベトナムは南北に分断され、フランスは撤退を決めた。ここでアメリカが「フランスの代わり」として表舞台に登場した。アメリカは、フランスが支援していたバオ・ダイ皇帝の勢力に代わり、反共主義者のゴ・ディン・ジエムを擁立した。これにより、フランスの影響力は急速に失われた。
それまでフランス軍が行っていた南ベトナム軍の訓練を、アメリカ軍のMAAG(軍事援助顧問団)が完全に引き継いだ。アイゼンハワー大統領は、「ベトナムが倒れれば、隣接する国々もドミノ倒しのように共産化する」というドミノ理論を提唱し、介入を正当化した。
3. ベトナム戦争への本格介入への流れ(1961–1965)
ケネディ、ジョンソン両政権下で、介入は「支援」から「直接戦闘」へとエスカレートした。ケネディ政権は、正規軍を送る代わりに、グリーンベレー(特殊部隊)を派遣した。
「モン族」などの山岳民族を組織化し、北ベトナムからの補給路(ホーチミン・ルート)を妨害する秘密作戦をフランスから引き継ぐ形で強化した(CIAによる活動)。
トンキン湾事件(1964年):
北ベトナム軍が米駆逐艦を攻撃したとされるこの事件を口実に、ジョンソン大統領は議会から全権委任を得た(実質的な宣戦布告なき参戦)。
北爆と地上軍投入(1965年):
1965年、北ベトナムへの爆撃(北爆)を開始し、同年3月にはダナンに海兵隊を上陸させた。これにより、アメリカは自ら泥沼の地上戦へと突き進んでいった。
後日談:フランス(ド・ゴール)の警告
1960年代、フランスの大統領に返り咲いたド・ゴールは、自国の苦い経験からアメリカの介入を強く批判した。「アジアの泥沼に足を踏み入れるべきではない」と警告し、1966年には「アメリカはベトナムから撤退すべきだ」と公言してアメリカとの溝を深めた。これは後のフランスのNATO軍事機構脱退の一因にもなった。
アメリカはフランスの植民地戦争を肩代わりする形で関与を強め、フランスが去った後の「真空状態」を埋めるように自ら主役となって戦場に乗り出したが、結果としてフランス以上の困難に直面することになった。
「モン族の部隊(マキ)」も、フランスのGCMAからアメリカのCIA(SGU:特別作戦部隊)へと、雇い主を変えながら戦い続けることになった。
不発弾の多くを占めるクラスター爆弾の実物展示や、除去活動の様子、
不発弾被害者の生活についての展示、動画視聴コーナーなどがある。
UXOビジターセンターでは、秘密戦争(Secret War)についても知ることができる。
米軍は、9年間(1964年~1973年)にわたり、1日24時間、8分毎にB-52機1機分の爆弾を投下し続けた。
ラオスには、200万〜300万トンの爆弾(約2億7千万個のクラスター爆弾)が投下され、
約30%の不発弾(約8,000万個)が存在している。
ラオスを戦争史上最も激しい爆撃を受けた国にした。
政府が統計を取り始めた2008年から現在までにかけ、ラオスではほぼ2週間に1人が不発弾により死亡しており、2022年までに累計1,000人以上の死傷者を出したとされている。
1996年から2017年までに、UXO LAOは約805,000個の爆弾を処理したが、こ
れは国内全ての不発弾の約1%にとどまり、大きな課題として残っている。地雷などの不発弾の撤去には多額の費用、時間、人材が必要となる。
すべての処理を終えるには、これからあと100年以上の時間がかかると言われている。
2026年1月20日(火)前泊
自宅11:40~(Ta車)~11:45秋川11:51~(JR武蔵五日市線)~11:59拝島12:11~(JR中央線青梅特快)~13:07東京13:15~(JR総武線)~14:20成田・・15:05成田山新勝寺・・15:45駿河屋16:40~(TAXI)~16:55アートホテル成田
拝島駅にて 12:02
成田駅 14:39
成田山新勝寺参道 14:48
成田山新勝寺参道 14:55
成田山開基1090年記念大開帳奉修 令和10年4月28日から5月28日まで
川豊のうなぎ弁当・蒲焼
鰻の老舗「駿河屋」 15:00
うなぎ弁当・蒲焼
鰻の老舗「駿河屋」 15:00
「駿河屋」お土産メニュー 15:01
鰻の老舗「駿河屋」 15:03
約1時間待ち、整理券発行
成田山金剛王院新勝寺・仁王門 15:09
成田山金剛王院新勝寺・三重塔(重要文化財) 15:10
正徳2年(1712)建立、塔の初層内陣には金剛界大日如来の五つの智慧をあらわす五智如来(大日如来・ 阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の金剛界五仏)が安置されている。
うな重メニュー
うな重きも吸つき4,400円+生サッポロビール白穂乃香935円
「下総醤油」と使用うなぎの主力産地である三河の「九重味醂」で作られた秘伝のタレを纏った蒲焼

「伝統の技、極上の味」日本鰻協会、「白穂乃香」サッポロビール株式会社ポスター
駿河屋2階座席から成田山新勝寺総門を望む 16:30
鰻の老舗「駿河屋」1階店内・会計 16:34
手形の力士名(左から):成田山新勝寺の節分会などでゆかりの深い、近年の名力士5名
(高安、稀勢の里、白鵬、照ノ富士、御嶽海)が並んでいる。
稀勢の里と高安: 田子ノ浦部屋の兄弟弟子で共に茨城県出身のご当地力士。
白鵬と照ノ富士: 一時代を築いた横綱。
御嶽海: 大関として活躍し、節分会などの行事で成田山に参拝している常連の一人。
成田山に奉納土俵入りをした七横綱は、
大鵬・栃ノ海・北の富士・輪島・北の湖・若乃花・朝青龍の7名。
鰻の老舗「駿河屋」からTAXIでアートホテル成田へ 16:41
成田周辺ホテルで唯一の天然温泉あり(700円)、旧名:成田ビューホテル
前泊:成田国際空港第1ターミナル午前7時集合
アートホテル成田 3人1部屋(16,200円/3人) 18:57
天然温泉あり(700円)入浴後ビールや日本酒、焼酎で一杯、そして就寝
2026年1月21日(水)
アートホテル成田7:00~(送迎バス)~7:19成田空港第1ターミナル・・8:38PriorityPassラウンジ希和(朝食)・・8:55成田空港NaritaTerminal1Gate27 9:30(VN307)~13:55ホーチミン(HoChiMinhCity)空港15:55~(VN920)~16:40プノンペン(PhnomPenh)空港17:30~(VN920)~18:55ビエンチャン(Vientiane)/Wattay空港~(観光バス)20:05~~20:27Tamnak Lao Restaurant(夕食)~(観光バス)~21:29LAO PLAZA HOTEL
アートホテル成田ロビー 6:53
アートホテル成田前・送迎バス出発直後 7:00
アートホテル成田7:00~(送迎バス)~7:19成田空港第1ターミナル
成田空港第1ターミナル・VietnamAirlinesチェックイン 7:45
朝食:ラウンジ「希和・NOA」にて 8:38
PriorityPass利用
VietnamAirlines VN307便 9:13
成田空港NaritaTerninal1Gate27 9:30(VN307)~13:55ホーチミン(HoChiMinhCity)空港
成田空港上空 9:48
香取市上空 利根川・霞ヶ浦 鹿嶋市方面 9:50
VietnamAirlines機内食 10:50
VietnamAirlinesVN307便機内 10:51
工場火災の煙かな?
ホーチミン市
タンソンニャット国際空港近くの上空 14:05
タンソンニャット国際空港着陸 14:06
タンソンニャット国際空港 14:50
乗継(Transfers ) プノンペンへ 15:01
ホーチミン(HoChiMinhCity)/Tan Son Nhat空港 VN920便待合室 15:12
VN920便 15:54
ホーチミン(HoChiMinhCity)/Tan Son Nhat空港15:55~(VN920)~16:40プノンペン(PhnomPenh)/Phnom Penh International Airport空港17:30~(VN920)~18:55ビエンチャン(Vientiane)/Wattay空港
VN920便搭乗 15:59
プノンペン(Phnom Penh International Airport)空港到着 17:01
カンボジア(CAMBODIA)
カンボジア・プノンペン空港(Phnom Penh International Airport) 17:18
乗継(Transfers )ラオス・ビエンチャン(Venetiane)へ
表示:VN920 Vientiane 17:30 A22GATE
乗継VN920便 17:36
Phnom Penh International Airport空港17:30~(VN920)~18:55ビエンチャン(Vientiane)/Wattay空港
カンボジア・プノンペン空港 からラオス・ビエンチャンへ 17:47
ビエンチャン(Vientiane)/WattayInternational Airport着陸 19:29
入国審査
ラオスデジタル入国フォーム・QRコード(3日前から受付開始)
税関出口 19:48
ビエンチャン(Vientiane)/WattayInternational Airportにて 19:53
WattayInternational Airportにて 19:53
Wattay International Airport駐車場へ 20:03
全体的に暗くて歩道で足を踏み外して転倒したが怪我は無かった。
今後、気を付けなければと思った。
「もっと大きな事故に遭わないように気をつけてね」の合図かな?
送迎観光バス 20:05
観光バスから夜の凱旋門を見る 20:25
Tamnak Lao Restaurant 20:27
郷土料理 20:32
豚肉と野菜の炒め物(八宝菜)
Beer Lao 3$ 20:34
アルコール度5度、ジャスミン米を原料の一部に使用している。
竹籠(ティップカオ)に入ったもち米(カオニャオ)
1997年9月オープン、ラオス初の5つ星ホテル、2021年改装
LAO PLAZA HOTELロビーにある休息スペース 21:31
タイの伝統的な様式で建てられた東屋、入口にナーガ(蛇神)の彫刻、装飾的な赤い花
2026年1月22日(木)
LAO PLAZA HOTELにて朝食 6:33
LAO PLAZA HOTELのレダイニングポッド 7:15
プライベートな食事スポット
LAO PLAZA HOTEL前の街路 7:16
LAO PLAZA HOTEL前の街路 7:17
LAO PLAZA HOTEL周辺散歩 7:19
ラオス国立文化会館(LAO NATIONAL CULTURE HALL)
コンサートや会議、展示会など多目的に利用されるホール
中国政府の援助により2000年に完成しラオス国内で最大規模の文化イベント会場
ラオスは経済の停滞、猛烈なインフレ、そして深刻な通貨安が大きな問題になっている。
近年のインフレ率30~40%に達し、輸入コストの増大、資金ショート、深刻な労働者不足(国外へ流出)、さらに中国マネーの流入減速と債務問題など、多くの困難に直面している。
ビエンチャンのメインストリート・セーターティラート通り
電柱と電線 7:25
鳥の巣状態の電線の束、実際に鳥の巣もある。(鳥が居る)
ビエンチャン夜市付近 7:27
ビエンチャン(Vientiane)のナイトマーケット 7:30
Night Food Market(夜市)
ワット・ハイソーク寺院(Watt Haisok) 7:31
19世紀、ザカリン王の治世中に建てられた。
ワット・ハイソーク寺院境内の僧侶(朝食中) 7:32
大蛇ナーガの鱗は、貝殻を嵌め込んでいる。
ワット・ハイソーク寺院の僧侶(皿洗い) 7:32
ワット・ハイソーク寺院 7:34
ワット・ハイソーク寺院の仏像 7:34
ラオス国立文化会館 7:37
メインストリート・セーターティラート通りにて 7:39
天秤棒で荷物を運ぶ女性
現地ガイド、観光バス出発8:00
ラオス5日間ツアー参加者(23名)の一部 7:49
タートルアン広場・ラオス国会議事堂(National Assembly of Laos) 8:13
2021年に完成、ベトナム政府からラオスへの贈物として建設された。
ラオスの伝統的な建築様式を取り入れた豪華な外観が特徴で、夜にはライトアップされる。
ビエンチャンにあるラオス最大の黄金仏塔「タートルアン」の正面に広がる広大な広場。
タートルアンは「ラオスの主権の象徴」とも言われている。
11月の満月に行われる「タートルアン祭り」の主会場であり、毎年30万人ほどの人々で賑わう。
全国から集まる信者による大規模な托鉢のほか、夜店やコンサートも開かれるラオス仏教の聖地。
ラオス5日間ツアー参加者(23名)タートルアン広場にて 8:14
ラオスのシンボル ワット・タートルアン仏塔 8:18
ラオス最高位の仏教寺院、黄金の仏塔は高さ約45m。
紀元前3世紀、ブッダの胸骨(仏舎利)を納めるためインドの僧侶により建立されたという説がある。
その後、廃墟となったが16世紀(1566年)に現在のチェンマイを中心とするラーンサーン王国のセーターティラート王により再建・建立された。
ワット・タートルアン仏塔 セーターティラート王 8:20
この王は当時の首都をルアンパバーンから現在のビエンチャンに遷都し、
タイ北部からも多くの文化を取り入れた。その際にタートルアンも再建された。
ビエンチャンを築いたセーターティラート王 8:20
タートルアンヌアという宮殿とタートルアン北寺院 8:20
ラオス仏教総主教宮(Ho Thammasapha)
ラオスの仏教会で最高位の僧侶が住んでいる。
ワット・タートルにてガイドの説明を聞く 8:21
ワット・タートルにてガイドの説明を聞く 8:23
ワット・タートルアン黄金の仏塔 8:24

ビエンチャンを築いたセーターティラート王 8:24
鳥を逃がす(放鳥)ことは、功徳(タンブン)を積むための仏教的な行為で現地では「ポイ・ノック」と呼ばれる。
1籠/約20,000~50,000キープ(約143~360円)
甘い優しい香りがする。中程度の毒性がある。
ワット・タートルアン(Pha That Luang)黄金仏塔 8:28
入場料30,000KIP(約215円/外国人、5,000KIP/Lao)
仏塔の歴史などを展示しているエリアの仏像 8:29
愛子様は2025年11月20日午後4時ごろ拝礼された。
タートルアン大塔には2025年11月18日の午後訪問された。
2025年11月17日から22日までの6日間の日程
日本とラオスの外交関係樹立70周年を記念して、
2025年11月17日から22日まで、愛子さまが初の海外公式訪問としてラオスを親善訪問された。
タートルアン大塔には、到着翌日の11月18日の午後に訪問されている。
タートルアン大塔にて 8:31
「愛子さまと同じ場所で撮影しましょう」とガイドが言って、写真を撮ってくれた。
タートルアン大塔 8:33ハーン・ソンナム(Hang Song Nam) 8:38
この黄金の長い樋のようなものは、仏像を清めるための儀式用の水路。
ラオスの正月(ピーマイ・ラオ、毎年4月頃)や重要な仏教行事の際、
仏像に直接手を触れることなく、清らかな水をかける「灌仏(かんぶつ)」ために使われる。
この樋の端から香水や花びらを浮かべた聖水を流すと、反対側の先端(ナーガの口など)から水が流れ落ち、その先に安置された仏像に水がかかる仕組み。
全体が黄金で装飾されており、先端や支柱にはラオスの守護神である ナーガ(Naga)(蛇神) があしらわれている。中央部分には、ラオスの伝統建築や装飾でよく見られる神話の鳥 「ホーン(鳳凰/ハンサ)」 のような意匠も見受けられる。
ラオスの人々にとって、仏像に水をかける行為は、自らの汚れを洗い流し、新年の幸運を祈る非常に重要な「タンブン(功徳)」の一つである。
このような豪華な水路を使うことで、儀式にさらなる神聖さと敬意を込めている。
焼バナナ、焼き芋、焼きとうもろこし売り 8:42
ラオスは人口の60%以上が上座部仏教を信仰している。
タート・ルアン南寺院にて飾り付けの花束販売 8:45
ヒンドゥー教の神々もあった 8:45
タート・ルアン南寺院の黄金の涅槃像 8:46
とても穏やかな顔をしている。
タート・ルアン南寺院 8:49
パパイアの花 パパイヤ科パパイヤ属の常緑小高木 8:50
写真や骨壺が見える
ラオス内戦による戦没者の慰霊碑として建てられた戦争記念碑。
また共産主義革命勢力(パテート・ラオ)の勝利を祝った勝利の門でもある。
1960年より建設が開始され、パリの凱旋門をモデルにしてつくられた。
凱旋門の上部まで登れば、ビエンチャンの街を一望することができる。
パトゥーサイ公園から
パトゥーサイ(凱旋門)にて 9:14
愛子さまは、2025年11月18日の午前10時半過ぎ、こちらに上られた。
高さ約50メートルの階段を歩いて登り、
最上階の展望テラスからビエンチャンの街並みを一望された。
パトゥーサイ(凱旋門)の天井画 9:18
内部の天井を見上げると、ラオス様式のさまざまなモチーフを見ることができる。
パトゥーサイ(凱旋門)からの眺め 9:18
メコン川方面を見る
パトゥーサイ(凱旋門)から首相官邸を望む 9:18
パトゥーサイ(凱旋門)9:19
パトゥーサイ(凱旋門)と首相官邸 9:19
パトゥーサイ(凱旋門)の蓮池 9:20
首相官邸 9:19
ラオスの中国LED太陽街灯・蓮花デザイン 9:29
ラオスのLED太陽街灯・蓮花
ビエンチャン(Vientiane)/Wattay空港 9:50
Wattay空港 11:24
Vientiane11:45~(QV103)~12:30LuangPrabang
QV103便機内 11:29
Vientiane11:45~(QV103便)~12:30LuangPrabang
Wattay空港 11:31
ATR 72-600
ルアンパバーン近郊上空 12:22
ルアンパバーン空港上空 12:25
ルアンパバーン空港 12:31
ルアンパバーン空港 12:31
ルアンパバーン空港 12:31
ルアンパバーン空港 12:32
ルアンパバーン空港 12:33
ルアンパバーン空港両替 12:41
1円≒133.24KIP、1BAT≒684.92KIP、1$≒21,475KIP
ルアンパバーン空港 12:44
マイクロバス 12:51
ANONGDETH CAR TRENTAL COMPANY
マイクロバスで世界遺産ルアンパバーンに行く 12:53
使用されているマイクロバスの多くがトヨタのハイエースである。
ルアンパバーンでは世界遺産としての景観保護や道幅の制約から、市内中心部
「歴史的市街地保護地区(Heritage Zone)」への大型観光バスの乗り入れが制限されている。
特に観光のメインとなる半島エリア(王宮博物館周辺など)は、以前から45人乗りなどの大型観光バスは乗り入れが禁止されていたが、近年ではさらに規制が強まり、25人乗りの中型バスも制限の対象となっている。
2025年以降は、JICA(国際協力機構)の支援などにより「グリーン・バス」と呼ばれる電気バスの導入が加速している。2025年2月頃には、中心部への自家用車の進入を一部制限し、代わりに無料の循環電気バスやトゥクトゥクを走らせる社会実験も行われている。
これは渋滞緩和だけでなく、排気ガスによる歴史的建造物へのダメージを軽減し、持続可能な観光地づくりを目指す取り組みである。
ワット・マイ・スワンナプーマハム寺院(Wat Mai Suwannaphumaham) 13:07
1796年に建立。1821年マンタトゥラート王の時代に修復され、その際に現在の名前が付けられた。地元の人々からはワット・マイの名で親しまれている。
70年の歳月をかけて建てられた本堂は豪華絢爛。
5層に重なる華やかな屋根と、ヴェッサンタラ(釈迦の前世)の物語や
地元の人々の伝統的な暮らしぶりが描かれた黄金の浮き彫り(レリーフ)が見どころである。
国立博物館の祠に納められているパバーン仏は、4月のラオス正月(ピーマイ・ラオ)の期間中、3日間だけこの寺院に運ばれ、一般に公開される。
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院近くのレストランへ 13:07
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院 13:07
お茶販売店 13:08
Phan Boun (ファン・ブム)restaurant 13:08
Phan Boun (ファン・ブム)restaurant 13:10
Phan Boun (ファン・ブム)restaurantにて昼食 13:15
ラオス料理「カオソーイ」
きしめんのような幅広の米麺(センヤイ)を使用し、トッピングに発酵した大豆のコクが効いた豚挽き肉の辛味噌がのっているのが特徴。見た目ほど辛くなく、深いコクがあって美味しい。
ビール「ルアンパバーン(Luang Prabang)」 13:19
ラオ・ブリュワリー社から、世界遺産の街の名を冠した「ルアンパバーン(Luang Prabang)」というプレミアムビールが発売されている。
街の「ゆったりとした魅力」と「洗練されたライフスタイル」をイメージして作られたという。
瓶のデザインが非常に美しく、地元のアーティスト(コットスワン・ホンサー氏)による旧市街の街並みのイラストが描かれているのが特徴。
ラオスで最も一般的な「ビアラオ」は、ジャスミン米を使用したコクのある味わいが人気だが、それと比較すると「ルアンパバーン」はより洗練された印象で、おしゃれなレストランやバーで見かけることが多い。
もともとはエリア限定で販売が開始されたため、この街を訪れたら逃さずに飲みたい「ご当地ビール」としての特別感がある。
軽やかな味わいなので、名物の「カイペーン(川海苔の揚げ物)」や、少し辛めのラオス料理との相性も抜群である。

ビール「ルアンパバーン(Luang Prabang)」 13:20
アルコール度数は4.5%。通常のビアラオ(5.0%)よりも少し軽めで、フルーティーかつクリーンな後味が特徴のラガービールである。苦味が抑えられており、ルアンパバーンの暑さの中で喉を潤すには最適の一杯だ。
ハイエースバスでの移動後にこのビールを注文して飲んだが、非常に美味しく、旅の疲れも吹き飛ぶようだった。
ラオスのコーヒー 13:57
ラオスコーヒーは、主に南部ボラベン高原(標高1,000m以上)の火山性土壌で生産されている。多くが無農薬の有機栽培であり、苦味と酸味のバランスが良く、全体的にマイルドで飲みやすいのが特徴だ。
ナッツやチョコレート、キャラメルに例えられるような甘みと、優しい香りが魅力である。アラビカ種(ティピカ、カティモール等)はフルーティーでさっぱりとした味わいがあり、苦味や酸味が苦手な人やアイスコーヒーにも適している。一方、ロブスタ種は主に国内消費用として活用されている。
ラオスコーヒーはその高品質な味わいから、「東南アジアの隠れた名産地」として世界的に注目されている。特に、現地で主流の深煎り(フルシティ〜フレンチロースト)は豆本来の甘みを引き出しやすく、非常に人気がある。
ルアンパバーンを走るトゥクトゥク 14:24
オートバイを改造した三輪自動車
ルアンパバーン国立博物館(旧王宮)へ 14:26
ホー・パ・バーン寺院(How Pha Bang Temple) 14:27
パバーン像(ラオスで最も神聖で崇敬されている仏像)安置している祠、
1963年着工2006年完成
豪華な金の装飾が施された複数の層の屋根と階段を守る金色のナーガ(蛇神)が特徴。
ルアンパバーン国立博物館(旧王宮)とパバーン像安置祠について説明 14:38
パバーン像安置祠
ホー・パ・バーン寺院(How Pha Bang Temple)
パバーン像(ラオスで最も神聖で崇敬されている仏像)安置祠
1963年着工2006年完成
豪華な金の装飾が施された複数の層の屋根と階段を守る金色のナーガ(蛇神)が特徴。
ルアンパバーン国立博物館(旧王宮)にて 14:52
ルアンパバーン国立博物館(旧王宮)にて 14:52
ルアンパバーン国立博物館(旧王宮)の内部は、
写真撮影禁止およびカバンなどの持込みが禁止されている。
そのため手荷物は事前に敷地内の後方にある「王宮舞踊劇場」のロッカーへ預ける必要がある。
ルアンパバーン国立博物館(旧王宮)見学 15:01
1904年から1909年にかけて建設され、1975年の王政廃止まで王室の住居として使用されていた建物。現在は、ラオス王国最後の王であるシーサワンワッターナ王が暮らした宮殿が一般公開されている。
建築様式は、伝統的なラオス建築とフランスのボザール様式(Beaux-Arts)が融合した独特なデザインが特徴。館内には、王族が実際に使用していた家具や美術工芸品、そして世界各国から贈られた貴重な献上品などが数多く展示されている。
この王が1975年に退位し、その後の消息が謎に包まれている。
ルアンパバーン国立博物館から見るプーシーの丘 15:45
ルアンパバーン国立博物館から見るプーシーの丘 15:45
王座舟(Heua Phathinang)・王室専用の儀礼用ボート 15:54
ルアンパバーンで毎年開催されるボートレース祭(ブン・スアン・フア)の際、国王が観戦や儀式のために乗船し、メコン川を移動したりする際に使用された王室専用の儀礼用ボート。
現在は、旧王宮敷地内の「王室専用ボート格納庫(Royal Barge Shelter)」に安置されている。
ジャケツイバラ亜属、別名チョウセンモダマともいう。
アフリカ原産の常緑高木、果肉は甘酸っぱく干し柿のようなねっとりした食感。
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院へ 15:56
UNESCO、DPL、JICA、AFD
ワット・マイ・スワンナプーマハム寺院(Wat Mai Suwannaphumaham)
1796年に建立。1821年、マンタトゥラート王の時代に修復され、その際に現在の名前が付けられた。地元の人々からは「ワット・マイ」の名で親しまれている。
70年の歳月をかけて完成した本堂は豪華絢爛。
5層に重なる華やかな屋根と、ヴェッサンタラ(釈迦の前世)の物語や地元の人々の伝統的な暮らしぶりが描かれた黄金の浮き彫り(レリーフ)が見どころである。
国立博物館の祠に納められている「パバーン仏」は、4月のラオス正月(ピーマイ・ラオ)の期間中、3日間だけこの寺院に運ばれる。
その際、先述の「ハーン・ソンナム」を用いて聖水をかける灌仏の儀式が行われ、街は一年のうちで最も神聖な熱気に包まれる。
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院の瞑想堂(ウップムン)四角い蓮の仏塔など
15:59ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂 16:00
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の黄金の壁画 16:05
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の黄金の壁画 16:05
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の黄金の壁画 16:06
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の仏像 16:08
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の仏像 16:09 ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の仏像 16:10
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の仏像 16:12 ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の仏像 16:12 ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂 16:14
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院の瞑想堂(ウップムン)、四角い蓮の仏塔など 16:14 ルアンパバーン文化遺産 UNESCO指定1995年12月9日 16:28

ワット・シェントーン入口の白い門 16:29
ルアンパバーンのシンボル ワット・シェントーン案内 | ASEAN Travel
ワット・シェントーン(Wat Xiengthong)本堂 16:30
複数の切妻屋根が重なり合いながら、地面に届くほど低く緩やかなカーブを描く「ルアンパバーン様式」の傑作。屋根の頂点には「チョーファー(ガルーダの頭を模した飾り)」、中央には「ドクソーファー(Dok So Fa)」と呼ばれる黄金の尖塔がそびえる。この尖塔の本数は寺院の格を表し、17本並ぶ姿はこの寺の地位の高さを物語っている。
本堂の壁や柱は黒と朱色の漆塗りに、金彩のステンシル画(型染め)による緻密な文様が埋め尽くす。仏伝図や神話の生き物、王の行軍などが描かれたその姿はまさに豪華絢爛だ。
ワット・シエントーン - Wikipedia
1560年、ランサーン王朝のセタティラート王により建立された。寺名の「シェントーン」は当時の町の名称で、「黄金の都」を意味する。王は同年、ビルマの侵攻に備えて都をビエンチャンへ遷したが、この遷都を機に町は「パバーン仏の座す場所」を意味する「ルアンパバーン」へと改称された。
セタティラート王は、新都ビエンチャンでは王国守護寺院の「タートルアン」、チェンマイから運んだエメラルド仏を安置する「ワット・ホーパケオ」などを次々と建立した。
ワット・シェントーンはその後も王の戴冠式が行われるなど宗教的中心地として重んじられ、1707年のルアンパバーン王国成立後は再び王都の筆頭寺院として、今日までその美しさを伝えている。
ワット・シェントーンは王家の庇護のもと発展を続け、数度にわたる他国の侵略を受けながらも増改築を繰り返し、今日に受け継がれている。
霊柩車庫(Royal Funerary Chariot Hall) 16:38
ルアンパバーン王国最後の国王であり、初代ラオス国王も務めたシーサワンウォン王。
その葬列に用いられた巨大な霊柩車が納められている建物で、
王が亡くなった1959年に建設された。
内部には、7頭の黄金のナーガ(蛇神)が身をくねらせる豪華絢爛な霊柩車のほか、
壁際には数多くの貴重な仏像が安置されている。
外壁に施された精巧な木彫レリーフも見どころの一つである。
霊柩車庫 7頭の竜が王の棺を守っている
16:38霊柩車庫 7頭の竜が王の棺を守っている 16:38
霊柩車庫の仏像とモザイク 16:39
霊柩車庫の仏像とモザイク 16:39
本堂の金彩ステンシル画 16:42
本堂の壁や柱は黒漆と朱色で塗り分けられ、その表面は黄金のステンシル画(型染め)による緻密な装飾で埋め尽くされている。描かれているモチーフは、釈迦の生涯を描いた仏伝図をはじめ、神々や天界の生き物、勇壮な王の行軍など多岐にわたる。
夕刻の光に照らされ、黄金の文様が闇の中に浮かび上がるようだった。
本堂の壁の絵 16:42
本堂の壁の絵 16:42

本堂の壁の絵 16:42
マイトーン(生命の樹 / 黄金の木) 16:43
マイトーン(生命の樹 / 黄金の木) 16:43
本堂の背後、西側の外壁を飾るのは「マイトーン(黄金の木)」と呼ばれる色鮮やかなモザイク画。かつてこの地に高さ160メートルもの巨木が立っていたという伝説に基づき、
1960年代に制作されたものである。
この黄金の木は、宇宙の軸である「生命の樹」とも重なり、その枝葉の間に仏教の世界が調和して広がっている様を表しているという。夕刻の光に照らされると、散りばめられた色ガラスが宝石のように煌めき、神秘的な美しさを放っていた。
マイトーン(生命の樹 / 黄金の木)赤堂(レッドチャペル) 16:43
本堂の南西に立つ小さなお堂。内部には、16世紀にセタティラート王によって納められた、優美な曲線を描く寝仏像が安置されている。外壁は鮮やかな赤色で彩られ、正面の切妻には釈迦の出家を表す「剃髪」の場面など、仏伝の主要なシーンが黄金の浮き彫りで描かれている。
また、側面の壁を飾る色ガラスのモザイク画も必見。これはブッダ生誕2500年を記念して1956年頃に制作されたもので、当時のルアンパバーンの田園風景や人々の暮らし、祭事の様子が色彩豊かに、そして生き生きと表現されている。
ワット・シェントーンの仏像 16:46
ワット・シェントーンの仏像 ワット・シェントーンの仏像
アジャン・マニウォン(Acharn Manivong Khattiyarat)師(1929-2014)
16:47 2014年に亡くなったワット・シェントーンで非常に尊敬されていた高僧(住職)
(Geminiの回答)
ワット・シェントーン 堂、本堂、赤堂 17:01
ワット・シェントーン堂 17:01
ワット
ワット・シェントーン本堂での記念撮影をチェック中 17:05
ワット・シェントーン本堂での記念撮影をチェック中 17:05
プーシーの丘へ 17:14

プーシーの丘へ 17:18
プーシーの丘への登山口からワット・シェントーンを望む 17:18
プーシーの丘(Phousi)へ 17:21
約328段、高さ約150m、メコン川とルアンパバーンの街並みを360度見渡せる。
黄金の仏塔(タート・チョムシー) 17:32ルアンパバーンの中心部にそびえる「プーシーの丘(仙人の山)」。
その頂上に鎮座するのが、1804年に建立された黄金の仏塔「タート・チョムシー」である。
328段の階段を登りきった標高約150メートルの山頂に立つこの塔は、高さ約20メートル。
四角い台座の上に、天に向かって細く伸びる黄金のフォルムが特徴だ。
ここは単なる展望スポットではなく、現在も地元の人々が花や線香を供えに訪れる、
街で最も神聖な祈りの場の一つとなっている。
特に夕暮れ時になると、黄金の塔が西日に照らされて一層の輝きを放つ。
ここからは眼下にルアンパバーンの街並み、そしてゆったりと流れるメコン川とカーン川を一望でき、沈みゆく夕日を眺める場所として世界中の旅人を魅了している。
絶景の夕日 17:35
日没が近づくにつれて頂上は多くの観光客で賑わう。

絶景の夕日 17:38
登山口付近の待ち合わせ場所 18:03ルアンパバーン夜市 18:10
レ エレファント レストラン(L'Eléphant Restaurant)にて夕食 18:34
Beer Lao 18:36
料理名:Médaillons de Porc à la Crème de Moutarde 19:05
(豚ヒレ肉のメダイヨン 粒マスタードソース・Pork Medallions with Mustard Sauce)
豚肉のヒレ(Medallions)をソテーしたもの。
濃厚なクリームベースに、粒マスタードやハーブ(ディルやタイムなど)を加えたフランス料理の王道ソース。
サイコロ状にカットしてカリッと焼いたポテト(Sautéed Potatoes)。
上に乗っているのはカボチャやサツマイモのチップス、グリルした野菜のスライス。
このレストランは、ラオス伝統料理と本格的なフランス料理の両方を楽しめることで有名、この料理はまさにフランス植民地時代の名残を感じさせる伝統的なフレンチのスタイル。
レ エレファント レストラン(L'Eléphant Restaurant)にて夕食 19:22
2026年1月23日(金)
托鉢見物、朝市散策へ(気温14℃)Le Palais Juliana 5:24
Le Palais Julianaロビー集合・出発5:30
ルアンパバーン歴史地区(メコン川とNam khan川の合流半島部)5:55
ワット・ノン・シクムンアン寺院付近 6:00
ワット・ノン・シクムンアン寺院付近 6:00
外国人が托鉢(タクバット)する場合、宿泊先で托鉢セット(もち米、カゴ、椅子、肩掛け布など)を用意してもらうか朝市で購入するか沿道の売り子から購入する。
観光客用セットの費用は約40,000 〜 60,000キープ(約285〜428円)が一般的な相場。

托鉢セット
もち米単品約10,000 〜 20,000キープ(約72〜143円)
ワット・ノン・シクムンアン寺院 6:02
ワット・ノン・シクムンアン寺院前 6:03
ワット・ノン・シクムンアン寺院前 6:07
ワット・ノン・シクムンアン寺院前の托鉢(タクバット) 6:20
托鉢は仏教の修行の一環であり、僧侶にとっては「生きていくための糧を得る場」であると同時に、信者に「功徳(善行)を積む機会を与える場」でもある。
ワット・ノン・シクムンアン寺院前の托鉢(タクバット) 6:21
ルアンプラバーンには約80の寺院があるが、僧侶はどの地区でも自由に歩いて良いわけではない。基本的には「自分の所属する寺院の近隣地区」を歩くのが伝統的な習わしであり、それぞれの寺院には、古くから決まった「托鉢ルート」がある。地域コミュニティ(村)と寺院の深い結びつきに基づいた独特のルールが守られている。
観光客の多いサッカリン通りなどには、遠くの寺院からも多くの僧侶が集まるが、これは「観光資源の維持」と「僧侶の食糧確保」のバランスを保つため、仏教協会や町が調整を行っている。
メインストリートで椅子やお供え物セットを販売する業者は、世界遺産局や観光局への登録と営業許可を得る必要がある。こうした業者が支払う許可証の発行手数料や場所代の費用は、月額数千円〜数万円程度とされており、持続可能な観光と信仰の両立を支える仕組みの一端を担っている。
ルアンパバーン歴史地区路地 6:36
メコン川の支流Nam khan川方向へ散策
メコン川の支流Nam khan川 6:40
メコン川の支流Nam khan川 6:40
ワット・ノン・シクムンアン寺院(Wat Nong Sikhounmuang) 6:45
赤い瓦屋根と金色に装飾が施された本堂、白い仏塔(チェディ)のラオス様式の建物。
托鉢式(アルムス・セレモニー)のルートになっている。
対岸の寺院からも小舟で僧侶がルアンパバーン歴史地区に托鉢に来る。
ルアンパバーンの朝市 6:56
ルアンパバーンの朝市 6:57
ルアンパバーンの朝市 7:03
ルアンパバーンの朝市 7:04
ルアンパバーンの朝市 7:05
この朝市でマンゴスチンとランブータンを各々1kg(20バーツ:約100円)で購入した。
タマリンドは1袋(10バーツ:約50円)で購入した。
キノコ(スエヒロタケ)を乾燥させた食材:ヘット・グラダーン(Het Kradang )、
ヘット・クレーン(Het Khraeng)とも呼ばれている。
朝市では鳥もカエルもネズミも昆虫も売っている。
ルアンパバーンの朝市・カエルも売っている 7:10
メコン川 ヤシの実 7:32
朝市からホテルLe Palais Julianaに戻り朝食
ホテルLe Palais Julianaの庭 7:56
Le Palais Julianaの庭むらさきに咲くバウヒニア・ブラケアナ(Bauhinia/Blakeana) 7:56
バウヒニア・ブラケアナ(Bauhinia・Blakeana) 7:56
オオバナソシンカ(大花蘇芯花)、マメ科ジャケツイバラ亜属
ホンコンオーキッドツリー(香港蘭)と呼ばれている。香港の市花
Le Palais Julianaの庭に茂るコモチクジャクヤシ(Caryota mitis)の花序 7:58
ヤシ科クジャクヤシ属
葉の形が魚の尾びれのように見えるのでフイッシュテール・パームとも呼ばれている。
Le Palais Julianaに茂るムラサキソシンカ(Bauhinia Purpurea)
Le Palais Julianaにて朝食 8:08
米麵スープとクロアッサンと果実
庭の池
スイレン(Nymphaea・水の精ニンフに由来)
スイレン科スイレン属の水生植物
Le Palais Julianaの庭のプール 8:42
Le Palais Julianaの庭のプール 8:42
Le Palais Julianaの庭 8:53
Le Palais Julianaの庭 8:54
ルアンプラバーン郊外観光・Le Palais Juliana9:00出発
織物と紙漉きの村バンサンコンと酒造りの村バンサンハイへ
織物と紙漉きの村バンサンコン(Ban Xang Khong) 9:34
織物と紙漉きの村バンサンコン 9:35
織物と紙漉きの村バンサンコン 9:36
織物と紙漉きの村バンサンコン 9:37
スティックラック(Stick Lac) 9:40
カイガラムシ由来の赤色染料
ラックカイガラムシは、樹木の枝に群生して分泌物に覆われると、棒状の塊(スティックラック)を形成する。この中に含まれるラック色素(主成分:ラッカイン酸)は、古くから貴重な赤の染料として重宝されてきた。
化学的には、ラッカイン酸は炭素、水素、酸素のほかに窒素を含むカルボン酸の一種である。液性が酸性では赤橙色、アルカリ性では赤紫色を示す特性を持つ。日本では古来、この色を「臙脂(えんじ)」と呼び、正倉院の宝物の中にもこのラック色素で着色されたと推測される品々が遺されている。
また、同じカイガラムシ由来の赤色染料には、中南米原産のコチニールカイガラムシから抽出されるコチニール(カルミン酸)があるが、アジアの伝統的な織物にはこのスティックラックが欠かせない存在となっている。
ラックカイガラムシ
北緯16度前後の亜熱帯、一部熱帯地域に生息する小さな昆虫(体長3~8 mm程度)である。樹木に寄生して樹液を吸い、体の表面にある分泌腺から分泌物を排出し、徐々に自身の分泌物に覆われていく。
バンサンコンでは、漉く過程で生花や葉を並べて装飾を施すスタイルが非常に有名である。
紙漉き 10:03絹織物と紙漉き製品の販売店 10:11
100%Silk絹織物 10:19
土産に1枚購入800,000KIP(約5,700円)ガイド(通訳)とガイド助手(16歳)
マイクロバス4号車 11:12
織物と紙漉きの村バンサンコンから酒造りの村バンサンハイへ
舗装道路が途切れ砂利道へ
酒造りの村バンサンハイ(Ban XangHai) 11:18
バンサンハイ(Ban XangHai)織物販売 11:18
以前は「酒の村」であったがバンサンコンのように「織物の村」としての側面も強化されている。村のメインストリートには多くの織り機が並び、女性たちが布を織る傍らで、男性たちが酒を造るという分業体制が明確になっている。酒だけでなく、高品質なシルクやコットンのストールを販売することで、村全体の収入を安定させている。
バンサンハイ(Ban XangHai)織物販売 11:20
メコン川船着場(Mekong Boat Port) 11:22
酒造りの村バンサンハイ(Ban XangHai) 11:23
この村の名物である、コブラやサソリ、ムカデを漬け込んだ「スネーク・ウィスキー(蛇酒)」は依然として造り続けられている。これらは古くから「強精剤」としての伝統的な役割を担ってきたが、現在はその見た目のインパクトから、SNS映えを狙ったお土産としての側面が強くなっている。
ただし、ワシントン条約をはじめとする国際的な野生動物保護の観点から、他国への持ち出しや輸入制限が非常に厳しくなっている点には注意が必要だ。そのため、現地での観光客への案内や販売も、近年は以前より慎重に行われるようになっている。
ラーオ・ラーオ(米焼酎)簡易蒸留装置説明板 11:24
「ラーオ・ラーオ」の簡易蒸留装置と厳格化する酒税事情 11:25
ラオスにおける酒税(物品税)や製造に関する規制は、近年の法改正(2023年〜2024年)により、財源確保を目的とした厳格化と増税の傾向にある。
自家用醸造: 村の慣習として長年黙認されてきたが、法律上は登録が義務付けられている。村内での消費や儀式用であれば、依然として事実上の「無税」状態で運用されているのが実情である。
販売用醸造: 物品税法(Excise Tax Law)に基づき、非常に重い税負担が課される。以前は「酒の村(バンサンハイ)」などでも比較的自由に販売されていたが、最近では納税シール(スタンプ)のないアルコール類に対し、没収や罰金が科されるケースも報告されている。
「アルコール飲料に課される主な税率」
現在のラオスでは、財源不足を補うために特定嗜好品(酒・タバコ)への増税が繰り返されている。飲料種別 物品税率(Excise Tax)
蒸留酒(ウイスキー等) 70%
ビール 50%
ワイン・スパークリング 35%〜50%
低アルコール飲料(15%未満) 25%〜30%
※これらに加え、一律10%の付加価値税(VAT)が上乗せされる。
政府は小規模な自家醸造に対しても登録を促し、微額の管理費を課そうとする動きを見せているが、伝統的な生活様式が残る全土で徹底されるまでには至っていない。

蒸留用燃料 11:32
メコン川船着場(Mekong Boat Port) 11:46
織物販売の親子 11:49
右側のテーブルセンタークロスを1枚購入した(50バーツ:約250円)
バンサンハイ(Ban XangHai)の寺 11:56
バンサンハイ(Ban XangHai)の寺 12:04
トウモロコシ乾燥 12:07
Manivanh Restaurantにて昼食 12:23
Manivanh Restaurantの対岸にパーク・ウー洞窟がある 12:31
Manivanh Restaurantにて Beer Lao 12:31
Manivanh Restaurantにて昼食 12:40
竹かご(ティップカオ)に入った黒米のもち米、
ゴーヤと人参・肉団子の入ったスープ(トムセップ)、胡麻をまぶした海苔
Manivanh Restaurantにて昼食 12:54
Manivanh Restaurantにて昼食 12:54
Manivanh Restaurant
バンサンハイ(Ban XangHai)の子供たち 13:28
ヤナギバルイラソウ(柳葉ルイラ草)Ruellia simplex 13:28
メコン川船着場(Mekong Boat Port) 13:31
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)へ 13:37
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)へ 13:38
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)へ 13:39
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)から見たメコン川 13:45
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)にて 13:47
ルアンパバーンからメコン川を約25km上流に遡った、
ナムウー川との合流地点にあるラオスで最も神聖な場所の一つ。
メコン川に面した切り立った石灰岩の絶壁にあり、上下2つの洞窟で構成されている。
タム・ティン(Tham Ting): 下段の洞窟。
外光が入るため無数の仏像が並ぶ姿がよく見える。
タム・プン(Tham Phung): 上段の洞窟。
内部は真っ暗で奥行きがある(見学には懐中電灯が必要)。
ここには現在、大小あわせて4,000体以上の仏像が安置されている。
パーク・ウー洞窟の歴史は、
アニミズム(精霊信仰)の時代: 仏教が伝来する以前(8世紀頃〜)から、ここは「川の精霊(ピー)」を祀る聖域であった。メコン川とナムウー川という二つの大河が交わるこの地は、古来より特別な霊力が宿ると信じられていた。
仏教との習合(16世紀以降): 16世紀、ランサーン王国のセーターティラート王によって仏教の聖地として公式に保護されるようになった。もともとの自然崇拝と仏教が融合し、王家が毎年旧正月(ピーマイ・ラーオ)に参拝に訪れる伝統が確立された。
仏像の「隠居場所」としての役割: 洞窟にある数千の仏像は、一度に作られたものではなく、何世紀にもわたり、周辺の村々や王家から「古くなった仏像」や「破損した仏像」が運び込まれた。仏教において仏像は捨てることができないため、この神聖な洞窟に奉納・安置されるようになった。
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)にて 13:48
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)の仏像たち 13:51
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)にて 13:51
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)から下山 13:57
ボートから撮影
メコン川クルーズ 14:28
パーク・ウー洞窟(PakOu Caves)からルアンパバーンへ
パーク・ウー洞窟から約1kmほど遡ったメコン川の支流ナムウー川に架かる橋。
メコン川クルーズ 14:35
メコン川クルーズ 14:43
メコン川クルーズ 14:48
メコン川クルーズ 15:18
メコン川の東岸の建物:ルアンパバーン県刑務所(Luang Prabang Provincial Prison)
地元の人々の間では、「ラク・シップエト(Lak Sip-Et)」「11キロ刑務所」という通称で呼ばれる。
中国ラオス鉄道(China-Laos Railway)のメコン川鉄橋
メコン川クルーズ 15:25
中国ラオス鉄道(China-Laos Railway)のメコン川鉄橋・列車通過中ルアンパバーンの街から北に約10kmほどの地点にある。
2021年に開通したこの鉄道は、ラオスの物流と観光を劇的に変えた国家プロジェクトであり、伝統的な川下りの風景の中に現れる近代的な建造物として、現在の新しい観光名所にもなっている。
メコン川クルーズ 15:58
ルアンパバーン船着場到着
メコン川クルーズ 15:49
ルアンパバーン船着場
マイクロバスで移動 16:05
ルアンパバーン船着場からワット・ヴァンスンナラート寺院へ
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院へ 16:11
古都ルアンパバーンの守護神人形 16:13
プー・ニュー(お爺さん)とニャー・ニュー(お婆さん)、獅子のシン・ケオ・シン・カム
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院(Wat Visounarath) 16:13
この寺院のシンボルである「大蓮華(ハスの花)の仏塔(タート・パトゥム)」(正式名称)。
Pathum(パトゥム)=蓮の花、仏教的な尊称。歴史書や公式ガイドで使われる。
寺院名は一般的に「ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)」
または「ワット・ヴィスン」と表記される。
1512年、ヴィスンナラート王の時代(1501-1520)に建てられた寺院は市内最古の現役寺院
巨大なスイカのような形をしたユニークな仏塔があることから、
地元では「すいか寺(タート・マックモー)」の愛称で親しまれている。
「スイカの塔(タート・マックモー)」(通称)Makmo(マックモー)=スイカ、
地元の人々や観光客に親しまれている呼び名。
王妃の設計によるとされる、半球状の独特な仏塔
ラオスで唯一のスリランカ様式を取り入れたデザインで、
その形状から「スイカ」と呼ばれている。
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:21
古い門
512年にウィスンナラート王によって寺院が建立された当時の面影を残す貴重な遺構。
重厚なレンガ造りの構造に、漆喰(スタッコ)による装飾が施されている。
1887年の「黒旗軍」による焼き討ちの際、木造だった本堂は焼失したが、この門と「スイカ仏塔」は崩壊を免れた。門の表面に見えるひび割れや摩耗は、数世紀にわたる風雪と歴史の重みを感じさせる。
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:22
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院・本堂(シム)と博物館 16:23
1887年の焼き討ち後に再建された本堂は、
ルアンパバーン初期の建築様式(スタイルI)を伝えている。
内部は宗教芸術の博物館としても機能しており、
数世紀前の木造仏像や、「雨乞いのポーズ」をした仏像が多数展示されている。
かつてはラオスの象徴である「パ・バーン仏」が安置されていたこともある。
(現在は王宮博物館に所蔵)
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:28
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:29
この白い旗は「葬儀」や「逝去」を知らせる目印という。
今日、地域の人々に誰かが亡くなったことを知らせる役割とともに、亡くなった方の魂が迷わず天に昇れるよう導く「階段」や「道しるべ」としての意味を持っている。

ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:29
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:30
ジャックフルーツ 16:31
パラミツ クワ科の常緑高木で世界最大の果実を実らせる。
独特の強い香りと甘味がある。
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:34
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:36
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:40
プラ・チャオ・カオ・プット(Phra Chao Kao Phut)仏像。
「プラ・チャオ(偉大なる仏)」の名を冠する通り、ルアンパバーンにある仏像の中でも最大級のサイズを誇る。本堂の天井近くまで届くその高さは、訪れる人々を圧倒する迫力がある。
1887年、中国からの侵略者(黒旗軍)によって寺院が焼き払われた際、この本尊も大きな被害を受けた。現在の姿は、その後1898年に再建された際に修復・再造されたもの。
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:40
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:41
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:42
「雨乞いのポーズ(プラ・ハーン・ポーン)」
ワット・ウィスンナラート(Wat Wisunarat)寺院 16:43
「雨乞いのポーズ(プラ・ハーン・ポーン)」、細長い「雨乞いの仏像」が林立している。
両腕を体の脇に真っ直ぐ下ろし、指先を地面に向けて少し外側に広げた立ち姿が特徴。
仏教が伝来する前の精霊信仰(ピー信仰)と結びつき、人々の切実な願いが仏像の形になったものと言われている。
JC Minimart 17:11
JC Minimart 17:12
JC Minimart 17:17
38W4000mAh@250,000KIP, 100W9000mAh@370,000KIP(約2,636円)
KHAO NIEW(カオニャオ): ラオスの主食である「もち米」60,000KIP/ 1-2kg
LAO FRAGRANTRICE(ラオ・ホン・マリ):香り米(ジャスミン米のラオス版)
JAPONICA RICE 5kg :150,000KIP(約1,069円)
JAPANESE RICE 5kg :240,000KIP(約1,710円)
VANXAI KHAOJAO 5kg:260,000KIP(約1,852円)
Mandarin Rice 5kg:200,000KIP(約1,425円)
価格表(LAK)を見ると、現在のラオスが直面している極端な物価上昇と通貨安の影響が色濃く出ている。現地の平均月収(都市部で3〜5万円程度、地方はさらに低い)からすると、主食である米5kgにこの金額を支払うのは、地元住民にとってかなりの負担であることがわかる。高所得者層や外国人向けの設定になる。
オートバイの後部に客席を連結した三輪車で、タイのものより一回り大きく、
客席が対面式のベンチシートになっているのが一般的。
非常にカラフルな装飾が施されている。
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:07
ラオス風焼肉
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:07
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:10
Nam Khan River沿いのレストラン
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:21
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:39
1番人気はシンダーット(ラオス式バーベキュー鍋)
Beer Lao、赤ワイン
Dyen Sabai RestaurantからLe Palais Julianaに戻り、希望者だけがナイトマーケットへ
ナイトマーケットへ 20:08
ナイトマーケットへ 20:09
ナイトマーケット 20:12
ナイトマーケット 20:16
これらのBracelets は爆弾でした 20:19
これらのBracelets は1964年から1975年の間の秘密戦争(Secret War)で投下された爆弾のアルミニウムから作られている。
戦後、誰かが、私たちの生活を破壊した爆弾をどうするかを教えてくれた。
爆弾からスプーンやリング、箸、ブレスレット、栓抜きなどの土産品を作った。
私達は爆弾から美しいブレスレットを作り始めた。
私達は新しい意味を持つ爆弾を持ち込み、自助努力を行い貧困から脱出する。
ご支援ありがとうございます。
不発弾の破片をリサイクルして作られたスプーンや栓抜きなどは、ラオスの悲しい歴史を平和への願いに変えるユニークなお土産として知られている。
ナイトマーケット 20:21
シーサワンウオン通り(Sisavangvong Road)
Lao Lao (Rice Whisky of Laos) 20:26
Original Coffe &Tea, Jungle Haney, Lao Whisky, Dried Fruits etc,
ナイトマーケット ワット・マイ寺院周辺 20:29
ナイトマーケット ワット・マイ寺院周辺 20:29
夕暮れ時になると、メインストリートであるサッカリン通りからシーサワンウォン通りにかけて、赤いテントがずらりと並ぶ。
ここは単なるお土産市場ではなく、ラオスの多民族文化や現在の経済状況を肌で感じられる。
ナイトマーケット 20:30
ナイトマーケット 20:30
パバーン像安置祠(Haw Pha Bang)
パバーン像安置祠(Haw Pha Bang)
ホテルLe Palais Juliana 21:01
風呂に入り就寝
2026年1月24日(土)
ホテルLe Palais Juliana 7:36
ホテルLe Palais Julianaにて朝食 7:51
ホテルLe Palais Julianaにて朝食 7:51
フォー(米粉)ヌードル、果物、目玉焼き
フォー(米粉)ヌードル 7:51
鶏肉、豚肉、モヤシ、ネギ、やパクチーの香味野菜が添えられている。
ル・パレ・ジュリアナ(Le Palais Juliana)周辺散歩 8:15
住民不在住宅 8:19
スーパーマーケット 8:20
ラジオ放送局 ルアンパバーン地区 8:21
ラジオ放送局 ルアンパバーン地区 8:22
道路際に24HのATM(BCEL・ラオス外国貿易銀行) 8:23
街中のATMでカードが吸い込まれるリスクがあるため、
銀行窓口に併設されたATMの利用が推奨される。
Kuangsi Waterfall 26km交差点 8:23
Beer Lao 小売店 8:23
ワイヤーモッコに入った木炭 8:24
扇風機を用いた精米機で籾の殻を吹き飛ばしている。
大形スピーカーで音楽を流していた 8:26
ル・パレ・ジュリアナ(Le Palais Juliana)周辺のスピーカーからの流れる音楽
ル・パレ・ジュリアナ(Le Palais Juliana)に置いてあったCHINA DAILY 8:47
「米国の行動は世界秩序のバランスを取り戻す必要性を示している」
ベネズエラ侵攻に関する資源略奪、国際法と国連憲章に違反する記事
及びイノベーションについて
「専門家や企業幹部によると急速に進化する人工知能(AI)は、産業のアップグレードを促進し、中国が新たな成長原動力を構築し、質の高い経済成長に力強い勢いを注入するうえで、極めて重要な役割を果たすであろうという」
ホテル出発9:00 モン族の村、クアンシーの滝観光
凸凹で砂ぼこりがひどい、昭和40年代の日本の道路と同じ。
ホテル・ル・パレ・ジュリアナからクアンシーの滝まで約25km
道路工事中 9:37
クアンシーの滝駐車場 9:48
クアンシーの滝駐車場 9:53
クアンシーの滝入場料 外国人60,000KIP(約4,294円) 10:01
電気自動車でクアンシーの滝入口まで行く 10:06
道路工事中 クアンシーの滝入口へ 10:08
道路工事中 10:08
クアンシーの滝の手前の村を通過 10:09
クアンシーの滝入口前駐車場 10:11
クアンシーの滝入口 10:15
タット・クアンシー・クマ救護センター(Tat Kuang Si Bear Rescue Centre) 10:20
クマ救護センター(Free the Bears) 10:21
寄付された古い消火ホースで作られたハンモックにはいっている熊もいた。
野生動物保護の最前線「FREE THE BEARS」10:21
HOW TO HELP?
ラオスにはアジアクロクマ(ツキノワグマ)とマレーグマの2種類が生息している。
どちらも豊かな森林を象徴する重要な存在だが、現在は絶滅危惧種に指定されている。
この救護センターにいるクマたちの多くは、違法取引「熊胆(ゆうたん)・くまのい問題」や不当な飼育環境からレスキューされた。彼らが安全に戻れる森を確保できなければ、最長で40年にも及ぶ生涯にわたって、人間による手厚いケアが必要となる。
「FREE THE BEARS」は、ラオス森林局と提携して活動するオーストラリアの非営利団体である。Tシャツの購入や寄付は、より多くのクマを救い、適切な医療や環境を提供するための大きな助けとなる。(詳細は公式HP:www.freethebears.org 参照)
タット・クアンシー・クマ救護センター(Tat Kuang Si Bear Rescue Centre)にて
クアンシーの滝(Kuang Si Waterfall) 10:25
クアンシーの滝周辺は石灰岩地帯で、地下水が石灰岩層を通る際、
岩に含まれる炭酸カルシウムを溶かし込む。
このカルシウムが豊富な水が外気に触れて滝として流れ落ちる際、
光の反射と相まって独特の青緑色を作り出す。
水に溶け込んだ微細な炭酸カルシウムの粒子が、
太陽光のうち波長の長い赤色の光を吸収し、波長の短い青色や緑色の光を反射(散乱)させ我々の目に「鮮やかなエメラルドグリーン」として届く。
クアンシーの滝 10:28
クアンシーの滝にて 10:29
クアンシーの滝にて 10:34
クアンシーの滝にて 10:36
クアンシーの滝で水浴をする観光客 10:36
クアンシーの滝に入って撮影している。
クアンシーの滝 10:43
典型的なトラバーチン(石灰華)の造形による滝
溶け出した石灰分は、岩などに付着してトラバーチンと呼ばれる石灰華の層を作る。
これが自然のダムのような段々畑状の地形を作り、流れを緩やかにすることで、
沈殿物が落ち着き、水の透明度がさらに高まって色がより際立つ。
クアンシーの滝 10:43
クアンシーの滝 10:45
愛子さま クアンシーの滝にて
2025年11月20日午後4時過ぎ撮影(時事通信社JIJI.COM)
クアンシーの滝(Kuang Si Waterfall) 10:46
上流にある「シー川」の水が落差60メートルの断崖に流れ込んでいる。
クアンシーの滝にて 10:47
クアンシーの滝 10:49
クアンシーの滝近くの駐車場(来賓用) 10:53
クアンシーの滝 10:55
クアンシーの滝入口待合せ場所 11:21
クアンシーの滝入口近くからマイクロバスに乗車 11:30
クアンシーの滝からモン族の村へ
「秘密戦争(Secret War)」とモン族の軌跡
1. CIA史上最大の極秘作戦
1960年代から70年代、ベトナム戦争の裏側で、CIAはラオスの山岳少数民族であるモン族を秘密裏に徴用し、「秘密軍・特殊部隊(SGU)」を組織した。これは当時、公に軍を進駐させられなかったアメリカによる、CIA史上最大規模の極秘作戦であった。
ベトナム戦争下で米軍の援護やホーチミンルートの補給物資破壊に従事した。
バン・パオ将軍: モン族を率いた指導者。CIAの全面的な支援を受け、共産勢力パテート・ラオと激戦を繰り広げた。
エア・アメリカ: CIAが設立したダミー航空会社。物資の補給や兵士の空輸を担い、その過程で軍資金調達のためのアヘン密輸に関与したとも言われる。
多大な犠牲: 危険な任務により、モン族の約10%にあたる約35,000人が命を落とした。
2. 21世紀型戦争の「実験場」としてのラオス
ラオスでの戦いは、現代における「戦争の自動化・外注化」の先駆的存在とされる。
戦争の外注: 民間企業(エア・アメリカなど)への軍事任務の委託。
情報のコントロール: 文書の改ざんや徹底した秘密保持による世論の誘導。
ハイテク兵器のテスト: 史上空前の爆撃(約2億7千万個のクラスター爆弾)に加え、
コンピュータ制御の爆撃やドローン偵察のプロトタイプがここで初めて試された。
3. 敗北と流転:忘れられた同盟者
1975年のラオス共産化により、モン族は「裏切り者」として過酷な迫害にさらされた。
決死の逃亡: 多くのモン族が強制収容所への送致や掃討作戦にさらされ、メコン川を渡ってタイの難民キャンプへ逃れ、その後、アメリカ(ミネソタ州、カリフォルニア州、ウィスコンシン州など)へ渡った。
現在、米国内には約30万人以上のモン族コミュニティが存在する。
映画『グラン・トリノ』: クリント・イーストウッド監督・主演のこの作品は、米国内でのモン族の置かれた境遇と、彼らの静かな誇りを描き、この歴史が広く知られるきっかけとなった。
4. 最も秘密とされる場所「ロンチェン」
CIAの拠点であり、当時「世界で最も忙しい空港」の一つと言われた空軍基地ロンチェン(Long Chen)。地図から消されたこの場所は、今なお秘密戦争の象徴として語り継がれている。
「秘密戦争」を直接的に扱った1990年のハリウッド映画「エア・アメリカ」、
「THE BETRAYAL 2008年」、「The Hmong and the Secret War 2017年」
秘密戦争で最も秘密とされる場所が元CIA空軍基地ロンチェンである。

モン族の村・バーン・ナー・ワン (Ban Na Uang)
モン族が暮らす小さな再定住村(Resettlement Village)と「終わらない戦争」
ラオス政府は1990年代から現在にかけて、
山岳地帯に分散して暮らす少数民族を道路沿いや低地へ移住させる政策を進めてきた。
行政サービスの提供: 山の奥深くでは学校や病院、電気・水道などのインフラ整備が困難なため、一箇所に集めることで教育や医療を受けやすくするという「貧困削減」がある。
焼畑農業の禁止: モン族が伝統的に行ってきた焼畑農業(移動式農業)は、森林破壊につながるとして政府が制限しており、低地での水田稲作や定住農業へ転換させる狙いがある。
国家の統合と安全保障: かつて「秘密戦争・Secret War」で旧王政側(アメリカ側)についた歴史的経緯もあり、山岳地帯でのゲリラ活動を防ぎ、政府の管理下に置くという政治的・軍事的な意図も含まれている。
ラオス政府の視点では、再定住村の人々は「山から下りてきて戸籍を登録し、納税や教育のシステムに組み込まれた人々で政府の管理を受け入れ、定住生活を始めた善良な市民」という位置づけになる。しかし、多数派であるラオ族(低地ラオ族)から見たモン族への視線には、差別や偏見が混じることがある。
再定住村の人々を「山賊」とは呼ばないが、「生活習慣が違う、貧しい山の人たち」という二級市民的な目線で見られることは今でもある。
バーン・ナー・ワンのような村は、クアンシーの滝に近いこともあり、
政府にとっては「少数民族を近代化し、安定させた成功事例」として
対外的に見せたい場所でもある。
政府は彼らを定住させることで、かつてのゲリラ活動の芽を摘み、
同時に観光資源や労働力として活用しようとしている。
村の人々自身も、自分たちが「山賊」と疑われないよう、従順な市民として振る舞い、
ラオス語を話しラオスの旗を掲げることで自分たちの安全を守っている側面がある。
いまだに山奥に隠れ、政府への帰順を拒否している武装勢力やその家族は、
政府から公式には「山賊(Bandits)」や「ならず者」、「麻薬密売組織」と呼び、
あくまで治安維持活動の犯罪者掃討であると主張している。
しかし、国連の非代表民族機構(UNPO)やアムネスティ・インターナショナル等の報告によれば、標的となっているのはジャングルに潜伏し続けるモン族のコミュニティ(チャオ・ファ派など)であり、その多くはかつての秘密戦争でアメリカ側についた兵士の末裔や家族である。
ラオス・ベトナム軍事協力の関与
ラオスとベトナムは1977年に「友好協力条約」を締結しており、
現在も非常に緊密な軍事協力関係にある。
2025年から2026年にかけても、両国は「国防協力計画」を更新し続けている。
これには国境地帯の安全確保が含まれており、事実上、ベトナム軍がラオス国内での
「治安維持(=潜伏勢力の排除)」を支援していると指摘されている。
2025年半ばには、サイソムブーン県(旧マキの拠点近く)において軍事的な封鎖が行われ、潜伏しているモン族コミュニティに対して食料や医療品の遮断、武力攻撃が行われたというアラートが国際機関(UNPO等)から発せられた。
これらが大規模な「戦争」として報じられないのには、
紛争地域とされるサイソムブーン周辺などは軍事的な制限区域となっており、
外国のジャーナリストや人権監視団の立ち入りが厳しく制限されている。
組織的な戦争という形ではなく、小規模な部隊によるキャンプの破壊や、
森からの追い出し、「再教育キャンプ」への強制収容といった形で行われるため、
国際社会の目が届きにくい。
兵士と家族の現在
数千人と推定される人々が、今もジャングルの奥深くで自給自足の生活を送りながら、
政府軍から逃れ続けている。
一部はタイへ逃れようとするが、タイ政府もラオスとの関係を重視して強制送還を行うケースがあり、彼らは常に「帰る場所のない」危機にさらされている。
かつてフランス軍の「マキ」として、そしてアメリカの「秘密の軍隊(SGU)」として戦ったモン族の人々の悲劇は、50年以上経った今も終わっていない。
彼らが受けている攻撃は、政府側からは「治安維持」と呼ばれ、
国際社会からは「民族的な迫害」と見なされる、
非常にグレーで非公式な状態が続いている。
モン族(Hmong)の人々、特にかつてアメリカの「秘密の軍隊(SGU)」として戦った兵士とその家族が直面している現在の状況は、国際社会において「忘れ去られた悲劇」と呼ばれる。2026年現在においても、彼らの法的地位や安全保障は極めて不安定なままである。
現在の法的な立場と国際的な支援の現状について
タイ:不安定な「不法入国者」扱い タイは「1951年の難民条約」に署名していないため、
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が「難民」と認定したモン族であっても、
国内法上は「不法移民」として扱われる。
そのため、常に強制送還(ノン・ルフルマン原則に反する送還)の危機にさらされている。2025年末から2026年初頭にかけても、タイ国内の収容施設でベトナムやラオス当局からの圧力を受ける事例が報告されている。
ラオス:国内避難民と「山賊」扱い ジャングルに潜伏し続けるグループは、
政府から正式な「国民」として認められず、軍事掃討の対象(山賊)とされている。
投降した人々も「再教育キャンプ」や当局の監視が厳しい指定居住区へ送られることが多く、移動や表現の自由が厳しく制限されている。
国際的な支援活動とNGOの動き
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所): 難民認定(RSD)を行っているが、
タイ政府がUNHCRの活動に制限をかけるケースが多く、
第三国への再定住(アメリカやフランスなど)が進みにくい。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)&アムネスティ: ラオス軍による「飢餓戦術」や化学兵器使用の疑い、およびタイによる強制送還を国際社会に告発し続けている。
ジェノサイド・ウォッチ(Genocide Watch): 2025年のレポートにおいて、ラオス国内のモン族に対する扱いを「迫害の最終段階」に近いと警告し、国連人権理事会に対して独立調査団の派遣を求めている。
難民申請と第三国への再定住
再定住の現状: かつてのような大規模な受け入れ(1970年代〜2000年代初頭)は終わっている。現在は、家族呼び寄せや、極めて緊急性が高いと判断された個人に限定される傾向にある。
「秘密の軍隊」の認定: アメリカなどでは、SGU(特別遊撃隊)としての貢献を認め、その功績を称える法案(モン族議会黄金勲章法など)を通じて、彼らの歴史的正当性を守ろうとする動きもある。
ディアスポラ(離散した人々)の力
一方で、アメリカ(ミネソタ州やカリフォルニア州)やフランスなどに再定住したモン族のコミュニティは、今や大きな政治力・経済力を持つようになっている。
2026年の動向: アメリカではモン族系の政治家が市長や議員として活躍しており(例:セントポール市長など)、彼らがロビー活動を通じて、東南アジアに残された同胞への人道支援や、ラオス政府への外交的圧力を強めている。
重要地点の状況(2026年時点): 特にラオスのサイソムブーン県(旧モン・マキ拠点)周辺は、依然として軍事的な緊張が高く、国際的な人道支援団体ですら立ち入りが制限されている「空白地帯」となっている。
モン族の村 12:00
モン族の村 12:00
モン族の村 12:00
モン族の村 12:01
モン族の村・バーン・ナー・ワン (Ban Na Uang)
モン族が暮らす小さな再定住村(Resettlement Village)
ルアンパバン郊外のモン族の村は、単なる「古い伝統村」というより、戦後の政治的安定と近代化政策の結果として作られた「新しいコミュニティ」であると言える。
村の中には通常、1年生から5年生までが通う公立の小学校がある。
畑仕事や家畜の世話が忙しいため、特に長男や長女は小学校卒業と同時に家業を手伝うことが期待されるケースが多い。
伝統的なモン族の文化では、特に女子は早くに結婚する習慣がまだ残っている。
モン族の村 12:02
モン族の村 12:03
モン族の村 12:03
モン族の村 12:04
モン族の村 12:05
モン族の村 12:05
モン族の村 12:06
モン族の村 12:09
再移住がもたらした課題
文化の変容: 高地での伝統的な暮らし(高床式ではない地面に直接建てる家など)は維持されているが、生活様式は急速に近代化している。
経済的な困難: 山の上では自給自足が可能であったが、町に近い場所では現金収入が必要になる。土地が十分に割り当てられない場合、以前より貧しくなるケースも報告されている。
心理的な葛藤: 多くの高齢者は、今でも「山の上の空気や暮らし」を懐かしんでおり、政府に強制的に降ろされたという感情を持つ人々も少ない。
MALAISONE RESTAURANTにて昼食 12:55
MALAISONE RESTAURANTにて昼食 12:58
Beer Lao 12:02
ラオス郷土料理 13:10
鶏肉料理「ガイヤーン」、川海苔に胡麻付き揚げ物「カイペーン」、出し巻き玉子など
MALAISONE RESTAURANTにて昼食 13:35
Traditinal ARTS & Ethnology Centre 14:20
プーシーの丘の麓に2007年にオープンした博物館。
モン族、アカ族、ヤオ族といったラオスに暮らす少数民族の暮らしや生活習慣、
民族衣装などに関する展示が行われている。
Traditinal ARTS & Ethnology Centre 入口
4つの民族言語グループの分布
タイ・カダイ、モン・ヤオ、シノ・チベット、南アジア
4つの民族言語グループ
アカ族 14:28
民族集団の多様性 14:28
モン族 14:30
機織り機 14:31
生活用品 14:31
来館者記帳、感想ノート / 交流ノート 14:32
最近デザインされた民族衣装 オマ族衣装 14:39
タペストリー 14:40
売店 14:41

Traditional ARTS & Ethnology Centreからの展望 14:41
Traditional ARTS & Ethnology Centre 14:42
Traditional ARTS & Ethnology Centre にて休憩 14:42
Traditional ARTS & Ethnology Centre の天井飾り 14:46
モン族の子ども 14:58
モン族の女性 14:58
伝統芸術民族センターからマイクロバスへ 14:59
ルアンパバーン中心部で自由行動(約1.5時間)
現地ガイドのTe氏に希望してUXO Lao Visitor Centerに案内してもらった。
UXO Lao Visitor Center 15:23
UXO : Unexploded Ordnance 不発弾
不発弾の多くを占めるクラスター爆弾の実物展示や、除去活動の様子、不発弾被害者の生活についての展示、動画視聴コーナーなどがある。UXOビジターセンターでは、秘密戦争(Secret War)について知ることができる。
ラオスには、200万〜300万トンの爆弾(約2億7千万個のクラスター爆弾)が投下され、約30%の不発弾(約8,000万個)が存在している。米軍の航空機が9年間(1964年~1973年)にわたり、1日24時間、8分毎にB-52機1機分の爆弾を投下し続け、ラオスを戦争史上最も激しい爆撃を受けた国にした。
政府が統計を取り始めた2008年から現在までにかけ、ラオスではほぼ2週間に1人が不発弾により死亡しており、2022年までに累計1,000人以上の死傷者を出したとされている。1996年から2017年までに、UXO LAOは約805,000個の爆弾を処理したが、これは国内全ての不発弾の約1%にとどまり、大きな課題として残っている。地雷などの不発弾の撤去には多額の費用、時間、人材が必要となる。すべての処理を終えるには、これからあと100年以上の時間がかかると言われている。
UXO Lao Visitor Center 15:23
不発弾処理支援車 15:24
米国政府は、ラオス国内での不発弾(UXO)調査および撤去作業を支援するため、
これまでに数十台のトヨタ製ランドクルーザーや4x4車両(ハイラックス等)を
UXO Lao(ラオス国立不発弾処置プログラム)へ寄贈している。
2018年には、当時の駐ラオス米国大使により、
約49万ドル相当のトヨタ・ランドクルーザー15台が引き渡された。
2021年にも、車両16台と探知機を含む100万ドル以上の支援が行われている。
日本政府(JICA等)も長年にわたりUXO Laoを支援しており、
車両や機材の提供、技術協力を継続的に行っている。
ビジターセンターでの展示や実際の撤去現場で使われているトヨタ車は、
これらの国際的な支援プロジェクトの一環として、
不発弾撤去チームの足として活用されている。
UXO Lao Visitor Center 15:24
ベトナム戦争(1964年〜1973年頃)の期間中に、
アメリカ軍とその同盟国によって行われた爆撃の地点を可視化した地図
1. 黒い点の正体
地図上の無数の黒い点は、「爆発物(弾薬・爆弾)が投下された地点」を表している。
北ベトナム(当時)への爆撃(ローリング・サンダー作戦など)だけでなく、
南ベトナム国内のゲリラ拠点を標的とした爆撃も激しかったことがわかる。
カンボジアの国境付近やラオス東部が激しく塗りつぶされてる。
これは、北ベトナムから南へ物資を運ぶ補給路「ホーチミン・ルート」を遮断するために行われた激しい爆撃の跡である。
2. 凡例(Legend)の内容
凡例には、投下された兵器の種類が記載されている。
500ポンド爆弾 (MK-82) や 750ポンド爆弾 などの汎用爆弾。
M129 伝単爆弾は、殺傷用ではなく、宣伝用のビラ(伝単)を散布するためのもの。
Ordnance:は、その他の不特定または広範囲な兵器。
3. 歴史的背景:史上最も激しい爆撃
この地図が示しているのは、ベトナム戦争が「史上最も激しい空中爆撃が行われた戦争の一つ」であるという事実である。
ベトナム、ラオス、カンボジアに投下された爆弾の総量は、第二次世界大戦で全戦線(欧州・太平洋)に投下された総量を上回ると言われています。
特にラオスは、人口一人あたりの被爆量が世界で最も多い国とされている。
4. 現代への影響(不発弾問題)
この地図で黒く塗られている地域では、現在も多くの不発弾(UXO)が地中に残っている。 終戦から50年以上が経過した今でも、農作業中や子供が遊んでいる最中に不発弾が爆発し、死傷者が出るという深刻な社会問題が続いている。
ルアンパバーン県(Luang Prabang Province)におけるアメリカ軍の爆撃地点を示した地図
(1960年代から70年代に行われた爆撃の「負の遺産」を可視化したもの。)
1. 赤い点の意味
メインの地図上に散らばっている赤い点や塊は、アメリカ軍による爆撃が行われた地点(US Bombing)を示している。
凡例(Legend)に「US Bombing」として赤い記号が指定されており、
特定の集落(Village Point)や道路、河川との位置関係がわかるようになっている。
爆撃が特定のルートやエリアに集中していることが見て取れる。
2. 左上の挿入図:ラオス全土の状況
左上にはラオス全土の地図があり、そこには各県ごとの爆撃密度や「UXO(不発弾)の推定残存量」に関するデータが含まれている。
ラオス東部のベトナム国境沿い(ホーチミン・ルート)に爆撃が集中している様子が色分けで示されている。
ルアンパバーン県は北部(青いエリア)に位置しているが、ここでもかなりの地点が赤くマークされており、広範囲にわたって攻撃を受けていたことがわかる。
3. この地図の目的(UXO LAO)
左上にある赤い丸のロゴは、ラオスの不発弾除去機関である「UXO Lao(ラオス国家不発弾除去計画)」のものである。
この地図は単なる歴史資料ではなく、現在進行形で行われている「不発弾の探索と除去作業」のために作成・使用されている実用的な地図である。
地図の下部には「Date: 25-Jan-19(2019年1月25日)」とあり、
比較的最近のデータに基づいて管理されていることがわかる。
4. 歴史的背景:ラオスの「秘密の戦争」
ルアンパバーンを含むラオス北部では、共産主義勢力パテート・ラーオの拠点を叩くため、米軍による激しい空爆が行われた。これは当時、公には伏せられていたため「秘密の戦争」と呼ばれている。
ルアンパバーン市街地自体は世界遺産としても有名であるが、
その周辺の山岳地帯や村落には、今もなおこの地図に示されたような不発弾の脅威が残っている。
ラオス国家不発弾除去計画(UXO Lao)のルアンパバーン事務所における、
不発弾(UXO)除去活動の実績と計画をまとめた公式な記録ボード
ルアンパバーンの活動別成果の内訳(1998~2028年)不発弾破壊数(個)など
上の地図で「どこに爆弾が落ちたか」を示し、この表で「それに対していつ、何を、どれだけ処理したか」を管理している。負の遺産を30年かけて着実に清算し、
安全な土地を取り戻そうとしている「努力の足跡」と「未来への約束」である。
1. 30年間にわたる長期計画(1998年〜2028年)
この表は1998年から2028年までの30年間をひとつの区切りとしている。
過去の実績: 1998年から現在(表の記入状況から2024年〜2025年頃)までの累計データが詳細に書き込まれている。
未来の目標: 2028年という数字は、ラオス政府が掲げる「UXOによる被害をゼロにする」という国家目標や、持続可能な開発目標(SDGs)に関連した長期的な戦略に基づいている。
2. 表(実績内訳)の読み方
この表は、不発弾対策を以下の5つの主要活動に分けて記録している。
土地の浄化 (Area Clearance): 農地や建設予定地から不発弾を完全に取り除いた面積。
「農地(Farm Land)」の浄化が優先されており、住民の生活基盤を支える活動であることがわかる。
機動的任務 (Roving Tasks): 村の住民からの通報を受けて、特定の爆弾を個別に処理しに行く活動。
地雷リスク教育 (Mine Risk Education): 特に子供たちを対象に、不発弾を見つけても「触らない、動かさない、報告する」という教育を何人の村人に行ったかを記録。
事故の記録 (Accidents): 残念ながら発生してしまった死傷者数の記録。
活動が進むにつれて、この数が減少していくことが最大の目標である。
調査 (Non-Technical / Technical Survey): 爆撃地点の地図に基づき、実際にどこに不発弾が埋まっているかを特定するための事前調査データ。
3. なぜ「2028年」なのか
ラオスは、世界で最も不発弾が埋まっている国といわれているが、2028年は政府の戦略的なマイルストーン(区切り)となる年である。
2025年の月別実績表があることから、現在はまさにこの計画の最終盤に向けて活動が加速している時期であることが伺える。
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)展示品 15:29
不発弾を再利用して作られた装飾的な柱
ラオスの高床式建物の柱をイメージしている。
実際に投下された爆弾を柱として利用している高床式建物もある。
クラスター爆弾 15:30
クラスター爆弾は残虐な兵器として国際的に使用・製造を禁止する条約があり、
日本も批准している。欧州では非人道的兵器を製造する企業には投融資を行わない明確な方針を掲げる金融機関が増えており、日本でも三菱UFJ銀行と三菱UFJ信託銀行がクラスター爆弾の製造企業への融資を完全に取りやめると発表した。2017年12月
三井住友フィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループも同様である。
クラスター爆弾(集束爆弾)に搭載される子爆弾(サブムニション)の数は、
親爆弾の重さだけでなく、「子爆弾自体の大きさ(対人用か対戦車用か)」によって大きく異なる。
ラオスに大量に投下されたベトナム戦争時代のもの(CBUシリーズ)を中心に、
一般的な構成例を挙げる。
1. 500ポンド級(約225kg)
最も汎用性が高く、ラオスでも多用されたサイズ。
CBU-58: 約650個(子爆弾:BLU-63)
テニスボール大の子爆弾がぎっしり詰まっており、
ラオスで最も多く不発弾(ボミー)として残っているタイプの一つ。
Mk 20 ロックアイ II: 247個(子爆弾:Mk 118)
主に対戦車用で、子爆弾が少し大きいため数は少なめ。
2. 750ポンド〜800ポンド級(約340kg〜360kg)
ベトナム戦争中に主力として使われた「CBU-24」などがこのクラス。
CBU-24 / CBU-49: 約665個(子爆弾:BLU-26/36)
「グアバ」と呼ばれる子爆弾で、ラオスの地中に今も大量に埋まっている悪名高いモデル。
3. 1,000ポンド級(約450kg)
現代の主流や、より大型のディスペンサー。
CBU-87/B: 202個(子爆弾:BLU-97/B)
湾岸戦争以降に使われた複合効果爆弾。
子爆弾一つが「対戦車・対人・焼夷」の3つの機能を持ち、
大きいため数は200個程度に抑えられている。
4. 250ポンド級(約110kg)
小型の航空機や、特定の目的に使われる。
CBU-22 / SUU-14ディスペンサー: 約70〜90個程度
チューブ状のケースから順次放出するタイプが多く、大型のものに比べると数は限定的。
なぜ個数がこれほど違うのか?
個数の違いは主に「子爆弾の役割」による。
対人・散布用(広範囲を攻撃): テニスボール程度の小さな子爆弾を600個以上詰め込む。
対装甲・多目的(戦車を破壊): 1個あたりが大きく重くなるため、200〜250個程度になる。
ラオスにおける不発弾問題
ラオスに投下されたこれら200個〜600個の子爆弾のうち、約10%〜30%が不発弾になった。 親爆弾1発につき、数十個から200個近い「生きた爆弾」が地面に撒き散らされた計算になる。
これが、現在もラオスの農村地帯で深刻な被害を与え続けている。
What are UXOs? UXO(不発弾)とは何か?
UXO(Unexploded ordnances)とは、
投下または発射された際に爆発しなかった爆発性兵器のことである。
ラオス全土に散らばっているものには、大型爆弾、ロケット弾、手榴弾、火砲、迫撃砲、
そしてクラスター弾が含まれる。
クラスター弾は、空中で容器が開き、広範囲に多数の子弾(ラオスでは「ボンビー」と呼ばれます)をまき散らす仕組みである。
インドシナ戦争中にラオスへ投入された兵器の3分の1が、当時は爆発せず不発弾となった。
これらの不発弾は今なお住民を脅かしており、農業や建設作業を危険なものにしている。
安全な土地へのアクセスや人・物の移動を制限しており、地域の発展を妨げる要因となっている。
ラオスで最も激しく爆撃された場所は、国内でも特に貧しい農村地域で、
不発弾の存在が、そこに住む人々が貧困から抜け出す大きな障壁となっている。
UXO Lao’s Top Priority 15:33
ラオスの不発弾(UXO)問題は、戦後50年以上が経過した今もなお、
人々の生活に深い影を落としている。
1. 不発弾による死傷者数
1964年から現在までの累計で、約5万人が不発弾の犠牲(死亡または負傷)になった。
犠牲者の内訳:
死亡者:約29,000人
負傷者:約21,000人
近年の傾向: 以前は年間300人以上の被害が出ていましたが、
政府や国際NGO(MAGやHALO Trustなど)による除去活動と教育が功を奏し、
近年は年間50人以下まで減少している。
子供の被害: 犠牲者の約4割が子供である。
クラスター爆弾の子爆弾(ボミー)がテニスボールのような形で興味をそそるため、
遊び道具にしてしまい爆発するケースが後を絶たない。
また、金属スクラップとして売るために掘り起こして事故に遭う大人も多い。
2. 処理ができない場合の対応
不発弾を発見しても、信管の状態が不安定で「触ることも移動させることもできない」ケースが多々ある。その場合は、以下のような手順が取られます。
① 現地爆破(BIP: Blow In Place)
最も一般的で安全な方法です。移動させると爆発する危険があるため、
その場で爆破処理する。
周囲に土嚢(どのう)を積み上げたり、溝を掘ったりして、
爆風や破片が飛び散らないように対策をした上で、
少量の爆薬を設置して遠隔で爆破する。
村の近くなどの場合は、住民を一時避難させてから実施する。
② 区域の封鎖と「立入禁止」の標識
地形が険しすぎる、または不発弾の密度が高すぎて現時点での処理が不可能なエリアについては、赤いドクロのマークがついた標識を立て、住民に立ち入らないよう強く警告する。
ラオス全土には、いまだにこうした「手付かずの危険地帯」が広大に残っている。
③ 優先順位による「後回し」
ラオス全土の不発弾をすべて除去するには、今のペースでもあと100年以上かかると言われている。そのため、「生活に直結する場所」から優先的に処理される。
優先順位: 学校予定地 > 農地 > 居住地 > 深い森
森の奥深くなど、人の生活にすぐ影響しない場所にある不発弾は、
あえて処理せず「放置(隔離)」という選択が取られる。
④ リスク教育(MRE)
物理的な除去が追いつかないため、「爆弾と共存せざるを得ない」住民に対し、
「見つけても触らない」「すぐに報告する」という教育を徹底している。
子供たちには歌や紙芝居を通じて危険を教えている。
この作品の見方と読み方
「このアート作品に描かれた物語の鑑賞方法」を説明したもの。
伝統的なラオスの仏教寺院の壁画と同じように、
物語は作品の「上端から始まり、下に向かって」進んでいく。
『高原からの物語 (Stories from the Plateau)』と題されたこの作品は、
上端に描かれた「人々に降り注ぐ爆弾やミサイルといった戦争の情景」から始まる。
鑑賞者は、爆弾をかたどった作品の周囲を何度か回りながら、視線を徐々に下へと移動させ、一番下の端(Bottom end)にたどり着くまで物語を読み進める。
図解では、爆弾の形をした作品の周りをらせん状に視線を動かしながら、
上から下へ見ていく手順が示されている。不発弾などの戦争の遺物を、ラオスの伝統的な表現手法を用いてアートへと昇華させた作品であることが伺える。
高原からの物語(Stories from the Plateau) 15:38
「高原からの物語(Stories from the Plateau)」は、ラオスの不発弾(UXO)被害の実態を伝える展示シリーズのタイトルで、戦争が残した負の遺産が、戦後も人々の人生をいかに変えてしまったかを象徴する物語群である。
登場人物たちは、インドシナ戦争の激しい爆撃の中で、家や生計手段を失いながらも、必死に生き延びてきた。過酷な環境下でも、「家族と平穏に暮らすこと」や「教師になること」といった、ささやかで尊い夢を持ち続けていた。
平穏を打ち砕く「不発弾(UXO)」 戦争が終わって何年も経った後、彼らが自立した生活(農業や教師の仕事)を送ろうとした際に、地中に隠れていた不発弾が爆発した。これは「ゴミを燃やすための火」や「食料を探しに森へ入る」といった、日常生活の何気ない行動が引き金となっている。
爆発事故は、愛する家族(息子)の命や、自らの身体の一部(腕や足)、そして長年の夢を無残に奪い去った。大黒柱を失った家族には重い負担がのしかかり、人生は一変しする。
メッセージ これらの物語は、戦争が公式に終了した後も、ラオスの人々にとっての「戦争」は地中で続いており、現在進行形で人々の未来を奪い続けているという冷酷な現実を伝えている。
この「高原(Plateau)」という言葉は、物語の舞台であるボラベン高原(セコン県)やジャール平原(シェンクワン県)といった、ラオスの中でも特に激しい爆撃を受けた高地を指している。
アッタプー県(アタプー州)の農民ジェングの物語
パネルに記載された内容の要約
ラオス最南端のアッタプー県は、第2次インドシナ戦争中に激しい爆撃を受けた地域である。この地に住むブラオ族やタリエング族などの少数民族は、伝統的に山を切り開き、焼き払って農地を作る生活を送っている。
ある乾季のこと、農民のジェングさんは例年通り植え付けの準備のために畑へ向かった。
彼が鉈で木を切り倒していたところ、地面に埋まっていた爆弾を誤って叩いてしまい、それが爆発した。
この事故により、ジェングさんは片足を失い、作業を手伝っていた家族の一人は即死した。
このような悲劇的な事故は、地中に埋まったままの不発弾(UXO)が原因で、
現在でもラオス国内で毎年発生しており、今後も続くことが懸念されている。
セコン県のブンミー僧侶(Monk Bounmy)の物語 15:38
戦争の悲劇とその後の過酷な現実、そして再生への道のりを描いた非常に切実な話。
パネルに記載された内容の要約
1. 戦争に翻弄された子供時代
ブンミー僧侶は、子供時代にインドシナ戦争の動乱を生き延びた。
当時、爆撃によって多くの家族が家や家畜、生計手段を失い、村全体が破壊された。
人々は攻撃を避けるために森や洞窟に隠れ住み、煙で居場所を察知されないよう、
料理や農業のための火を焚くことさえできず、深刻な食料不足に苦しんだ。
2. 戦後のささやかな幸せ
戦争が終わり青年になった彼は結婚し、3人の子供に恵まれた。
息子と協力して家を建て、妻は末娘を背負って外で料理をし、真ん中の娘は家事を手伝うといった、平穏な家族の生活を築こうとしていた。
3. 暗転:不発弾(UXO)の爆発
ある日、彼と息子が農地を切り拓くために木を切り、ゴミを燃やしていた時、その火の熱が、地中に埋まっていた不発弾(UXO)を爆発させてしまった。
息子の死: 息子は爆発により即死した。
自身の負傷: ブンミーさんは片足を失った。
4. 苦難と信仰への道
一家の大黒柱が重労働(農作業)をできなくなったため、家族の生活を支える重責は妻と2番目の子供にのしかかった。彼はアヒルや鶏を育てることしかできなくなり、深い喪失感を抱えることになった。
その後、彼はこうした苦難を経て仏門に入り、現在は僧侶として歩んでいる。
この物語は、戦争が「終わった後」もなお、ラオスの人々の足を止め、家族を奪い続けている不発弾の恐怖を象徴している。彼が僧侶になった背景には、想像を絶する心の痛みと、それを乗り越えようとする深い祈りがあることが伝わってくる。
シェンクワン県のブアカム先生(Teacher Bouakham)の物語 15:38
不屈の精神で夢を叶えながらも、不慮の事故によってその未来を奪われた悲劇を伝えている。
パネルに記載された内容の要約
1. 夢と過酷な環境
ブアカムさんは子供の頃から「教師になること」を夢見ていた。
彼女の故郷であるシェンクワン県(ジャール平原で有名)は、戦争当時、国内で2番目に激しい爆撃を受けた場所であり、生活は非常に困難であった。しかし、彼女は熱心に勉強を続け、首都ビエンチャンの国立大学への進学を果たした。
2. 夢の実現
大学を卒業したことは、彼女自身と家族にとって大きな誇りであった。
彼女は故郷のシェンクワンに戻り、農村地帯の学校で念願だった教師としてのキャリアをスタートさせた。毎日学校へ歩いて通い、教鞭を執る日々を送っていた。
3. 悲劇の瞬間
ある日、彼女は食料を探すために森へと足を踏み入れた。
そこで運悪く不発弾(UXO)の爆発事故に遭遇してしまった。
被害: この事故により、彼女は片方の腕の肘から先と、片方の足の一部を失った。
結末: 努力の末に掴み取った「教師になる」という彼女の夢は、この瞬間、無残にも打ち砕かれてしまった。
ブアカム先生の物語は、戦争が残した負の遺産が、個人の希望や社会の発展を担う人材の未来をいかに残酷に奪い去るかを物語っている。
教育という形で社会に貢献しようとした若者の夢が、地面に埋まったままの爆弾によって絶たれた事実は、ラオスが今なお抱える課題の深さを浮き彫りにしている。
不発弾のないラオス 今後の問題 15:38
展示室は入館無料だが、不発弾撤去への寄付(ドネーション)の受付がある。
Tシャツ、回収後のアルミニウムを再利用したキーホルダーなども販売している。
これらの売り上げは不発弾処理への支援に充てられる。
ルアンパバーンのナイトマーケットでも、同じ製品を販売している店があった。
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:45
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:46
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:46
トヨタが1984年から製造・販売している
ヘビーデューティー系クロスカントリー車「ランドクルーザー70」約480万円
「COPEビジターセンター」訪問 2025年11月19日の午後2時半すぎ
愛子さんはビエンチャンにある不発弾の現状を伝える「COPEビジターセンター」を訪問された。
Cafe SINOukにて 16:08
ルアンパバーン空港 16:44
ルアンパバーン空港にて 16:45
御礼を込めて
ルアンパバーン19:15~(VN930)~20:15 ハノイ空港
ハノイ空港・夕食 21:22
Pho Beef Shank Fillets L(米粉ヌードル) $11.0
SH PREMIUM LOUNGE HANOI 22:24
Priority Pass利用
SH PREMIUM LOUNGE HANOI 22:40
SH PREMIUM LOUNGE HANOI 22:40
ハノイ00:20~(VN310)~07:00成田
2026年1月25日(日)
成田国際空港 ベトナム航空 VN310便 7:22
気温およそ0℃〜2℃前後でかなり寒さの厳しい朝であった。
成田空港第1ターミナル~東京駅1,500円
Terminal1- No.7 Bus Stop 08:20発 8:20
東京駅9:23~(JR中央線高尾特快)~10:16立川駅10:25~(JR青梅線)~拝島駅10:42~(JR五日市線)~10:50秋川駅 945円
富士見台北公園・大岳山、メタセコイア並木・日の出イオン
秋川駅10:50・・11:05帰宅
土産
Dried Jackfruit(500g) 14$
Dried Mango(500g) 12$
Forest Honey(500g)250,000KIP(約1,800円)
Beer Lao GOLD 4pcs @19,000KIP(約@137円) 計76,000KIP(約548円)