2026年1月20日(水)~25日(月)前泊含めて5泊6日
「はじめてのラオス5日間」(株式会社JTB旅物語・コースNo.S1821-0)に参加した。このツアーは添乗員が同行しない形式で、現地ガイドが案内してくれるスタイルであった。参加者は23名で首都圏から8名、中部から5名、関西から10名でビエンチャンで合流した。
1月のラオスは東京の寒さと違い、日中は30℃を超える日もあり乾季のせいか雨に降られた日はなかった。ルアンパバーンでは同じホテルに2連泊できたため、移動の負担も少なく快適であった。世界遺産ルアンパッバーンの街や郊外のパークウー洞窟、メコン川クルーズ、愛子様も訪ねたクアンシーの滝なども見学した。
ラオス料理はベトナム料理と似ていて美味しく旅の楽しみを一層引き立ててくれた。
現地ガイドのTeさんは、日本に留学経験があり、日本語も堪能で、熱心に案内してくれて大変参考になった。ルアンパバーンでは特別に不発弾ビジターセンター(UXO Lao Visitor Center)に連れて行ってもらい、Teさん自身のラオス内戦の経験も話してもらい戦争について深く考えさせられた。今回の旅は、内容・天候・食事・ガイドすべてにおいて満足度が高く、心に残る素晴らしいツアーであった。
内訳
旅行代金:旅行代金169,800円、成田空港施設使用料3,160円、海外空港税4,980円、
燃油サーチャージ25,020円、国際観光旅客税1,000円(1月21日出発、8月18日申込)
前泊ホテル代:5,400円+700円(入湯税)アートホテル成田(1月20日)
交通費:秋川駅(JR)成田駅1,980円、成田山新勝寺(TAXI)アートホテル成田800円(2,400円/3人)、成田空港(LCB)東京駅1,500円、東京駅(JR)秋川駅945円
海外旅行保険:9,260円(6日分)ジェイアイ傷害火災保険株式会社(t@bihoたびほ)
その他:326,000KIP(約2,346円)+37$(約5,698円)+2,000バーツ(約10,000円)
ビール代、果物(マンゴスチン、ランブータン、タマリンド)、土産代など
日程
2026年1月20日(水)
自宅11:40~(Ta車)~11:45秋川11:51~(JR武蔵五日市線)~11:59拝島12:11~(JR中央線青梅特快)~13:07東京13:15~(JR総武線)~14:20成田・・15:05成田山新勝寺・・15:45駿河屋16:40~(TAXI)~16:55アートホテル成田
2026年1月21日(木)
アートホテル成田7:00~(送迎バス)~7:19成田空港第1ターミナル・・8:38PriorityPassラウンジ希和(朝食)・・8:55成田空港NaritaTerninal1Gate27 9:30(VN307)~13:55ホーチミン(HoChiMinhCity)空港・乗継15:55~(VN920)~16:40プノンペン(PhnomPenh)空港・乗継17:30~(VN920)~18:55ビエンチャン(Vientiane)Wattay空港~(観光バス)20:05~~20:27Tamnak Lao Restaurant(夕食)~(観光バス)~21:29LAO PLAZA HOTEL
2026年1月22日(金)
LAO PLAZA HOTEL8:00~ビエンチャン観光(タートルアン寺院、凱旋門)~ビエンチャン11:45~(QV103)~12:30ルアンパバーン~ルアンパバーン観光(王宮博物館、ワット・シェントーン、ワット・マイ、プーシーの丘)~21:20Le Palais Juliana
2026年1月23日(土)
Le Palais Juliana5:30~ルアンパバーン観光(托鉢見学、朝市散策)~ルアンパバーン郊外観光9:00(酒造りの村バンサンハイ、織物と紙漉きの村バンサンコン、パークウー洞窟、メコン川クルーズ)~ルアンパバーン観光(ワット・ヴィスンナラート、ナイトマーケット)~21:30Le Palais Juliana
2026年1月24日(日)
Le Palais Juliana9:00~ルアンパバーン郊外観光(クアンシーの滝、モン族の村)~ルアンパバーン観光(伝統美術小民族センター、不発弾ビジターセンター、スーパーマーケット)~ルアンパバーン19:15~(VN930)~20:15ハノイ・乗継~
2026年1月25日(月)
ハノイ00:20~(VN310)~7:00成田8:20~(LCB)~東京駅9:23~(JR中央線高尾特快)~10:16立川駅10:25~(JR青梅線)~拝島駅10:42~(JR五日市線)~10:50秋川駅~11:50自宅
ラオスについて
ラオス人民民主共和国(Lao People's Democratic Republic)・社会主義共和制国家
人口約758.2万人(2023年)、首都ビエンチャン、ASEAN加盟国、ラオス人民革命党による一党独裁。ラオ族(全人口の約半数以上)を含む計50民族。
北は中国、東はベトナム、南はカンボジア、南西はタイ、西はミャンマーと国境を接している。面積は日本の本州に相当し、国土の約70%は高原や山岳地帯である。
略史
1353年、ランサーン王国として統一。
1899年、フランスのインドシナ連邦に編入される。
1949年、仏連合の枠内での独立。
1953年10月22日、仏・ラオス条約により完全独立。その後内戦が繰返されたが、
1973年2月、「ラオスにおける平和の回復及び民族和解に関する協定」が成立。
インドシナ情勢急変に伴って、
1975年12月、ラオス人民民主共和国成立。
タイGDP:約5462億2400万米ドル(2025年、IMF)30位
ラオスGDP:約163億2200万米ドル(2025年、IMF)135位
1人当たりのGDP
ラオス:1人当たりのGDP:2,067ドル(2024年、IMF)155位
タイ:1人当たりのGDP:7,493ドル(2024年、IMF)97位
日本:1人当たりのGDP:32,443ドル(2024年、IMF)38位
ルクセンブルク:1人当たりのGDP:138,757ドル(2024年、IMF)2位
リヒテンシュタイン:1人当たりのGDP:210,704ドル(2024年、IMF)1位
ラオス平均給与
都市部(ビエンチャン等) バーン・ナー・ワン(農村部)
主な収入形態 月給(工場、店、公務員) 現金(観光、農業、家畜)+自給
推定月間現金収入 約 20,000円 〜 約 5,000円 〜 12,000円
食費 市場やスーパーで購入 ほぼ自給(米、野菜、鶏)
住居費 家賃が発生する場合がある 自分の土地に自分で建てる(無料)
主な支出 燃料、通信費、外食、教育 ガソリン、薬、学用品、衣類
推定月間現金収入 約 20,000円 〜 約 5,000円 〜 12,000円
食費 市場やスーパーで購入 ほぼ自給(米、野菜、鶏)
住居費 家賃が発生する場合がある 自分の土地に自分で建てる(無料)
主な支出 燃料、通信費、外食、教育 ガソリン、薬、学用品、衣類
幻の核攻撃計画「ハゲワシ作戦(Operation Vulture)」
第1次インドシナ戦争の佳境、1954年のディエンビエンフーの戦いにおいて、
アメリカがフランス軍を救済するために核兵器の使用を検討した計画は実在した。
計画が中止された最大の理由は「国連による非難」ではなく、
「イギリスの反対」と「アメリカ国内の政治的条件(議会の反対)」による。
フランス軍がディエンビエンフーでベトミン軍に包囲され絶体絶命となった際、
アメリカ軍内部(特にアーサー・ラドフォード統合参謀本部議長ら)で検討されたのが
B-29爆撃機による大規模な通常爆撃、および3発の戦術核兵器を使用してベトミン軍を壊滅させるという「ハゲワシ作戦」であった。
ニクソン副大統領(当時)やダレス国務長官も介入に前向きであったが、
アイゼンハワー大統領は慎重な姿勢を崩さなかった。
中止された3つの主な理由
計画が立ち消えになった背景には、国連というよりも以下の国際政治的なパワーバランスが働いていた。
① イギリスの強い反対
アイゼンハワー大統領は、軍事介入の条件として、イギリスを含む同盟国との「共同行動(United Action)」を必須とした。しかし、当時のイギリス首相チャーチルとエデン外相は、介入が中国やソ連を刺激して「第三次世界大戦」に発展することを極端に恐れ、協力を断固拒否した。これが最大のブレーキとなった。
② アメリカ議会の反対
アメリカ議会の指導者たち(後の大統領リンドン・ジョンソンなど)も、朝鮮戦争が終わった直後ということもあり、「同盟国の協力が得られない単独介入」には反対した。
③ アイゼンハワー自身の懸念
アイゼンハワーは「わずか10年前に日本に使ったばかりの恐ろしい兵器を、再びアジア人に使うことの政治的代償」を恐れていた。
「もし使えば、我々は文明国としての名声を失うだろう」という趣旨の発言をしている。
当時の「国際世論」と国連の立場
当時、国連がこの秘密計画を察知して正式に非難決議を出したという事実はなかった。
ジュネーヴ会議(1954年4月〜)まさにディエンビエンフーが陥落する直前から、インドシナ和平のための国際会議が始まっており、そこで軍事介入を行うことは外交的に極めて困難であった。
インドのネルー首相ら「非同盟諸国」は、アジアでの核使用や植民地戦争への介入に強く反対しており、その声は国際社会に響いていた。
もしこの時、核が使われていたら、冷戦の歴史は大きく変わり、
その後のベトナム戦争の形も全く違うものになっていたと言われている。
1. 第1次インドシナ戦争下の米仏関係(1945–1954)
当初、アメリカは「反植民地主義」の立場から、フランスのインドシナ復帰に冷ややかであった。しかし、1949年の中国共産化と1950年の朝鮮戦争勃発により、方針が劇的に変わった。 アメリカは、フランスの戦いを「植民地維持の戦い」ではなく「東南アジアにおける共産主義拡大を阻止する防波堤」と見なすようになった。
戦争末期の1954年には、フランス軍の戦費の約80%をアメリカが肩代わりしていた。
米仏の不協和音
フランスは「金は出すが口も出す」アメリカに対し、主権を侵害されていると感じていた。また、アメリカが「完全な独立」をベトナムに与えるよう圧力をかけたことも反発を招いた。アメリカは、フランス軍の旧態依然とした戦術を批判し、もっと現地民(モン族などの少数民族を含む)を組織化した遊撃戦(マキ)を重視すべきだと考えていた。
2. ジュネーヴ協定と主役の交代(1954–1960)
1954年のディエンビエンフー敗退後、ジュネーヴ協定によってベトナムは南北に分断され、フランスは撤退を決めた。ここでアメリカが「フランスの代わり」として表舞台に登場した。アメリカは、フランスが支援していたバオ・ダイ皇帝の勢力に代わり、反共主義者のゴ・ディン・ジエムを擁立した。これにより、フランスの影響力は急速に失われた。
それまでフランス軍が行っていた南ベトナム軍の訓練を、アメリカ軍のMAAG(軍事援助顧問団)が完全に引き継いだ。アイゼンハワー大統領は、「ベトナムが倒れれば、隣接する国々もドミノ倒しのように共産化する」というドミノ理論を提唱し、介入を正当化した。
3. ベトナム戦争への本格介入への流れ(1961–1965)
ケネディ、ジョンソン両政権下で、介入は「支援」から「直接戦闘」へとエスカレートした。ケネディ政権は、正規軍を送る代わりに、グリーンベレー(特殊部隊)を派遣した。
「モン族」などの山岳民族を組織化し、北ベトナムからの補給路(ホーチミン・ルート)を妨害する秘密作戦をフランスから引き継ぐ形で強化した(CIAによる活動)。
トンキン湾事件(1964年):
北ベトナム軍が米駆逐艦を攻撃したとされるこの事件を口実に、ジョンソン大統領は議会から全権委任を得た(実質的な宣戦布告なき参戦)。
北爆と地上軍投入(1965年):
1965年、北ベトナムへの爆撃(北爆)を開始し、同年3月にはダナンに海兵隊を上陸させた。これにより、アメリカは自ら泥沼の地上戦へと突き進んでいった。
後日談:フランス(ド・ゴール)の警告
1960年代、フランスの大統領に返り咲いたド・ゴールは、自国の苦い経験からアメリカの介入を強く批判した。「アジアの泥沼に足を踏み入れるべきではない」と警告し、1966年には「アメリカはベトナムから撤退すべきだ」と公言してアメリカとの溝を深めた。これは後のフランスのNATO軍事機構脱退の一因にもなった。
アメリカはフランスの植民地戦争を肩代わりする形で関与を強め、フランスが去った後の「真空状態」を埋めるように自ら主役となって戦場に乗り出したが、結果としてフランス以上の困難に直面することになった。
「モン族の部隊(マキ)」も、フランスのGCMAからアメリカのCIA(SGU:特別作戦部隊)へと、雇い主を変えながら戦い続けることになった。
不発弾の多くを占めるクラスター爆弾の実物展示や、
除去活動の様子や被爆者の生活の様子についての展示、動画試聴コーナーなどがある。
UXO ビジター センターでは、秘密戦争(Secret War)について知ることができる。
ラオスは、200万~300万トン爆弾の投下と約30%の不発弾(約8,000万個)が存在する。
米軍の航空機がの9年間(1964 年~1973 年)にわたり1日24時間8分毎にB-52 -1機分の爆弾を投下し、
ラオスを戦争史上最も激しい爆撃を受けた国にした。
そして政府が統計を取り始めた2008年から2027年までにかけは、
ラオスではほぼ2週間に1人が不発弾により死亡、
2022年までに累計1000人以上の死傷者を出したとされている。
1996年から2017年までに、UXO LAOは約805, 000この爆弾を処理したとされているが、
これは国内全ての不発弾の約1%にとどまり大きな課題として残っている。
地雷などの不発弾の撤去には多額の費用、時間、人材などが必要となる。
これからあと不発弾処理に100年以上の時間がかかる。
2026年1月20日(火)前泊
自宅11:40~(Ta車)~11:45秋川11:51~(JR武蔵五日市線)~11:59拝島12:11~(JR中央線青梅特快)~13:07東京13:15~(JR総武線)~14:20成田・・15:05成田山新勝寺・・15:45駿河屋16:40~(TAXI)~16:55アートホテル成田
成田山開基1090年記念大開帳奉修 令和10年4月28日から5月28日まで
川豊のうなぎ弁当・蒲焼
正徳2年(1712)建立、塔の初層内陣に金剛界大日如来の五つの智慧をあらわす五智如来(大日如来・阿しゅく如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の金剛界五仏)が安置されている。
手形の力士名(左から)成田山新勝寺の節分会などでゆかりの深い近年の名力士5名
御嶽海、照ノ富士、白鵬、稀勢の里、高安
稀勢の里と高安: 田子ノ浦部屋の兄弟弟子で茨城県出身のご当地力士
白鵬と照ノ富士: 時代を築いた横綱
御嶽海: 大関として活躍し、節分会などの行事で成田山に参拝している常連の一人。
成田山に奉納土俵入りをした七横綱は、
大鵬・栃ノ海・北の富士・輪島・北の湖・若乃花・朝青龍
アートホテル成田 16:55
成田周辺ホテルで唯一の天然温泉あり(700円)、旧名:成田ビューホテル
前泊:成田国際空港第1ターミナル午前7時集合
天然温泉あり(700円)入浴後ビールや日本酒、焼酎で一杯、そして就寝
2026年1月21日(水)
アートホテル成田7:00~(送迎バス)~7:19成田空港第1ターミナル・・8:38PriorityPassラウンジ希和(朝食)・・8:55成田空港NaritaTerninal1Gate27 9:30(VN307)~13:55ホーチミン(HoChiMinhCity)空港15:55~(VN920)~16:40プノンペン(PhnomPenh)空港17:30~(VN920)~18:55ビエンチャン(Vientiane)/Wattay空港~(観光バス)20:05~~20:27Tamnak Lao Restaurant(夕食)~(観光バス)~21:29LAO PLAZA HOTEL
アートホテル成田ロビー 6:53
成田空港第1ターミナル・VietnamAirlinesチェックイン 7:45
アートホテル成田前・送迎バス出発直後 7:00
アートホテル成田7:00~(送迎バス)~7:19成田空港第1ターミナル 成田空港第1ターミナル・VietnamAirlinesチェックイン 7:45
工場火災の煙かな?
VN920便 15:54
ホーチミン(HoChiMinhCity)/Tan Son Nhat空港15:55~(VN920)~16:40プノンペン(PhnomPenh)/Phnom Penh International Airport空港17:30~(VN920)~18:55ビエンチャン(Vientiane)/Wattay空港
VN920便搭乗 15:59プノンペン(Phnom Penh International Airport)空港到着 17:01
カンボジア(CAMBODIA)
乗継(Transfers )ラオス・ビエンチャン(Venetiane)へ
カンボジア・プノンペン空港(Phnom Penh International Airport) 17:18
表示:VN920 Vientiane 17:30 A22GATE
入国審査
ラオスデジタル入国フォーム・QRコード(3日前から受付開始)
全体的に暗くて歩道で足を踏み外して転倒したが怪我は無かった。
これからも気を付けなければと思った。
1997年9月オープン、ラオス初の5つ星ホテル、2021年改装
タイの伝統的な様式で建てられた東屋、入口にナーガ(蛇神)の彫刻、装飾的な赤い花
2026年1月22日(木)
プライベートな食事スポット
LAO PLAZA HOTEL前の街路 7:16
ラオス国立文化会館(LAO NATIONAL CULTURE HALL)
LAO PLAZA HOTEL前の街路 7:17
LAO PLAZA HOTEL周辺散歩 7:19ラオス国立文化会館(LAO NATIONAL CULTURE HALL)
コンサートや会議、展示会など多目的に利用されるホール
中国政府の援助により2000年に完成しラオス国内で最大規模の文化イベント会場
ラオスは経済の停滞、猛烈なインフレ、そして深刻な通貨安が原因になっている。
近年のインフレ率30~40%、輸入コストの増大、資金ショート、深刻な労働者不足(国外へ流出)、中国マネーの減速と債務問題がある。
19世紀、ザカリン王の治世中に建てられた。
大蛇ナーガの鱗は、貝殻を嵌め込んでいる。
ワット・ハイソーク寺院の僧侶(皿洗い) 7:32
ワット・ハイソーク寺院 7:34
ワット・ハイソーク寺院の仏像 7:34
ラオス国立文化会館 7:37
メインストリート・セーターティラート通りにて 7:39
ワット・ハイソーク寺院 7:34
ワット・ハイソーク寺院の仏像 7:34
ラオス国立文化会館 7:37
メインストリート・セーターティラート通りにて 7:39
天秤棒で荷物を運ぶ女性
現地ガイド、観光バス出発8:00
タートルアン広場・ラオス国会議事堂(National Assembly of Laos) 8:13
2021年に完成、ベトナム政府からラオスへの贈物として建設された。
ラオスの伝統的な建築様式を取り入れた豪華な外観が特徴で、夜にはライトアップされる。
ビエンチャンにあるラオス最大の黄金仏塔「タートルアン」の正面に広がる広大な広場。
11月の満月に行われる「タートルアン祭り」の主会場。毎年30万人くらいの人々で賑わう。
全国から集まる信者による大規模な托鉢や、夜店・コンサートで賑わうラオス仏教の聖地。
ラオス最高峰の仏教寺院、黄金の仏塔は高さ45m。
紀元前3世紀、ブッダの胸骨を納めるためインドの僧侶により建立されたという説がある。
その後、廃墟となったこの寺は16世紀(1566年)にラーンサーン王国のセーターティラート王により再建された。
ワット・タートルアン仏塔 セーターティラート王 8:20
この王は当時の首都をルアンパバーンから現在のビエンチャンに移し、
タイ北部からも多くの文化を取り入れた。
ビエンチャンを築いたセーターティラート王 8:20
タートルアンヌアという宮殿とタートルアン北寺院 8:20
ラオス仏教総主教宮(Ho Thammasapha)
ラオスの仏教会で最高位の僧侶が住んでいる。
ワット・タートルにてガイドの説明を聞く 8:21
ワット・タートルにてガイドの説明を聞く 8:23
鳥の解放(放鳥)は功徳(タンブン)を積むための仏教的な行為「ポイ・ノック」
1籠/約20,000~50,000キープ(約143~360円)
仏塔の歴史などを展示しているエリアの仏像 8:29
愛子様は2025年11月20日午後4時ごろ拝礼された。
2025年11月17日から22日までの6日間の日程
タートルアン大塔には2025年11月18日の午後訪問された。
ハーン・ソンナム(Hang Song Nam) 8:38
この黄金の長い樋のようなものは仏像を清めるための儀式用の水路。
ラオスの正月(ピーマイ・ラオ、毎年4月頃)や重要な仏教行事の際、
仏像に直接手を触れることなく、清らかな水をかける(灌仏)ために使われる。
この樋の端から香水や花びらを浮かべた水を流すと、反対側の先端(ナーガの口など)から水が流れ落ち、その先に安置された仏像に水がかかる仕組み。
全体が黄金で装飾されており、先端や支柱にはラオスの守護神である ナーガ(Naga)(蛇神) があしらわれている。中央部分には、ラオスの伝統建築や装飾でよく見られる神話の鳥 「ホーン(鳳凰/ハンサ)」 のような意匠も見受けられる。
ラオスの人々にとって、仏像に水をかける行為は、自らの汚れを洗い流し、新年の幸運を祈る非常に重要な「タンブン(功徳)」の一つである。
このような豪華な水路を使うことで、儀式にさらなる神聖さと敬意を込めている。
焼バナナ、焼き芋、焼きとうもろこし売り 8:42
ラオスは人口の60%以上が上座部仏教を信仰している。
写真や骨壺が見える
ラオス内線による戦没者の慰霊碑として建てられた戦争記念碑。
また共産主義革命勢力(パテート・ラオ)の勝利を祝った勝利の門でもある。
1960年より建設が開始され、パリの凱旋門を参考にしてつくられた。
凱旋門の上部まで登ることができ、ビエンチャンの街を一望することができる。
パトゥーサイ公園から
パトゥーサイ(凱旋門)にて 9:14
バルコニーからビエンチャンの街並みを一望された。
パトゥーサイ(凱旋門)の天井画 9:18
内部の天井を見上げると、ラオス様式のさまざまなモチーフを見ることができる。パトゥーサイ(凱旋門)からの眺め 9:18
ルアンパバン空港 12:31
ルアンパバン空港 12:31
ルアンパバン空港 12:32
ルアンパバン空港 12:33ルアンパバン空港両替 12:411円≒133.24KIP、1BAT≒684.92KIP、1$≒21,475KIP
ルアンパバン空港 12:44
マイクロバス 12:51
ANONGDETH CAR TRENTAL COMPANY
マイクロバスで世界遺産ルアンパバンに行く 12:53
マイクロバスの多くがトヨタのハイエースである。
ルアンパバンでは世界遺産としての景観保護や道幅の制約から、市内中心部(歴史保護地区)への大型バスの乗り入れが制限されている。
特に観光のメインとなる半島エリア(王宮博物館周辺など)は、以前から45人乗りなどの大型バスは乗り入れが禁止されていたが、近年ではさらに規制が強まり、25人乗りの中型バスも制限の対象となっている。
2025年以降は、JICA(国際協力機構)の支援などにより「グリーン・バス」と呼ばれる電気バスの導入が進んでいる。2025年2月頃には、中心部への私用車の進入を一部制限し、代わりに無料の循環バス(電気バス)やトゥクトゥクを走らせる社会実験も行われている。
渋滞緩和だけでなく、排気ガスによる歴史的建造物へのダメージを減らし、持続可能な観光地づくりを目指している。
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院(Wat Mai Suwannaphumaham) 13:07
1796年に建立され、1821年マンタトゥラート王の時代に修復され、その際に現在の名前が付けられた。地元の人々からはワット・マイの名で親しまれている。
70年の歳月をかけて建てられた本堂は豪華絢爛。5層に重なる華やかな屋根と、ヴェッサンタラの物語や地元の人々の伝統的な暮らしぶりが描かれた黄金の壁画が見どころである。
国立博物館の祠に納められているパバーン仏は、4月のラオス正月(ピーマイ・ラオ)の後半3日間だけこの寺院に運ばれ、地元の人々にお披露目される。
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院近くのレストランへ 13:07
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院 13:07
お茶販売店 13:08
Phan Boun restaurant 13:08
Phan Boun restaurant 13:10
Phan Boun restaurantにて昼食 13:15
ラオス料理カオソーイ
(きしめんのような幅広の米麺使用、トッピングに豚挽肉辛肉味噌付き)
Luang Prabang Beer 13:19
ラオ・ブリュワリー社から、「ルアンパバン(Luang Prabang)」という名前のプレミアムビールが発売されている。
世界遺産の街ルアンパバンの「ゆったりとした魅力」と「洗練されたライフスタイル」をイメージして作られた。
瓶のデザインが非常に美しく、ラオスの伝統的なアーティスト(Khotsouvanh Hongsa氏)による旧市街の街並みのイラストが描かれている。
ラオスで最も一般的な「ビアラオ」は、ジャスミン米を使用したコクのある味わいが人気だが、それと比較すると「ルアンパバン」は、通常のビアラオより少し価格が高めに設定され、おしゃれなレストランやホテル、バーで見かけることが多い。
もともとはルアンパバンエリア限定で販売が開始されたため、この街を訪れたら絶対に飲むべき「ご当地ビール」としての特別感がある。
軽やかな味なので、ルアンパバン名物の「カイペーン(川海苔の揚げ物)」や、少し辛めのラオス料理との相性が抜群。
Luang Prabang Beer 13:20
アルコール度数は4.5%。通常のビアラオ(5.0%)よりも少し軽めで、フルーティーかつクリーンな後味が特徴のラガービール。
苦味が抑えられており、暑いルアンパバンで喉を潤すのに最適。
ハイエースで移動してこのビールを注文して飲んだがとても美味しかった。
ラオスのコーヒーは、主に南部ボラベン高原(標高1,000m以上)の火山性土壌で、
多くは無農薬の有機栽培で生産され、苦味と酸味のバランスが良く、全体的にマイルドで飲みやすい。
ナッツやチョコレート、キャラメルに例えられるのような甘みと、優しい香りが特徴である。
アラビカ種(ティピカ、カティモール等)はフルーティーでさっぱりとした味わいが魅力で、苦味や酸味が苦手な人や、アイスコーヒーにも適している。ロブスタ種が国内消費用。
ラオスコーヒーは、その高品質な味わいから「東南アジアの隠れた名産地」として注目されている。特に現地で主流の深煎り、あるいは深めの焙煎(フルシティ〜フレンチロースト)が甘みを引き出しやすく、人気がある。
ルアンパバンを走るトゥクトゥク 14:24
オートバイを改造した三輪自動車
ルアンパバン国立博物館(旧王宮)へ 14:26
ホー・パ・バーン寺院(How Pha Bang Temple) 14:27
パバーン像(ラオスで最も神聖で崇敬されている仏像)安置している祠、
1963年着工2006年完成
豪華な金の装飾が施された複数の層の屋根と階段を守る金色のナーガ(蛇神)が特徴。
パバーン像安置祠
ホー・パ・バーン寺院(How Pha Bang Temple)
パバーン像(ラオスで最も神聖で崇敬されている仏像)安置祠
1963年着工2006年完成
豪華な金の装飾が施された複数の層の屋根と階段を守る金色のナーガ(蛇神)が特徴。
ルアンパバン国立博物館(旧王宮)にて 14:52

本堂の壁の絵 16:42
マイトーン(黄金の木) 16:43
マイトーン(黄金の木) 16:43
本堂背面の外壁には「マイトーン(黄金の木)」とよばれる色鮮やかなモザイク画が施されている。かつてこの場所に高さ160mの大樹が立っていたという言い伝えにより、1960年代に制作された。
プーシーの丘(Phousi)へ 17:21
約328段、高さ約150m、メコン川とルアンパバーンの街並みを360度見渡せる。
黄金の仏塔(タート・チョムシー) 17:32
ルアンパバン国立博物館(旧王宮)にて 14:52
ルアンパバン国立博物館(旧王宮)見学 15:01
1904年から1909年にかけて建設され1975年の王政崩壊まで王室の住居として使用されていた。
ラオス王国最後のシーサワンワッターナ王が住んでいた宮殿が一般公開されている。
建築様式は、伝統的なラオス建築とフランスのバーザール様式が融合した独特なデザインが特徴。
展示物は王族が使用していた家具、美術工芸品、世界各国から贈られた献上品など。
ルアンパバン国立博物館から見るプーシーの丘 15:45
ルアンパバン国立博物館から見るプーシーの丘 15:45
ルアンパバーンで毎年開催されるボートレース祭(ブン・スアン・フア)の際、国王が観戦や儀式のために乗船したり、メコン川を移動したりする際に使用された。
ジャケツイバラ亜属、別名チョウセンモダマともいう。
アフリカ原産の常緑高木、果肉は甘酸っぱく干し柿のようなねっとりした食感。
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院へ 15:56
UNESCO、DPL、JICA、AFD
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院(Wat Mai Suwannaphumaham)
1796年に建立され、1821年マンタトゥラート王の時代に修復され、その際に現在の名前が付けられた。地元の人々からはワット・マイの名で親しまれている。
70年の歳月をかけて建てられた本堂は豪華絢爛。
5層に重なる華やかな屋根と、ヴェッサンタラの物語や地元の人々の伝統的な暮らしぶりが描かれた黄金の壁画が見どころである。
国立博物館の祠に納められているパバーン仏は、4月のラオス正月(ピーマイ・ラオ)の後半3日間だけこの寺院に運ばれ、地元の人々にお披露目される。
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の仏像 16:08
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂の仏像 16:10
ワット・マイ・スワナプーマハム寺院本堂 16:14
ルアンパバーンのシンボル ワット・シェントーン案内 | ASEAN Travel
ワット・シェントーン本堂 16:30
複数の切妻屋根が重なり合いながら緩やかなカーブを描く。
下方の屋根は地面に届くほど低く迫り出し、切妻の頂点にはチョーファー(聖鳥ガルーダの頭を模している)とよばれるエメラルドグリーンの棟飾り、屋根の中央にはドクソーファーとよばれる黄金の尖塔がそびえている。
17本の尖塔が並ぶ屋根の尖塔(ぶドクソーファー)の本数は寺院の格を表す。本堂の壁や柱は黒と朱色に塗り分けられ、いずれも金彩のステンシル画による緻密な絵で埋め尽くされている。
描かれているのは仏伝図や神々、天界の生き物、王の行軍などさまざま。
切妻正面や扉には木彫も施されており、仏像や神像には穏やかで優しいラオスならではの表現を見ることがでる。
ランサーン王朝のセタティラート王により1560年に建立された仏教寺院。
シェントーンはルアンパバーンの当時の名称で、「黄金の都」を意味している。
セタティラート王はチェンマイに都を置くランナー朝の王でもあった人物で、当時はランサーン王国が版図を広げ仏教文化を発展させた。
同時に1560年は隣国ビルマ軍の侵攻に対する防衛などの理由から、王都をビエンチャンに遷した。
同時に1560年は隣国ビルマ軍の侵攻に対する防衛などの理由から、王都をビエンチャンに遷した。
この遷都を機に、シェントーンは「パバーン仏の座す場所」を意味するルアンパバーンに改称された。
セタティラート王は新都ビエンチャンでは王国守護寺院の「タートルアン」、チェンマイから運んだエメラルド仏を安置する「ワット・ホーパケオ」などを次々と建立。
セタティラート王は新都ビエンチャンでは王国守護寺院の「タートルアン」、チェンマイから運んだエメラルド仏を安置する「ワット・ホーパケオ」などを次々と建立。
ラオスを代表する名刹の数々が新旧の都に同時期に造られた。
ビエンチャン遷都後もルアンパバーンは王国発祥の聖地として重視され、ワット・シェントーンでは王の戴冠の儀が執り行われるなど、宗教的な中心地として存続しいた。
ランサーン王国分裂後の1707年にはルアンパバーン王国が成立し、町はふたたび首都に復活。
ビエンチャン遷都後もルアンパバーンは王国発祥の聖地として重視され、ワット・シェントーンでは王の戴冠の儀が執り行われるなど、宗教的な中心地として存続しいた。
ランサーン王国分裂後の1707年にはルアンパバーン王国が成立し、町はふたたび首都に復活。
ワット・シェントーンは王家の庇護のもと発展を続け、数度にわたる他国の侵略を受けながらも増改築を繰り返し、今日に受け継がれている。
内部には黄金の竜をモチーフにした豪華な霊柩車のほか、数多くの仏像が納められている。
霊柩車庫 7頭の竜が王の棺を守っている 16:38
本堂の壁の絵 16:42本堂の壁や柱は黒と朱色に塗り分けられ、いずれも金彩のステンシル画による緻密な絵で埋め尽くされている。描かれているのは仏伝図や神々、天界の生き物、王の行軍などさまざま。
本堂の壁の絵 16:42本堂の壁の絵 16:42
本堂の壁の絵 16:42
マイトーン(黄金の木) 16:43
マイトーン(黄金の木) 16:43
本堂背面の外壁には「マイトーン(黄金の木)」とよばれる色鮮やかなモザイク画が施されている。かつてこの場所に高さ160mの大樹が立っていたという言い伝えにより、1960年代に制作された。
黄金の木は宇宙の軸である「生命の木」にもたとえられ、その上に仏教の世界が支えられている様を表しているといわれている。
赤堂(レッドチャペル) 16:43
本堂の南西側の後ろに立つ小さな祠堂で、16世紀にセタティラート王によって納められた貴重な寝仏像が安置されている。外壁は赤く塗られており、正面には切妻のブッダの剃髪シーンをはじめとする仏伝記の主要なシーンが金色の浮き彫りで描かれている。
また、側面の壁は色ガラスを用いたモザイク画がある。これはブッダ生誕2500年を記念して1956年頃に制作されたもので、ルアンパバーンの田園生活や祭事の様子が生き生きと描かれている。
本堂の南西側の後ろに立つ小さな祠堂で、16世紀にセタティラート王によって納められた貴重な寝仏像が安置されている。外壁は赤く塗られており、正面には切妻のブッダの剃髪シーンをはじめとする仏伝記の主要なシーンが金色の浮き彫りで描かれている。
また、側面の壁は色ガラスを用いたモザイク画がある。これはブッダ生誕2500年を記念して1956年頃に制作されたもので、ルアンパバーンの田園生活や祭事の様子が生き生きと描かれている。
2014年に亡くなったワット・シェントーンで非常に尊敬されていた高僧(住職)
(Geminiの回答)
ワット・シェントーン 堂、本堂、赤堂 17:01
ワット・シェントーン堂 17:01
ワット
プーシーの丘へ 17:18約328段、高さ約150m、メコン川とルアンパバーンの街並みを360度見渡せる。
黄金の仏塔(タート・チョムシー) 17:32
ルアンパバーン夜市 18:10
(豚ヒレ肉のメダイヨン 粒マスタードソース・Pork Medallions with Mustard Sauce)
豚肉のヒレ(Medallions)をソテーしたもの。
濃厚なクリームベースに、粒マスタードやハーブ(ディルやタイムなど)を加えたフランス料理の王道ソース。
サイコロ状にカットしてカリッと焼いたポテト(Sautéed Potatoes)。
上に乗っているのはカボチャやサツマイモのチップス、グリルした野菜のスライス。
このレストランは、ラオス伝統料理と本格的なフランス料理の両方を楽しめることで有名、この料理はまさにフランス植民地時代の名残を感じさせる伝統的なフレンチのスタイル。
2026年1月23日(金)
Le Palais Julianaロビー集合・出発5:30
外国人が托鉢(タクバット)する場合、宿泊先で托鉢セット(もち米、カゴ、椅子、肩掛け布など)を用意してもらうか朝市で購入するか沿道の売り子から購入する。
観光客用セットの費用は約40,000 〜 60,000キープ(約285〜428円)が一般的な相場。
托鉢は仏教の修行の一環であり、僧侶にとっては「生きていくための糧を得る場」であると同時に、信者に「功徳(善行)を積む機会を与える場」でもある。
ワット・ノン・シクムンアン寺院前の托鉢(タクバット) 6:21
ルアンプラバンには約80の寺院があるが、僧侶はどの地区でも自由に歩いて良いわけではなく、基本的には「自分の所属する寺院の近隣地区」を歩くのが伝統的な決まりになっている。それぞれの寺院には、古くから決まった「托鉢ルート」がある。これは地域コミュニティ(村)と寺院の深い結びつきに基づいている。
観光客の多いサッカリン通りなどには、遠くの寺院からも多くの僧侶が集まるが、これは「観光資源の維持」と「僧侶の食糧確保」のバランスを保つため、仏教協会や町が調整を行っている。
メインストリートで観光客向けに椅子やお供え物セットを販売する業者は、町(世界遺産局や観光局)に登録し、営業許可を得る必要がある。こうした業者が支払う許可証や場所代の費用は、月額数千円〜数万円程度とされている。
赤い瓦屋根と金色に装飾が施された本堂、白い仏塔(チェディ)のラオス様式の建物。
托鉢式(アルムス・セレモニー)のルートになっている。
タマリンドは1袋(10バーツ:約50円)で購入した。
キノコ(スエヒロタケ)を乾燥させた食材:ヘット・グラダーン(Het Kradang )、
ヘット・クレーン(Het Khraeng)とも呼ばれている。
朝市では鳥もカエルもネズミも昆虫も売っている。
朝市からホテルLe Palais Julianaに戻り朝食
オオバナソシンカ(大花蘇芯花)、マメ科ジャケツイバラ亜属
ホンコンオーキッドツリー(香港蘭)と呼ばれている。香港の市花
Le Palais Julianaの庭に茂るコモチクジャクヤシ(Caryota mitis)の花序 7:58
ホンコンオーキッドツリー(香港蘭)と呼ばれている。香港の市花
Le Palais Julianaの庭に茂るコモチクジャクヤシ(Caryota mitis)の花序 7:58
ヤシ科クジャクヤシ属
葉の形が魚の尾びれのように見えるのでフイッシュテール・パームとも呼ばれている。
ルアンプラバン郊外観光・Le Palais Juliana9:00出発
織物と紙漉きの村バンサンコンと酒造りの村バンサンハイへ
織物と紙漉きの村バンサンコン 9:35
織物と紙漉きの村バンサンコン 9:36
織物と紙漉きの村バンサンコン 9:37
ラックカイガラムシは,樹木の枝に多く集まり分泌物に覆われると棒状の塊かたまりとなる。ラックカイガラムシに含まれるラック色素(主成分;ラッカイン酸)は,染料として使われた。ラッカイン酸は炭素,水素,酸素の他,窒素を含むカルボン酸である。酸性では赤橙色,アルカリ性では赤紫色を示す。日本では,古来「臙えん脂じ」と呼ばれていた。
正倉院宝物の中にも,このラック色素と考えられる臙脂色で着色されたものがある。
赤色染料には、コチニール(カルミン酸)原料:コチニールカイガラムシの雌もある。
ラックカイガラムシ
北緯16度前後の亜熱帯,一部熱帯地域に生息する小さな昆虫(体長3~8 mm程度)である。樹木に寄生して樹液を吸い,体の表面にある分泌腺から分泌物を排出し,徐々に自身の分泌物に覆おおわれていく。
バンサンコンでは、漉く過程で生花や葉を並べて装飾を施すスタイルが非常に有名である。
紙漉き 10:03
バンサンハイ(Ban XangHai)織物販売 11:18
以前は「酒の村」であったがバンサンコンのように「織物の村」としての側面も強化されている。村のメインストリートには多くの織り機が並び、女性たちが布を織る傍らで、男性たちが酒を造るという分業体制が明確になっている。酒だけでなく、高品質なシルクやコットンのストールを販売することで、村全体の収入を安定させている。
バン・サンハイの名物だった、コブラやサソリ、ムカデを漬け込んだスネーク・ウィスキーも依然として作られている。これらは「強精剤」としての伝統的な側面もあるが、現在は「SNS映え」や「お土産」としての側面が強くなっている。ただし、国際的な野生動物保護の観点から持ち出しや輸入制限が厳しくなっているため、観光客への案内も慎重になっている。
ラオスにおける酒税(物品税)や製造に関する法規制は、
近年(2023年〜2024年)の法改正により厳格化・増税の傾向にある。
自家用: 村の慣習として見逃されているが、法律上は登録が必要。
販売用: 非常に重い税金(物品税 50-70% + VAT 10%)がかかる。
以前は「酒の村(バン・サンハイ)」などで自由に販売されていたが、最近では納税シール(スタンプ)が貼られていないアルコール類を不特定多数に販売することに対し、没収や罰金が科されるケースが増えている。
ラオスの村々で作られる米焼酎「ラーオ・ラーオ」などの自家醸造は、ラオスの文化に深く根付いて、村の中での消費や儀式用であれば、当局が個人の家に税金を徴収しに来ることはほとんどなく、事実上「無税」のような状態で運用されている。
物品税法(Excise Tax Law)では、アルコール飲料の製造には登録と納税の義務がある。
近年、政府は財源確保のため、こうした小規模な自家醸造に対しても「登録」を促し、
微額の管理費や税を課そうとする動きがあるが、全土で徹底されているわけではない。
販売目的で酒類を製造・販売する場合、物品税(Excise Tax)と付加価値税(VAT)が課される。
物品税率ビール 5%前後 50%、ワイン・スパークリング 全般 35%〜50%、蒸留酒(ウイスキー等) 15%以上 70%、低アルコール飲料 15%未満 25%〜30%、これらに加え10%の付加価値税 (VAT) が上乗せされる。
ラオス政府は現在、財源不足を補うために「特定の商品(酒・タバコ・高級品)」に対する増税を繰り返している。
右側のテーブルセンタークロスを1枚購入した(50バーツ:約250円)
竹かご(ティップカオ)に入った黒米のもち米、
ゴーヤと人参・肉団子の入ったスープ(トムセップ)、胡麻をまぶした海苔
Manivanh Restaurant
バンサンハイ(Ban XangHai)の子供たち 13:28
ヤナギバルイラソウ(柳葉ルイラ草)Ruellia simplex 13:28
メコン川船着場(Mekong Boat Port) 13:31
バンサンハイ(Ban XangHai)の子供たち 13:28
ヤナギバルイラソウ(柳葉ルイラ草)Ruellia simplex 13:28
メコン川船着場(Mekong Boat Port) 13:31
ルアンパバーンからメコン川を約25km上流に遡った、
ナムウー川との合流地点にあるラオスで最も神聖な場所の一つ。
メコン川に面した切り立った石灰岩の絶壁にあり、上下2つの洞窟で構成されている。
タム・ティン(Tham Ting): 下段の洞窟。
外光が入るため無数の仏像が並ぶ姿がよく見える。
タム・プン(Tham Phung): 上段の洞窟。
内部は真っ暗で奥行きがある(見学には懐中電灯が必要)。
ここには現在、大小あわせて4,000体以上の仏像が安置されている。
パーク・ウー洞窟の歴史は、
アニミズム(精霊信仰)の時代: 仏教が伝来する以前(8世紀頃〜)から、ここは「川の精霊(ピー)」を祀る聖域であった。メコン川とナムウー川という二つの大河が交わるこの地は、古来より特別な霊力が宿ると信じられていた。
仏教との習合(16世紀以降): 16世紀、ランサーン王国のセーターティラート王によって仏教の聖地として公式に保護されるようになった。もともとの自然崇拝と仏教が融合し、王家が毎年旧正月(ピーマイ・ラーオ)に参拝に訪れる伝統が確立された。
仏像の「隠居場所」としての役割: 洞窟にある数千の仏像は、一度に作られたものではなく、何世紀にもわたり、周辺の村々や王家から「古くなった仏像」や「破損した仏像」が運び込まれた。仏教において仏像は捨てることができないため、この神聖な洞窟に奉納・安置されるようになった。
ボートから撮影
メコン川を渡る橋の建設中
メコン川の東岸の建物:ルアンパバーン県刑務所(Luang Prabang Provincial Prison)
地元の人々の間では、「ラク・シップエト(Lak Sip-Et)」「11キロ刑務所」という通称で呼ばれる。
中国ラオス鉄道(China-Laos Railway)のメコン川鉄橋
ルアンパバーンの街から北に約10kmほどの地点にある。
2021年に開通したこの鉄道は、ラオスの物流と観光を劇的に変えた国家プロジェクトであり、伝統的な川下りの風景の中に現れる近代的な建造物として、現在の新しい観光名所にもなっている。
ワット・ヴァンスンナラート寺院(Wat Visounarath) 16:13
1512年、ヴィスンナラート王の時代(1501-1520)に建てられた寺院は市内最古の現役寺院
巨大なスイカのような形をしたユニークな仏塔があることから、
地元では「すいか寺(タート・マックモー)」の愛称で親しまれている。
タート・マックモー(スイカ仏塔)
王妃の設計によるとされる、半球状の独特な仏塔
ラオスで唯一のスリランカ様式を取り入れたデザインで、
その形状から「スイカ」と呼ばれている。
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:21
1887年の焼き討ち後に再建された本堂は、
ルアンパバーン初期の建築様式(スタイルI)を伝えている。
内部は宗教芸術の博物館としても機能しており、
数世紀前の木造仏像や、「雨乞いのポーズ」をした仏像が多数展示されている。
かつてはラオスの象徴である「パ・バーン仏」が安置されていたこともある。
(現在は王宮博物館に所蔵)。
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:28今日、何方かが亡くなったという旗
独特の強い香りと甘味がある。
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:34
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:36
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:40
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:40
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:41
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:42
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:36
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:40
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:40
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:41
ワット・ヴァンスンナラート寺院 16:42
38W4000mAh@250,000KIP, 100W9000mAh@370,000KIP(約2,636円)
JAPONICA RICE 5kg :150,000KIP(約1,069円)
JAPANESE RICE 5kg :240,000KIP(約1,710円)
VANXAI KHAOJAO 5kg:260,000KIP(約1,852円)
Mandarin Rice 5kg:200,000KIP(約1,425円)
トゥクトゥク 18:06
トゥクトゥク 18:06
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:07
ラオス風焼肉
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:07
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:10
トゥクトゥク 18:06
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:07
ラオス風焼肉
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:07
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:10
Nam Khan River沿いのレストラン
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:21
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:39
Dyen Sabai Restaurantにて夕食 18:39
1番人気はシンダーット(ラオス式バーベキュー鍋)
Beer Lao、赤ワイン
Dyen Sabai RestaurantからLe Palais Julianaに戻り、希望者だけがナイトマーケットへ
これらのBracelets は1964年から1975年の間の秘密戦争(Secret War)で投下された爆弾のアルミニウムから作られている。
戦後、誰かが私たちの生活を破壊した爆弾をどうするかを教えてくれた。
爆弾からスプーンやリング、箸、ブレスレット、栓抜きなどの土産品を作った。
私達は爆弾から美しいブレスレットを作り始めた。
私達は新しい意味を持つ爆弾を持ち込み、自助努力を行い貧困から脱出する。
ご支援ありがとうございます。
ワット・マイ寺院
パバーン像安置祠(Haw Pha Bang)
風呂に入り就寝
2026年1月24日(土)
ホテルLe Palais Julianaにて朝食 7:51
ホテルLe Palais Julianaにて朝食 7:51
鶏肉、豚肉、モヤシ、ネギ、やパクチーの香味野菜が添えられている。
ホテルLe Palais Julianaにて朝食 7:51
フォー(米粉)ヌードル、果物、眼玉焼き
フォー(米粉)ヌードル 7:51鶏肉、豚肉、モヤシ、ネギ、やパクチーの香味野菜が添えられている。
街中のATMでカードが吸い込まれるリスクがあるため、
銀行窓口に併設されたATMの利用が推奨される。
ホテル・ル・パレ・ジュリアナ(Le Palais Juliana)周辺のスピーカーからの音楽
「米国の行動は世界秩序のバランスを取り戻す必要性を示している」
ベネゼエラ侵攻に関する資源略奪、国際法と国連憲章に違反する関する記事
及びイノベーションについて
「専門家や企業幹部によると急速に進化する人工知能(AI)は、産業のアップグレードを促進し、中国が新たな成長原動力を構築し、質の高い経済成長に力強い勢いを注入するうえで、極めて重要な役割を果たすであろうという」
ホテル出発9:00 モン族の村、クアンシーの滝観光
凸凹で砂ぼこりがひどい、昭和40年代の日本の道路と同じ。
ホテル・ル・パレ・ジュリアナからクアンシーの滝まで約25km
電気自動車でクアンシーの滝入口まで行く 10:06
クアンシーの滝の手前の村を通過 10:09
クアンシーの滝入口前駐車場 10:11
モン族の村 12:02
モン族の村 12:03
モン族の村 12:03
モン族の村 12:04
モン族の村 12:05
モン族の村 12:05
モン族の村 12:06
モン族の村 12:09
展示室は入館無料だが、不発弾撤去への寄付(ドネーション)の受付がある。
道路工事中 クアンシーの滝入口へ 10:08
道路工事中 10:08クアンシーの滝の手前の村を通過 10:09
クアンシーの滝入口前駐車場 10:11
クアンシーの滝入口 10:15
ラオスにはアジアクロクマ(ツキノワグマ)とマレーグマの2種類のクマが生息している。
どちらも健全な森林にとって重要な動物であり、現在絶滅危惧種である。
この救護センターのツキノワグマは、違法取引から救出された。
保護された森林が無ければ、放すには最長40年もの生涯にわたるケアが必要である。
FREE THE BEARSは オーストラリアの非営利慈善団体です。ラオス森林局と提携して運営している。Tシャツを購入するか寄付をして、より多くのクマの救援とケアにご協力ください。(WWW.FREETHEBEARS.ORG参照)
クアンシーの滝周辺は石灰岩地帯で、地下水が石灰岩層を通る際、
岩に含まれる炭酸カルシウムを溶かし込む。
このカルシウムが豊富な水が外気に触れて滝として流れ落ちる際、
光の反射と相まって独特の青緑色を作り出す。
クアンシーの滝 10:25
水に溶け込んだ微細な炭酸カルシウムの粒子が、
太陽光のうち波長の長い赤色の光を吸収し、波長の短い青色や緑色の光を反射(散乱)させ我々のの目に「鮮やかなエメラルドグリーン」として届く。
典型的なトラバーチン(石灰華)の造形による滝
溶け出した石灰分は、岩などに付着してトラバーチンと呼ばれる石灰華の層を作る。
これが自然のダムのような段々畑状の地形を作り、流れを緩やかにすることで、
沈殿物が落ち着き、水の透明度がさらに高まって色がより際立つ。
クアンシーの滝からモン族の村へ
秘密戦争・Secret War
1960年代から70年代にかけて、CIA(米中央情報局)はラオスの山岳少数民族であるモン族を秘密裏に徴用し、共産勢力に対抗する「秘密軍・特殊部隊(SGU)」を組織した。
ベトナム戦争下で米軍の援護やホーチミンルートの補給物資破壊に従事した。
ラオス政府軍と連携し、CIAがモン族のバン・パオ将軍率いる部隊を訓練・武装して共産主義勢力パテート・ラオと戦わせた。また、ベトナム戦争末期、ラオス協定により公に軍を進駐出来なくなったアメリカは、CIAが設立した航空会社エア・アメリカ(ダミー航空会社)でモン族兵士の空輸や物資補給(アヘン密輸)を担った。
危険な任務のためモン族の10%にあたる約35,000人が戦死した。
これはCIA史上最大規模の秘密作戦であった。
1975年のラオス共産化後、モン族は裏切り者として迫害を受け、強制収容所への送致や掃討作戦にさらされ、バン・パオ将軍を筆頭に命がけでメコン川を渡りタイの難民キャンプなどへ逃れた。その後、多くのモン族が難民としてアメリカへ逃れ、ミネソタ州やウイスコンシン州、カルホルニア州に移住した。
ミネソタ州とカルホルニア州には各々約10万人以上のコミュニティがある。
モン族が描かれたクリントイーストウッドの「グラン・トリノ」映画がある。
この歴史は、米軍が正式に関与を認めなかったため長く伏せられてきた。
近年では「忘れられた同盟者」として注目されている。
ラオスでの戦争は、21世紀における米国の戦争の先駆的存在と言っている。
民間企業に戦争を外注し、情報や文書を改ざんして民衆の支持を集め、従軍取材を行い、ハイテク兵器の使用を含む戦争の自動化まど、これらの方法はラオスで初めてテストされたものだ。
「秘密戦争」を直接的に扱った1990年のハリウッド映画「エア・アメリカ」、
「THE BETRAYAL 2008年」、「The Hmong and the Secret War 2017年」
秘密戦争で最も秘密とされる場所が元CIA空軍基地ロンチェンである。
山岳地帯に分散して暮らす少数民族を道路沿いや低地へ移住させる政策を進めてきた。
行政サービスの提供: 山の奥深くでは学校や病院、電気・水道などのインフラ整備が困難なため、一箇所に集めることで教育や医療を受けやすくするという「貧困削減」がある。
焼畑農業の禁止: モン族が伝統的に行ってきた焼畑農業(移動式農業)は、森林破壊につながるとして政府が制限しており、低地での水田稲作や定住農業へ転換させる狙いがある。
国家の統合と安全保障: かつて「秘密戦争・Secret War」で旧王政側(アメリカ側)についた歴史的経緯もあり、山岳地帯でのゲリラ活動を防ぎ、政府の管理下に置くという政治的・軍事的な意図も含まれている。
ラオス政府の視点では、再定住村の人々は「山から下りてきて戸籍を登録し、納税や教育のシステムに組み込まれた人々で政府の管理を受け入れ、定住生活を始めた善良な市民」という位置づけになる。しかし、多数派であるラオ族(低地ラオ族)から見たモン族への視線には、差別や偏見が混じることがある。
再定住村の人々を「山賊」とは呼ばないが、「生活習慣が違う、貧しい山の人たち」という二級市民的な目線で見られることは今でもある。
バーン・ナー・ワンのような村は、クアンシーの滝に近いこともあり、
政府にとっては「少数民族を近代化し、安定させた成功事例」として
対外的に見せたい場所でもある。
政府は彼らを定住させることで、かつてのゲリラ活動の芽を摘み、
同時に観光資源や労働力として活用しようとしている。
村の人々自身も、自分たちが「山賊」と疑われないよう、従順な市民として振る舞い、
ラオス語を話しラオスの旗を掲げることで自分たちの安全を守っている側面がある。
いまだに山奥に隠れ、政府への帰順を拒否している武装勢力やその家族は、
政府から公式には「山賊(Bandits)」や「ならず者」、「麻薬密売組織」と呼び、
あくまで治安維持活の動犯罪者掃討であると主張している。
しかし、国連の非代表民族機構(UNPO)やアムネスティ・インターナショナル等の報告によれば、標的となっているのはジャングルに潜伏し続けるモン族のコミュニティ(チャオ・ファ派など)であり、その多くはかつての秘密戦争でアメリカ側についた兵士の末裔や家族である。
ラオス・ベトナム軍事協力の関与
ラオスとベトナムは1977年に「友好協力条約」を締結しており、
現在も非常に緊密な軍事協力関係にある。
2025年から2026年にかけても、両国は「国防協力計画」を更新し続けている。
これには国境地帯の安全確保が含まれており、事実上、ベトナム軍がラオス国内での
「治安維持(=潜伏勢力の排除)」を支援していると指摘されている。
2025年半ばには、サイソムブーン県(旧マキの拠点近く)において軍事的な封鎖が行われ、潜伏しているモン族コミュニティに対して食料や医療品の遮断、武力攻撃が行われたというアラートが国際機関(UNPO等)から発せられた。
これらが大規模な「戦争」として報じられないのには、
紛争地域とされるサイソムブーン周辺などは軍事的な制限区域となっており、
外国のジャーナリストや人権監視団の立ち入りが厳しく制限されている。
組織的な戦争という形ではなく、小規模な部隊によるキャンプの破壊や、
森からの追い出し、「再教育キャンプ」への強制収容といった形で行われるため、
国際社会の目が届きにくい。
兵士と家族の現在
数千人と推定される人々が、今もジャングルの奥深くで自給自足の生活を送りながら、
政府軍から逃れ続けている。
一部はタイへ逃れようとするが、タイ政府もラオスとの関係を重視して強制送還を行うケースがあり、彼らは常に「帰る場所のない」危機にさらされている。
かつてフランス軍の「マキ」として、そしてアメリカの「秘密の軍隊(SGU)」として戦ったモン族の人々の悲劇は、50年以上経った今も終わっていない。
彼らが受けている攻撃は、政府側からは「治安維持」と呼ばれ、
国際社会からは「民族的な迫害」と見なされる、
非常にグレーで非公式な状態が続いている。
モン族(Hmong)の人々、特にかつてアメリカの「秘密の軍隊(SGU)」として戦った兵士とその家族が直面している現在の状況は、国際社会において「忘れ去られた悲劇」と呼ばれる。2026年現在においても、彼らの法的地位や安全保障は極めて不安定なままである。
現在の法的な立場と国際的な支援の現状について
タイ:不安定な「不法入国者」扱い タイは「1951年の難民条約」に署名していないため、
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が「難民」と認定したモン族であっても、
国内法上は「不法移民」として扱われる。
そのため、常に強制送還(ノン・ルフルマン原則に反する送還)の危機にさらされている。2025年末から2026年初頭にかけても、タイ国内の収容施設でベトナムやラオス当局からの圧力を受ける事例が報告されている。
ラオス:国内避難民と「山賊」扱い ジャングルに潜伏し続けるグループは、
政府から正式な「国民」として認められず、軍事掃討の対象(山賊)とされている。
投降した人々も「再教育キャンプ」や当局の監視が厳しい指定居住区へ送られることが多く、移動や表現の自由が厳しく制限されている。
国際的な支援活動とNGOの動き
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所): 難民認定(RSD)を行っているが、
タイ政府がUNHCRの活動に制限をかけるケースが多く、
第三国への再定住(アメリカやフランスなど)が進みにくい。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)&アムネスティ: ラオス軍による「飢餓戦術」や化学兵器使用の疑い、およびタイによる強制送還を国際社会に告発し続けている。
ジェノサイド・ウォッチ(Genocide Watch): 2025年のレポートにおいて、ラオス国内のモン族に対する扱いを「迫害の最終段階」に近いと警告し、国連人権理事会に対して独立調査団の派遣を求めている。
難民申請と第三国への再定住
再定住の現状: かつてのような大規模な受け入れ(1970年代〜2000年代初頭)は終わっている。現在は、家族呼び寄せや、極めて緊急性が高いと判断された個人に限定される傾向にある。
「秘密の軍隊」の認定: アメリカなどでは、SGU(特別遊撃隊)としての貢献を認め、その功績を称える法案(モン族議会黄金勲章法など)を通じて、彼らの歴史的正当性を守ろうとする動きもある。
ディアスポラ(離散した人々)の力
一方で、アメリカ(ミネソタ州やカリフォルニア州)やフランスなどに再定住したモン族のコミュニティは、今や大きな政治力・経済力を持つようになっている。
2026年の動向: アメリカではモン族系の政治家が市長や議員として活躍しており(例:セントポール市長など)、彼らがロビー活動を通じて、東南アジアに残された同胞への人道支援や、ラオス政府への外交的圧力を強めている。
重要地点の状況(2026年時点): 特にラオスのサイソムブーン県(旧モン・マキ拠点)周辺は、依然として軍事的な緊張が高く、国際的な人道支援団体ですら立ち入りが制限されている「空白地帯」となっている。
モン族の村・バーン・ナー・ワン (Ban Na Uang)
モン族が暮らす小さな再定住村(Resettlement Village)
ルアンパバン郊外のモン族の村は、単なる「古い伝統村」というより、戦後の政治的安定と近代化政策の結果として作られた「新しいコミュニティ」であると言える。
村の中には通常、1年生から5年生までが通う公立の小学校がある。
畑仕事や家畜の世話が忙しいため、特に長男や長女は小学校卒業と同時に家業を手伝うことが期待されるケースが多い。
伝統的なモン族の文化では、特に女子は早くに結婚する習慣がまだ残っている。
モン族の村 12:03
モン族の村 12:03
モン族の村 12:04
モン族の村 12:05
モン族の村 12:05
モン族の村 12:06
モン族の村 12:09
再移住がもたらした課題
文化の変容: 高地での伝統的な暮らし(高床式ではない地面に直接建てる家など)は維持されているが、生活様式は急速に近代化している。
経済的な困難: 山の上では自給自足が可能であったが、町に近い場所では現金収入が必要になる。土地が十分に割り当てられない場合、以前より貧しくなるケースも報告されている。
心理的な葛藤: 多くの高齢者は、今でも「山の上の空気や暮らし」を懐かしんでおり、政府に強制的に降ろされたという感情を持つ人々も少ない。
文化の変容: 高地での伝統的な暮らし(高床式ではない地面に直接建てる家など)は維持されているが、生活様式は急速に近代化している。
経済的な困難: 山の上では自給自足が可能であったが、町に近い場所では現金収入が必要になる。土地が十分に割り当てられない場合、以前より貧しくなるケースも報告されている。
心理的な葛藤: 多くの高齢者は、今でも「山の上の空気や暮らし」を懐かしんでおり、政府に強制的に降ろされたという感情を持つ人々も少ない。
鶏肉料理「ガイヤーン」、川海苔に胡麻付き揚げ物「カイペーン」、出し巻き玉子など
プーシーの丘の麓に2007年にオープンした博物館。
モン族、アカ族、ヤオ族といったラオスに暮らす少数民族の暮らしや生活習慣、
民族衣装などに関する展示が行われている。
機織り機 14:31
生活用品 14:31
来館者記帳、感想ノート / 交流ノート 14:32
Traditinal ARTS & Ethnology Centreからの展望 14:41
Traditinal ARTS & Ethnology Centre 14:42
Traditinal ARTS & Ethnology Centre にて休憩 14:42
Traditinal ARTS & Ethnology Centre の天井飾り 14:46
モン族の子ども 14:58
モン族の女性 14:58
伝統芸術民族センターからマイクロバスへ 14:59
ルアンパバーン中心部で自由行動(約1.5時間)
現地ガイドのTe氏に希望してUXO Lao Visitor Centerに案内してもらった。
不発弾の多くを占めるクラスター爆弾の実物展示や、
除去活動の様子や被爆者の生活の様子についての展示、動画試聴コーナーなどがある。
UXO ビジター センターでは、秘密戦争(Secret War)について知ることができる。
ラオスは、200万~300万トン爆弾の投下と約30%の不発弾(約8,000万個)が存在する。
米軍の航空機がの9年間(1964 年~1973 年)にわたり1日24時間8分毎にB-52 -1機分の爆弾を投下し、ラオスを戦争史上最も激しい爆撃を受けた国にした。
そして政府が統計を取り始めた2008年から2027年までにかけは、ラオスではほぼ2週間に1人が不発弾により死亡、2022年までに累計1000人以上の死傷者を出したとされている。
1996年から2017年までに、UXO LAOは約805, 000この爆弾を処理したとされているが、
これは国内全ての不発弾の約1%にとどまり大きな課題として残っている。
地雷などの不発弾の撤去には多額の費用、時間、人材などが必要となる。
これからあと不発弾処理に100年以上のかかる。
不発弾処理支援車 15:24
米国政府は、ラオス国内での不発弾(UXO)調査および撤去作業を支援するため、
これまでに数十台のトヨタ製ランドクルーザーや4x4車両(ハイラックス等)を
UXO Lao(ラオス国立不発弾処置プログラム)へ寄贈している。
2018年には、当時の駐ラオス米国大使により、
約49万ドル相当のトヨタ・ランドクルーザー15台が引き渡された。
2021年にも、車両16台と探知機を含む100万ドル以上の支援が行われている。
日本政府(JICA等)も長年にわたりUXO Laoを支援しており、
車両や機材の提供、技術協力を継続的に行っている。
ビジターセンターでの展示や実際の撤去現場で使われているトヨタ車は、
これらの国際的な支援プロジェクトの一環として、
不発弾撤去チームの足として活用されている。
不発弾破壊数(個)など
不発弾を再利用して作られた装飾的な柱
ラオスの高床式建物の柱をイメージしている。
実際に投下された爆弾を柱として利用している高床式建物もある。
日本も批准している。欧州では非人道的兵器を製造する企業には投融資を行わない明確な方針を掲げる金融機関が増えており、日本でも三菱東京UFJ銀行と三菱UFJ信託銀行がクラスター爆弾の製造企業への融資を完全に取りやめると発表した。2017年12月
三井住友フィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループも同様である。
What are UXOs?
展示室は入館無料だが、不発弾撤去への寄付(ドネーション)の受付がある。
これらの売り上げは不発弾処理への支援に充てられる。
ルアンパバーンのナイトマーケットでも、同じ製品を販売している店があった。
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:45
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:46
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:46
トヨタが1984年から製造・販売している
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:46
不発弾資料館(UXO Lao Visitor Center)にて 15:46
トヨタが1984年から製造・販売している
ヘビーデューティー系クロスカントリー車「ランドクルーザー70」約480万円
ルアンパバーン19:15~(VN930)~20:15 ハノイ空港
Priority Pass利用
ハノイ00:20~(VN310)~07:00成田
2026年1月25日(日)
気温およそ0℃〜2℃前後でかなり寒さの厳しい朝であった。
成田空港第1ターミナル~東京駅1,500円
東京駅9:23~(JR中央線高尾特快)~10:16立川駅10:25~(JR青梅線)~拝島駅10:42~(JR五日市線)~10:50秋川駅 945円
土産