2023年5月10日(水)~17日(水)8日間
新型コロナウイルスの影響で3年前に中止になった
「絶景のクロアチア・スロベニア8日間」株式会社JTB旅物語コースNo.E735-80
に参加した。訪問先も少なくなり値上がりしていたが楽しかった。
参加者は、定年退職した夫婦6組と姉妹1組の14人であった。
参加者6組のうち海外駐在経験者が3組いた。
JTB旅物語添乗員は、歴史や文化に精通した英語が堪能な50代の女性であった。
旅行中、全ての日が雨天で時々雨が上がった。全日雨天の旅行は初めてであった。
連続した雨天のためプリトビチェ湖群国立公園の滝が増水で迫力ある景観になった。
ジュリアアルプスの山並みを背景に雨に煙るブレッド湖の聖母被昇天大聖堂や
ヨーロッパ最大規模のポストイナ鍾乳洞をトロッコ列車で見学できたのはとても良かった。
ドゥブロヴニク旧市街を守っていた周囲約2㎞の城壁を風雨と時々小やみの中で廻った。
ドゥブロヴニク旧市街を見下ろすスルジ山行きのロープウエイが強風のため運休していたので市営バスで山頂1.7km手前まで行き、雨に霞んだドゥブロヴニク旧市街を斜めから見た。
今回の旅もAmazonで購入した海外SIMが、DubrovnikPass購入等で役に立った。
添乗員の話によると、クロアチアやスロベニアは添乗したくない国の1つだそうである。
「クロアチア・スロベニアの旅」は、JTBの添乗員は敬遠するという。
「クロアチア・スロベニアの旅」に参加する人たちは旅慣れた人ばかりで手続きには手間取らないが、歴史文化などをよく良く知っている人が多く、話す内容が間違いないように気を付けていると言う。また、クロアチアの現地ガイドに日本語が話せる人がいないので、添乗員が英語を翻訳して参加者に説明するので、添乗員自身がクロアチア・スロベニア、ユーゴスラビア等について歴史や文化を習得しておかないと翻訳し説明出来ないそうである。
ユーゴスラビア紛争によって分裂した国の国境を通過するとき、検問時間が想定できないので、日程が変更になる可能性が高くその後の日程対処に苦労するという。
今回の添乗員は日本史が専門であるので世界史も熟知していた。
でも、クロアチア・スロベニアの旅は苦労が多いので来たく無かったと言っていた。
しかし、とても丁寧に説明もしてくれたし、親切に世話もしてくれた。
今回の旅のような8日間、雨は初めてだとも言っていた。
同じく参加者全員も同様なことを言っていた。
現地ガイドも「こんな寒い日が続くのは異常です」と言っていた。
行程図
2023年5月10日(水)3,362歩
秋川--立川--新宿--品川--羽田空港21:55--Turkish Airlines TK199--
2023年5月11日(木)10,092歩
05:15 Isutanbul 07:00--Turkish Airlines TK1053--08:05 Zagreb(クロアチア)
10:00 ザグレブ観光(聖母被昇天大聖堂、聖マルコ教会、石の門、イエラチッチ広場)13:00--約195km--16:00ブレッド湖観光(聖マリア教会)(スロベニア)18:00--約55km--20:30リュブリャナHotel LJUBLJANA(スロベニア)
2023年5月12日(金)15,445歩
09:30リュブリャナ散策11:00--約55km--14:00ポストイナ鍾乳洞(スロベニア)16:00--約95km--19:30プリトビチェHotel JEZERO(クロアチア)
2023年5月13日(土)14,148歩
09:00プリトヴィツェ湖群国立公園観光13:00--約180km--15:30シベニク観光(聖ヤコブ大聖堂)17:30--約70km--19:00スプリット Hotel AMPHORA SPLIT(クロアチア)
2023年5月14日(日)11,033歩
08:30スプリット観光10:30--約35km--11:30トロギール旧市街観光13:30--約160km--17:00ネウム散策(ボスニアヘルツェゴビナ)17:30--約65km--19:30ドゥブロヴニクGrand Hotel Park(クロアチア)
2023年5月15日(月)12:00~半日自由行動 15,479歩
09:00ドゥブロヴニク旧市街観光(大聖堂、フランシスコ会修道院、ピレ門)12:00
城壁周遊--市内バス--Grand Hotel Park周辺にて夕食--Grand Hotel Park(クロアチア)
2023年5月16日(火)1日自由行動 19,115歩
Grand Hotel Park9:00--市内バス--ドゥブロヴニク旧市街10:30--市内バス--スルジ山中腹バス停11:05--市内バス--11:30ドゥブロヴニク旧市街散策--市内バス-17:00Grand Hotel Park 18:30--ドゥブロヴニク空港21:00--Turkish Airlines TK440 --23:50 Isutanbul
2023年5月17日(水)5,152歩
Isutanbul 02:20--Turkish Airlines TK198--19:25羽田空港--横浜・東名高速・海老名・圏央道(中央道集中工事で大渋滞)--23:30秋川
旅行費用 約48万円
内訳:旅物語旅行費用 ¥437,420
ドゥブロヴニク・パス €35.00(¥5,250)
海外旅行保険 ¥11,600
DHA SIM(5GB,10日間,APN:cmlink, ChinaMobile) ¥1,980
電車代、飲食費、土産、その他 ¥24,000
両替:\19,433= €125.00 (€1.00≒¥155.46)、$79.00=€61.24
2023年5月11日(木)
①ザグレブZagreb観光(クロアチア)
クロアチアの首都、交通の要衝、
ゴシック様式とバロック様式の建物が多く、中世の町並みがよく残っている。
先史時代以来、ザグレブとその一帯には人間が居住していた。
旧石器時代のヴェテルニツァ洞窟 (Veternica) での発見物や、
ローマ時代の紀元前1世紀に遡るアンダウトニア (Andautonia) の街の遺構がある。
イェラチッチ総督広場 9:54
羽田空港を午後10時頃出発してイスタンブールに着いたのが13時間後の午前5時頃、
そしてザグレブに着いたのは午前8時頃。
年寄りには15時間のエコノミークラスの飛行機旅はキツくなった。
ザクレブ市街を傘をさしての見学も風情はあるが晴れて欲しかったなー。
約32時間起きていたので少し眠い。
晴れていれば イエラチッチ広場(Googleより)
晴れていれば イェラチッチ総督広場と聖母被昇天大聖堂(Googleより)
青果市場 10:08
中世、傭兵として外国にいたクロアチア人が身に着けていたスカーフが起源。
愛する男性が無事に帰ってくるようにと首に巻きつけて戦地に送り出した
スカーフが形をかえてネクタイとなった。
ヨーロッパではネクタイをクラバッタ(クロアチア人を指す)とも呼ぶ。
修復中の聖マルコ教会 10:23
屋根の紋章:左側はクロアチア王国・ダルマチア地方・スラヴォニア地方、
右側はザグレブ市の紋章がデザインされている。
ザグレブ市役所の壁にあるNIKOLA TESLA(二コラ・テスラ)の説明板 10:32
1892年5月24日、市自治体に交流発電機の建設を提案したとき、
「私は祖国生まれの息子として、アドバイスと行動によってあらゆる面でザグレブ市を
支援することが私の義務である考えています」と述べた。
クロアチア(HRAVTSKA)のEURO-50CENT コイン NIKOLA TESLA
イェラチッチ総督広場にてニコラ・テスラの像 11:27
Greek Catholic Co-cathedral of St. Cyril and Methodius
ロトゥルシュチャック塔 10:39
13世紀に建設された見張り塔、毎日正午に大砲の音を鳴らす。
Upper Town High School Zagreb(左側建物・工事中) 10:43
丘の上の通路とマロニエ
マンダリン1kgとプラム1kgを各々€1.00で買った。
ザグレブ(クロアチア)13:00--約195km--16:00ブレッド湖(スロベニア)
②ブレッド湖Blejsko jezero(スロベニア)
ブレッド湖は長さ2,120m、幅1,380mで最も深い箇所で30.6mある氷河湖。
風光明媚な景勝地、アルプスの瞳、ヨーロッパ有数の別荘地
晴れていれば、
ブレッド湖とブレッド島(聖マリア教会)、対岸にブレッド城を望む(Googleより)
背景:ジュリア・アルプスJulian Alpsの山並み、最高峰トリグラウ山2,864m
観光バスから撮影、雨天
20人乗り木製ボート(プレトナPletna) 16:04
1590年頃からブレッド島にある聖マリア教会へ巡礼に訪れる人々を運び続けてきた。
島へのボートの入場料は往復一人18ユーロ、モーターボートもある。
ブレッド湖でSUPもできる。島の滞在時間約40分。
プレトナ漕ぎ手18歳 16:08
聖マリア教会への99階段
Bell Tower and Pendulum Clock 16:24
聖マリア教会の鐘を7回鳴らすと幸せになるという。
聖マリア教会 16:36
ブレッド湖(スロベニア)18:00--約55km--20:00Hotel LJUBLJANA(スロベニア)
ALLEGRIA d.o.o., p.e. LJUBLJANAで夕食 茸のスープ 18:36
ALLEGRIA d.o.o., p.e. LJUBLJANAで夕食 18:55
クロアチアで定番のチェヴァピ(ミニハンバーグ)とポテト
午後8時頃でもまだ明るい
AUSTRIA TREND Hotel LJUBLJANA(スロベニア)
2023年5月12日(金)
③リュブリャナLjubjana(スロベニア)
スロベニアの首都
紀元前2000年頃にリュブリャナ近郊の湿地帯には人が高床建物に暮らしていた。
考古学的遺物がイグに残されており、「アルプス周辺の先史時代の住居」の一部として
2011年6月からユネスコの世界遺産に登録されている。
神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルグ家の影響あり。
ルネッサンス、バロック、アールヌーボーなどの建築様式の建物も多い。
1144年建設リュブリャナ城、三本橋、リュブリャニツァ川のボート巡り
リュブリャナ市街地 リュブリャナ城からの展望 Googleより
リュブリャナ地図
AUSTRIA TREND HOTEL LJUBJANAにて朝食 7:34
フランシスコ会の受胎告知教会 9:41
犬の散歩 9:50
リュブリャナ城ケーブルカー駅 9:53
ケーブルカーからの展望 10:08
13世紀初頭からスパンハイム男爵、1335年からハプスブルグ家が継承、
1489年奉献のゴシック様式の礼拝堂、16世紀の大地震による崩壊・改修、
刑務所としても使用された。1905年からリュブリャナ市の管理している。
④ポストイナ鍾乳洞Postojnska Jama(スロベニア)
200万年間の間に徐々に侵食を進めたピウカ川の地下水流によって形成された。
ヨーロッパ最大級の鍾乳洞27km、最大深度115m、カルスト地形、
「5m鍾乳石ブリリアント」「会議ホール」「1万人収容コンサートホール」
観光コース約5.2km、観光用トロッコ列車3.7kmのため世界遺産になれない。
*スロベニアの鍾乳洞の世界自然遺産は「シュコツィアン鍾乳洞」である。
ポストイナ鍾乳洞(HPより
ポストイナ鍾乳洞 トロッコ列車(HPより)
HOTEL JAMAにて昼食 12:11
ヤムスキ・ドヴォレツという歴史的建造物
ポストイナ鍾乳洞入口 13:33
黄色いトロッコ列車 13:54
レールは1872年に敷設手押し車、1884年に照明設備整備、1957年までガソリン動力
鍾乳石内は約10℃前後で涼しい。
ポストイナ鍾乳洞トロッコ列車(Youtube)7分48秒
徒歩ルート約1.8㎞
スパゲッティホール 14:28
天井から無数の細長い鍾乳石が垂れ下がっている。
鍾乳石 14:28
鍾乳石 14:51
「ブリリアント」石筍 高さ5m 14:52
クロアチア Hotel JEZERO(ホテル イェゼロ) Googleより
2023年5月13日(土)
⑤プリトヴィツェ湖群国立公園Plitvička jezera(クロアチア)
1979年、ユネスコの世界自然遺産に登録された。
192km²の広大な森に大小16の湖が階段状になって点在し、92の滝が結んでいる。
標高636mから503mまで約8kmにわたって南北方向にプリトヴィツェ川は流れる。
この湖群は、石灰華(石灰質堆積物)の働きで川に自然のダムが造られたことで生まれた。
クロアチア紛争により危機遺産に登録されたが、政府が主体となり地雷除去を進めたことで1997年に危機遺産リストから除外され、現在ではクロアチア最大の観光名所となっている。
プリトヴィツェ湖群国立公園 Googleより
プリトヴィツェ湖群国立公園 Googleより
ホテル イェゼロ レストランにて朝食 7:07
ホテル イェゼロ レストランにて朝食 7:07
プリトヴィツェ湖群国立公園・下湖群 ヴェリキ滝(78m) 9:25
連日の雨で川が増水し迫力ある滝の流れになった。
増水により立ち入り禁止になる手前であった。
プリトヴィツェ湖群国立公園・ヴェリキ滝(78m)(YouTube)35秒
プリトヴィツェ湖群国立公園 9:45
プリトヴィツェ湖群国立公園・ヴェリキ滝(78m) 9:50
プリトヴィツェ湖群国立公園 10:01
プリトヴィツェ湖群国立公園 10:03
水量が多くなると木道に水がかぶり通行禁止・入場禁止になるという。
今回は、木道すれすれの水量で観光できた。
⑥シベニクの聖ヤコブ大聖堂(クロアチア)
クルカ川の河口に開けた古都
1536年完成・聖ヤコブ大聖堂(ゴシック様式とルネッサンス様式の融合)・レプブリカ広場
聖二コラス要塞(聖アンソニー海峡入口)・2017年世界文化遺産登録
セルビア人による1991年9月のシベニク砲撃で大規模に破壊されたが、数年で修復した。
ミンチェッタ要塞、Barone Fortress、St. John's Fort
聖ヤコブ大聖堂(ゴシック様式とルネッサンス様式の融合)Googleより
2000年世界文化遺産登録、石造建築の教会として世界最大。
聖フランシスコ教会(St. Francis Church) 15:35
ゴシック様式からルネッサンス様式への融合
Trg Republike Hrvatske(レプブリカ広場)左側:市庁舎
大聖堂のバラ窓と正面入口「ライオンのドア」
Solin(ソリン)
クロアチア・ダルマチア地方にある都市、スプリットの北東8kmの位置にある。
古代ローマの属州ダルマティアの首都サロナ(Salona)として開けていた。
皇帝ディオクレティアヌスゆかりの地である。
7世紀、スラヴ人とアヴァール人によって街は破壊され、難民たちはディオクレティアヌス宮殿に移動しスプラトゥム(スプリット)は守りを固めた。
中世、クロアチア人の領域となりクロアチア国の首都の一つとなった。
聖ヤコブ大聖堂17:30--約70km--19:00スプリット Hotel AMPHORA SPLIT
2023年5月14日(日)
⑦スプリットの歴史的建造物群とディオクレティアヌス宮殿(クロアチア)
ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316?年)の宮殿がそのまま旧市街地になった。
ローマ帝国が滅亡し、7世紀頃、近郊のサロナを追われた異民族が大挙入り込んできた。
宮殿の基礎部分はそのままにして、その上に建物を増築していった。
295~305年に建設、ロマネスク様式の大神殿、鐘楼57m、宮殿の地下
1979年、ディオクレティアヌス宮殿と周辺のスプリト歴史地区を世界部遺産に登録した。
ディオクレティアヌス宮殿の地下施設・皇帝のセラー Googleより
2023年5月14日(日)
中世の建築上の地下室の役割は、宮殿の上部を支えることで、
地下と地上階は同じ作りになっている。
地下室は倉庫やワインやオリーブオイル造りにも使用された。
都市化が進むとゴミ捨て場として使われた。
宮殿の上部をしっかり支える列柱
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼 9:07
「絶景のクロアチア・スロベニアの旅8日間」の参加者全員で記念撮影 9:12
ディオクレティアヌス宮殿の前庭(Vestibul) 9:18
皇帝の私邸の玄関の役割をしている。ドーム状で音が反響する。
CDも売っていた。
クラッパ(Youtube)
Peristil広場 コリント式の柱 9:25
グルグール・ニンスキの像(Monument to Gregory of Nin) 9:44
後方:The bell tower and the Chapel of the Holy Arnir
グルグール・ニンスキの像 9:42
左足の親指を撫でると願いが叶うと言う、親指がピカピカに光っている。
⑧古都トロギール(クロアチア)
周りを城壁に囲まれた小さな島、本土とチオヴォ島は橋で結ばれている。
トロギールの起源は紀元前の古代ギリシア時代、
聖ロヴロ大聖堂47m、ロマネスク様式、ゴシック様式の建造物群
1997年、世界文化遺産に登録。
鐘楼の1階はゴシック様式、2階はヴェネチアン・ゴシック様式、
3階は後期ルネッサンス様式となっている。
建築開始は13世紀、完成したのは17世紀、そのため様々な建築様式が合わされている。
トロギール地図
市庁舎前のドゥルギ広場 11:34
犯罪者を縛り付けて見せしめさせるところでポーズ。
市庁舎前の裁定所 11:35
正面壁の上部に天秤ばかりを持ったギリシャ神話の法の女神「テミス」の像。
正義の像として、左手の天秤は「公平・平等」、
右手の 剣は「公平な裁判によって正義を実現する という強い意志」を表している。
幸運と機会の神
カイロス(kairos)は、ギリシャ語で実行「決断」の時を表す。
クロノス(chronos)は定量的な連続して流れる時を表す。
幸運の女神には前髪しかない、後頭部はハゲで髪をつかもうとしてもつかめない。
「好機はすぐに捉えなければ、後から捉えることはできない」という意味。
トロギール旧市街のある島とチオヴォ島はチオヴォ橋で結ばれている。
船舶の泊まっている奥にカメルレンゴの砦が見える。
トロギール(クロアチア)13:30--約160km--17:00ネウム(ボスニアヘルツェゴビナ)
クロアチア本土とペリェシャツ半島を結ぶペリェシャツ橋Pelješac Bridgeを望む
Slivno付近(クロアチア)ペリェシャツ橋 16:13
Slivno付近(クロアチア)16:16
クロアチア/ボスニアヘルツェゴビナ国境検問所(Granični prijelaz Neum) 16:20
2023年5月14日(日)
⑨ネウム(ボスニアヘルツェゴビナ)
1718年のボザレヴァッツ条約の緩衝地としての名残、21kmの海岸
ネウム Googleより
クロアチア/ボスニアヘルツェゴビナ国境線
2022年7月26日、クロアチア本土とペリェシャツ半島を結ぶ
ペリェシャツ橋Pelješac Bridge(左側)が建設され陸続きになった。
貿易港としてドゥブロヴニク(当時はラグーザ共和国)は他の港ベネチアやザダルなど一つの国として絶大な力を持っていた。
15世紀にオスマン・トルコ帝国がやってきた。ボスニア王国やセルビア王国が陥落する中、ドゥブロヴニクは、トルコに貢物をすることでトルコ側になる。
1699年、ラグーザ共和国はクロアチア本土にある2つの小区画の領地(ネウム)をオスマン帝国に売り、ベネツィア軍とオスマン軍との戦いに巻き込まれるのを避けた。
そしてオーストリア・ベネチアとオスマン帝国は、1718年のパサロヴィッツ条約で
ダルマチア地方を占領するベネチアとオスマン・トルコ側のドゥブロヴニクが
直接的に接するとまた紛争が起こると考えて、その間に少し緩衝地を作った。
その緩衝地帯は、ユーゴスラヴィアになってからも共和国の境界線として残り、ユーゴスラヴィア解体の後も国境として残った。緩衝地帯として2大勢力の争いが起こらないように、港として使い難い場所が選ばれた。ネウムは大きく飛び出したプリェサック半島に出口を塞がれた形になっている。
地元の人向け用に保存食品が多く、棚はガラガラであった。
クロアチアの飛地ドブロブニクに行くのには、昨年の7月まではボスニアヘルツゴビナの
国境を2度通過しなければならなかった。
2022年7月26日、クロアチア本土とペリェシャツ半島を結ぶペリェシャツ橋が
建設され陸続きになり、そのためネウムの街は寂れて来ている。
クロアチアのマグロの養殖について
クロアチアなどアドリア海を挟んだバルカン半島は小さな島も多く、
天然資源の豊富な国であり、マグロ養殖にも適した環境を持っているが、
生食文化の無い国ではツナ缶への加工が主流であった。
90年代の民主化に伴いオーストラリアで養殖を営んでいたクロアチア人が帰国し、
日本というパートナーを手に入れマグロ養殖を営み85%以上を日本に輸出している。
日本の養殖マグロ輸入国の第3位はクロアチアで、メキシコ、マルタに次ぐ国になっている。
クロアチアはメキシコの約半分程度の輸出量を持ち、2位マルタを追い抜く勢いで成長を続けている。
舌の肥えた日本人を納得させるには、高水準のマグロを養殖する必要があり、
クロアチア養殖マグロはイワシやニシン、サバなど現地の新鮮なエサを与え
2年半から3年畜養し、味や加工技術の高い高品質路線を行い出荷している。
まだ現在は、刺身でマグロを食べる現地人はまだ少ないので環境や生エサにこだわり
品質の高いマグロを生産する事はできる。
刺身に向いているかどうか、現地の人間には判断が難しい。
クロアチアでは、トロより赤身の方が需要が高く、価格も赤身の方が高価である。
調理法ではグリルが人気、ステーキやBBQが好まれている。
2014年、日本企業がクロアチアマグロ養殖業者を買収し、
年産1000トンを輸出するマグロ養殖事業を運営し
日本の技術を投入する事で事業の効率化・品質の向上を目指している。
ネウム17:30--約65km--19:30ドブロブニク(クロアチア)Grand Hotel Park
ネウム側からドゥブロヴニク側クロアチアへの国境検問所 17:07
Zaton Doli Border Crossing
クロアチア/ボスニアヘルツェゴビナ国境検問所 17:12
Dubrovacho Primorje付近のBistrina Bridge 17:20
Dubrovacho Primorje付近 17:38
ドゥブロヴニク・Dr. Franjo Tuđman Bridge 18:04
ドゥブロヴニク・Science Park Dubrovnik 18:10
ドゥブロヴニク・Gliser ONB Sveti Vlaho 18:11
Grand Hotel Park本館(クロアチア)18:14
Grand Hotel Park(クロアチア)位置 Googleより
Grand Hotel Park(クロアチア)Googleより
Grand Hotel Park別館に連泊 18:17
2023年5月15日(月)~17日(水)
⑩ドゥブロヴニク旧市街(クロアチアの飛地)
アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する。
ドゥブロヴニクを擁した中世の「ラグーサ共和国」は、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、
ヴェネツィアと共に5つの海洋共和国に数えられ、15世紀から16世紀にかけて発展した。
アドリア海の真珠、1667年大地震、1991年内戦、スルジ山412m、独立戦争展示館、
大聖堂、聖母被昇天大聖堂、スポンザ宮殿、フランシスコ会修道院、聖イグナチオ教会、
総督府(文化歴史博物館)、海洋博物館、城壁、ピレ門
1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって
7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。
1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって
7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。
バロック様式とロマネスク様式の回廊が共存している
フランシスコ会修道院にある1317年創業のマラ・ブラチャ薬局 9:39
プラツァ通りからスルジ山方向の側道 9:43
ドゥブロブニク大聖堂 9:58
ドゥブロブニク大聖堂・ステンドグラス 10:00
ドゥブロブニク大聖堂・パイプオルガン 10:13
ドゥブロブニク大聖堂・パイプオルガン 10:13
スルジ山ロープウエイ強風のため運休 10:15
女性がドゥブロブニク、獣がベネチア、オスマントルコ
外的には従っているが、内的にはドゥブロブニクが資金で操っているという比喩
フランシスコ会修道院 10:41
スルジ山412mロープウエイ(Googleより)
強風のため運休
ドゥブロヴニク旧市街城壁・ピレ門 DUBROVNIK PASS 9:35
2023/05/15 13:23:40発行 1-Day Pass €35.00
DUBROVNIK PASS購入後、メールでPDFファイルを受け取る。
ドゥブロヴニク旧市街地図(地球の歩き方より)
後方:ミンチェタ要塞とスルジ山412m
城壁の周囲は1,940mの長さがある
Kula sv. Marije付近
ドゥブロヴニク旧港(Porat Dubrovnik) 14:34
ドゥブロブニク大聖堂 14:36
ドゥブロヴニク旧市街から市営バスでホテル付近まで戻り夕食する場所を捜した。
マグロのゴマまぶし 19:01
Fish & Seafood Restaurant - CASA
Uvala Lapad Beach 20:33
Fish & Seafood Restaurant - CASA前のビーチ
2023年5月16日(火)
ドゥブロヴニク旧市街、スルジ山
The bombing continued well into 1992
ドゥブロヴニク旧市街は1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争で
セルビア・モンテネグロ勢力(ユーゴスラビア人民軍 (JNA))によって7ヶ月間包囲
(ドゥブロヴニク包囲)され約7000発の砲撃により約7割の建物に多大な損害を被った。
ユネスコの危機遺産リストになったが5年で復旧した。
屋根瓦や城壁も昔と同じ色や形にしたが、よく見ると色が違う。
砲弾による被害状況説明版の右下部の被害が少ないのはセルビヤが割譲を密約した
組織に譲渡するため砲撃しなかったという。
スルジ山ロープウエイが強風のため運休していたので、10:30発の市営バスで
スルジ山中腹のBOSANKAまで行き、約1.7㎞(約20分)歩くことにした。
No.17ルート バス
No.17ルート バス時刻表 PILE-BOSANKA
シソ科の顕花植物の一種で、アルバニア、キプロス、ギリシャ、イタリア、トルコ、
および旧ユーゴスラビア諸国に自生している。
風雨がひどいのでここで引き返した
アザミ 11:15
エニシダ(マメ科)の花 11:21
遊歩道(Scenic walk Bosanka - Dubrovnik)11:32バス終点PILE前のDubrovnik CableCar乗場近くのバス停で降りた。
風雨のためスルジ山ロープウエイや観光船が運休になった
ドゥブロヴニク城壁近くの波
妻から「なにやってんのよ~」と言われている夫
Grand Hotel Park観光バス出発17:27、Dubrovnik空港へ
Dubrovnik旧市街を道路から見る(Kupalište Sv. Jakov付近) 17:34
ドゥブロヴニク空港21:00--Turkish Airlines TK440 --23:50 Isutanbul
2023年5月17日(水)5,152歩
Isutanbul空港 2023/05/17 0:15
Isutanbul空港 2023/05/17 1:10
Isutanbul 02:20--Turkish Airlines TK198--19:25羽田空港
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羽田空港--横浜・東名高速・海老名・圏央道(中央道集中工事で大渋滞)--秋川
23:30 自宅着ユーゴスラビア紛争
Yugoslavia2006 Googleより
ユーゴスラビア紛争:1991年3月31日 - 2001年11月12日 (10年7ヶ月1週5日間)
1.スロベニア独立戦争:1991年6月27日 - 7月7日(1週3日間)
2.クロアチア独立戦争:1991年3月31日 - 1995年11月12日 (4年7ヶ月12日間)
3.ボスニア紛争:1992年4月6日 - 1995年12月14日(3年8ヶ月1週6日間)
4.コソボ紛争:1998年2月28日 - 1999年6月11日(1年3ヶ月2週間)
5.プレシェヴォ渓谷危機:1999年6月12日 - 2001年6月1日(1年11ヶ月2週6日間)
6.マケドニア紛争:2001年1月22日 - 11月12日(9ヶ月3週間)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)、6つの共和国(スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)、5つの民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人)、4つの言語(セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語)、3つの宗教(カトリック教、正教、イスラム教)、2つの文字(ラテン文字とキリル文字)を持つ1つの国家(ユーゴスラビア)と言われていた。
パルチザンの指導者であったヨシップ・ブロズ・チトーが、1943年からユーゴスラビア王国からユーゴスラビア社会主義連邦共和国に共産主義者同盟書記長となりまとめた。
しかし1980年5月5日にチトーが死亡してから、国内に異民族排斥運動が起こり分裂が始まった。現在7つの共和国(スロベニア、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ)になった。
しかしまだコソボ紛争はセルビアとコソボで続いている。日本政府は2008年にセルビア共和国に遠慮しながらコソボをコソボ共和国と認めたが、まだ承認していない国が多くある。
セルビア共和国やボスニア・ヘルツェゴビナ国内でも分裂して自治州が出来ているところもあり、民族、宗教、言語が異なると紛争が絶えない。
かつて駐在員の頃、現在のセルビアのベオグラードを訪ねてから、分裂後のユーゴスラビア各国を訪ねるのは50年以上経った。
弾痕の跡が多く修復されたが、コソボ紛争もセルビア間ではまだ完全には解決していない。
日本は2008年にコソボを共和国として認めたが、紛争は無くなっていない。
日本も戦争に巻き込まれない様にしないていけない。
⑪コトルの自然と文化歴史地域(モンテネグロ)
1日自由行動の時、風雨のため訪問予定していたが行かれなかった。
12世紀から14世紀にかけて建築された城塞都市。
ローマカトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にある。
中世都市が最も良い状態で保存されている地中海都市の1つ。
1979年「コトルの自然と文化歴史地域」として世界自然文化遺産に登録。
1978年大地震、ロシアの富豪・ロシア人観光客が多い。
モンテネグロ:黒い山の意味
シュコダル湖(モンテネグロ):ヨーロッパ最大級の鳥類の保護区、
ラムサール条約「国際的に重要な湿地」登録
コトル港の周囲にある印象的な城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、
コトル市街地 Googleより
聖ルカ教会 Googleより
赤ワイン「ヴラナッツ」VRANAC、白ワイン「クルスタッチ」KRSTAC \7,109