2024年1月12日(金)
特別展「縄文コードをひもとく」を見学に午前9時ごろ2人で出かけた。
圏央道が渋滞していたので国道16号線と埼玉県道2号さいたま春日部線を使って
大宮駅付近にある「埼玉県立歴史と民族の博物館」に行った。
昼食として氷川三神料理店「かのうや」でうなぎご膳と鯰の天ぷらを食べた。
その後、大宮公園を散歩しながら武蔵一宮氷川神社にお参りをした。
そして再び「埼玉県立歴史と民族の博物館」に行って常設館を見学した。
帰路は、県道216号 と 国道17号線を通り、桶川北本ICから日の出ICまで
首都圏中央連絡自動車道(41.6km、約32分、1,530円)を利用した。
帰宅は午後5時 40分で走行距離は119.5kmあった。
令和5年11月14日~令和6年1月14日
縄文土器の文様(Cord)と縄文人の概念や思想(Code)に注目する。
埼玉県の縄文時代の遺跡発掘調査で出土した多くの土器の中から約230点を展示している。
縄文時代草創期から晩期までの約1万年間に使われた土器が展示されている。
赤城遺跡の「顔つき土器」、県指定文化財「雅楽谷遺跡の土器」も展示している。
JR大宮駅、氷川三神料理店「かのうや」
埼玉県立歴史と民族の博物
埼玉県立歴史と民族の博物
弥生時代の復元住居 県指定遺跡大宮公園内遺跡
切妻形屋根に破風板を乗せている。住居の奥に方形周溝墓がある。
前田國男氏設計による近代建築物
埼玉100周年記念として昭和46年に県立博物館として建設、
平成18年に旧県立民族文化センターと統合した。
埼玉県立歴史と民族の博物
埼玉県立歴史と民族の博物 女神の像
埼玉県立歴史と民族の博物
埼玉県立歴史と民族の博物「特別展」11:01
埼玉県立歴史と民族の博物 石灯籠
特別展「縄文コードをひもとく」ー埼玉の縄文土器とその世界ー
特別展で取り上げる遺跡リスト 49遺跡
用語解説シート
展示資料一覧 約230点
展示資料一覧2
展示資料一覧3
展示資料一覧4
プロローグ
エドワード・シルベスター・モースによる名付け:Cord Marked Pottery
白井光太郎による翻訳:縄紋土器、現在の一般的な名称:縄文土器
「縄」Cordと縄文人の思想「縄文コード」Code(暗号、ルールを意味する)に迫る。
左8 釣手土器 桶川市高井東遺跡23号住居跡 縄文後期・加曾利B式 沈線
中12 東北地域にルーツのある注口土器
さいたま市大木戸遺跡15号居住跡 後期・加曾利B2式
右9 算盤玉形の鉢:さいたま市寿能泥炭層遺跡 縄文後期・加曾利B2式 弧線文、沈線
縄文土器に関する内容は、特別展「縄文コードをひもとく」展覧会図録を参照している。
第1部 縄文文様
中17 多縄文土器 深谷市宮林遺跡 縄文草創期 土器形式:多縄文系
右18,19,20 爪形文土器 深谷市宮林遺跡 縄文草創期 土器形式:爪形文系
左前22 貝殻条痕文の尖底深鉢 皆野町妙音寺洞穴 縄文早期 土器形式:沈線文系
左後23 尖底深鉢 明花向遺跡 縄文早期 土器形式:沈線文系
中前25 条痕文の尖底深鉢 さいたま市明花向遺跡 縄文早期 土器形式:野島式
右後26 条痕文の尖底深鉢 さいたま市明花向遺跡 縄文早期 土器形式:野島式
右前27 波状口縁の刺突文深鉢 さいたま市明花向遺跡 縄文早期 土器形式:野島式
中28 菱形文の深鉢:さいたま市上ノ宮遺跡炉穴群1 早期・野島式
右30 帯状の段をもつ深鉢:白岡市海老島遺跡 早期・茅山下層式
左後32 筒状突起の深鉢 秩父市下段遺跡 早期
中前33 渦巻文の深鉢 秩父市下段遺跡 早期・下吉井式
右前34「X」字モチーフの尖底深鉢 日高市天神峯遺跡5号土壙 早期・打越式
花開く縄文文様
前期は羽状縄文系土器群が発展した。
前期後半には沈線、浮線、弧線を組み合わせた諸磯式土器が作られた。
文様や器形などは近畿地域以西の北白川下層式と密接な関係にあり、
細い粘土紐を貼り付ける手法が加わり粘土瘤をたくさん付けた貼付文が加わった。
左1前36 山形突起が付く深鉢 伊奈町谷畑遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
左中後37 関山貝塚の深鉢(県指定文化財) 蓮田市関山貝塚1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
左1前38 補修穴のある深鉢(県指定文化財) 蓮田市関山貝塚1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
右側40,41,42,43,44,45 行田市馬場裏遺跡1号住居跡の土器群 前期・関山Ⅱ式
中43 小型の片口付の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
右41 幾何学的な文様の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
中前44 中型の片口付の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
中後42 くびれのある片口付の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
右45 幾何学文様の片口付の鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
左後47 沈線文様の深鉢 寄居町塚屋遺跡10号住居跡 前期・諸磯a式
右前50 隆線のモチーフが特徴的な深鉢 寄居町塚屋遺跡20号住居跡 前期・諸磯b式
右後51 沈線文様の深鉢 寄居町塚屋遺跡20号住居跡 前期・諸磯b式
左52 突起を持つ深鉢 寄居町塚屋遺跡20号住居跡 前期・諸磯b式
右53 貼付文の深鉢 寄居町塚屋遺跡142号土坑 前期・諸磯c式
左56 阿玉台式と勝坂式の折衷土器 伊奈町北遺跡55号住居跡 中期・阿玉台式、勝坂式
右55 連結する隆帯の深鉢 上尾市中居遺跡34号住居跡 中期・勝坂3式
右57 渦巻文の深鉢 日高市宿東遺跡6号住居跡 中期・加曾利E式
装飾の変化と使用の複雑化
左60 沈線文と刺突文の深鉢 鴻巣市赤城遺跡62号土坑 後期・称名寺式
右59 突起が特徴的な深鉢 桶川市諏訪野遺跡27号住居跡 中期・加曾利E式
右61 3つの突起の深鉢 さいたま市大木戸遺跡9号住居跡 後期・加曾利EⅠ式
右63 口縁部に文様をもつ鉢 さいたま市大木戸遺跡9号住居跡 後期・加曾利EⅠ式
左67 東北形の注口土器 鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・大洞式系
右66 帯状縄文と5つの突起の深鉢 久喜市小林八束1遺跡453土坑 晩期・安行3式
縄文時代中期には土器の装飾は複雑化し、人や動物など具体的なモチーフが出現する。
世界観のコード、土器作りのコード、出自のコード、使用のコード
第Ⅱ部第1章 ー土器に表された「物語」ー
縄文土器の文様は、装飾性文様と物語性文様とに分けられる。
装飾性文様:器面を飾るだけの文様
物語性文様:モチーフに特別な観念が込められた文様
「双眼突起」、「S字文」、「モチーフの非対称性」、「重心の偏り」
寄居町北塚屋遺跡141号土坑 中期・勝坂2式
双眼突起は、こちら側(モチーフa)に付いているが反対側(モチーフb)の顔ともみえる。
モチーフaは、両手を広げ逆三角形の胴体の下に杏仁形モチーフを吊り下げている。
女性が子供を産む状況を表現したものという説がある。
68 表と裏?2つのモチーフの深鉢 側面a
モチーフbは、逆三角形の胴体と両肩から伸ばした両腕を表現し、
カエルのように足を折り曲げた表現をしている。
右70 蛇頭の付いた双眼突起の深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期・勝坂3式
69 蛇を表した深鉢 毛呂山町新田東遺跡53号住居跡 中期・勝坂3式
70 蛇頭の付いた双眼突起の深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期・勝坂3式
71 蛇を表した深鉢 上尾市中井遺跡33号住居跡 中期・勝坂3式
72 ムカデと人の「物語」の深鉢 桶川市諏訪野遺跡27号住居跡 中期・勝坂3式
70 蛇頭の付いた双眼突起の深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期・勝坂3式
71 蛇を表した深鉢 上尾市中井遺跡33号住居跡 中期・勝坂3式
72 ムカデと人の「物語」の深鉢 桶川市諏訪野遺跡27号住居跡 中期・勝坂3式
桶川市諏訪野遺跡27号住居跡 中期・勝坂3式
左2前74 3本指の手がのびる深鉢 桶川市諏訪野遺跡80号住居跡 中期・勝坂3式
中前75 円盤状突起をもつ深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期
右2前78 記号のような文様の台付鉢 伊奈町原遺跡13号住居跡 中期・勝坂式
右1前79 記号のような文様の台付鉢 伊奈町原遺跡13号住居跡 中期・勝坂式
双眼突起を付け、口縁部に蕨手文、渦巻文を配置している。
最初に土器に表現されたのはイノシシであった。
イノシシは多産のシンボルとして表現されたと考えられる。
中期の勝坂式土器には蛇の造形が見られる。
蛇や蛙の変態や脱皮が生まれ変わりの再生観念と見た可能性がある。
他に、ムカデやトカゲ、ムササビ、ミミズク、カメ、鳥などがある。
左後85 ムササビ又は亀を表現した鉢 右後82 鳥を表現した片口土器
左前86 亀のような注口土器 中前84 動物の付いた小型鉢 右前83 双口土器
ルーツをさぐる
中期の土器の地域色とルーツ(系統)
中期は土器の地域色が細かくなり、個性が強まる時期で系統の異なる土器が同じ遺跡の中に現れる。また、1つの土器にも系統の異なる文様や特徴が融合されている。
土器の地域色は、土器制作者が地域や集団のしきたりやルールに縛られた結果と考えられる。1つの土器に複数系統の文様や特徴が融合されるのは、他の地域との様々な交流関係が背景にある。
関東甲信地域の勝坂式土器と東北地域の大木式土器の要素を取り入れることによって成立した加曾利E式土器の様相と同時期の他地域の影響を受けた土器や他の地域からもたらされた土器をみることで、土器の特徴の出自に関わるコードをみられる。
91 成立期の加曾利E式深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・加曾利EⅠ式
口縁部は隆帯でS字文と棘状の文様、菱形文、円文を連結したS字文を連結している。
2か所の双眼突起、弧状の文様、波状の沈線文
右94 パネル文の深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・勝坂式
炉に据えられた土器、勝坂式の特徴のパネル状に区分する文様が確認できる。
炉に据えられた土器、勝坂式の特徴のパネル状に区分する文様が確認できる。
白岡市赤砂利遺跡2号土器埋設遺構 中期・勝坂式EⅡ式
口縁部には渦巻文と楕円形区画が連結された文様を配置するが、
通例では偶数個だが7個であり、胴体の2本1組の沈線文も11組となっていて、
伊奈町戸崎前遺跡92号住居跡 中期・勝坂式EⅢ式
右下がり縄文や左下がり縄文などあり、文様の修正がなされた可能性がある。
口縁部と胴部上半には渦巻文を連結した文様、
大きなS字文は同時期の 東北地域の大木8b式の影響を受けた。
中101 飛び出る鉤文様の深鉢 毛呂山町新田東遺跡53号住居跡 中期・加曾利E式
右102 羊角状のモチーフの深鉢 寄居町北塚屋遺跡2号住居跡 中期・ 加曾利EⅡ式
右105 紐通し孔をもつ鉢 本庄市古井戸遺跡73号住居跡 中期
中107 渦巻文の鉢 日高市宿東遺跡1~2号住居跡 中期
右108 波状隆帯の深鉢 日高市高麗石器時代住居跡遺跡埋甕 中期・曽利式系
左後111 台に文様がある深鉢 美里町広木上宿遺跡6号住居跡 中期
中後112 台付深鉢 美里町広木上宿遺跡2号土坑 中期・加曾利EⅣ式
右後116 渦巻文と突起が特徴の鉢 深谷市島之上遺跡1号住居跡 中期・大木式系
左前113 大きな突起の深鉢 本庄市古井戸遺跡1358号土坑 中期・加曾利EⅣ式中前114 瓢箪形注口土器 さいたま市櫛引周辺 中期
右前115 小型の 瓢箪形注口土器 上尾市中井遺跡63号住居跡 中期
左後112 台付深鉢 美里町広木上宿遺跡2号土坑 中期・加曾利EⅣ式
左前114 瓢箪形注口土器 さいたま市櫛引周辺 中期
左中後116 渦巻文と突起が特徴の鉢 深谷市島之上遺跡1号住居跡 中期・大木式系左中前119 トロフィー形の台付深鉢 桶川市前原遺跡9号住居跡 中期
右中117 「S」字文と渦巻文の深鉢 本庄市将監塚遺跡55号野外埋甕 中期
右後118 渦巻文の大型深鉢 坂戸市花影遺跡10号住居跡 中期・大木式系
右前120 火焔型土器の突起 本庄市将監塚遺跡61号住居跡 中期・馬高式
第Ⅱ部第3章 ー作り分けと使い分けー
縄文土器は道具で、使われるために作られ存在している。
縄文土器に織り込まれた使用のコードをひもとく。
深鉢土器は主に煮炊きに使った。浅鉢、鉢、注口土器は盛り付け等に使った。
縄文後期中頃の深鉢には、精製土器と粗製土器に分化する。
後期から晩期にかけて香炉型や異形台付土器、製塩土器など変わった形の土器や
用途が特化した土器が出現する。
土器の使用において、同じ形の土器を使い分けるというコード、
用途によって違う形や大きさの土器を作り分けるというコードへと徐々に変化していった。
鴻巣市赤城遺跡15号土坑 後期・称名寺式
伊奈町戸崎前遺跡69号土坑 後期・堀之内1式(編取式系)
久喜市小林八束1遺跡12-A号住居跡 後期・堀之内2式
132 「X」字状モチーフの深鉢 白岡市清左衛門遺跡10号住居跡 後期・堀之内1式
133 文様の描き方が雑な深鉢 久喜市小林八束1遺跡12-A号住居跡 後期・堀之内2式
134 煮炊きに使われた大型の深鉢 蓮田市雅楽谷遺跡13号土坑 後期・堀之内2式
中138 大型の深鉢 加須市長竹遺跡128号住居跡 後期・堀之内2式
右137 文様のない深鉢 白岡市清左衛門遺跡77号土坑 後期・堀之内2式
胴の下半分の色が違うのは、火があたって炭化物が付かなかったため。
胴の上半分に縄文が施されているが、装飾はほとんどない。
雑に作られたわけではなく、胴の下半分は丁寧に磨かれている。
煮炊きに使ったという使用のコードが読み取れる。
左後144 西関東地域の粗製深鉢 蓮田市神楽谷遺跡4号土器埋設 後期・加曾利B式
右前140 「の」の字モチーフの突起付深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B1式
右後142 東北地域にルーツをもつ深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
141 「ト」の字モチーフの突起付深鉢
さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
左後145 突起が付く粗製深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B式
右前146 内面に文様をもつ浅鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B1式
右後147 煮炊きに使われた浅鉢 さいたま市大木戸遺跡 後期・加曾利B1~B2式
右後149 突起が付く鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B1式
中前150 突起が付く鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
右後151 算盤玉形の鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
右前152 斜線文の鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
「トチの実加工場跡」の煮沸用土器は堅果類の灰汁抜きに使われた。
後晩期の精製土器は主に肉類を粗製土器は主に植物を煮るのに使った。
注口土器
155 双子の注口土器 鴻巣市中三谷遺跡41号土坑 後期・堀之内2式
156 胴部が無文の注口土器 さいたま市大木戸遺跡 後期・堀之内2式
157 台が付く注口土器 さいたま市大木戸遺跡139号土坑 後期・堀之内2式
158 「の」字モチーフの注口土器 さいたま市大木戸遺跡 後期・加曾利B1式
160 彫刻的モチーフの注口土器 さいたま市大木戸遺跡15号住居跡 後期・加曾利B2式
161 豚鼻状瘤が付く在地系の注口土器 鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点
後期~晩期・安行2~3a式
162 豚鼻状瘤が付く在地系の注口土器 久喜市小林八束1遺跡453号土坑 晩期・安行式
163,164 入れ子で見つかった土器 加須市長竹遺跡 晩期・安行3b式
166 羊歯状文をまねた注口土器 久喜市小林八束1遺跡祭祀遺物集中地点 晩期・安行式
167 入組三叉文の注口土器 鴻巣市赤城遺跡 晩期・安行3b式
168 底面が広い注口土器 久喜市小林八束1遺跡祭祀遺物集中地点 晩期
埋葬と土器
入間市坂東山遺跡甕棺墓 後期・称名寺式
左172 入組文の深鉢 加須市長竹遺跡211号土坑 晩期・大洞式系
右173 瘤付きの壺 加須市長竹遺跡200号土坑 晩期・大洞式系
中179 「X」字状モチーフの深鉢 加須市長竹遺跡208号土坑 晩期・大洞式系
右180 流麗な文様の注口土器 加須市長竹遺跡210号土坑 晩期・大洞式系
178 黒と赤で彩色した台付鉢 加須市長竹遺跡248号土坑 晩期・大洞式系
後期中葉(加曾利B2式期)に出現し、晩期初頭(安行3a式期)まで作られた。
火と関係した祭祀に使われたと言われている。
第Ⅱ部第4章 ー撚り合わされたコードー
縄文土器に込められた4つのコード(世界観、土器作り、出自、使用)、
いくつものCordとCodeが撚り合わされて、埼玉を代表する安行式土器が生まれた。
安行式土器:川口市安行猿貝貝塚の資料を基準に設定された土器
波状口縁深鉢など精製土器や紐線文土器などの粗製土器で構成される。
これらは後期中葉の加曾利B式・曾谷式土器をルーツとしている。
中184 大波状口縁の深鉢 熊谷市諏訪木遺跡 後期・高井東式
安行式土器は縄文時代後期から晩期にまたがる。
安行1、2式は後期に、3式が晩期に位置づけられる。
亀ヶ岡式土器の影響がない段階が後期、ある段階を晩期としている。
安行式の精製土器には波状の口縁がある。
亀ヶ岡式土器の知識を持った人々が関東地域に入ってきて、
晩期には多様な器種が作られた。
ミミズク土偶の顔面をもつ注口土器や人面付き土器には、
容器と人や動物とを結びつける複雑な思想もうかがえる。
右188 縦瘤をもつ波状口縁深鉢 久喜市小林八束1遺跡 後期・安行1式
中189 煮炊き用の深鉢 加須市長竹遺跡45号住宅跡 後期・安行1式
左190 波状口縁で瘤が付く深鉢 蓮田市雅楽谷遺跡 後期・安行1式
右下191 瘤が付く平口縁の深鉢 鴻巣市赤城遺跡 後期・安行1式
右上194 東北地域の影響を受けた深鉢 鴻巣市赤城遺跡 後期・安行1式
左下195 東北地域の影響を受けた深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・安行2式
左上196 煮炊きに使われた深鉢 加須市長竹遺跡3号埋甕 後期・安行2式
大きな波状口縁と豚鼻状瘤という安行式を代表する土器作りのコードを体現した土器
右200 豚鼻状瘤をもつ波状口縁深鉢
右中201 豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器
左中202 迫力の台付鉢
左206 煮炊きに使われた在地の粗製深鉢
後期から晩期へ~蓮田市雅樂谷遺跡の土器群に込められたコード~
蓮田市雅樂谷遺跡の5号土坑と26号土坑からは、
ほぼ完全に復元できる土器がまとまって見つかった。
26号土坑の土器は、東北地方の亀ヶ岡系の大洞B式の影響を受けている。
大洞式の土器の影響の有無は関東地域における縄文時代晩期の始まりの指標になっている。
5号土坑の土器は、大洞式の顕著な影響はない。
202 迫力の台付鉢
中下204 「B」字状突起をもつ皿
左下205 豚鼻状瘤をもつ台付皿
右上206 煮炊きに使われた在地の粗製深鉢
左上207 無文の粗製深鉢
中下209 豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器
左下210 東北地域の影響を受けた台付皿
中上211 東北地域にルーツを持つ深鉢
208 豚鼻状瘤をもつ波状口縁深鉢
209 豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器
210 東北地域の影響を受けた台付皿
211 東北地域にルーツを持つ深鉢
右前212 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3a~b式
左前213 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
右後214 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
加須市長竹遺跡 晩期・安行3a~b式
左後215 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
加須市長竹遺跡 晩期・安行3b式
加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
214 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
加須市長竹遺跡 晩期・安行3b式
右前216 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
さいたま市寿能泥炭層遺跡 晩期・安行3b式
中前217 瘤のない波状口縁深鉢
加須市長竹遺跡 晩期・安行3c式
右後218 北関東系の波状口縁深鉢
加須市長竹遺跡埋甕4 晩期・天神原式(安行3c式併行)
左後219 平口縁の在地系深鉢
加須市長竹遺跡13号住宅跡 晩期・安行3a式
加須市長竹遺跡1号埋設 晩期・安行3b式
右上222 安行式の瘤と東北系の文様の深鉢
加須市長竹遺跡遺物集中16 晩期・安行3a式
右下224 瘤がたくさん付いた深鉢
久喜市小林八束1遺跡455号土坑 晩期・安行3b式
左下225 豚鼻状瘤と三叉文の深鉢
加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
加須市長竹遺跡 晩期・安行3c式
右1前227 入組三叉文の深鉢 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
右1後228 入組三叉文の深鉢 入組三叉文の深鉢 晩期・安行3d式
中3後229 三叉文の深鉢 久喜市小林八束1遺跡祭祀遺物集中地点 晩期・安行3d式
右2前231 迷路のような文様の深鉢 加須市長竹遺跡 晩期・安行3d式
右2後232 隆帯装飾のない粗製深鉢 久喜市小林八束1遺跡 晩期・安行式
中4前233 隆帯装飾のある粗製深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 晩期・安行式
左2前234 煮炊きに使われた粗製深鉢 加須市長竹遺跡492号土坑 後期・安行2式
左3後237 軸のずれた粗製深鉢 加須市長竹遺跡焼土跡3 晩期
左1後238 突起をもつ無文の大型深鉢 加須市長竹遺跡287号土坑 晩期・安行3b~3c式
さいたま市寿能泥炭層遺跡 晩期・安行式
顔のある土器
加須市長竹遺跡629号土坑 後期・堀之内1式
鴻巣市赤城遺跡祭祀遺物集中地点 晩期・安行3a式
右241 出自不明の顔がある注口土器
加須市長竹遺跡201号土坑 晩期・大洞BC式(安行3b式併行)
242 顔のある粗製深鉢
鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3c式
左245 モミズク土偶の顔をもう注口土器
熊谷市諏訪木遺跡1号竪穴住居跡 晩期・安行3b式
加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
右1前257 三叉文の透かし孔をもつ台付鉢
鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3b式
右2前248 東北地域にルーツをもつ鉢 加須市長竹遺跡 晩期・大洞BC式
右3前249 大きな枠状文の壺 加須市長竹遺跡 晩期・前浦式((安行3c式併行)
右4前250 四角い鉢 加須市長竹遺跡 晩期
右後246 入組三叉文の台付鉢 加須市長竹遺跡555号土坑 晩期・安行3b式
左1前257 東北地域にルーツをもつ深鉢 加須市長竹遺跡 晩期・大洞C1式
左2前254 東北地域にルーツをもつ壺 加須市長竹遺跡775号土坑 晩期・大洞式
左3前251 組三叉文の壺 鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期
左1後256 無文の壺 加須市長竹遺跡 晩期・大洞C2式併行
左2後255 無文の壺 加須市長竹遺跡 晩期・大洞C2式併行
エピローグ
エピローグ ー最後の縄文土器ー
縄文時代後晩期に個性を発揮した安行式土器の終末段階には、
すでに九州では弥生土器が成立し水田稲作が行われていた。
埼玉県域では水田稲作や弥生土器の導入は弥生時代中期になる。
安行式土器が展開した後の埼玉県域では縄文時代最後の土器・浮線網状文系土器が出現する。これらの土器は、東北地域の影響を受けた粘土紐装飾と西日本の弥生文化の影響を受けた形態が特徴で、細い粘土紐を口縁部を中心に横方向に重ねて貼付けしたシンプルで洗練されたものになる。
左260 浮線文の大きな浅鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
右下261 浮線文の深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
右上262 肩に稜をもつ深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
263 肩に稜を持つ深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
左264 波状の口縁の深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
右265 条痕文の鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
昼食
「埼玉県立歴史と民族の博物館」12:05・・(自動車)・・12:35氷川三神料理店「かのうや」
うな重、鯉の洗い、茶碗蒸し、サラダ、ホットコーヒー付き
鯉の洗いも美味しかった。
なまずの天ぷら 1,550円
淡白でとても美味しかった。
氷川神社一の鳥居と参道 13:42
氷川神社まで約2km
大宮公園・武蔵一宮氷川神社
氷川三神料理店「かのうや」13:45・・(自動車)・・14:00「埼玉県立歴史と民族の博物館」
<舟遊池と2022/11/3のかいぼり>
かつての川をせき止めて造った舟遊池の底の土からは、リンなどの成分が溶け出してアオコの餌となっていた。リンは生活排水が流れ込んでいたころの名残と考えられる。
水を抜き、土に空気を通すことがリンの溶出を抑え、水質改善につながる。
現在、池の水は地下を通じて大宮第二公園近くの芝川へ流れ込んでいるとみられるが、
水の循環が遅く、濁りやすい。
このため通常の維持管理としては、地下水をくみ上げて池に流し水質改善を図ってきたが、抜本的改善策として2022/11/3にかいぼりを行った。
約2,400年前の第5代考昭天皇の時代に創建された。
祭神は出雲神話に登場する須佐之男命、稲田姫命、大己貴命で、
国の発展と民の平安を祈り、祀られた。
大宮の地名は「大いなる宮居」に由来する。
氷川神社は現在、関東地方に約250社が祀られていて、2000年の歴史を持つこの氷川神社を御本社として分霊されたもので、スサノオノミコト、イナダヒメノミコト、オオナムチノミコトを祭神としいて、古代に稲作を司る神としてまつられたものが始まりとされている。
鎌倉時代以降は、源頼朝・徳川家康といった武士に、明治以降は皇室の尊崇が篤く、
明治天皇は東京遷都直後に参拝され、国の安泰を祈願された。・・・
常設展示室
「埼玉における人々のくらしと文化」をテーマに、
旧石器時代から現代までを1~10室の展示室で紹介している。
体験学習ゾーン「ゆめ・体験ひろば」ものづくり工房
ミュージアムショップ・無料休息コーナー
深鉢
飯能市加能里遺跡 第45次調査 縄文時代中期(約4500年前)
加能里遺跡は縄文時代草創期から晩期まで人々が生活していた。
飯能市加能里遺跡 縄文時代後晩期(約3000~3500年前)
飯能市加能里遺跡 第77次調査 縄文時代晩期(約3000年前)
注口土器、深鉢
川口市宮合遺跡6号住宅跡 第13,14次調査 縄文時代後期(約3500年前)
文様装飾が豪華な精製土器と煮炊きに使われる粗製土器がある。
精製土器と粗製土器に同じ文様が同じ人々によって施されている。
川口市新郷遺跡 縄文時代後期(約3500年前)
縄文時代の埋葬の姿勢には、伸展葬もあるが屈葬が一般的であった。
東北原遺跡 縄文時代晩期(約3000年前)
弥生時代中期(約1900年前)
弥生時代後期 三重県伊賀市比土出土
3世紀頃(卑弥呼の時代)
金錯銘鉄剣(複製)
埼玉稲荷山古墳出土(国宝)5世紀後半~末
剣身両面に115文字の金象嵌の銘文が発見された。
銘文の辛亥年:471年、ワカタケル大王:雄略天皇
5世紀後半にはすでに大王の権力が九州から東国まで及んでいたと解釈される。
一貫して平氏方に属して戦い、加賀国篠原の合戦で木曽義仲軍に敗れて討死した。
日本一大きい板碑と日本一小さい板碑が展示されている。
国内最古の鬨門式運河
見沼代用水を江戸との舟運にも利用するため利根川と芝川を運河で結んだ。
本庄、深谷、新堀村、熊谷、桶川、蕨、戸田、板橋そして11月15日江戸城北の丸到着。
飯野農夫也画「税金は地主が出せ!」(複製)原資料:昭和6年(1931)
社会大衆党埼玉県連結成大会ポスター 昭和7年8月
昭和7年には、無産政党が合同した社会大衆党が生まれた。
満州への移住 昭和11,12年 原資料:昭和戦前研
満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所之碑(約86,000人の15~19歳の若者が参加した)
原資料:茨城県水戸市内畑町
大日本國防婦人會 女性たちの戦争協力 出征兵士の見送り、慰問袋の制作
大政翼賛会の文化活動:国民動員の手段に利用 昭和17年
戦争の報道:アサヒグラフ第39巻15号 戦争報道が中心になった 昭和17年
焼夷弾 六角柱に油脂を詰めた爆弾、38個束ねて爆撃機B29から投下された。
陶製手榴弾:資源不足の時代 旧日本軍が使用した手榴弾
川口市山口自転車工場製
行田では江戸時代から家内工業として足袋作りが行われていた。
明治以降は機械化が進み、工場で量産されるようになった。
ミュージアムショップ・無料休息コーナー
発行日:令和5年11月14日、編集発行:埼玉県立歴史と民族の博物館
125ページ、価格:1,000円 1/14完売
昭和の原っぱ スバル360 17:07
埼玉県立歴史と民族の博物館16:30ー県道216号 ー国道17号線ー桶川北本IC17:00ー首都圏中央連絡自動車道(41.6km、約32分、\1,530)ー17:32日の出ICーTa宅ー17:40帰宅(走行距離119.5km)