2024年5月14日火曜日

町田市考古資料室、忠生遺跡B地区、町田市立自由民権資料館、本町田遺跡公園、町田市田端環状積石遺構

2024年5月11日(土)晴れ
町田市考古資料室、忠生遺跡B地区、町田市立自由民権資料館、
本町田遺跡公園、町田市田端環状積石遺構を訪ねたあと、
同期入社3人で日の出イオンの中華店で軽く一杯飲みながら懇親会をした。
日程
秋川駅北口集合9:15・・10:20町田市考古資料室11:00・・11:10忠生遺跡B地区11:15・・11:37町田市立自由民権資料館12:43・・12:58本町田遺跡公園13:24・・14:03LAWSON+スリーエフ町田多摩境店14:11ー(徒歩)ー14:16町田市田端環状積石遺構(昼食)14:21ー(徒歩)ー14:26LAWSON+スリーエフ町田多摩境店14:30・・15:15自宅(走行距離:86.7km)ー(徒歩9ー15:24日の出イオン(解散)17:35ー(徒歩)ー17:50自宅

町田市考古資料室
町田市考古資料室 10:21
町田市考古資料室
町田市における縄文時代の主要遺跡分布図
町田市遺跡マップ
①田端環状積石遺構、③忠生遺
https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08.files/omo.pdf
町田市遺跡マップ
https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08.files/ura.pdf

町田デジタルミュージアム(Machida Digital Museum)

町田市考古資料室パンフレット
忠生遺跡の土層断面
彫刻付大形石棒(184cm、56㎏) 縄文時代中期 忠生遺跡出土  10:23
焼かれて粉々になった状態で発見された。
旧石器時代展示品 
石刃(町田市内最古の石器) 旧石器時代(約3万年前)木曽森野遺跡 
縄文時代の石器類
石鏃 縄文時代中期(約5,300~4,500年前)木曽森野遺跡 
縄文土器展示 10:27
縄文土器展示
深鉢形土器(隆起線文土器) 縄文時代草創期(約14,000年前)なすな原遺跡No.2地区
町田市で発見された最古の土器
町田市指定有形文化財 深鉢形土器(爪形文土器) 
縄文時代草創期(約13,000年前)川島谷遺跡第10号地点
深鉢形土器 縄文時代早期(約10,000年前) 日影山遺跡 
前面に縄文が施された砲弾型の深鉢形土器
口縁直下に見られる一対の小穴は補修用で紐を通して縛ったと考えられる。
深鉢形土器(諸磯式土器) 縄文時代前期(約6,000年前) 三矢田遺跡
半截竹管を使って並行の線で模様が施されている。
深鉢形土器 縄文時代中期(約5,200年前) 相原坂下遺跡
右:深鉢形土器 縄文時代中期(約5,000年前)金森遺跡
左:深鉢形土器 縄文時代中期(約4,700年前)忠生遺跡A地区1地点
深鉢形土器 縄文時代中期(約5,000年前)金森遺跡
高さ74cm、町田市内で一番大きい土器
左:深鉢形土器 縄文時代中期(約4,700年前)忠生遺跡A地区1地点
深鉢形土器 縄文時代中期(約4,900年前)木曽森野遺跡
有孔鍔付き土器 縄文時代中期(約4,600年前)田端東遺跡
深鉢形土器 縄文時代中期(約4,200年前) なすな原遺跡
左奥:深鉢形土器 縄文時代中期(約4,200年前) なすな原遺跡
右奥:深鉢形土器 縄文時代中期(約4,900年前) 木曽森野遺跡
手前:異形台付土器、椀型土器、注口土器 縄文時代後期
注口土器 縄文時代中期(約4,200年前)なすな原遺跡
注口土器 縄文時代中期(約4500年前) 忠生遺跡D地区 
注口が折れた状態で出土することが多く意図的に折ったと考えられる。
東京都指定有形文化財 異形台付土器(2点) 加曾利B2式土器
縄文時代後期(3600年前)鶴川遺跡群M地点3号住居跡出土
同じ住居跡から発見された。2つで1セットと考えられる。
浅鉢型土器 縄文時代中期(約5000年前) 御嶽堂遺跡 
UFOとかアラジンのランプの愛称で親しまれている。
香炉型土器 縄文時代晩期(約3000年前)なすな原遺跡

町田市指定有形文化財「中空土偶頭部」 縄文時代後期(3400年前)田端東遺跡出土
函館市著保内野遺跡出土の国宝「土偶」と類似している中空土偶
中空土偶頭部
中空土偶頭部
縄文キャラクター「まっくう」
名称は田市出土の中土偶に由来する。
参考:国宝「土偶」函館市著保内野遺跡出土 縄文時代後期
愛称:茅空(カックウ)
部のジャガイモ畑から偶然発見され、中土偶としては国内最大の(高さ41.5cm)、
頭部の装飾と両腕が発見されていない。

土偶
土偶 
縄文時代中期~後期(5300~2800年前)木曽団地遺跡群、忠生遺跡、なすな原遺跡
土偶 縄文時代中期(5300年前)木曽団地遺跡群
土偶 縄文時代中期~後期(5000年前)忠生遺跡A地区1地点
土偶 縄文時代後期(3800~3500年前)なすな原遺跡
土偶 縄文時代後期(3800~3500年前)なすな原遺跡
土偶 縄文時代後期(3800~3500年前)なすな原遺跡
土偶 縄文時代後期(3800~3500年前)なすな原遺跡
土偶 縄文時代晩期(3200~2800年前)なすな原遺跡
土製玦状耳飾り 縄文時代前期(6,000年前)三矢田遺跡

透かし彫り土製耳飾り 縄文時代後期(3200~2800年前)なすな原遺跡
耳飾り 縄文時代後期(3200~2800年前)なすな原遺跡
遺物復元道具  実測「真弧」、復元「ラバーボール」
弥生時代の土器等
平安時代の遺物
能ヶ谷出土銭 室町時代(15世紀)能ヶ谷出土銭遺跡
約9万枚の錢貨で木の桶に入った状態で発見された。
町田市考古資料室 10:58

忠生遺跡B地区(町田市根岸町)
忠生遺跡B地区 11:11
忠生遺跡B地区
忠生遺跡B地区 33号竪穴住居跡(約4,500年前) 11:12
縄文時代中期の集落跡、古墳時代の横穴墓が発見された。
忠生遺跡B地区 33号竪穴住居跡(約4,500年前)
忠生遺跡B地区説明板
忠生区画整理事業に伴い発掘調査された忠生遺跡群(A~D地区)の一部。
旧石器時代の礫群、縄文時代の集落跡、古墳時代の横穴墓、室町時代の集合墓地跡などが発掘された。
縄文時代の集落跡
保存されている33号住居跡(直径約6m)
町田市指定有形文化財 深鉢形土器 
縄文時代中期(約5000年前)忠生遺跡B地区19号住居跡出土
町田市立根岸日向根公園 11:14
町田市立根岸日向根公園花壇 11:15
忠生遺跡B地区 33号竪穴住居跡(約4,500年前) 11:15

町田市立自由民権資料館
町田市立自由民権資料館 11:37
町田市立自由民権資料館 11:38
町田市立自由民権資料館エントランス 
町田市立自由民権資料館パンフレット
町田市立自由民権資料館パンフレット
自由と民権をもとめて 11:41
さまざまな「自由」 
自由民権運動とは
憲法と国会をもとめて
五か条の御誓文「万機公論に決すべし」
板垣退助「民選議員設立建白書」明治7年(1874)提出
明治13年(1880)3月、国会期成同盟結成
国会開設設立建白書、国会開設設立懇請協議出会規則、国会懇請草案
植木枝盛「東洋大日本国国憲案」明治14年(1881)8月(推定)
明治10年代前半の主な憲法草案
「五日市憲法」と千葉卓三郎の世界
「タクロンチーバー氏法律格言」明治14~16年(推定)
「国王ハ決シテ死セズ」を「国王ハ死ス、民ハ決シテ死セズ」に変え
立憲帝政から共和制への移行を予言している。
明治13年に五日市町勧能学校の教員に着任、深沢権八ら地元の民権家の協力で「五日市憲法」を草案した。
五日市憲法(草案)千葉卓三郎
欧州各国憲法(8カ国)を参考にした条文が数多くある。
結社・政党の誕生
明治14年10月、板垣退助を総理とする「自由党」誕生、明治15年、都市の民権家による「嚶鳴社」、大隈重信ら下野した官僚による「立憲改進党」結成。
「自由党盟約」「自由党寄付金規則」「明六社制規」「奨匡社の規則類」
「大日本帝国憲法」と「憲法発布大典賑」
言論でたたかう
錦絵「東京名所銀座通り朝野新聞社盛大之真図」明治12年
錦絵「明治会堂演説之図」明治14年ごろ(推定)
朝野新聞 明治13年12月23日(土曜日)
石阪昌孝:神奈川県を代表とする民権家 11:54
石阪昌孝の子どもたち
石阪美那(長女)、北村透谷(美那の夫)、石阪公歴(長男)、石阪登志(三女)
神奈川県内の自由民権運動に関わった主な結社
天賦人権思想
民権運動の拡大 演説会・新聞・雑誌
活版印刷機:アルビオン型手引印刷機(明治10年ごろ製作)
自由民権運動がもたらしたもの
明治22年2月11日「大日本帝国憲法」発布と明治23年7月「衆議院議員選挙」、
明治23年11月「帝国議会」開催
錦絵「国会議員会議之図」明治23年8月3日
錦絵「高知県民吏両党の激戦」、天民居士「自由演舌言論規範」、「憲法発布都下賑」
錦絵「高知県民吏両党の激戦」
高知で起きた民党(民権派政党)と吏党(政府寄りの政党)の暴力事件を描写。
第2回総選挙では官憲・吏党による民党への選挙干渉があった。
女性の権利も語られ始める
岸田俊子、影山英子
中島(岸田)俊子「湘烟日記」、福田(影山)英子「妾の半生涯」、深間内基訳「男女同権論」、尾崎行雄訳「権利提網」
今につながる政治と文化
鈴木安蔵起草「憲法改正要綱」
植木枝盛らの憲法草案研究・民権思想研究に取組み、それを参考にした。
鈴木安蔵著「明治憲法と新憲法」「民主憲法の構想」、日本国憲法と英訳日本国憲法、
衆議院選挙の制度の移り変わり
三多摩移管 神奈川から東京へ
明治26年4月、玉川上水管理の課題もあり三多摩は東京府管轄となった。
明治政府の四民平等と山上卓樹揮毫の掛け軸
士農工商、賤民階級(穢多、非人):制度上は撤廃されたが差物感情は簡単には無くならない。南多摩の被差別部落では、クリスチャンになった山上卓樹・山口重兵衛らが自由民権運動に参加した。キリスト教や自由民権運動の自由・権利・平等の思想に共感したのであろう。
「山口重兵衛翁建碑記念」記念小冊子、「教会新築記念」絵葉書

旧石器時代:日本列島に人類が到達したのは約4万年前の氷河期。
町田市最古の石器:石刃 木曽森野遺跡
槍先に使われた石器:尖頭器 約21,000年前 忠生遺跡B地区
右:深鉢形土器(隆起線文土器)縄文時代草創期(約14,000年前)なずな原遺跡
中央:町田市指定有形文化財 異形土器(クルミ形土器)
縄文時代中期(約5,400年前)木曽中学校遺跡
左:町田市指定有形文化財 深鉢形土器 
縄文時代中期(約5000年前)忠生遺跡B地区19号住居跡出土
縄文時代:狩猟採集のくらし 
縄文時代の集落:縄文時代中期 忠生遺跡A地区1地点
弥生時代:市域の大半が丘陵地で稲作に適さないため、この時代の遺跡は少ない。
深鉢形土器 縄文時代中期(5400年前) 木曽中学校遺跡木曽西出土
弥生時代の土器 
縄文時代と弥生時代の復元された住居 本町田遺跡
古墳時代・横穴墓の行盛、奈良・平安時代・丘陵地の開発
古墳時代、市域で確認されている古墳は円墳2基であるが、崖面に横穴を掘って埋葬施設にした横穴墓は数多く発見されている。
奈良・平安時代、市域の大半は武蔵国に入る。丘陵斜面を利用した瓦や須恵器を焼く窯が数多く作られた。奈良時代の窯跡:三輪瓦窯跡、平安時代の集落:忠生遺跡A地区2地点
須恵器 フラスコから瓶 古墳時代(7世紀)能ヶ谷香山古墳群出土
耳環・丸玉 古墳時代(7世紀)忠生根岸山横穴墓群出土
頭大刀 古墳時代(7世紀)西谷戸横穴墓群出土
切羽、鍔、鞘尻金具、責金具 古墳時代(7世紀)西谷戸横穴墓群出土
東京都指定史跡 武士の館跡 室町時代(15世紀) 小山田1号遺跡
町田市指定有形文化財 能ヶ谷出土銭 能ヶ谷出土銭遺跡
水道工事中に約9万枚の銭貨が出土、大半が渡来銭。
能ヶ谷出土銭の一部
野蔦(野津田)郷のくらし
北条氏照朱印状(1562年8月4日) 室町時代
野津田・小野路 歴史散策MAP
江戸時代 江戸近郊地域として市域には27の村があった。
兵農分離により村には武士がいなかった。
野津田村絵図 天和2年(1682)9月20日
明治・大正時代
町村の分合・改称による新村区域(明治22年)
明治17年に設置された連合戸長役場は複数の町村事務を担うことになり、
役場は目が回るほど忙しい!「眼を回す機械」明治18年9月5日
町田市域の行政管轄の沿革
明治26年(1893)4月、神奈川県から東京府へと移管された。
脱穀機 イノウヘ式ユタカ號 井上第一工場製(東京府町田町)
各博覧会において一等賞受領
町田市立自由民権資料館 12:43
町田市立自由民権資料館 12:43

本町田遺跡公園
本町田遺跡公園駐車場 12:58
本町田遺跡公園駐車場 12:58
弥生が丘自治会館 自主防災隊倉庫
弥生が丘ガイドマップ
東京都指定史跡 本町田遺跡 12:59
1967年の発掘調査で 約5,500年前の縄文時代前期の住居跡が4軒、そして約2,000年前の弥生時代中期の住居跡が7軒発見された。
多摩丘陵地の複合集落であったことが認めれれて、遺跡公園として整備・保存され、1992年に東京都の指定遺跡になった。
縄文土器 獣面把手 13:00
本町田遺跡公園内の多目的施設にて
顔面把手 縄文時代中期 13:01
本町田遺跡公園内の多目的施設にて
浅鉢形土器(諸磯a式土器) 縄文時代前期 
本町田遺跡公園内の多目的施設にて
深鉢形土器(諸磯a式土器) 縄文時代前期 
本町田遺跡公園内の多目的施設にて
弥生土器 壺 
本町田遺跡公園内の多目的施設にて
東京都指定史跡 本町田遺跡パンフレット
東京都指定史跡 本町田遺跡パンフレット
本町田遺跡公園 13:06
手前:弥生復元住宅(Y-3)、後方:縄文復元住宅(J-2)
2011年12月、復元住宅の建て替え、公園整備、多目的施設の建設完了
東京都指定遺跡 本町田遺跡 1967年撮影
1967年の発掘調査で約5500年前の縄文時代前期の住宅跡が4軒と
約2000年まえの弥生時代中期の住宅跡が7軒発見された複合遺跡。
東京都指定遺跡 本町田遺跡(上空北より:上が南になる)
東京都指定遺跡 本町田遺跡公園案内図 
本町田遺跡公園 手前:縄文時代前期住宅跡(J-3)13:06
後方:弥生時代中期住宅跡(Y-4)、奥の建物:多目的施設
本町田遺跡公園 縄文時代前期住宅跡(J-4)13:06
弥生復元住宅(Y-3) 13:07
弥生時代中期住宅
弥生復元住宅(Y-3)説明板

弥生復元住宅(Y-3)内部 13:08
住居の内部に4本立っている主柱横木加工して組ませて強固なつくりにしている。
壁面部分は板の製作が可能になり密接に壁をつくることができ、水や害虫などの侵入や土壁が崩れるのを防いでいた。炉の上に保存食用の燻製用の棚がある。
手前:弥生時代中期住宅跡(Y-2)、後方:弥生時代中期住宅跡(Y-1) 13:08
弥生時代中期住宅跡(Y-5) 13:08
本町田遺跡公園 13:09
本町田遺跡公園 縄文復元住宅(J-2)
2011年12月、復元住宅の建て替え、公園整備、多目的施設の建設完了
手前:弥生時代中期住宅跡(Y-7)、後方:縄文時代前期住宅跡(J-1)
本町田遺跡公園 縄文復元住宅(J-2)説明板
本町田遺跡公園 縄文復元住宅(J-2)内部
住居の内部に4本立っている主柱は叉木の丸太をそのまま使い、横木は植物のつるで縛って固定している。壁面部分は枝を集め編むようにして水や害虫などの侵入や土壁が崩れるのを防いでいた。
本町田遺跡公園 縄文復元住宅(J-2)内部 13:10
炉の上に保存食用の燻製用の棚がある。
本町田遺跡公園周辺住宅 13:09
ニワゼキショウ(庭石菖)アヤメ科 13:13
芝生や草地などに群生する。花期は5月から6月で、直径5mm程度の小さな花を咲かせる。
花弁は6枚に分かれる。花色は赤紫のものがあり中央部は黄色である。
ニワゼキショウ(庭石菖)アヤメ科
本町田遺跡公園 正面:弥生復元住宅(Y-3) 13:14
手前:縄文時代前期住宅跡(J-1)、右後方:多目的施設
弥生復元住宅(Y-3) 13:15
本町田遺跡公園多目的施設 13:19
2011年12月、復元住宅の建て替え、公園整備、多目的施設の建設完了
本町田遺跡公園多目的施設・ガイダンスルーム 13:19
本町田遺跡公園前の住宅 13:19
本町田遺跡公園駐車場 13:22
旧町田市立博物館 13:24
1973年町田市郷土資料館として開館した。1976年町田市立博物館に改称した。
施設老朽化などにより2019年6月16日一般公開を終了した。
LAWSON+スリーエフ 町田多摩境店 14:03
LAWSON+スリーエフ 町田多摩境店 14:03
昼食を田端環状積石遺構のベンチで食べるためパンや飲み物を購入

町田市田端環状積石遺構
町田市田端環状積石遺構公園 14:11
町田市田端環状積石遺構公園 14:11
田端・田端東遺跡 説明板 14:11
東京都指定史跡 町田市田端環状積石遺構
1968年、畑を耕作中に偶然発見された。
縄文時代後期から晩期(約3500年から2800年前)の墓地・祭祀場。
30基の集団墓地が形成された後、
その上に縦9メートル、横7メートルの環状積石遺構(ストーンサークル)が作られた。
東京都指定史跡 町田市田端環状積石遺構 説明板
東京都指定史跡 町田市田端環状積石遺構 説明板
町田市田端環状積石遺構 14:11
田端環状積石遺構 14:11
田端環状積石遺構 14:12
東京都指定史跡 町田市田端環状積石遺構 14:12
東京都指定史跡 町田市田端環状積石遺構 14:13
町田を代表する遺跡「田端環状積石遺構」 12:20
縄文時代後期~晩期(約3600~2800年前)田端環状積石遺構
東京都指定遺跡 田端環状積石遺構 昭和43年(1968)調査時撮影
舟形土器、注口土器、鉢形土器 縄文時代後期(約3600年前)田端環状積石遺構 
石棒 縄文時代後期~晩期(約3600~2800年前)田端環状積石遺構 
中空土偶頭部 縄文時代後期(約3400年前)田端環状積石遺構に隣接する田端東遺跡出土
勾玉・玉(ヒスイ製)縄文時代後期~晩期(約3200~2800年前)田端環状積石遺構 
大珠 縄文時代後期~晩期(約3800~2800年前)田端環状積石遺構 
町田市田端環状積石遺構公園 14:13
町田市田端環状積石遺構公園 14:21
軽い昼食としてコンビニで購入したパンや飲み物を食べた。
町田市田端環状積石遺構公園ー(徒歩)ーLAWSON+スリーエフ 町田多摩境店

町田市田端環状積石遺構(昼食)14:21・・15:15自宅ー(徒歩)ー15:24日の出イオン
日の出イオン 15:24
日の出イオン 15:24
日の出イオン 中華料理「紅虎餃子房」 15:27
中華料理「紅虎餃子房」 15:27
中華料理「紅虎餃子房」メニュー
3人で懇親会、会費1人3,000円(生ビール、中華料理、紹興酒等)
日の出イオン(解散)17:35

旧都立秋川高校のメタセコイア並木 17:41
1965年、開校に際し植えられたメタセコイア、「あきる野市百景」にも選ばれている。
帰宅17:50