2025年4月11日(金)
薄曇りで桜吹雪の時期、国立科学博物館で開催中の
特別展「古代DNA-日本人がきた道ー」を見学してきた。
昼食として上野精養軒で不忍の池を見ながらハヤシライスやビーフシチューを食べた。
2025.3.15(土)~6.16(日)
NHK放送 2025.4.6 pm11:30~11:59(約30分)
出土地:沖縄県石垣島、白保竿根田原洞窟遺跡
国内最古の人骨
白保竿根田原洞窟遺跡4号人骨 複顔
30代から40歳前後の男性、身長165.2cm
デジタル復元とDNA解析複顔により、生前の顔貌を再現した。
研究課題名:
石垣島・白保竿根田原洞穴遺跡から出土した更新世人骨の骨形態学的研究
研究代表者: 河野 礼子 (KONO, Reiko) 慶應義塾大学・文学部(日吉)・教授
研究期間: 令和3年~令和5年、交付決定額: (直接経費) 13,200,000円
・白保4号頭骨は、ベトナムの旧石器時代人骨との類似性が認められる一方で、
地理的に近い港川1号とは異なる形態を示し、
白保2号および3号頭骨とは異なる形態を示すことが明らかになった。
・旧石器時代の琉球列島人にはある程度の形態変異があったことが示唆された。
出土地:北海道礼文島、船泊遺跡
DNA情報に基づいて作成された。
白保の旧石器人から縄文人に受け継がれているゲノムは半分以上を占めるが、
縄文人のもつゲノムの残りはロシア連邦沿海州の古人骨と共通するものであった。
このことは縄文人の起源が単一ではなく、複数の経路から列島に流入したことを示している。
通称:青谷上寺朗(あおや かみじろう)
DNA分析によって、縄文人とは遺伝的特徴が異なり、現代日本人と遺伝的に近い。
髪の毛が太くて黒々していることも判明した。
出土地:広島県、山ノ神1号墳
弥生時代に北部九州から始まった渡来系集団の拡散は、在来の縄文系集団を巻き込む形で進み、両者が混合することで現代日本人の遺伝的な特徴が完成する。
これまで、本土日本では在来集団と渡来系集団の混血は、弥生時代に完成すると考えられてきたが、全国から出土する古墳時代のゲノムを比較すると、多くは現代日本人の範疇に含まれるが、地域によっては縄文人から受け継いだ遺伝子を多く持つ個体も存在することが判明した。
この時代になっても、本土日本の集団の遺伝的な特徴には大きな地域差が存在し、
混合の歴史がさらに続くことが示唆されている。
右:鎌倉時代男性頭蓋 神奈川県極楽寺遺跡
池之端七軒超遺跡の複顔
縄文、弥生、古墳時代の遺跡から出土した人骨のゲノム解析した結果、
祖先比率は縄文人と沖縄の人々の間に高い遺伝的親和性があるとの以前の研究とも一致し、
関西地方は漢民族と遺伝的親和性が高いことが明らかになった。
また、東北系も縄文人との遺伝的親和性が高く、沖縄県・宮古島の古代日本人や
韓国三国時代(4~5世紀)ごろの古代韓国人に近かった。
日本人の祖先は主に、沖縄県に多い「縄文系」、関西に多い「関西系」、
そして東北に多い「東北系」の3つに分けられることが分かった。
さらに調べると縄文系の遺伝情報の割合(祖先比率)は沖縄県が一番高く28.5%、
次いで東北で18.9%、関西では最も低く13.4%だった。
現代人の祖先はネアンデルタール人やデニソワ人と交雑したとされている。
一連のゲノム解析では、現代の日本人にネアンデルタール人やデニソワ人から
受け継いだとみられるDNA配列も見つかっている。
現代の日本人は大陸から渡ってきた3つの集団を祖先に持つことが分かった。
人骨のゲノム解析から「三重構造モデル」提唱
理化学研究所 生命医科学研究センターゲノム解析応用研究チーム、東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センター 、静岡県立総合病院、静岡県立大学薬学部 発表
理研とは別に金沢大学などの研究グループは遺跡から出土した人骨のゲノム解析から
「現代日本人は大陸から渡ってきた3つの集団を祖先に持つ」と発表し、
「三重構造モデル」を提唱している。
ゲノム解析で、現代日本人につながるプロセスは弥生時代で止まっておらず、
古墳時代まで延びることが分かった。縄文人のゲノムは全て読めているので、
本州の日本人では(平均)10%が縄文人の遺伝子で
90%は弥生時代以降入ってきた遺伝子である。
古代人の謎を解く分析技術
古代DNA分析用のサンプル
写真:白保竿根田原洞窟遺跡での調査の様子
DNAの抽出法
次世代シーケンサー(NGS)を使ったDNA解析
次世代シーケンサー
NextSeq 2000(Illlumina社製)スループット10~540Gb
約20,000,000円~約80,000,000円
2体の人骨から抽出したDNA配列をヒト常染色体に貼り付けた様子を示している。
上段の人骨DNAは、保存状態が良かったので多数の配列が同一の部位に張り付いているが、
下段の人骨ではほとんど貼りついた配列が無い。
このような場合は得られる情報は極端に少なくなる。
原子と同位体
炭素14年代法
炭素14年の半減期:約5700年
食性分析:ヒトが生前何を食べていたか推定する
2025年4月11日(金)
自宅8:00・・秋川駅8:16ー(五日市線・青梅線)ー8:44立川駅8:53ー(中央特快)ー9:36神田駅9:40ー9:45上野駅・・9:50国立科学博物館(10:00特別展古代DNA12:00)・・12:21上野精養軒13:20・・13:36アメ横商店街・・13:58晩杯屋15:12・・15:25上野駅ー東京駅16:04ー(快速青梅行き)ー17:13拝島駅(いろり庵きらく蕎麦)17:29ー17:37秋川駅・・(小雨)・・17:50自宅
東京科学大学(Insitutute of Science Tokyo):
2024年10月1日に東京工業大学と東京医科歯科大学が統合して誕生した大学
上野駅公園口 9:49
国立科学博物館 9:53
1980年代に古人骨にもごく僅かなDNAが残っていることが明らかになった。
その分析が始まったが、その後の約20年間は技術的な制約で、
母親から受け継がれるミトコンドリアのDNA分析を対象としていた。
2006年に「次世代シーケンサー(NGS)」と呼ばれる画期的なDNA解析機器が実用化され、
古人骨の核DNAの分析も可能になった。
核DNAは人体の設計図とも言われ両親から受け継がれる。
そのため母系に遺伝するミトコンドリアDNAと比べ、
はるかに多くの情報を得ることが可能である。
古代人の髪や目、肌の色のほか、どんな病気にかかりやすかったかまでも
明らかにすることができるようになった。
また、詳細な遺伝情報を得ることができるようになった事で、
これまでの化石の形態研究で分らなかった我々ホモ・サピエンスの起源や
世界の広がりの道筋、人類集団の形成過程の研究なども進んでいる。
DNAは、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基と
呼ばれる化学物質が連なって対をなす二重らせん構造をとっている。
その配列でアミノ酸の並び順が決まり、生命活動を支えるうえで重要な物質であるタンパク質が作られる。
遺伝子はたんぱく質を作る設計図で、DNAはその設計図を書く文字にあたる。
そしてゲノムは、ある生物がもつ遺伝情報の全て、つまり全体の設計図といえる。
この設計図を1冊の本に例えると、「文字」にあたるのがDNA、「文章」にあたるのが遺伝子、
そして「本」にあたるのがゲノムになる。
ヒトのDNAの塩基対数は約30億~32億個、遺伝子数は約2万3千個と言われている。
古代DNA 会場マップ
第4章 国家形成期の日本、第5章 南の島の人々、第6章 北の大地の人々
日本人のきた遥かなる道とは
国立科学博物館長 篠田謙一
国立歴史民俗博物館名誉教授 藤尾慎一郎
第1章 最初の日本人
ホモ・サピエンスは約4万年前に日本列島に到着した。
この最初の日本人の姿は謎に包まれているが、近年、沖縄県石垣島で2万7千年前の人骨が発見され、古代ゲノム解析でノーベル賞を受賞したスバンテ・ペーボ博士のグループと共同研究が進んでいる。
新石垣空港 (南ぬ島 石垣空港)建設に伴う調査で人骨が発見された。
沖縄県石垣島、白保竿根田原洞窟
白保竿根田原洞窟遺跡4号人骨(男性) 10:17
旧石器時代、約2万7千年前、国内最古の人骨、白保人とも呼ぶ
出土地:沖縄県石垣島、白保竿根田原洞窟遺跡
白保竿根田原洞窟遺跡4号人骨 複顔 10:19
30代から40歳前後の男性、身長165.2cm
デジタル復元とDNA解析複顔により、生前の顔貌を再現した。
白保竿根田原洞窟遺跡4号人骨 複顔像
縄文人骨からわかること 10:27
船泊遺跡23号人骨 複顔
DNA情報に基づいて作成された。
白保の旧石器人から縄文人に受け継がれているゲノムは半分以上を占めるが、
縄文人のもつゲノムの残りはロシア連邦沿海州の古人骨と共通するものであった。
このことは縄文人の起源が単一ではなく、複数の経路から列島に流入したことを示している。
白保の旧石器人から縄文人に受け継がれているゲノムは半分以上を占めるが、
縄文人のもつゲノムの残りはロシア連邦沿海州の古人骨と共通するものであった。
このことは縄文人の起源が単一ではなく、複数の経路から列島に流入したことを示している。
第2章 日本の基礎集団
縄文時代の人と社会
縄文時代は、日本列島域で土器が出現したおよそ1万6千年前から、
九州北部で水田稲作が登場した2900年ほど前まで続いた。
人骨に残されたDNAの解析技術が飛躍的に向上し、
縄文人の実態が明らかにされつつある。
①深鉢 縄文晩期、3100年前、②浅鉢 縄文晩期、3200年前、③台付鉢 3200年前
長野県栃原岩陰遺跡KA-1号人骨
長野県栃原岩陰遺跡出土
左:蝦島貝塚57号人骨、右:蝦島貝塚58号人
縄文晩期、2700年前、岩手県蝦島貝塚出土
男女からなる縄文時代の世界観
縄文後期、4400年前、東京都西ヶ原遺跡出土
縄文後期、4200年前、長野県西近津遺跡出土
縄文晩期、3000年前、青森県槻の木遺跡出土
内部からイノシシの骨と歯が出土した埋設土器
縄文中期、5000年前、東京都宮田遺跡出土
縄文晩期、2400年前、岩手県杉沢遺跡出土
ツキノワグマを模したものと考えられている。
縄文系弥生人
大友遺跡3号人骨(男性)、弥生前期、紀元前7世紀、佐賀県大友遺跡出土
渡来系弥生人
横隈狐塚遺跡ST-110人骨(女性)、弥生中期、紀元前2世紀、佐賀県大友遺跡出土
第3章 日本人の源流
水田稲作が始まった弥生時代は、縄文人とは見た目だけでなく、
DNAや考え方が異なる朝鮮半島青銅器文化人の登場で幕を開ける。
そして、1000年あまりで現代日本人のDNAがほとんど出揃ったことがわかった。
弥生早期、紀元前9世紀、福岡県新町遺跡出土
伊勢湾沿岸地域の水田稲作民の土器と農耕具(紀元前6~前5世紀) 10:50
青谷上寺地遺跡8号人骨 復顔 通称:青谷上寺朗(あおや かみじろう)
DNA分析によって、縄文人とは遺伝的特徴が異なり、現代日本人と遺伝的に近い。
髪の毛が太くて黒々していることも判明した。
弥生後期、2世紀、鳥取県青谷上寺地遺跡出土
古墳前期、4世紀、広島県山ノ神1号墳出土
4章 国家形成期の日本
古墳時代に入るとヤマト政権が誕生し国家成立へ動き出した。
日本列島にやってきた渡来人が須恵器生産・鉄器生産・馬の飼育などの技術を伝え、
国づくりを支えた。
古墳時代の人々のゲノムは、現代の日本人に近い事は分かっているが、
縄文系のDNAを色濃く残す人々もおり、多様なDNAを持つ人々の集合だった。
古墳中期、5世紀、大阪府蕃上山古墳出土
馬具:古墳中期、5世紀、庫県行者塚古墳出土
初期須恵器と陶質土器
古墳中期、5世紀、大阪府大庭寺遺跡出土
古墳中期、5世紀後葉、岡山県天狗山古墳出土
須恵器人形:奈良時代、8世紀、兵庫県白沢5号窯跡出土
渡来人の姿、楽人の姿
古墳中期、5世紀、和歌山県磯間岩陰遺跡出土
3号人骨:女性熟年、4号人骨:男性壮年
東日本大震災で大被害を受けた石巻文化センターに保管されていた
重要な標本を国立科学博物館が修復と保全処理を行った。そののち返還した。
和歌山県磯間岩陰遺跡や宮城県五松山洞窟遺跡と共通する要素があり、
交流関係があったと考えられる。
岡山県久米三成4号墳、4世紀末の前方後円墳の箱式石棺に4体が埋葬されていた。
TOPIC1 イヌのきた道
遺跡から出土した骨の証拠から、日本列島では縄文時代には犬がいたことがわかっている。最近のDNA研究で、イヌのグループにもっとも近縁なオオカミはニホンオオカミであること、イヌの先祖が東アジア起源であることはわかっている。
イヌのグループは東アジアで誕生し、その後東西ユーラシアに分かれた。
そしてその後、東アジアのイヌの先祖が大陸にいたニホンオオカミの先祖と交雑したので、
現在の東アジアのイヌは、ニホンオオカミの先祖のゲノムを2~3%ほど持つことになった。
ユーラシア大陸東側のイヌのグループの一つが1万年ほど前の縄文時代に日本列島に渡来し、7000年間他のイヌと混ざらず系統を維持した。
それ以来、狩猟採集生活を行っていた縄文時代から水田稲作を行う弥生時代の初めに、ヒトの移動と共に異なる系統のイヌも渡来して在来のイヌと混じり合った。
そして江戸時代から今に至るまで、イヌはヒトの社会の中に生き、
それぞれの文化を適用するように変遷していった。
岩手県産ニホンオオカミの剥製 1888年
弥生時代のイヌ
イエネコはイヌと同様に人と関わりの深い動物である。
日本には弥生時代に持ち込まれたという説があるが、近年の分析では現代の日本猫の多くが平安時代前後に持ち込まれたネコを先祖とすることが分ってきた。
日本ネコの先祖は、いつ日本にやって来たか?
長崎県壱岐のカラカミ遺跡から、国内最古のイエネコとされる骨が出土している。
現代日本猫のDNA分析した結果、平安時代頃から数が増え始めたことが判った。
このことからカラカミ遺跡の猫は、現在のイエネコの直接の先祖ではないと考えられている。
動物足付須恵器:古墳時代末期、兵庫県見野6号墳出土 11:09
中世以降の日本猫
イエネコは遺伝的に3つの集団に分けられる。
①中東・アフリカ系、②欧州・米国系、③アジア系
現代日本猫は、アジア系と欧州・米国系の混血である。
第5章 南の島の人々
歴史的に「南島」と呼ばれる琉球列島は亜熱帯、黒潮、サンゴ礁が特徴で、
新石器時代には自然を生かした南島型の縄文文化が花開いた。
弥生時代に福岡平野の弥生人が南島特産の大型巻貝の腕輪を作り始め、九州・沖縄間に貝殻を交易する海上ルートが誕生した。1000年にわたる海上往来は人々のDNAに影響した。
古代DNAの研究によって琉球列島と北海道は、
それぞれに異なる集団の形成史があることが明らかになりつつある。
琉球列島では、縄文時代には本土との遺伝的な違いはそれほどないが、
その後の貝塚時代後期(弥生~平安併行期)以降には、
徐々に渡来系集団の影響を受けて変化し、
グスク時代以降には現在の沖縄の人たちと変わらないゲノム構成が
完成したことが示唆されている。
また渡来系集団の移入が遅れたことが原因で、
琉球列島の現代人は縄文系の遺伝子を本土集団より多く保持している。
弥生早期併行期、紀元前9世紀、鹿児島県面縄第1貝塚出土
縄文後期末~晩期初め、3300年前、鹿児島県・宝島大池B遺跡出土など
交易開始の最前線ー弥生前期~中期ー
貝塚後期(弥生前期~中期併行)、沖縄県木綿原遺跡出土
鹿児島県薩摩半島にある高橋貝塚(紀元前7世紀~前3世紀の弥生遺跡)は、
奄美群島、南部九州、北部九州、西北九州沿岸の貝交易の中心地と考えられている。
弥生時代ー4世紀の大和政権ー5~6世紀の豪族ー6~7世紀の古代国家ー貝交易の終焉
海人の船(準構造船) 日本最古級の船の舷側板
https://www.shigesai.net/entry/2020/08/15/000000
貝交易の終焉とその後ーヤマト人南下の嵐ー
7世紀後半で貝交易の終焉、10~12世紀に南島の物産でヤマト・南島間で人的交流が再開。
この中で南島に麦作・稲作が伝わり狩猟採集社会から農耕社会へと一気に変わり、
沖縄は琉球国へと独自の歩みを始める。
第6章 北の大地の人々
日本列島北部では約2400年前に稲作農耕をしない「続縄文文化」が誕生したことをきっかけに、本州島以南とは異なる文化的変遷をたどり「アイヌ文化」に至った。
人のなりたちに於いては、縄文時代から19世紀半ばまで南北双方でわずかに遺伝的交流があるものの、縄文人の形質・遺伝子を色濃く受け継いでいる。
DNAが語るアイヌへの道すじ
アイヌは12世紀には成立されたとされているが、それ以前の集団形成の過程は、
文献資料がないために明確ではない。しかし、DNA分析が進んだことで、
彼らは北海道の縄文人をベースとしながら、その後の歴史の中で、
本土日本や沿海州の集団からの影響も受けつつ誕生したことが分かってきた。
これまでアイヌは、日本列島の周辺で孤立して成立した集団という見方をされてきたが、
それは誤りである事も明らかになった。
アイヌ集団には、現代の本土日本人に10から20%ほどしかいない縄文人の遺伝子が
70%近く伝わっており、最も縄文人に近い集団である。
約6000年前の貝層から14体の埋葬人骨、鯨骨製骨刀、鹿角製匙形製品などが出土
装飾豊かな続縄文文化の製品
骨角器の文様:玉抱き三叉文、三叉円文、V文字、I文字、T文字、平行刻線文、交互刻線文
続縄文前半期、2000年前、北海道有珠モシリ遺跡出土
イモガイ製腕輪:続縄文前半期、2000年前、北海道有珠モシリ遺跡出土
オホーツク文化の流入
クマ骨偶:8~9世紀、北海道トコロチャシ跡遺跡出土
8~9世紀、北海道トビニタイ遺跡出土
有珠4遺跡出土品:エムシ(太刀)、アイ(矢)、キセリ(煙管)
伊達市カムイタプコプ下遺跡の遺構配置(1640~1663)
http://archives.tuad.ac.jp/wp-content/uploads/2021/07/tuad-iccp-R2bulletin-5-soeda.pdf
7世紀、北海道伊達市カムイタプコプ下遺跡出土
人間史
約700万年前にヒトは生まれた。
アフリカ東部のエチオピアでは、約19万5千年前のホモ・サピエンスの化石が発見されている。しかし、モロッコのジェベル・イルード遺跡で発見された頭蓋骨などが約31万5千年前のホモ・サピエンスの化石であるとされる研究結果が報告されている。
この研究に関する論文が英科学誌ネイチャーに2件掲載されている。
約6万年前にホモ・サピエンスはアフリカを離れ世界各地へ広がった。
約3万8千年前に日本列島に着いた。
国立科学博物館 12:09
上野公園・国立科学博物館前 12:11
2025.4.11(FRI)~4.13(SUN)10:00~18:00
シタマチ.スプリングフェスタ「ウエノデワンワン」
2025.4.11(FRI)~4.13(SUN)10:00~18:00
西洋料理の草分けとして、明治5年に創業した精養軒を代表する味「ドミクラソース」
ハヤシライス(Hashed beef rice) 1,850円
上野公園前交差点・京成上野駅付近 13:36
アメ横商店街 13:36
15:25上野駅不忍口ー東京駅16:04ー(快速青梅行き)ー17:13拝島駅(いろり庵きらく蕎麦)17:29ー17:37秋川駅・・(小雨)・・17:50自宅
わかめ蕎麦(温) 500円
拝島駅(いろり庵きらく蕎麦)17:29ー17:37秋川駅
ソメイヨシノ満開・南の空雨雲で黒い
ユリノキの芽吹き
秋川駅17:41・・(途中で雷と雨)・・17:50自宅