2025年10月1日(水)~6日(月)前泊含めて4泊6日
クロアチア旅行でご一緒した習志野市のご夫妻と、私たち夫婦も「3つの世界遺産を訪ねる充実のベトナム中部5日間」(株式会社JTB旅物語・コースNo.S1850-0)に参加した。このツアーは添乗員が同行しない形式で、現地ガイドが案内してくれるスタイルであった。参加者は22名。
10月のベトナムはまだ暑く、日中は30℃を超える日もあったが、天候には恵まれ、雨に降られたのは一日だけであった。ダナンでは同じホテルに3連泊できたため、移動の負担も少なく快適であった。
世界遺産はミーソン遺跡、ホイアン旧市街、フエの歴史的建造物の3か所を訪れ、どれも見応えがあった。
ベトナム料理もとても美味しく、旅の楽しみを一層引き立ててくれた。
現地ガイドのVuさんは、日本に留学経験があり、日本語も堪能で、熱心に案内してくれて大変助かった。また脚の不具合の方々にも配慮し丁寧に対応していた。
今回の旅は、内容・天候・食事・ガイドすべてにおいて満足度が高く、心に残る素晴らしいツアーであった。
費用 約314,016円/2人
旅行代金:260,360円/2人(10月2日出発、8月28日申込)
(内訳1人分)旅行代金109,800円、成田空港施設使用料3,160円、海外空港税3,220円、
燃油サーチャージ13,000円、国際観光旅客税1,000円
前泊ホテル代:8,400円(10月1日)アートホテル成田
駐車場料金:1,500円(5日間)アートホテル成田
高速道路料金:8,080円(往復)八王子IC~(中央道・首都高・東関道)~成田IC
ガソリン代:1,796円(246.8km÷22.4㎞/l)*163円/l≒1,796円
海外旅行保険:13,880円/2人(6日分)ジェイアイ傷害火災保険株式会社(t@bihoたびほ)
両替:20,000円(3,480,000VND)ビール代、果物(マンゴスチン、ぶどう)、土産代など
2025年10月1日(水)
前泊
前泊
自宅14:25~八王子IC15:11~(中央道・首都高・東関道)~16:43成田IC~16:52アートホテル成田
アートホテル成田 16:52
成田周辺ホテルで唯一の天然温泉あり(700円)、旧名:成田ビューホテル
前泊:成田国際空港第一ターミナル午前7時集合
アートホテル成田・フォレストガーデン 19:01
2025年10月2日(木)
成田出発、ダナン市内観光
アートホテル成田6:30発~(アートホテルシャトルバス)~6:44成田国際空港第一ターミナル
PriorityPass利用
成田国際空港9:00(日本時間)~(約5時間40分)~12:40(現地時間)ダナン国際空港
時差2時間
観光バスから撮影
ダナンのシンボル!黄金色の龍がハン川をまたぐようにデザインされたこの橋は、全長666m、2013年に完成。週末の夜に開催されるファイヤーショーは、ドラゴンの口から火と水が噴き出す、火は2回各2分ほど、そして水は3回各30秒ほど噴射される。橋の上から見ると迫力満点だが、水に濡れる可能性がある。
ダナン市の中心部に位置する活気あふれる観光市場で、地元の人々と観光客が入り混じるにぎやかなスポット
ネオゴシック様式カトリック教会で、1923年から1924年にかけてフランス統治時代に建設。
尖塔の上に鶏の風見鶏があるので「チキン教会(Nhà Thờ Con Gà)」とも呼ばれている。
San Tra Beach(Bãi biển Sơn Trà)付近 15:00
ベトナムの伝統的な漁船であるココナッツボート
竹を編んで作られ、タールや樹脂で防水加工が施されている。
最近のココナッツボートはガラス繊維樹脂で出来ている。
沖合に漁船が多く停泊している。
ソンチャ半島にあるリンウン寺(Chùa Linh Ứng) 15:17
2010年7月30日に創建された比較的新しい寺院
盆栽の形が壺形をしていて珍しい!
リンウン寺はダナンに3寺院ある。
1.ソンチャ半島(レディ・ブッダ像がある寺院)
2.五行山(水山)(最も歴史ある寺院で、洞窟や仏像が点在)
3.バーナーヒルズ(テーマパーク内にあり、釈迦如来像が特徴)
この3つの寺院を巡ると、ダナン市内を囲む「聖なる三角形」が完成すると言われ、
運気アップのパワースポットとしても人気がある。
過去にダナンが台風などの自然災害で甚大な被害を受けたことを背景に、
「街を守る観音像を建てよう」という願いから建立された。
中国風の影響を受けた多層構造、仏教の宇宙観を象徴しており天界へと続く階層を表す。
ベトナムもコロナ禍の影響を受けて建設が止まったり延期しているところが多いと言う。
「LARUE」ダナンで醸造 @50,000VND
アルコール度4.2%、ハイネケン・ベトナムのブランド
「333」バーバーバー Bier Bia Biere、サイゴンで製造 @50,000VND
アルコール度5.0%、サイゴン・ブリュワリー製造
生春巻き「ゴイクオン」は魚醬ベースのつけだれやピーナッツソースなどをつけて食べる。
マンゴスチン 150,000VND(約860円)/1kg
ぶとう 150,000VND(約860円)/1kg
照明が青・緑・黄・赤と変化する(観光バスより撮影)
2025年10月3日(金)
ミーソン遺跡、ホイアン旧市街観光
ダナンの街のあちこちに韓国語の店を見かける。数百軒以上あるそうだ。
特にミーケービーチ周辺やアントゥン地区では、韓国料理店、美容サロン、カフェ、コンビニ、マッサージ店など、韓国語対応の店舗が集中していて、まるで「ミニ韓国タウン」のような雰囲気がある。これは、ダナンが韓国人観光客にとても人気のある都市で、2025年の上半期だけで100万人以上の韓国人が訪れたという報道もある。その影響で、韓国資本の店舗や韓国語対応スタッフを配置する店が急増している。
ダナン市の象徴的な建築物のひとつ。
単なる行政施設ではなく、都市の未来を体現するランドマークとして設計されている。
ダナン市の24部門・機関・人民委員会が入居し、約1,600人の職員が勤務している。
ベトナムの主な宗教は、約70〜86%の人々が「特定の宗教を持たない」とされている。しかし祖先崇拝や仏教的儀式には参加する人が多い。仏教は大乗仏教で約4〜13% 、フランス統治時代に広まったカトリック教は約6〜7%。また ベトナム発祥の新興宗教・南部タイニン省に総本山がある信者約250万人のカオダイ教や南部アンザン省が拠点がある儒教の影響も受けたホアハオ教 、そして民間信仰と祖先崇拝 などがある。
土葬と火葬につては、かつては土葬が主流であったが、近年は都市部を中心に火葬が一般化している。地方では今も土葬が行われており、2〜3年後に掘り起こして骨を洗い、改葬(sang cát)する習慣がある。家族墓ではなく、一人ひとりに個別の墓を建てるのが一般的。夫婦でも隣同士に並ぶだけで、同じ墓に入ることは少ない。
ミーソン遺跡へ 9:33
TRAIN E-CAR 9:39
ミーソン遺跡まで約1kmの距離を電動シャトルカー(バギー)で行く
料金:入場料に含まれている(150,000VND)
背景にそびえる神聖な山の名前は、マハーパルヴァタ(Mahaparvata)である。
この名前はサンスクリット語で「偉大な山」を意味していて、チャンパ王国の人々にとっては聖なる象徴だった。ミーソン遺跡はその南麓に広がっていて、ヒンドゥー教の宇宙観に基づいた配置がされているとも言われてる。まるで山そのものが神々の住まう場所のように扱われている。インドの聖山「メール山(須弥山)」の象徴とされ、ヒンドゥー教の宇宙観における中心的存在と重ねられていた。インドの聖山信仰では、メール山は神々の住まう場所であり、宇宙の中心。この観念は東南アジアに広まり、各地の王朝が自らの聖地や王都を「メール山の再現」として築いた。
ミーソン遺跡BCD群にて 10:07
ミーソン遺跡BCD群にて 10:10
ミーソン遺跡BCD群にて 10:17
ミーソン遺跡BCD群にて 10:19
ミーソン遺跡BCD群にて 10:19
ミーソン遺跡BCD群にて 10:20
ミーソン遺跡BCD群にて 10:23
ベトナム戦争の痕跡 :爆弾投下跡 10:24
ミーソン遺跡BCD群にて 10:17
ミーソン遺跡BCD群にて 10:19
ミーソン遺跡BCD群にて 10:19
ミーソン遺跡BCD群にて 10:20
ミーソン遺跡BCD群にて 10:23
ベトナム戦争の痕跡 :爆弾投下跡 10:24
遺跡の一部には爆撃の跡が残っていて戦争の歴史も感じられる。
観光用人力車、果物売り
「フルーツの王様」 130,000VND(約750円)/1パック
ベトナム料理店「シトロネラ Citronella」 12:37
ホイアンの揚げワンタン(Hoanh thanh chien) 12:46
「カオラウ(CAU LAU)」 の容器 13:07
容器に穴があいていて箸を刺して休めることができる。
木造の屋根付き橋で、長さ約18m、幅約3m。
ベトナム・日本・中国の建築様式が融合した造形。
橋の中央には小さな祠堂(寺院)があり、災厄から守る神「鎮武北帝」が祀られている。
橋の両端には猿と犬の像があり、建設開始と完成の干支にちなんでいる。
橋の両端には猿と犬の像があり、建設開始と完成の干支にちなんでいる。
旧ホイアン市街散策 15:15
シクンシ「使君子」 15:15
熱帯アジア原産のつる性植物
花の咲き始めは白、そしてピンク、赤へと変化する香りの良い美しい植物
暑さ対策で霧を発生させている
ホイアン市場からトゥボン川(Thu Bon River)に架かるCẩm Nam Bridgeを望む 15:49
福建会館 16:03
中国福建省出身の華僑たちによって建てられた集会所で、
旧市街の中でも最大規模を誇る歴史的建築、創建:1757年
天后聖母(媽祖)を祀る祭壇 16:09
航海安全の守り神として信仰されており華僑の信仰の中心
白い鯉は「純粋」「平和」「繁栄」の象徴として道教や中国文化でも縁起の良いとされている。
天井から吊るされた渦巻き型の線香は長時間香りを絶やさないために大型の渦巻き線香が使われていることが多く、夜通し祈りを捧げるので12時間以上、ものによっては数日〜1か月燃えるものもある。
遠くの音を聞き取る力を持つ神。海の異変や助けを求める声を聞き取る役割。
遠くの出来事を見通す力を持つ神。航海中の危険や嵐を察知する役割。
「海のシルクロード博物館」と呼ばれている。19世紀の古民家を改修して博物館にしたもので、ベトナム伝統建築の中庭や木造の梁がそのまま残っている。
日本・中国・インド・西アジアなどとの交易品である陶磁器、花瓶、食器など約268点が展示されている。
チャム島近海などの沈没船から引き上げられた陶磁器の展示もされている。
ホイアン近海の海底で見つかった沈没船を参考に作った。
肥前焼の陶磁器 16:32
肥前焼の皿:17世紀中頃~後半
肥前焼の碗:17世紀中頃~19世紀
「肥前焼」は、江戸時代に肥前国(現在の佐賀県と長崎県の一部)で焼かれた磁器の総称で、有田焼、伊万里焼、波佐見焼、三川内焼などを含む広い概念。
左:景徳鎮陶磁器(中国16世紀)
ベトナムで発見された窯 16:34
クイリング絵135,000VND($5.4・845円)
細長い紙をくるくる巻いて作ったパーツを組み合わせて絵や模様を表現するアート作品のことで、
日本語では「ペーパークイリング」や「巻き紙アート」とも呼ばれている。
ダナン空港周辺は、ベトナム戦争中に枯葉剤が大量に使用された地域で、深刻なダイオキシン汚染が確認されていた。ダイオキシンによる成長障害は主に胎児期や幼少期の曝露によるものとされている。
メモ帳、観光地グリーティングカード
クイリングノート100,000VND(572円)、クイリングカード80,000VND(457円)
夕陽が眩しい 17:03
願いごとを天に届けるという意味が込められている。
ホワイトローズ、カオラウ、揚げワンタン、シーフード焼きそば
物凄い音量とピカピカ照明で大勢が踊っていた。
旧暦8月15日(2025年は10月6日)を中心に開催される、家族の団らんと子どもたちの幸せを祝う伝統行事。ダナン周辺ではこの時期、伝統と現代が融合した華やかなイベントが街中で繰り広げられる。
ディエン・ゴック地区から19km、約34分
GRANDVRIO CITY DANANG着20:30
シャワーを浴びて、コンビニで購入したビールを飲んで就寝。
2025年10月4日(土)
フエ歴史的建造物群観光
玉子焼き、お粥、米麺、果物など
ダナン市のThanh Khe(タンケー)区 8:11
ダナン国際空港から車で約5分、経済成長が著しい地域、約30,000㎡の大型都市型商業施設が2024年に出店、TTCグループが開発する複合施設あり。ダナン市の新たなシンボルとして、地域の活性化にも貢献することが期待されている。
三日月ジャパニーズリゾート&スパ(Da Nang Mikazuki Japanese Resorts & Spa)
ダナン湾に面した絶好のロケーションで、空港から車で約15分、日本文化とリゾート体験が融合した大型複合施設、日本のホテル三日月グループが経営している。
ダナン湾に面した絶好のロケーションで、空港から車で約15分、日本文化とリゾート体験が融合した大型複合施設、日本のホテル三日月グループが経営している。
近年急速に開発が進んでいる注目のエリア
リエンチュウ港区画の開発
Hoa Hiep Bacは、港湾物流ベルトの一部として位置づけられていて、海港都市エリアの形成が進行中。面積1,258ヘクタール、人口約19,000人規模の都市区画として、港・物流クラスター・住宅地が整備される予定。
Hoa Hiep Bacは、港湾物流ベルトの一部として位置づけられていて、海港都市エリアの形成が進行中。面積1,258ヘクタール、人口約19,000人規模の都市区画として、港・物流クラスター・住宅地が整備される予定。
新ホアカイン工業団地(Expanded Hoa Khanh Industrial Park)
Hoa Hiep BacとHoa Khanh Bacの間に位置する大規模工業団地で、総面積は132.6ヘクタール。ダナン国際空港から約10km、国道1Aから0.5kmとアクセス抜群。保税倉庫、ICD、銀行施設(BIDV、ベトコンバンクなど)も団地内に整備されていて、物流・製造業の拠点として機能している。
Hoa Hiep Bac Ward(ホア・ヒエップ・バック地区) 8:30
Hoa Hiep Bacは、工業・港湾・観光の三位一体型開発が進められていて、ダナン市の北部経済ベルトの中核を担う存在になりつつある。都市計画では、2045年までに国際的な物流・観光・スマート都市の拠点としての役割が期待されている。
全長約6.3kmで、東南アジア最長の陸上トンネル
2000年に着工、2005年に開通、日本のODA(政府開発援助)によって建設。
危険物積載車両、動物運搬車両、二輪車は通行禁止。
バイクや自転車は旧道のハイヴァン峠を通る必要がある。
バイクをバイク搬送トラックに積んでトンネルを通過するサービスが存在する。
現地では「xe tải chở xe máy qua hầm Hải Vân(ハイヴァントンネルを通るバイク運搬トラック)」という。ダナン側の「南料金所付近のバイク搬送ステーション」があり定時運行している。
ハイヴァントンネル(Hải Vân Tunnel) 8:36
かつてはハイヴァン峠越えが必要だった区間を一気に短縮してくれる便利なルートになった。少なくとも1時間は短縮できる。ハイヴァン峠自体も歴史と自然の魅力が詰まった場所で、霧が立ち込める幻想的な風景や、戦争遺跡などもある。
かつてはハイヴァン峠越えが必要だった区間を一気に短縮してくれる便利なルートになった。少なくとも1時間は短縮できる。ハイヴァン峠自体も歴史と自然の魅力が詰まった場所で、霧が立ち込める幻想的な風景や、戦争遺跡などもある。
湾内で真珠養殖が行われている。
湾は外海から守られていて、波が穏やかで水質も安定しているため、真珠貝の育成に適している。アコヤ真珠の養殖は、日本の技術が導入されており、アコヤ貝を使った養殖が行われている地域もある。これは日本の真珠養殖と同じ種類で、光沢が美しい。日本の企業や技術者がベトナム中部の湾岸地域(特にニャチャンやフーコック)で真珠養殖を支援している、ランコウ湾でも同様の取り組みが進められている。
トイレ休憩で立ち寄った喫茶店
B&H Villa - Caféにて 9:01
卵コーヒー、ブラックコーヒーを注文、卵コーヒーを注文してから店員に「コーヒーに卵の黄身が入っているのですか?」とGoogle翻訳で問うと「コーヒーにクリームと卵パウダーが入っています」とGoogle翻訳で答えた。Đầm Cầu Hai(ダム・カウ・ハイ)潟湖 9:50
面積:約112km²(潟湖群全体では216km²)、深さ:平均約1.4m、最大で11m程度
Đầm Cầu Hai(ダム・カウ・ハイ) 9:50
ベトナム中部フエ省のフー・ロック県に位置する東南アジア最大級のラグーンシステム「タム・ザン–カウ・ハイ潟湖群」の一部で、特に最大規模の潟湖として知られている。
カイディン帝廟
ベトナム最後の王朝「阮朝(グエン朝)」第12代皇帝・カイディン帝(在位1916〜1925)のために建てられた壮麗な陵墓。その独特な建築様式と装飾美からフエの帝廟の中でも特に異彩を放つ。中国やベトナムの伝統的な建築様式に加え、フランスのバロック様式が取り入れれれている。フランスから取り寄せた鉄筋コンクリート、中国や日本からの陶器、ガラスなどが使用されている。1920年に着工、カイディン帝の死後も工事が続き、1931年に完成。
カイディン帝は、フランスの影響を強く受け、1922年にはマルセイユの博覧会にも出席した。帝廟建設のために税金を20%引き上げたことで、当時の民衆からは「暴君」とも呼ばれた。宗教的制約が少なかったため、自由な発想で建築様式を選べたとも言われている。
ベトナムでは象は王家の威厳や力の象徴とされていて、
兵士や馬と並んで皇帝を守る存在として配置されている。
皇帝の死後も忠誠を尽くす文官・武官・兵士たちを象徴するために設置された。
西洋と東洋の折衷様式が強く出ていて、衣装や表情も独特。
十字架のような門柱や塔のデザインは、実際にはキリスト教の象徴ではなく、フランスのバロック様式やゴシック様式の影響を受けた建築要素。カイディン帝は1922年にフランス・マルセイユの博覧会に出席し、そこで見た西洋建築に強く感銘を受けた。その結果、自身の帝廟には西洋的要素を大胆に取り入れた。カイディン帝は無宗教的な傾向が強く、仏教・ヒンドゥー教・キリスト教の様式を装飾として混ぜ合わせただけで、信仰の表現ではない。当時のベトナムはフランスの植民地であり、建築資材や技術もフランスから導入されていた。門柱のデザインもその流れの中で生まれた。カイディン帝廟は、人工的で装飾過剰な西洋風建築が特徴で、門柱の形もその象徴のひとつ。
啓成殿の天井に描かれた「九龍」は、まさに皇帝の権威と宇宙的な秩序を象徴する存在。龍はベトナムでも中国文化の影響を受けて神聖な存在とされていて、九という数字は「最大」「完全」を意味する縁起の良い数。つまり、九龍はカイディン帝の威厳と天命を天井いっぱいに表現した。しかもその龍たちはただの装飾じゃなく、まるで空を舞っているような躍動感がある。
モザイク装飾 10:56
内部の啓成殿には、アジア各地から集めた陶器やガラス瓶を砕いて作られたモザイク装飾が施されており、日本のビール瓶の破片も使われている。「NIPPON」や「SAKURA」と書かれたガラス片が埋め込まれていて、アジア各地から集めた陶器やガラスを使って、東洋と西洋の美を融合させた。龍や鳥、花などのモチーフが細かく彫刻されていて、まるで「自然の力が皇帝を守っている」ような演出になっている。カイディン帝はフランス文化に傾倒していたが同時にアジアの素材も積極的に取り入れていて、その結果がこの奇抜で豪華な廟になった。
カイディン帝廟の中でも最も豪華で象徴的な空間の中心に位置していて、まるで「死後の宮廷」の玉座のような存在。王座の上には、カイディン帝の等身大の金箔像が鎮座していて、まばゆいばかりの黄金色に輝いている。像の上には豪華な天蓋(キャノピー)があり、その天井には九匹の龍が描かれている。これは「天命を受けた皇帝が天に守られている」ことを象徴している。この王座は、カイディン帝の派手好き・新しいもの好き・無宗教的な性格が凝縮された場所。伝統的なベトナムの帝廟とはまったく異なり、西洋の宮殿のような装飾と東洋の象徴性が融合していて、まるで「自分だけの世界」を作り上げたような印象を受ける。
この王座の約9メートル下にカイディン帝の遺体が安置されているとされていて、まさに「玉座の下に眠る皇帝」という構図になっている。まさに「死してなお、玉座に君臨する皇帝」。
天井の九匹の龍 11:00
天井の九匹の龍 11:01
カイディン帝廟の啓成殿には、カイディン帝の肖像画が祭壇の奥に掲げられている。
この肖像画は、帝廟の中心的な空間において、皇帝の存在を象徴する重要な要素である。
肖像画は非常に写実的で、カイディン帝の威厳ある姿が描かれている。
西洋の肖像画技法の影響を受けているとされ、フランス滞在時の影響が色濃く出ている。
また、肖像画の存在は他の阮朝皇帝の廟にはあまり見られない特徴でカイディン帝廟の西洋的・個人主義的な性格を象徴しているとも言える。まるで「生前の姿」と「死後の像」が同じ空間に共存しているような不思議な感覚を与える。
カイディン帝廟・石碑のある家からの眺め 11:08
この子は、何なのかな?というような不思議な顔をしていた。とても可愛かった。
フエ市街(Phuong Duc Ward) 11:38
フエ音楽アカデミー(Hue Academy of Music)・オペラハウス(Song Huong performing arts theater)
フエ旧市街を流れる川は フォーン川(Sông Hương)、英語では Perfume River(香水川) と呼ばれている。
秋になると上流で咲く蘭の花が川に落ちて、芳しい香りが漂うことが由来。
初代皇帝ザーロン帝が1805年に「南関台」として建設し、2代目ミンマン帝が1833年に現在の形に改築した。名前の由来は、「午」は南を意味し、南から天下に耳を傾けることで平和が訪れるという中国思想に基づいている。五鳳凰楼(Ngũ Phụng Lâu)という2階建ての楼閣が上部にあり、かつては金箔が施されていたほど豪華だった。歴代皇帝が新年の挨拶や重要な発表を行う場として使われた。
フエまでダナンから約2.5時間、ホーチミンから約22時間、ハノイから約14.5時間かかる。
フエ駅には1日数便の列車が停車する。距離的に時間がかかり過ぎの理由は、昔ながらのディーゼル機関車が使われていて、平均時速は50km未満、フランス植民地時代に建設されたもので、近代化が遅れている、線路の保守状態が悪く、速度を出すと安全性に問題があるため、ゆっくり走るしかない。単線で列車のすれ違いには駅での待機が必要。これらが遅延の原因にもなっている。ほとんどの観光客は利用していないという。
高さ21mの八角七層塔で、フエのシンボル的存在。
1845年にティエウチ王によって建てられ、各層に仏像が安置されている。
霊姥寺・ティエンムー寺(Chùa Thiên Mụ) 11:53
フエ最古の仏教寺院、1601年、広南国の初代君主グエン・ホアンによって創建された。
ある老婆(霊姥)が「この地に偉大な支配者が現れ、塔を建てるだろう」と予言したという伝説に由来する。
福徳と円満を象徴する仏尊であり、弥勒菩薩の化身ともされる存在。
布袋尊のモデルは、中国唐代末期から五代時代にかけて明州(現在の浙江省寧波市)に実在した僧侶「契此(かいし)」、契此が亡くなる直前に詠んだ詩の中で「彌勒真彌勒 分身千百億…」と語ったことから、後世に弥勒菩薩の化身とみなされるようになった。太鼓腹、福耳、満面の笑み、大きな袋を背負った姿が特徴で、見る人に安心感と幸福感を与える存在として信仰されている。
中央:釈迦牟尼仏、釈迦の右側:文殊菩薩、釈迦の左側:文殊菩薩
フエ旧市街の中心部に位置する最も歴史ある伝統市場。グエン朝時代の1802年に「帰者市(Quy Gia Thi)」として始まり、1887年にドンカイン帝によって「ドンバ市場」として再建された。
ドンバ市場(Dong Ba Market) 12:26
ドンバ市場(Dong Ba Market) 12:26
ドンバ市場(Dong Ba Market) 12:27
鍵屋 12:37
TNL PLAZA CO.OPmart(コープマート・フエ店) 12:47
フエ市の新市街にある大型ショッピングセンター
フエの伝統市場とは違って、清潔で整った空間でゆっくり買い物できるのが魅力。
緑豊かな庭園に囲まれた宮廷料理レストラン。
グエン王朝時代の骨董品も展示されていて、食事と文化が融合した空間
Huda BeerHue Brewery Ltd.(フエ醸造会社)で1994年に誕生したHudaブランドのビール
フエの宮廷料理 Nem Cong Cha Phuong 13:01
揚げ春巻きを人参の彫刻・孔雀で飾られている。
フエの宮廷料理はとても美味しかった。
世界遺産・阮(グエン)朝王宮 (Đại Nội ) 14:05
1802年から1945年までの143年間、ベトナム最後の王朝がおかれた。
周囲2.5km(南北604m、東西620m)の城壁に囲まれた、約3.6 平方キロメートルの広大な敷地内には、宮廷文化を伝える建築物が残っている。
Cửa Quảng Đức(クアン・ドゥック門)通称 cửa Sập(崩れ門) 14:07
「Quảng Đức(広徳)」という名前は、ベトナム仏教の高僧「ティック・クアン・ドック(Thích Quảng Đức)」とも関係がある。彼は1963年、南ベトナム政権による仏教徒弾圧に抗議して、サイゴンで焼身供養を行ったことで世界的に知られている。そのため門の名前が彼にちなんでいる可能性も考えられる。
通称 cửa Sập(崩れ門)は、何らかの崩壊や損傷の歴史を持っているが、詳細な由来や建築的背景については明確な情報が少ない。
フラッグタワー(he Flag Tower)14:08
午門 ( Ngọ Môn) 14:09
ベトナムの方と一緒にちょっと待って撮影 14:10
午門 ( Ngọ Môn) 14:11
午門 ( Ngọ Môn) 14:12
王宮の南に位置する正門で高さは約17m、幅は約58mある。
1805年に初代皇帝ザーロン帝により築かれた見張り台「南関台」を2代皇帝ミンマン帝が改築し1833年に建てられた。「午」は南の方位を意味し、古代中国の聖人君子が南から天下に耳を傾ければ、世の中は平和に治まるとの考えに由来しているほか、正午になると門の真上に太陽がのぼることから、この名がついたと言われている。
コの字型の門に5つの入口があり、中央が皇帝と各国の大使、向かって右(右夾門)が文官、左(左夾門)が武官のための入口。そのさらに両端にある2つの入口(右闕門、左闕門)は兵士・馬・象が使用していた。男性だけがこの門からの出入りを許されており、皇后であっても他の門を使用しなければならなかった。
午門の2階は「五鳳凰樓」とよばれており、新年の挨拶と科挙の合格発表のときにに皇帝がすがたを表した。1945年8月30日に最後の皇帝パオダイ帝が退位(王朝の終焉)を告げたのもこの門からであった。
フラッグタワー(he Flag Tower) 14:13
1809年、阮朝初代皇帝・嘉隆帝(ザーロン帝)の時代に建造。
かつては王宮の見張り台として使われ、常に統治者の旗が掲げられていた。
現在はベトナム国旗が掲げられている。
グエン朝王宮(フエ王宮)入口
五鳳凰楼(Lầu Ngũ Phụng)には、かつて太鼓が設置されていた。
王宮の儀式や重要な発表の際に、太鼓が鳴らされていたと考えられている。
特に科挙の合格発表や新年の挨拶など、皇帝が姿を現す場面で太鼓の音が鳴り響いた。
周囲2.5km(南北604m、東西620m)の城壁に囲まれた約3.6 平方キロメートルの広大な敷地
1804年に嘉隆帝によって建設が始まり、阮朝の政治・文化・宗教の中心地として機能した。
北京の紫禁城を模した「二重城郭」構造で、外城(皇城)と内城(紫禁城)に分かれている。皇帝や皇族たちが居住していた紫禁城を守る役割を果たしていた。城内には147の建築物がある。王宮、廟、庭園、官庁などが配置され、皇帝の居住と政務の場として使われた。
フエのグエン朝王宮の中心に位置する最も重要な正殿で、皇帝の権威と儀式の場として機能していた。1804年に初代皇帝ザーロン帝が着工し、1805年に完成。中国の紫禁城の太和殿を模して建てられたが、ベトナム独自の建築様式も取り入れられている。
ベトナム・フエ王宮の太和殿単体の修復工事は、2025年1月中旬に完了した。
ユネスコは、日本信託基金を通じて修復事業に資金提供しており、特に午門(王宮の正門)の修復保存事業などに関与している。修復事業は、ベトナム政府・ユネスコ・早稲田大学や研究機関の共同プロジェクトとして進められており、資金だけでなく技術支援や人材育成も含まれている。
太和殿の前庭には、かつて身分の位に応じて並ぶ石標(石碑)が整然と配置されていた。
これは王宮儀礼の厳格さと儒教的秩序を象徴する。この配置は、儒教の「上下尊卑」の思想に基づいており、社会的序列を空間的に可視化した。皇帝に対して左が文官、右が武官という伝統的な配置も守られていた。
九鼎(Cửu Đỉnh) 14:37
非常に重要な儀礼的・象徴的な青銅器、王朝の威厳と国家の永続を象徴する存在。
1835年、ミンマン帝(明命帝)の治世に鋳造された。全部で9基あり、それぞれ歴代皇帝の名を冠している。中国の周王朝の「九鼎」に倣い、国家の正統性と統一を象徴している。鼎には山、川、動植物、星、雲、武器などの浮彫が施されており、ベトナムの自然と文化の豊かさを表現している。ハロン湾、バクダン川、象、龍、竹などが描かれている。九鼎は、皇帝の徳と国家の繁栄を象徴するものであり、王朝の正統性を示す「神器」としての役割を果たしてた。当時の鋳造技術の高さを示す傑作であり、ベトナム青銅器文化の頂点とも言われている。
壁の黒ずみや風化した装飾など修復前の状態にみえる。
太和殿本体の修復は2025年1月に完了したが、回廊や周辺の壁については引き続き修復対象とされている。
一部の壁面は、歴史的痕跡として意図的に現状維持される可能性もある。
修復完了は2030年〜2045年の間とされている。
フエの修復事業にはユネスコや国際的な文化保護団体の支援も含まれており、外部資金や技術協力も活用されていて、現在までに公表されている情報によると、総額は数千億ドン(数十億円規模)に達する。
歴史的写真の展示・グエン朝王宮修復前の写真 14:39
太和殿の回廊周辺では、歴史的写真の展示が行われており、
歴史的写真の展示 14:40
日城楼(Nhật Thành Lâu) 14:40
建忠殿(Điện Kiến Trung) 14:44
阮朝最後期の皇帝たちのカイ・ディン帝(Khai Dinh)とバオ・ダイ帝(Bảo Đại)の居住・執務空間として使用された宮殿。ベトナム伝統様式に加え、フランスのバロックやロココ様式を融合した意匠。1947年、ベトナム戦争中にベトミン(Viet Minh)によって破壊された。
再建開始:2019年2月、完成:2023年末、一般公開:2024年2月から
再建には5年間の工事がかかり、当時の写真や図面をもとに忠実に復元された。
1914年カトリック教徒の家庭に生まれ、フランスで教育を受け、1934年にバオ・ダイ帝と結婚し、ベトナム最後の皇后となった。ベトナムが政治的に混乱した時代に生き抜き、1963年フランスで亡くなった。
1913年生まれ、1925年から1945年まで在位(フランスの傀儡君主)、1945年8月革命により退位、その後ベトナム国元首などを務めた。1955年に国民投票で敗北し、パリに亡命した。1997年パリで亡くなった。
建忠殿の南側の裏庭(未修復) 14:47
建忠殿の南側の裏庭(未修復) 14:47
修復後は、観光客向けに宮廷雅楽の公演が定期的に行われている。
順化皇城の東門、ヒエンニョン門(Cửa Hiển Nhơn) 15:40
「顕仁門」とも表記され文官や学者が出入りする門として使われていた。
焼成煉瓦による城壁に組み込まれた門。
順化皇城の堀 14:44
九神功砲(Cửu vị Thần công) 15:48
順化皇城に設置された阮朝初期の象徴的な青銅製大砲群で、
単なる武器ではなく王朝の権威と宇宙観を表す神聖な存在として位置づけられていた。
「Cửa Ngăn」は直訳すると「仕切り門」や「隔てる門」、「Thể Nhân」は「仁を体する」「仁徳の門」とも解釈できる。午門や顕仁門のような主要門とは異なり、補助的な出入口や特定の区域への通路として使われていた可能性がある。
獅子龍舞祭、燈籠掛けなど 16:08
Loc Thuy Commune周辺 17:31
Lango Co Town周辺 17:44
ダナン・三日月ホテル 18:15
ダナン市街地 18:29
ベトナム料理レストランMadam LAN(マダムラン) 19:25
Loc Thuy Commune周辺 17:31
Lango Co Town周辺 17:44
ダナン・三日月ホテル 18:15
ダナン市街地 18:29
ベトナム料理レストランMadam LAN(マダムラン) 19:25
2012年創業。2024年版のミシュランガイドに選ばれた。
ホイアンの伝統建築様式を模した内装で広々とした開放的な空間。
もちもちした米粉の団子で、豚肉やエビの餡が入っている。
見た目は日本の「お餅」に近く、甘くないタイプの前菜。
ゴイクオン(生春巻き) 19:55
店員さんがテーブルで巻いて提供してくれる。ミシュランガイドにも選ばれたレストランだけあって、演出やサービスにもこだわりがある。
ゴイクオン(生春巻き) 19:59
半透明のライスペーパーでエビ、豚肉、米ビーフン、レタス、ハーブなどを包む。
漁礁ベースのつけダレで食べる。
中国野菜のカイラン(芥藍)のごま油炒め 20:05
ほうれん草よりもカルシウムやビタミンなどの栄養素が高い。
ベトナムの老舗酒造会社 Halico(Hà Nội Liquor Joint Stock Company) によって製造されているウォッカ。主な原材料は米やトウモロコシ。アルコール度数は40度前後。
ホテルの前のコンビニにてワインと言われて購入したはずであったが!
2人とも言われるままにワインと思い込んだ!
飲んでみるとさっぱりしていてまろやか、美味しかった。
2025年10月5日(日)国立ダナン博物館・ダナン市内観光
Hotel Grandvrio City DaNangにて朝食後の団欒 7:53
グランヴィリオシティダナン(Hotel Grandvrio City DaNang) 8:49
Hotel Grandvrio City DaNang付近のロータリー(円形交差点)
地元では「Dong Da Roundabout」や「Library Roundabout」と呼ばれる。
この像は、鳩が巣に集まる姿を表現していて、「平和」「団結」「希望」を象徴している。
高さ4.5m、長さ9m、幅4mの巨大な彫刻で、白灰色の花崗岩6つの塊から構成されている。
都市の活力と住みやすさを表すランドマークとして、2013年に設置された。
この像はベトナム南部解放記念日(4月30日)に合わせてVũng Tàu市から運ばれてきたという。
道沿いに仏教やヒンドゥー教の菩薩や神を祀る小さな祠がある。
ヒンドゥー教の祠 8:54
ダナン近郊のヒンドゥー教の影響を受けたミーソン遺跡はチャム族(Chăm)の聖地であり、チャム族は歴史的にヒンドゥー教やイスラム教の影響を受けていて、ベトナム国内でも独自の宗教文化を持ってる。
夜になるとライトアップされた橋や街並みを眺めながらのクルーズが楽しめる。
特にドラゴンブリッジの火と水のショーを船上から見られる。
Da Nang Administrative Center(ダナン市行政センター) 9:07
高さ約167m、地上34階・地下2階、帆を張った船を模した外観、
屋上や外壁に植物が植えられた環境配慮型デザイン、複数の行政機関が入居する市庁舎機能
ティエンハン城の敷地内に建てられている。
1階:ダナンの歴史と文化、2階:ベトナム戦争関連の展示、3階:中部の少数民族の生活様式
日本語音声ガイドを借りた。80,000VND(約460円)
ヤギ目(ごうぎょくもく)に属するヤギ(ゴルゴニア)と呼ばれるサンゴの一種
中国の古い穴あき銭(方孔円銭)、唐時代~清時代に流通していた。
グエン朝の防衛システムについて説明している。
ダナン要塞は1809年にザーロン帝によってハン川右岸に建設された。
1858年、フランス・スペイン連合軍がダナンを攻撃した際、彼はダナン戦線の総司令官に任命された。積極的防衛戦略で敵の内陸部への侵攻を防いだ。1873年、ハノイ防衛線で命を捧げた。
ファム・ヴァン・ドン首相が第96連隊に贈呈した「堅固」旗、手榴弾関連展示
1945年8月革命後、フランス植民地主義者はダナンに再侵攻した。
当時、第96連隊がダナンを守る正規軍でフランス軍の侵攻を30日間持ちこたえ敵の占領地域拡大を阻止した。
ダナンの人々も主力部隊と一緒にホーおじさんの焦土抵抗の呼びかけに応じた。
ベトナム共産党とホー・チ・ミン主席の指導の下で、
日本のファシストと旧ベトナム帝国政府から政権を奪取した。
八月革命の成功で約100年続いたフランス植民地支配と数千年続いた封建制度が終焉した。
〇ベトミン(Việt Minh):ベトナム独立同盟会(Việt Nam Độc Lập Đồng Minh Hội)
1941年、ホー・チ・ミンによって創設
フランス植民地支配や日本軍からの独立を目指す。
主に第二次世界大戦〜第一次インドシナ戦争(1946–1954)、
1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスに勝利した。
ベトナム民主共和国(北ベトナム)を成立させた。
〇ベトコン(Việt Cộng):南ベトナム民族解放戦線
1960年結成、南ベトナム政府とアメリカに対抗した南部の共産ゲリラ。
南ベトナム政府とアメリカに対抗しベトナム統一を目指す。
主にベトナム戦争期(1960〜1975)、
北ベトナム(ベトナム民主共和国)からの支援を受けていた。
ゲリラ戦、地下トンネル、ブービートラップなどを駆使して戦った。
ベトナム戦争中にダナンで使われたバイク。
「ホーチミン・トレイル・バイク」自転車 9:47
ベトナム戦争中にベトコンが使用した大量の物資を積載できる自転車、1台で300kg運べた。
ベトナム戦争中にベトコンが使用した大量の物資を積載できる自転車、1台で300kg運べた。
ベトナム戦争に関連する展示物 9:49
南ベトナム解放戦線(ベトコン)が使用した旗左側:「英雄的なアメリカ殲滅部隊」と記されている。
ベトナム民主共和国(北ベトナム)の国旗とソビエト連邦製のAK-47自動小銃やアメリカ製のM1カービン銃、M72LAW対戦車ロケット弾などが展示されている。
下段には鍋や水筒、革製カバンなど当時の兵士が使用していた日用品も見られる。
国立ダナン博物館2階からの眺め
枯れ葉剤作戦「ランチハンド作戦」1961~1971年、ジュネーブ条約違反の可能性あり
約1,200万ガロンの枯れ葉剤(オレンジ剤)によるダイオキシン健康被害が深刻
ドイツの新聞記事
1973年にピューリッツァー賞の速報写真部門と世界報道写真大賞(World Press Photo Award)を受賞している。Nick Ut(ニック・ウット)氏はベトナム出身で、アメリカ国籍を持つAP通信社の報道写真家。
この写真は、1972年6月8日にベトナムのチャンバン村で撮影されたもので、ナパーム弾による爆撃から逃げる少女ファン・ティー・キム・フックさんの姿を捉えた。
戦争の悲惨さを世界に強烈に伝えた一枚として20世紀を代表する報道写真のひとつになった。ちなみに、Nick Ut氏はその後もキム・フックさんと交流を続けていて、2022年にはローマ教皇との会見にも一緒に出席している。まるで写真が時代を超えて人と人を結びつけている。
1972年12月下旬の戦略的空襲は最高潮に達した。
これらの写真がメディアに公開されるとベトナム国人は大きな支持を受けた。
木製の艀(はしけ) 10:05
沿岸や河川などにおいて貨物を積んで交易する。
「トォオン(Tuong)」はハット・ボーイとも呼ばれ、歌、踊り、音楽、民族的な演劇が融合した伝統的な舞台芸術である。
トゥオン(Tuồng)で使われるお面は、一般的に「仮面」ではなく、顔に直接描かれることが多く、これを「化粧(ベトナム語で“hóa trang”)」と呼ぶ。一部の地方劇団や特定の演目では、木製や紙製の仮面(mặt nạ)を使うこともある。
紙製の仮面(mặt nạ)
白い素地にコバルトを含む顔料で模様を描き、その上から透明な釉薬をかけて焼成する。
螺鈿細工が施された装飾品 10:10
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏 10:14
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏 10:14
沈香は森の記憶が凝縮された香りで、焚いた瞬間に空気が静かになるような感覚がある。Hiep Duc産はその中でも、穏やかで落ち着いた香りが好まれる。
インドネシア・スラウェシ島のトラジャ族の伝統的家屋
在ダナンロシア連邦総領事館の掲示板 10:39
Hotel Grandvrio City DaNang付近のロータリー(円形交差点) 10:49
Hotel Grandvrio City DaNangチェックアウト 11:45
Hotel Grandvrio City DaNang付近のロータリー(円形交差点) 10:49
Hotel Grandvrio City DaNangチェックアウト 11:45
ベトナム中部の郷土料理
スズキやセイゴは総じて「シーバス」と呼ばれている。
広東スタイルのスープ
フランス統治時代のネオゴシック様式のカトリック教会
日曜日の見学時間(1日6回 5:30,8:00,10:00,15:00,16:30,18:00)外で内部に入れなかった。
ポケットレインコートはツアー会社が用意してくれた。
「地獄洞窟」とも呼ばれる。ワニや鬼に責められる亡者の像、賽の河原のような石積みなど仏教的な地獄の世界を表現した彫像や浮彫が並んでいて、東南アジア版のお化け屋敷みたいな雰囲気。
六角形の七重の仏塔、仏舎利が納められている。
「真理を秘めた場所」としてミンマン帝が命名した。
石灰岩の鍾乳洞、洞内にはチャンパ文化の彫刻や仏像が残されている。
五行山・上り下り階段 16:17
五行山全体の標高は約108m、エレベーターで登れる区間は標高差約50m。
残りの部分は階段で登る必要があり、最大で約60mの標高差を上下する。
60mの標高差は約333段に相当するが山内にはアップダウンが複数あるため、
実際の歩行段数は500段以上になる。
五行山・上り下り階段 16:18
石彫刻工房「XUAT ANH」 16:32
石彫刻工房「XUAT ANH」 16:32
石彫刻工房「Nguyen Cong」の仏像 16:32
ノンヌオックビーチ(Non Nuoc Beach) 16:35
石彫刻工房「XUAT ANH」 16:32
石彫刻工房「Nguyen Cong」の仏像 16:32
ノンヌオックビーチ(Non Nuoc Beach) 16:35
ノンヌオックビーチ(Non Nuoc Beach) 16:39
透明度の高い海と白く細かい砂浜が5km以上にわたって広がっていて、
Forbes誌にも「世界で最も美しいビーチのひとつ」として選ばれたことがある。
背後には五行山(Ngũ Hành Sơn)がそびえ、海と山のコントラストが絶景を生み出してる。
砂浜に溶け込むような擬態能力がある。動きが非常に素早く、人が近づくと一瞬で砂に潜る。
最近はグラスファイバーに樹脂コーティングした船になっている。
Vincom Plaza Đà Nẵngという大型ショッピングモール 17:41
An Hải Bắc Ward(アンハイバック地区)にありWinMart(スーパー)、カフェ、電気屋、服屋、本屋、時計屋、映画館、アイススケートリンクなどが入っている。
Vincom Plaza Đà Nẵngの2階に「WinMart(旧VinMart)」が入っている。
WinMartでは、日用品・食品・ベトナム土産・飲料・果物などが揃っていて観光客にも地元の人にも便利なスーパー。
ホイアン風イートインスペース 18:18
ここで集合時間までビールを飲んだ。
太鼓の音とともに獅子舞が披露され、子どもたちが大喜び!特にホテルやショッピングモールでも盛大に行われる。
獅子舞のパフォーマンス
ロシア国内で複数の店舗を展開している。
ここはベトナム社会主義共和国・Cộng hòa Xã hội chủ nghĩa Việt Nam・Socialist Republic of Vietnam・越南(えつなん)で、ロシアと非常に親交が深い国である。
ベトナムは「全方位外交」を掲げていて、特定の国に依存せず、米国・中国・ロシアなどとバランスを取る外交を展開している。そのため、ロシアとの親交は深いけれど、西側諸国との関係も維持しようとしている。
ベトナムは「全方位外交」を掲げていて、特定の国に依存せず、米国・中国・ロシアなどとバランスを取る外交を展開している。そのため、ロシアとの親交は深いけれど、西側諸国との関係も維持しようとしている。
海鮮食館 MUOIBIENIで夕食 19:52
海鮮料理店であるが、かつてツアーの方の多くが下痢をしたため、今回は海鮮料理が出なかった。個人旅行であれば水槽からロブスターやエビ、貝、魚を選んで料理してもらえる。
海鮮料理店であるが、かつてツアーの方の多くが下痢をしたため、今回は海鮮料理が出なかった。個人旅行であれば水槽からロブスターやエビ、貝、魚を選んで料理してもらえる。
杏仁豆腐「Q(キュー)」 20:27
日曜日なのでライトアップされたドラゴンが火を吹いたり水を吹いたりするのと
中秋節でもあり大勢の人が集まっていた。
ハン川に架かる全長666メートルの壮麗な橋で、まるで川面を泳ぐ龍のようなデザイン。
2013年にダナン市の解放38周年を記念して建設された。
この橋は、昼と夜でまったく違う表情を見せてくれる。夜になると約15,000個のLEDライトでライトアップされ、青・緑・黄・赤と色が変化して幻想的な雰囲気に包まれる。
ドラゴン橋隣の西公園で野外コンサートが行われていた。
週末の夜に開催されるファイヤーショー 21:03
火を吹くドラゴン!金・土・日・祝日の21時から、龍の頭から炎と水が噴き出すショーが行われる。炎は2回(各2分)、水は3回(各30秒)ほどで、合計10分未満の短いけど迫力満点のイベントだ。橋の上や近くから見ると、まるで龍が本当に生きているかのような臨場感が味わえる。龍の目がハート型になってる。
2025年10月6日(月)成田国際空港・帰宅
成田国際空港第1ターミナル発8:00
AIR HOTEL成田駐車場1,500円(10/1~10/6、5日分)
おーいお茶・緑茶194円(株)ネクスコ東日本リテイル
成田IC8:47~酒々井PA~(東関道・首都高・中央道)~石川PA~11:19八王子IC~自宅