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20年ぶりにサイパン島を訪問
1990年9月 Hotel Nikko Saipan泊(現在Palms Resort Saipan)
2010年9月 FIESTA Resort & Spa 泊(Dai-Ichi Hotel から経営移転)
1990年9月 Hotel Nikko Saipan泊(現在Palms Resort Saipan)
2010年9月 FIESTA Resort & Spa 泊(Dai-Ichi Hotel から経営移転)
2010年9月28日(火曜)タポチョ山に4輪駆動車で行く。
タポチョ山駐車場 14:00
ガラパン地区から車で約30分、未舗装の凸凹砂利道を超スローで進むが揺れで腰が痛くなる。
スコールの後では普通車は、登れないかもしれない。
タポチョ山673mには駐車場から数分で着いた。 14:10
いろいろなアンテナが乱立していたが、 山頂からの360度の展望は素晴らしく、見渡す限り雲しかない太平洋やフイリピン海、 隣のテニアン島もまじかに見え、サイパン空港(アスリート飛行場)、ガラパン市街、マニャガハ島、 サイパン島全域が見渡せそうなところだった。
山頂からの眺めをパノラマ写真にしました。
(Microsoft Image Composite Editorにてstitch)
[画像をクリックすると別ウインドウで拡大します]
「あれがテニアン飛行場辺りだ。死の谷はあの辺りだ。」と指さしている。
山頂には太平洋戦争時のサイパン島攻略の案内板がある。
アメリカ軍がレッドビーチから上陸して、1944年6月25日タポチョ山を攻略し、
7月7日残存日本軍約3000名が総攻撃(バンザイ突撃)して日本軍はほぼ全滅、
7月9日アメリカ軍がサイパン島を占領。
その後、B29の東京爆撃、エノラゲイによる原爆投下、1945年8月15日終戦となった。
B29は、当時としては火器管制装置が自動的に弾道計算し発砲したり
酸素マスク無しで1万メートル上空を飛行できる最先端の超長距離戦略爆撃機であった。
サイパン島は、マリンスポーツ等の観光地でもあるが戦争遺跡でもある。
タポチョ山攻略の案内板
案内板には、タポチョ山を「タッポーチョ山」と記されている。
アメリカ軍の死傷者658名、慰霊のキリスト像であろう。
下山時に強い日差しを避けるように日傘をさしたタポチョ山訪問者に会った。
9月のサイパンは平均気温27度、雨季なのでとても蒸し暑い。午前中強いスコールがあった。
紫外線も東京の3倍はあるという。
タポチョ山の後、聖母マリアの祠と砂糖王公園を訪れた。
砂糖王と云われる松江春次氏はサイパン島やテニアン島に製糖工場を作った
南洋興発株式会社の創設者であるが、
今は亡き義母が若い頃、南洋興発株式会社東京事務所に勤めていたので感慨深く見て廻った。
当時使用していた軽便汽車が公園に朽ちて置かれていたが、栄枯盛衰の思いがした。
下山時に強い日差しを避けるように日傘をさしたタポチョ山訪問者に会った。
9月のサイパンは平均気温27度、雨季なのでとても蒸し暑い。午前中強いスコールがあった。
紫外線も東京の3倍はあるという。
タポチョ山の後、聖母マリアの祠と砂糖王公園を訪れた。
砂糖王と云われる松江春次氏はサイパン島やテニアン島に製糖工場を作った
南洋興発株式会社の創設者であるが、
今は亡き義母が若い頃、南洋興発株式会社東京事務所に勤めていたので感慨深く見て廻った。
当時使用していた軽便汽車が公園に朽ちて置かれていたが、栄枯盛衰の思いがした。
軽便鉄道汽車(サトウキビ運搬)