2023年8月6日日曜日

赤城山南麓遺跡の旅、赤城大沼、みなかみ町

2023年8月3日(木)~4日(金)
赤城山南麓の旧石器、縄文、古墳時代の遺跡を極暑の夏なのに3人で訪ねた。
赤城大沼(1,310m)は、前橋市街地よりも約10度低く23度でとても涼しく感じた。
みなかみ町では矢瀬遺跡、天一美術館を訪ねた後、10年前にタクラマカン沙漠縦断の旅で
一緒であった元みなかみ町長で天狗の湯きむら苑の木村氏を訪ね、
色即是空などの話で懐かしい想いをした。

赤城山南麓遺跡の旅

日程 2023年8月3日(木)
自宅7:00―T氏宅―7:20N氏宅―青梅IC7:38―(圏央道、北関東自動車 88.3km,1H,2,720円)―8:55波志江PAスマートインターチェンジ9:01―(4.8km,10分)―9:20大室古墳群10:25―(5.6km,10分)―10:40赤堀歴史民俗資料館11:25―(3.8㎞,10分)―11:40国定忠治の墓(養寿寺)11:30―(8.8㎞,20分)―12:10昼食(めん処味処酒処ふる川)13:25―(2.5㎞,6分)―13:36みどり市岩宿博物館14:25―14:37岩宿遺跡14:55―(8.1km,15分)―15:22前橋市粕川歴史民俗資料館15:54―(2.6㎞,6分)―16:17桐生市新里町郷土資料館16:27―(3.8㎞,8分)―16:42FamilyMartみどり大間々店16:43―(3.2㎞,7分)―16:54桐生グランドホテル(洋室,朝食付き,3名,26,100円)休息・風呂18:18―(0.3㎞,徒歩4分)―18:26夕食「気まぐれ酒場・茜家」19:41 ―21:18桐生グランドホテルで懇談会22:30 就寝

日程 2023年8月4日(金)
桐生グランドホテル8:06―(33.4㎞, 63分)― 9:21赤城山大沼・赤城神社9:46―10:02国定忠治の像10:03―(29.2㎞,55分)―11:20前橋市役所11:30ー(4㎞,10分)―11:40前橋市総社歴史資料館12:09―12:24蛇穴山古墳12:30―12:33宝塔山古墳12:50―(0.4㎞,1分―12:54昼食(そば処大村総社)13:40ー(4.6㎞,12分)―駒寄PAスマートインターチェンジ13:56―(関越道㎞,分,1,050円)―14:29月夜野IC14:00―(37.5㎞,38分)―14:40矢瀬遺跡14:55―(13㎞,19分)―15:31天一美術館16:20―(4.7km,9分) ―16:37天狗の湯きむら苑17:55―(2.1㎞,4分)―水上IC18:03―(関越道・圏央道,133㎞,1時間30分,3,840円)―双葉SA,夕食とんかつ丼―20:31青梅IC―(6.5㎞,17分)―20:50N氏宅ー(5.4㎞,15分)ー21:05T氏宅ー(1.6㎞,5分) ―21:15自宅

費用:約27,300円
内訳
*交通費:12,435円(4,145円/人)
高速道路料金 7,610円、ガソリン代 29.6L(444km)*163円/L=4,825円 
*宿泊費:26,100円(8,700円/人)桐生グランドホテル
*食事代:6,300円 
昼食:めん処味処酒処ふる川、海老天もりひもかわ1,520円、夕食居酒屋・茜家2,500円  
昼食:そば処、天もりそば 1,100円、夕食:双葉SA、ひれかつソースカツ丼1,180円
*入場料:1,610円
天一美術館 1,300円、岩宿博物館 310円
*土産:6,514円
月夜野はーべすと(きゅうり20本、きくらげ2パック945円)、セブンイレブン青梅日立前店(プリン、あんみつ、ハニーシトラスヴェリーヌ2,789円)、梅林堂(こもれび2号2,780円)

2023年8月3日(木)
出発 サルスベリ(百日紅)満開 6:57
N氏宅前造成工事 7:20
波志江PAスマートインターチェンジ(北関東自動車道) 8:55

大室古墳群
日本キャンパック大室公園 周辺マップ
大室公園南口駐車場 9:23
大室公園案内図 9:25
群馬県には約13,000基の古墳があり「古墳王国群馬」と言われている。
日本キャンパック大室公園 園内マップ
大室公園の古墳比較表
大室公園の遺跡
大室公園五料沼
中二子古墳 円筒埴輪の列 9:28
国指定遺跡 前二子古墳 9:29
国指定遺跡 前二子古墳パンフレット
国指定遺跡 前二子古墳パンフレット

2020年2月 JR東日本「大人の休日倶楽部」の宣伝で吉永小百合さんが訪れた古墳
https://www.bb-navi.com/cm-douga/yoshinagasayuri.html
吉永小百合 JR東日本 CM 古墳王国 群馬篇 30秒版
https://youtu.be/tsx9uP9Vq8Q
前二子古墳説明板 明治11年調査
前二子古墳説明板
前二子古墳の墳丘にて 9:31
中二子古墳 前二子古墳の墳丘からの展望 9:36
墳丘長111メートルを測る大室古墳群最大の前方後円墳
中二子古墳 円筒埴輪の列 9:38
国指定遺跡 中二子古墳パンフレット
民家園・大室はにわ館への道案内 9:45
大室はにわ館修復作業員の方が民家園まで案内してくれた。
右側の森が前方後円墳・後二子古墳
後二子古墳
国指定遺跡 後二子古墳パンフレット
国指定遺跡 後二子古墳、小二子古墳 パンフレット
大室はにわ館 屋根の葺き替え工事中 9:49
赤城型民家(養蚕農家)、展示品は見物できなかった。
大室はにわ館パンフレット
民家園 古代住宅 9:49
古墳時代(6世紀)の竪穴式住居 9:52
古墳時代(6世紀)の高床式建物・共同倉庫 9:52
民家園近くの内堀4号墳(M-4号墳) 9:54
民家園近くの内堀4号墳(M-4号墳) 9:55
大室公園休息所 炎天下で暑くて座れない 10:00
国指定遺跡 前二子古墳 10:05
前二子古墳の石室開口部(羨門・せんもん)10:08
羨門:横穴式石室の羨道の入口
前二子古墳の石室羨道(せんどう・えんどう)
JR東日本「大人の休日倶楽部」の宣伝で吉永小百合さんが出演した前二子古墳の石室
前二子古墳の石室玄室 10:08
前二子古墳の石室 10:11
大室公園管理事務所 10:25

赤堀歴史民俗資料館
1階展示室に旧石器時代から奈良・平安時代までの埋蔵文化財を展示。
特に2体の馬形埴輪は県内最大級の大きさ。2階展示室は民俗資料等を展示。
伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館駐車場 10:42
赤堀歴史民俗資料館 10:42
花と少女 10:42
赤堀歴史民俗資料館 企画展「伊勢崎藩を救え!」 10:43
浅間山噴火についての説明 10:47
浅間焼吾妻川利根川泥挿絵図 
浅間山噴火(天明3年・1783年)から73年後の安政3年(1856年)に作成された絵図
伊勢崎市と赤城山・利根川・渡良瀬川 10:55
伊勢崎市と赤城山・利根川・渡良瀬川 パンフレット
赤城山の山体崩壊と流れ山
渡良瀬川と大間々扇状地
流れを変えた利根川

詳細赤堀歴史民俗資料館URL

埴輪展示 10:48
2体の馬形埴輪は県内最大級の大きさ
埴輪展示 10:50
長持形石棺  10:54
5世紀中頃の築造 群馬県指定重要文化財に指定
前方後円墳・お富士山古墳(伊勢崎市指定史跡)から出土
縄文土器展示 10:54
縄文土器展示 三和工業団地遺跡(縄文時代中期)10:55
鶏形埴輪の羽 赤堀茶臼山古墳出土 古墳時代中期
「古事記」「日本書紀」の長鳴鳥:太陽を呼ぶための鳥
史跡 上野国佐位郡正倉跡 
八角倉庫模型
土製耳飾 釜ノ口遺跡出土 縄文時代晩期
土製耳飾 洞山遺跡出土 縄文時代晩期

民俗資料等を展示 11:10
民俗資料等を展示
民俗資料等を展示 11:12
詳細赤堀歴史民俗資料館URL

国定忠治の墓(養寿寺)
天台宗養寿寺 11:40
長岡忠治(国定忠治)墓の碑 11:42
長岡忠治の墓:N氏の右側の柵に囲まれた墓 11:45
国定忠治の墓と碑 11:45
墓は、伊勢崎市国定町の養寿寺と伊勢崎市曲輪町の善應寺にある。

国定忠治
本名:長岡忠次郎、江戸時代後期の侠客。
文化7年(1810年)生まれ~嘉永3年12月21日(1851年1月22日)。
博徒として上州から信州一帯で活動し、盗区として一帯を実質支配する。
伝承によれば、天保の大飢饉に私財を投じて窮民に施したり、
賭博のあがりで農業用水である磯沼の浚渫をおこなった侠客として、
講談・浪曲、新国劇などの題材となった。
そして伝説の美化作用によって故郷の英雄となった。
島村の伊三郎を殺し赤城山に篭ったが、関東取締出役の追及を受け、
妾の家で中風で倒れた所を逮捕され、勘定奉行池田播磨守の吟味で
最も重罪である大戸関所の関所破りにより死罪判決となり、
大戸処刑場で磔刑された。享年41歳。
磔にあたっては、刑場まで威風堂々と道中行列を演技し衆目を驚かせている。
喧嘩にはめっぽう強く「国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を切る」と謳われた。
実際は、かなり粗暴で残忍な薄情者で、強姦もした一介の極道者ヤクザ者に過ぎなかった。

子分の板割浅太郎が忠治の心遣いに気付かず伯父の三室勘助を斬殺したなどと
語り伝えられてはいるものの、実際には忠治が子分8人を同行させ、
十手持ちの勘助を無理やり浅太郎に殺させたというのが真相だ。
勘助の幼な子を引き取って忠治が養育してやったなどともいい、
それがいわゆる「赤城の子守唄」の美談となって、
「忠治こけし」を生み出したとはいえ、
実際には父子もろとも浅太郎に殺さている。

国定忠治像 赤城山大沼湖畔 2023.8.4 10:03
新国劇「國定忠治」の「赤城天神山の場」での「赤城の山も今宵限りか」は有名。
国定忠治の肖像(田崎草雲画)
「赤城の山も今宵を限り・・・」新派「深川の鈴/国定忠治」

めん処味処酒処ふる川
めん処味処酒処ふる川駐車場 12:10
めん処味処酒処ふる川 炎天下屋外に約10分並んだ
めん処味処酒処ふる川 約25分並んだ
めん処味処酒処ふる川店内 待合室にて 12:20

めん処味処酒処ふる川  注文後待ち時間約15分 12:39
海老天もり ひもかわ 1,520円 12:54
幅約10cmの幅広麺、つるつる感触で美味しかった。
めん処味処酒処ふる川 12:54

みどり市岩宿博物館
第2次世界大戦の頃までの考古学者は、発掘を進めて赤土(関東ローム層)が出ると
それを「地山」と呼び、それ以上掘ることは無かった。
土器を使っていた縄文時代の人々が日本の最初の住人だと考えられていた。
 この考古学・日本史の常識を覆し、日本にも世界史でいう旧石器時代段階に人々が
生活していたことをはじめて岩宿遺跡が明らかにした。
みどり市岩宿博物館 13:37
みどり市岩宿博物館 周辺マップ
岩宿遺跡交通案内
みどり市笠懸保健センター、国保診療所、かたくりの湯 13:36
みどり市岩宿博物館 入園料310円 13:40
岩宿博物館パンフレット
岩宿博物館パンフレット
岩宿博物館パンフレット
ナウマンゾウと猿人 13:45
猿人からホモサピエンスへ
猿人からホモサピエンスへ 700万年前から現在
岩宿人のくらしをさぐる
石器を作る、住んでいた家、服装
展示室案内
相沢忠洋氏が調査で使用していた自転車
岩宿発見当時行商(納豆売り)で使用していた自転車
相沢忠洋氏が調査で使用していたオートバイ
石器文化の変化
4万年前から1.5万年前までの石器類
相沢忠洋調査資料 岩宿遺跡
右上:1946年、岩宿発掘以前に最初に発見された石器類、
及び岩宿遺跡で最初に発掘された石器・石刃
岩宿遺跡発見の契機となった槍先形尖頭器 
相沢忠洋氏が1949年7月に発見した石器・槍先形尖頭器
これを契機として発掘調査が実施され、岩宿遺跡から「旧石器時代」研究の幕が開いた。
岩宿遺跡周辺の遺跡地図
相沢忠洋調査資料 岩宿遺跡
相沢忠洋氏の資料のすべてを「みどり市岩宿博物館」に寄贈した。
相沢忠洋調査資料
桝形遺跡、元宿遺跡、清水山遺跡
相沢忠洋調査資料
洞原遺跡、不二山遺跡、権現山遺跡、山寺山遺跡、夏井戸遺跡、磯遺跡
相沢忠洋調査資料
清水山遺跡、三ツ屋遺跡
相沢忠洋調査資料 桝形遺跡
相沢忠洋調査資料 西鹿田中島遺跡、石山遺跡
相沢忠洋年譜
本調査の実施 岩宿Ⅰ石器文化の石器 重要文化財・明治大学博物館所蔵
本調査の実施 岩宿Ⅱ石器文化の石器 重要文化財・明治大学博物館所蔵
本調査の実施 岩宿Ⅲ石器文化の石器 重要文化財・明治大学博物館所蔵
新資料の発見
駐車場地点の石器、岩宿Ⅱ遺跡出土の石器
最古の石器を求めて 岩宿遺跡D地点出土資料
新資料の発見 駐車場地点の石器

上左:黒曜石(和田峠)、上右:チャート(あきる野市五日市秋川)
下左:サヌカイト(  )、下右:サヌカイト(高松市国分寺町五色台)

チャート:角岩、堆積岩の一種、主成分は二酸化ケイ素、放散虫・海綿動物などの
殻や骨片が海底に堆積してできた非常に硬い岩石

みどり市岩宿博物館 14:25
みどり市岩宿博物館 14:25

岩宿遺跡
岩宿遺跡パンフレット

遺跡の調査

遺跡の整備と新資料の発見

相澤忠洋像 14:37
 1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋は、
切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から石器を発見した。
岩宿遺跡 14:37
琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置している。
岩宿遺跡A地点 14:39
日本で初めて関東ローム層の中から石器が出土することを
発掘調査によって確認された記念すべき場所。
1949年7月、誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を相澤忠洋氏が発見した。
この発見は、相澤忠洋氏がと明治大学が岩宿遺跡を発掘調査をすることになった。
1949年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊は、それまで未知の地層であった
関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土することを確認した。
岩宿ドーム 14:40
史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設(岩宿ドーム)パンフレット
岩宿遺跡と地層区分と石器の出土位置
B地点の発掘調査、相澤忠洋氏採集の石器、岩宿遺跡のB地点の地層 
岩宿ドーム 関東ローム地層の断面 14:42
色の異なる地層の中央あたりが岩宿Ⅰ文化層、その上部が岩宿Ⅱ文化層
岩宿ドーム 14:55

前橋市粕川歴史民俗資料館
前橋市粕川歴史民俗資料館 15:22
前橋市粕川歴史民俗資料館 15:22
前橋市粕川歴史民俗資料館パンフレット
前橋市粕川歴史民俗資料館パンフレット
粕川歴史民俗資料館 展示室 15:25
目が顔の前にある埴輪馬
目が顔の前にある埴輪馬
埴輪 人物、巫女、家、帽子、盾
石器
熊の穴Ⅱ遺跡、堀越甲真木B遺跡、頭無遺跡
石器
鳥取福蔵寺Ⅱ遺跡
尖底深鉢形土器 縄文時代早期、深鉢形土器
深鉢形土器 縄文時代前期
深鉢形土器 縄文時代前期
深鉢形土器 縄文時代
深鉢形土器 縄文時代
深鉢形土器 縄文時代中期
浅鉢形土器、注口形土器、異形台付土器 縄文時代後期
深鉢形土器 縄文時代晩期
弥生時代前期、中期の土器(右側)
上細井中西部遺跡群、青柳宿上遺跡
弥生時代後期の土器 小型広口壺、甕
荒口前原遺跡
古墳時代の土器 杯
古墳時代の土器 甕
奈良・平安時代の土器 甕と杯
奈良・平安時代の土器 甕と瓦
奈良・平安時代の土器 広口壺、椀、青渦文瓶
民俗資料展示
養蚕用具
養蚕用具、石臼
養蚕用具
足踏み式脱穀機
前橋市粕川出土文化財管理センター 15:54
前橋市粕川歴史民俗資料館の隣

桐生市新里町郷土資料館
新里町の遺跡から出土した土器や石器、江戸時代の歌舞伎舞台や民俗文化財などを展示。
出土遺物:旧石器~縄文時代、古墳~奈良・平安時代
市指定重要文化財:「新川の歌舞伎舞台下座」(江戸時代後期)
(展示室は2階のみ)
桐生市新里町郷土資料館 16:17
桐生市新里総合センター受付で見学申し込みをして、鍵を開けてもらった。
桐生市新里総合センター
深鉢 広間地東B遺跡D2土抗 縄文時代前期(黒浜式)
 深鉢 武井城遺跡 縄文時代前期(浮島2式)
獣面把手付き深鉢、土偶、軽石製品 新里村城遺跡 縄文時代前期 
深鉢 十三塚遺跡 縄文時代中期 
深鉢 五反田遺跡 縄文時代中期
土器 大屋H遺跡 縄文時代
土器 大屋H遺跡 縄文時代後期
石棒、石鉢 大屋H遺跡 縄文時代後期
土器 大屋H遺跡 縄文時代
桐生市内遺跡寄贈品
土器 前畑F遺跡 H-8号住居跡 古墳時代
土器 前畑F遺跡 H-8号住居跡 古墳時代
土器 平安時代
土器 大屋H遺跡 居館内出土 古墳時代

鍛冶屋道具
やっとこ
ふいご
企画展示 複製品で見る古代の鋸

不動尊宮殿 
縄文式大型土器(加曾利E式)熊野遺跡出土S50.2
市指定重要文化財:新川の歌舞伎舞台下座(江戸時代後期)
桐生市新里町郷土資料館 16:27
FamilyMartみどり大間々店1 6:43
懇談会用のビール、つまみ類を購入
桐生グランドホテル 16:55
桐生グランドホテル4階409号室からの展望 17:41
桐生グランドホテル4階409号室からの展望 17:41
太陽光発電施設
桐生グランドホテル結婚式場 18:14
気まぐれ酒場「茜家」 18:26
気まぐれ酒場「茜家」 18:33
冷房無し、両側の出入り口が開いていて扇風機が廻っていた。
気まぐれ酒場「茜家」調理場 18:33
気まぐれ酒場「茜家」 18:33
冷房無し、付け出しが焼肉、刺身セットと2時間飲み放題 2,500円
気まぐれ酒場「茜家」 19:41
桐生グランドホテル 21:18
桐生グランドホテルに戻り、懇談会22:30まで、
その後 就寝。

エアコンを止めて寝たので、真夜中午前2時ごろ、とても暑くなり起きた。
暗闇でエアコンをONにしたつもりが送風になっていて、朝まで極暑の中で寝た。
早朝6時起床して朝風呂に行き、その後エアコンを設定し直し冷房になった。

2023年8月4日(金)
6::00起床、朝風呂
桐生グランドホテルにて朝食 7:00
朝食 7:04
桐生グランドホテルにて 8:05
桐生グランドホテルにて 8:06
桐生グランドホテル8:06―(33.4㎞, 63分)― 9:21赤城山大沼・赤城神社

赤城大沼・大洞赤城神社
上毛三山
赤城山(黒檜山1823m、駒ケ岳、地蔵岳、荒山、鍋割山)
榛名山(榛名富士、掃部ケ岳1449m、烏帽子ケ岳)
妙義山(白雲山1104m、金洞山、金鶏山)
赤城大沼・赤城神社駐車場 9:21
啄木鳥(キツツキ)橋の架け替え工事中(長さ72m,幅2.5m)
上部工は木桁板橋、下部工がコンクリートパイル橋脚の単純連続桁橋
正面の山:長七郎山1579m
赤城大沼 
左から黒檜山1827.7m、大ダルミ、駒ケ岳1685m
大洞赤城神社 9:26
赤城神社由緒記 9:27
赤城神社にて 9:30
赤城神社にて 9:30
赤城大沼と地蔵岳1685m 9:33
赤城神社 赤城大明神 9:38
赤城神社 赤城大明神 9:41
赤城神社駐車場周辺 9:46
赤城大沼湖畔 後方の森:国定忠治の像 10:02
国定忠治の像 10:03

国定忠治の像10:03―(29.2㎞,55分)―11:20前橋市役所11:30ー(4㎞,10分)―
11:40前橋市総社歴史資料館12:09―12:24蛇穴山古墳12:30―12:33宝塔山古墳

前橋市総社歴史資料館
前橋市域において古墳時代には、東日本最大の前方後方墳である前橋八幡山古墳や
前橋天神山古墳、宝塔山古墳蛇穴山古墳などが築かれた。
古墳時代終期には、総社地区に塑像などの優美な出土品で知られる山王廃寺が創建され、
奈良時代に元総社地区に国府や国分寺がつくられるなど、
古代上野国の政治・文化の中心地として栄えた。

 1階展示室、県内最大級の終末期古墳を擁する総社古墳群
東国最古級の古代寺院であり、貴重な資料が発見されている山王廃寺
総社城の築城や天狗岩用水の開削などの基礎を築いた秋元氏について、
出土品やジオラマなどの展示を行っている。
2階展示室、古代から現代までの生活に関する展示、企画展示などを行っている。
前橋市総社歴史資料館 11:41
古代の群馬は「上野国」その中心は前橋 地図
総社の歴史を紐解く旅 パンフレット 
前橋市総社歴史資料館
総社の歴史を紐解く旅 パンフレット 前橋市総社歴史資料館
東国の雄 総社古墳群、秋元氏と天狗岩用水、山王廃寺など
榛名山当南麓に広がる古墳群
東国の雄 総社古墳群
榛名山当南麓に築かれた古墳群
5世紀後半から造られ始め、地域の開発と農業生産によって財力を付けた豪族の代々の墓
群馬県の古墳群説明
群馬県は古墳時代には「上毛野(かみつけの)」と呼ばれていた。
群馬県内には13,500基以上の古墳があると推定されている。
古墳時代の上毛野
総社古墳群のうつり変わり
王山古墳(前橋市指定史跡)
王山古墳(前橋市指定史跡)
遠見山古墳(前橋市指定史跡)
総社二子山古墳(国指定史跡)
総社二子山古墳(国指定史跡)
頭椎太刀柄頭
総社二子山古墳出土
総社二子山古墳
最大の前方後円墳、頭椎太刀画幅、六鈴釧、勾玉・刀子等
愛宕山古墳
愛宕山古墳
大型方墳の時代 愛宕山古墳 7世紀前半
この頃は、前方後円墳が造られなくなった。
埴輪は立てられない、巨石を積み上げた横穴式石室

山王廃寺
山王廃寺(国指定史跡)
山王廃寺 東日本最古の本格的寺院
古代の上毛野 古代寺院
山王廃寺 石造美術
山王廃寺 鴟尾(しび)
山王廃寺 鴟尾(しび)
山王廃寺の軒を飾った瓦
山王廃寺 瓦をつくる
出土品から
山王廃寺を探る
山王廃寺から出土した様々な美術品
山王廃寺 法隆寺に匹敵する塑像群が発見された
山王廃寺 法隆寺に匹敵する塑像群が発見された
塔に花咲く塑像群
塑像群
塑像群
よみがえる山王廃寺の塑像群
山王廃寺は「放光寺」であった
山王廃寺は「放光寺」であった
山王廃寺の創建と終焉
山上碑と上野国交替実録帳

上野国府と上野国分寺・国分尼寺
上野国府は前橋市総社町にあった
天平の甍、国分僧寺と国分尼寺

豊かな実り、ムラの様子と人々のくらし
豊かな実り、ムラの様子と人々のくらし
煮る
煮る 縄文土器、釜、鉄鍋、アルミ製鍋等
煮る
測る
暖める
前橋こけしの変遷
用水路の開削と新田開発
前橋台地、端気川、広瀬川、広瀬川低地 ジオラマ模型
秋元氏と総社
秋元氏と天狗岩用水
力田遺愛碑レプリカ  実物は光巌寺境内にある。
養蚕用具

蛇穴山古墳
蛇穴(じゃけつやま)古墳 11:46
前橋市総社歴史資料館からの展望
蛇穴山古墳石室 開口部(羨門・せんもん) 12:24
蛇穴山古墳 玄室 12:25
国指定史跡 蛇穴山古墳推定復元図 12:27
 蛇穴山古墳(国指定史跡)
 蛇穴山古墳(国指定史跡)
蛇穴山古墳説明
蛇穴山古墳石室模型と鉄釘
蛇穴山古墳墳丘模型
国指定史跡 蛇穴山古墳説明板
 12:27
史跡蛇穴山古墳 石碑 12:27
昭和49年12月23日指定
史跡蛇穴山古墳 12:27
史跡蛇穴山古墳 墳丘からの展望 12:28
史跡蛇穴山古墳 墳丘からの展望 12:28
左後方の森:宝塔山古墳

宝塔山古墳
宝塔山古墳
宝塔山古墳 12:33
国指定史跡 宝塔山古墳推定復元図 12:33
宝塔山古墳(国指定史跡)
宝塔山古墳(国指定史跡)
宝塔山古墳説明
史跡 宝塔山古墳説明板
天台宗秋元山 光巌寺 12:34
手前左側:宝塔山古墳
宝塔山古墳
石室 開口部(羨門・せんもん) 12:36
宝塔山古墳
石室 羨道 12:37
宝塔山古墳
石室 玄室 12:38
宝塔山古墳石室 羨道と玄室 12:37
宝塔山古墳 墳丘部 12:39
前橋市指定遺跡 秋元氏歴代墓地
昭和56年4月27日指定
前橋市指定遺跡 秋元氏歴代墓地

昼食
そば処大村総社 12:55
そば処大村総社 12:55
そば処大村総社 12:58
そば処大村総社メニュー 12:59
天もりそば1,100円
「和食」ユネスコ無形文化遺産登録 13:33
全国麺類生活衛生同業組合連合会から配布された。

そば処大村総社13:40ー(4.6㎞,12分)―駒寄PAスマートインターチェンジ13:56―
(関越道㎞,分,1,050円)―14:29月夜野IC14:00―(37.5㎞,38分)―14:40矢瀬遺跡

矢瀬遺跡
矢瀬親水公園駐車場 14:40
国指定史跡 矢瀬(やぜ)遺跡 
国指定史跡矢瀬遺跡パンフレット
平成9年3月17日指定
約3,500年前~2,300年前(縄文時代後晩期)
国指定史跡矢瀬遺跡パンフレット
平面図、祭壇状遺構、配石墓、四隅袖付炉、土器群、耳飾り、先刻石、石錘
矢瀬遺跡 14:43
矢瀬遺跡 14:43
矢瀬遺跡 14:44
矢瀬遺跡 14:44
矢瀬遺跡 14:45
矢瀬遺跡 14:45
矢瀬湧水(三千年の水)碑
矢瀬湧水 14:49
矢瀬湧水(三千年の水)
縄文時代後半期から晩末期の史跡「矢瀬遺跡・矢瀬ムラ内にある縄文の水場から
三千年の間たえまなく懇々と湧き出している水。
灌漑用水路と利根川(車の後方) 14:50
矢瀬親水公園 14:52
道の駅 月夜野矢瀬親水公園 14:55
月夜野はーべすと(野菜945円)

矢瀬遺跡14:55―(13㎞,19分)―15:31天一美術館
天一美術館
天一美術館入口へ 15:31
天一美術館入口へ 15:31
天一美術館駐車場 15:32
天一美術館入口 15:32
入館料1,300円
天一美術館前庭 15:32
むくげ、ユリの花
天一美術館入口にオニヤンマの飾り 15:33
天一美術館 15:39
展示品は撮影禁止
天一美術館パンフレット
天一美術館パンフレット
「銀座天一」の創業者・矢吹勇雄のコレクションを収蔵した美術館。平成9年開館。
岸田劉生(麗子像)、熊谷守一(わさび谷)、梅原龍三郎(白磁鉢果物)、
藤田嗣治(少女像)、安井曾太郎(久谷鉢と桃)、藤島武二(旭日(潮岬))、
青木繁、佐伯祐三、北大路魯山人、川喜田半泥子、ピカソ、マティス、ルオー、
ルノワール、肉筆浮世絵美人画、江戸期文人画、李氏朝鮮の陶磁器など展示している。
天一美術館 15:40
天一美術館 15:40
天一美術館 15:49
天一美術館 15:49
設計:吉村順三(1908~1997)
天一美術館 15:50
天一美術館 16:08

天一美術館16:20―(4.7km,9分) ―16:37天狗の湯きむら苑
天狗の湯きむら苑
天狗の湯きむら苑 16:37
天狗の湯きむら苑 露天風呂(混浴) 16:37
天狗の湯きむら苑 16:38
宿泊は休業中
天狗の湯きむら苑  16:39
天狗の湯きむら苑にて  16:44
月夜野、水上、新治が町村合併するときの町長選び及び町名選びの話を聞いた。
町名は元水上町長であった木村さんが提案した若山牧水の「みなかみ紀行」を
参考にしたひらがなの「みなかみ町」になった。
若山牧水は、43年の生涯の間に8度も上州(群馬)を訪れた。
天声人語(朝日新聞2023/8/19)
みなかみ町について 2023/8/19追記
天狗の湯きむら苑にて  16:46
約10年前にタクラマカン沙漠を旅行した時、般若心経の色即是空のとは何か?と話し合ったことがあった。その後、木村さんはいろいろ勉強してを理解したようである。
時々、会合の挨拶でについて話していると言っていた。
は、もしあなたが亡くなっても、みなかみを良くしようとしていたことをみなさまの心の中に残り、見守っていることだと思うとのこと。」これも変遷する。
について、私は相変わらず分からない。
は、諸行無常のことかな?例えれば小川の流れのようなことかな?水の泡のことかな?
木村さんは、右こめかみあたりを今年6月ごろ手術をしてまだ治療中であった。
昭和9年生まれでまだまだ心身ともに元気で、温泉の仕事も継続している。
何かやることがあれば健康でいられるのかもしれない。

天狗の湯きむら苑17:55―(2.1㎞,4分)―水上IC18:03―
―(関越道・圏央道,133㎞,1時間30分,3,840円)―双葉SA,夕食とんかつ丼―
―20:31青梅IC―(6.5㎞,17分)―20:50N氏宅ー(5.4㎞,15分)ー
―21:05T氏宅ー(1.6㎞,5分) ―21:15自宅