2023年8月3日(木)~4日(金)
赤城山南麓の旧石器、縄文、古墳時代の遺跡を極暑の夏なのに3人で訪ねた。
赤城大沼(1,310m)は、前橋市街地よりも約10度低く23度でとても涼しく感じた。
みなかみ町では矢瀬遺跡、天一美術館を訪ねた後、10年前にタクラマカン沙漠縦断の旅で
一緒であった元みなかみ町長で天狗の湯きむら苑の木村氏を訪ね、
色即是空などの話で懐かしい想いをした。
赤城山南麓遺跡の旅
日程 2023年8月3日(木)
自宅7:00―T氏宅―7:20N氏宅―青梅IC7:38―(圏央道、北関東自動車 88.3km,1H,2,720円)―8:55波志江PAスマートインターチェンジ9:01―(4.8km,10分)―9:20大室古墳群10:25―(5.6km,10分)―10:40赤堀歴史民俗資料館11:25―(3.8㎞,10分)―11:40国定忠治の墓(養寿寺)11:30―(8.8㎞,20分)―12:10昼食(めん処味処酒処ふる川)13:25―(2.5㎞,6分)―13:36みどり市岩宿博物館14:25―14:37岩宿遺跡14:55―(8.1km,15分)―15:22前橋市粕川歴史民俗資料館15:54―(2.6㎞,6分)―16:17桐生市新里町郷土資料館16:27―(3.8㎞,8分)―16:42FamilyMartみどり大間々店16:43―(3.2㎞,7分)―16:54桐生グランドホテル(洋室,朝食付き,3名,26,100円)休息・風呂18:18―(0.3㎞,徒歩4分)―18:26夕食「気まぐれ酒場・茜家」19:41 ―21:18桐生グランドホテルで懇談会22:30 就寝
日程 2023年8月4日(金)
桐生グランドホテル8:06―(33.4㎞, 63分)― 9:21赤城山大沼・赤城神社9:46―10:02国定忠治の像10:03―(29.2㎞,55分)―11:20前橋市役所11:30ー(4㎞,10分)―11:40前橋市総社歴史資料館12:09―12:24蛇穴山古墳12:30―12:33宝塔山古墳12:50―(0.4㎞,1分―12:54昼食(そば処大村総社)13:40ー(4.6㎞,12分)―駒寄PAスマートインターチェンジ13:56―(関越道㎞,分,1,050円)―14:29月夜野IC14:00―(37.5㎞,38分)―14:40矢瀬遺跡14:55―(13㎞,19分)―15:31天一美術館16:20―(4.7km,9分) ―16:37天狗の湯きむら苑17:55―(2.1㎞,4分)―水上IC18:03―(関越道・圏央道,133㎞,1時間30分,3,840円)―双葉SA,夕食とんかつ丼―20:31青梅IC―(6.5㎞,17分)―20:50N氏宅ー(5.4㎞,15分)ー21:05T氏宅ー(1.6㎞,5分) ―21:15自宅
費用:約27,300円
内訳
*交通費:12,435円(4,145円/人)
高速道路料金 7,610円、ガソリン代 29.6L(444km)*163円/L=4,825円
*宿泊費:26,100円(8,700円/人)桐生グランドホテル
*食事代:6,300円
昼食:めん処味処酒処ふる川、海老天もりひもかわ1,520円、夕食居酒屋・茜家2,500円
昼食:そば処、天もりそば 1,100円、夕食:双葉SA、ひれかつソースカツ丼1,180円
*入場料:1,610円
天一美術館 1,300円、岩宿博物館 310円
*土産:6,514円
月夜野はーべすと(きゅうり20本、きくらげ2パック945円)、セブンイレブン青梅日立前店(プリン、あんみつ、ハニーシトラスヴェリーヌ2,789円)、梅林堂(こもれび2号2,780円)
2023年8月3日(木)
大室古墳群
群馬県には約13,000基の古墳があり「古墳王国群馬」と言われている。
2020年2月 JR東日本「大人の休日倶楽部」の宣伝で吉永小百合さんが訪れた古墳
https://www.bb-navi.com/cm-douga/yoshinagasayuri.html
吉永小百合 JR東日本 CM 古墳王国 群馬篇 30秒版
https://youtu.be/tsx9uP9Vq8Q
前二子古墳説明板 明治11年調査
前二子古墳説明板
前二子古墳の墳丘にて 9:31
墳丘長111メートルを測る大室古墳群最大の前方後円墳
大室はにわ館修復作業員の方が民家園まで案内してくれた。
右側の森が前方後円墳・後二子古墳
後二子古墳
国指定遺跡 後二子古墳パンフレット
赤城型民家(養蚕農家)、展示品は見物できなかった。
羨門:横穴式石室の羨道の入口
JR東日本「大人の休日倶楽部」の宣伝で吉永小百合さんが出演した前二子古墳の石室
赤堀歴史民俗資料館
1階展示室に旧石器時代から奈良・平安時代までの埋蔵文化財を展示。
特に2体の馬形埴輪は県内最大級の大きさ。2階展示室は民俗資料等を展示。
浅間山噴火(天明3年・1783年)から73年後の安政3年(1856年)に作成された絵図
伊勢崎市と赤城山・利根川・渡良瀬川 10:55
詳細赤堀歴史民俗資料館URL
2体の馬形埴輪は県内最大級の大きさ
長持形石棺 10:54
5世紀中頃の築造 群馬県指定重要文化財に指定
前方後円墳・お富士山古墳(伊勢崎市指定史跡)から出土
鶏形埴輪の羽 赤堀茶臼山古墳出土 古墳時代中期
八角倉庫模型
国定忠治の墓(養寿寺)
墓は、伊勢崎市国定町の養寿寺と伊勢崎市曲輪町の善應寺にある。
国定忠治
本名:長岡忠次郎、江戸時代後期の侠客。
文化7年(1810年)生まれ~嘉永3年12月21日(1851年1月22日)。
博徒として上州から信州一帯で活動し、盗区として一帯を実質支配する。
伝承によれば、天保の大飢饉に私財を投じて窮民に施したり、
賭博のあがりで農業用水である磯沼の浚渫をおこなった侠客として、
講談・浪曲、新国劇などの題材となった。
そして伝説の美化作用によって故郷の英雄となった。
島村の伊三郎を殺し赤城山に篭ったが、関東取締出役の追及を受け、
妾の家で中風で倒れた所を逮捕され、勘定奉行池田播磨守の吟味で
最も重罪である大戸関所の関所破りにより死罪判決となり、
大戸処刑場で磔刑された。享年41歳。
磔にあたっては、刑場まで威風堂々と道中行列を演技し衆目を驚かせている。
喧嘩にはめっぽう強く「国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を切る」と謳われた。
実際は、かなり粗暴で残忍な薄情者で、強姦もした一介の極道者ヤクザ者に過ぎなかった。
子分の板割浅太郎が忠治の心遣いに気付かず伯父の三室勘助を斬殺したなどと
語り伝えられてはいるものの、実際には忠治が子分8人を同行させ、
十手持ちの勘助を無理やり浅太郎に殺させたというのが真相だ。
勘助の幼な子を引き取って忠治が養育してやったなどともいい、
それがいわゆる「赤城の子守唄」の美談となって、
「忠治こけし」を生み出したとはいえ、
実際には父子もろとも浅太郎に殺さている。
国定忠治の肖像(田崎草雲画)
「赤城の山も今宵を限り・・・」新派「深川の鈴/国定忠治」
めん処味処酒処ふる川
みどり市岩宿博物館
第2次世界大戦の頃までの考古学者は、発掘を進めて赤土(関東ローム層)が出ると
それを「地山」と呼び、それ以上掘ることは無かった。
土器を使っていた縄文時代の人々が日本の最初の住人だと考えられていた。
この考古学・日本史の常識を覆し、日本にも世界史でいう旧石器時代段階に人々が
生活していたことをはじめて岩宿遺跡が明らかにした。
相沢忠洋氏が調査で使用していた自転車
岩宿発見当時行商(納豆売り)で使用していた自転車
相沢忠洋氏が調査で使用していたオートバイ
石器文化の変化
4万年前から1.5万年前までの石器類
相沢忠洋調査資料 岩宿遺跡
右上:1946年、岩宿発掘以前に最初に発見された石器類、
及び岩宿遺跡で最初に発掘された石器・石刃
岩宿遺跡発見の契機となった槍先形尖頭器
相沢忠洋氏が1949年7月に発見した石器・槍先形尖頭器
これを契機として発掘調査が実施され、岩宿遺跡から「旧石器時代」研究の幕が開いた。
岩宿遺跡周辺の遺跡地図
相沢忠洋調査資料 岩宿遺跡
相沢忠洋氏の資料のすべてを「みどり市岩宿博物館」に寄贈した。
桝形遺跡、元宿遺跡、清水山遺跡
洞原遺跡、不二山遺跡、権現山遺跡、山寺山遺跡、夏井戸遺跡、磯遺跡
相沢忠洋調査資料
清水山遺跡、三ツ屋遺跡
相沢忠洋調査資料 桝形遺跡
相沢忠洋年譜
本調査の実施 岩宿Ⅰ石器文化の石器 重要文化財・明治大学博物館所蔵
新資料の発見 駐車場地点の石器
下左:サヌカイト( )、下右:サヌカイト(高松市国分寺町五色台)
チャート:角岩、堆積岩の一種、主成分は二酸化ケイ素、放散虫・海綿動物などの
殻や骨片が海底に堆積してできた非常に硬い岩石
みどり市岩宿博物館 14:25
岩宿遺跡
1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋は、
切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から石器を発見した。
岩宿遺跡 14:37
琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置している。
発掘調査によって確認された記念すべき場所。
1949年7月、誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を相澤忠洋氏が発見した。
この発見は、相澤忠洋氏がと明治大学が岩宿遺跡を発掘調査をすることになった。
1949年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊は、それまで未知の地層であった
関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土することを確認した。
岩宿ドーム 関東ローム地層の断面 14:42
色の異なる地層の中央あたりが岩宿Ⅰ文化層、その上部が岩宿Ⅱ文化層
前橋市粕川歴史民俗資料館
粕川歴史民俗資料館 展示室 15:25
目が顔の前にある埴輪馬
目が顔の前にある埴輪馬
埴輪 人物、巫女、家、帽子、盾
鳥取福蔵寺Ⅱ遺跡
上細井中西部遺跡群、青柳宿上遺跡
弥生時代後期の土器 小型広口壺、甕
荒口前原遺跡
古墳時代の土器 杯
前橋市粕川歴史民俗資料館の隣
桐生市新里町郷土資料館
新里町の遺跡から出土した土器や石器、江戸時代の歌舞伎舞台や民俗文化財などを展示。
出土遺物:旧石器~縄文時代、古墳~奈良・平安時代
市指定重要文化財:「新川の歌舞伎舞台下座」(江戸時代後期)
桐生市新里町郷土資料館 16:17
桐生市新里総合センター受付で見学申し込みをして、鍵を開けてもらった。
深鉢 広間地東B遺跡D2土抗 縄文時代前期(黒浜式)
深鉢 武井城遺跡 縄文時代前期(浮島2式)
FamilyMartみどり大間々店1 6:43
懇談会用のビール、つまみ類を購入
冷房無し、両側の出入り口が開いていて扇風機が廻っていた。
気まぐれ酒場「茜家」調理場 18:33
気まぐれ酒場「茜家」 18:33
冷房無し、付け出しが焼肉、刺身セットと2時間飲み放題 2,500円
エアコンを止めて寝たので、真夜中午前2時ごろ、とても暑くなり起きた。
暗闇でエアコンをONにしたつもりが送風になっていて、朝まで極暑の中で寝た。
早朝6時起床して朝風呂に行き、その後エアコンを設定し直し冷房になった。
2023年8月4日(金)
6::00起床、朝風呂
桐生グランドホテル8:06―(33.4㎞, 63分)― 9:21赤城山大沼・赤城神社
赤城大沼・大洞赤城神社
上毛三山
赤城山(黒檜山1823m、駒ケ岳、地蔵岳、荒山、鍋割山)
榛名山(榛名富士、掃部ケ岳1449m、烏帽子ケ岳)
妙義山(白雲山1104m、金洞山、金鶏山)
上部工は木桁板橋、下部工がコンクリートパイル橋脚の単純連続桁橋
正面の山:長七郎山1579m
左から黒檜山1827.7m、大ダルミ、駒ケ岳1685m
赤城神社由緒記 9:27
国定忠治の像10:03―(29.2㎞,55分)―11:20前橋市役所11:30ー(4㎞,10分)―
赤城神社にて 9:30
赤城大沼と地蔵岳1685m 9:33
国定忠治の像10:03―(29.2㎞,55分)―11:20前橋市役所11:30ー(4㎞,10分)―
11:40前橋市総社歴史資料館12:09―12:24蛇穴山古墳12:30―12:33宝塔山古墳
前橋市総社歴史資料館
前橋市域において古墳時代には、東日本最大の前方後方墳である前橋八幡山古墳や
前橋天神山古墳、宝塔山古墳、蛇穴山古墳などが築かれた。
古墳時代終期には、総社地区に塑像などの優美な出土品で知られる山王廃寺が創建され、
奈良時代に元総社地区に国府や国分寺がつくられるなど、
古代上野国の政治・文化の中心地として栄えた。
1階展示室、県内最大級の終末期古墳を擁する総社古墳群、
東国最古級の古代寺院であり、貴重な資料が発見されている山王廃寺、
総社城の築城や天狗岩用水の開削などの基礎を築いた秋元氏について、
出土品やジオラマなどの展示を行っている。
2階展示室、古代から現代までの生活に関する展示、企画展示などを行っている。
東国の雄 総社古墳群、秋元氏と天狗岩用水、山王廃寺など
榛名山当南麓に築かれた古墳群
5世紀後半から造られ始め、地域の開発と農業生産によって財力を付けた豪族の代々の墓
群馬県は古墳時代には「上毛野(かみつけの)」と呼ばれていた。
群馬県内には13,500基以上の古墳があると推定されている。
この頃は、前方後円墳が造られなくなった。
埴輪は立てられない、巨石を積み上げた横穴式石室
山王廃寺
山王廃寺 瓦をつくる
よみがえる山王廃寺の塑像群
山上碑と上野国交替実録帳
煮る
蛇穴山古墳
蛇穴山古墳 玄室 12:25
昭和49年12月23日指定
左後方の森:宝塔山古墳
宝塔山古墳
史跡 宝塔山古墳説明板
手前左側:宝塔山古墳
前橋市指定遺跡 秋元氏歴代墓地
昼食
そば処大村総社 12:55
天もりそば1,100円
全国麺類生活衛生同業組合連合会から配布された。
そば処大村総社13:40ー(4.6㎞,12分)―駒寄PAスマートインターチェンジ13:56―
(関越道㎞,分,1,050円)―14:29月夜野IC14:00―(37.5㎞,38分)―14:40矢瀬遺跡
矢瀬遺跡
平成9年3月17日指定
平面図、祭壇状遺構、配石墓、四隅袖付炉、土器群、耳飾り、先刻石、石錘
矢瀬湧水 14:49
矢瀬湧水(三千年の水)
縄文時代後半期から晩末期の史跡「矢瀬遺跡・矢瀬ムラ内にある縄文の水場から
約三千年の間たえまなく懇々と湧き出している水。
灌漑用水路と利根川(車の後方) 14:50月夜野はーべすと(野菜945円)
矢瀬遺跡14:55―(13㎞,19分)―15:31天一美術館
天一美術館
入館料1,300円
むくげ、ユリの花
展示品は撮影禁止
「銀座天一」の創業者・矢吹勇雄のコレクションを収蔵した美術館。平成9年開館。
岸田劉生(麗子像)、熊谷守一(わさび谷)、梅原龍三郎(白磁鉢果物)、
藤田嗣治(少女像)、安井曾太郎(久谷鉢と桃)、藤島武二(旭日(潮岬))、
青木繁、佐伯祐三、北大路魯山人、川喜田半泥子、ピカソ、マティス、ルオー、
ルノワール、肉筆浮世絵美人画、江戸期文人画、李氏朝鮮の陶磁器など展示している。
天一美術館16:20―(4.7km,9分) ―16:37天狗の湯きむら苑
天狗の湯きむら苑
宿泊は休業中
月夜野、水上、新治が町村合併するときの町長選び及び町名選びの話を聞いた。
町名は元水上町長であった木村さんが提案した若山牧水の「みなかみ紀行」を
参考にしたひらがなの「みなかみ町」になった。
若山牧水は、43年の生涯の間に8度も上州(群馬)を訪れた。
みなかみ町について 2023/8/19追記
約10年前にタクラマカン沙漠を旅行した時、般若心経の色即是空の空とは何か?と話し合ったことがあった。その後、木村さんはいろいろ勉強して空を理解したようである。
時々、会合の挨拶で空について話していると言っていた。
「空は、もしあなたが亡くなっても、みなかみを良くしようとしていたことをみなさまの心の中に残り、見守っていることだと思うとのこと。」これも変遷する。
空について、私は相変わらず分からない。
空は、諸行無常のことかな?例えれば小川の流れのようなことかな?水の泡のことかな?
木村さんは、右こめかみあたりを今年6月ごろ手術をしてまだ治療中であった。
昭和9年生まれでまだまだ心身ともに元気で、温泉の仕事も継続している。
何かやることがあれば健康でいられるのかもしれない。
天狗の湯きむら苑17:55―(2.1㎞,4分)―水上IC18:03―
―(関越道・圏央道,133㎞,1時間30分,3,840円)―双葉SA,夕食とんかつ丼―
―20:31青梅IC―(6.5㎞,17分)―20:50N氏宅ー(5.4㎞,15分)ー
―21:05T氏宅ー(1.6㎞,5分) ―21:15自宅