2019年9月22日日曜日

瑞世随行(総持寺)、川崎大師

8月23日24日は総持寺8月28日29日は永平寺で、瑞世随行(瑞世の御供)として拝宿(寺に泊めさせていただくこと)、拝登(お参りさせていただくこと)をさせていただいた
瑞世儀式参加と参籠(寺で過ごし修行の雰囲気に触れること)、本山内の見学をした。
永平寺は道元禅師、総持寺は瑩山禅師が開かれた寺院である。

 瑞世とは、両本山において、その日の朝のお勤めの導師を務めることである。
曹洞宗では、和尚になるために、いくつかの段階(資格)を踏まなければならない。
得度<とくど>をする。出家する事。
安居<あんご>をする。専門僧堂において修行をする事。
首座<しゅそ>をする。他の修行僧の先頭に立ち修行する事。
法戦<ほっせん>をする。首座が他の修行僧と問答する事。
嗣法<しほう>をする。師僧より法を嗣ぐ事。
これらを踏まえた上で、瑞世となる。一人前になるための仕上げの行である。
その両大本山で導師を務めるのは、多くの僧侶にとって一生に一度のこと。
瑞世は、曹洞宗僧侶としての報恩の誓いの場となる。


現在の日本曹洞宗では、『曹洞宗宗制』「曹洞宗僧侶教師分限規程」に於いて、
転衣(黒色の袈裟を改めて色袈裟に転ずること)を了じた者が2年以内に両大本山に瑞世拝登を行うことになっている。瑞世が終わって僧籍簿への登録が済んで、初めて和尚の法階と、住職になる教師資格を得ることになる。
そして結制安居によって法幢(仏法の旗じるし)を建てた者に対して与えられる法階が大和尚である。

一般人が瑞世随行をしたので、めったにないとても貴重な体験であった。


総持寺にて 8月24日 6:53 
サバウ秀禅師(大恵山棟岩院)はルーマニア人で数学者、空手師範である。
相承:仏教において法が師から、弟子へと相続されること。
永平寺にて 8月29日 9:00
一緒に瑞世を行った僧侶

8月23日24日 総持寺にて瑞世随行
着付け練習 8月22日
 着付け
 着付け
着付け
8月23日 12:48 総持寺駐車場
午前11時にあきる野ICから首都圏中央連絡自動車道海老名、国道468号町田、
東名高速道路 と 保土ヶ谷バイパス、国道16号横浜 、神奈川産業道路、
首都高速神奈川1号横羽線鶴見経由で総持寺駐車場に着いた。(約90km)





総持寺三門 12:55
木原崇雲氏が妻の菩提のために寄進され、昭和四十四年に落成した建物
三門には、左右に元横綱・北の湖関の姿の阿吽の仁王像が納められている。
三門楼上には、観音・地藏の放光菩薩像と十六羅漢像および四天王像が祀られている。
三門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世・岩本勝俊禅師の書。
総持寺三門 13:03
梅壽庵 本尊は地蔵願王大菩薩  13:05
梅壽庵横に水子地蔵尊が祀られている
逢人亭にて着替え 13:10
逢人亭にて着替え 13:10
香積台(総受付) 13:20
13時30分ごろ香積台(総受付)で受付(瑞世:5万円、随伴1万円)をし、
受付後、瑞世師は進退馴らし(瑞世予行練習)となり、
私は夕食まで部屋で待つことになった。

三松閣の嵩岳304号室まで雲水(参禅し師に仕えて修行する僧)さんに案内された。



「三松閣」:地上四階、地下二階、9400平方メートルの広さ、檀信徒研修道場、

各種セレモニー会場、宿泊施設が整っている。

能登の総持寺祖院にあった三本の龍形の松にちなんで「三松閣」と呼ばれている。
三松閣の客室・嵩岳304号室 13:38
「日々是好日」 
中国の雲門禅師の悟りの境地を表した最高の言葉
14畳間
エアコン、トイレ、水洗付き
雲水さんから廊下の歩き方、東司(トイレ)での作法などを教えてもらった。
部屋から三門を見る
部屋から駐車場方面を見る

午後5時30分の夕食まで約4時間あったので総持寺境内を見学することにした。
この日は小雨が降ったりやんだりの曇り空であった。
境内の木々が雨に濡れて趣を深め、清められているようであった。
香積台(総受付) 14:13
三松閣  14:13
紫雲臺 (工事中) 14:14
總持寺の住持・禅師の表方丈の間
宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院
紫雲庭は500坪ほどの広さの池泉回遊式庭園

通称「百間廊下」 14:14
長さ164メートル。東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑とを分ける廊下。
廊下の途中に、朝をあらわす「金鶏門」(東)、昼をあらわす「中雀門」(中央)、
夜をあらわす「玉兔門」(西)と呼ばれる脇門(通用門)が北部と南部にある。 
佛殿 14:15
七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、「大雄宝殿」とも呼んでいる。
中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っている。
本尊の脇侍として右は比丘相の迦葉尊者、左には若年美顔相の阿難尊者を祀っている。
須弥壇の左右の壇には、禅宗の初祖である達磨大師と、大権修理菩薩を祀っている。
曹洞禅の祖師である洞山悟本大師と、天童如浄禅師を奉安している。
大祖堂 14:16
開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿
千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トン
貫首禅師演法の大道場、諸種法要修行の場とされる。
この殿堂の内陣の奥には「伝灯院」として、高祖大師・太祖大師・二祖国師・五院開基の尊像及び独住禅師のご真牌が奉安されている。
大祖堂の真下の地階を瑞応殿といい、春の授戒会や秋の御征忌などの大法要、
その他の会合に使用される客殿である。
大祖堂 14:17
大祖堂 14:18
太祖瑩山(けいざん)禅師と高祖道元(どうげん)禅師、二祖・峨山(がさん)禅師を
はじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する靈場である。孤峰(こほう)禅師筆の扁額「現身説法」瑩山・峨山両尊が、常に真理を説き続け、
私たちを導いてくれる祖師方が常在される大道場。 

日々、歴代の禅師様が生きているがごとくお仕えして、徳恩に報いている。 
明治41年(1908)、能登から現在の横浜鶴見が丘に御移東の官許を得て、
移転の建設は着々と進行した。
しかし七堂伽藍の中枢であり、本山の最重要な大祖堂の建立は、
幾多の事情から未建設であり、昭和40年(1965)3月、二祖・峨山禅師の
600回大遠忌を記念して、ようやく竣工・落慶した。
普蔵院・太源宗真をはじめとする妙高庵・通幻寂霊、洞川庵・無端祖環、
伝法庵・大徹宗令、如意庵・実峰良秀各禅師の尊像を配し、
向かって左側には輪住、独住の諸禅師の尊牌を祀っている。

瑩山禅師が説示された「師檀和合の信念」がひとつに結晶して、
巨額な浄財によって大祖堂が建立されました。
タタミ千畳敷きの広さのなかで、朝夕の勤行、檀信徒の法要が親しく厳修されている。
時に揺るぎない三国(インド、中国、日本)伝燈の大本山の霊場が、
不断に脈打ち、現成されている。
向唐門 
100年以上の経年変化で劣化した檜皮葺屋根の補修の支援のお願い

總持寺は、後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との綸旨を賜り、以後、歴代天皇より勅願寺として仰がれたので、「勅使門」を残した。
御霊殿 14:26
後醍醐天皇廟
墓地案内図
墓地
神刀流開祖 天下無敵 日比野雷風 居士 墓(高さ9m) 14:28
幕末の剣術家
石原裕次郎氏の墓処への案内板 14:30
石原裕次郎氏の墓  14:32
石原裕次郎氏の墓
石原まき子の石碑
芸名:北原三枝
古い墓 

放光堂 14:43
明治44年(1911)11月5日、總持寺が能登から移転されて、
最初に法要が厳修された記念すべき建物。
この堂宇は安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立されたが
總持寺移転に際して特別に献納された。
佛殿 14:43
宝蔵館「嫡々庵」(旧、宝物殿)
開祖瑩山禅師650回大遠忌の記念に建立した。
本山所蔵文化財を一堂に集め、随時一般に公開している。
パリを行脚した時の様子の像とか? 14:46

15時半の夕食まで時間があったので夏季参禅講座に参加した。
大本山總持寺夏季参禅講座 15:05
三松閣4階にある大講堂で講義
全国より参詣される参籠参加者への法話を行う。
正面に釈迦如来坐像 (木彫、像高0.87メートル)を祀っている。 

講義内容
講義者:三重県佛光寺副住職 龍谷孝道氏 
約2時間の講義 17:00
石川素童禅師の実績と相承について聴いた。

 總持寺【瑞世前日】

・瑞世師到着
・三松閣で到着手続(添書提出・報恩金の納入)
・紫雲台瑞世師寮ヘ: 瑞行(瑞世師行者)に導かれて紫雲台瑞世師寮へ赴く
・展待、到着帳に記入、瑞侍(瑞世師侍者)を待つ、瑞侍と展坐具三拝、瑞世師位につく
・進退馴らし:基本進退、如意作法:導師は如意を持ってつとめる、導師焼香法
・薬石 紫雲台瑞世師寮
・入浴
・午後九時開枕(就寝)

薬石(夕食)
禅寺での夕食(薬石・やくせき) 17:30
約4時間の瑞世進退馴らしをした後の食事。紫雲台瑞世師寮
 瑞世師と随行が一緒に薬石をいただく 17:33
部屋の外で2人の雲水が食事が終わるのを待っていてくれた。
お茶や水を給仕してくれた。
僧堂での食事中は会話をしないが、今回は食事しながら会話をした。

仏教本来の戒律では昼の12時以降は食事をとらないことになっている。
そのため食事ではなく薬として解釈し「薬石」と呼ぶようになった。
内容は、麦ご飯(米3:麦7)と「野菜のおかず」1品、漬物だけ。

總持寺の瑞世のときの薬石は、祝い膳になっていて美味しかった。

瑞世の薬石 17:35
食事後、箸は洗って持ち帰り朝食(粥座・しゅくざ)のときにも使う。

僧堂での雲水は、
朝食(粥座・しゅくざ)、昼食(斎座・さいざ)、夕食(薬石・やくせき)
の時には、「五観の偈」を唱えることになっている。
食器には大小いくつかの漆塗りの椀があり、大きい椀から順に重ねて袱紗に包んでいる。
袱紗をひらいて椀を展げたり、箸や匙を取りだしたりする動きのすべてに作法がある。

夕食後、雲水に連れられて「三松閣」の部屋に戻った
雨上がりの夕日で三門に虹が立った 18:05
三門の虹 18:05

夕食後、午後7時半ごろ雲水に連れられて他の雲水たちと一緒に風呂に入った。
翌日、午前4時の起床なので午後9時には消灯し寝た。

8月24日
起床午前4時 寝具整理、洗面・トイレ完了 4:37

瑞世の儀式参加 午前5時ごろから午前6時半ごろまで。
瑞世の儀式にはスマホやバック等は持ち込みできない。(記録写真なし)

【瑞世当日】

「暁天坐禅」 起床白衣、大衣、手巾被著暁天坐禅瑞侍の合図で帰寮
        ⑤搭袈裟、機子を著け、坐具を持つ導師控え室に戻り待機
「御開山拝登」御開山拝登・入大間御洗手御昇壇御真殿御降壇
「朝課随喜」 大衆、導師上殿展坐具三拝(大衆は普同三拝)朝課伝灯諷経
        ④跳龍室へ
「請状授与式」跳龍室ヘ展坐具三拝請状朗読請状授与著座
「湯茶式」  展待坐拝袈裟、坐具を受け着替え大祖堂ヘ
「祝語諷経 」両班入室展坐具三拝上殿進前焼香普同三拝
        ⑥進前焼香維那挙経回向御両尊諷経ヘ
「御両尊諷経」挙経〜読経回向先導師の案内で東序室中ヘ
「祝拝」   東序室中ヘ普同三拝坐拝瑞世師寮ヘ
「朝参」    監院寮で行われる
「祝膳」    瑞世師寮でいただく
「記念写真」  記念写真は、到着時に瑞侍に申し込んでおく事

「下山の拝」  法衣に、絡子、機子を被著する、展坐具三拝、
       「下山、宜しゅう」と述べ一拝する、収坐具する


御開山拝登 ガイド本より
仏殿拝登 HPより

記念撮影撮影の間 6:35
請状2名分 6:37
瑞世の儀式終了 記録写真撮影 6:37
記念撮影 6:53
2人で瑞世の式を行った 6:53
3人で記念撮影 6:54
朝食(粥座・しゅくざ)の間 監院寮  7:00
朝食(粥座・しゅくざ)7:12
粥座・しゅくざ
溪聲廣長舌 山色清淨身   7:13
石川素童禅師書
溪聲便是廣長舌 山色豈非清淨身 夜來八萬四千偈 他日如何擧似人(蘇東坡の句)
渓声便ち是れ広長舌、山色豈に清浄身に非ざらんや
夜中に坐禅していると、渓川を流れる水のせせらぎがお釈迦様の説法と聞こえ、
月の照る山の峰を仰ぐと、お釈迦様の清らかなおからだに見えてくる。
山川草木や牆壁瓦礫など識情のないものも成仏し絶えず説法している。

総持寺駐車場 逢人亭にて着替え  帰路へ 8:08

帰路生まれ育った川崎大師に立ち寄る
総持寺、鶴見駅、京浜第一・国道15号線、川崎大師駅経由川崎大師
約8km、約25分
大師公園8:45
都市公園(地区公園) 
運営者:川崎市(指定管理者:川崎市緑地公園協会)
平間寺(川崎大師)に隣接している。
園内には中国庭園「瀋秀園」がある。
川崎大師自動車祈祷所 8:48
やすらぎ広場 薬師殿
久寿餅店 住吉(大山門前) 8:54
久寿餅 説明書
大山門 8:54
古くから「厄除けのお大師さま」として知られる。
厄除け、家内安全、商売繁昌、健康長寿など諸願成就を祈祷している。
境内案内図
大本堂 8:55
真言宗智山派 金剛山金乗院平間寺 開創:大治3年(1128年)
通称:川崎大師、厄除弘法大師
真言宗智山派大本山:成田山新勝寺、高尾山薬王院、川崎大師平間寺
本尊:弘法大師空海上人、「即身成仏」の教え
開基/創建功徳主:尊賢上人/平間兼乗
縁起
ある夜、ひとりの高僧が兼乗の夢まくらに立ち、兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じると一躰の大師の木像が引き揚げられた。
高野山の尊賢上人が兼乗と力をあわせ、大治3年(1128)に寺を建立した。
大本坊 8:55
弘法大師遍路像 9:00
弘法大師の宝号:「南無大師遍照金剛」
第五十五代横綱北の湖銅像 9:01
北の湖銅像の説明板
川崎大師表参道 9:05
朝早いのでガラガラ 
「久寿餅」や「とんとこ飴/せき止め飴・のど飴」(さらし飴)が有名
川崎市川中島で記念撮影 9:33
記録写真 9:49


大師道・国道409号大師ICから首都高速神奈川1号羽田線、首都高速4号新宿線、

中央自動車道八王子ICを出て、都道169号経由で帰宅 

約66㎞、約1時間20分