2023年10月10日火曜日

千葉の遺跡(加曾利貝塚、龍角寺古墳群)

2023年10月5日(木)~6日(金)
長い極暑もおさまり秋晴れの千葉の遺跡巡りを3人で行ってきた。

千葉県立「房総のむら」にある「風土記の丘資料館」は、改装されていて見学し易かった。
龍角寺古墳群や復元した商家の町並み、武家屋敷、学習院初等科正堂などを見学した。
国史跡 龍角寺古墳群・岩屋古墳(龍角寺105号墳)
古墳時代終末期の方墳としては全国第一位の規模、一辺78m高さ13.2m
古代工法で約14億円、現代工法で約1億円

昼食は、口コミで美味しいと評判のうなぎ屋「い志ばし」でうな重を食べた。
ここで新鮮野菜も販売していて、茹でると美味しい落花生「おおまさり」があり購入した。

宿泊するTJKリゾート金谷城に行く前に君津市立久留里城址資料館に立ち寄った。
里見八犬伝ゆかりの上総久留里城天守閣は、昭和53年に再建したが、
久留里城址資料館から先は、5月11日の地震で天守閣の鯱瓦が破損落下と
6月2日から3日の集中豪雨で路肩崩壊としたため立入禁止になっていた。

翌日(6日)「農溝の滝と亀岩の洞窟」を見た後、
昼食は、保田漁協直営の食事処「ばんや」で海鮮丼やマグロカツ、ブリの漬け鮨、
アジの南蛮漬けなどをお腹一杯食べた。
土産に「ゼグロイワシ」と「ホウボウ」の天日干しを購入した。
昼食後、特別史跡 加曾利貝塚縄文遺跡公園を訪ねた。
加曾利貝塚は、日本最大級の貝塚で、北貝塚のE地点の土器・加曾利E式(縄文中期後半)、
南貝塚のB地点の土器・加曾利B式(縄文後期後半)の標式遺跡としても知られている。
加曾利貝塚は、縄文時代中期から縄文時代後期までの約2,000年の間、
長きに渡り繰り返し利用されてきた。
当日、逗子市の市長たちが電気カートに乗り視察していた。
みにずく形土偶
縄文時代後期 安行2式 加曾利南貝塚 史跡整備第2調査区出土
山形土偶
縄文時代後期 加曾利B3式 加曾利南貝塚 Ⅴトレンチ出土

3連休前であったが都内は渋滞していたが、千葉の遺跡周辺は空いていた。
走行距離568.8km、高速道路料金¥10,930であった。
5日(木)午前6時出発、帰宅は6日(金)午後8時となった。

日程

2023年10月5日(木)
自宅5:50ーT氏宅ー八王子IC6:22ー(中央道・首都高速・湾岸線・東関道 3,500円)
ー8:40冨里ー8:56JR成田駅西口
JR成田駅西口 8:56
中央道・国立あたりから渋滞していた。2時間半の予定が約3時間かっかった。
午前9時のMさんとの待ち合わせに丁度間に合った。
千葉県立房総のむら 風土記の丘資料館 9:17
令和5年4月29日リニューアルオープン
風土記の丘資料館駐車場隣りの古墳 No.78墳 9:18
房総のむら案内図
風土記の丘資料館、商家の町並み、武家屋敷、旧学習院初等科正堂、龍角寺古墳群・岩屋古墳、101号墳などがある。龍角寺古墳群は、現在のところ115基の古墳が確認されている。
房総のむら 航空写真
左下:岩屋古墳、中央左:旧学習院初等科正堂、101号墳、右上:商家の町並み、武家屋敷
龍角寺108号墳石室と瓢塚41号墳石室 9:20
龍角寺古墳群の6基の終末期方墳(7世紀)の中の一つ。
石材は筑波山麓で産出される雲母片岩(通称筑波石)である。
左側の瓢塚41号墳(瓢塚古墳群48基のうちの一つ)とよく似ている。
龍角寺108号墳石室と瓢塚41号墳石室
風土記の丘資料館 国史跡 龍角寺古墳群と龍角寺 9:24
印旛沼を望む高台にある「風土記の丘資料館」周辺には大小115基の古墳が作られ
一帯は資料館の北に位置する寺院の名前にちなんで龍角寺古墳と呼ばれている。
龍角寺古墳群は、全国でも有数の古墳時代後期終末期(6世紀~7世紀)の古墳群として
国の史跡に指定されている。
なかでも一変約78mの岩屋古墳派は、7世紀では全国最大級の方墳として知られている。
また、龍角寺は鳳凰様式(飛鳥時代後期7世紀後半)の薬師如来坐像を本尊として
今に伝える、関東屈指の古刹である。
本資料館では、龍角寺古墳群と龍角寺を中心に県内各地で発掘された旧石器時代から
平安時代の出土品を展示し、最新の調査成果をもとに房総の歴史を紹介している。

風土記の丘資料館 第1展示室
古墳の世界へようこそ! 9:29
龍角寺101号墳出土の埴輪
帆立貝形の古墳、埴輪群像のある古墳、円筒埴輪
埴輪群像のある古墳、101号墳の埋葬の様子、須恵器提瓶(ていへい)
龍角寺古墳群の特徴
龍角寺古墳群配置図
龍角寺古墳群 模型
印旛郡栄町龍角寺 浅間山古墳 説明板
浅間山古墳は「国史跡 龍角寺古墳群・岩屋古墳」の中で、
最大にして最後の前方後円墳である。
浅間山古墳の横穴式石室の模型
前方後円墳から方墳へ 浅間山古墳の横穴式石室の模型
6世紀の終り頃になると、前方後円墳を象徴とした大和王朝の政治体制に変革の機運が
高まり、前方後円墳は近畿地方の中心部で一斉に造られなくなり、間もなく西日本一帯で造営が停止した。王族や貴族の墓は、当時の先進地域であった中国や朝鮮半島の王陵に倣って方墳や円墳に変わった。しばらくの間、前方後円墳の威光を保ち続けた房総でも、
7世紀になると、各地の主な首長墓が方墳へ変わっていった。
浅間山古墳 
金銀の冠飾を着けた被葬者
東国軍団活躍の証、鉄の兜と武器
壬申の乱の武人復元
漆塗りの棺、「印波」首長の交替

「印波」首長の交替、「印波」の在地勢力
須恵器長頸壺 飛鳥時代
公津原古墳群
瓢塚(ひさごづか)40号の石棺からは、銀象嵌で飾られた太刀、
鐙や手綱の金具などの馬具、金銅の鈴、金糸などが出土した。
太刀、金糸、金銅製透彫飾金具
公津原古墳群出土遺物鐙、亀甲繋文銀象嵌円頭太刀 瓢塚40号墳 飛鳥時代
瓢塚40号墳の石棺

岩屋古墳
大型方墳の出現 岩屋古墳模型
浅間山古墳以降、龍角寺古墳群の主な古墳は前方後円墳から方墳に変わった。
岩屋古墳は墳丘一辺78mにおよび二重に周溝をめぐらし、墳丘の高さは13.2m。
墳丘が残る方墳としては全国一の規模を誇る。
貝化石砂岩の石室をもつ方墳
岩屋古墳をつくるには 総作業員数、工期、総費用
古代工法で約14億円、現代工法で約1億円
岩屋古墳(龍角寺105号墳) 古墳時代末期
仏教を受け入れる
6世紀末期、隋・唐朝の律令制度にならった体制に転換する時代に、
外国の宗教であった仏教を本格的に取り入れた。
関東地方の豪族たちも仏教を受け入れ寺院を築いていった。
飛鳥時代の寺院
薬師如来仏頭、釈迦如来坐像
龍角寺仏頭・山田寺仏頭(複製品)
奈良県興福寺東金堂の旧本尊で、もとは桜井市にあった山田寺の仏像であった。
釈迦如来像との見解がある仏頭。
飛鳥時代後期(白鷗時代)の特徴で初唐様式の作風がよく表れている。
寺院の拡がり 龍角寺と初期寺院
房総では7世紀後半から国分寺が造営される8世紀中頃の間、大小20か所以上の寺院が造営された。郡役所に伴う寺院もあり、これらの寺院で採用された軒瓦には、大和の山田寺、川原寺、紀寺などの文様が使われた。山田寺系の龍角寺軒瓦の文様は、房総各地の寺院に用いられ、龍角寺の影響力の大きさがうかがえる。
大和紀寺系軒丸瓦九十九里の大和紀寺系寺院・真行寺廃寺(7世紀末~8世紀初め創建)
国分寺の建立 
聖武天皇は天平13(741)年諸国に国分寺建立のに詔を発布した。
房総三国(上総国、下総国、安房国)に国分寺が建立された。
僧寺は金光明四天王護国之寺と称し、七重の塔に金字金光明最勝王経を納めた。
尼寺は法華滅罪之寺と称した。
ムラへの広がり 墨書土器、瓦塔
国分寺が造営された8世紀後半頃から、房総各地のムラに簡略な寺が建てられ
民間にも仏教が広がった。

風土記の丘資料館 回廊展示1
旧石器時代
氷河期終末期の厳しい環境下の旧石器時代には、
大陸から移り住んだ人が日本各地に広がり生活を営み始めた。
約700万年前に類人猿から進化した猿人の化石がアフリカ中部で発見されている。
原人旧人新人と進化して行くその過程において、共存交雑絶滅などの複雑な過程をたどっている。その後、約20万年前にアフリカで出現した新人・ホモサピエンスが現在の私たちの
直接の先祖であり、やがて氷河期の末期に現在の日本列島に辿り着いた。
対馬ルート3万8千年前、沖縄ルート3万5千年前、北海道ルート2万5千年前
旧石器時代の動植物
石器石材
石器製作用具(鹿角、鹿革)
剥片接合資料 八千代市仲ノ台遺跡
石斧、石核、剥片 成田市古込遺跡
石器、石核、剥片、台石 八千代市芝山遺跡
台形様石器、ナイフ形石器、削器、剥片
環状石器群出土石器 四街道市池花南遺跡
関東ローム層と石器群の変化
旧石器時代の人の痕跡は立川ローム層の中にあり、直径数メートル程度の範囲に集中して
石器が発見される。この集中場所は人の生活跡と考えられ、「石器群」と呼ばれている。
環状にめぐる石器群
旧石器時代前半の一時期に、石器群が環状に発見される例が関東とその周辺で
多数確認されている。その一つに四街道市池花南遺跡がある。
この遺跡の石器群は、東西30.5メーター、南北28.5メーターの範囲に環状に広がり
出土した石器類は740点を数える。
石材を求めて
第1、3、7,24石器群
第5,10,18、6石器群
第13,14,15、3,5石器群 
第3,5,4,9,10、12、1石器群 
第A1、A2、F1、F2、F3石器群
I石器群 白石市復山谷遺跡、白石市白井第一遺跡
火山灰の堆積図、姶良火山灰の等層厚線図
火山活動と火山灰の堆積
姶良丹沢火山灰は、約2万9000年前に関東地方にまで降灰した。
この火山灰は関東ローム層の中では、異質な火山灰であるため区別やししやすく、
降灰の年代も特定できるため、遺跡の時期を知るための目安になっている。

風土記の丘資料館 回廊展示2
祈りの世界 土偶
土偶 縄文早期 成田市木の根拓遺跡
みにずく土偶、山形土偶など
石棒
祭祀の道具 有角石器、環状石器 弥生時代
土器に描かれた鳥の絵 
弥生中期 四街道市 池花南遺跡
土器に描かれた鳥の絵 説明図
祭祀の道具 滑石性臼玉 
 古墳時代 成田市公津原遺跡
祭祀の道具
 古墳時代 日秀西遺跡
内行花文鏡 神崎町西之域出土、銅鏃
銅釧、乳文鏡、変形文鏡
古墳に眠る石枕 
 古墳時代 成田市公津原遺跡
石枕と立花、鍵手文
 古墳時代(5世紀後半) 千葉市上赤塚1号墳 
墨書土器にみる神と仏

風土記の丘資料館 第2展示室

縄文時代から古代の生活と文化
縄文時代 磨製石斧
槍先形尖頭器、矢、漁労用具、縄文時代の食材
縄文土器の移り変わり
隆起線文土器
縄文土器
縄文土器の移り変わり
縄文時代草創期・早期前半の土器の底は尖底で、早期後半から定住生活が確立すると
底は平底となる。繁栄した中期では大型化と共に雄大な文様、大きな把手、
呪術的な文様が盛んに見られる。後期には飾りの少ない実用的な土器と
派手さはないが美しく装飾された土器の二系統に分かれる。
縄文土器の文様
縄文、押し型文(楕円タイプ)、竹菅文(丸形タイプ)、半裁竹菅文(平行線)、
撚り糸文、押し型文(山形タイプ)、竹管文(押し引きタイプ)、貝殻文(貝の背中と縁)
縄文中期の土器  
安行Ⅱ式深鉢形土器、加曾利E式深鉢形土器、阿玉台式深鉢形土器
安行Ⅱ式鉢形土器、曽谷式深鉢形土器、大洞式浅鉢形土器、大洞式深鉢形土器、
安行Ⅱ式深鉢形土器
安行Ⅰ式深鉢形土器、安行Ⅱ式深鉢形土器
縄文後期、匝瑳市(そうさし)多古田遺跡
阿玉台式深鉢形土器
縄文中期、松戸市寒風遺跡
十三菩提式深鉢形土器
縄文前期、鎌ヶ谷市五本松遺跡
条痕文深鉢形土器
縄文早期、千葉市鳥込貝塚遺跡
鵜力島台式深鉢形土器
縄文早期、千葉市鳥込貝塚遺跡
加曾利E式深鉢形土器
縄文中期、千葉市大草遺跡
安行Ⅲ式鉢型土器
縄文晩期、匝瑳市(そうさし)多古田遺跡
縄文晩期、千葉市築地台遺跡
曽谷式深鉢形土器
縄文後期、四街道市千代田遺跡
弥生時代 
壺(壺棺再葬墓)弥生時代中期
原始機の復元 弥生時代
稲作のはじまり
板状鉄斧、大型蛤刃石棒など
溝をめぐらした大きなムラ・環濠集落、弥生のまつり
装飾壺など
方形周溝墓 装飾壺など
加曾利E式深鉢形土器(縄文中期、佐倉市江原台遺跡)
堀之内式深鉢形土器(縄文後期、酒々井町伊篠白幡遺跡)
勝坂式深鉢形土器(縄文中期、市原市鬼子母神貝塚)
堀之内式深鉢形土器(縄文後期、酒々井町伊篠白幡遺跡)
ヘビをかたどった把手付き土器
勝坂式深鉢形土器(縄文中期、市原市鬼子母神貝塚)
加曾利E式深鉢形土器(縄文中期、佐倉市江原台遺跡)
風土記の丘資料館 第2展示室
古墳時代(3世紀~7世紀)
管玉(北槨)、琥珀勾玉(北槨)、管玉(南槨)
鉄斧(北槨)、鎌(北槨)、鉄斧(南槨)、刀子(南槨)
古墳前期、市原市新皇塚古墳 槨:棺を置く区画
錐(北槨)、ヤリガンナ(北槨)、鉄剣(北槨)
古墳前期、市原市新皇塚古墳
有段口縁壺(孔のあいた壺)
古墳前期、市原市新皇塚古墳
孔のあいた壺 説明板
鉢、高杯、甕、壺など
壷、高杯、土器など
壷、高杯、土器など
壷、高杯、土器など
鉄製甲冑と馬具、埴輪、甕など
三角縁神獣鏡、四獣鏡
四仏四獣鏡
古墳中期、木更津市祇園大塚山古墳
奈良・平安時代 
律令制、二官八省、国衙、郡衙、戸籍、納税、兵役
墨書土器、鉄鉢型土器(佛)、瓦塔、平瓦
蔵骨器
盆に載せられた土器群
馬形土製品、人型土製品
8世紀、印西市北の台遺跡
線刻土器、墨書土器
須恵器窯復元図、須恵器
房総の須恵器生産
須恵器
盛大な玉作り 
古墳時代前期から成田市公津原遺跡群に玉作り工房跡が集中していた。
前期の外小代遺跡では緑色凝灰岩を石材とした管玉を製作していた。
中期の石塚遺跡は竪穴住居の大半が工房跡で、石製品の製作に特化した集団の居住地であったようだ。石材は滑石で北関東から持ち込んだ。
風土記の丘資料館 第2展示室

房総のむら
花畑あそびの広場駐車場 10:33
岩屋古墳(龍角寺105号墳) 10:33
国史跡龍角寺古墳群、古墳時代終末期の方墳、全国第一の規模
岩屋古墳 説明板
岩屋古墳(龍角寺105号墳) 10:34
岩屋古墳(龍角寺105号墳)西石室 10:36
岩屋古墳(龍角寺105号墳)西石室 説明板
岩屋古墳(龍角寺105号墳)西石室 10:36
岩屋古墳(龍角寺105号墳)東石室 10:37
岩屋古墳(龍角寺105号墳)東石室 説明板
岩屋古墳(龍角寺105号墳)東石室周辺にて 10:37
岩屋古墳(龍角寺105号墳) 10:39
ソバナ(キキョウ科ツリガネニンジン属) 10:40

房総のむら


学習院正堂前バス停
旧学習院初等科正堂、県市町村の木の広場入口
旧学習院初等科正堂、県市町村の木の広場案内図 10:42
重要文化財 旧学習院初等科正堂 10:42
重要文化財 旧学習院初等科正堂
明治33(1900)年 東京四谷から成田市立遠山中学校(三里塚)に移転、
その後風土記の丘に移築・復元
旧学習院初等科正堂 講堂内 10:44
周辺は県市町村の木の広場 10:49
旧学習院初等科正堂 10:50
コスモス園 10:50
龍角寺古墳群 大101号墳 10:51
龍角寺古墳群 第101号墳 10:52
120個体以上の円筒埴輪とともに、30個体の人物、動物、家などの形象埴輪をもつ円墳
龍角寺古墳群 第101号墳 説明板
龍角寺古墳群 第101号墳 10:53
龍角寺古墳群 第101号墳にて 10:54

龍角寺古墳群 第101号墳にて 10:54

商家の町並み 管理棟 11:06
商家の町並み 管理棟、総家(総合案内所) 11:07
商家の町並み 案内所図
商家の町並み 11:08
佐倉堂・薬の店 11:10
夷隅屋・鍛冶屋 11:11
建築用材の木取りの例
掘割 11:12
掘割 11:12
商家の町並み 11:13
武家屋敷の菜園(汁の実畑)  11:19
トロロアオイ(アオイ科トロロアオイ属) 別名花オクラ
武家屋敷 11:19 
江戸時代末期の佐倉藩中級武士の家を再現、敷地面積約220坪、建坪24坪。
武家屋敷の居間 11:22
慶応元年佐倉藩堀田氏分限帳によると小納戸部屋番で90石取りの
田島伝左衛門の屋敷であったことが記録に残っている。
多目的広場ドラムの里 コスプレの館(栄町) 11:26


昼食 元祖蒲焼うなぎ い志ばし 11:52
い志ばし 第一駐車場 11:53
人気のお店で順番待ちになった。
順番待ち 11:56
印旛沼にほど近い、宗吾街道(国道464号)沿いにある順番待ちができる小さな鰻店。
周囲は田んぼが広がるのどかな場所。
うなぎ処 い志ばし 店内 12:19
うなぎの蒲焼 2,750円鰻は蒸さずに焼く関西風スタイルで提供される。
少し硬めで、香ばしい皮とサラッとした甘辛のタレでとても美味しかった。
い志ばし 一品料理メニュー 12:20
ほど良く脂ののった白焼や新鮮な肝をタレで焼いた肝焼もある。
〒286-0001 千葉県成田市船形910-1、 0476-26-9374

酒々井IC 12:45ー宮野木JCT・木更津JCTー13:38木更津東IC(通常ルート)
宮野木JCTで間違えて武石ICでUターンし千葉西料金所経由で木更津東ICで降りた。
久留里城跡資料館駐車場 14:15
お知らせ 14:16
久留里城址資料館から先は、令和5月11日の地震で天守閣の鯱瓦が破損落下し
6月2日から3日の集中豪雨で路肩崩落したため通行止め、復旧は令和6年度中の予定。
本丸(天守閣)まで620m、二の丸(資料館)まで460m。
久留里城址資料館(二の丸)まで460mの坂道 14:18
久留里城説明板 14:21
詩碑 守部洋子 14:29
・・アルバムの中の紅葉の久留里城史蹟を巡り子と歩み来し・・
久留里城一の丸付近 14:30
久留里城址資料館(二の丸)からの展望
久留里城址資料館(二の丸)からの展望 14:30
石碑洗浄中 14:31
新井白石の像 14:32
久留里城址 二の丸跡 14:33
立入禁止 久留里城址本丸(天守閣)まで160m 14:33
久留里城址資料館(二の丸) 14:33
久留里城址資料館 展示室 14:35
久留里城址資料館 展示室 14:39
久留里城址資料館パンフレット
久留里城址資料館パンフレット

久留里城址資料館15:30ー(410,465,127号線 40.7km)ー16:45TJKリゾート金谷城
東京都情報サービス産業健康保険組合 TJKリゾート金谷城
TJKリゾート金谷城313号室から鋸山を望む 16:51
TJKリゾート金谷城313号室から金谷港を望む 16:51
TJKリゾート金谷城312号室より夕日を見る 16:53
夕焼けと東京湾と三浦半島 16:57
夕焼けと雲 17:00
横須賀市方面の明かり 17:43
TJKリゾート金谷城ダイニングルーム入口 18:00
TJKリゾート金谷城ダイニングルーム 18:05
日本酒飲み比べセット 550円 18:11
天狗の舞山廃純米ひやおろし、手取川山廃純米ひやおろし
夕食 18:11
夕食 18:11~19:31
東京都情報サービス産業健康保険組合 TJKリゾート金谷城 
ビジター施設利用料7,150円、シルバー施設利用料6,050円
2023年館内リニューアル工事実施
温泉掘削工事 2023年1月5日(木)~2024年春頃
金谷城温泉オープン(2024年春予定)

2023年10月6日(金)
東京湾 6:25
TJKリゾート金谷城312号室からの展望
富士山 初冠雪 6:25
TJKリゾート金谷城312号室から望む
バイキング形式朝食 7:36
TJKリゾート金谷城ダイニングルームにて
東京湾を見ながらの朝食 7:36
横須賀市方面 9:20
東京湾での釣り船 9:21
金谷城跡 9:43
TJKリゾート金谷城前庭
金谷城について 9:43
TJKリゾート金谷城前庭 パターゴルフ場 9:45
TJKリゾート金谷城前庭にて 9:47
TJKリゾート金谷城前庭 9:51
農溝の滝駐車場、お土産センター 11:12
亀岩の洞窟入口 11:11
朝陽の織り成すハート ポスター 
千葉県君津市 笹川(小櫃川水系支流)片倉ダム清水渓流広場
片倉ダム清水渓流広場案内図 11:13
片倉ダム清水渓流広場案内図 
片倉ダム清水渓流広場遊歩道 11:16
農溝 11:20
川回し 説明板 11:21
川のくびれの部分をトンネルや切り通しにして水の流れを変える工事
古川の部分は堤を築き水田に変える。
セイナザ(沢)の滝 11:22
農溝の滝 11:24
農溝の滝 11:25
農溝の滝 11:26
片倉ダム清水渓流広場木道 11:27
ほたるの里
片倉ダム清水渓流広場木道付近にいた鴨 11:35

片倉ダム清水渓流広場駐車場へ 11:36
農溝の滝、ほたるの里入口 11:37
片倉ダム清水渓流広場駐車場 11:37
保田漁協直営食事処「ばんや」 12:39
保田漁協直営の食事処「ばんや」駐車場 12:39
イワシの干物 12:39
保田漁協直営の食事処「ばんや」店内 12:48
保田漁協直営の食事処「ばんや」店内 12:48
13:01~13:50 昼食
海鮮丼、マグロカツ、サバの漬け鮨、アジの南蛮漬けなどをお腹一杯食べた。
アジの開き 13:54 
するめの一夜干し、せぐろいわし 13:54
土産に「ゼグロイワシ」と「ホウボウ」の天日干しを購入した。
保田漁協直営おみやげ店 13:54
全品極上 天日干し、ひもの、丸干し

ばんや13:57ー鋸南保田IC14:02ー館山自動車道ー14:42松ヶ丘南ICー15:00加曾利貝塚
特別史跡 加曾利貝塚縄文遺跡公園 15:01
逗子市の市長たちが電気カートに乗り視察していた。
特別史跡 加曾利貝塚案内マップ 15:01
特別史跡加曾利貝塚 貝層断面観察施設 15:05
特別史跡 加曾利貝塚南貝塚 15:06
特別史跡加曾利貝塚 15:05
左側:北貝塚、右側:南貝塚 
特別史跡 加曾利貝塚 解説板
加曾利貝塚で集落がつくられたのは、
縄文時代中期(約5,000年前)から晩期中頃(約3,000年前)である。
縄文時代中期後半には直径約140mの北貝塚がつくられた。
後期前半(約4,000年前)には,直径約190mで馬蹄形の南貝塚がつくられた。
上空から見ると時期の異なる2つの貝塚が8の字状に連結している。
集落を伴う貝塚としては日本最最級の規模である。
加曾利貝塚博物館 15:08
千葉市の誇る歴史遺産 加曾利貝塚特別史跡
全国のおもな貝塚
関東地方の貝塚
千葉市内の縄文時代の貝塚
縄文時代貝塚数:124ヵ所(平成26年現在)
北海道、東北の貝塚
関東地方の貝塚
近畿地方の貝塚
中国四国地方の貝塚
九州沖縄地方の貝塚

昭和天皇・香淳皇后 ご視察のようす 1973年10月13日
千葉県で開催された第28回国民体育大会秋季大会の開会式へのご臨席に合わせて来館した。

縄文土器
アワビ形土器
縄文時代後期(加曾利B3式) 
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器
縄文土器

加曾利南貝塚のムラ、内野第1遺跡のムラ
祇園貝塚のムラ、西広貝塚のムラ
土版、灯燭形土器、注口土器、土偶
縄文時代後期~晩期 千葉市内野第1遺跡
土版
縄文時代晩期前半 安行3b式 千葉市内野第1遺跡
灯燭形土器
縄文時代後期後半 安行2式 千葉市内野第1遺跡
注口土器
縄文時代後期後半 安行2式 千葉市内野第1遺跡
みみずく土偶
縄文時代後期後半 千葉市内野第1遺跡
山形土偶
縄文時代後期~晩期 千葉市内野第1遺跡
土偶
縄文時代後期~晩期 千葉市内野第1遺跡
注口土器、灯燭形土器、吊手土器、土偶
縄文時代後期後半~晩期 市原市西広貝塚
土偶
縄文時代後期後半~晩期 市原市西広貝塚
土偶
縄文時代後期後半~晩期 市原市西広貝塚
みみずく土偶
縄文時代後期後半~晩期 市原市西広貝塚
注口土器
縄文時代後期後半 曾谷式 市原市西広貝塚
灯燭形土器
縄文時代晩期 市原市満上小貝塚
吊手土器
縄文時代後期 市原市西広貝塚
博物館連携展2023ポスター、縄文人のお祈り
吊手土器(西広貝塚出土)、灯燭形土(内野第一遺跡出土)

みにずく形土偶
縄文時代後期 安行2式 南貝塚 史跡整備第2調査区出土
山形土偶
縄文時代後期 加曾利B3式 南貝塚 Ⅴトレンチ出土
深鉢形土器
縄文時代早期 鵜ヶ島台式 東傾斜面東南部出土
浅鉢形土器
縄文時代中期 勝坂・阿玉台末/加曾利EⅠ発 北貝塚3区44号住居出土
鉢形土器
縄文時代晩期 安行3a式 南貝塚 Ⅱトレンチ出土
深鉢形土器
縄文時代後期 加曾利B2式 南貝塚 Ⅵトレンチ出土
祈りを行った場所
49A/B号住居(市原市祇園原貝塚)、J-76号住居(千葉市内野第1遺跡)
異形台付土器
縄文時代後期後半 安行式 千葉市内野第1遺跡
異形脚付土器
縄文時代晩期 市原市菊間手永遺跡
異形台付土器
縄文時代後期 市原市祇園原貝塚
深鉢形土器
縄文時代後期後半 市原市西広貝塚 
曾谷式 曾谷式 安行Ⅰ式
石剣 縄文時代晩期 市原市菊間手永遺跡
石棒 縄文時代晩後期 市原市西広貝塚
さら坊遺跡(さら坊貝塚)から発見された人骨(30代の女性)
縄文時代中期の竪穴住居跡から見つかった。
さら坊遺跡(さら坊貝塚)から発見された人骨 説明板
さら坊遺跡(さら坊貝塚)から発見された人骨(30代の女性)
腕にイタボガキ製の貝輪をしていた。
加曾利北貝塚出土人骨(30~50歳の男性) 昭和43年度調査出土1号人骨
第4調査区Iトレンチ6グリッド 縄文時代中期(約5,000年前)
右のふくらはっぎの骨には骨折した後に治療痕が残っていた。
加曾利北貝塚出土人骨(30~50歳の男性) 昭和43年度調査出土1号人骨
加曾利貝塚の人骨数は埋葬遺体50体、散乱骨を含めると200体が出土した、
埋葬された犬、骨折の治療痕のあるイヌの骨

加曾利貝塚の歴史
加曾利貝塚発掘調査区
明治40(1907)年、東京人類学会が行った発掘調査
大正13(1924)年、東京帝国大学人類学教室が行った発掘調査
北貝塚E地点の発掘調査、南貝塚B地点の発掘調査
昭和37年の北貝塚人骨調査、昭和39年の南貝塚発掘調査
昭和41・42年の南貝塚発掘調査
平成24・26年、南貝塚および北外縁部の発掘調査

遺跡の名を冠した土器
大正13年発掘時の貝層断面と宮坂光次
加曾利EⅢ式深鉢、加曾利EⅡ式深鉢、加曾利EⅠ式深鉢
加曾利EⅣ式深鉢、加曾利EⅢ式深鉢、加曾利EⅡ式深鉢
堀之内2式深鉢、堀之内1式深鉢、称名寺Ⅰ式深鉢、加曾利EⅣ式深鉢
加曾利B3式浅鉢、加曾利B2式浅鉢、加曾利B1式浅鉢、堀之内2式深鉢

加曾利E式 縄文時代中期後半(約5,000年前)
称名寺式 縄文時代後期初頭(約4,500年前)
堀之内式 縄文時代後期前半(約4,200年前)
加曾利B式 縄文時代後期中頃(約4,000年前)

千葉県内の代表的な遺跡








加曾利貝塚博物館にて 15:50
加曾利貝塚 竪穴住居復元集落 15:53
縄文時代中期の竪穴住居跡 説明板 15:54
復元竪穴住居内部 15:55
復元竪穴住居 15:56
復元竪穴住居内部 15:57
加曾利貝塚 園内マップ
加曾利貝塚 航空写真Google
加曾利貝塚 南貝塚 16:01
加曾利貝塚 南貝塚 貝層断面観閲施設入口 16:01
加曾利南貝塚貝層断面 出入口 16:02
加曾利南貝塚貝層断面 16:02
加曾利南貝塚貝層断面 16:03
加曾利南貝塚貝層断面 16:04
加曾利南貝塚貝層断面説明板 16:05
 加曾利南貝塚貝層断面 出入口 16:05
加曾利貝塚 北貝塚 16:07
特別史跡 加曾利貝塚 16:08
後方:北貝塚 貝層断面観閲施設 
加曾利北貝塚貝層断面 16:10
加曾利北貝塚貝層断面 ハマグリ純貝層 16:11
加曾利北貝塚貝層断面  16:11
ツメタガイ、マテガイ、マガキ、イボキサゴ、突き固めた面、灰の層、貯蔵穴
最近の発掘調査場所 16:12
最近の発掘調査場所 16:17
加曾利貝塚 北貝塚竪穴住居跡群観閲施設 16:13
貝層に下から竪穴住居がいくつも重なって発見された。
北貝塚竪穴住居跡群 16:13
北貝塚竪穴住居跡群観閲施設 説明板
北貝塚竪穴住居跡群 16:13
保存のための研究 説明板 16:13
加曾利貝塚 北貝塚 16:17

加曾利貝塚縄文遺跡公園16:30ーJR都賀駅(総武本線)周辺ー貝塚IC16:50ー(京葉道路・首都高速7号小松川線・首都高速6号向島線・首都高速中央環状線・首都高速4号新宿線・中央道 81.7km)ー19:16八王子ーT氏宅ーコスモ石油セルフピュア秋川SSー20:00自宅
 コスモ石油 セルフピュア秋川サービスステーションにて給油 31.6L 19:55
 (コスモ石油販売 南関東カンパニー)
20:00無事帰宅、 走行距離568.8km



経費
宿泊費:22,000円/3名 TJKリゾート金谷城
食事代:約5,000円/1名
ガソリン代 5,372円(568.8km÷18km/Lx170円/L=5,372円)
高速道路料金:10,930円