2012年7月13日金曜日

2012年6月11日(月曜日) トルファン・高昌故城・ベゼクリク千仏洞・蘇公塔

トルファン市は、新疆ウイグル自治区トルファン盆地の中央に位置し、
天山南路に沿う交通の要衝にある。
標高は、ほとんどマイナスでトルファン市近郊のアイディン湖(現在完全に干上がっている)は、
海抜マイナス154mで中国で一番低い。
トルファンはウイグル語で「くぼんだ地」を意味する。
ウイグル族(約70%)、漢民族、回族、カザフ族など色んな民族の人がいる。
人口約24万人。
トルファン市内 ( トルファン博物館より見る)
トルファン博物館は休館日であったが特別な計らいで見学できた。

吐魯番商城(トルファンマート)

トルファンの人々
年間降水量平均20mm、夏の平均最高気温40℃。
ガイドの話では最高気温49.6℃、地表温度82.3℃記録したとのこと。
冬の平均最低気温-12℃、最低気温-15度。
いつも20m以上の風が吹いているので風力発電装置が沙漠にたくさん設置されている。
風力発電装置群 (数の多さに驚いた。)
これだけの風力発電装置の設置、保守にもかなりの技術が必要と思われる。





沙漠の中の真直ぐな高速道路

ゴビ(砂礫の乾燥地)
ゴビはモンゴル語で「沙漠、乾燥した土地、礫が広がる草原」などを意味する。
トルファンは、葡萄・綿花・ハミウリが特産。
毎年、冬の寒さに葡萄の枝が凍結しないようにぶどう棚から外し土中に埋め、春に掘り起しぶどう棚に戻す。
収穫したブドウは、風通しの良い日干しレンガ造りの乾燥室で、
夏の高温の乾燥した空気で干しブドウにしている。
干しブドウも干しハミウリもとても甘くて美味しい。
ブドウ畑

ブドウ畑 (火焔山の西麓、長さ約10㎞、幅500m~2000m)

日干しレンガ造りのブドウ乾燥室

ブドウ乾燥作業(展示用)
トルファンの葡萄農家にて

葡萄農家にて干しブドウ販売
ウイグル族の葡萄農家で干しブドウの最高級品を500g150元(約2,000円)で購入
(100g約400円)

日本が輸入しているトルファン産のグリーンレーズンは、
残留農薬未検出(神戸検疫所輸入食品検疫検査センターにて)で500g約600円で購入できる。

トルファンの干し葡萄を「トルファンの太陽と風で育てた健康食品」という宣伝文句で販売しているが、約10年前に開発された「促乾剤(苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)等を含む)」を使用したり、
「着色剤」を使用したり、殺菌と発色のため硫黄燻蒸したりしているという。

トルファン古来の乾燥方法で作った干し葡萄は、
ウイグル族の葡萄農家が自宅用につくったものしかないのかも知れない。

ウイグル族の葡萄農家でも干し葡萄を水に漬けて、水に青い色が溶け出すかの実演をしていて、
こちらの色が溶け出さない干し葡萄は、溶け出した干し葡萄よりも3~4倍の値段であると言っていた。

帰国後、「水に青い色が溶け出さない干し葡萄」をぬるま湯に漬けたら薄い茶色が滲み出た。
日本が輸入しているトルファン産のグリーンレーズンは、色が滲みださなかった。

ウイグル族の葡萄農家が漢族の卸人に売るときは、1kg約10元(約140円)という。

食品安全問題や価格を気にしたら切りがなくなるので、
これも利便性と危険性をどのように考えるかで判断すれば良いと思う。
購入してきた干し葡萄は、甘く柔らかく美味しかった・・・・。

トルファンの白ワインも有名
レストランで昼食時に飲んだ。

トルファンの赤ワイン「楼蘭」

トルファンには、前漢時代は交河城があり、漢時代は高昌城を築いて屯田を行った。
450年高昌国設立、640年唐に滅ぼされる。
755年唐は安史の乱後弱体化し、9世紀天山ウイグル王国の夏都となり300年続いた。
チンギス・カンのモンゴル帝国(1206年~1294年)後はチャガタイハン国になり、
その後ティムールに支配され、1514年~1679年ヤルカンド・ハン国の支配下になり、
その後、清が支配した。
(ウィキペディアフリー百科事典から要約転写)

近代、イギリスのスタイン探検隊や
日本の大谷探検隊(陸軍諜報活動のカモフラージュの疑いあり)が現地調査し、
その時の出土品や文献を持ち帰り、
敦煌文書と共に西域と古代の研究に貴重な史料をもたらした。

高昌故城
高昌故城はトルファン市から東に約45km、火焔山南麓にある。
新疆における政治経済文化の中心地であった。
東西1600m、南北1500mに王(宮)城、内城、外城があった。
建物は日干しレンガを用いている。アーチ型の出入り口が多い。
450年麹氏(きくし)高昌国設立、高昌城、交河城を主都とし仏教を尊び約150年間繁栄した。
9世紀末、唐が全面的に撤退した後、10世紀にはウイグル人の「高昌大王府」がおかれた。
高昌故城はその後300年間ウイグル人の拠点として栄えたが、
13世紀にチンギス・カンの遠征軍に襲撃され、廃墟となってしまった。
高昌故城の中心部までの3㎞は、ロバ車で行く。
高昌故城入口
炎天下暑い中、7~8人乗せてかなり早く走るので、つい「偉い、偉い」と声が出た。

このロバは力が強く追い付いてきた。
 
 
Se氏撮影
高昌故城中心部へ向かう途中の遺跡
アーチ型の出入り口
日干しレンガ造りなので風化が進んでいる。
高昌故城中心部、(寺院、行政府跡)

訪問した午後3時ごろの気温は44℃であった。
カメラや金属でできた品物は、直射日光で触れないくらい熱かった。
 
 
 麹氏高昌国時代、ここで629年、玄奘三蔵(602年~664年)が仏典を説いた。
高昌王である麴文泰は熱心な仏教徒であったので玄奘を金銭面で援助した。
寺院仏塔の跡  凹みに仏像があったが20世紀に各国の探検隊が持ち去った。
仏像の跡、 壁画が少し残っていた。
玄奘三蔵が1ヶ月間滞在し説法した講堂跡
この暑く水も無い廃墟に鳥が居た。
 帰路もロバ車で
 ラクダグサが生えている高昌故城入口付近
高昌故城 修復中
ロバさん、 ご苦労様でした
 ウイグルの少女と中国語で話すYu氏
人種的には北東アジア人と古インド人の混血だがトルコ人にも似ている
 日陰で休む少年

火焔山
火焔山は「西遊記」で有名であり、炎が上がる山として描かれている。
赤色砂岩が侵食してできた赤茶けた岩肌は炎を思わせる。
夏の気温は50℃を超え、乾燥し、風も強いところである。
余りにも暑いので陽炎がたつ。
新疆ウイグル自治区、天山山脈近くにある丘陵で、長さ約100km、幅約10km、最高峰851m、
平均標高約500m、タクマラカン砂漠タリム盆地の北部、トルファン市の東部に位置する。
火焔山の中腹には、ベゼクリク千仏洞がある。
火焔山(観光バスから撮影)
「西遊記」、火焔山で孫悟空が紅孩児の母・羅刹女に芭蕉扇で吹き飛ばされたり、
紅孩児の父・牛魔王と対決した。
火焔山 孫悟空の像が出入り口にあり、中国の観光名所の一つになっている。
ベゼクリク千仏洞近くの火焔山 (Su氏撮影・パノラマ写真)
ベゼクリク千仏洞近くの火焔山  
下の川:ムルトゥク河(右岸にベゼクリク千仏洞がある)
右岸とは上流から見ることで、この写真では左側になる。
火焔山ロープウエイ (ムルトゥク河左岸) 個人経営とのこと。
ベゼクリク千仏洞側から見た火焔山
葡萄溝
トルファン採れる葡萄の品種は約100種類ある。
火焔山の西麓、長さ約10㎞、幅500m~2000mにある葡萄畑である。
灌漑用水が発達している。

木々の隙間から差す太陽を浴びながら用水路で水浴びする少年
(観光バスから撮影)

火焔山の西麓の葡萄農家(観光バスから撮影)

ベゼクリク千仏洞
トルファンから東に4km、高昌故城まで15km。
火焔山の中腹、ムルトゥク河の右岸絶壁にベゼクリク千仏洞はある。
5世紀から14世紀に造られた仏教石窟で83窟あるが現在見学できるのは6窟のみである。
アーチ状の天井に仏陀の壁画が描かれている(いた)。
壁画にはインド系、ペルシャ系、ヨーロッパ系等の人物が描かれたいる。
壁画は、ムスリムによる偶像崇拝禁止で顔が削り取られたり、20世紀の各国の探検隊(ドイツのル・コック探検隊、日本の大谷探検隊等)が持ち去ったり、紅衛兵による宗教否定により仏画に泥が塗れたり叩き壊されたりして、かなり損傷している。
石窟内に残る仏像や壁画は、当時のウイグル文化を知るための貴重な資料のため、
1982年国務院より重要文物保護団体に指定された。
ベゼクリク千仏洞入場券
ベゼクリク千仏洞

ベゼクリク千仏洞
ベゼクリク千仏洞 川岸にポプラがある。

ベゼクリク千仏洞にて太鼓と弦楽器を弾かせてもらった。
ベゼクリク千仏洞は、撮影禁止のため壁画はWikipediaフリー百科事典から転写した。
フレスコ壁画に描かれた仏陀
フレスコ壁画に描かれた仏陀
誓願図、第二十号窟第九寺院
釈迦牟尼の前世における「誓願」

おそらくトカラ人の仏僧(左) と 東アジア人の仏僧(右)
ウイグル人の王女、ベゼクリク第九号窟
ベルリン・シュテークリッツ=ツェーレンドルフ区のアジア美術館所蔵

カレーズ
砂漠地帯に水を持ってくるための機構。
水源は天山山脈の雪解け水、山の麓から20m~30mの間隔で井戸を掘って並べ、その底をつなげて水路としたものである。
11世紀ごろ、イスラム勢力より伝わったと言われ、カレーズ (坎尔井))と呼ばれる。
カレーズ入場券

暗渠

井戸
外渠 冷たい流水

カレーズ暗渠で記念撮影
天山山脈の氷河が毎年後退しているため、何十年後には水がなくなると心配していた。
今世紀末には世界の氷河は、10%程しか残らない可能性があるらしい。???
そうすると、楼蘭や高昌故城などのようにトルファンも廃墟になるかも知れない。

蘇公塔(そこうとう)
トルファンの街から南東6キロ、廻りは葡萄農村。
17世紀頃、トルファンウイグル族イスラムのリーダー(大主教、大地主)・額敏和卓(エミン・ホージャ)は、祖国統一に貢献し、清王朝から郡王の称号を与えられた。
1779年、トルファン群王スレイマンが彼の父オーミン・ホージャのために建てた塔(ミナレット)で、
新疆イスラム建築様式の代表的なものである。
高さ44mの円柱形の塔は模様が彫り込まれ 、レンガで築き上げ、「オーミン塔」ともいわれる。
墓でもあり、塔の横にイスラム教のモスクが建っている。
蘇公塔・オーミン塔(左) と イスラム教のモスク(右)  暑かった。
モスク内 とても質素で静かな雰囲気であった。
オーミン・ホージャ像
公園は整備が進んでいた。 周辺に遺跡か墓があった

周囲は葡萄畑

売店で見かけた少女


寝台列車・トルファンから敦煌へ
トルファン駅 (トルファン市街から約60km離れている。

観光バスから駅舎に移動

トルファン駅特別待合室

トルファン駅プラットホーム

ウルムチ駅(午後7時20分)発トルファン駅(午後9時02分)着の寝台列車特別快速列車
トルファン駅から柳園駅まで約680km、約8時間30分
出発:午後9時09分

ウルムチ発郑州市(河南省)行き特快
寝台列車4人部屋、 夜12時ごろまで8人で宴会をした。
Se氏、Su氏、Ma氏、Go氏、Yu氏、Ko氏、Ha氏、Sa

列車から夕暮れを見る。 午後9時18分(北京時間)

柳園駅に午前4時27分到着
写真撮影午前4時40分
観光バスで約2時間20分、
敦煌市敦煌賓館に到着(午前7時)