莫高窟と鳴沙山
敦煌石窟珍品(香港廣彙貿易有限公司)より
敦煌 莫高窟 2012.6.13 9:13
敦煌 莫高窟 2012.6.13 9:26
莫高窟(敦煌千仏洞)は、西安から121kmあり甘粛省敦煌市から東南25km離れた鳴沙山と三危山あいだを流れる大泉河の鳴沙山東麓、南北約1680mの断崖に掘られた492の石窟からなり、1987年世界文化遺産に登録された。
これらの石窟は366年(北涼)から1368年(元)に渡って財力がある人が自分の一族の供養のために洞窟を造ったりした。
宗教的壁画や塑像の他に非宗教的風俗画も描かれている。
敦煌市と莫高窟(航空写真GoogleMapより)
莫高窟(航空写真GoogleMapより)
6月13日朝、起きたとき曇りかと思ったが砂嵐(黄砂)であった。
砂嵐のため太陽が直視できた。
莫高窟を訪ねた日の1週間前(2012年6月5日)に甘粛省周辺で甘粛省の気象観測を始めた1952年以来最大の降水量を記録した暴雨があり、道路交通網がズタズタになった。
地元のガイドさんもこのような豪雨は生まれて初めてと言っていた。(60年ぶり以上)
敦煌市周辺にも深刻な影響をもたらし、莫高窟前の大泉河の洪水で道路や橋が崩落して約3日間、莫高窟に行かれなかった。
敦煌市は現在18万人以上に増加し、水資源の乱用により生態環境が悪化している。
湿地の消滅と胡楊の減少、砂漠化の進行に苦慮している。
海抜1100m、年間平均降水量40mm、年間蒸発量2400mm。
大洪水のため崩落した橋 応急的に作った凸凹の迂回路を通る。
沙漠に残った洪水跡
大泉河と莫高窟 9:02
敦煌 莫高窟入口 9:09
1900年5月26日、偶然王道士によって第16窟、第17窟の甬道(渡り廊下)から大量(約4万点)の敦煌文書(古文書、経巻、軸物等)が発見された。彼は役所に届け出たが音沙汰なしのため、1907年イギリスのスタイン、1908年フランスのぺリオ、その後ロシアのコズロフや日本の大谷探検隊にそれらを僅かな金で売った。
その後、北京から来た軍隊が全て持ち去った。
これらの敦煌文書を持ち帰った各国で、これらの学術的宝物を系統的に研究し発表した結果、その価値は東洋学のみに留まらず世界文化史に影響を与えた。
現在、敦煌研究院が常設されて莫高窟や西千仏洞等の研究が続けられている。
これらの経巻、仏典は、西夏(1038~1227)の略奪から守るために封印したのであろうことが井上靖著「敦煌」に書かれている。
甬道を封印した壁にはカモフラージュ用に描かれた菩薩像があった。
莫高窟保存に貢献した日本人として、書家:青山杉雨(さんう)氏、
画家:平山郁夫氏、宗教家:池田大作氏の看板があった。
莫高窟第95窟(大仏殿)前にて牛源さんと一緒に記念撮影
莫高窟は、敦煌莫高窟研究院の牛源さんの案内で見学した。彼は数百人の中から一人選ばれて2年間、成城大学大学院で東洋美術史を研究していたので、日本語がとても上手で分かり易く、質問に対してほとんど全て答えてくれた。
皇太子殿下似の実直な方で好感が持てた。
紅衛兵から莫高窟を守った敦煌莫高窟研究院の方達の熱意と紅衛兵の対応の話には感動した。
また壁画を長期保存するため、下地の壁から塩分を抜くことをしている話にとても興味を持った。
見学した石窟は、第25窟、第328窟、第16窟、第17窟、第407窟、第426窟、第427窟、第428窟、第57窟、第96窟、第130窟、第148窟、第156窟であった。約3時間見学。
第57窟、第156窟は特別窟で約200元の追加料金必要。
人間の呼吸による影響を考慮し入室制限をしている。
石窟内の写真撮影は禁止なので絵葉書や敦煌莫高窟研究院HP、
莫高窟関連のHPより転写した。
第96窟 北大仏殿 (1935年改築9層建て)
敦煌石窟珍品(香港廣彙貿易有限公司)より
北楽山大仏(弥勒像)の頭部
北楽山大仏(弥勒像) 高さ35.5m
この像は、世界で四番目に大きな石仏であった。
しかし残念なことに、2番目と3番目の彫像はバーミヤンにあり、
2001年イスラム原理主義組織タリバーンによって破壊された。
それで2番目になった。
近代以前に造られたもので1番目は、四川省の長江支流の断崖にある「楽山大仏」71m。
この像は、世界で四番目に大きな石仏であった。
しかし残念なことに、2番目と3番目の彫像はバーミヤンにあり、
2001年イスラム原理主義組織タリバーンによって破壊された。
それで2番目になった。
近代以前に造られたもので1番目は、四川省の長江支流の断崖にある「楽山大仏」71m。
莫高窟第57窟 仏説法図 「西方三聖」
左:観世音菩薩 中央:阿弥陀仏 右:大勢至菩薩
左後:阿難(あなん、阿難陀、アーナンダ) 右後:大迦葉(だいかしょう)
左後:阿難(あなん、阿難陀、アーナンダ) 右後:大迦葉(だいかしょう)
莫高窟第57窟 仏説法図 観世音菩薩 初唐時代
第57窟は「美人洞窟」と言われている。
莫高窟第57窟 仏説法図 大勢至菩薩 初唐時代
莫高窟第57窟 仏像及び阿難と迦葉像
莫高窟第328窟
第328窟 菩薩と阿難像
莫高窟第427窟 隋代 (581~618)
莫高窟第428窟 北周(557~581)
莫高窟第254窟
莫高窟第156窟 張議潮出行図 晩唐(9世紀) 非宗教的風俗画
「宋国河内郡夫人宋氏出行図」も描かれている。
宋氏は張議潮の夫人で、張議潮が節度使になってから、唐のしきたりによって、
夫人は「郡夫人」と封された。
莫高窟第156窟は1921年頃、ロシアの部隊が此処に駐屯したため、
壁画が燻って、破損がひどい。
「宋国河内郡夫人宋氏出行図」も描かれている。
宋氏は張議潮の夫人で、張議潮が節度使になってから、唐のしきたりによって、
夫人は「郡夫人」と封された。
莫高窟第156窟は1921年頃、ロシアの部隊が此処に駐屯したため、
壁画が燻って、破損がひどい。
莫高窟
莫高窟 飛天像 12:13
莫高窟見学の後、中華料理の昼食、その後敦煌博物館、絨毯工場を廻り、バスで4時間半かけて嘉峪関に移動し、夕食をとり嘉峪関国際大酒店に泊まった。
敦煌から嘉峪関に行く途中で砂漠には珍しい雨にあった。
東湖公園に嘉峪関気象庁のイルミネーション付きイルカスタイルの塔が面白かった。
嘉峪関気象庁 20:57
嘉峪関気象庁タワーイルミネーション(Ma氏撮影)