2019年12月16日月曜日

バガン遺跡

第2日目 2019年11月14日(木)

バガン遺跡群バルーン遊覧
点在するパゴダや寺院は11世紀から13世紀に建設され仏塔の数は3000を超える。
世界3大仏教遺跡、2019年7月世界文化遺産登録
バガン遺跡群
バガン遺跡の夕日


4:30起床、5:30集合
 PANORAMA HOTEL ロビー 5:27
 PANORAMA HOTEL 出発 5:30
 PANORAMA HOTEL前 道路陸橋下にバス待機 雨上がり 5:30

朝食弁当 5:37
 朝食弁当 5:37
プレーンパン2枚、ゆで卵2個、バナナ1本
 ヤンゴン国際空港 チェックイン 6:25
ヤンゴン国際空港 7:32
AIR THANLWAI航空  機体:ATR 72-600 7:43

AIR THANLWAI航空搭乗券
  ヤンゴン国際空港 7:45 - YH-935 - 9:20 ヘイホー空港

 ヤンゴン国際空港上空 8:04
 機内軽食 8:34
 バガン上空 9:14
バガン空港着 9:24
AIR THANLWAI航空  YH-935便  機体:ATR 72-600 
フランスイタリア航空機メーカーが合弁したATR社製のターボプロップ双発旅客機
 BAGAN NYAUNG U AIRPORTにて 9:30
バルーンで遊覧飛行の看板 (バガン空港にて) 9:36
乾季に実施、予約は6か月待ちとのこと、費用約4万円。
バガン空港に待機していた観光バスに乗ってバガン遺跡へ出発 9:36
日本の中古バス:スリーエス観光(群馬県太田市)と表示されている。

バガン遺跡
世界三大仏教遺跡(アンコールワット遺跡、ボロブドール遺跡、バガン遺跡)のひとつ。
バガン遺跡群は、マンダレー地方・イラワジ川中流の東側約40kmに渡り広がっている。
点在するパゴダや寺院は11世紀から13世紀に建設された。
仏塔の数は3000を超える。
バガン朝アノヤター王時代の1287年にモンゴル人に滅ばされバガンは放棄された。
2019年7月、「バガンの考古地域と記念建造物群」が世界文化遺産となった。
バガン遺跡群 

シュエズィーゴンパゴダ(SHWE ZI GON PAGODA)

シュエズィーゴンパゴダ表示板 9:50
パーリ語で「祝福された土地」を意味する。
 シュエズィーゴンパゴダ参道 9:54
 「タナカ」の原料木を売る店(化粧用木材) 9:56
ゲッキツ属の複数種の樹木が原料
 タナカ(天然の化粧品)で頬を化粧した女性販売員 9:58
化粧としてだけでなく日焼け止めとしての役目もある。
 タナカの原料木販売店 9:59
手前の丸い挽臼(砥石)でタナカの原料の皮を水を付けて研ぎ、その液を頬に塗る。
シュエズィーゴンパゴ(Shwezigon Pagoda)  10:06
パガン王朝を代表する宗教建築物
シュエズィーゴンパゴ(Shwezigon Pagoda) 
 シュエズィーゴンパゴ(Shwezigon Pagoda)  10:07
ビルマ式パゴダ(仏塔)の原形
11世紀にパガン王朝の創始者アノーヤターと、3代目の国王チャンシッターによって建立
 シュエズィーゴンパゴの床の敷石模様 10:09
シュエズィーゴンパゴ  10:11
三層構造の方形の土台の上に、高さ約40mの塔が建てられている。
パゴダには金箔が張られ、塔の周囲には本生譚が描かれた陶器の板がはめ込まれている。
パゴダの中には釈迦の歯(仏歯)と骨(仏舎利)が奉納されているという。
境内にはパガン王朝期に制作された木彫りの扉が保管されており、
長い期間にわたって保存のために油が塗られてきた。 
黄金の立ち姿の仏像 10:12
これらの仏像は「過去四仏」を表したものであり、
東はコーナーガマナ仏(倶那含牟尼仏)、
西は釈迦牟尼仏(釈迦如来)、
南はカッサパ仏(迦葉仏)、
北はカクサンダ仏(倶留孫仏)になる。
守護の獅子像 10:19
頭1つにして、どちらの方から見ても同じように見えるように体を2つに分けた。
ガイド
仏像

東の祠堂には、37体のナッ(民間で信仰されている精霊)神像が並んでいる
かつてアノーヤターは民間で信仰されているナッを排除しようとしたが失敗し、
従来民衆の間で信仰されていた36のナッの上に
仏教の守護神タジャーミン(帝釈天)を置いてナッ信仰を認めた
そして37体の像をシュエズィーゴン・パゴダに建て、
ナッ信仰が仏教を支えるものであることを強調した。
パゴダの裏には、パガン王族の墓が建てられている。

黄金の祠堂 
黄金の祠堂
黄金の祠堂の彫刻
祠堂
聖水 10:29
ヒスイの鉢 10:30

参道 飾り物店 10:39
参道 紙の小旗店 10:40
パコダ 内部撮影禁止 10:40
参道 バナナ売り 10:41
外国人観光客はレンタルバイクでバガン遺跡見学 10:28
陶器店 10:50
陶器店  10:51
ほうき 10:53
日傘 10:54
舗装していない道路と畑の中のパゴダや寺院 11:02
畑の中のパゴダや寺院 11:03

ティーローミンロー寺院(Htilominlo Temple)

パガン王朝第8代国王ナンダウンミャー によって1218年に建立。
高さ約46メートル、3層の構造を持つ荘厳な寺院。
ナンダウンミャーの父親で第7代国王だったナラパティシードゥーは、

白い傘を真ん中にして、その周りに5人の息子たちを並ばせ、

倒れた傘がそのうちの一人を示したとき、その息子を次の王とすると決めた。

すると、その傘は傾いてナンダウンミャー を示したため、

次の王に選ばれたと言う。

ビルマ語による王統史には、ナンダウンミャー はティーローミンローと記されていて、

その名前の意味は、「王になるように傘が望んだ者」という。

寺院もその名前に由来し、
建立された場所も、ナンダウンミャーが王として選ばれた場所である。
ティーローミンロー寺院  11:02
ティーローミンロー寺院 11:03
北インドをルーツとした装飾的なタワー “シカラ(sikhara)”があり、
金色に塗られていない以外は、アーナンダ寺院と同じ様式である。
そしてトップは、尖塔装飾品である「hti(ティ)」が飾られているが、
ミャンマー地震 (2016年8月)により尖塔部分が崩壊し現在修復中である。
日本人も修復・支援をしている。
ティーローミンロー寺院の参道にて 11:04
ティーローミンロー寺院入口 
黄金の仏像
寺院内には、4体の大きな黄金の仏像が、それぞれ東西南北を向いて安置されている。
黄金の仏像と壁画 11:15
壁画  11:16
仏教を描写した美しい壁画やフレスコ壁画も見られるが、
かなり色褪せてしまっている。
レンガ造り 11:19
竹材の足場 修復中 11:21
乾燥していない気候なので竹が割れないで強度を保つ
修復中 11:22
レンガ建築で、元々は白いスタッコ(化粧漆喰)が塗られていた。
首長族の女性の機織り 11:24
首長族の織物店 11:24
首長族の女性 11:24
村落内の選ばれた女性が首に金色の真鍮リングを纏う民族。
シャン州、カヤー州に暮らしているカヤン族。
上半身に白を基調とした袖なし寸胴型上衣を羽織り、
下半身には黒い筒型スカートを腰に纏う。
女性は首以外にも、両膝下に真鍮コイルを巻き、
両腕には銀色アルニウム製の輪を4個から10個ほどはめている。
高齢女性には首輪を際立たせるため前髪を短髪にする者が多い。
エアコンで水タンクを冷却 11:29
冷たい飲料水の出る蛇口あり
畑の中のパゴダや寺院 11:36
バガンには約3000を超えるパゴダや寺院が点在している。
畑の中のパゴダや寺院
畑の中のパゴダや寺院
畑の中のパゴダや寺院
畑の中のパゴダや寺院 11:37

アーナンダ寺院(Ananda Temple)

バガン・アーナンダ寺院
アーナンダ寺院 駐車場および馬車待合場所 11:37
アーナンダ寺院 11:38
レンタルオートバイで見学に来ている。
 タナカ自然化粧品の原木を売る露店 11:40
土産屋がたくさん並んでいる。
アーナンダ寺院入口 11:40
アーナンダは釈迦の一番弟子
アーナンダ寺院(Ananda Temple)
バガン王朝 第3代キヤンツィッタ王が、1105年に建立した寺院。
一辺が53メートルの大きな方形の寺院で、高さは51メートル。
ビルマとインドの建築様式を融合、寺院のレイアウトは十字形。
「ビルマのウェストミンスター寺院」と言われている。
 寺院の四隅を守る獅子 11:46
どちらの面から見ても体が見えるように二つに分かれている。
 寺院の守護 11:47
 アーナンダ寺院の尖塔 11:47
特徴的なのは、尖塔の黄金に輝く美しいシカラ(sikhara)である。
インドから影響を受けている。
シカラすべての側面には、仏像が安置されている5つの壁龕がある。
傘型の尖塔装飾品であるhti(ティ)が飾られている。

アーナンダ寺院は、ミャンマー地震 (2016年8月)の影響は 少なく、
多少のひびが入った程度で崩壊はなかった。
女神像 11:49

アーナンダ寺院の仏像は黄金に輝く立ち姿で高さ9.5メートルという。
東西南北それぞれの方向に仏像が安置されている。
 南向き 迦葉仏Kassapa)と守護神 11:49
 南向き 迦葉仏Kassapa) 11:52
創建当時11世紀のままの仏像
 南向き 迦葉仏Kassapa)の左側脇時仏 11:52
西向き 釈迦牟尼仏(Gautama) 11:57
火災で焼失して14~15世紀に再建した仏像

北向き 拘楼孫仏(Kakusandha) と守護神
 北向き 拘楼孫仏(Kakusandha)  12:00
創建当時11世紀のままの仏像
材質は松の木
壁画 12:01
壁画 12:03
仏陀の生涯から80のエピソードを描いた石の仏像が彫られている。
壁画 12:04
壁画 12:05
壁画 12:06
 黄金の女神 12:10
ガラスのケースで保護されている。
 東向き 拘那含牟尼仏  (Konagamana) 12:10
火災で焼失して14~15世紀に再建した仏像

4体の仏像は、「現代の仏陀」「過去四仏」と呼ばれて、
仏陀の「空間と時間を通した偏在感」を表している。

 参道の土産店で、店番の手伝い 12:16

タビニュ寺院(Thatbyinnyu Phaya)

パガン朝第4代国王のアラウンスィードゥー王の治世中の1140年に建立、
二層構造のレンガ造りの建物大型寺院、バガンでは最も高い65m。
タビニュという名前は、仏陀の「無限の知恵」という意味。
アナンダ寺院に隣接している。
土産店もなく、畑に広がる素朴な風景でまだ観光地になっていない。
タビニュ寺院への道
参道脇にサボテン 12:27
タビニュ寺院周辺のパゴダ 12:27
タビニュ寺院 
出入口を飾る炎状の装飾、付け柱などとともに、寺院の装飾技法が豊富に残されている。細かい彫刻が施された屋根をもち、中央に金箔で覆われた塔がある。 .

タビニュ寺院入口 12:36
 上層に上るための中央階段は、
東向きに置かれた二体の守護神像によって守られている。
 タビニュ寺院周辺のパゴダ 12:39
 タビニュ寺院 12:41
 タビニュ寺院 日本軍人慰霊碑 12:42
寺院の前に日本人戦没者慰霊碑があり、
タビニュ僧院の僧侶達により管理されている。
タビニュ寺院周囲 12:54
タビニュ寺院駐車場への近道 12:54

昼食
Nanda Wun By the River Restaurant  13:07
エーヤワディー川左岸
 Nanda Wun By the River Restaurant  13:08
エーヤワディー川左岸にあるレストラン
 黒猫 13:22
昼食・ミャンマー風中華料理 13:41

ミャンマーの漆工芸

5世紀ごろのピューの都で発掘された骨壺に漆が使われていた。
パガン時代(9世紀-13世紀)、漆工芸が盛んであった。
当時から僧侶の托鉢用の鉢に漆が使用されていた。
また、木材に漆を貼り付けた漆品や
土、煉瓦、 石などに漆を貼り付けた仏像や宗教的なものがあった。
パガンは地理的にも気候的にも昔から漆工芸に適していた。
 漆の木が捕れるシャン州からもあまり遠くなく運ぶ海路、陸路の両方が使えた。
基礎素材の竹とやわらかい木材は、 
イラワジ川とチンドゥィン川沿いにある山々から豊富に採れた。
パガンではもっとも盛んな産業が漆工芸である。
パガンでは漆工芸の学校を政府の援助金で設立していて漆博物館もある。
日本、中国、韓国などの伝統漆工芸を研究している。
  漆工芸に使われる漆素材は2種類ある。
ひとつは漆の木から出る樹皮を使うもの、 もう一つは樹に集まった虫が出す液体もの。
前者を西洋ではラッカー(lacquer)と呼び、 後者をシェラックshellacと呼んでいる。
ミャンマーの漆品は前者の樹皮を使用している。
ミャンマーの木は、ねばねばしていて、 より長持ちすると言われている。
漆の種類は主に6種類に分けられる。
1. チャウカ漆、2. マアン漆、3. シュエザワー漆、4. タヨー漆、
5. マンシーシュエチャ漆、6. マン漆
漆工房  UBA NYEIN  14:18
漆に彫刻 14:19
竹ひご漆椀の工程 14:22
竹ひごに馬の尾毛を編む 14:24
竹ひごで椀を造る 14:24
素手で漆塗り 14:26
漆研ぎ 14:27
漆の上塗り 14:28
地下室で温室乾燥 14:30
漆工房内 14:31


漆工房からダーヤマンジー寺院に行く途中のパゴダ
 畑の中のパゴダ
 ダーヤマンジー寺院への道

ダーヤマンジー寺院(Dhammayangyi Temple)

ナラトゥー王は、父王と兄を殺害し、5代王となる。
また、妻としたインド王族の娘も処刑した。

1167年、その贖罪として建設にかかったが
ナラトゥー王自身が暗殺されて未完のままになった。

 ダーヤマンジー寺院 15:14
 ダーヤマンジー寺院  15:22
呪いのためか土産店や人が殆ど居ない。
荒れたままのダーヤマンジー寺院  15:23
ダーヤマンジー寺院
規模は大きいが装飾も少なく殺風景である。
王の暗殺に関する怖い伝説があり、地元民のはなしではお化けの出るという。
 ダーヤマンジー寺院を見渡せる丘 15:25
 ダーヤマンジー寺院の周辺 15:25
ダーヤマンジー寺院 15:26
ダーヤマンジーは「法の光」を意味する。
基壇一辺の長さ約78メートル、バガンの中で最大規模の寺院。
単層構造だが、上部には崩落した頂部に向かってそびえる
六段のピラミッド型テラスがある。
1170年、パガン王朝第5代ナラトゥー王のもと建設が始めらたが、
王が暗殺され途中で工事中止となりダマヤンジー寺院は未完成のままとなった。
 修復用レンガ 15:28
 2つの仏像 15:29
ゴータマ・ブッダと未来仏マイトレーヤの像
顔に金箔が残っている。
 壁画 15:32
 涅槃仏 15:37
一部金箔が残っている。
ダマヤンジー寺院の回廊 15:40
寺院の内部の回廊はレンガで覆い塞がれている。
4か所の出入口と外周の回廊部分だけが通行可能である。
 仏陀坐像 15:42
 ダマヤンジー寺院の天井 15:45
 精密なレンガ組み 15:55
何度もの地震を経験しているが、基本構造はしっかりと残されてる。
レンガは緊密かつ丁寧に敷き詰められいる。
 人形劇用の人形が木に吊るしてあった。 15:56
 ダマヤンジー寺院近くのパゴダ 15:58
ダマヤンジー寺院近くの露店 16:01

ミンナントゥ村へ
畑の先にパゴダや寺院 
約3000を超えるパゴダや寺院が点在している。
オールドバガン周辺にはパゴダや寺院が多数点在している 16:04
立ち話する村人 16:08
ミンナントゥ村にあるパゴダ 16:18
パヤトンズ遺跡群の南側にミンナントゥ村がある。
バガン遺跡の中でも例外的な居住地区である。
昔から住んでいた人々はオールドバガンに住めるが、
他の人々はニューバガンに住むことになった。
ミンナントゥ村 16:18
竹で組み立てた素敵な塀 16:19
落花生の収穫作業 16:20

ミンナントゥ村見学 16:21
バガン地区の村の中で、外国人観光客が村を見たいとの要望の応じてきた村。
英語の達者な村の案内人が居る。
普段は見る事のないミャンマーの村の人々の生活風景を見ることができる。
村民約600人/約120世帯
2016年からミンナントゥ村に電気が来るようになった。
村人の中にはこの機会を捉えて自宅を簡易カフェに一部改装したり、
手作りの竹細工や織布などを販売している家も出てきている。

居間、台所 16:21
洗濯干し 16:22
機織り 16:28
住居 16:29
牛小屋
屋根はシュロの葉で葺かれている。
牛の餌作り 16:30
種を撮った後の落花生を裁断している。
台所 16:31
糸紡ぎ 16:34
糸紡ぎしていた家族
家族の写真等 16:40
ヤシの実の灰皿を持ちながらトウモロコシの葉巻を吸う老婆
トウモロコシの煙草

バガンの夕日を見に近くの丘に行く
ゴマ畑とパゴダ 16:56
ミャンマーはゴマと落花生の生産が多い。
土産品の菓子にも、ゴマと落花生が使われている。
落花生は日本のものより実が小さい。
バガン遺跡では珍しい白い寺院 16:56
プラスター(石膏、漆喰)で白く光っている。
他のパゴダや寺院はレンガむき出しの茶色である。
道端にサボテンの花が咲いていた 16:57
牛の群れが家に帰る 17:07
夕日を見る丘の近くにある池 17:02
夕日を見る丘の駐車場 17:08
夕日見物の人々 17:09
夕日 19:09
夕日とパゴダ 19:09
夕日とパゴダ 19:11
バガンの夕日を見る大勢の見物人 19:15
夕日 19:22
夕日とパゴダ 地平線に沈む太陽 19:24
夕日とパゴダ 地平線に沈む太陽 19:25
夕日とパゴダ 地平線に沈んだ直後の夕日 19:26
夕日見物修了 17:26
丘周辺の池 17:27
帰る観光客 17:30
傾いた小さなパゴダ 19:32
ナンダ レストラン(NANDA RESTAURANT) 17:45
ナンダ レストラン(NANDA RESTAURANT) 17:45
ナンダ レストラン 17:46
奥の舞台で人形劇を行う。
夕食 ミャンマー伝統料理 18:28
人形劇 18:32
人形劇 18:37
人形劇 18:38
人形劇 19:07

HOTEL SINCERE SMILE(ホテル シンシアー スマイル) 19:30着 
盛りだくさんの長い1日であった。 
日本から持ってきた日本酒を軽く一杯飲んで就寝した。