2025年6月3日火曜日

八丈富士登山・縄文時代早期の湯浜遺跡・八丈島観光

2025年5月27日(火)~29日(木)
梅雨入りが始まる頃であったが4人で八丈島を訪問した。
天気予報によると3日間とも小雨および曇りの予想であった。
しかし八丈富士登山や先史時代の遺跡、観光名所も見物できて大変満足した旅であった。
大坂トンネル展望台からの展望 2025.05.28  10:40
賀郷から上・樫立地区へ向かう大坂トンネル手前のビューポイント
八丈小島、南原扇状地、八丈富士(西山・854.3m)、八重根港、横間の裏海岸、
逢坂橋(全長1325m)、東京都道215号(八丈循環線約45㎞)、手前は三原山(東山・700.9m)の麓
大坂夕照:春夏秋冬、夕暮れ時に素晴らしい夕陽の眺めが楽しめる。
登龍(のぼりょう)峠からの展望 2025.05.28  15:51
八丈富士(854.3m)、八丈小島(616.8m)、坂下市街地、八丈島空港、底土港、神湊港など
晴天には遠く、三宅島や御蔵島が望まれる。
町営八丈富士ふれあい牧場からの展望 2025.05.29  10:30
八丈富士の中腹、八丈富士登山口付近(標高450m~550m)
三原山(東山・700.9m)、逢坂橋、大坂トンネル、八重根港、八丈町市街地、
ふれあい牧場展望台、ふれあい牧場(黒毛和牛やジャージー牛が放牧されている)

八丈島について
八丈島は東京から約278km離れた伊豆諸島南部に位置する島であり、
晴れた日には三宅島や約75km離れた御蔵島からその姿を望むことができる。
八丈島には羽田空港から飛行機で55分、毎日3便全日空が運航している。
そして竹下桟橋から橘丸で10時間20分、1日1往復している。
面積は約69㎢、海岸線長約59km、東京都道215号八丈循環線(総距離約45㎞)
八丈一周道路(車で一周約1時間)、人口6,437人(2025年4月1日現在の推計)、
産業は農業(花き観葉植物栽培)と沿岸漁業を基盤としている。
商工では焼酎造りやくさや加工、伝統的工芸品の本場黄八丈織などのほか、
観光関連サービス業が 中心となっている。
1964年(昭和39年)富士箱根伊豆国立公園に指定された。
八丈小島は急激な過疎化のため1969年に集団離島して現在は無人島である。
2017年東京都鳥獣保護区特別保護地区(希少鳥獣生息地)になった。
準絶滅危惧種クロアシアホウドリの繁殖地でもある。
八丈島観光地図
八丈島地図(GoogleMap)
八丈島の池

先史時代の遺跡
1956年(昭和31年)から1958年(昭和33年)にかけて、
東京都教育委員会が伊豆諸島文化財総合調査を実施した。
しかし、当時八丈島では考古学的遺跡や遺物が発見されなかったため、
「八丈島には石器時代の住民が存在しなかった」と結論づけられた。
ところが、1962年(昭和37年)に湯の浜で「大型磨製石斧」が発見された。
この遺物に基づき試掘調査や正式な発掘調査が行われ、竪穴式の居住跡も確認され、
湯浜遺跡と命名された。
約7,000年前の先史時代に、黒潮本流を丸木舟で渡り八丈島に居住していたと考えられる事実は、驚きである。その後、約5,000年前の倉輪遺跡、約2,000年前の八重根遺跡、約1,000年前の火の潟遺跡も発見されている。
文化財総覧WebGIS(遺跡地図)
八丈島の地理的位置は黒潮を通じて、大陸沿岸地域、日本列島太平洋沿岸地域、
さらに西太平洋の南の島々と深く結びついていた。
これらの歴史的事実は、八丈島が異文化複合文化圏を形成していたことを示している。
八丈島の先史時代以降は、本州中央集権との関わりを通じて発展し、
正史や古文書類に八丈島の記事が記録されるようになった。

八丈島へ流された流人
慶長11年 (1606年) に関ヶ原合戦の敗将宇喜多秀家主従13名が八丈島へと流された。
島内には宇喜多秀家の墓や宇喜多秀家住居跡、宇喜多秀家公と豪姫の像などがある。
その後、5代将軍徳川綱吉の頃から流人の数は急増し、「流人在命帳」および「流人赦免並死亡覚帳」や
「配流員数明細帳」によれば、 明治4年 (1871年 )に流刑制度が廃止となるまで約265年間に、
付添人と再渡島者を含む1,917名が八丈島に流された。
八丈島では、関ヶ原合戦で敗れた宇喜多秀家から100年間は、武士や僧侶など政治犯、
思想犯に限られたが、やがて喧嘩や博打、女犯などでも送られるようになった。
流人の罪科は様々で、その時代を特徴づけるものがあり現代では考えられない理由もあった。
●不受不施(布施を受けたり法施をしない)罪で流罪、
●知人が吹き矢でツバメを射るのを見ていたということで生類哀れみの令で流罪、
●江戸城で井戸に蓋をしておかずネコが落ちて死んだため生類哀れみの令で流罪、
●病気の馬を捨てたため生類哀れみの令で流罪、
●京都上賀茂神社の神主で神道を広めその影響が大きくなったため流罪、
●御用廻船業者で島津家の藩財政立て直しのために行った密貿易で流罪など。

日程
5月27日(火)小雨のち雨
羽田空港を飛び立つ前に「霧のため東京(羽田)空港へ引き返す可能性がある」との放送があった。
八丈島周辺の上空は雲に覆われていたが、
飛行場は小雨ながら視界が確保されており、無事に着陸できた。
飛行場近くでレンタカーを借り、永郷展望台八丈小島展望台を訪れた。
しかし雨と霧のため何も見えなかった。
早めに樫立向里温泉「ふれあいの湯」にゆっくりと浸かり、
底土港に近い民宿では持参した発泡日本酒やブランデーリキュールを開けて、
86歳の誕生日を迎えた友人との懇親会を楽しんだ。
 日程記録
自宅9:00~~秋川駅(Ta氏合流)9:14・・9:23(拝島駅、Na氏合流)・・9:35立川駅9:40・・10:36川崎駅~~京急川崎駅11:10・・(京急蒲田駅)・・11:26羽田空港第1・第2ターミナル駅~~昼食(かき揚げ蕎麦)~~羽田空港第2ターミナル(Ma氏合流)12:00ーー(Airport Limousieバス)ーーANA1893便12:20ーー13:15八丈島空港13:25~~13:33 アルマージ57レンタカー会社13:47・・ナズマド・・14:12永郷展望台/大越園地(アロエ園)/大越鼻灯台/八丈小島展望台14:26・・14:39遊び平牧野看視舎14:40・・(鉢巻道路)・・15:24樫立向里温泉「ふれあいの湯」16:22・・16:54八丈ストア17:04・・17:23椿荘(夕食)底土港近く18:20・・18:27椿荘別館/民宿まっちゃん(宿泊)・・18:55Ta氏86歳誕生会21:00
ミニバラのぞみ バラ科 8:52
ガーデンローズ バラ科 8:53
クレマチス(テッセン) 8:56
ヤグルマギク キク科ヤグルマギク属 8:59
秋川駅前広場 9:03
秋川駅前交番、ユリノキ モクレン科ユリノキ属
京急羽田空港第1・第2ターミナル駅 11:29
羽田空港第2ターミナル 11:32
羽田空港第2ターミナル・そば屋 11:41
昼食(かき揚げ蕎麦)
八丈島行き待合室 Gate506 12:00
Airport Limousieバス 12:01
ANA1893便からの眺め(羽田空港)12:09
ANA1893便からの眺め(東京湾上空) 12:39
羽田空港12:20ーーANA1893便ーー13:15八丈島空港
ANA1893便からの眺め(八丈島空港)13:10
ANA1893便(八丈島空港)雨天 13:18
八丈島空港 13:18
八丈島空港 13:19
おじゃりやれ八丈島 八丈島大使原田龍二 13:19
八丈島空港 13:20
富士箱根伊豆国立公園 八丈島
八丈島空港 13:21
八丈島空港 13:21
13:33 アルマージ57レンタカー会社 13:41
アルマージ57レンタカー会社 13:47
大越園地休息舎 14:12
ホンダ軽自動車5代目ライフ(2008年車)656cc, 52ps, 水冷直列3気筒
レンタカー:48時間13,000円
永郷展望台 14:13
大越アロエ園
大越鼻灯台 14:14
シュロ(ヤシ科)が自生している。
永郷展望台 14:14
雲がかかり展望がない、晴れていれば目の前に八丈小島が見える。
永郷展望台から八丈島汚泥再生処理センターを望む 14:14
八丈小島展望台 14:25
トカゲ? カナヘビ? 14:25
八丈小島展望台 14:25
雨も降り、何も見えず
八丈小島展望台 14:26
14:39遊び平牧野看視舎 14:40・・(鉢巻道路)・・
霧に覆われ何も見えず
スマホの電波も受信できず 14:40
樫立向里温泉「ふれあいの湯」16:24
樫立向里温泉「ふれあいの湯」16:24
樫立向里温泉「ふれあいの湯」16:24
樫立向里温泉「ふれあいの湯」16:25
泉温:58.0℃、泉質:ナトリウム塩化物強塩温泉、湧出量:480l/分、PH値:6.50
入湯料金:300円
八丈町町制施行70周年、温泉事業30周年「愛されて30年」 16:22
八丈ストア 16:54
八丈ストア 16:54
お酒類 
山形産ひとめぼれ5kg 5880円(税込み6351円
八丈ストア 17:02
民宿椿荘 17:23
底土港近くの民宿 
民宿椿荘 17:23
夕食(椿荘) 17:24
夕食(1,540円) 17:31
宿泊料金(税込み)C期間:大人2食付き3名以上 9,570円
宿泊料金(税込み)C期間:大人朝食付き3名以上 8,030円
夕食 18:20
短期の仕事で泊っている客も多い。
椿荘別館/民宿まっちゃん(宿泊) 18:27
椿荘別館/民宿まっちゃん 18:27
雨上りで濡れている
椿荘別館/民宿まっちゃん 18:27
椿荘別館/民宿まっちゃん 18:55
Ta氏86歳誕生会
発泡日本酒、芋焼酎「情け嶋」、スロベニア産ハニー&ブランデー リキュール
スロベニア産ハニー&ブランデー リキュール
椿荘別館/民宿まっちゃん 18:57
懇親会終了 20:49
21:00就寝

5月28日(水)曇りのち薄曇り
薄曇りであったが、時々雲が切れ、南原千畳敷海岸から八丈富士八丈小島を望むことができた。
また、八丈島の歴史に触れるため、約7,000年前の縄文時代前期の湯浜遺跡倉輪遺跡
弥生・古墳時代の八重根遺跡を訪れた。さらに、流人である宇喜多秀家の夫婦像や、
幕府のお舟預かり役の服部屋敷改修中の八丈島歴史民俗資料館も外から見学した。
その後、裏見の滝名古の展望台を訪れ、八丈島の数ある温泉のひとつ末吉温泉「みはらしの湯」に浸かった。登龍園地からは、八丈富士八丈小島八丈市街地(飛行場)を展望した。
「八丈実記」を著した近藤守真(富蔵)の墓や豊臣政権下の5大老の一人宇喜多秀家の墓も訪れ、
くさや地魚干物藍ヶ江水産「藍」で「くさや」や「島寿司」を堪能し、
そして、宿でのんびりとくつろいだ。
日程記録
椿荘別館/民宿まっちゃん6:50・・7:00椿荘(朝食)・・椿荘別館/民宿まっちゃん8:30・・8:47南原千畳岩海岸9:00・・9:02宇喜多秀家/豪姫の碑9:05・・9:16八重根遺跡(弥生・古墳時代)9:34・・9:51服部屋敷(幕府の船預かり役宅・樫立踊り)10:33・・10:38大坂トンネル展望台/大坂隧道の碑/大坂夕照10:41・・10:49ふるさと村・大里の玉石垣10:55・・11:03八丈島歴史民俗資料館11:07・・11:18昼食(生蕎麦「千両」)・・12:08湯浜遺跡(縄文時代前期)12:14・・12:32裏見の滝/裏見の滝温泉13:03・・13:24名古の展望台13:36・・13:47末吉温泉「みはらしの湯」15:03・・15:49登龍園地16:05・・16:31近藤守真(富蔵)の墓16:33・・16:43宇喜多秀家の墓16:45・・16:49夕食(くさや地魚干物藍ヶ江水産「藍」)17:49・・17:55全日食チェーン「あさぬま」18:01・・18:16椿荘別館/民宿まっちゃん(宿泊)懇親会22:00
椿荘別館/民宿まっちゃん 6:23
ホンダ軽自動車5代目ライフ(2008年車)656cc, 52ps, 水冷直列3気筒
椿荘別館/民宿まっちゃん6:50・・7:00椿荘(朝食1,100円)・・8:00椿荘別館/民宿まっちゃん
椿荘別館/民宿まっちゃん 8:17
民宿椿荘、椿荘別館/民宿まっちゃん地図
〒100-1511 東京都八丈島八丈町三根986
青むろ水産加工場 飛魚 8:18
神湊港周辺
民宿まっちゃん周辺 8:18
民宿まっちゃん周辺 8:21
後方:三原山
民宿まっちゃん周辺 8:21
後方:三原山
南原千畳岩海岸から八丈小島を望む 8:47
八丈小島は急激な過疎化のため1969年に集団離島して現在は無人島である。
2017年東京都鳥獣保護区特別保護地区(希少鳥獣生息地)になった。
準絶滅危惧種クロアシアホウドリの繁殖地でもある。
南原千畳岩海岸 8:48
八丈富士の噴火によって流れ出した溶岩が海に流れ込み広がった黒々とした溶岩台地である。
南原千畳岩海岸から八丈小島を望む
ウミネコ? セグロカモメ? 8:52 
南原千畳岩海岸に生える植物 8:52
ハマボッス(浜払子)サクラソウ科オカトラノオ属
八丈富士を望む
三原山を望む
南原千畳岩海岸トイレと通信アンテナ
南原千畳岩海岸 CAFE イタリア料理「イソロット isol8  8:51
イソロットはイタリア語で島のisolaと八丈島の8(otto)を融合させた。
南原千畳岩海岸にて記念撮影 9:00
南原園地案内図 9:02
宇喜多秀家豪姫の石像 9:03
宇喜多秀家豪姫の碑 9:03
宇喜多秀家は、備前岡山城主で豊臣政権下の五大老の一人であった。
豪姫は、前田利家の四女、豊臣秀吉の養女であり、秀家の正室、キリシタンであった。
二人は政略結婚によって結ばれたが、
豪姫は戦乱の中でも秀家との生活を献身的に支えたとされる。
秀家は関ヶ原の戦い(1600年)で敗れ、当時28歳で八丈島に流刑となる。
その後、豪姫は加賀前田家に戻りながらも秀家を支援し続けた。
秀家は1655年に84歳で死去するが、流刑地では穏やかに過ごしたと言われている。
南原園地バーベキュー場 9:05
噴火したときの指定緊急避難場所?
逢坂橋(全長1325m)、大坂トンネルへ 9:11
八丈一周道路・東京都道215号(八丈循環線約45㎞)
八重根港・東海汽船「橘丸」 9:16
八重根港遺跡付近 9:20
八重根海水浴場 9:24
八重根港付近の鳥居 9:27
ヤケンヶ浜見晴台 9:31
左:ヤケンヶ浜海水浴場トイレ
ヤケンヶ浜見晴台 9:33
ヤケンヶ浜見晴台 9:33
八重根港遺跡?
服部屋敷駐車場 9:51
服部屋敷駐車場 9:52
服部屋敷 9:52
幕府のお舟預かり役の屋敷跡
服部屋敷 9:53
服部屋敷売店 9:53
各種展示品 徳利 9:56
各種展示品 七百石船・鉢 9:56
各種展示品 お膳・急須など 9:56
各種展示品 9:57
各種展示品 日本刀 9:57
濱口興右衛門と祖先 9:57
海軍中将 濱口興右衛門(勝海舟の長崎伝習所一期生・服部屋敷九代目の叔父)明治20年撮影
勝海舟と八丈島 9:58
各種展示品 源為朝
秀家ゆかり樫立手踊り「秋のおかやま桃太郎まつり」記事 
樫立手踊り・八丈太鼓 演奏予定表(1日1回)
八丈島の郷土芸能 樫立手踊り 10:03
「樫立手踊り」は、江戸時代に流人や御用船の乗組員たちにより伝えられ、
各地の唄や踊りを島人たちが盆踊りに綴り合せたもの。
踊りには昔踊りと言われる「場踊り」と若者に人気の「手踊り」がある。
「樫立手踊り保存会」が12種類の樫立手踊りやショメ節、八丈太鼓などを披露し、
島の伝統芸能を継承している。
樫立手踊り 10:11
八丈太鼓 10:15
服部屋敷・みなさんと一緒に 10:20
黄八丈 機織り機 10:25
赦免花歌碑 10:29
「嬉しさを人にも告げんさすらへの ゆるしありと赦免花咲く」
慈運法印は、八丈島着後に至るまで無実を叫び続けたが容れられず遂に断食死した。
彼の墓に花が咲くと必ず赦免状が届くところから御赦免花と呼ぶようになった。
服部屋敷の玉石垣 10:32
大坂トンネル展望台・大坂隧道之碑・大坂夕照 10:38
大坂夕照(おおさかせきしょう)説明板 10:38
「そばだてる巌に憂きを隔てつつ 夕日涼しく超える大坂」鹿島則文
尊王思想を鼓舞した勤王の志士であったため、慶応2年(1866)に八丈島へ配流された。
明治元年(1868)に赦免された後、勅命により伊勢神宮の責任者を勤め、
晩年は鹿島神宮大宮司となった。八丈八景⑦大坂夕照
逢坂橋(全長1325m) 10:39
八丈一周道路・東京都道215号(八丈循環線約45㎞)
大坂トンネル 10:39
春夏秋冬の夕陽説明板 10:39
大坂トンネル展望台からの眺望 10:40
八丈小島、八丈富士、八丈一周道路、横間海岸BBQ場
大坂トンネル展望台にて記念撮影 10:42
大里・馬道 散策路説明板 10:49
現在地:ふるさと村
島木赤彦顕彰の碑 10:50
「椿の陰をんな音なく来たり 白き布団を乾しにけるかも」赤彦
赤彦の島の女性とのロマンを格調高く歌っている。
ふるさと村 10:51
ふるさと村の玉石垣 10:51
ふるさと村説明板 10:54
ふるさと村入口 10:54
馬路(うまじ)(八丈島歴史民俗資料館へ至る由緒ある道)  10:55
八丈島歴史民俗資料館(休館中) 11:03
令和7年10月1日(水)リニューアルオープン
改修工事中の八丈島歴史民俗資料館 11:04
八丈島の自然と文化財、遺跡関係の考古資料、農具や漁具などが展示された民俗資料、
流人の歴史などが展示されている。
旧東京都八丈支庁舎(大正13年)が資料館として使われていた。
平成11年、国の有形文化財に指定された。
近藤富蔵(守真)翁没後百年記念碑(昭和62年6月1日) 11:04
近藤富蔵は、父の屋敷の利権問題で隣人7人を斬り殺し文政10(1827)年に八丈島に流罪になった。
明治13(1880)年に赦免されたが、再び八丈島に戻って明治20(1887)年に83歳で没した。
八丈島の歴史や風俗を集大成した「八丈実記」72巻を記した。
石製くりぬき水槽 11:05
ヤシの木がある庭園
木造高床式穀物倉庫「高倉」 11:05
かつて漁に使われたいた小舟
木造高床式穀物倉庫「高倉」 11:06
東京都指定有形文化財(建築物)
穀物を湿気や鼠害から守るため高床式にした。
支柱が6本あるので六脚倉とも呼ばれた。
行幸記念碑 11:06
昭和4年 (1929)5月29日、昭和天皇八丈島行幸記念碑
増築した八丈島歴史民俗資料館 11:06
島内出土の石斧(HPより)
1962年夏、地元中学生が「大型磨製石斧」を見つけた。
その後、試掘調査や正式発掘調査により「八丈島先史時代」と呼称できるほどの
特徴的な島嶼文化が形成されていたことが判明した。
縄文時代の土器(HPより)
八丈島には現在までに4ヵ所(湯浜・倉輪・八重根・火の潟遺跡)の考古学遺跡が
発掘調査され、その成果から八丈島の有史以前の歴史が判明した。

文化財総覧WebGIS(奈良文化財研究所)
湯浜遺跡(ゆばまいせき)は7,000~6,500年前の縄文時代前期の遺跡で、
遺構として縄文早期-住居+焼土+炭化物集中箇所、<立地>山地と集落、
遺物として縄文早期-縄文土器+打製石斧+?器+削器+石皿+磨石+敲石+石核+剥片を発掘した。
厚手無文土器と小型打製石器類と刃部磨製石斧、磨石、石皿などが出土した。

倉輪遺跡は、遺構として縄文(前期+中期)-住居+竪穴+集石+炉+土坑/近世-柱穴群+土坑+溝、
<立地>山地斜面を発掘し、
遺物として縄文(前期+中期)-縄文土器+打製石斧+磨製石斧+石鏃+?器+削器+石錘+台石+有溝砥石
+異形石器+ケツ状耳飾+玉(コハク製)+の字状垂飾+棒状垂飾+ヘラ状垂飾
+動物遺存体(貝類+獣(骨))+人骨/近世-陶磁器を発掘した。
八重根遺跡は、弥生後期-石器/古墳+奈良+平安-土師器/近世-陶磁器+銭貨/不詳-土器+滑石製紡錘車
+厚手式土器が出土した。1993年、1993年に「八丈島八重根遺跡」報告書を発表している。
火の潟遺跡は、平安時代の遺跡で、遺構として、平安-焼土+ピット群+地床炉を発掘し、
<立地>山地斜面を発掘、遺物として平安-製塩土器+鉄製品+鞴羽口を発掘した。

國學院大學考古学資料館紀要 第21輯(「加藤有次博士追悼」特集号)2005.3.31 所収

来生蕎麦「千両」 11:19
来生蕎麦「千両」 11:22
天ぷら蕎麦 11:34
天ざるミックス(海老、明日葉、うみかぜ椎茸)1,210円
天ぷら蕎麦 11:34
シマアジ 魚拓(体長1m、体重10.2kg、昭和63年3月8日釣漁日)
シマアジ:スズキ目アジ科、マアジ:アジ目アジ科
しまあじ 魚拓(体長72cm、体重5kg、平成14年12月23日釣漁日)
湯浜遺跡(ゆばまいせき) 12:08
湯浜遺跡(ゆばまいせき) 12:08
昭和37年、道路の整地工事を行った際に大型の磨製石斧が採集された。
その後の調査で,3軒の竪穴住居跡が検出され、無文尖底土器、局部磨製石斧、
打製石斧、石皿、磨石など多数の遺物が出土した。
隣接する倉輪遺跡(縄文時代前期末~中期初期)に堆積していた火山灰層と比較すると、
湯浜遺跡の文化層はそれより下層であり、倉輪遺跡の年代より古い時期と確認した。
なお、放射性炭素年代測定法によって、
湯浜遺跡には約7000年前から6500年前までの縄文早期の年代が与えられている。
湯浜遺跡の調査成果から北伊豆諸島と伊豆半島を経由した本州の縄文文化との
密接な関連性がうかがえる。
その一方、石器類の特徴には南方文化の影響も認められる。
湯浜遺跡について(八丈町教育委員会) 12:08
この遺跡の山側の盛り上がった所に、樫立八幡山溶岩が流れてきて止まっている。
もしも、溶岩がこの上を流れてここを覆ってしまえば、偶然の結果であるが、
この遺跡は発見されることはなかった。
第2号住居跡(道路の左下側) 12:09
湯浜遺跡からの展望 12:14
湯浜遺跡から「八丈島シーサイドゴルフクラブ」を望む 12:14
裏見の滝へ 12:32
裏見の滝入口 12:33
天然記念物ヘゴシダ 12:33
為朝神社石宮へ 12:35
三原川・裏見の滝遊歩道 12:37
裏見の滝 12:40
裏見の滝 12:40
裏見の滝 12:40
裏見の滝 12:41
裏見の滝遊歩道・ハート岩付近 12:50
天然記念物ヘゴシダ 12:56
裏見の滝入口 12:58
裏見の滝温泉利用案内 12:59
裏見の滝温泉 13:00
裏見の滝温泉 13:01
名古の展望台地図 13:24
太平洋の黒潮に偲ぶ碑 安倍晋太郎 13:27
第十六震洋特別攻撃隊の記念碑
太平洋の黒潮に偲ぶ 碑文
この真下、八丈町洞輪沢は第16震洋特別攻撃隊の基地跡であった。
海軍の特攻兵器震洋艇50艘と志願した189人の隊員が民家に分宿し訓練した。
名古秋月説明板 13:27
末吉の洞輪沢(ほらわざわ)一帯を名古と呼ぶ。洞輪沢は小さな漁港に過ぎないが、
汐間温泉が湧出し、名古の滝があり、人家の周辺を清水が取り巻いていて、
まさに仙郷とも言うべき場所である。
名古の展望(名古秋月)は、八丈島の最南端小岩戸が鼻まで見渡せる名月観賞に最適な場所として、八丈八景に選ばれている。
晴天の際にははるか南方洋上に青ヶ島が望まれる。
太平洋の黒潮に偲ぶ碑よりの展望 13:27
洞輪沢漁港、洞輪沢汐間温泉
名古の展望台へ 13:28
名古の展望台 13:29
名古の展望台よりの展望 13:30
末吉温泉「みはらしの湯」駐車場 13:47
末吉温泉「みはらしの湯」 13:47
露天風呂から黒潮の海を一望できる
末吉温泉「みはらしの湯」GoogleMapより
泉温:49.8℃、泉質:含むヨウ素ナトリウム塩化物強塩温泉、湧出量:500l/分、PH値:7.10
入湯料金:500円
末吉温泉「みはらしの湯」休息室より 15:03
末吉温泉「みはらしの湯」休息室 15:03
富士箱根伊豆国立公園 登龍園地(標高312m) 15:49
観光バスの団体客と一緒になった。
登龍峠展望台からの眺望 15:50
大賀郷エリア(八重根港)、八丈島空港、三根エリア(底土港・神湊港)、
八丈小島(太平山・616.8m)、神止山(194.9m)、八丈富士(西山・854.3m)、太平洋
登龍(のぼりょう)園地からの眺望「新東京百景」の一つ 15:51
登龍峠の名は「天に昇る龍のような道」ということに由来している。
登龍峠にて記念撮影 15:53
登龍峠にて記念撮影 15:53
登龍峠説明板 15:53
登龍峠展望台からの眺望 15:56
登龍峠碑 東京都知事 東龍太郎毫 16:05
「この峠に立つ人 その幸運まさに登龍の如し」
龍壁画オブジェ (末吉地区側)東京イチオシナビより
近藤守真(富蔵)の墓 16:31
開善院善光寺境内
近藤守真(富蔵)の墓 16:31
共同墓地内
東京都指定旧跡 近藤守真(富蔵)の墓 16:31
墓は戦前に改装されたもので、土葬座棺であったとされる。
東京都指定旧跡 近藤守真墓説明板 16:31
近藤富蔵は、父の屋敷の利権問題で隣人7人を斬り殺し文政10(1827)年に八丈島に流罪になった。
明治13(1880)年に赦免されたが、再び八丈島に戻って明治20(1887)年に83歳で没した。
流人生活において八丈島の文化的向上に大きく寄与し、
八丈島の歴史や風俗を集大成した「八丈実記」72巻を記した。
近藤守真(富蔵)の碑 16:32
東京都指定旧跡 近藤守真(富蔵)の墓 16:32

開善院善光寺墓地 16:32
開善院善光寺 16:33

宇喜多秀家の墓への標識 16:43
東京都指定旧跡 宇喜多秀家の墓 16:43
東京都指定旧跡 宇喜多秀家墓 説明板 16:43
宇喜多秀家(1572~1655)は、備前国の武将宇喜多直家の子で、豊臣秀吉の寵遇を受け、
朝鮮出兵等に活躍する。秀家のは秀吉の一字を与えられた。
備中・備前・美作に約50万石を領し、備前宰相として秀吉の五大老に列せられた。
また、秀吉の養女となった前田利家の娘を正室として迎え、前田家とも姻戚を結んだ。
関ヶ原の戦いで敗れたため、慶長11(1606)年に八丈島に流され、明暦元(1655)年に死去した。
墓は、約7m四方の玉石垣に囲まれた一族墓の中央に五輪塔形の墓石で、
天保12(1841)年に9代秀邑が建てた。
当初の墓石は、傍らにある位牌型の墓で、現在地より西北方にあったものを移転した。
東京都指定旧跡 宇喜多秀家の墓 16:43
岡山城天守閣の礎石 16:43
宇喜多秀家は、備前国岡山城主であった。
東京都指定旧跡 宇喜多秀家の墓 16:44
浮田家之墓 16:44
宇喜多秀家の親類縁者は「浮田」を名乗った。
宇喜多秀家の墓への標識 16:45
くさや地魚干物藍ヶ江水産「藍」16:49
くさや地魚干物藍ヶ江水産「藍」16:50
藍ヶ江水産「藍」店内 17:04
「藍」店内のウミガメ標本 17:04
カメノテ 17:04
ミョウガガイ科カメノテ属 甲殻類の一種
八丈島では「セノカミ」と呼ばれ昔から食べられてきた。
藍ヶ江水産「藍」工場直売オリジナル製品 17:06
「生くさや」見本展示品 17:06
藍ヶ江水産「藍」店内 17:08
生ビールx2、パッションジュースx2、料理など注文は、
スマホからAirREGIモバイルオーダー店内版(RECRUIT)のQRコードを読み込んで行う。
AirREGIオーダー(RECRUIT)
注文・伝達・会計の業務効率化で、おもてなしに注力できます
飛魚くさや(1,530円)・青むろ鯵くさや硬干し(@830円)、生くさや(1,250円) 17:09
岩海苔弁(1,030円) 17:12
お通し(500円)、飛魚・アジくさや 17:14
島寿司(2,300円)、炙り島寿司(2,500円) 17:20
「島寿司」は醤油漬けにしたネタの寿司で、わさびの代わりに辛子を効かせている。
合計14,910円(税込み)
くさや地魚干物藍ヶ江水産「藍」17:49
全日食チェーン「ASANUMA大賀郷店] スーパーマーケット 18:00
店内 
複数ブレンド米「いつものお米あかふじ」5,162円(税込み)/5kg ~
宮城県産「ひとめぼれ」5,584円税込み)/5kg
椿荘別館/民宿まっちゃん 18:16
椿荘別館/民宿まっちゃん 18:16
懇親会 22:00就寝

5月29日(木)曇のち雨
曇りであったが、午前中は雨の予報でなかったため八丈富士への登ることにした。
山頂部は雲に覆われ視界がなく火口部も見られず、風も強く山頂で休息もできず残念であったが、
下山途中からは山頂の雲も切れて八丈島全体を見渡すことができた。
下山後はふれあい牧場八丈ビジターセンター/八丈植物公園を訪れた。昼食に海鮮丼を味わった後、
レンタカーを返却して八丈島飛行場へ向かった。
29日の天気予報では「強風のため飛行機が着陸できない可能性が大きい」とのことで、
繰り上げて離島する人が多く、飛行機はほぼ満席であった。
なお、27日に来島した際には乗客は半分程度であった。
飛行場では「くさや」や「磯のり」などの土産を購入し帰京した。
蒲田の大衆酒場・酒と飯「ビートル」で夕食を済ませた後、自宅には午後8時ごろ着いた。
日程記録
椿荘別館/民宿まっちゃん6:50・・7:00椿荘(朝食)・・椿荘別館/民宿まっちゃん8:05・・8:19八丈富士山登山口駐車場~~八丈富士登山口8:23~~中間点8:46~~8:49獣害侵入防止扉~~9:16お鉢巡り分岐点~~9:37八丈富士山頂854.3m9:39~~9:55お鉢巡り分岐点~~獣害侵入防止扉10:08~~10:22八丈富士登山口~~八丈富士登山口駐車場10:24・・10:30八丈島ふれあい牧場10:32・・10:57八丈ビジターセンター/八丈植物公園11:29・・11:38昼食(海鮮丼 魚介創作料理地魚処「魚八亭」)12:00・・ENEOSガソリンスタンド(約11l、約2300円)・・12:27 アルマージ57レンタカー会社12:30・・12:35八丈島空港13:50ーーANA1894ーー14:50羽田空港第2ターミナル15:10・・(京急バス300円)・・16:05JR蒲田駅・・16:10夕食(大衆酒場・酒と飯「ビートル」)17:43・・18:00JR蒲田駅18:14・・18:18川崎駅18:24・・19:24立川駅19:29・・19:43拝島駅19:53・・20:02秋川駅~~20:15自宅
椿荘(朝食1,100円) 7:04
椿荘別館/民宿まっちゃん 8:03
椿荘別館/民宿まっちゃん(曇り) 8:03
八丈富士登山口駐車場 8:20
鉢巻道路
八丈富士登山口からの展望(雲の下は三根地区・神湊港・底土港) 8:20
八丈富士登山口 8:22
八丈富士説明板 8:23
八丈富士(西山)標高854.3mの複式火山、約1万年前にできた伊豆諸島の中で最も高い山。
八丈富士火口内は富士箱根伊豆国立公園の特別保護地区になっている。
火口直径約500m、深さ70m、火口底の中央火口丘に池や湿地がある。
火口内には浅間神社が祀られている。
八丈富士登山口(標高548m、八丈富士の7合目付近)8:23
八丈富士山頂の標高854.3mまで標高差約306m
八丈富士登山届案内 8:24
八丈富士登山路 8:26
階段(分岐点まで1280段)と傾斜路
八丈富士登山路 8:29
八丈富士登山路(手すり有り) 8:42
ガクアジサイやシダ類が多く見られる。
八丈富士山ハイキングマップ
八丈富士山ハイキングマップ
石段中間点(石段640段目) 8:46
獣害侵入防止扉 8:50
自然保護のため動物が入って来ないように柵が設置されている。
八丈富士登山路(霧の中へ) 8:58
八丈富士登山路 9:12
分岐点付近はほぼ平のところもある。
分岐点・お鉢巡りの路 標識 9:16
お鉢巡り50分、八丈富士山頂15分
八丈富士山頂へのお鉢巡りの路 9:20
霧に濡れた藪漕ぎ、登山道はぬかるみあり、靴とズボンが泥だらけ
風穴 9:26
八丈富士山頂 9:36
八丈富士山頂854.3m標識 9:38
雲の中で視界なし、風強し、晴れていれば360度の展望と火口が見えたはず、残念
八丈富士山頂854.3mにて(自撮り) 9:38
晴れていれば見えた火口壁(外輪山)(Webより)
晴れていれば見えた火口(Webより)
八丈富士(西山)は標高854.3mの2重複式火山
伊豆諸島の中で最も高い山で約1万年前から4000年前までに少なくとも25回の噴火があった。
有史以降の最後の噴火は1605年である。
八丈富士火口内は富士箱根伊豆国立公園の特別保護地区になっている。
火口直径約500m、深さ70m、火口底の中央火口丘に池や湿地がある。
火口内には浅間神社が祀られている。
晴れていれば見えた火口(Webより)
火口内の浅間神社(Webより)
下山・お鉢巡りの路 9:38
お鉢巡りの路 分岐点 9:55
動物侵入防止柵と扉 8:50
登山口到着(八丈富士山頂往復2時間) 10:22
八丈富士登山口駐車場 10:24
八丈富士ふれあい牧場 10:30
八丈富士ふれあい牧場展望台と三原山麓の樫立地区にある逢瀬橋を望む 10:30
逢坂橋(全長1325m)、東京都道215号(八丈循環線約45㎞)
八丈富士ふれあい牧場と三原山(東山) 10:30
町営八丈富士ふれあい牧場
畜産振興のための牧場では、昭和38年には1万7000頭もの乳牛・ホルスタインが飼育されていたが、
森永乳業の練乳工場が閉鎖されたこともあって、酪農家は黒毛和牛に転向した。
乳牛を見ることができるのは八丈島乳業のゆーゆー牧場と八丈富士ふれあい牧場のみとなっている。
八丈富士ふれあい牧場は、黒毛和種の生産基盤の維持のために八丈町が整備した公共牧場で、
平成8年度~11年度には、草地の景観維持による来場者の増加を目指して団体営公共牧場整備事業が行なわれ、さらに美しい牧場に変身している。
放牧される牛は、酪農家からの預託と、町有の2種あり、酪農家から預けられた牛を健康に育てるという
公共育成牧場としての機能をも有している。
放牧地のなかにアジサイが繁茂しているのは、毒性があり牛が食べないかため。
ジャージ牛が導入されたのは平成24年で、八丈島ジャージー牛乳、八丈島ジャージープリン、
八丈島ジャージーヨーグルトドリンク、八丈島ジャージーバター、
ジャージーミルクヨーグルトなどの商品に加工されている。
八丈ビジターセンター/八丈植物公園 10:57
八丈ビジターセンター・八丈島の生き物 11:26
かんも・さつまいも・ちょんこめ・黄八丈について 11:26
はるとび・くらし 11:27
八丈ビジターセンター展示室 11:27
八丈ビジターセンター・ストレリチア(極楽鳥花) 11:27
八丈ビジターセンター 11:27
八丈ビジターセンター・ガクアジサイ 11:27
八丈ビジターセンター/八丈植物公園 11:29
8つのゾーンで構成され南国気分が楽しめる。「キョン」も飼育されている。
温室では100種類以上の植物が育てられている。
海鮮丼 魚介創作料理地魚処「魚八亭」 11:38
海鮮丼 魚介創作料理地魚処「魚八亭」 11:39
昼食・地魚天丼定食1800円 11:56
海鮮丼 魚介創作料理地魚処「魚八亭」 11:56

ENEOSガソリンスタンド
満タン証明レシート必要(約10.5l、209円/ℓ、約2,200円)
アルマージ57レンタカー会社 12:27
返却レンタカー軽自動車と空港送迎車
アルマージ57レンタカー会社 12:28
八丈島空港ターミナルと警視庁八丈島警察署空港警備派出所 12:35
八丈島空港手荷物検査・ANAカウンター 12:37
東京愛らんどシャトルTAL・東邦航空カウンター 12:39
大島、利島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島 ヘリコプター運航中
搭乗待合室 13.15
29日の天気予報では「強風のため飛行機が着陸できない可能性が大きい」とのことで、
繰り上げて離島する人が多く、飛行機はほぼ満席であった。
搭乗待合室 13.16
ANA1894機内 14:05
離陸 八丈富士 14:14
八丈島空港13:50ーーANA1894ーー14:50羽田空港第2ターミナル
八丈島 三根地区上空 14:14
八丈島 三根地区神湊港を望む 14:14
八丈島 三根地区底土港を望む 14:14
山頂が雲に覆われた八丈富士を望む 14:14
東京湾上空 14:37
羽田空港付近の上空 14:46
着陸したANA1894 15:03
蒲田郵便局前走行中 京急シャトルバス 16:00
羽田空港第2ターミナル~JR鎌田駅 300円
京急シャトルバス 16:04
羽田空港第2ターミナル~JR鎌田駅
JR蒲田駅周辺再開発中 16:05
蒲田駅周辺飲食街 16:10
大衆酒場・酒と飯「ビートル」16:11
大衆酒場・酒と飯「ビートル」16:12
16:00開店、まだ客が居ない
大衆酒場・酒と飯「ビートル」16:13
生ビール、日本酒、もつ煮込み、鶏の唐揚げ、冷奴、おでん大根、くるま麩、たまご等
10,350円/4人(2,588円/1人)
JR蒲田駅 18:00
大衆酒場・酒と飯「ビートル」17:43・・18:00JR蒲田駅18:14・・18:18川崎駅18:24・・19:24立川駅19:29・・19:43拝島駅19:53・・20:02秋川駅~~20:15自宅
秋川駅北口 20:05   自宅着20:15
今回の八丈島訪問は八丈富士登山や遺跡見物を堪能し、大いに満足した旅であった。

費用 約57,872円
航空券:19,860円(羽田~八丈島往復)、電車・バス代:2,396円(suica)
レンタカー(軽自動車):13,000円/4人、ガソリン代:2,200円/4人(209円/ℓ)
宿泊費:15,570円(椿荘2泊)、食事代(昼2夕2)/酒・つまみ/温泉代(2回)/入場料:約11,000円、土産(くさや2、磯海苔、島唐辛子ラーメン2、パッションフルーツサブレ、ココナッツ小物入れ):5,146円

参考資料
絶海の孤島八丈島での林道探索
黒潮の流れと八丈島 
縄文時代の黒潮の流れと八丈島 
黒潮の流れ(5型)
海面温度に依存して黒潮の流れが変化する