2024年11月29日(金)
東京国立博物館で開催中の挂甲の武人国宝指定50周年記念特別展「はにわ」が
12月8日までなので3人の都合のつく11月29 日(金)に決めて
事前にネットで一般(当日券)を購入した。
朝早く出かけ開館と同時に入館を予定していたが、
JR五日市線で人身事故があり運転ダイヤが乱れていた。
福生駅まで送っていただき、東京国立博物館に予定通りに着いたが大勢の入館者がいた。
「はにわ」展見学後、快晴の上野公園から銀座ライオンに行き美味しいビールを飲んだ。
帰路、秋川のおむすび・らんかで夕食兼懇親会をした。
秋川7:15ー(自動車)ー福生駅7:41ー(JR青梅線・中央線・京浜東北線)ー9:01上野駅
「はにわ」展 ポスター 9:09
東北から九州まで各地の埴輪が半世紀ぶりに大集合!
埴輪の起源は「円筒埴輪」で葬送儀礼で使われた特殊な壺を置く台が元になっている。
これを古墳の上に隙間なく並べて悪いものが入らないようにした結界である。
そのルーツは、弥生時代後期(1~3世紀)に瀬戸内海沿岸地域の王墓に供えられた
「器台」で、王の葬送儀礼のたえの供物を壺に入れ器台に乗せた。
やがてその器台が装飾性を増し、魔除けの文様・弧帯文を描くようになり、進化を遂げ、
古墳時代(3世紀中頃)になると円筒埴輪に変化していった。
4世紀には魂の拠り所としての家形埴輪や神聖な鳥形埴輪が普及し、
5世紀に至って人物や動物の埴輪が造られ始めた。
鶏の埴輪は「天岩戸神話」のように夜明けの太陽を呼び込むため、
力士の埴輪は四股を踏んで大地を清めるために作られた。
見返りの鹿は、王に捧げる鹿を狩る場面、
人物埴輪の集合は死者の生前を再現し魂の復活を願うものとされている。
挂甲の武人が造られたのは6世紀、朝鮮半島から仏教が伝えられ、
古墳の造営は縮小し、埴輪も廃れつつあった。
しかしヤマト大権から離れた東国・群馬県太田市の八王子丘陵にあった埴輪工房の窯では、
「挂甲の武人」が焼かれていた。
古墳時代・6世紀 野原古墳 埼玉県熊谷市
儀礼に際して踊る姿とされるが、近年は馬を曳く姿(馬子)とする説が強い。
右の埴輪は美豆良(みずら)を結い、腰に鎌ををぶら下げている。
左の埴輪はまったく装飾が無い。
東京国立博物館のゆるキャラ「トーハクくん」のモデルになっている。
第1章 王の登場
3~4世紀の王は司祭者、5世紀の王は武人、6世紀の王は官僚的、
副葬品も時代の変化に応じて変わっていく。
中国大陸や朝鮮半島経由の副葬品も多い。
腕飾形の宝器
古墳時代・4世紀 東大寺山古墳 奈良県天理市
4 国宝 車輪石
古墳時代・4世紀 東大寺山古墳 奈良県天理市
国宝 7 衝角付冑、8 頸甲、9 横矧板鋲留短甲古墳時代・5~6世紀 江田船山古墳 熊本県和水町
10 国宝 金製耳飾(朝鮮半島南部大加耶のイヤリング)
11 国宝 金銅製沓(百済に由来する)
12 国宝 金銅製鈴付大帯
古墳時代・6世紀 綿貫観音山古墳 群馬県高崎市
文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
古墳時代・6世紀 綿貫観音山古墳 群馬県高崎市
古墳時代・3世紀 綿貫箸墓古墳出土 奈良県桜井市
宮内庁書陵部
佐紀陵山古墳出土(奈良市) 東京国立博物館蔵
本体は関東大震災により損失
東京国立博物館蔵
誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)出土 大阪府羽曳野市
応神天皇 恵我藻伏崗陵陪家ほ号出土 大阪府羽曳野市
宮内庁書陵部
25 家形埴輪 古墳時代・6世紀
今城塚古墳出土(継体大王の墓)大阪府高槻市
高槻市立今城塚古代歴史館
高さ171cm日本最大の家形埴輪
27 埴輪 捧げ物をする女子、28 埴輪 挂甲の武人
古墳時代・6世紀 今城塚古墳出土(継体大王の墓)大阪府高槻市
高槻市立今城塚古代歴史館
西江遺跡出土 岡山県新見市
古墳時代・3~4世紀 東殿塚古墳出土 奈良県天理市
天理市教育委員会
古墳時代・4世紀 五色塚古墳出土 兵庫県神戸市
天理市教育委員会
古墳時代・4世紀 青塚古墳出土 愛知県犬山市
愛知県犬山市教育委員会(まほらの館保管)
古墳時代・6世紀 中二子古墳出土 群馬県前橋市
前橋市教育委員会(大室はにわ館保管)
経ノ塚古墳出土 宮城県名取市 東京国立博物館蔵
東京国立博物館蔵
主屋の入母屋造伏屋建物の4面中央に、開放的な構造の小型付属屋が付く、平側2面は入母屋造平屋建物、妻側2面は切妻造平屋建物で、
各平側には半円形刳方の出入口部をもつ稀少な造形の家形埴輪。
文化庁(大阪歴史博物館保管)
古墳時代・5世紀 西都原古墳群出土 宮崎県西都市
東京国立博物館蔵
この様な船で神武天皇は東征に出たと伝わる。
43 模造(平成時代) 国宝 船形埴輪
現品:古墳時代・5世紀 宝塚1号墳出土 三重県松坂市
全長140cm、高さ94cmに達する大型埴輪、令和6年国宝認定。
甲板には墓の主(水運関係の人物)の威厳を示す蓋や大刀、威杖が並べられている。
古墳時代・5世紀 白石稲荷山古墳出土 群馬県藤岡市
古墳時代・5世紀 赤堀茶臼山古墳出土 群馬県伊勢崎市
5世紀前半までは人物埴輪は登場していない。埴輪に人を表すのは禁忌であった。
家形埴輪の前に椅子形埴輪が置かれたように、王は「見えない姿」で観念されていた。
この禁が破られたのは、応神天皇陵や仁徳天皇陵の築造が契機であった。
古墳時代・6世紀 石薬師東古墳群63号墳出土 三重県鈴鹿市
たてがみが豊かな馬
古墳時代・6世紀 酒巻14号墳出土 埼玉県行田市
戦闘用の馬につけられた装飾「寄生」の一種である。
日本や朝鮮半島から出土する「蛇行状鉄器」の使用方法が、この埴輪により実証された。
古墳時代・6世紀 鶏塚古墳出土 栃木県真岡市
古墳時代・6世紀 鶏塚古墳出土 栃木県真岡市
埴輪の内部は空洞、顔の目に口はそのまま内奥の空虚につながり、端正な、
あるいは素朴な容姿ながら深遠な雰囲気を醸し出している。
古墳時代・5世紀 小立古墳出土 奈良県桜井市
史上初!「埴輪 挂甲の武人」5体勢揃い!
古墳時代・6世紀 群馬県太田市飯塚町出土 東京国立博物館蔵
最初の国宝埴輪、頭から足まで甲冑を着用している稀有な人物埴輪。
完全武装の兵士のありさまを模した武人像の埴輪。
映画・大魔神のモデル、昭和49年発行の200円切手のデザインにもなった。
昭和初期に発見された際、復元されたが経年劣化のため平成29年に解体修理が
執り行われた。解体修理時に昭和20年代に再修理されていたことも判った。
「挂甲の武人」は専門の埴輪職人によって作られたと考えられる。
太田市の八王子丘陵からは6世紀の「埴輪工房跡」の遺跡が発見された。
太田天神山古墳は東日本で最大な古墳。
靫(矢筒のこと)を背をっている。矢の先端部分を上にして矢を納めている。
今、よみがえる古墳時代の姿(古墳時代・6世紀 群馬県太田市飯塚町出土)
顔料の白は白土、赤はベンガラ、灰は白土にマンガンを混ぜて作ったと考えられる。
土台(赤褐色)は土中に埋もれるため彩色はしなかったとみられる。
製作:文化財活用センター(令和5年) 東京国立博物館蔵
古墳時代・6世紀 群馬県太田市成塚町出土
群馬・(公財)相川考古館
古墳時代・6世紀 群馬県太田市世良田町出土
奈良・天理大学付属天理参考館
昭和初期まで武人埴輪として最も知られていた。
古墳時代・6世紀 群馬県伊勢崎市安堀町出土
千葉・国立歴史民俗博物館
シアトル美術館所蔵の埴輪挂甲の武人と非常によく似ている。
古墳時代・6世紀 群馬県太田市出土
アメリカ・シアトル美術館
昭和35年に日米修好通商条約100周年を記念して、アメリカで展示会を行った。
昭和36年に古美術商を介して渡米した。今回63年ぶりの里帰りである。
60 国宝 埴輪 挂甲の武人
古墳時代・6世紀 綿貫観音山古墳出土 群馬県高崎市
文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
令和2年に国宝に指定された。
60 国宝 埴輪 挂甲の武人
古墳時代・6世紀 綿貫観音山古墳出土 群馬県高崎市
文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
古墳時代・6世紀 小見真観寺古墳出土 埼玉県行田市
古墳時代・5~6世紀 天狗山古墳 岡山県倉敷市
挂甲:胴を守るため小札(こざね)を紐で組み合わせて構成した甲(よろい)
古墳時代・5~6世紀 天狗山古墳 岡山県倉敷市
67 埴輪 盾持人
古墳時代・5世紀 保渡田八幡塚古墳出土 群馬県高崎市
群馬・かみつけの里博物館
2019年「群馬HANI-1(はにわん)グランプリ」で3位になった個性的な顔立ちの埴輪。
古墳時代・5世紀 井出挟3号墳出土 鳥取県米子市
鳥取県米子市(上淀白鳳の丘展示館保管)
69 埴輪 盾持人
古墳時代・6世紀 薮塚町若水塚出土 群馬県太田市
東京国立博物館蔵
70 埴輪 盾持人
古墳時代・6世紀 前の山古墳出土 埼玉県本庄市
本庄早稲田の杜ミュージアム保管
形象埴輪では現実に存在しないものは作ることはなく、
71 重要文化財 両面人物埴輪古墳時代・6世紀 大日山35号墳出土 和歌山市
和歌山県教育委員会
古墳時代・5世紀 原山1号墳出土 福島県泉崎村
福島県泉崎村教育委員会
73 埴輪 力士
古墳時代・6世紀 登山1号墳出土 神奈川県厚木市
厚木市教育委員会(あつぎ郷土博物館保管)
74 埴輪 力士
古墳時代・6世紀 今城塚古墳出土 大阪府高槻市
高槻市立今城塚古墳歴史館
古墳時代・6世紀 上芝古墳出土 群馬県高崎市
東京国立博物館蔵
古墳時代・6世紀 赤堀村104号墳出土 群馬県伊勢崎市
東京国立博物館蔵
77 重要文化財 埴輪 馬子
古墳時代・6世紀 姫塚古墳出土 千葉県横芝光町
千葉県・観音教寺(芝山町立芝山古墳・はにわ博物館保管)
古墳時代・6世紀 オクマン山古墳出土 群馬県太田市
群馬県太田市教育委員会ほか(新田荘歴史資料館保管)
79 埴輪 琴をひく男子
古墳時代・6世紀 伝茨城県桜川市出土 東京国立博物館蔵
古墳時代・6世紀 熊野古墳出土 栃木県足柄市 東京国立博物館蔵
古墳時代・6世紀 熊野古墳出土 栃木県足柄市
栃木県足柄市教育委員会(足利市ふるさと学習・資料館保管)
82 埴輪 踊る人
古墳時代・6世紀 伝群馬県出土
埼玉県さきたま史跡の博物館
古墳時代・6世紀 塚廻り4号墳出土 群馬県太田市
文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
84 重要文化財 埴輪 ひざまずく男子
古墳時代・6世紀 茨城県桜川市青木出土
大阪歴史博物館保管
古墳時代・6世紀 綿貫観音山古墳出土 群馬県高崎市
文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
古墳時代・6世紀 綿貫観音山古墳出土 群馬県高崎市
文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
古墳時代・4世紀 美園古墳出土 大阪市八尾市
文化庁(大阪府立近つ飛鳥博物館保管)
古墳時代・5世紀 茨城県桜川市外山出土
東京国立博物館蔵
古墳時代・5世紀 釜ノ口遺跡出土 群馬県伊勢崎市
群馬県伊勢崎市教育委員会(赤堀歴史民俗資料館保管)
古墳時代・5世紀 狼塚古墳出土 大阪府藤井寺市
藤井寺市教育委員会
王は治水を司り、神を祭って稲作の成功を約束することが大切な使命であった。
そのため、王の治水と勧農の象徴として「導水施設形埴輪」がつくられた。
古墳時代・4世紀 本堯寺北1号墳出土 香川県高松市
東京国立博物館
116 魚形埴輪 古墳時代・6世紀 白桝遺跡出土 千葉県芝山町
112 鹿形埴輪 古墳時代・5世紀 辺田平1号墳出土 静岡県浜松市
「見返りの鹿」は今にも狩られるその一瞬を表現した傑作である。
生前の王が狩猟を楽しむ場面とも、王の慰霊のため供え物を狩る場面ともいう。
101 重要文化財 馬形埴輪 古墳時代・6世紀 埼玉県熊谷市上中条出土
115 鵜形埴輪 古墳時代・5世紀 保渡田八幡塚古墳出土
魚をくわえる鵜の埴輪、鵜の埴輪は珍しい。領主への捧げものか?
鵜の頸部に鈴をあしらった紐が巻かれ「鵜飼」の場面を表した儀礼的な造形、
これも「狩猟」の一つ。鵜をうでにのせる男の埴輪も見つかっている。
「日本書紀」初代神武天皇の条にも鵜飼の記録がある。
古墳時代にも鵜飼が行われていたことがわかる。
古墳時代・6世紀 大日山35号墳出土 和歌山市
和歌山県教育委員会
東京国立博物館蔵
古墳時代・6世紀 大平古墳出土 茨城県ひたちなか市
茨城県ひたちなか市教育委員会
古墳時代・6世紀 後二子古墳出土 群馬県前橋市
前橋市教育委員会
古墳時代・6世紀 伝茨城県行方市大日塚古墳出土
東京国立博物館蔵
東京国立博物館蔵
古墳時代・5世紀 池田古墳出土 兵庫県朝来市
兵庫県立考古博物館
エピローグ 日本人と埴輪の再会古墳時代以降、埴輪は忘れ去られた。
だが江戸時代中期より「国学」の隆盛と共に埴輪が再評価された。
明治天皇は崩御の後、京都の伏見桃山稜に埋葬され、
その石室を護るため埴輪に似たものが埋められた。
古墳時代・6世紀 群馬県藤岡市白石出土
俳優・三船敏郎が手にした埴輪
古墳時代・6世紀 茨城県水戸市愛宕町出土 東京国立博物館
古墳時代・6世紀 芝丸山第8号墳出土 東京都港区 東京国立博物館
古墳時代・6世紀 芝丸山第8号墳出土 東京都港区 東京国立博物館
古墳時代・6世紀 柴又八幡神社古墳出土 東京都葛飾区
葛飾区郷土と天文の博物館
出土した際、映画「男はつらいよ」の主人公・渥美清が扮する車寅次郎に似ている
として話題を呼んだ。
127 埴輪 笑う男子(全身像として復元)
古墳時代・6世紀 下毛田遺跡出土 群馬県藤岡市 藤岡市教育委員会
牛田地内の道路工事で見つかった、馬を曳く馬子もしくは農夫を考えられる。
目を細めて小首をかしげて愉快そうに笑う農夫か馬子の人物埴輪
2019年HNI-1(はにわん)第1位
大正元年(1912) 吉田白嶺作 東京国立博物館蔵
明治天皇が眠る伏見桃山稜に奉納された埴輪「御陵鎮護の神将」と同じ型で作られたもの。
明治天皇の崩御に伴って内閣に設置された大喪使から東京帝室博物館が依頼を受け、
この埴輪の監修と制作を担った。
縄文時代晩期・前1000~前400 宮城県大崎市田尻蕪栗字恵比須田出土
土偶 11:41
東京国立博物館考古展示室にて
東京国立博物館 11:49
夕食兼懇親会としてビール、おにぎり、蕎麦など飲食した。
帰宅18:40