2026年6月19日(金)~20日(土)
いつもの同期入社3人組で、山形県で出土した「縄文の女神」が常設展示されている山形県立博物館へ一泊二日の旅行に出かけた。天候を気にしていたが、幸いにも見学中は薄曇りで気温も25度前後と恵まれた。しかし、帰路の東北自動車道では夕方から雨になり、栃木ICの手前で雨による自損事故に遭遇した。事故が起きたばかりで警察の規制前だったこともあり、短時間で通過できたのは不幸中の幸いだった。
「縄文の女神」は、八頭身のスタイリッシュな幾何学的造形を持つ大型の土偶である。無駄を削ぎ落としたシルエットは非常にモダンで、引き込まれるものがあった。その優れた芸術性と歴史的価値から2012年に国宝に指定されている。国宝に指定されている土偶は全国に5件あるが、この「縄文の女神」で、ついに5件すべてにおいて実物を見ることができた。
さらに、「縄文の女神」が出土した西ノ前遺跡や、そこで出土した縄文土器などを舟形町歴史民俗資料館で見学することができ、深い満足感を覚えた。
その後、60年以上前の学生時代に東北旅行で訪れた山寺(立石寺)を再び訪ねてみた。往時と変わらぬ佇まいだったが、外国人観光客の多さには驚かされた。かつてあった下山用の滑り台は、危険すぎるという理由で廃止されており、現在は使えなくなっていた。しかし、五大堂から見渡す蔵王連山の素晴らしい景観は昔のままであった。山寺と聞くと、やはり芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」が思い浮かぶ。1015段の石段も予定通りの時間で上り下りでき、自分たちがまだ元気であることを実感して少し安心した。山寺からの帰り道にはサクランボ農園に立ち寄った。試食した旬のサクランボがあまりにも美味しかったため、自宅用の土産に購入し、友人にも宅配便で送った。
宿は山形駅前のビジネスホテルに泊まり、夕食には山形名物である山形牛のすき焼きを、山形県の地酒「裏・雅山流」とともに堪能した。
西ノ前遺跡がある山形県舟形町は、母の故郷である新庄市角沢に近い。そのため、今回は母のきょうだいの家3軒を訪ね、仏前に線香を手向けてきた。私自身、戦争中に2年半ほど新庄の伯母の家に疎開していた縁もあり訪ねたのだが、どこも世代交代が進んでいたり、家族が高齢化したりしており、農業の継続に悩んでいた。跡継ぎのいない小さな農家が廃業する一方で、残された農地を地域の中心的な農家や農業法人が引き受け、1経営体あたりの面積を拡大する「大規模化」が進んでいるのが現状だという。その話に、時代の強いの流れを感じずにはいられなかった。
新庄市角沢の近くには、国指定史跡である「芭蕉乗船の地(本合海)」があり、約70年ぶりに足を運んでみた。中学生の夏休み、母の故郷から一人で歩いてここまで来たことがある。当時の記憶では、最上川の水量が非常に多く、流れも速くて恐ろしいと感じたものだった。芭蕉の有名な句に「五月雨をあつめて早し最上川」があるが、大石田の滞在中の句会では当初「あつめて涼し」と詠まれていたそうだ。それが元禄2年(1689年)6月3日、ここ本合海から急流の最上川船下りを実際に経験したことで、「早し」へと改められたという。そんな歴史に思いを馳せながら眺めた現在の本合海あたりの流れは穏やかだった。
行程 6月19 日(金)
秋川(自宅)5:30・・(1.7km5M)・・Su 氏宅・・(7.6km25M)・・Se 氏宅 5:50・・(3.5km10M)・・青梅 IC6:00・・(圏央道/久喜白岡 JCT/東北縦貫自動車道/7:55那須高原SA/福島 JCT/東北中央自動車道/山形PA/ 365.7km4H8M¥7,190+1,420)・・10:07 山形中央 IC・・(県道 18/49 号 3.3km9M)・・10:16山形県立博物館 11:20・~霞城公園~山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館)~12:09最上義光歴史館 12:44~山形県立博物館駐車場12:55・・(国道 112号 2.4km8M)・・13:03昼食(十一屋)13:52~水の町屋七日町御殿堰14:00・・(県道 19 号 13.6km27M)・・14:27 山寺(宝珠山立石寺)16:00・・(県道 19 号 1.7km2M)・・16:10いなり果樹園16:27・・(県道 19 /276号 11.0km18M)・・16:52山形県郷土館(山形県旧県庁舎、文翔館)17:15・・(県道 18号 2.7km6M)・・17:21 スーパーホテル山形駅西口天然温泉(走行距離416.6km)18:10~18:30夕食(山形牛佐五郎)19:53~20:30スーパーホテル山形駅西口天然温泉(懇談会)
行程 6月20日(土)
スーパーホテル山形駅西口天然温泉 8:30・・(県道 18/ 19・ 号 16.8km26M)・・9:00 いなり果樹園9:14・・(国道 13 号 51.9km53M)・・10:12 西ノ前遺跡 10:22・・(県道 31号/国道 13 号 1.9km4M)・・10:30 舟形町歴史民俗資料館 10:50・・佐羽根山公園(展望台)10:57・・(県道 31号/
国道 458 号 11.3km15M)・・11:19芭蕉乗船の地(本合海)11:25・・(県道 318/34 号 6.6km7M)・・11:39 昼食(道の駅とざわ高麗館店・とざわ農楽市)12:34・・
(県道 318/34/56 号 11.7km13M)・・13:00 鈴木/森宅(走行距離514.2km) 14:00・・(県道 56 号 5.3m8M)・・舟形 IC14:10・・(東北縦貫自動車道/東北自動車道/圏央道/夕食安達太良SA、狭山PA432.8km4H48M¥1,310+5,570)・・19:47 青梅 IC・・Se 氏宅・・Su 氏宅・・20:20 自宅(総走行距離951.9km)
予定走行距離912km(実総走行距離951.9km)
費用 約91,628円
高速道路/有料道路15,490円+ガソリン代10,312円+駐車場1,100円+宿泊代35,100円=62,002円/3人
(旅費1人当たり20,667円)
+入館料:710円(山形県立博物館300円、舟形町歴史民俗資料館110円、山寺拝観料500円)
+昼食代:ポークおろしカツセット1,350円(6/19)+岩ノリラーメン850円(6/20)
+夕食代:山形牛すき焼き、生ビール、日本酒11211円(6/19)+かき揚げうどん700円(6/20)
+お茶つまみなど1,763円
+土産:サクランボx3、野菜、筍水煮、クジラ餅x2、魔除け代わり鈴など16,295円
+その他:御仏前など(3軒)38,082円
行程 6月20日(金)
秋川(自宅)5:30・・(1.7km5M)・・Su 氏宅・・(7.6km25M)・・Se 氏宅 5:50・・(3.5km10M)・・青梅 IC6:00・・
青梅 IC6:00・・(圏央道/久喜白岡 JCT/東北縦貫自動車道/7:55那須高原SA/福島 JCT/東北中央自動車道/山形PA/ 365.7km4H8M¥7,190+1,420)・・10:07 山形中央 IC・・(県道 18/49 号 3.3km9M)・・10:16山形県立博物館

那須高原SA 7:55
那須高原SA 8:05

山形PA 9:59

山形県立博物館 10:16
〒990-0826 山形県山形市霞城町1番8号(霞城公園内)
木造「縄文の女神」 10:18
「縄文の女神」 10:42
「縄文の女神」 10:44
詳細URL
山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館) 11:27
明治初期の高度な木造建築技術と西洋の意匠が融合した日本の「擬洋風建築」の最高傑作の一つとして知られ、国の重要文化財に指定されている。
明治11年(1878年)9月に竣工したこの建物は、棟梁・原口祐之をはじめとする山形の卓越した宮大工や職人たちの手によって、わずか7ヶ月で建てられた。
当時、横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたと言われており、外観から「三層楼」の愛称で親しまれている。

山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館) 11:32
建物の中心には中庭があり、それを囲む回廊は「十四角形のドーナツ型」をしている。
この回廊に沿って、かつての病室(8室)が配置されていた。
山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館) 11:38
山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館) 11:38
もとは山形市七日町に、県立病院「済生館」として建てられた。
「済生館」の名は当時の太政大臣・三条実美による命名。
東北地方で最も早く西洋医学を取り入れた場所の一つで、オーストリア人医師のローレツなどが招かれ、医学校も併設されていた。
その後、明治37年(1904年)から「山形市立病院済生館の本館」として長年使用されたが、昭和30年代後半に老朽化と病院の近代化に伴い、一時は解体の危機を迎えた。
しかし、その極めて高い文化史的価値から保存が決定。
昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定され、現在の霞城公園(山形城跡)内へと移築復原工事が行われた。昭和46年(1971年)より「山形市郷土館」として一般公開されている。

山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館) 11:39
螺旋階段、内部は4階建てという複雑な構造
X線管とさまざまな管球 11:40
旧済生館時代に使用されていた貴重な医療器具、当時の医学書、オーストリア人医師ローレツに関する資料などが展示されている。
人工透析器など 11:42
ファイバースコープなど 11:42
山形城跡本丸一文字門石垣復元事業説明版 11:52
山形城本丸跡にて 11:54
公益財団法人山形美術館 12:08
最上義光歴史館 12:12
山形藩の初代藩主であり、名将として知られる戦国大名・最上義光(もがみ よしあき)と、最上家に関する歴史資料を専門に展示・顕彰している歴史博物館(入館料:無料)
木彫彩色最上義光像と木彫彩色駒姫像 長橋安久於(1928-2000)作 12:15
義光は「駒姫思い、山形城で謡を舞う姿」と駒姫は「死出の旅路を心静かに待つ姿」を表現されている。「松図」は山形城御殿の襖絵である。
木彫彩色最上義光像 12:15
山形藩の初代藩主であり、名将として知られる戦国大名。
最上義光と上杉家(上杉景勝・直江兼続)の戦いは、慶長5年(1600年)に勃発した「慶長出羽合戦」である。これは、天下分け目の「関ヶ原の戦い」と連動して東北の地で繰り広げられた大決戦であり、「北の関ヶ原」とも呼ばれる激戦であった。
当時、上杉家は会津120万石、最上家は山形24万石。圧倒的な兵力差のなかで展開された戦いがあったが、関ヶ原で石田三成軍が敗れたため、徳川家康側についていた最上藩は有利になり勝った。戦いの後、最上家は57万石(出羽山形藩)とになり、上杉家は会津120万石から米沢に移され30万石に減封された。
義光の時代に整備された山形城は、現在の山形市中心部を広く包み込む広大な三の丸を持ち、日本国内でも有数の規模を誇る平城であった。
定期市の開設や、最上川の舟運開拓、職人街・商人街の配置など、現在の山形市の町名や区割りに今も名残をとどめる義光の先進的な政治手腕があった。
木彫彩色駒姫(おまいの方)像 (1581-1595年) 12:15
最上義光の二女、関白豊臣秀次の側室として仕えていたが、文禄4年(1595年)7月、秀次謀反の疑い(秀次事件)により高野山で切腹させられた後、
秀吉により家族親族及び侍女39名が同年8月2日に京都の三条河原で処刑された。
15歳のはかない生涯であった。
これに連座して切腹や処刑を命じられた有力な家臣(郎党)やその一族も含めると、
事件に関連して命を落とした人の数はさらに多い。
この処刑は、幼児や女性も含めて一人ずつ容赦なく斬首していくという極めて凄惨なものであり、当時の人々や宣教師たちの記録にも深い衝撃とともに残されている。
現在、三条河原のすぐ近くにある「瑞泉寺」には、この時に処刑された人々の供養塔(秀次悪逆塚)や墓碑が今も祀られている。
東京都あきる野市横沢にある名刹 大悲願寺の白い萩について
大悲願寺の「白い萩」は、単なる風流な植物のやり取りではない。
伊達政宗がわざわざこの寺に足を運んだ真の目的は、「かつて最上家(最上義光)も巻き込んで命を救った、愛憎入り混じる実の弟(小次郎)の安否を確かめるため」だったという、
美しくも切ない歴史の背景が白萩の花影に隠されている。
この寺に咲き誇る「白い萩(白萩)」には、仙台藩主・伊達政宗にまつわる有名な風流譚があり、さらに近年の歴史研究によって、仙台藩(伊達家)と最上藩(最上家)を揺るがした戦国最大の謎とも深く結びついていることが明らかになった。
江戸時代初期の元和8年(1622年)、仙台藩主・伊達政宗が秋川での鮎漁の帰路に大悲願寺を訪れた。その際、境内に咲き乱れる白萩のあまりの美しさに心を奪われる。
その場では言い出せなかった政宗が、江戸の藩邸に戻った後もどうしても諦めきれず、わざわざ寺へ飛脚を仕立てて「あの白萩を株分けして仙台へ送ってほしい」という手紙を送った。政宗が送ったこの直筆の手紙「白萩所望状」は、現在も大悲願寺に保管されており、東京都指定の有形文化財となっている。
なぜ、政宗はわざわざ多摩の山奥にあるこの寺を訪れたのか。その謎の鍵を握るのが、大悲願寺の第15代住職秀雄和尚の存在と政宗の母の実家である最上藩(最上家)である。
天正18年(1590年)、小田原参陣を控えた政宗を実母である義姫(保春院)が毒殺しようとしたとされる事件が起きた。義姫は政宗ではなく、その同母弟である伊達小次郎(竺丸)を溺愛し、伊達家の家督を継がせようとしたと伝えられている。正史(貞山公治家記録)では、政宗は背後関係を断つため涙をのんで弟小次郎を自ら手討ちにしたと記録されている。
しかし、大悲願寺の過去帳や文書には驚くべき記録が残されている。寛永13年(1636年)に政宗が亡くなった際、当時の住職であった秀雄和尚は、過去帳に政宗のことを「沙門秀雄兄(僧侶である私、秀雄の兄)」と記して回向を行っている。
さらに後の記録には「秀雄は輝宗の二男で、政宗の弟」と明記されており、「政宗は小次郎を密かに助け、大悲願寺に匿って出家させていたのではないか」という説が極めて有力視されている。
政宗と小次郎の母である義姫は、最上藩(当時は山形城主)の初代藩主・最上義光(よしあき)の妹である。
当時の伊達家内は「政宗派」と「小次郎派」に割れており、最上義光もまた、実の妹である義姫や甥の小次郎を支援・助言していた(あるいは伊達家を揺るがすために介入していた)という側面があった。
もし政宗が本当に小次郎を殺害していれば、最上家との関係は決定的に破綻していたはずである。しかし実際には、政宗は一芝居を打って徳川家康や増上寺のルートを介し、小次郎を大悲願寺へと逃がしたとされている。
これにより、最上家(伯父・最上義光)への面目を保ちつつ、伊達家内の不和を最小限に抑えて統制するという、極めて高度な政治的解決を図った「戦国一の役者たちによる大芝居」だったのではないかと近年語り継がれている。
レストラン「十一屋」 13:04
半熟オムライスセット1600円 13:18
ポークおろしカツセット1530円 13:20
レストラン「十一屋」 13:30
御殿堰説明版 13:52
中心街を網の目のように流れている農業用堰である。
水の町屋七日町 13:52 レストラン「十一屋」 13:56
山寺宝珠山立石寺 根本中堂 14:27
〒999-3301 山形県山形市山寺4456-1
宝珠山 立石寺(通称:山寺)は、山形県山形市にある天台宗の由緒ある寺院。
貞観2年(860年)に慈覚大師(円仁)によって開山されたと伝えられていて、
古くから信仰を集める修行の霊場として知られている。
登山口から奥之院までは、1,015段もの長い石段が続く。
正面右側:奥之院(如法堂)、正面左側:大仏殿
開山堂と納経堂 15:30
開山堂には慈覚大師の木造の像が安置されている。江戸時代末期再建。
左側岩の上の堂は納経堂(県指定文化財)であり、最も古い建物。
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中で、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という名句を詠んだ。
五大堂からの眺め(パノラマ写真) 15:33
開山堂 15:35
山寺(宝珠山立石寺)16:00・・(県道 19 号 1.7km2M)・・16:10いなり果樹園16:27・・(県道 19 /276号 11.0km18M)・・16:52山形県旧県庁舎「文翔館」
いなり果樹園 16:27

いなり果樹園 16:27
サクランボを宅配便にて発送
山形県郷土館(山形県旧県庁舎、文翔館)」 16:57
山形県郷土館(山形県旧県庁舎、文翔館) 16:59
山形県旧県庁舎という歴史的建造物を、
現在は「文翔館」という愛称の公立博物館として一般公開している。
大正初期の日本の建築技術と西欧の意匠が見事に融合した、非常に見応えのある建物で
レンガ造りの建物の表面に石を貼り付けることで、重厚で威厳のある外観に仕上げられている。正面の意匠はルネサンス調の左右対称のデザイン、当時の官庁建築の典型である。
この建物は1911年(明治44年)の山形大火によって一度焼失した前県庁舎の後を受けて、当時の山形県が総力を挙げて再建した。
1975年(昭和50年)に新県庁舎へ移転するまで、約60年間にわたり山形県の行政の心臓部として実際に使われ続けた。
現在の姿は、1986年から始まった足掛け10年におよぶ保存修復工事のおかげである。
山形県旧県庁舎正門 16:59
国指定重要文化財 山形県旧県庁舎 17:00
昭和59年12月2日指定

スーパーホテル山形駅西口天然温泉 17:21
山形新幹線・奥羽本線山形線 山形駅ガード下通路 18:14
山形駅東口側市街 18:26
特選山形牛 和風肉料理「佐太郎」 18:28
夕食は山形名物である山形牛すき焼き店を予約した。

特選山形牛 和風肉料理「佐太郎」 18:30
山形牛すき焼き 19:03
山形牛すき焼き 19:06
山形牛すき焼き 19:06
特選山形牛 和風肉料理「佐太郎」 19:48
山形牛すき焼き、生ビール、日本酒11,211円/1人
行程 6月21日(土)
スーパーホテル山形駅西口天然温泉 7:41
502号室よりの眺め、蔵王国定公園方面
山形新幹線・奥羽本線山形線 山形駅ガード下道路
朝食 7:53
山形名物:玉こんにゃく・里芋煮、有機納豆など
スーパーホテル山形駅西口天然温泉にて朝食 7:53
山形市山寺いなり果樹園 サクランボの収穫中 9:11
雨露除けのテント、選定、日光反射板敷設など
山形県の天童や山寺周辺のサクランボは、「果樹園の宝石」と呼ばれるにふさわしい至高の品質を誇るが、その裏には「1粒にそこまで手をかけるのか」と驚くほど、気が遠くなるうな手作業の連続がある。
サクランボは非常にデリケートで機械化が難しく、年間を通じてほぼすべてが農家の手作業で支えられている。
サクランボの実は水分を急激に吸収すると、皮が裂ける「実割れ」を起こして一晩で売り物にならなくなってしまう。そのため、梅雨を前にして園地全体を覆う巨大なビニールテントを張る必要がある。
高い脚立に登り、風に煽られながら1枚ずつ手作業でビニールを骨組みに固定していく。天童や山寺の傾斜地や段々畑での作業は足場も悪く、非常に重労働である。収穫が終われば、今度は木を休ませるためにすべて剥す。
すべての枝に満遍なく日光が当たるように、不要な枝を落す。サクランボは「日陰の枝には実がつかない」と言われるほど光が重要なため、木全体の立体的なデザインセンスが問われる職人技の世界である。
春先には、余計な栄養がいかないよう、不要な芽を手作業で1つずつ摘み取る。
サクランボ(特に佐藤錦など)は、同じ品種の受粉では実がならない「自家不結実性」を持っている。ナポレオンなど異なる品種の花粉を集め、ダチョウの毛ばたきなどを使って、開花した花ひとつひとつにトントンと手作業で花粉をつけていく。開花期間はわずか数日のため、時間との戦いになる。
実がつきすぎると1粒が小さくなり、甘みも落ちてしまう。そのため、5月頃に形の悪い実や育ちの悪い実をハサミや手作業で間引く。これも膨大な数の実を相手にするため、指先が強張るほどの根気が必要である。
サクランボの美しいルビー色は、太陽の光(紫外線)を浴びることで発色する。上からの光だけでなく、下からも光を当てるために、株元に銀色の反射シート(反射板)を一面に敷き詰める。
実に影を作っている葉を、1枚ずつ手で摘み取る。
葉を動かしても裏側になっていて光が当たらない実は、軸を優しくくるりと回して、太陽のほうへ向かせる。これらを、木に実っている何万粒というサクランボに対して文字通り「1粒ずつ」目視で行っていくのである。
こうして初夏(6月中旬〜7月初旬)の収穫期を迎えるが、収穫もまた時間との戦いである。サクランボは収穫後もどんどん鮮度が落ちるため、気温が上がる前の朝露が残る早朝(朝4時〜5時頃から)に一気に収穫する。
脚立の上り下りを何百回と繰り返し、実を傷つけないよう軸を持って丁寧に収穫されたサクランボは、その後作業場でさらに「手作業で粒の大きさと色」を綺麗に揃えられ、美しくパック詰め(並べ詰め)されて出荷される。
サクランボ 9:11
私たちが店で見かけるあの美しい一箱は、天童や山寺の厳しい自然と、
農家の気の遠くなるような「過保護なほどの手間」の結晶そのものと言える。
収穫後のサクランボは温度変化で味や甘みが落ちる。
そのため保管に冷蔵庫を使用しない。
最も美味しく手頃になる露地栽培(6月〜7月出荷)「6玉〜7玉の露地栽培の時期」の目安。
M~L:直径 19mm〜22mm、1,500円 〜 2,500円(500gバラ詰めパック)
2L:直径 25mm以上、2,500円 〜 3,500円(500gバラ詰めパック)
3L:直径 28mm以上、3,500円 〜 5,000円以上(500gバラ詰めパック)
品種が「佐藤錦」、大玉ブランドの「紅秀峰」、新品種「やまがた紅王」によって価格が上下する。(紅王の3Lなどはさらに高値になる)。
ハウス栽培(4月〜5月出荷)か、露地栽培(6月〜7月出荷)かによっても価格は3〜4倍変わる。
サクランボスケッチ絵葉 MHさん 2026.6.21

双子サクランボ「双子果」 2021.6.19
山寺いなり果樹園より試食として頂く
山形県東根市 仲野果樹園さくらんぼ「紅秀峰」1kg
新庄市角沢MSさんより(6/24)
https://www.town.funagata.yamagata.jp/megami/020/20210903160937.html
日本最大の土偶 国宝「縄文の女神」出土の地 10:18
猿羽根山(さばねやま)案内図 10:52
猿羽根山峠 眺望の広場からの展望 10:56
月山方面と最上川
「とほき山より雪残りゐてたどりゆく猿羽根峠は万緑の中」
地元アララギ派の歌人
蛇行する最上川
国史跡芭蕉乗船之地(本合海)芭蕉と曽良の像 11:19
「五月雨をあつめて早し最上川」
大石田の滞在中の句会では「あつめて涼し」と詠んだが、元禄2年(1689)6月3日に本合海から急流の最上川船下りを経験して「早し」に改めた。
詳細URL
道の駅とざわ モモカミの里 高麗館・韓流食堂・とざわ農楽市 11:39
https://kouraikan.com/
モモカミの里 眺河の丘案内図 11:40
戸沢村は地域づくりモデル事業「モモカミ・アルカディア事業」との連携により、拠点となる「モモカミの里」と「道の駅 とざわ」を整備した。
モモカミの里は日韓両国農村の小さな草の根交流を出発点に、互いの文化を体験し、相互理解を深めあうために生まれた交流施設である。
悠々の歴史を刻む最上川の流れが古代朝鮮半島へと文化のルーツを辿り、知ることで友好親善の輪を広めるものである。
山形県戸沢村にある「道の駅とざわ モモカミの里 高麗館」の周辺に、大都市のコリアンタウン(新大久保や鶴橋など)のように韓国系の人々が集中して過密に住んでいるコミュニティがあるわけではない。
しかし、戸沢村には歴史的に韓国から移住してきた女性たち(韓国人妻)が多く暮らしているという背景があり、それがこの道の駅が作られた大きな理由となっている。
1980年代半ば、戸沢村では農業の後継者不足と深刻な嫁不足が課題となっていた。そんな中、アジアからの留学生との農業技術交流をきっかけに韓国との交流が始まり、村の事業として国際結婚が推進されるようになった。 その結果、多くの韓国人女性が日本の農家に嫁ぐ形で戸沢村へ移り住むことになった。
慣れない異国の農村での生活に苦労する中、村に移住した韓国人女性たちの定住支援や、彼女たちの特技(料理や文化)を活かした地域活性化、そして日韓友好のシンボルとして、1997年に建てられたのがこの「高麗館」である。 オープン当初は、村に嫁いだ女性たちが本場のキムチ作りを教えたり、食堂で手料理を振る舞ったりして大きな話題となった。
現在、周辺に「韓国系の住民だけの集落」があるわけではなく、彼女たちは村の各農家や地域社会に深く溶け込んで生活している。
現在も「道の駅とざわ」は、本格的な韓国伝統建築のデザインを施した全国的にも珍しい道の駅として運営されており、チマチョゴリの試着体験や本場の韓国グルメ、キムチ、お土産などの販売で「プチ韓国旅行気分が味わえるスポット」として多くの観光客に親しまれている。

高麗館と韓国料理レストラン
Colina 11:41
韓国庭園 11:43
韓国料理レストラン
Colinaへ 11:43
最上川 11:45
韓国料理レストラン
Colinaにて 11:46
岩のりラーメン850円 11:55
韓国料理レストラン
Colina 12:06
天馬塚金冠(韓国国宝第188号)複製 12:13
実物国立慶州博物館蔵
6世紀の新羅王朝第22代智証王(在位550~514年)の金冠
積石木槨墳より1973年6月に発掘
韓国庭園 12:15
出入口閉鎖 注意書 12:25
高麗館裏山に熊が出没したため閉鎖
最上名物 くじら餅 @500円
戦国時代の非常食であり名前の由来は「久しく持つ良い餅」からという(
久持良)
最上地域(主に新庄市周辺)に伝わる伝統菓子、黒糖味と白砂糖味がある。
とざわ農楽市にて土産として玉こんにゃく、わらび水煮、細竹水煮、くじら餅x2など購入。
山形県新庄市角沢
大正8年3月13生まれ、昭和55年9月14日亡(61歳)
昭和10年11月21日生まれ、令和*年亡
山形県新庄市角沢周辺水田(約26年前の写真) 2000年8月18日
2000年8月18日 月山にて(約26年前の写真)
山形県新庄市角沢 鈴木S宅 13:56
山形県新庄市角沢 鈴木M宅 13:56
13:00 鈴木/森宅(走行距離514.2km) 14:00・・(県道 56 号 5.3m8M)・・舟形 IC14:10・・(東北縦貫自動車道/東北自動車道/圏央道/夕食安達太良SA、狭山PA432.8km4H48M¥1,310+5,570)・・19:47 青梅 IC・・Se 氏宅・・Su 氏宅・・20:20 自宅(総走行距離951.9km)
安達太良SA 16:22
夕食 かき揚げうどん700円
雨天によるスリップ事故現場手前 18:30:37
東北自動車道 岩船JCT通過栃木IC手前にて自損事故
18:30:37 (N36°23'12.4 E139°40'20.0)
Kenwoodドライブレコーダー記録より
雨天によるスリップ事故現場 18:30:46
東北自動車道 岩船JCT通過栃木IC手前にて自損事故
18:30:46 (N36°23'11.4 E139°40'19.1)
Kenwoodドライブレコーダー記録より
狭山PA 19:32
19:47 青梅 IC・・Se 氏宅・・Su 氏宅・・20:20 自宅(
総走行距離951.9km)