2017年12月9日土曜日

2017年11月10日(金曜) ブッダガヤからナーランダ、ラージギル


2017年11月10日(金曜)
ブッダガヤからナーランダ、ラージギル、2連泊のブッダガヤ

ブッダガヤからナーランダに向かう途中の街
ブッダガヤからナーランダに向かう途中の丘陵地

ブッダガヤからナーランダに向かう途中の農村
タイの仏教会がここに寺院を建立中
トイレが先に出来ていたのでここでトイレ休憩
寺院を建立中の敷地に現地の人々が集まっていた
タイから5日間のインド訪問出来ていた僧侶とSa氏

1.マガダ王国の城壁跡
マガダ王国城壁跡近くの鉄道
マガダ王国城壁跡
紀元前413年~紀元前395年、当時インド最大の鉄鉱石の産地
マガダ王国の首都はラージャグリハ(ラージギル・王舎城)
外輪山に囲まれた盆地の中にあった都市
ビンビサーラ王やアジャ―タシャト王が支配していた

2.ナーランダ佛教大学跡
ナーランダ佛教大学跡近くの村

ナーランダ佛教大学跡近くの村

ナーランダ佛教大学跡入口付近

ナーランダ佛教大学跡への参道
右側は現在発掘中
既存遺跡周辺を現在も発掘中
インドビハール州、ナーランダ中部にある427年に建てられた世界最古の大学跡
ナーランダとは「蓮のある場所」という意味

ナーランダ説明版

レンガ造りの僧院通路
レンガ造りの門

イスラム教徒に焼き払われた時の煤で黒くなった痕跡

僧院跡

僧院跡

僧院跡
僧院跡の仏龕に残る仏像

学生寮跡
僧院跡

ナーランダ佛教大学跡の中にある池

蓮ではなく水連が咲いていた
ナーランダとは「蓮のある場所」という意味

寺院跡 未発掘部がまだ多くある

学生寮跡
ナーランダは5世紀から12世紀にかけて仏教教学の最高学府であった。
7世紀には唐から玄奘三蔵が留学し、多数の仏典、仏像を持ち帰った。
当時の学生は1万人、教師は1500人いたという大規模な大学であった。
5つの寺院と10棟の僧院があった。
学生たちが生活していた部屋跡や厨房跡が残っていた。
5世紀、7世紀、9世紀の修復跡もあった。
また、12世紀にイスラム軍に侵攻され火災で黒く焼けたレンガも残っていた。

12世紀末、中央ビハールの密教の根本道場「オーダンタプリー寺院」が、
13世紀初頭に東部ビハールの「ヴィクラマシー大寺院」が、
ガスナ朝及びゴール朝のイスラム教徒に破壊され、仏像の顔は削られ、
各地で僧や尼が殺害され、1203年インドの地から仏教は、ほぼ滅亡した。
仏教の拠点を奪われた修行僧や僧たちは、経典をもってネパールやチベットに逃れた。
インドの仏教徒は、ヒンドゥー教に取り込まれていった。

仏教は仏陀の死後、アショーカ王の庇護の下で隆盛になった。
7世紀ごろ玄奘三蔵がナーランダ仏教僧院で学んだころは、
当時学生が1万人、教師が1500人にもなる学園都市であった。
しかし学問・教義ばかり専念し民衆を置き去りにして、
民衆の通過行事である葬儀等を行わなかったために
民衆は従来からあるヒンドゥー教に移っていった。
仏教を支援していた王族や資産家であるパトロンが離れていった。
(インド仏教で言う資産家を中国語に翻訳した時、「居士」とした。)
そんな時期にトルコからイスラム軍が侵入してきて、
民衆の抵抗の少ない仏教寺院を襲撃し略奪、
僧侶達も多く殺戮され仏教は急激に衰退していった。
1203年がインドでの仏教終焉の年。

3.ラージギル(王舎城) 釈尊修行の地、マガダ国の首都
ヴァイシャーリ(広巌城)での修行後
ラージギル(王舎城)に入り、
輪廻からの解脱について修行する。
マガダ国のビンビサーラ王は、若き求道者シッダールタに傾倒し、
後に仏法伝道の中心になった。

竹林精舎
カジャ 
インドで代表的なお菓子(小麦粉、砂糖の揚げ菓子)
アローラさんが購入して食べさせてくれた。
同じ店が多く並んでいる

竹林精舎近くの村

竹林精舎入り口

竹林精舎だから竹を植えたと言う

竹林精舎 沐浴池
ビンビサーラ王が、お釈迦様と1,000人の比丘に、この竹林の地を寄進し
カランダ長者が精舎を建てた。
仏教で初めての寺院、
ここで説法をしていた仏像が発掘された。
現在は何処にでもある公園のような風景、
ユーカリの木が池の周りに植えられていた。

竹林精舎の沐浴場
対岸からの風景
4.法華ホテルにて昼食
久しぶりの日本食 ゆで卵入りうどん

インド法華ホテルラージギル

インド法華ホテルラージギル

インド法華ホテルラージギル 守衛所

この観光バスに、ツアー客9人、添乗員1人、現地ガイド1人、
バス運転者、運転手助手1人、計13名乗車

5.霊鷲山(りょうじゅせん)
法華経が説かれた場所で、すぐ隣の山に日蓮宗のお寺がある。
ビンビサーラ王をはじめ多くの民衆がお釈迦様の説法を聞きにこの山を登ってきた。
山頂の岩が鷲が止まり天を仰いでいるように見えることから名付けられた。

霊鷲山近くの村

山頂まで徒歩で標高差400mを約20分登る。
登山道途中の展望台

山頂の説法場所 
登山道から望む

山頂の説法場所 仏教の旗

山頂から登山道を望む 約400m登った

山頂のお釈迦様が説法していた場所

リスがいた

山頂のお釈迦様が説法していた場所
黄金の仏陀が置かれている。

山頂の岩が鷲が止まり天を仰いでいるように見えることから名付けられた。
6.スジャータ村
スジャータ村周辺

スジャータを記念してストゥーパが建てられた

スジャータの説明
周辺は畑ばかり
苦行林にて6年間の過酷な苦行するが、苦行では悟りを開くには至らないと考え、
飢え死寸前までに衰弱した身体で修行場の前正覚山から降りて
尼蓮禅河(にれんぜんが・ネーランジャーラ河)で沐浴をして木陰で休んで居た。

樹木の聖者と思ったバラモンの娘・
スジャータ(結婚して樹木に願いをかけて男の子が生まれた)がお礼として
痩せ細ったシッダルータ乳粥を喜捨して元気付けた。

その後、マハーボーディ寺院の背面にある
ピッパラ樹(後に悟りの樹を意味する菩提樹と呼ばれた)の所で
7日間瞑想し
紀元前428年12月8日、35歳のとき、明けの明星を見て悟りを開いた。

その悟りとは、われわれには本来「我」がない。
そしてすべてのものが絶えず変化する。
この事実を知らずに自分の「我」に固執し、
すべてのものが不変であると錯覚をおこす迷いの心が、
われわれを苦しめるのだと考えた。
だからこの我執から自分を解放する事が
苦を脱する道であると悟った。

駐車場等まだ未整備
近くの乞食が出入口に座って物乞いをしていた。

スジャータストゥーパ周辺の整備をしていた
レンガ塀の設置

修行していた前正覚山 霞んで見える(スジャータ村から)

7.尼蓮禅河(にれんぜんが・ネーランジャーラ河)
前正覚山から降りてきて尼蓮禅河で沐浴をした


悟りを開いたマハーボディ寺院(尼蓮禅河から)


8.ロイヤルレジデンシーホテル(THE ROYAL RESIDENCY)

インドの有名な歌手リヌさんが泊まっていたとか。
ライフル銃を持ったガードマンがたくさんいた。

禁酒法が制定されているビハール州にいる間は、
我々も3日間ビール等アルコールが飲めなかった。
ツアー客の1人は風邪気味で霊鷲山に登り翌日具合悪くなった。

禁酒法
インド・ビハール州は、禁酒法が制定されている4つの州の一つで
昨年4月より施行している。
アル中と暴力の抑止の為で外国人も対象になる。
罰則は、最高終身懲役刑及び100万ルピー(約180万円)である。
レストランでもホテルの部屋でも酒類は飲めない。

インド全州で飲酒運転撲滅の為、
主幹道路から500m以内は酒類の販売・飲酒を禁止する法律が
今年の4月から施行された。

その為か他の州でもレストランで飲むビール1本が400ルピー(約720円)もした。

高速道路に携帯電話禁止標識と飲酒禁止標識があるのには驚いた。

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ブッダガヤからパトナーへ