2017年12月9日土曜日

2017年11月13日(月曜) クシナガルからインド・ネパール入国、ルンビニへ


2017年11月13日(月曜)
クシナガルからインド・ネパール入国、ルンビニへ

距離100km

今日は、インドから国境を越えて仏陀誕生の地ネパールのルンビニに向かった。
相変わらずの混沌とした交通事情で歩行者や牛、自転車、オートバイ、自動車、
大型トラック、バスなどが狭いでこぼこ道を我先にと歩き走っている。
対向車線でも平気で走る。
マホガニー材の林

駐屯地

日常兵役訓練

通学の少女たち

朝の賑わい

バイクやオートリキシャで送迎

インド・ネパール国境
ネパール国境近くの大渋滞
左側:約15km手前からトラックの大行列
国境通過の手続きに時間がかかる。
右側対向車線は、相方向で通行している。



インド側出国管理事務所看板
知っている人でなければ見落としてしまう

インド側出国管理事務所
この国境は厳しくないので、ツアー客の手続き(パスポートに出国印)は、
現地ガイドと添乗員が行った。

インド側門

インド・ネパール国境緩衝地帯

インド・ネパール国境緩衝地帯
インド・ネパール国境緩衝地帯
現地の多くの人々はパスポート管理が無く行き来している。

ネパール側 AREA POLICE OFFICE BELAHIYA

ネパール側国境の町 BELAHIYA

ネパール側入国 国境駐車場 白い建物:公衆トイレ(10ルピー)

インド側門

ネパール側門

ネパール側国境の町 BELAHIYA


12:10 法華ホテル
昼食(日本食:うどん等)

ルンビニ 法華ホテル

マヤデヴィ寺院の門に似た建物?

田園風景 野焼き 大気汚染の元

田園風景 野焼き

交通事故 ネパールに入って我々の乗ったバスに
2人ずれの1人の若い男が飛び込み、バスの右前輪で轢かれた。

直ぐに警察官が来て現場検証もしないで、その人は病院に行き、
我々の乗ったバスは警察署まで連れていかれ約一時間以上足止めされた。
色々の話を聞くとわざと飛び込み補償金をもらうためだろうと言っていた。
バスは警察に保留されたため、他の3台の車に乗り換えて、
仏陀が生まれた場所のマヤ・デヴィ寺院に行った。
乗り込んできた警察官

乗り込んできた警察官

警察署の庭で、移動用自動車等の手配(アローラさんと椎野さん)

連れてこられた警察署
パイラワ付近かな?

連れてこられた警察署

約1時間以上待機

この建物は警察官の休息所かな?

昨日の事故の若者は亡くなった。
乗っていたバスに轢かれて死んだので気分が沈む。
どんな理由でも死んだのは可愛そう。

交通事故の証人としては誰も出てこないそうである。
交通事故の証人として警察に連絡すると、
警察は「罪の意識で連絡してきた」とみて、
きつい尋問をするそうである。
面倒に巻き込まれたくないため負傷者を大勢の人が見ていても
助けないし証人にもならないで見て見ぬふりをするそうである。

バスの運転手は警察署の許可が出るまで、3日以上バスと一緒に保留になるという。
遺族との補償交渉が終了するまでネパールからインド(ベナレス)に戻れないという。
ネパール人の死亡補償は、約50万ルピー(約90万円)だそうだ。

警察署に全員連れていかれ1時間くらい保留された。
それから3台の車に分乗(1台は荷物と運転助手がホテルに直行)して
ティラウラコットやマヤ・デヴィ寺院を見学した。
翌日、3台の車でインド国境まで行き、そこで大型バスに乗り換えた。

今回の件は、飛び込みで無くても事故があってもおかしくない交通事情である。
日本と同じで、車は左側通行であるが、
私にはとてもインドやネパールでは危なくて運転できない。


ティラウラコット
ネパール側カピラバストゥ(Kapilvastu)城跡
お釈迦様の故郷、出家前の居城

ティラウラコット(Tilaurakt)は、お釈迦さまが出家する前、
シャカ族の皇太子ゴーダマ・シッダールタとして29歳まで 過ごした。
ネパール側カピラバストゥ(Kapilvastu)城跡の候補地とされている。
カピラバストウ城跡への狭い農道 
西門から入る。

ネパール側カピラバストウ城跡の説明板
ティラウラコットの遺跡がカピラバストゥ城であったかどうかは論争中である。 
インド領内のピプラハワもカピラバストゥ城の候補地である。

カピラバストウ城跡
お釈迦様の故郷、ネパール側の遺跡
450m×550mの敷地
西門、東門は発掘されているが、まだ未発掘場所が多い。
これらは紀元前2世紀以降のもので、
お釈迦さまの時代である紀元前5世紀の遺跡は、更にその下にある。

東南アジアからの僧侶たち

カピラバストウ城跡

カピラバストウ城跡にて

カピラバストウ城壁
幅2~3m、高さ8mほどあったらしい。

カピラバストウ城壁
東門付近
北門、南門はまだ木々の中に隠れている。

カピラバストウ城壁遺跡
お釈迦様の出家のきっかけとなった四門出遊の場所と考えられる。

東門付近
北門、南門はまだ木々の中に隠れている。

東門付近
お釈迦様は東門から愛馬・カンタカに乗って長い修行に出たと言う。
愛馬・カンタカが命を落としたのは東門から200mほど離れたところであったと言う。


ティラウラコットからマヤ・デヴィ寺院への途中の道にて

マヤ・デヴィ寺院付近

マヤ・デヴィ寺院
仏陀が生まれた場所、マヤ・デヴィ寺院に行った。
約2500年前に誕生。
ルンビニ遺跡公園
マヤ・デヴィ寺院への道
この建物は博物館らしい。

ルンビニ遺跡公園
「平和の火」
1.5㎞の運河、ハワラ川をせき止めた水を利用している。
運河の両側に各国の寺院が点在している。

ルンビニ遺跡公園
マヤ・デヴィ寺院への参道

仏陀生誕の伝説
生まれたブッダ(仏陀)をインドラ(帝釈天)とブラフマー(梵天)が抱きとめ、
竜王が産湯を注ぎ、天女が花と甘露の雨を降らせ、誕生を祝った。
ブッダはそのまま立ち上がり、7歩歩いて
天と地を指差し「天上天下唯我独尊」としゃべったという。


ルンビニ遺跡公園
マヤ・デヴィ寺院周辺の環濠池

マヤ・デヴィ寺院チケット売り場付近

マヤ・デヴィ寺院 17:10
1997年に世界遺産の登録
寺院内に仏陀が生まれた場所を記す石がある。

マヤ・デヴィ寺院(マーヤー聖堂)

アショーカ王の石柱とマヤ・デヴィ寺院

アショーカ王の石柱
1895年にドイツ人考古学者フューラーがここで偶然一本の石柱を発見した。
石柱に「ここでブッダ・シャカムニは生まれた」と記されていたことから、
それまで実在が疑われていたゴータマ・シッダルタの実在と生誕の地が実証された。

 ブッダ(仏陀)の母親マーヤー夫人摩耶夫人)は、
お産のために故郷へ帰る途中立でお産をした。
マーヤー夫人ブッダを産んで7日後に亡くなった。
代わってマーヤー夫人の妹であるマハープラジャーパティーが仏陀の養母となった。

アショーカ王の石柱
この地ルンビニに住む人々には税金を8分の1にするという碑文が彫られている。

根元に祠がある菩提樹

国連の開発・整備プロジェクトが1970年より始まり、開発プランが1978年に完成。マヤ・デヴィ寺院アショーカ王の石柱を中心とした円形の公園が整備されつつある。
紀元前3世紀半ばにインドを統一したアショーカ王は、この地を聖地に定め、
最初の寺院や石碑などを建てた。

遺跡は、紀元前3~7世紀ごろのものと考えられるレンガ造りの礎石
仏陀が生まれた場所を示す石があった。
建物の中のブッダが生まれたとされている場所は撮影禁止。

釈迦牟尼仏陀についての説明文


ルンビニ法華ホテル
ルンビニ法華ホテルは、1991年に日本の法華クラブによって設立され、
現在はインドのインパックという会社によって、経営されている。
17:45 ルンビニ法華ホテル到着 19:00夕食
21:30ルンビニ法華ホテルの和室で就寝

部屋の中に日蓮宗の仏壇があった。