2017年12月9日土曜日

2017年11月9日(木曜) ベナレスからブッダガヤへ


2017年11月9日(木曜)
ベナレスからブッダガヤへ

1.ガンジス川の沐浴風景
翌早朝、昨夜と同じガンジス川の沐浴風景をボートから見た。
ヒンドゥー教の聖地、ガンガーに日は登りヒンドゥー教の人は必ず一生に一度は、
ガンガーで沐浴し身を清める。
沐浴場のそばに火葬場が有り薪で遺体を数体燃やしていた。
その遺骨は、1年後にガンガーに流すのでヒンドゥー教には墓がない。
ガンガーで沐浴している人々のところを野良犬の死体もゴミも火葬場の焼いた炭も
願い事をした花灯篭も流れている。
ガンガーは人生そのもの全てを流している。
憲法では無くなったはずのカースト制による仕事の差、貧富の差、
そして宗教の違い、言語や文字の多さ、その中で皆今生きている。
彼らを見ていると生とは何か?生きる目標は?
寒くないから生きて行けるのか?努力は?
乞食や瞑想している人はその日暮らしなのか?
日本の水準に成るのはいつか?
全てを受け入れてインドの時間は、流れているように感じる。
仏陀の悟りとは何か?
足るを知るか?四苦八苦の解消はどうするのか?
煩悩が多く悟れないのが私なのか?ベナレスで感じたこと。

ガイドのアローラさんから素焼きの器に入ったマサラチャをご馳走になった。
右:ミルク入りマサラチャ
マサラチャ屋

ダーシュシュワメードガート(昨夜の沐浴場)からボートに乗った。
沐浴場、ボート乗り場
ボートに乗り込み

花灯籠売り

花灯籠

ダーシュシュワメードガート

ガンジス川沿いのガート(沐浴場)

現地ガイドアローラさんの説明

ペンション「久美子の家」

沐浴場で洗濯

ボートの船頭

ハリシュチャンドラガートの火葬場

南インドの人が多い沐浴場
「ガート」と呼ばれる沐浴場は、インダス川流域に約80か所ある。

インダス川流域に約80か所あるガートの一つ
ガンジス川南下

花灯籠に点火

ガンジス川に灯籠流し
ボートの上から購入していた花灯籠に火をつけて「無事に旅行が出来るように」と
願い事をしてガンジス川に流した。

ガート対岸で遺骨をガンジス川に流す
遺骨は約1年後に、ガンジス川に流される。
遺灰を流すと輪廻からの解脱が得られると信じられている。

ガンジス川を南下

ガンジス川のボートにて

古くから使われているマニカルニカーガートの火葬場
燃料の材木置き場
ガンジス川北上 マニカルニカーガート周辺

マニカルニカーガートの火葬場

マニカルニカーガートの火葬場周辺

ガンジス川の朝日 霧かスモッグで霞んでいる

ガンジス川に向かって瞑想している行者

ガンジス川で洗濯

ガンジス川岸に立ち朝日に向かって瞑想

沐浴する婦人たち
ガンジス川は川そのものが神格されていて、川で沐浴すれば全ての罪が清められ、
遺灰を流すと輪廻からの解脱が得られると信じられている。
修行中の行者?

新鮮な野菜がたくさん並んでいる

野良牛がうろうろ
牛はシヴァ神の乗る「ナンディン」で神聖な動物(乳白色の牡牛)
ダーシュシュワメードガート沐浴場周辺

野良牛がうろうろ

野良牛が道路を我が物顔にうろうろしている

我々を交通整理して歩きやすく案内している変わった聖人?


ガンジス川を北上して、ペンションを経営している「久美子の家」を見た。
そしてハリシュチャンドラガートの火葬場で
2基で火葬していて炎と煙が立ち上っていた。
折り返して南下して古くから使われているマニカルニカーガートでも火葬していた。
火葬場で燃やした後の灰や燃えカスはガンジス川に流される。
遺骨は約1年後に、同じくガンジス川に流される。


2.ブッダガヤ
お釈迦様が悟りを開いた地

ベナレスからブッダガヤへ275km

ベナレス駅周辺
ベナレス駅周辺
トイレ休憩 
女子はガソリンスタンドのトイレへ、男子は青空トイレ
バスが高速走行すると車内が電気マッサージ機のように振動する。
とてもうるさいのでノイズキャンセラーのヘッドホンを装着して音楽を聴く。
あちらこちらで道路拡幅工事中
ブッダガヤに到着
マハーボディ寺院参道
マハーボディ寺院入り口
ゴータマ・シッダルータは、BC463年ルンビニで王子として誕生した。
栄華と苦悩の少年時代を過ごす。
BC447年、結婚して男子が生まれる。後に仏陀の10大弟子になる。
BC434年、生老病死などの苦しみから解脱するため29歳で出家して苦行生活を送る
苦行林にて6年間の過酷な苦行するが、苦行では悟りを開くには至らないと考え、
飢え死寸前までに衰弱した身体で修行場の前正覚山から降りて尼蓮禅河で沐浴をして
木陰で休ん居た。
樹木の聖者と思ったバラモンの娘(結婚して樹木に願いをかけて男の子が生まれた)が
お礼として痩せ細ったシッダルータ乳粥を喜捨して元気付けた。
その後、世界遺産になっているマハーボーディ寺院の背面にある
ピッパラ樹(後に悟りの樹を意味する菩提樹と呼ばれた)の所で7日間瞑想し
35歳(BG428年)で悟りを開いた。
シッダルータ王子は、「目覚めた人」を表す「仏陀」の名を授かった。
35歳から80歳まで布教活動を行った。
BC383年、クシナガルにて80歳で涅槃に入った。

仏陀の言葉(口伝で伝わっていた律・経・論)は、
BC100年ころに初期仏典スッタニパータに記された。

マハーボディ寺院
この寺院は紀元前3世紀ごろアショーカ王が建立したと言われている
マハーボディ寺院の本堂に金箔を貼った仏陀が鎮座していた。
中で写真を撮ることができないので外から大勢の人のいるところから
撮ったのでぼけてしまった。

マハーボディ寺院の裏側にお釈迦様が7日間瞑想した菩提樹
マハーボディ寺院の菩提樹
菩提樹の前で瞑想している
お釈迦様が瞑想していた場所(扉の内側)

菩提樹の前で大勢の人が瞑想している
初代の菩提樹はなくなり、スリランカの寺から移植された
今の木は4代目と言われている
大勢の観光客が来ている

お釈迦様が各7日間瞑想した6か所は、①菩提樹の下、②本堂横の塔、
そして第3週目の菩提樹と塔を往復した回廊歩き、
④5色の光が差し込んだ池、⑤蓮池、
⑥ミャンマーの僧侶に髪の毛をあげたところ。
現在ミャンマーの標高1,100mのチャイティーヨー山のゴールデンロックの上の
パゴダに髪の毛が納められている。
瞑想していた僧侶
お釈迦様が沐浴したという場所
回廊南側からのマハーボディ寺院