2023年3月24日金曜日

釜ヶ淵公園、青梅市郷土博物館、駒木野遺跡、寿々喜家、青梅津雲邸、羽村市郷土博物館、石神遺跡、瀬戸岡古墳群

2023年3月24日(金曜)
自宅10:00出発、T氏宅、N氏宅経由釜ヶ淵公園へ
青梅・釜ヶ淵公園
釜ヶ淵公園駐車場、公園入口 10:50
釜ヶ淵公園 多摩川、旧宮崎家住宅
釜ヶ淵公園 多摩川 桜満開  10:55
釜ヶ淵公園 鮎美橋  
重要文化財 旧宮崎家住宅  11:03
後方の建物「亀の井ホテル青梅」(旧青梅簡易保険保養センター かんぽの宿)
旧宮崎家住宅 囲炉裏で湯沸かし
旧宮崎家住宅案内
重要文化財 旧宮崎家住宅

青梅市郷土博物館
青梅(あおうめ)
青梅山金剛寺の庭に東京都指定天然記念物「金剛寺の青梅(将門誓いの梅)」がある。
この名木は、その実が秋を経ても青々としたまま枝に残っていることに由来する。
昔、人々がその奇異をめでたことから土地の名の起こりになった。
この木は「金剛寺の青梅」から殖やしたもので郷土博物館の開館を記念して植樹した。
青梅市郷土博物館・多摩川沿いの桜
アミガサユリ(編笠百合)ユリ科バイモ属
青梅市郷土博物館パンフレット
青梅市郷土博物館パンフレット
墜落したB29エンジンの一部
青梅市柚木町に墜落したB29「Filthy Fay2」と搭乗員
1945年4月2日、高射砲により被弾し炎上、墜落した。
11人中7人が死亡し、4人が終戦後アメリカに帰国した。
母子像 
駒木野遺跡26b号住居跡床面から出土した深鉢形土器
東京都指定有形文化財(平成17年2月指定) 
縄文時代中期(約4,500年前)勝坂式末期の土器
駒木野遺跡26b号住居跡床面から出土した深鉢形土器
東京都指定有形文化財(平成17年2月指定) 
縄文時代中期(約4,500年前)勝坂式末期の土器
駒木野遺跡26b号住居跡床面から出土した状況
駒木野遺跡26b号住居跡床面から出土した深鉢形土器
青梅市の遺跡分布図
主な遺跡の編年図
石刃、スクレーパー、槍先形尖頭器  旧石器時代
細石刃核(コア) 旧石器時代 馬場遺跡出土
細石刃は棒状の骨や角や木などに嵌め込んで使用した。
先土器時代の最後に現れた石器で円錐形・半円錐形の黒曜石などの石刃核の一端に
連続的に打撃を加えることで、たくさんの同じ形の剝片(細石刃)を作り出した。
剥片、石核  旧石器時代 上生原遺跡出土品
土器(深鉢)破片 縄文時代早期~中期
土器(深鉢)破片 縄文時代前期~中期
深鉢土器 縄文時代早期~中期
深鉢土器 縄文時代中期~後期
甕 弥生時代中期
石皿片 縄文時代後期 
喜代沢(きよさわ)遺跡出土(多摩川南岸の河岸段丘上にある遺跡)
石棒 縄文時代中期~ 1913年千ヶ瀬町で発掘
先祖を祭る象徴として、また子孫繁栄、自然界からの恵みを祈る信仰のため作られた。
縄文時代の炉跡 復元模型
壺  古墳時代 霞台遺跡出土
寺改戸遺跡土抗から出土した注口土器と小型深鉢形土器
銅鏡、銅鏡出土状況 古墳時代前期 霞台遺跡
脇差(長谷部國重刻印)と火縄銃(下師岡村名主吉野家伝来)
佐藤助十郎(北条氏照の家臣)の脇差、1590年5月28日八王子にて討ち死
三田氏の支配領域 元禄年中改定図 新編武蔵風土記稿より
鎌倉時代の三田氏は杣の豊富な山林資源を背景に勢力を拡大していった。
青梅市郷土博物館ロビー
重要文化財 功徳天像
官許 青梅目薬 つけきらず 
箱階段
看板「青梅鉄道株式会社」
明治27年に青梅~立川間で開業、石灰石運搬目的であった。
昭和19年氷川まで開業した奥多摩電気鉄道と共に国有化され現在のJR青梅線となった。
高機(たかはた)・上機・大和機・京機
青梅夜具地 明治後期~昭和30年頃
布団の中綿を含む木綿織物、ほぐし織り、模様がぼんやりしているのが特徴で
通気性、吸収性、耐久性に優れた敷布団に適した布地である。
織機
朝鮮戦争(1950~1953年)の頃には、織機が「がちゃ」と動くだけで
「万と儲かる」と言われ「ガチャマン景気」と呼ばれるほど生産が盛んになった。
しかしその後、繊維製品の輸入増加による繊維不況や洋風寝具の普及により
昭和30年代以降、衰退していった。
平成10年、最後まで操業していた夜具地工場の閉鎖で青梅の夜具地生産は幕を閉じた。
柿渋しぼり器
青梅傘に貼られた紙の強度や防腐効果を高めるために柿渋が塗られた。
メタセコイアの材 友田小学校下多摩川右岸
新生代第三紀鮮新世(約300万年前)
生きた化石、1946年に中国四川省で発見された。

駒木野遺跡
青梅市駒木野にある縄文時代の集落遺跡である。
住居跡38軒、土抗130基、配石遺構98基等が発見された。
駒木野遺跡第1号配石遺構説明板  12:04
駒木野遺跡第1号配石遺構
駒木野遺跡第1号配石遺構
亀の井ホテル青梅(旧青梅簡易保険保養センター かんぽの宿)の玄関前にある。
亀の井ホテル青梅(2022年7月民営化リニューアル)

寿々喜家
寿々喜家 1901年(明治34年)創業  12:33
東京都選定歴史的建造物
寿々喜家正面入り口
寿々喜家店内 昼食  12:39
うな重特上(きも吸・新香付き) 4,070円
うなぎは、愛知三河一色産の活け鰻
あっさりした味のウナギであった。
寿々喜家のウナギについて
芸妓屋「お多福」昭和20年第後半
創業当時は近所にあった初音座という芝居小屋にお弁当をおさめていた。
昭和に入り木造三階建ての割烹料理屋を開業した。

青梅津雲邸
青梅津雲邸
衆議院議員であった津雲國利(1893~1972)が接客のために
昭和6年~ 9年にかけて建築した数寄屋風木造二階建て入母屋造りの建物。
雛まつり展 2月11日(土)~3月26日(日)
歴史資料館 入館料500円
雛まつり展
茶室からの眺望
茶室(面皮柱、磨き丸太長押、屋久杉天井等)
稚児雛(狩衣姿)有職雛・江戸末期の製作
金屏風「梅と梟」吉田秋光作
稚児雛(狩衣姿)
応接間 津雲氏
初参人形(ういざんにんぎょう)・参内人形
公家の子女や能役者・狂言師の子弟らが御所に初めて参内した際に
天皇から下賜される人形。
稚児輪人形は公家の子女に、裃人形は能役者・狂言師の子弟に下賜される。

御所人形
人形

御台人形
皇族の子女方が天皇・皇后両陛下から初参内・初節句などの折に拝領される人形。
緋縮緬の腹掛けに羽織を着て作り物の草花や動物を配した大きな台に乗っている。
立雛 雛屋次郎佐衛門 江戸後期の作品
津雲氏説明
津雲家の有職雛「小直衣雛」、五人楽人
有職雛(ゆうそくびな):公家の風俗を忠実に縮小した雛人形。

津雲邸にて 14:25
青梅津雲邸パンフレット
青梅津雲邸パンフレット

羽村市郷土博物館
特別養護老人ホーム「羽村園」(羽村市郷土博物館の隣)
東京武尊会の第二施設として平成2年に設立された。
羽村市郷土博物館パンフレット
羽村市郷土博物館パンフレット
重要有形人族文化財 旧下田家住宅
赤門
もとは徳川幕府に仕えていた眼科医鈴木家の門であったが、
昭和12年12月に中里介山の大菩薩峠記念館の正門として移築した。
昭和52年大菩薩峠記念館閉館後、昭和59年12月ここに復元した。
重要有形人族文化財 旧下田家住宅
旧下田家住宅内部
ホイロ(焙炉)製茶用の乾燥機と管理人

羽村市郷土博物館
深鉢形土器 加曾利E式 連弧文系 
段丘地形と縄文遺跡の分布
天王台遺跡
精進バケ遺跡
山根坂上遺跡
羽ヶ田上遺跡
展示品
深鉢形土器
浅鉢形土器、深鉢形土器、器台
釣手土器
羽村市指定有形文化財 加曾利E式
脚付き土器 加曾利E式
土偶と有孔鍔付き土器 加曾利E式
土偶

玉川上水
羽村取水堰と枠
江戸時代の木造水門
水門
現在の水門
木樋、竹樋、上水井戸
江戸の給水
千川上水、神田上水、玉川上水
現在の水路 東京都水道局資料

中里介山先生の像  15:41
明治18年4月4日羽村で誕生、昭和19年月28日阿伎留病院にて没(59歳)
中里介山 大菩薩峠(大正2年発表~昭和16年未完)
原稿「大菩薩峠」昭和9年「恐山の巻」
昭和9年10月~昭和10年6月讀賣新聞初出
中里介山展示
「百姓弥之助の話」「日本武術神妙記」「池谷瞼廉一の死」「峠」「千年樫の下にて」
「夢殿」「隣人之友」「独身」「大菩薩峠」「高野の義人」「島原城」「氷の花」
「留さん」「姉と妹」「今人古人」「何の罪」「嗚呼ヴェレスチャギン」「乱闘激韵」
「武州喜多院」「法然行伝」「山道」「余は大衆作家にあらず」「生前身後の事」

青空文庫
著作権が消滅しているので公開中の作品は全巻無料で読める。
インターネット上の電子図書館、収録作品集は1万点になった(2011.03.15)。

櫻澤さんと弥之助さんとの餅つき  16:08

羽村市郷土博物館から福生N宅経由あきる野市へ

石神遺跡
あきる野市原小宮にある縄文時代から平安時代の遺構である。
1944年からの原小宮土地区画整理事業で発掘調査された。
縄文時代の集積土抗4基、弥生時代終末から古墳時代初頭の住居跡18軒、
奈良・平安時代の住居跡24軒、中世の井戸1基が発見された。
石神遺跡説明板  17:23
あきる野市指定遺跡
遺物出土状態(古墳時代初頭の住居)
石神公園
石神公園
石神公園の敷地に住居跡や土抗などの遺構が保存されている。
石神公園地図
平井川を望むこの地域は、古墳時代や奈良・平安時代に開発されていった。
石神公園南方向 
東京電力パワーグリッド株式会社秋留変電所送電線

東京都史跡 瀬戸岡古墳群 石室
東京都史跡 瀬戸岡古墳群 石室  17:41
東京都史跡 瀬戸岡古墳群説明板
瀬戸岡古墳 石室
瀬戸岡古墳石室 
クレスト天神前駐車場入口付近