2024年1月15日月曜日

埼玉県立歴史と民族の博物館

2024年1月12日(金)

特別展「縄文コードをひもとく」を見学に午前9時ごろ2人で出かけた。
圏央道が渋滞していたので国道16号線と埼玉県道2号さいたま春日部線を使って
大宮駅付近にある「埼玉県立歴史と民族の博物館」に行った。
昼食として氷川三神料理店「かのうや」でうなぎご膳と鯰の天ぷらを食べた。
その後、大宮公園を散歩しながら武蔵一宮氷川神社にお参りをした。
そして再び「埼玉県立歴史と民族の博物館」に行って常設館を見学した。
帰路は、県道216号 と 国道17号線を通り、桶川北本ICから日の出ICまで
首都圏中央連絡自動車道(41.6km、約32分、1,530円)を利用した。
帰宅は午後5時 40分で走行距離は119.5kmあった。
特別展「縄文コードをひもとく」ー埼玉の縄文土器とその世界ー
令和5年11月14日~令和6年1月14日
縄文土器の文様(Cord)と縄文人の概念や思想(Code)に注目する。
埼玉県の縄文時代の遺跡発掘調査で出土した多くの土器の中から約230点を展示している。
縄文時代草創期から晩期までの約1万年間に使われた土器が展示されている。
赤城遺跡の「顔つき土器」、県指定文化財「雅楽谷遺跡の土器」も展示している。
埼玉県立歴史と民族の博物館、大宮公園、武蔵一宮氷川神社
JR大宮駅、氷川三神料理店「かのうや」
埼玉県立歴史と民族の博物館駐車場 10:50
埼玉県立歴史と民族の博物
埼玉県立歴史と民族の博物
弥生時代の復元住居 県指定遺跡大宮公園内遺跡
切妻形屋根に破風板を乗せている。住居の奥に方形周溝墓がある。
埼玉県立歴史と民族の博物
前田國男氏設計による近代建築物
埼玉県立歴史と民族の博物 観覧券600円
埼玉県立歴史と民族の博物 板碑
埼玉100周年記念として昭和46年に県立博物館として建設、
平成18年に旧県立民族文化センターと統合した。
埼玉県立歴史と民族の博物
埼玉県立歴史と民族の博物 女神の像
埼玉県立歴史と民族の博物
埼玉県立歴史と民族の博物「特別展」11:01
埼玉県立歴史と民族の博物 石灯籠
特別展「縄文コードをひもとく」ー埼玉の縄文土器とその世界ー
特別展で取り上げる遺跡リスト 49遺跡
用語解説シート
展示資料一覧 約230点
展示資料一覧2
展示資料一覧3
展示資料一覧4

プロローグ
プロローグ
エドワード・シルベスター・モースによる名付け:Cord Marked Pottery
白井光太郎による翻訳:縄紋土器、現在の一般的な名称:縄文土器
「縄」Cord縄文人の思想「縄文コード」Code(暗号、ルールを意味する)に迫る。
モースがみた縄文コード
エドワード・シルベスター・モース像、大森貝塚の碑
8 釣手土器 桶川市高井東遺跡23号住居跡 縄文後期・加曾利B式 沈線
12 東北地域にルーツのある注口土器
さいたま市大木戸遺跡15号居住跡 後期・加曾利B2式 
9 算盤玉形の鉢:さいたま市寿能泥炭層遺跡 縄文後期・加曾利B2式 弧線文、沈線

縄文土器に関する内容は、特別展「縄文コードをひもとく」展覧会図録を参照している。

第1部 縄文文様
縄文文様
13,14,15 隆起線文土器 秩父市神庭洞穴 縄文草創期 土器形式:隆起線文
17 多縄文土器 深谷市宮林遺跡 縄文草創期 土器形式:多縄文系
18,19,20 爪形文土器 深谷市宮林遺跡 縄文草創期 土器形式:爪形文
21 撚糸文の深鉢 秩父市神庭洞穴 縄文早期 土器形式:撚糸文系
左前22 貝殻条痕文の尖底深鉢 皆野町妙音寺洞穴 縄文早期 土器形式:沈線文系
左後23 尖底深鉢 明花向遺跡 縄文早期 土器形式:沈線文系
中前25 条痕文の尖底深鉢 さいたま市明花向遺跡 縄文早期 土器形式:野島式
右後26 条痕文の尖底深鉢 さいたま市明花向遺跡 縄文早期 土器形式:野島式
右前27 波状口縁の刺突文深鉢 さいたま市明花向遺跡 縄文早期 土器形式:野島式
秩父市神庭洞穴の入口、 皆野町妙音寺洞穴の入口
29 波状口縁の深鉢:さいたま市上ノ宮遺跡炉穴群1 早期・野島式
28 菱形文の深鉢:さいたま市上ノ宮遺跡炉穴群1 早期・野島式
30 帯状の段をもつ深鉢:白岡市海老島遺跡 早期・茅山下層式
28 菱形文の深鉢:さいたま市上ノ宮遺跡炉穴群1 早期・野島式
左前31 刺突文列の深鉢 秩父市下段遺跡 早期
左後32 筒状突起の深鉢 秩父市下段遺跡 早期
中前33 渦巻文の深鉢 秩父市下段遺跡 早期・下吉井式
右前34「X」字モチーフの尖底深鉢 日高市天神峯遺跡5号土壙 早期・打越式
34「X」字モチーフの尖底深鉢 日高市天神峯遺跡5号土壙 早期・打越式
34「X」字モチーフの尖底深鉢 日高市天神峯遺跡5号土壙 早期・打越式
花開く縄文文様
前期は羽状縄文系土器群が発展した。
前期後半には沈線、浮線、弧線を組み合わせた諸磯式土器が作られた。
文様や器形などは近畿地域以西の北白川下層式と密接な関係にあり、
細い粘土紐を貼り付ける手法が加わり粘土瘤をたくさん付けた貼付文が加わった。

左1前36 山形突起が付く深鉢 伊奈町谷畑遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
左中後37 関山貝塚の深鉢(県指定文化財) 蓮田市関山貝塚1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
左1前38 補修穴のある深鉢(県指定文化財) 蓮田市関山貝塚1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
右側40,41,42,43,44,45 行田市馬場裏遺跡1号住居跡の土器群 前期・関山Ⅱ式

36 山形突起が付く深鉢 伊奈町谷畑遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
37 関山貝塚の深鉢(県指定文化財) 蓮田市関山貝塚1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
38 補修穴のある深鉢(県指定文化財) 蓮田市関山貝塚1号住居跡 前期・関山Ⅰ形
40 大型の片口付の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
43 小型の片口付の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
41 幾何学的な文様の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
41 幾何学的な文様の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
中前44 中型の片口付の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
中後42 くびれのある片口付の深鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
45 幾何学文様の片口付の鉢 行田市馬場裏遺跡1号住居跡 前期・関山Ⅱ式
46 対角線文の深鉢 寄居町塚屋遺跡 前期・諸磯a
左後47 沈線文様の深鉢 寄居町塚屋遺跡10号住居跡 前期・諸磯a 
右前50 隆線のモチーフが特徴的な深鉢 寄居町塚屋遺跡20号住居跡 前期・諸磯b 
右後51 沈線文様の深鉢 寄居町塚屋遺跡20号住居跡 前期・諸磯b
52 突起を持つ深鉢 寄居町塚屋遺跡20号住居跡 前期・諸磯b 
53 貼付文の深鉢 寄居町塚屋遺跡142号土坑 前期・諸磯c

縄文原体の発見
縄目文様は編物か織物の刻印と考えられていたが、山内清男氏が撚り紐を油粘土に転がしたところ縄文土器の縄文と同じ文様が表れ、縄文原体を発見した。
複雑化する装飾
56 阿玉台式と勝坂式の折衷土器 伊奈町北遺跡55号住居跡 中期・阿玉台式、勝坂式
55 連結する隆帯の深鉢 上尾市中居遺跡34号住居跡 中期・勝坂3式
複雑化する装飾
58 キャリパー形の深鉢 東松山市岩の上遺跡23号住居跡 中期・加曾利EⅠ式
57 渦巻文の深鉢 日高市宿東遺跡6号住居跡 中期・加曾利E式
目盛付内外兼用キャリパー
装飾の変化と使用の複雑化
60 沈線文と刺突文の深鉢 鴻巣市赤城遺跡62号土坑 後期・称名寺式
59 突起が特徴的な深鉢 桶川市諏訪野遺跡27号住居跡 中期・加曾利E式
62 口縁部内外面に施文の深鉢 さいたま市大木戸遺跡9号住居跡 後期・加曾利EⅠ式
61 3つの突起の深鉢 さいたま市大木戸遺跡9号住居跡 後期・加曾利EⅠ式 
64 紐線文の深鉢 蓮田市雅樂谷遺跡 後期・加曾利EⅠ式
63 口縁部に文様をもつ鉢 さいたま市大木戸遺跡9号住居跡 後期・加曾利EⅠ式  
65 沈線文の注口土器 さいたま市大木戸遺跡9号住居跡 後期・加曾利B式
埼玉縄文土器の集大成
67 東北形の注口土器 鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・大洞式系
66 帯状縄文と5つの突起の深鉢 久喜市小林八束1遺跡453土坑 晩期・安行3式
66 帯状縄文と5つの突起の深鉢 久喜市小林八束1遺跡453土坑 晩期・安行3式

第Ⅱ部 縄文コードをひもとく
第Ⅱ部 縄文コードをひもとく
縄文時代中期には土器の装飾は複雑化し、人や動物など具体的なモチーフが出現する。
縄文コードとは?
世界観のコード、土器作りのコード、出自のコード、使用のコード
縄文コードをひもとく 関連年表
 第Ⅱ部第1章 ー土器に表された「物語」ー
縄文土器の物語性文様
縄文土器の文様は、装飾性文様と物語性文様とに分けられる。
装飾性文様:器面を飾るだけの文様
物語性文様:モチーフに特別な観念が込められた文様
「双眼突起」、「S字文」、「モチーフの非対称性」、「重心の偏り」

68 表と裏?2つのモチーフの深鉢 
モチーフaの側
寄居町北塚屋遺跡141号土坑 中期・勝坂2式
双眼突起は、こちら側(モチーフa)に付いているが反対側(モチーフb)の顔ともみえる。
モチーフaは、両手を広げ逆三角形の胴体の下に杏仁形モチーフを吊り下げている。
女性が子供を産む状況を表現したものという説がある。
68 表と裏?2つのモチーフの深鉢 側面a
68 表と裏?2つのモチーフの深鉢 
モチーフbの側
モチーフbは、逆三角形の胴体と両肩から伸ばした両腕を表現し、
カエルのように足を折り曲げた表現をしている。
モチーフa,bともに人体を表現したと考える場合、別の人物か同一人物かという議論がある。
68 表と裏?2つのモチーフの深鉢 側面b

 表と裏?2つのモチーフの深鉢の説明
69 蛇を表した深鉢 毛呂山町新田東遺跡53号住居跡 中期・勝坂3式
70 蛇頭の付いた双眼突起の深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期・勝坂3式 
69 蛇を表した深鉢 毛呂山町新田東遺跡53号住居跡 中期・勝坂3式
70 蛇頭の付いた双眼突起の深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期・勝坂3式
71 蛇を表した深鉢 上尾市中井遺跡33号住居跡 中期・勝坂3式
72 ムカデと人の「物語」の深鉢 桶川市諏訪野遺跡27号住居跡
 中期・勝坂3式 
72 ムカデ文様
桶川市諏訪野遺跡27号住居跡 中期・勝坂3式

左1前73 
双眼突起をもつ深鉢 本庄市古井戸遺跡146号土坑 中期・勝坂3式
左2前74 3本指の手がのびる深鉢 桶川市諏訪野遺跡80号住居跡 中期・勝坂3式  
中前75 円盤状突起をもつ深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期 
右2前78 記号のような文様の台付鉢 伊奈町原遺跡13号住居跡 中期・勝坂式
右1前79 記号のような文様の台付鉢 伊奈町原遺跡13号住居跡 中期・勝坂式
75 円盤状突起をもつ深鉢 毛呂山町新田東遺跡77号住居跡 中期
特別展で最も躍動的な造形をもつ土器、楕円形円盤を付け2つの穴があり、
双眼突起を付け、口縁部に蕨手文、渦巻文を配置している。
81 イノシシの付いた深鉢 蓮田市堂山公園遺跡 前期・諸磯b式
埼玉県域で動物をあしらった最も古い深鉢
縄文人の世界観を示すものとして、土器に表現された動物意匠がある。
最初に土器に表現されたのはイノシシであった。
イノシシは多産のシンボルとして表現されたと考えられる。
中期の勝坂式土器には蛇の造形が見られる。
蛇や蛙の変態や脱皮が生まれ変わりの再生観念と見た可能性がある。
他に、ムカデやトカゲ、ムササビ、ミミズク、カメ、鳥などがある。
左後85 ムササビ又は亀を表現した鉢 右後82 鳥を表現した片口土器
左前86 亀のような注口土器 中前84 動物の付いた小型鉢 右前83 双口土器

 第Ⅱ部第2章 ー土器の地域色と交流ー
ルーツをさぐる
中期の土器の地域色とルーツ(系統)
中期は土器の地域色が細かくなり、個性が強まる時期で系統の異なる土器が同じ遺跡の中に現れる。また、1つの土器にも系統の異なる文様や特徴が融合されている。
土器の地域色は、土器制作者が地域や集団のしきたりやルールに縛られた結果と考えられる。1つの土器に複数系統の文様や特徴が融合されるのは、他の地域との様々な交流関係が背景にある。
関東甲信地域の勝坂式土器と東北地域の大木式土器の要素を取り入れることによって成立した加曾利E式土器の様相と同時期の他地域の影響を受けた土器や他の地域からもたらされた土器をみることで、土器の特徴の出自に関わるコードをみられる。

89 成立期の加曾利E式深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・加曾利EⅠ式
口縁部のモチーフは弧文、勝坂E式の成立に、勝坂式と大木式の双方が関係している。
91 成立期の加曾利E式深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・加曾利EⅠ式
口縁部は隆帯でS字文と棘状の文様、菱形文、円文を連結したS字文を連結している。
90 双眼突起をもつ深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・勝坂式 
2か所の双眼突起、弧状の文様、波状の沈線文
92 成立期の加曾利E式深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・加曾利EⅠ式
口縁部は半載竹管によりS字文を横に並べ、2個ごとに隆帯による蕨手文を配置している。
93 太い沈線文の深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・勝坂式 
94 パネル文の深鉢 毛呂山町まま上遺跡5号住居跡 中期・勝坂式
炉に据えられた土器、勝坂式の特徴のパネル状に区分する文様が確認できる。
96 奇数へのこだわりのある大型深鉢
白岡市赤砂利遺跡2号土器埋設遺構 中期・勝坂式EⅡ式
口縁部には渦巻文と楕円形区画が連結された文様を配置するが、
通例では偶数個だが7個であり、胴体の2本1組の沈線文も11組となっていて、
奇数へのこだわりが感じられる。
97 文様のやり直しがある大型深鉢
伊奈町戸崎前遺跡92号住居跡 中期・勝坂式EⅢ式
右下がり縄文や左下がり縄文などあり、文様の修正がなされた可能性がある。
縄文の下に沈線が埋もれている。
99 「S」字文の深鉢 深谷市台耕地遺跡47号土坑 中期・勝坂式EⅡ式
口縁部と胴部上半には渦巻文を連結した文様、
大きなS字文は同時期の 東北地域の大木8b式の影響を受けた。
100 クラゲのようなモチーフの鉢 伊奈町原遺跡13号住居跡 中期
101 飛び出る鉤文様の深鉢 毛呂山町新田東遺跡53号住居跡 中期・加曾利E式
102 羊角状のモチーフの深鉢 寄居町北塚屋遺跡2号住居跡 中期・ 加曾利EⅡ式
104 蕨手文と渦巻文の深鉢 本庄市古井戸遺跡167号土坑 中期・勝坂式
105 紐通し孔をもつ鉢 本庄市古井戸遺跡73号住居跡 中期
106 渦巻文の深鉢 本庄市古井戸遺跡11号住居跡 中期
107 渦巻文の鉢 日高市宿東遺跡1~2号住居跡 中期
108 波状隆帯の深鉢 日高市高麗石器時代住居跡遺跡埋甕 中期・曽利式系
左後111 台に文様がある深鉢 美里町広木上宿遺跡6号住居跡 中期
中後112 台付深鉢  美里町広木上宿遺跡2号土坑 中期・加曾利EⅣ式
右後116 渦巻文と突起が特徴の鉢 深谷市島之上遺跡1号住居跡 中期・大木式系
左前113 大きな突起の深鉢 本庄市古井戸遺跡1358号土坑 中期・加曾利EⅣ式
中前114 瓢箪形注口土器 さいたま市櫛引周辺 中期
右前115 小型の 瓢箪形注口土器 上尾市中井遺跡63号住居跡 中期
左後112 台付深鉢  美里町広木上宿遺跡2号土坑 中期・加曾利EⅣ式
左前114 瓢箪形注口土器 さいたま市櫛引周辺 中期
左中後116 渦巻文と突起が特徴の鉢 深谷市島之上遺跡1号住居跡 中期・大木式系
左中前119 トロフィー形の台付深鉢 桶川市前原遺跡9号住居跡 中期
右中117 「S」字文と渦巻文の深鉢 本庄市将監塚遺跡55号野外埋甕 中期
右後118 渦巻文の大型深鉢 坂戸市花影遺跡10号住居跡 中期・大木式系
右前120 火焔型土器の突起 本庄市将監塚遺跡61号住居跡 中期・馬高式

 第Ⅱ部第3章 ー作り分けと使い分けー
縄文土器は道具で、使われるために作られ存在している。
縄文土器に織り込まれた使用のコードをひもとく。
深鉢土器は主に煮炊きに使った。浅鉢、鉢、注口土器は盛り付け等に使った。
縄文後期中頃の深鉢には、精製土器と粗製土器に分化する。
後期から晩期にかけて香炉型や異形台付土器、製塩土器など変わった形の土器や
用途が特化した土器が出現する。
土器の使用において、同じ形の土器を使い分けるというコード、
用途によって違う形や大きさの土器を作り分けるというコードへと徐々に変化していった。
精製土器と粗製土器
器としての縄文土器
器としての縄文土器
121 「J」字状モチーフの深鉢 伊奈町戸崎前遺跡44号土坑 後期・称名寺式
122 格目モチーフの深鉢 伊奈町戸崎前遺跡3号埋設土器 後期・称名寺式
123 「7」字状モチーフの深鉢
鴻巣市赤城遺跡15号土坑 後期・称名寺式
124 逆「J」字状モチーフの深鉢 
伊奈町戸崎前遺跡8号埋設土器 後期・堀之内1式(編取式系)
125 スペード状モチーフの深鉢 
伊奈町戸崎前遺跡69号土坑 後期・堀之内1式(編取式系)
126 向かい合う弧線文の深鉢 
久喜市小林八束1遺跡12-A号住居跡 後期・堀之内2式
127 向かい合う弧線文の深鉢 さいたま市大木戸遺跡 後期・堀之内1式
129 「8」字状モチーフの深鉢 川口市卜伝遺跡17号土坑 後期・堀之内1式
131 「X」字状モチーフの深鉢 久喜市小林八束1遺跡12-A号住居跡 後期・堀之内1式
132 「X」字状モチーフの深鉢 白岡市清左衛門遺跡10号住居跡 後期・堀之内1式
133 文様の描き方が雑な深鉢 久喜市小林八束1遺跡12-A号住居跡 後期・堀之内2式
134 煮炊きに使われた大型の深鉢 蓮田市雅楽谷遺跡13号土坑 後期・堀之内2式
136 煮炊きに使われた大型の深鉢 さいたま市大木戸遺跡 後期・堀之内2式
138 大型の深鉢 加須市長竹遺跡128号住居跡 後期・堀之内2式
137 文様のない深鉢 白岡市清左衛門遺跡77号土坑 後期・堀之内2式
136 煮炊きに使われた大型の深鉢 さいたま市大木戸遺跡 後期・堀之内2式
内外面に厚く炭化物が付着した煮沸痕が煮炊きに使ったという使用のコードが読み取れる。
胴の下半分の色が違うのは、火があたって炭化物が付かなかったため。
137 文様のない深鉢 白岡市清左衛門遺跡77号土坑 後期・堀之内2式
胴の上半分に縄文が施されているが、装飾はほとんどない。
雑に作られたわけではなく、胴の下半分は丁寧に磨かれている。
煮炊きに使ったという使用のコードが読み取れる。
左前139 「の」の字モチーフの突起付深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B1式
左後144  西関東地域の粗製深鉢 蓮田市神楽谷遺跡4号土器埋設 後期・加曾利B式
右前140 「の」の字モチーフの突起付深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B1式
右後142  東北地域にルーツをもつ深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
141 「ト」の字モチーフの突起付深鉢
さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
141 「ト」の字モチーフの突起付深鉢
左前143  斜線文の深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B3式
左後145  突起が付く粗製深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B式
右前146  内面に文様をもつ浅鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B1式
右後147  煮炊きに使われた浅鉢 さいたま市大木戸遺跡 後期・加曾利B1~B2式
煮炊きに使われた浅鉢
左前148 鎖状モチーフの鉢 さいたま市大木戸遺跡 後期・堀之内2式~加曾利B1式
右後149 突起が付く鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B1式
中前150 突起が付く鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
右後151 算盤玉形の鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
右前152 斜線文の鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
土器の用途推定~土器は何に使われたか~
「トチの実加工場跡」の煮沸用土器は堅果類の灰汁抜きに使われた。
後晩期の精製土器は主に肉類を粗製土器は主に植物を煮るのに使った。

注口土器
注口土器~注ぎ口の付いた土器~
注ぎ口の付いた土器
153 大型の注口付鉢 鴻巣市中三谷遺跡44号土坑 後期・堀之内1式
注ぎ口の付いた土器
154 双子の注口土器 鴻巣市中三谷遺跡41号土坑 後期・堀之内2式
155 双子の注口土器 鴻巣市中三谷遺跡41号土坑 後期・堀之内2式
156 胴部が無文の注口土器 さいたま市大木戸遺跡 後期・堀之内2式
157 台が付く注口土器 さいたま市大木戸遺跡139号土坑 後期・堀之内2式
158 「の」字モチーフの注口土器 さいたま市大木戸遺跡 後期・加曾利B1式
159 漆で補修された注口土器 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・加曾利B2式
160 彫刻的モチーフの注口土器 さいたま市大木戸遺跡15号住居跡 後期・加曾利B2式
161 豚鼻状瘤が付く在地系の注口土器 鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点
後期~晩期・安行2~3a式
162 豚鼻状瘤が付く在地系の注口土器 久喜市小林八束1遺跡453号土坑 晩期・安行式
163,164 入れ子で見つかった土器 加須市長竹遺跡 晩期・安行3b式
165 入組三叉文の注口土器 鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3b式
166 羊歯状文をまねた注口土器 久喜市小林八束1遺跡祭祀遺物集中地点 晩期・安行式
167 入組三叉文の注口土器 鴻巣市赤城遺跡 晩期・安行3b式
168 底面が広い注口土器 久喜市小林八束1遺跡祭祀遺物集中地点 晩期

埋葬と土器
土器にお骨を納める
成人再葬墓に使われた深鉢
171 成人の骨を納めた大型深鉢
入間市坂東山遺跡甕棺墓 後期・称名寺式

加須市長竹遺跡の土器副葬墓
加須市長竹遺跡の土器副葬墓
172 入組文の深鉢 加須市長竹遺跡211号土坑 晩期・大洞式系
173 瘤付きの壺 加須市長竹遺跡200号土坑 晩期・大洞式系
175 算盤玉形の注口土器 加須市長竹遺跡207号土坑 晩期・大洞式系
178 黒と赤で彩色した台付鉢 加須市長竹遺跡248号土坑 晩期・大洞式系
179 「X」字状モチーフの深鉢 加須市長竹遺跡208号土坑 晩期・大洞式系
180 流麗な文様の注口土器 加須市長竹遺跡210号土坑 晩期・大洞式系
178 黒と赤で彩色した台付鉢 加須市長竹遺跡248号土坑 晩期・大洞式系
179 「X」字状モチーフの深鉢 加須市長竹遺跡208号土坑 晩期・大洞式系
180 流麗な文様の注口土器 加須市長竹遺跡210号土坑 晩期・大洞式系

異形台付土器 ~用途不明の謎の土器~
異形台付土器は、東関東地域で多く見つかる。
後期中葉(加曾利B2式期)に出現し、晩期初頭(安行3a式期)まで作られた。
火と関係した祭祀に使われたと言われている。
181 注口土器と似たモチーフの異形台付土器 蓮田市雅楽谷遺跡 後期・安行式
3段構成
182 2段構成に見える異形台付土器 深谷市原ヶ谷戸遺跡 後期・安行式

第Ⅱ部第4章 ー撚り合わされたコードー
縄文土器に込められた4つのコード(世界観、土器作り、出自、使用)、
いくつものCordとCodeが撚り合わされて、埼玉を代表する安行式土器が生まれた。
安行式土器:川口市安行猿貝貝塚の資料を基準に設定された土器
波状口縁深鉢など精製土器や紐線文土器などの粗製土器で構成される。
これらは後期中葉の加曾利B式・曾谷式土器をルーツとしている。
183 
安行式のルーツになる深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・曾谷式
184 大波状口縁の深鉢 熊谷市諏訪木遺跡 後期・高井東式
185 安行式のルーツになる深鉢 鴻巣市赤城遺跡9号住宅跡 後期・曾谷式
186 
安行式のルーツになる瓢形の深鉢 加須市長竹遺跡 後期・曾谷式 
187 大きな注口土器 加須市長竹遺跡134号住宅跡 後期・曾谷、高井東式 
安行土器と縄文コード
安行式土器は縄文時代後期から晩期にまたがる。
安行1、2式は後期に、3式が晩期に位置づけられる。
亀ヶ岡式土器の影響がない段階が後期、ある段階を晩期としている。
安行式の精製土器には波状の口縁がある。
亀ヶ岡式土器の知識を持った人々が関東地域に入ってきて、
晩期には多様な器種が作られた。
ミミズク土偶の顔面をもつ注口土器や人面付き土器には、
容器と人や動物とを結びつける複雑な思想もうかがえる。

188 縦瘤をもつ波状口縁深鉢 久喜市小林八束1遺跡 後期・安行1式
189 煮炊き用の深鉢 加須市長竹遺跡45号住宅跡 後期・安行1式
190 波状口縁で瘤が付く深鉢 蓮田市雅楽谷遺跡 後期・安行1式

右下191 瘤が付く平口縁の深鉢 鴻巣市赤城遺跡 後期・安行1式
右上194 東北地域の影響を受けた深鉢 鴻巣市赤城遺跡 後期・安行1式
左下195 東北地域の影響を受けた深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・安行2式
 左上196 煮炊きに使われた深鉢 加須市長竹遺跡3号埋甕 後期・安行2式
192 安行式を代表するタイプの深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 後期・安行2式
大きな波状口縁と豚鼻状瘤という安行式を代表する土器作りのコードを体現した土器
193 豚鼻状瘤をもつ角底土器 蓮田市雅楽谷遺跡 後期・安行2式
蓮田市雅樂谷遺跡5号土坑 後期末~晩期初頭安行式の土器群
200  豚鼻状瘤をもつ波状口縁深鉢
右中201 豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器
左中202 迫力の台付鉢
206 煮炊きに使われた在地の粗製深鉢

後期から晩期へ~蓮田市雅樂谷遺跡の土器群に込められたコード~
蓮田市雅樂谷遺跡の5号土坑と26号土坑からは、
ほぼ完全に復元できる土器がまとまって見つかった。
26号土坑の土器は、東北地方の亀ヶ岡系の大洞B式の影響を受けている。
大洞式の土器の影響の有無は関東地域における縄文時代晩期の始まりの指標になっている。
5号土坑の土器は、大洞式の顕著な影響はない。

200  豚鼻状瘤をもつ波状口縁深鉢
201 豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器
202 迫力の台付鉢
蓮田市雅樂谷遺跡5号土坑 後期末~晩期初頭安行式の土器群
右下203 「B」字状突起をもつ皿
中下204 「B」字状突起をもつ皿
左下205 豚鼻状瘤をもつ台付皿
右上206 煮炊きに使われた在地の粗製深鉢
左上207 無文の粗製深鉢
蓮田市雅樂谷遺跡26号土坑 晩期安行3a式の土器群
右下208 
豚鼻状瘤をもつ波状口縁深鉢
中下209 豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器
左下210 東北地域の影響を受けた台付皿
中上211 東北地域にルーツを持つ深鉢
208 豚鼻状瘤をもつ波状口縁深鉢
209 豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器 
210 東北地域の影響を受けた台付皿
211 東北地域にルーツを持つ深鉢
右前212 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢 
鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3a~b式
左前213 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
右後214  鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a~b式
左後215 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3b式
212 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢 
鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3a~b式
213 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
214  鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a~b式

215 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3b式
右前216 鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢
 さいたま市寿能泥炭層遺跡 晩期・安行3b式
中前217 瘤のない波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3c式
右後218 北関東系の波状口縁深鉢
 加須市長竹遺跡埋甕4 晩期・天神原式(安行3c式併行)
左後219 平口縁の在地系深鉢
 加須市長竹遺跡13号住宅跡 晩期・安行3a式
左前223 土坑に埋設された深鉢
 加須市長竹遺跡1号埋設 晩期・安行3b式
右上222 安行式の瘤と東北系の文様の深鉢 
加須市長竹遺跡遺物集中16 晩期・安行3a式
右下224 瘤がたくさん付いた深鉢
 久喜市小林八束1遺跡455号土坑 晩期・安行3b式
左下225 豚鼻状瘤と三叉文の深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
左上226 入組文の深鉢
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3c式
環状盛土遺構の時代
右1前227 入組三叉文の深鉢 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
右1後228 入組三叉文の深鉢 入組三叉文の深鉢 晩期・安行3d式
中3後229 三叉文の深鉢 久喜市小林八束1遺跡祭祀遺物集中地点 晩期・安行3d式
右2前231 迷路のような文様の深鉢 加須市長竹遺跡 晩期・安行3d式
右2後232 隆帯装飾のない粗製深鉢 久喜市小林八束1遺跡 晩期・安行式
中4前233 隆帯装飾のある粗製深鉢 さいたま市寿能泥炭層遺跡 晩期・安行式
左2前234 煮炊きに使われた粗製深鉢 加須市長竹遺跡492号土坑 後期・安行2式
左3後237 軸のずれた粗製深鉢 加須市長竹遺跡焼土跡3 晩期
左1後238 突起をもつ無文の大型深鉢 加須市長竹遺跡287号土坑 晩期・安行3b~3c式
235 弧線文モチーフの粗製深鉢
 さいたま市寿能泥炭層遺跡 晩期・安行式
顔のある土器
239 鉢巻きをした人の顔がある深鉢
加須市長竹遺跡629号土坑 後期・堀之内1式
240 塞がれた口縁部に顔がある注口土器 
鴻巣市赤城遺跡祭祀遺物集中地点 晩期・安行3a式
241 出自不明の顔がある注口土器 
加須市長竹遺跡201号土坑 晩期・大洞BC式(安行3b式併行)
242 顔のある粗製深鉢
鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3c式
243 愛嬌のある顔の付いた注口土器 
鴻巣市赤城遺跡祭祀遺物集中地点 晩期・安行3a式
244 2つの顔をもつ注口土器 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
245 モミズク土偶の顔をもう注口土器 
熊谷市諏訪木遺跡1号竪穴住居跡 晩期・安行3b式
244  2つの顔をもつ注口土器
 加須市長竹遺跡 晩期・安行3a式
深鉢以外のかたち
右1前257 三叉文の透かし孔をもつ台付鉢 
鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期・安行3b式
右2前248 東北地域にルーツをもつ鉢 加須市長竹遺跡 晩期・大洞BC式
右3前249 大きな枠状文の壺 加須市長竹遺跡 晩期・前浦式((安行3c式併行)
右4前250 四角い鉢 加須市長竹遺跡 晩期
右後246 入組三叉文の台付鉢 加須市長竹遺跡555号土坑 晩期・安行3b式

左1前257 東北地域にルーツをもつ深鉢 加須市長竹遺跡 晩期・大洞C1式
左2前254 東北地域にルーツをもつ壺 加須市長竹遺跡775号土坑 晩期・大洞式
左3前251 組三叉文の壺 鴻巣市赤城遺跡完形土器集中地点 晩期
左1後256  無文の壺 加須市長竹遺跡 晩期・大洞C2式併行
左2後255 無文の壺 加須市長竹遺跡 晩期・大洞C2式併行

エピローグ
エピローグ ー最後の縄文土器ー
縄文時代後晩期に個性を発揮した安行式土器の終末段階には、
すでに九州では弥生土器が成立し水田稲作が行われていた。
埼玉県域では水田稲作や弥生土器の導入は弥生時代中期になる。
安行式土器が展開した後の埼玉県域では縄文時代最後の土器・浮線網状文系土器出現する。これらの土器は、東北地域の影響を受けた粘土紐装飾と西日本の弥生文化の影響を受けた形態が特徴で、細い粘土紐を口縁部を中心に横方向に重ねて貼付けしたシンプルで洗練されたものになる。
260 浮線文の大きな浅鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系 
右下261 浮線文の深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系 
右上262 肩に稜をもつ深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
263 肩に稜を持つ深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系
264 波状の口縁の深鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系 
265 条痕文の鉢 上尾市稲荷台遺跡 晩期・土器形式:浮線網状文系

昼食
「埼玉県立歴史と民族の博物館」12:05・・(自動車)・・12:35氷川三神料理店「かのうや」
氷川三神料理店「かのうや」 12:35
氷川三神料理店「かのうや」 のぼり旗うなぎ
「かのうや」メニュー
うなぎご膳 平日限定20食 2,600円
サラダ付き、野菜バー(+450円)
うなぎご膳 2,600円
うな重、鯉の洗い、茶碗蒸し、サラダ、ホットコーヒー付き
鯉の洗いも美味しかった。
なまずの天ぷら 1,550円
淡白でとても美味しかった。
「かのうや」玄関
氷川神社一の鳥居と参道 13:42
氷川神社まで約2km 
武蔵国一宮氷川大明神石碑
氷川三神料理店「かのうや」駐車場 13:45

大宮公園・武蔵一宮氷川神社
氷川三神料理店「かのうや」13:45・・(自動車)・・14:00「埼玉県立歴史と民族の博物館」
大宮公園弓道場  14:11
大宮公園 舟遊(しゅうゆう)池
<舟遊池と2022/11/3のかいぼり> 
かつての川をせき止めて造った舟遊池の底の土からは、リンなどの成分が溶け出してアオコの餌となっていた。リンは生活排水が流れ込んでいたころの名残と考えられる。
水を抜き、土に空気を通すことがリンの溶出を抑え、水質改善につながる。
現在、池の水は地下を通じて大宮第二公園近くの芝川へ流れ込んでいるとみられるが、
水の循環が遅く、濁りやすい。
このため通常の維持管理としては、地下水をくみ上げて池に流し水質改善を図ってきたが、抜本的改善策として2022/11/3にかいぼりを行った
大宮公園 埼玉百年の森
埼玉県設立百周年を記念して造られた。 樹齢100年を超える赤松林が広がる。
武蔵一宮氷川神社 神橋
武蔵一宮氷川神社 楼門
武蔵一宮氷川神社境内 楠の大木と舞殿
武蔵一宮氷川神社 拝殿
武蔵一宮氷川神社 本殿
約2,400年前の第5代考昭天皇の時代に創建された。
祭神は出雲神話に登場する須佐之男命、稲田姫命、大己貴命で、
国の発展と民の平安を祈り、祀られた。
氷川神社説明板
大宮の地名は「大いなる宮居」に由来する。
氷川神社は現在、関東地方に約250社が祀られていて、2000年の歴史を持つこの氷川神社を御本社として分霊されたもので、スサノオノミコト、イナダヒメノミコト、オオナムチノミコトを祭神としいて、古代に稲作を司る神としてまつられたものが始まりとされている。
鎌倉時代以降は、源頼朝・徳川家康といった武士に、明治以降は皇室の尊崇が篤く、
明治天皇は東京遷都直後に参拝され、国の安泰を祈願された。・・・
力石:力自慢の若者で石を担いで本殿を一周できた者が姓名を刻んで奉納した。
歯固めの石:お食い初め式の歯固めの儀として使う。
明治天皇陛下大嘗會御饌(みけ)埋納地の碑
氷川神社行幸絵巻(複製)原資料:埼玉県指定重要文化財
明治22年12月28日完成、明治26年3月にひかわに奉納)
明治元年氷川神社を訪れる明治天皇一行の行列(540人の行列)
武蔵一宮氷川神社 舞殿
大宮公園 舟遊(しゅうゆう)池

埼玉県立歴史と民族の博物館・常設館
埼玉県立歴史と民族の博物館 14:49


常設展示室
 「埼玉における人々のくらしと文化」をテーマに、
旧石器時代から現代までを1~10室の展示室で紹介している。
体験学習ゾーン「ゆめ・体験ひろば」ものづくり工房
ミュージアムショップ・無料休息コーナー
旧石器時代から現代までの地層(見沼代用水付近)
旧石器時代(約2万7千年前)
埼玉の最新の発掘調査で縄文新発見
深鉢
飯能市加能里遺跡 第45次調査 縄文時代中期(約4500年前)
加能里遺跡は縄文時代草創期から晩期まで人々が生活していた。
土製耳飾り
飯能市加能里遺跡 縄文時代後晩期(約3000~3500年前)
耳飾りの装着状況(復元 十日町市立博物館)
顔のように見える土器
飯能市加能里遺跡 第77次調査 縄文時代晩期(約3000年前)
埼玉の最新の発掘調査で縄文新発見 
注口土器、深鉢
川口市宮合遺跡6号住宅跡 第13,14次調査 縄文時代後期(約3500年前)
土器を作る人々 縄文時代後晩期
文様装飾が豪華な精製土器と煮炊きに使われる粗製土器がある。
精製土器と粗製土器に同じ文様が同じ人々によって施されている。
縄文人骨 屈葬
川口市新郷遺跡 縄文時代後期(約3500年前)
縄文時代の埋葬の姿勢には、伸展葬もあるが屈葬が一般的であった。
縄文人の「生への祈り」
土偶
桶川市後谷遺跡 縄文時代晩期(約3000年前)
みみずく土偶
さいたま市 真福寺貝塚
亀形土製品(複製)
東北原遺跡 縄文時代晩期(約3000年前) 
縄文土器のうつりかわり 草創期、早期、前期
撚糸文系、条痕文系、羽状縄文系、竹管文系
縄文土器のうつりかわり 前期、中期
羽状縄文系、竹管文系、隆起文系
縄文土器のうつりかわり 中期、後期
竹管文系、隆起文系、磨消縄文系
縄文土器のうつりかわり 後期、晩期
磨消縄文系、帯縄文・三叉状入組文系
壺 弥生土器(宮ノ台式)南関東を中心に使われた土器
弥生時代中期(約1900年前)
大型化した見る銅鐸(音が出ない)
弥生時代後期 三重県伊賀市比土出土
ムラと有力者の出現
3世紀頃(卑弥呼の時代)
赤く塗られた土器 
大宮公園内遺跡 弥生時代終期(約1700年前)
埼玉県域を中心とする古墳の築造傾向
金錯銘鉄剣(複製)
埼玉稲荷山古墳出土(国宝)5世紀後半~末
剣身両面に115文字の金象嵌の銘文が発見された。
銘文の辛亥年:471年、ワカタケル大王:雄略天皇
5世紀後半にはすでに大王の権力が九州から東国まで及んでいたと解釈される。
県指定文化財 飾馬の埴輪
古墳時代後期(6世紀)伝 児玉町
馬形埴輪 目が前側にある
古墳時代後期(6世紀)滑川町月輪古墳群
男子埴輪
古墳時代後期(6世紀)東松山市雷電山古墳群
木造斎藤別当実盛坐像(複製)元資料19世紀
一貫して平氏方に属して戦い、加賀国篠原の合戦で木曽義仲軍に敗れて討死した。
鎌倉幕府のしくみ
鎌倉幕府と武蔵武士の関係系図
板碑(墓塔)
日本一大きい板碑と日本一小さい板碑が展示されている。
慈光寺開山塔(複製)
木造二重宝塔 元資料:国指定重要文化財
見沼通船堀 
国内最古の鬨門式運河
見沼代用水路図
見沼代用水を江戸との舟運にも利用するため利根川と芝川を運河で結んだ。
皇女和宮(親子内親王)の御下向
1861年10月19日京を発って中山道を江戸に下る。
本庄、深谷、新堀村、熊谷、桶川、蕨、戸田、板橋そして11月15日江戸城北の丸到着。
1861年2月11日、徳川家茂との婚儀が執り行われた。
小作争議を支援するポスター
飯野農夫也画「税金は地主が出せ!」(複製)原資料:昭和6年(1931)
無産政党(社会主義政党)の結成 
社会大衆党埼玉県連結成大会ポスター 昭和7年8月
昭和7年には、無産政党が合同した社会大衆党が生まれた。
昭和2年金融恐慌と戦争への道 
満州への移住 昭和11,12年 原資料:昭和戦前研 
満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所之碑(約86,000人の15~19歳の若者が参加した)
 原資料:茨城県水戸市内畑町
兵卒(一般兵)より将校(士官)ポスター 兵役があった時代 昭和3年
  大日本國防婦人會 女性たちの戦争協力 出征兵士の見送り、慰問袋の制作
昭和7年陸軍省の支援を受けて全国組織になった。
戦時貯蓄債権・報国債権のチラシ 軍事費を集める 昭和16年
昭和12年日中戦争始まり終戦まで膨大な公債が発行された。
大政翼賛会の文化活動:国民動員の手段に利用 昭和17年
戦争の報道:アサヒグラフ第39巻15号 戦争報道が中心になった 昭和17年
米軍の不発弾(50kg) 昭和20年8月14~15日熊谷空襲
焼夷弾 六角柱に油脂を詰めた爆弾、38個束ねて爆撃機B29から投下された。
陶製手榴弾:資源不足の時代 旧日本軍が使用した手榴弾
女性用自転車 マルワイ号標準車 昭和30年
川口市山口自転車工場製
手まわし式ミシン
行田では江戸時代から家内工業として足袋作りが行われていた。
明治以降は機械化が進み、工場で量産されるようになった。

ミュージアムショップ・無料休息コーナー
特別展「縄文コードをひもとく」ー埼玉の縄文土器とその世界ー 展覧会図録
発行日:令和5年11月14日、編集発行:埼玉県立歴史と民族の博物館
125ページ、価格:1,000円 1/14完売
昭和の原っぱ
昭和の原っぱ スバル360 17:07

埼玉県立歴史と民族の博物館16:30ー県道216号 ー国道17号線ー桶川北本IC17:00ー首都圏中央連絡自動車道(41.6km、約32分、\1,530)ー17:32日の出ICーTa宅ー17:40帰宅(走行距離119.5km)