2019年9月26日木曜日

瑞世随伴(永平寺)、一乗谷朝倉氏遺跡、總持寺祖院

8月26日~29日にかけて永平寺でのサバウ秀禅禅師の瑞世の式に随伴した。
一般人が瑞世随伴をしたので、めったにないとても貴重な体験となった。

8月26日(月曜):あきる野市、高山市、五箇山、福井パレスホテル
8月27日(火曜):福井、武生、東尋坊、丸岡城、平泉寺白山神社、福井パレスホテル
8月28日(水曜):福井、一乗谷朝倉氏遺跡、永平寺宿泊
8月29日(木曜):永平寺瑞世の式、總持寺祖院、あきる野市

8月23日24日は総持寺8月28日29日は永平寺で、瑞世随伴(瑞世の御供)として拝宿(寺に泊めさせていただくこと)、拝登(お参りさせていただくこと)をさせていただいた
瑞世儀式参加と参籠(寺で過ごし修行の雰囲気に触れること)、本山内の見学をした。
永平寺は高祖道元禅師、総持寺は太祖瑩山禅師が開かれた寺院である。
永平寺にて 8月29日 9:00
一緒に瑞世法要を行った僧侶
いろいろな色の絡子(らくす):禅僧が平素用いる小さい略袈裟
総持寺にて 8月24日 6:53 
サバウ秀禅師(大恵山棟岩院)はルーマニア人で数学者、空手師範である。
神奈川県南足柄市大雄町の大雄山最乗寺僧堂で修行した。
相承:仏教において法が師から弟子へと相続されること。
木欄(もくらん)色の袈裟は和尚になること。

瑞世法要とは、両本山において、その日の朝のお勤めの導師を務めることである。
曹洞宗では、和尚になるために、いくつかの段階(資格)を踏まなければならない。

得度<とくど>をする。出家する事。

安居<あんご>をする。専門僧堂において修行をする事。

首座<しゅそ>をする。僧堂寺院の修行僧の先頭に立ち修行する事。。

法戦<ほっせん>をする。首座が他の修行僧と問答する事。

法嗣<ほうし>伝法)<でんほう>をする。釈迦からの教えを師僧から弟子に伝える事。
        血脈(けちみゃく)(釈迦からずっと繋がった系譜)を頂く。


 これらを踏まえた上で、瑞世となる。一人前になるための仕上げの行である。

その両大本山で導師を務めるのは、多くの僧侶にとって一生に一度のこと。

瑞世法要は、曹洞宗僧侶としての報恩の誓いの場となる。

 現在の日本曹洞宗では、『曹洞宗宗制』「曹洞宗僧侶教師分限規程」に於いて、
転衣(黒色の袈裟を改めて色袈裟に転ずること)を了じた者が2年以内に
両大本山に瑞世拝登を行うことになっている。
瑞世が終わって僧籍簿への登録が済んで、
初めて和尚の法階と、住職になる教師資格を得ることになる。
そして結制安居によって法幢(仏法の旗じるし)を建てた者に対して
与えられる法階が大和尚である。

8月28日(水曜):福井、一乗谷朝倉氏遺跡、永平寺宿泊
福井パレスホテル1000~10:30永平寺~11:20一乗谷朝倉氏遺跡1230
(国道364号、10.6㎞、17分)~1300永平寺(1400受付)

永平寺での受付時間(14時)まで時間があったので、
近くの一乗谷朝倉氏遺跡を見に行った。
 九頭竜線 越前高田駅近くの踏切  12:00
 一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並駐車場 12:08
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並 入口 小雨模様

一乗谷朝倉氏遺跡
昭和46年に国の特別史跡、平成3年に四庭園が特別名勝、
平成19年出土品の2,343点が重量文化財に指定された。
朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに、
一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏をを追放して越前を平定した。
以降105年に渡って繁栄し、京や奈良の貴族や僧侶などが下向し、
北陸の小京都とも呼ばれた。
1573年の刀根坂野の戦いで織田信長に敗れ、朝倉氏は滅びた。
城下町も焼討にあい灰塵に帰した。
朝倉歴史の散策図

一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並  12:08
西の山際には、多くの寺院跡、武家屋敷があった。
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並 入口付近
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並 再現
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並復元
塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、
道路を挟んで武家屋敷や庶民の町家が形成されていた。
発掘された塀の石垣や建築礎石、水路等はそのまま使われている。
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並の排水路
 井戸(浅い) 近くに一乗谷川が流れている
遺物に基づいて忠実に復元している。
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並にて
  雨が降ったり止んだりの天気
社団法人一乗谷朝倉氏遺跡保存協会の案内人(ボランティア活動)
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並 陶器店
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並 武家屋敷跡
一乗谷朝倉氏遺跡 武家屋敷跡
戦国期に遊ばれていた「朝倉象棋」をしている様子
一乗谷の遺跡調査で「酔象」の入った将棋セットが発見されたことから
「朝倉象棋」と呼ばれている。
本将棋にはなく、大将棋に現れたものが最初と考えられる。
将棋の駒の一つ、「酔象」は上図のように動く
「酒に酔って暴れる象」という意味、仏教では凶悪な心のたとえ。
「酔象」が裏に成ると「太子」になり「王将」と同じになる。
「王将」がとられても「太子」があれば負けにならない。
王将が詰まされたあとも「太子」が世継ぎになってゲーム続行。
「酔象」だけは取っても駒の再利用ができない。
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並 雨模様 12:24
朝倉歴史の散策図(復原町並等)

永平寺

永平寺
道元禅師によって1244年に開かれた坐禅修行の道場
七堂伽藍:僧侶が修行する清浄な場所
法堂、仏殿、僧堂、庫院(くいん)、山門、東司(とうす)、浴室

道元禅師が45歳のとき、波多野義重(はたのよししげ)公の願いによって、
越前(福井県)に大仏寺(だいぶつじ)を建立し、2年後に永平寺と改めた。

永平寺駐車場 吉祥閣 13:06
永平寺 聖宝閣
 永平寺門前「てらぐち」にて着替え 13:09
 永平寺門前「てらぐち」にて昼食 13:10
越前蕎麦(大根おろし蕎麦)
蕎麦の効用
笑顔
永平寺門前 13:45
龍門 13:46
泰禅禅師、昭和39年の書
杓底一残水(しゃくていのいちざんすい)
汲流千億人(ながれをくむせんおくにん)
一杓の水でも元の川へながれることによって多くの人が恩恵にあずかれるという意
受付へ 13:47

 通用門 13:49
 
玄関
總受付 
吉祥閣の部屋から聖宝閣 14:13
吉祥閣の部屋
 吉祥閣の部屋から
吉祥閣:宗門檀信徒および一般人の研修道場
 永平寺入口付近の駐車場 14:14
 吉祥閣の部屋から


 一般人参籠(さんろう)の日程
一泊の修行体験の日程

諸堂拝観
傘松閣
一階は参拝に来た人の控室、2階は156畳敷きの「絵天井の間」がある。
永平寺山内参拝で傘松閣に集合
 永平寺参拝順路説明案内図 14:31
正面床の間の掛け軸
 本山七十九世 福山諦法禅師 14:34


「山門」
日常修行される重要な建物である七堂伽藍(しちどうがらん)のひとつ。
仏殿を中心に囲むように回廊がありその南に山門はある。
1749年に再建された山門はケヤキ造りの楼門で永平寺最古の建物。
勅使門から、山門、中雀門そして七堂伽藍中心部の仏殿へと石段が繋がっている。

 山門前の中庭 14:35
山門(県指定有形文化財)
七堂伽藍の中で最も古い(1749年造立)、中国唐時代様式の楼閣門
 山門楼上「羅漢堂」(五百羅漢が祀られている)への階段
仏教の守護神である四天王が安置されている。
須弥山の中腹にある四天王天の四方に住む、仏法を守護する4体の護法神をいう。
山門の東側には持国天と多聞天、西側には広目天と増長天が祀られている。
外からくる悪魔を祓ってくれる。
直ぐそばで見ると迫力がある。
東方に持国天(提頭頼吒)
北方に多聞天(毘沙門)



西方に広目天(毘楼博叉)
南方に増長天(毘楼勒叉)


 中雀門(県指定有形文化財)仏殿から見る 15:04
中雀門は、山門と仏殿の中間に位置する。
入母屋造銅板葺の腰屋根を持つ二重門で、下層に幹唐破風を付し、彫刻装飾も多い。
様式からみて天保頃の再建と考えられる。

中雀門  山門から見る
鐘楼堂と唐門(後方)14:36
鐘楼堂は、鐘撞き堂のことで、1963年(昭和38年)に改築され、
除夜の鐘で有名な大梵鐘が吊るされている。
大梵鐘の重さは約5トン。朝・昼・夕方・夜の4回、修行僧が鐘を撞いている。
跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)
浴室 14:36
水により悟りを開いたという跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)が祀られている。
三黙道場(僧堂.東司、浴室)のひとつで、修行僧は入浴中も私語が禁じられている。
入浴は心身ともに清浄となる修行の一つ。

大庫院(だいくいん
1階・・・食事を作る「典座寮」とよばれる台所
2階・・・瑞雲閣(ずいうんかく)
3階・・・和室の150畳敷きの大広間「菩提座(ぼだいざ)伊藤彬画伯の襖絵あり
4階・・・知庫寮(ちこりょう)の倉庫で雲水の日常品等を保管
庫院
大庫院(だいくいん)
韋駄尊天(いだそんてん)
足の早い守護神が祀られている
大すりこぎ棒  14:39
大庫院(台所)前に、長さ4m・胴回り1mもの巨大なすりこぎが掲げてある。
食事作法そのものが修行という教え。触ると料理が上手になるという。
明治35年(1902)仏殿建立に使用された地突き棒を
丸めてスリコギに仕立てたもので、「永平寺のすりこぎ棒」として有名。
瑞雲閣(ずいうんかく)
大庫院の二階は「瑞展(ずいてん)」とも称される。
一般参籠者の宿泊に当てられる和室や応接間がある。


仏殿 
覚皇宝殿ともいう
 明治35年(1902年)改築
中国宋時代様式の二重屋根と、床は石畳の伽藍

仏殿
本尊の釈迦牟尼仏が祀られている。
向かって右側から過去・現在・未来の三世を表している。

階段回廊
日々の生活すべてが修行であるとの教えによって毎日磨かれている。
階段回廊床の換気口
承陽殿(じょうようでん)
明治14年の建築
本殿中央に道元禅師の尊像と霊骨を安置し、
左右に2代から5世までの尊像が祀られている。
日本曹洞宗の発祥の根源であり、曹洞宗の聖地ともいえる場所。
承陽殿内部
中央に掲げられた扁額「承陽」は、明治天皇の筆
承陽門 14:57
承陽殿に付随する門が承陽門、破風の細工
 法堂(はっとう)
 法堂
住持が法を説く道場、「法王法」の額が掲げられている。
聖観世音菩薩が祀られている。
現在は、説法の他に朝課などの法要儀式が行われている。
420畳敷き
聖観世音菩薩が祀られている
石段と回廊の格子
文殊菩薩が安置されている。
僧堂 
約90人が坐禅できる。




修行僧(雲水)の生活  
坐禅(ざぜん)
修行僧(雲水)の生活
朝課(ちょうか)、行鉢(ぎょうはつ)、作務(さむ)

【瑞世前日】
・瑞世師到着
・総受付処で到着手続(添書提出・報恩金の納入)
 瑞世恩金 50,000円、参籠志納   5,000円
・接賓の瑞世師寮ヘ:瑞世師は維行(いあん)(瑞世師行者)に導かれて瑞世師寮へ赴く
・瑞世師寮にて瑞世師客行(かあん)を待つ、客行に展坐具三拝、
 「御開山拝登並びに瑞世せ驚しゅう」と述ベ一拝、
 展待(梅湯・湯・茶)、瑞世到着帳に記入
・進退慣らし:基本進退、払子作法:導師は払子を持ってつとめる、
 導師焼香法、礼盤作法
・薬石(夕食)
・入浴:瑞世師は瑞世浴場にて入浴し
・午後九時開枕(就寝)

薬石(夕食) 17:10
五観の偈 
禅宗において食事の前に唱えられる偈文
曹洞宗にも食事(じきじ)作法というものがあり、
修行僧はその作法に則って食事をいただく。
五観の偈の解釈
 参禅および映画(法話) 18:20
入浴
就寝 21:00

8月29日(木曜):永平寺瑞世の式、總持寺祖院
真夜中に大雨が降った 1:55

午前4時起床、洗面と部屋整理
朝課、法話、瑞世随行には、すべて雲水が案内してくれた。
カメラや荷物を持たないで瑞世随行に参加した。

【瑞世当日】
「暁天坐禅」 ①起床、洗面、白衣、大衣、被著②瑞世師位にて暁天坐禅
        ③瑞侍の合図で帰寮④搭袈裟、機子を著け、坐具を持つ
        ⑤御上壇拝謁の版で承陽殿(道元禅師の御廟)ヘ
「御上壇拝謁」①承陽殿入殿②知客の案内で礼盤前ヘ③礼盤前で合掌問訊④進前焼香
        ⑤薫衣⑥御登壇⑦御上壇③御降壇
「朝課随喜」 ①大衆上殿〜上香普同三拝②光明蔵の請版三打に合わせ三拝③出堂
「請状授与式」①光明蔵へ入場②合掌問訊③御先導師入場④請状朗読⑤請状授与
        ⑥御先導師退場
「祝茶」   ①拝敷に著座②展待③展坐具、普同三拝④出場仏殿へ
「祝語諷経」 ①上殿②瑞世師、進前焼香③大展三拝④進前焼香⑤維那挙経、打茎三拝
        ⑥ 『般若心経』読誦⑦進前焼香③帰位⑨回向中、瑞世師三拝
        ⑩進前焼香⑪帰位⑫普同三拝⑬出堂承陽殿へと赴く
「高祖大師・二祖国師献粥諷」瑞世献粥諷経 ①上殿②進前焼香③大展三拝④進前焼香
        ⑤維那挙経、打茎三拝⑥進前焼香⑦回向中、瑞世師三拝⑧進前焼香
        ⑨帰位⑩普同三拝⑪出殿
「祝拝」   ①接賓ヘ②合掌問訊③普同三拝④触礼一拝
「朝参(さんちょう)」 監院寮(かんにんりょう)で行われる
「祝膳」   瑞世師寮でいただく
「記念写真」 記念写真は、到着時に瑞侍に申し込んでおく事
「下山の拝」 法衣に、絡子、機子を被著する、展坐具三拝、「下山、宜しゅう」と
       述べ一拝する、収坐具す

 『般若心経』と『大悲心陀羅尼』を読む
の3時半に起きて瑞世師としての朝が始まり、坐禅、
道元禅師と瑩山禅師の前で三拝、
本堂での朝のお勤め、仏殿と承陽殿にて導師としてお勤め
瑞世法要終了後記念撮影


法話

朝課 朝のお勤め
途中で雲水さんに連れられて瑞世法要に参加した。

朝食(粥座・しゅくざ) 7:55
瑞世師は「祝膳」として瑞世師寮でいただき、
随伴は吉祥閣の部屋でいただいた。
雨上がりの朝 8:37
雨上がりの永平寺
達磨大師図

瑞世法要終了後記念撮影
永平寺にて 8月29日 9:00
一緒に瑞世師として瑞世法要を務めた僧侶
5名一緒に務めたので、いろいろと動作を確認出来て良かったと言っていた。

禅の言葉









總持寺祖院
永平寺9:00~福井駅~福井IC~(北陸道)金沢東第二IC~(里山海道/県道60号~千里浜なぎさドライブウエイ)~羽咋~總持寺祖院~七尾~富山・小杉IC~(北陸道)~上越~(上信越道)~高崎~(関越道)~鶴ヶ島~(圏央道)~日の出IC~21:10自宅
帰路ルート
770km 乗車時間約10時間53分 11,590円

永平寺から福井駅まで瑞世師3名送ってから總持寺祖院に向かった。
途中で大雨になったりした。
千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ 11:18
千里浜にて 降ったり止んだりの天候
荒天でドライブ禁止
千里浜にて 11:19
日本海
千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ 11:20
能登手仕事屋にて 蕎麦@860  12:32

1321年瑩山禅師により開創された。
1898年(明治31年)4月13日の大火で開山廟所である伝燈院経蔵と
いくつかの小施設を除いた全山を焼失した。 
1905年(明治38年)再建されたが、火災以後の1911年(明治44年)7月に布教伝道の
本山として相応しい横浜市鶴見の地へ移転した。
移転するまで、実に590年の間、日本曹洞宗15000ヶ寺の根本道場として
発展してきた。

 永平寺を開いた道元禅師の時代には、
まだ日本曹洞宗の名称が用いられていなかったが、総持寺を開いた瑩山禅師は、
後醍醐天皇から「日本曹洞出世第一道場」の論旨をいただき、
以来ここが日本曹洞宗の中心道場となり、その基を作られたのが瑩山禅師であった。
こうした歴史的経緯から
永平寺開山高祖承陽大師道元大和尚
總持寺開山太祖常済大師瑩山大和尚
として、この二人を両祖と崇めており、
その関係は
「道元禅師は宗門の父であり、瑩山禅師は宗門の母である」とも表現されている。

明治44年(1911)に、鶴見總持寺ができて、本山としての地位は失われたが、
その後、大正、昭和の各時代にわたり、ここが能登祖院として再興された。




拝観受付付近  12:57
雨が降ったり止んだり
石川県輪島市門前町門前にある曹洞宗の寺院
山門 (国登録有形文化財) 12:58
空、無想、無作の三解脱に入るという意味から「三門」とも呼ばれる。総欅造り、高さ17.4m、間口20m、奥行き14.4m、昭和7年完成
楼上に観音、地蔵、五百羅漢を祀っている。
2007年3月25日に発生した能登半島地震によって甚大な被害を受けた。
山門の修復工事が2019年7月5日完了した。


経蔵 12:59
加賀六代藩主吉徳公より寄進、1743年建立
昭和42年石川県重要文化財指定
火災で唯一延焼を免れた伽藍
白の漆喰壁に配されたふたつの黒い花頭窓
経蔵説明板
経蔵 伝大士(ふだいし、497~569)
中国南北朝時代の在俗仏教者で輪蔵(りんぞう)を考案した。
経典を収めた八角の輪蔵(りんぞう)
334巻もの経典が収められている。
輪蔵の上部に加賀梅鉢紋(かがうめばちもん)の家紋
鐘鼓楼
伝燈院の門
伝燈院  13:08
瑩山禅師の御霊を祀る最高崇拝の中心の建物
伝燈院
放光院(納骨堂)
法堂(大祖堂) 13:10

法堂

正面に日本曹洞宗中興の太祖常済大師・瑩山禅師、
二祖大現宗猷国師・峨山韶碩禅師を祀っている。
大祖堂に隣接した畳敷きのトイレ  13:14
紫雲台

工事中  13:18
庭 工事中
仏殿 大きなしゃもじ  13:19
達磨大師 釈迦牟尼仏如来 大権修理菩薩
仏殿から香積台(韋駄天尊を安置している)へ  13:27
総受付、大調理場、配膳、浴場、東司を付属し總持寺を運営する中枢部
放光院(納骨堂)
僧堂(坐禅堂)選佛場
自己修行の坐禅を行う場所
僧堂(坐禅堂)

白山蔵(特別展)

1321年瑩山禅師により開創された

總持寺祖院 文化財、托鉢僧
總持寺祖院パンフレット

上信越道 妙高市新井PAあたり 雲になかに妙高山 17:41
上信越自動車道 高床山森林公園あたり 17:46

21:10自宅着、 全走行距離1,414km,