2010年10月11日月曜日

サイパン島最高峰タポチョ山(Mt.Tapotchao 473m)

20年ぶりにサイパン島を訪問
1990年9月 Hotel Nikko Saipan泊(現在Palms Resort Saipan)
2010年9月 FIESTA Resort & Spa 泊(Dai-Ichi Hotel から経営移転
)   

2010年9月28日(火曜)タポチョ山に4輪駆動車で行く。

FIESTA Resort & Spa 7階からタポチョ山を望む(東方向)

タポチョ山駐車場 14:00
ガラパン地区から車で約30分、未舗装の凸凹砂利道を超スローで進むが揺れで腰が痛くなる。
スコールの後では普通車は、登れないかもしれない。

登山路の途中にキリストの立像がある。

タポチョ山673mには駐車場から数分で着いた。 14:10
いろいろなアンテナが乱立していたが、
山頂からの360度の展望は素晴らしく、見渡す限り雲しかない太平洋やフイリピン海、 隣のテニアン島もまじかに見え、サイパン空港(アスリート飛行場)、ガラパン市街、マニャガハ島、 サイパン島全域が見渡せそうなところだった。


山頂からの眺めをパノラマ写真にしました。
(Microsoft Image Composite Editorにてstitch)

[画像をクリックすると別ウインドウで拡大します]

広島・長崎に投下した原子爆弾を積んで発進したテニアン島が見える。
「あれがテニアン飛行場辺りだ。死の谷はあの辺りだ。」と指さしている。

山頂には太平洋戦争時のサイパン島攻略の案内板がある。
アメリカ軍がレッドビーチから上陸して、1944年6月25日タポチョ山を攻略し、
7月7日残存日本軍約3000名が総攻撃(バンザイ突撃)して日本軍はほぼ全滅、
7月9日アメリカ軍がサイパン島を占領。
その後、B29の東京爆撃、エノラゲイによる原爆投下、1945年8月15日終戦となった。

B29は、当時としては火器管制装置が自動的に弾道計算し発砲したり
酸素マスク無しで1万メートル上空を飛行できる最先端の超長距離戦略爆撃機であった。

サイパン島は、マリンスポーツ等の観光地でもあるが戦争遺跡でもある。

タポチョ山攻略の案内板
案内板には、タポチョ山を「タッポーチョ山」と記されている。

アメリカ軍の死傷者658名、慰霊のキリスト像であろう。

下山時に強い日差しを避けるように日傘をさしたタポチョ山訪問者に会った。
9月のサイパンは平均気温27度、雨季なのでとても蒸し暑い。午前中強いスコールがあった。
紫外線も東京の3倍はあるという。

タポチョ山の後、聖母マリアの祠と砂糖王公園を訪れた。

砂糖王と云われる松江春次氏はサイパン島やテニアン島に製糖工場を作った
南洋興発株式会社の創設者であるが、
今は亡き義母が若い頃、南洋興発株式会社東京事務所に勤めていたので感慨深く見て廻った。
当時使用していた軽便汽車が公園に朽ちて置かれていたが、栄枯盛衰の思いがした。


軽便鉄道汽車(サトウキビ運搬)

2010年10月7日木曜日

マニャガハ島シュノーケリング

2010年9月27日
空から見たマニャガハ島(Managaha Island)
ナッツ入りチョコレート箱の写真から
9:00
FIESTA Resort & Spa BeachからManagaha Islandに行くBoatを待っている。
小さい椰子の浜の沖合にManagaha Islandが見える。

待っている間に記念撮影

9:40
予定時間より40分遅れてBoatが来た。
ここはChamorro Timeなのだ!

サイパン島の環礁内を高速ボートで約15分、
途中の海底に沈んだゼロ戦があるそうだが波のため良く見えなかった。

島全域が国立公園、 周囲1.5Km、入島税$5
マニャガハ」とはチャモロ語で「一時休息」という意味

白い砂浜、きれいな海に多くの熱帯魚、 静かな浅い環礁内の海、
環境保全のため島内宿泊禁止、夜は無人島になる。

M氏のビデオ撮影した海中動画から静止画を作成


熱帯魚の群れ

ゴーグルに眼鏡のレンズを取り付けて熱帯魚を見た

トゲチョウチョウウオ

イッテンチョウチョウウオ

スダレチョウチョウウオ

ムラサメモンガラ

ロクセンスズメダイ

オキザヨリ

熱帯魚が泳いでいる動画はM氏のURLを参照してください。
http://www.geocities.jp/masuki44/sangoshouframe.htm

おっと波が来た!! Mr.SS



12:00
島内のレストランで昼食
缶ビール$4.5 テリヤキバーガー$8 カレーライス$10

島一周1.5Km散歩、流木が砂浜に打ち上げられていた。
珊瑚礁の海の後方にサイパン島がみえる。

戦争で沈んだ輸送船

太平洋戦争中に使用していた日本軍の大砲や
防空壕などあり「軍艦島」と呼ばれていた。

1815年酋長アブルグがサイパン島に再移住
スコールでカメラレンズに水滴が付き白っぽくなった。

帰路、突然スコールがあったが直ぐ晴れた。
18:00
FIESTA Resort & Spa 8階から「雲に隠れた夕日」

9月27日はホテル内の中華料理Bundで夕食を食べたが、
前日の夕食は、M氏推薦のFIESTA Resort & Spa前にある「ココナツ亭」に行った。
夕撮り刺身が美味しいという
M氏知り合いの長年勤めているフイリピン出身の方と記念撮影

これが夕獲りの刺身とのこと
この焼きナス付き牛肉は美味しかった

とびっきり!サイパン5日間

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2010年9月26日から30日まで友人4人でサイパンに行ってきた。
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20年ぶりのサイパン訪問は観光客が以前より減っていた。
静かな自然が残る島でシュノーケリングや島内観光をしてきた。
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今回KNT Holidayを利用したのでガチャピンとムックのサイパンだ!縫いぐるみ
息子の嫁にあげたら喜んで貰ってくれた。
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デルタ航空DL297の予定出発時刻は10:25であったが、
機体の部品交換のため出発が約3時間遅れた

600円Meal Voucherがでたので昼食として「ワカメ梅干し蕎麦」を食べた。

テニアン上空 17:33

サイパン国際空港  17:36着陸 

空港はガラガラであったが入国審査にアメリカ入国と同じように
全指の指紋採取があったので少し時間が掛った。

サイパンは雨季でとても蒸し暑かった。 平均気温27度。
以前はDAI=ICHI HOTELであった「FIESTA Resort & Spa」には午後8時ごろ着いた。
*
27日はManagaha Islandにシュノーケリングに行ってきたので、
詳細は「マニャハガ島シュノーケリング」ブログを参照してください。

28日午前中、サイパンダバスに乗ってサイパン島北部の観光、 
チャモロ女性が日本語で観光案内をした。
出発 9:30


「バンザイクリフ」は、太平洋戦争敗走時に日本人が崖から「バンザイ」と言って

飛び込むのを米兵が聞いていたので「BANZAI CLIF」と名付けた。


バンザイクリフ周辺には多くの慰霊碑が立っていた。

この崖もスーサイドクリフ(SUICIDE CLIF)と名付けられた。

アメリカ軍艦からの砲撃で崖が崩れている。ここからも多くの日本人が飛び降りた。

ここに日本軍最後の司令部があった。
周辺に日本政府が建てた日本平和記念碑や韓国人記念碑、沖縄記念碑がある。


高射砲や戦車が当時のまま置かれている。


「バードアイランド」に行く途中、レンタカーと思われる車が観光バスの正面を走ってきて

観光バスに気付き急ハンドルを切り、スピンして右側の空き地に突っ込んだ。

幸い事故にならなかったが通行区分帯を勘違したのであろう。サイパンは右側通行である。

観光バスは「パウパウビーチ」に着いた。ここから遠くマニャガハ島が見えた。

この浜辺の北にMariana Resort & Spaがあり、
南隣に3年前運営終了したHotel Nikko SaipanがPalms Resort Saipanになっていた。

Palms Resort & Spaの正面の「ラ・フィエスタ」は閉鎖され寂れていた。


サイパンダは、サイパン観光振興のため電通が約1億円で請け負い創作したもの。
そのおかげで日本人観光客が増えて1億円以上の効果があったという。

免税店GALLERIA内のサイパンダ!    11:30

昼食は、以前「ココナツ亭」の経営者であった奥さんが新たに「島の幸・ひろ」

開業しているとの話を聞き食べに行った。 和風創作料理で美味しかった。

これは「キハダマグロのマヨネーズ焼き定食」$8


M氏はカレーライス大好き!


M氏と「ひろ」の栄子さんと息子の博紀さん

お店の名前は息子さんの名前から付けたとのこと。

夕食にも訪問し、本物の夕獲り刺身を食し、とても美味しかった。

食後に「ひろ」の前にあるアメリガンメモリアルパークを散歩した。

戦争記念館でサイパン攻略の映画を見たが史実に基づいた説明と思った。

館内展示品

B-29による東京爆撃写真

昼食後、FIESTA Resort & Spaに戻り、午後1時から
M.O.C Dive Centerの矢内さんの案内でタポチョ山に行った。
タポチョ山については「Mt.Tapotchao」ブログを参照してください。


一般の観光客があまり訪れない「聖母マリアの祠」に行った。
英語で「Santa Lourdes Shrine」と記されていた。

山の中にある静かなところで犬が地元の道をゆっくりと歩いていた。

マリア像の前で、長い尾をもった白い鳥が飛んで行くのを見た。
シラオネッタイチョウ」(白尾熱帯鳥)かな?

砂糖王公園はガラパン地区にあり最近整備され彩帆香取神社もある。
この立像はサイパン島、テニアン島に製糖工場を創設した
南洋興発株式会社の「松江春次」氏である。

松江春次(1878-1954)  会津出身


公園に当時使用していたサトウキビ運搬用の軽便鉄道の汽車が置いてあった。


朽ち果てたままの汽車を見ると栄枯盛衰の思いがする。
今は亡き義母が若いとき南洋興発株式会社新橋事務所に勤めていたこともあり
感慨深く公園を散歩した。
現在はサイパン島にもテニアン島にもサトウキビ畑も工場も無い。

夕食は「島の幸・ひろ」で夕獲り刺身や魚肉餃子、カツオの竜田揚げなど食べた。


29日は朝早くからM.O.C Dive Center木村さんの案内で3か所のビーチを訪れた。
誰も居ないタンクビーチ (サイパン島中央東側ビーチ)

ここにも要塞が残っていた。
丸いのは大砲の台座
下の写真が大砲の弾薬庫
部屋の天井に丸い穴がある 。

これは海岸線にある掩蔽壕(えんぺいごう)・海岸の防衛拠点
周りの石を組み立てたもの

ここから上陸してくる敵兵を撃つようになっていたが
この浜からは米軍は上陸しなかったとのこと。

この浜に来た目的は、星砂採集である。 9:15
生きている星砂を浅瀬に入って藻ごと摘みとる。

星砂約2mm 原生生物である有孔虫 寿命約1.5年
波で流されないように星状になっていて藻に絡みつく。
有機質である原型質が分解されると丈夫な骨格(炭酸カルシューム)が残る。

サイパン島南端のオブジャンビーチ (Obyan Beach) 11:28
誰もいないきれいなシュノーケリングスポットでありダイビングポイントでもある。

たくさんのいろいろな熱帯魚が珊瑚礁の中で泳いでいた。
駐車場の車上荒らしを防ぐため、マリアナ政府観光局に雇われた監視員が一人いた。

海岸を覆っている蔓草は「ハマヒルガオ」である。
青い朝顔に似た花が咲いていた。

Obyan Beachからサイパン島北西Mariana Resort & Spa 近くのWing Beachに来た。12:00
レストランでバイキング形式の昼食をした。$15 ($8)
M.O.C Dive CenterはMariana Resort & Spa 内にある。

ダイビング用空気ボンベがたくさん置いてあった。


昼食後、Wing Beach約2時間シュノーケリングを行った。 13:00

戻ってくると屋根のところに「ナンヨウショウビン 」(南洋カワセミ」が留まっていた。
英語で「Collared Kingfisher」という。
「1日3度見ると幸せになれる」と誰かが言ったが、その場で仕事している人は、
「何度も見ているが、まったく幸せになっていない」と言っていた。

翌日30日の朝、FIESTA Resort & Spa 7階から樹木に留まっていた
ナンヨウショウビンをデジタル望遠で撮影したがぼけていた。

サイパンでも絶滅危惧種に指定されているノニの木

地面に落ちたノニの実、あちこち落ちていた。

つぶしたノニの実には硬い種がたくさん入っていた。
木の実は油っぽく、変な匂いがする。この油が肌に良いとチャモロ人は言っていた。
しかし健康促進作用があるとか糖尿病に良いとか高血圧に良いとか言っているが
医学的データは殆どない民間薬とのことらしい。真偽のほどは判らない。

サイパン島にはココナツヤシの木が多い。
海岸には落ちた実から芽を出したものがたくさんある。

青いココナツの実を割って飲むココナツジュースの味はイマイチだが
中の若い白い柔らかいココナツを山葵つき醤油で食べると、
ホンマグロの味がしてとても美味しかった。

珊瑚礁の海岸にも波風に負けず根を張り生きている木があるのだ!
逞しく生きていく生命体があるのだ。

これはパパイヤの木である。

これは火炎樹(Flame Tree)の実なのだ。
6月には赤い花が咲き南洋桜とも呼ばれている。

「サイパン島に咲いていた花」

香りのよい夾竹桃科のプルメリア

きれいなデザートローズ (アデニウム)

温かい感じの アラマンダ

あでやかな サンタンカ (イクソラ)


9月 29 日もフィリピン海に陽が沈む  18:00

FIESTA Resort & Spa 8階から見た夕日はきれいだ!

しかしサイパンは国として現在斜陽だ。
夕食前にラウンジでワインを給仕してくれたのは23歳のハバロフスク出身のロシア女性であった。
朝食時はフイリピン女性が給仕してくれた。

サイパンの人口約79,000人のうち外国人が約70%を越える。
フイリピン人が44%の35,000人、チャモロ人が25%の20,000人、中国人が15%の12,000人、
ミクロネシア人6,000人、韓国人2,000人、日本人1,000人、アメリカ人ロシア人他3,000人とのこと。

サイパンは北マリアナ諸島連邦で米国の自治領になっているが、

近々アメリカ合衆国の準州に近々なる予定。

しかしいろいろと問題があり延び延びになっているようだ。

北マリアナ諸島近くで嘗て米国は、核実験を行ったので住民の不満を抑えるためか

米国は補助金を現地人にばらまいた。


そのため現地のチャモロ人達はアメリカの補助金を貰い、

フードスタンプ(食事補助金券)を貰って生活していたので働かなくてもよかった。

それで農業や漁業が衰退した。

そのため現在、観光以外の産業が無い、農業も漁業も殆ど無い、

そしてほぼ全てのものを輸入に頼っている。

米国の準州にしてもグアムのように軍事基地があるわけでないので米国の利益にならない。

米国の経済的負担になるだけでなく、

準州になればサイパンの70%以上の外国人がアメリカ国籍になる可能性を心配しているともいう。

テニアン島のように平らな土地であれば米軍基地建設も可能かもしれないが。

嘗てのようにサトウキビで特産砂糖かラム酒を作ったら産業として成り立つだろうか?

現地人は、農業や漁業、観光だけで経済的に自立ができるだろうか?

観光を推進するにも、環境保全が必要でごみ処理や下水処理、上水整備、電力事情の改善と

やるべきことがたくさんありそうだ。

サイパンにあった日本経営のホテルは中国系や韓国系資本に安く買い取られている。
まだ日本人観光客は約7割というが、今回のサイパン旅行でも韓国人や中国人を多く見かけた。
サイパンは、韓国人や中国人が大勢訪れるようにして観光立国していくのが良いかもしれない。

日本人は、豊かな自然が残るテニアン島やロタ島にマリーンスポーツをしに行くようになるのだろうか?

28日「ひろ」で夕食をしている時、隣の席にいた可愛いお嬢さん達が同じFIESTA Resort & Spa の7階に宿泊しているという偶然もあり29日の夕食を一緒にすることになった。

29日の夕食は、Country House RestrauntにてBeef Steakを楽しむ。

レア焼きBeefSteakはとても柔らかく 美味しかった。

FIESTA Resort & Spa 前でホテルボーイさんが撮影 20:48
個性あるバラバラの姿勢が面白い

30日帰国の日、1日中雨降り、午後1時ホテル出発
前方のSchool BUSが停車したときは、追い抜いてはいけない規則があるらしい。
バスの中でデルタ航空 DL297 出発遅延の連絡が入る。
予定出発時間15:25  実際の出発時間20:00

成田空港到着予定時間17:55 実際は22:00 遅延約4時間

駐車場から自動車を受け取り帰宅したのは10月1日午前2時30分



「なんでこんな飛行機に乗ってしまったのか?運が悪い?

デルタ航空の成田サイパン線で往路は約3時間部品交換で出発遅延した。
帰路も約4時間遅延した。

往路には600円相当の食事券がでた。
帰路は食事券が無く、マイレージとして2500マイルの申請書をUSAデルタ航空に
切手を貼って出せば加算してやるとのこと。面倒だな~。

帰路の遅延理由は、飛行機のクルーが手違いでアサインされていなかったとのことで
他から連れてくるのに時間が掛った。
日本の航空会社の管理体制からみれば驚くべきことだ。

それだけだったら、「デルタ航空にもう乗りたくない」と思わなかったが、
乗客乗務員が乗って飛行機が動き出した時、
突然、照明や空調、エンジンが完全にストップして真っ暗になった。

1分後位して非常灯が点灯し「現在調査中です」というアナウンスだけあった。

しばらくするとエンジンが再起動し「機体の到着が遅れました」という理由で飛び立ったので、」
「この機体に慣れていないクルーが操作間違いをしたのだろう、大丈夫かな?」と話しあっていた。

30日は、サイパンも日本も雨天のせいか航路の気流状態が悪く、
機体が長い時間揺れて食事もかなり遅くなって出てきた。

客室乗務員も出発遅延と機体の揺れでイライラしていたようで
食事を給仕している時もなんだか粗雑な感じであった。

でも雨天の成田空港に22時過ぎ無事着陸した。
それから車を受け取り高速道路で仲間3人を家まで送り、午前2時半ごろ帰宅した。

旅行はいろいろなことがあって、いろいろな経験をするのが面白いが、
あまり不安になるようなことは経験したくない。

でも旅行は、エピソードがあるから楽しい。