2012年7月13日金曜日

2012年6月12日[火曜日) 敦煌市周辺観光

敦煌賓館新八楼

敦煌賓館部屋
 朝食(バイキング) 8:07
 朝食後のコーヒー 8:28

敦煌賓館新八楼 壁画
陽関
西域交通南ルートのでの要所
敦煌には西域へ向かう関所が陽関と玉門関の2つある。
陽関は南の関(南を陽と言う)である。
玉門関は北の関である。
 6月5日の洪水で流された道路を迂回-1

  6月5日の洪水で流された道路を迂回-2
 陽関のポプラ並木

 楊
 陽関博物館入口
 陽関博物館 陽関烽燧からの望む
 陽関の狼煙台を望む

陽関烽燧
 陽関の先は西域  茫漠たる沙漠が広がる。
唐代の詩人王維の詩「送元二使安西」
渭城朝雨潤輕塵 (渭城の朝雨輕塵を潤し)
客舎青青柳色新 (客舎青青柳色新たなり)
勸君更盡一杯酒 (君に勧む更に盡せ一杯の酒)
西出陽関無故人 (西のかた陽関を出ずれば故人無からん)

法顕伝:
「沙河中、しばしば悪鬼・熱風が現れ、これに逢えばみな死んで一人も無事な者はいない。
空には飛ぶ鳥もなく、地には走る獣もいない。
行路を求めても見わたすかぎり拠り処がなく、ただ死人の枯骨を標識とするのみ」
 陽関の先、西域の沙漠(パノラマ写真) Su氏撮影

陽関烽燧 (陽関の狼煙台)   狼煙台のみが残され立入禁止の柵で保護されている。

 陽関博物館入口から 陽関狼煙台まで電気自動車で移動する。

西千仏洞
西千仏洞は洮河の北岸に造られた石窟である。
莫高窟の西側に位置することから西千仏洞と名付けられた。
北魏、西魏、北周、隋、唐、五代、回鶻支配期、元などあるが、初期のものが残っている。
敦煌から西方約35km、車で25分。

西千仏洞(GoogleMapより)
洞窟入口はコンクリートで補修されて周囲と合うように砂利が貼り付けてある。
駐車場から崖の中腹にある西千仏洞に降りて行く。

砂利交じりの崖

 高さ約20m、長さ約170mに渡って石窟が並んでいる。
全体が補修してある。
崖の高さ約60m、東西約300m。現存は19石窟、下流に3石窟ある。
交代で6窟が公開されている。
甘粛省敦煌莫高窟研修院西千仏洞管理所の管理人が各洞窟の鍵を開閉していた。

 
西千仏洞は撮影禁止であるので、HP「道をゆく ~シルクロードと遍路道~」から転写した。
観無量寿経変(上の壁画の部分) 吐蕃支配期(781~848)
観無量寿経変(上の壁画の部分) 吐蕃支配期(781~848)

白馬塔 および 敦煌市内
 白馬塔
4世紀「前秦」、鳩摩羅什(350年~409年・西域の訳経僧)が、
亀茲国(きじこく)・現在クチャより連れてきた白馬の供養塔。
鳩摩羅什が訳した「妙法蓮華経」は名訳、他に大品般若経、坐禅三昧経、阿弥陀経等ある。
古代の仏塔のスタイルとは違う。
現存の塔は、清時代に修復されたチベット仏教式の塔。

  白馬塔の敷地に生えていた「ラクダグサ」
駱駝は棘のあるラクダグサの若芽を食べる。

 白馬塔の参道の土産店が並ぶ

 白馬塔の案内板は、中国語、日本語、英語で説明している。


敦煌市の交差点に
背中の後ろに琵琶をまわして演奏する「反弾琵琶」という飛天像があった。
非常に難しい演奏という。

敦煌の市場にて(干し果実等)

敦煌の市場にて(果物類、マンゴウ、ドリアンもあった)

敦煌の市場にて(野菜類)

敦煌の市場にて(ナマズ)

敦煌の市場にて(ハミウリ、スイカ)

敦煌賓館

敦煌賓館 15:42
炎天下の鳴沙山には夕方行くことになり、ホテルで約2時間休息。

敦煌賓館近くの街路樹

鳴沙山・月牙泉(げっがせん)
 JTB旅物語参加者全員(17名) 鳴沙山にて記念撮影 17:32

鳴沙山(パノラマ写真) Su氏撮影

鳴沙山 17:36

鳴沙山より360度を見る(合田氏撮影2012年6月12日午後6時ごろ)風強し
下方:月牙湖  後方:敦煌市  周辺:砂漠

月牙泉
月牙泉が砂に埋もれないのは、ここが風の通り道で砂を山に吹き上げているからだと言う。
3000年以上埋もれないと言う。
自然とはそのようなものかもしれないが、人工的な要因で干上がらないことを願う。
 月牙泉
約長さ218m、約幅54m、平均深さ約5m

月牙泉 澄んだ水 (小魚が泳いでいた)

月牙泉周辺の地下水観測点、風速計、温湿度計
毎日6㌧の水量が絶え間なく湧き続けていると言う。

楼閣(復元されて土産店になっている)

駱駝に乗って記念撮影

帰路は駱駝に乗って

Su氏の影 (JTB添乗員写真コンテスト1位)

鳴沙山の夕暮れ 19:00