2024年11月12日火曜日

東京国立近代美術館、三井記念美術館

2024年11月8日
東京国立近代美術館で開催中の企画展「ハニワと土偶の近代」と、
三井記念美術館で開催中の特別展「バーミアン大仏の太陽神と弥勒信仰」を見にいった。

「ハニワと土偶の近代」は、考古学の資料として扱われていた出土遺物の美的な価値が
「発見」され、美術を中心に、文化史の舞台に躍り出た「出土モチーフ」の系譜を
明治時代から現代にかけて、ハニワや土器、土偶に向けられた視線の変遷を探り、
埴輪や土偶ブームの背景を考えるさせる展示会であった。
入館料一般1,800円、音声ガイド650円
犬の植木鉢 岡本太郎 1954年
滋賀県立陶芸の森陶芸館所蔵

「バーミアン大仏の太陽神と弥勒信仰」は、
バーミヤン遺跡の石窟に造営された、東西2体の大仏を原点とする「未来仏」である
弥勒信仰の流れをインド・ガンダーラの彫刻と
日本の法隆寺など奈良の古寺をはじめ各所に伝わる仏像、仏画等の展示
イスラム原理主義組織・タリバンによって破壊された大仏の壁画を、
調査時のスケッチと写真から作成した再現図を初公開していた。
70歳以上の入館料1,200円
弥勒菩薩交脚像 ガンダーラ 2~3世紀
平山郁夫シルクロード美術館所蔵

東京国立近代美術館
竹橋と毎日新聞社 10:41
東京国立近代美術館と警視庁第一機動隊出入口 10:42
「ハニワと土偶の近代」パンフレット
埴輪ブームはなぜ起こったか?埴輪の美は何時から認識され始めたか?
埴輪が描かれた作品をどのように見てきたか?
過去の人々の鑑賞を現代の我々が鑑賞することで、当時の作品がどのように受け取られていたか?その時代の考え方や社会の在り方が見えてくる。
「好古と考古」:江戸時代からの古物愛好の趣味と明治時代の考古学との同居。

東京国立近代美術館遺跡出土品(縄文・弥生時代) 11:01
東京国立近代美術館の足元に先史・古代の遺物が眠っていた。
国立歴史民俗博物館蔵
大ノ人形ノ図(正面)
実物大土偶スケッチ 佐藤蔀 明治20年(1887)頃
遮光器土偶 考古図譜より(弘前大学北日本考古学研究センター)
西津軽郡舘岡村(亀ヶ岡石器時代遺跡)
埴輪群像図
好古家であった蓑虫山人(みのむし さんじん)
陸奥全国古陶之図(1882-87年) 蓑虫山人 弘前大学北日本考古学研究センター 11:03
自ら集めた土器や土偶と調度品を文人画風にした掛け軸。記録的な側面も見られる。
埴輪スケッチ「丹青雑集」より(1878年) 五姓田義松 團伊能旧蔵コレクション
左:土師師の始祖・野見宿禰図(1884) 川鍋暁斎 好古家・松浦武四郎記念館所蔵
右:武州比企郡大谷村掘出埴輪物スケッチ
仏像の足元が仏像の足元のように描かれている。
土師師の衣装も奈良時代風だったりと埴輪に対する認識もまだ曖昧な様子がうかがえる。
埴輪(1916)都路華香 京都国立近代美術館
「日本」を堀りおこす 神話と戦争と
近代国家形成において、ハニワは「万世一系」の歴史の象徴となり、
特別な意味を持つようになった。
各地で出土した遺物が皇室財産として上野の帝室博物館に選抜収集されるようになると、
ハニワは上代の服飾や生活を伝える視覚資料として、
歴史画家の日本神話イメージ創出を助ける考証の具となった。
考古資料としてではなく、ハニワそのものの「美」が称揚されるようになるのは、
1940年を目前にした皇紀2600年の奉祝ムードが高まる頃、日中戦争が開戦し、
仏教伝来以前の「日本人の心」に源流を求める動きが高まった時期であった。
単純素朴なハニワの顔が「日本人の理想」として、
戦意高揚や軍国教育にも使役されていきました。
居醒泉(大正~昭和) 安田靫彦
日本武尊(ヤマトタケル)
ヤマトタケルが倒れている絵(服装がハニワによる服飾考証による)
円形古墳図(大正時代) 五姓田芳柳 東京国立博物館
上古時代女子図・上古時代男子図(1930)杉山寿栄男 東京国立博物館 
埴輪や建国神話の図像が大衆に浸透していった。
モダニストたちのハニワ愛好展示 11:19
右:はにわの人(1939) モダンアートを志す画家・小野里利信 東京都現代美術館所蔵
埴輪は抽象美術・円をモチーフにした作品
戦時中になると様々な統制を受け始め、単純な形態で抽象絵画にも通じる埴輪をモチーフに作品を描かれるようになった。この時代になって、埴輪そのものが美的対象として捉えられるようになった。
草薙剣(1941) 中村直人 静岡市立登呂博物館
玉(たま)(1944) 後藤誠一 
戦意高揚に資するものという課題があった戦時特別文展出品作 
建国神話に登場する神武天皇の母・玉依姫を想起させる。
物資不足のため乾漆となることでハニワの空洞の眼になった。
天兵神助 1943年 蕗谷彩色 新発田市所有
航空兵が埴輪のような古代の兵士によって救われている様子を描いたピエタ風の戦争画。
戦時中:戦意高揚と軍国主義のシンボルとして利用された埴輪
中国との間で戦争状態になると、仏教伝来以前の日本古来の姿が求められるようになり、
埴輪は軍国主義のプロパガンダに使われるようになった。
難民群 1941年 清水登之 栃木県立美術館
埴輪の部屋 1942年 桑原喜八朗 戦没画学生慰霊美術館・無言館
右:埴輪 稲田三郎 
埴輪をキュビズムで表現した作品
詩「埴輪」 1952年6月 谷川俊太郎「二十億光年の孤独」 
童心座女 1948年 後藤清一 茨城県近代美術館
たつろう 1950年 佐藤忠良 佐川美術館
陽に浴びて 1958年 森山朝光 茨城県近代美術館
戦後復興のイメージを託した新・埴輪像
左:はにわ 1962年 榎戸庄衛 茨城県近代美術館
中央:土器と埴輪 1959年 馬淵聖 和歌山県立近代美術館
右:壺とはにわ 1959年 清水武次郎 和歌山県立近代美術館
企画展「ハニワと土偶の近代」展示室
土師部 1955年 羽石光志 栃木県立美術館
埴輪作成中の土師部の姿
左:埴輪(婦人) 1954年 斎藤清 やないづ町立斎藤清美術館
中央:土偶(B) 1958年 斎藤清 やないづ町立斎藤清美術館
右:ハニワ(J) 1969年 斎藤清 やないづ町立斎藤清美術館 
帽子をかぶった男 古墳時代(6世紀頃) 京都国立博物館蔵
埴輪盾持男子像 古墳時代 京都国立博物館蔵
左:クビ 1962年 勅使河原蒼風 一般社団法人草月会(群馬県立館林美術館寄託)
右:ミコ 1965年 勅使河原蒼風 一般社団法人草月会(千葉市美術館寄託)
「縄文」か「弥生」か  伝統を掘り起こす
「戦後・復興期」縄文か弥生かの論争、焼け跡から伝統を掘り起こす。
敗戦後の占領下、皇室史観から脱却のため実証的で科学的な学問としての考古学が脚光を浴びるようになった。岡本太郎やイサム・ノグチといった西洋美術を学んだ芸術家によって
古い時代の造形美が見いだされ、やがて戦後の文化的シンボルを巡り建築・美術にかかわる人々の間で縄文的と弥生的という二項対立の伝統論争が湧きおこった。
左奥:はにわ 1953年 建畠覚造 和歌山県立近代美術館
左前:練込志野縄文花器 1956年 国立工芸館
右奥:海辺 1951年 堀内正和 神奈川県立近代美術館
右前:犬の植木鉢 1954年 岡本太郎 滋賀県立陶芸の森陶芸館所蔵
左奥:歩行 1957年 八木一夫 京都国立近代美術館
左前:焼締花器 港 1954年 国立工芸館
右奥:呪術者 1961年 辻普堂 京都国立近代美術館
右前:土偶 野武士 1957年 鈴木治 和歌山県立近代美術館
左奥:備前燈籠 1956年 金重陶陽 個人蔵(岡山県立美術館寄託)
左前:テラコッタB 1954年 和歌山県立近代美術館
中央:旅 1950年 イサム・ノグチ 瀬戸市美術館
右前:土偶型花器 1950年 宇野三吾 滋賀県立陶芸の森陶芸館
右奥:ハニワ型花器 1950年 宇野三吾 滋賀県立陶芸の森陶芸館
かぶと 1952年 イサム・ノグチ 一般財団法人草月会(千葉市美術館寄託)
イサム・ノグチ
無題 石器時代土偶による 1948年 
長谷川三郎 学校法人甲南学園長谷川記念ギャラリー
埴輪、土器写真フイルム 1950年 藤本四八 飯田市美術博物館
矛盾の橋 1954年 高山良策 板橋区立美術館
企画展「ハニワと土偶の近代」展示室

「縄文」か「弥生」か?
岡本太郎と伝統論争
岡本太郎による生け花 1952年 岡本太郎 川崎市岡本太郎美術館
顔(表) 1952年 岡本太郎 川崎市岡本太郎美術館
顔(裏) 1952年 岡本太郎 川崎市岡本太郎美術館

日本人の自覚を ほりだしにもどる となりの遺物
「ハニワと土偶」という問題群は、地中のみならず、
私たちのすぐ身の回りに埋蔵され、確実に今日へと連なっている。
卓上の静物 1962年 武者小路実篤 たましん美術館
大魔神 1960年 高山良策 ストライプハウスギャラリー
70年代、80年代を通して広く大衆へ浸透していった埴輪や土偶は、SF・オカルトブームと合流し、特撮や漫画などで考古遺物から生まれたキャラクターが登場、埴輪や土偶のモチーフは、無意識のうちに内面化していった。
美的モチーフとして作品に落とし込まれた埴輪や土偶の姿から見えてくるのは、
常に時代に翻弄されてきた埴輪の姿である。
富士のDNA 1992年 タイガー立石 courtesy of ANOMALY
古墳のある風景 1987年 衣真一郎 作家蔵
大和古墳群、脳内古墳マップ
皇太子さまご結婚式 
1959年1月16日東京新聞 田附勝 courtesy of GALLERY SIDE2
紙面上に土器片 撮影2018年7月30日東京渋谷区

皇居 12:50
東京国立近代美術館から
皇居 12:50

常設展示場
常設展示場 13:06
常設展示場 13:06
絵画詩(おお!あの人やっちゃったのね)1925年 ジョアン・ミロ(1893-1983)
森田良子コレクション
ソロモン海域に於ける米兵の末路 1943年 藤田嗣治 無期限貸与
血戦ガダルカナル 1944年 藤田嗣治 無期限貸与
常設展示場 13:25
「おーい!はに丸」1983年 劇団カッパ座蔵 13:32
左:ひんべえ、右:はに丸 1983-1989年NHK教育放送
埴輪の王子「まに丸」とお供の馬「ひんべえ」が現代の言葉を学ぶ幼児向け教育番組。
埴輪のイメージが大衆化し、キャラクターとして愛されるようになった。
竹橋、毎日新聞社、住友商事竹橋ビル 13:34
エンジュの果実 マメ科エンジュ属
パレスサイドビルレストラン街 13:42
まる竹「庵」にて昼食 
しらす丼セット冷蕎麦1,100円+生ビール594円
日本橋 14:47
日本橋 14:48
日本橋麒麟像 14:50
日本橋が全国の道路の始点であることにちなんで日本橋から飛び立つようなイメージを
加えるために翼のついた麒麟像が設置されることになった。
東京市道路元標(日本国道元標) 14:51
三越 14:55

三井記念美術館
三井記念美術館 14:58
三井記念美術館開設にあたって
日本橋と三井
重要文化財 三井本館
建設当時の特徴がみられる諸室
展示室前室は白色系の塗装壁になっている。
三井記念美術館前室 15:02
特別展「バーミアン大仏の太陽神と弥勒信仰」
特別展「バーミアン大仏の太陽神と弥勒信仰」
西大仏と弥勒信仰
バーミアン遺跡と東大仏の太陽神

特別展「バーミアン大仏の太陽神と弥勒信仰」は写真撮影禁止であったため
以下三井記念美術館URLより引用した。
バーミアン遺跡全景
アフガニスタンの首都・カーブルから西北西に約120km、標高2500mの高地にある。
約1.3kmにわたる崖には、東西に高さ38mの「東大仏」と
高さ55mの「西大仏」がそびえ立ち、800近い石窟群が掘られてた。
バーミヤンの地は、6世紀頃から交通の要所となり、
多様な人々や文化が行き交い独自の文化が生まれ、「文明の十字路」とも称されていた。
https://note.com/mahaktyo/n/ne43d73ca9f7c
爆破後の東大仏と西大仏(2002年)
東大仏龕天井壁画 描き起こし図(部分)2022年
龍谷ミュージアム
東大仏の頭上には、ゾロアスター教の太陽神・ミスラの姿、
一方西大仏の周囲には、弥勒が住まう兜率天の様子が描かれていた。
重要文化財 玄奘三蔵像 鎌倉時代
東京国立博物館

弥勒の上生・下生信仰を説いた「弥勒六部経」のほか、
「法華経」類には弥勒が住む兜率天への往生と、
阿弥陀如来が住む阿弥陀浄土への往生が説かれている。
弥勒の信仰・造像に影響を与えた経典や、
様々な弥勒の像容を収めた図像などを展示していた。
弥勒菩薩立像 3~4世紀
弥勒菩薩立像 鎌倉時代
和歌山・霊現寺 和歌山県立博物館
重要文化財 弥勒菩薩半跏像 白鳳時代・天智5年(666)
大阪・中野寺
弥勒菩薩像 南北朝時代・14世紀
奈良・法隆寺
重要文化財 弥勒菩薩画像集 平安時代・12世紀
京都・仁和寺

東京駅 16:34
東京駅 16:34
秋川駅前 飛魚出汁ラーメン「太公望」
濃口醤油ラーメン 850円