2025年8月11日月曜日

府中市内の遺跡

2025年8月7日(木) 府中市遺跡および展示館見学
同期入社の3人で、府中市の遺跡や展示館、博物館などを訪れた。
真夏の遺跡見学だったため、遺跡では他の見学者とほとんど会わなかった。
(1)国史跡 武蔵府中熊野神社古墳(国内最古の上円下方墳)
(2)武蔵府中熊野神社古墳展示館(石室復元展示室)
(3)高倉古墳群・高倉塚古墳
(4)武蔵国府関連遺跡(武蔵国衙跡)
(5)大國魂神社
(6)府中市立ふるさと府中歴史館
(7)浅間山公園・浅間山前山遺跡
(8)郷土の森公園・府中市郷土の森博物館
見学を終えた後、はま寿司で冷たいビールやノンアルコールビールを飲み、早めに帰宅した。

国史跡 武蔵府中熊野神社古墳と熊野神社 9:41
国内最古最大の上円下方墳

コース
秋川駅(集合9:00)8:55・・(新奥多摩海道、国道20号線17.7km44分)・・9:39国史跡武蔵府中熊野神社古墳(国内最古の上円下方墳)~~9:50武蔵府中熊野神社古墳展示館(石室復元展示室)10:20・・(御猟場道1.6km6分)・・10:32高倉塚古墳10:35・・(鎌倉街道1.8km6分)・・10:52武蔵国府跡10:56~~10:57大國魂神社~~11:10府中市立ふるさと府中歴史館11:26~~11:31横浜家系ラーメン 府中大和家12:00・・(小金井街道、国道20号線、新小金井街道3.0km11分)・・12:16浅間山公園~~浅間山前山遺跡12:55・・(新小金井街道/都道248号線、多摩川通り2.5km9分)・・13:22郷土の森公園~~府中市郷土の森博物館15:30・・(多摩川通り、甲州街道/都道256号線、新奥多摩街道、睦橋通り、旧五日市街道22.6km63分)・・16:45はま寿司秋川店17:45・・Su宅・・18:00自宅(走行距離60.0km)

費用
交通費:走行距離60.0km/9.7km/l*160円/l=987円/3人
府中市郷土の森博物館入園料:300円
横浜家系ラーメン 府中大和家(AZism)塩ラーメン:970円
はま寿司秋川店(ビール、寿司など):6,688円/3人

2025年8月7日(木)
熊野神社 9:39
熊野神社 9:39
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳と熊野神社 9:40
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳と熊野神社 9:41
墳丘に石が葺かれたものとしては、国内最古の上円下方墳である。
1段目が約32mの方形、2段目が約24mの方形、3段目が直径約16mの円形を表す。
3段築成の古墳で、高さは復元高で約6mである。
墳丘の表面は、2段目・3段目の全面に石がふかれ、1段目の外周に切石が並べられていた。
墳丘の中心部に、3室からなる複室構造の切石積横穴式石室があり、石室下には掘り込み地業が行われている。石室の切石は、表面を滑らかにする細かな仕上加工が施されていた。
平成17年7月14日、国の史跡に指定され、平成30年10月15日に追加指定された。

国史跡 武蔵府中熊野神社古墳 9:41
三段構造(1段目、2段目が正方形、3段目が円形)
1段目の一辺は32m、2段目の一辺は23m、上円部直径16m、高さ約6m
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳 9:42
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳 9:43
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳 9:44
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳 9:44
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳説明板 9:44
武蔵府中熊野神社古墳説明板
武蔵府中熊野神社古墳説明板
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳の石室入口 9:47
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳にて 9:48
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳にて 9:48
熊野神社境内 9:49
武蔵府中熊野神社古墳展示館(石室復元展示室)へ 9:49
武蔵府中熊野神社古墳展示館(石室復元展示室) 9:50
武蔵府中熊野神社古墳展示館 9:51
武蔵府中熊野神社古墳展示館リーフレット
武蔵府中熊野神社古墳展示館リーフレット
石室復元展示室 9:58
石室復元展示室 9:59
石室復元展示室 10:00
石室復元展示室の天井 10:00
墳丘土層標本 10:02
武蔵府中熊野神社古墳の盛土のようす
はぎ取り土層の説明 版築工法
武蔵府中熊野神社古墳展示館 10:03
武蔵府中熊野神社古墳の石室切石、葺石、貼石
上円下方墳の造られた時代
武蔵府中熊野神社古墳:飛鳥時代・7世紀・古墳時代終末期~奈良時代初期
写真で見る古墳の調査
発見から復元まで
①調査前(1997年)~⑨復元(2009年)
石室のようす、入口の復元
出土した遺物
鞘尻金具、ガラス玉、環金具、鉄釘
鞘尻金具
七曜文(しちようもん)の銀象嵌が施された鞘尻(さやじり)金具。
築造年代は、墳丘の構築状況や石室の形状などから7世紀の中頃と考えられる。
先進文化
出土した鞘尻金具は、鉄製の地金に銀で模様が付けられている。
七曜文は国産初の「富本銭」にもみられるだけで、他には見られない。
被葬者像
当時の文献や記録、出土品には人の名につながるものは無かった。
ここに葬られた人物は、武蔵国内を代表する有力者の一人であったと推察される。
復元整備の計画と考え方
武蔵府中熊野神社古墳は、平成17年(2005)に国の史跡に指定された。
平成19年(2007)に保存・整備事業が決定した。
保存にあたっては、古墳全体を造られた当初の姿に復元することになった。
同じ場所に復元するため、元の古墳の上にかぶせる形になった。
失われていた部分は、残存部や他の古墳を参考にした。
墳丘の復元に用いた葺石は多摩川から採取できないため、
山梨県の早川と群馬県の吾妻川の河原石を使用した。
高度な土木技術
「堀り込み地業(地盤改良工事)」「版築構造」
「墳丘部に河原石で葺く」「大小の切り石」など
計画的な設計
数学的な知識に基ずく設計がされている。
上円下方墳
国内では4基の上円下方墳が確認されている。
①野地久保古墳(福島県白河市)、②清水柳北1号墳(静岡県沼津市)、
③石のトアカラ古墳(奈良県奈良市・京都府木津川市)、
④武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市)4基の中で最大・最古の上円下方墳

武蔵府中熊野神社古墳と府中市内の遺跡 10:06
御嶽塚古墳、高倉古墳群、武蔵国分寺跡・関連遺跡、武蔵国府関連遺跡・武蔵国衙跡、
白糸台古墳群、天神町遺跡、新町遺跡、浅間山前山遺跡、熊野公園遺跡、
朝日町遺跡、朝日町神明台遺跡、飛田給北遺跡
府中の古墳
武蔵府中熊野神社古墳
古墳時代の竪穴住居跡と古墳の分布
古墳巡り
武蔵府中熊野神社古墳、高倉塚古墳、御嶽塚古墳
府中市周辺の古墳と古代の遺跡
府中崖線沿いに6世紀前半から7世紀前半に造られた御嶽塚古墳や高倉古墳群がある。
武蔵府中熊野神社古墳が築かれて間もなく敷設された東山道武蔵路や
奈良時代初期に設置された武蔵国の国府と中頃に創建された武蔵国分寺がある。
府中市付近の地形図
府中市の地形は古多摩川によって形成された河岸段丘である。
多摩丘陵(A)、多摩川、多摩川沖積地(ハケ下)海抜約40m、府中崖線(ハケ)平均高度6~7m、立川丘陵(ハケ上)海抜約40m、浅間山(標高約80m)、立川丘陵海抜約70m、野川、国分寺崖線(ハケ)、武蔵野丘陵(海抜約80m)
御嶽塚16号墳出土円筒埴輪 10:16
6世紀前半制作
高倉古墳群出土埴輪、白糸台古墳群出土埴輪 10:16
府中市内の埴輪の分布 10:17
埴輪年表
*武蔵府中熊野神社古墳は埴輪のない時期の古墳

府中市史跡 高倉塚古墳 10:32
古墳時代後期の古墳
京王線分倍河原駅西方を中心に広がる27基の高倉古墳群のなかで
墳丘が現存している数少ない古墳の一つである。
中世以降には,信仰の対象となって手厚く保護されてきた。
今までの発掘調査では、墳丘の構築法が判明し、
墳丘下層からは6世紀前半とされる土師器杯が出土している。
なお、付近の古墳群からも土器・直刀・鉄鏃・玉類が出土しており、
学術的にも貴重な古墳となっている。
特に昭和の初めに出土した、銀象嵌太刀および太刀四振りは、
平成6年2月に市の重宝に指定されている。
高倉古墳群説明書
高倉塚古墳 10:32
高倉塚古墳説明板 10:32
府中崖線(ハケ)の斜面上に広がる周辺に、27基の古墳が確認されている。
これらは高倉古墳群と呼ばれている。
このうち墳丘が残っているものは5基ある。
この高倉塚古墳は高倉塚古墳群の中心に位置する。
高倉塚古墳 墳丘部 10:32
高倉塚古墳 10:32
高倉塚古墳 10:33

武蔵国府関連遺跡(武蔵国衙跡)・大國魂神社へ
京所道(きょうづみち) 10:52
左:大國魂神社、右:武蔵国衙跡
国史跡 武蔵国衙跡(むさしこくがあと)武蔵国衙跡地区 10:52
国史跡指定:平成21年7月
府中市史跡指定:平成18年3月
国史跡 武蔵国衙跡 10:52
武蔵国衙(こくが)跡説明板 10:53
奈良時代から平安時代の約400年間、武蔵国を治めた役所の所在地を国府という。
その中核の役所群が置かれたところを国衙(こくが)という。
府中の地名は、「国府の中」から生まれた。
武蔵国衙跡周辺の調査状況
国史跡 武蔵国衙跡 10:54
この下に古代遺跡が眠っている  武蔵国衙跡
発掘調査
古代武蔵国の中心地
遺跡を残して後世に伝える
掘立柱と柱穴 断面表示 10:54
保護盛土の真下に掘立柱遺構がある。
古代武蔵国府パンフレット
古代武蔵国府パンフレット
国史跡 武蔵国衙跡 10:56
大國魂神社
大國魂神社境内 相撲場 10:57
大國魂神社境内 参道 10:57
「第62回府中市商工まつり」7/30~8/12 準備中
7/30~8/12「第62回府中市商工まつり」に関する駐車場閉鎖のお知らせ 10:58
大國魂神社のモミノキと隋神門 11:00
大國魂神社宝物殿 11:00
大國魂神社のしだれ桜と中雀門 11:00
大國魂神社中雀門 11:01
大國魂神社本殿 11:01
厄除け・厄払いは東京府中の大國魂神社
大國魂神社本殿 11:01
大國魂神社鼓楼 11:01
大國魂神社参道 11:02
京所道(きょうづみち) 10:03
甲州街道が開設(1648~52年)されるまで初期の甲州への道として重要な役割を果たした。
京所は府中市宮町2~3丁目にあった集落の中心地で、六所宮(大国魂神社)の社領であった。
大國魂神社結婚式場 11:09
府中市立ふるさと府中歴史館 11:10
府中市立ふるさと府中歴史館 11:10
昭和42年(1967)に市立図書館、郷土館として建てられたもので、
建物の外観はそのままに、内部をリニューアルした複合施設
1階:国府資料展示室・公文書史料室・資料庫
2階:くらやみ祭り展示室・宮町図書館、3階:事務室

石器を携えた狩人 
旧石器時代(約3万年~約1万3000年前)
多彩な造形の文化 
縄文時代(約1万3000年~約2400年前)
縄文土器 11:12
右:浅鉢 縄文時代中期(約5000年前) 本宿町遺跡
中央:深鉢 縄文時代中期(約4800年前) 白糸台遺跡
左:器台 縄文時代中期(約5000年前) 清水が丘遺跡
浅鉢 縄文時代中期(約5000年前) 本宿町遺跡
深鉢 縄文時代中期(約4800年前) 白糸台遺跡
器台 縄文時代中期(約5000年前) 清水が丘遺跡
深鉢 縄文時代中期(約4800年前) 清水が丘遺跡
深鉢 縄文時代中期(約4800年前) 清水が丘遺跡
磨製石斧 縄文時代中期(約4500年前) 清水が丘遺跡
石鏃 縄文時代中期(約5000~4500年前) 清水が丘遺跡・本宿町遺跡など
低地の開拓者 
弥生時代(約2400年前~約1750年前)

くらやみ祭り展示室(2階)
くらやみ祭 11:20
昭和の祭
くらやみ祭り展示室 11:21
くらやみ祭りパンフレット
くらやみ祭りパンフレット
くらやみ祭りパンフレット
江戸時代のくらやみ祭
武蔵府中くらやみ祭
武蔵国の総社と六所宮、くらやみ祭りを支える人々
六所といわれる神社
二之宮:二宮神社 東京都あきる野市
絵巻 府中囃子 11:22
大國魂神社参道 11:26
横浜家系ラーメン 府中大和家 11:31
横浜家系ラーメン 府中大和家 11:35
塩ラーメン 970円
冷やしまぜそば 1000円
横浜家系ラーメン 府中大和家
夏限定メニュー 冷やしまぜそば

ライスと海苔とスープ 美味しい食べ方 11:45

府中の名木百選「大國魂神社のケヤキ(大鳥居前)」 11:55
大國魂神社前交差点前
府中市観光案内 11:56

浅間山公園臨時駐車場 12:16
浅間山公園 12:18
浅間山公園 12:18
浅間山公園 12:19
浅間山は多摩の台地が古多摩川などで削られるなか、小高い丘として残った。
堂山(約80m)、中山、前山と合わせて3つの頂を持つ山である。
浅間山公園 | むさしのの都立公園
東京都立武蔵野公園サービスセンター
浅間山公園関東の富士見百景 12:21
今日は残念ながら富士山は曇っていて見られなかった。
浅間山公園関東の富士見百景より展望できる山々
浅間山公園前山(標高72.8m) 12:25
浅間山公園前山遺跡 12:26
大見四郎の墓石
「ここは鎌倉時代末期から南北朝時代 にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡と伝えられる
 平成二年三月 府中市教育委員会」と記されている。
浅間山からは、人見が原合戦場 を一望に見渡すことができる。
正平7年(1352)に、新田義興・義宗らが 足利尊氏と人見が原・金井原一帯で合戦した。
この時代に活躍したのが人見四郎である。
人見氏は埼玉県大里郡を本拠とする武蔵7党の内の猪俣党の人見氏と云われ 、
浅間山の麓に一族が来ていたとされる。 近くには、旧村名「人見村」がある。
人見街道は府中から人見村、三鷹等 を経由して大宮まで行く。
近く(東京都府中市若松町4/5丁目)に縄文時代の浅間山公園前山遺跡がある。
浅間山公園前山、中山を経て堂山へ 12:39
浅間山公園堂山(79.6m)と浅間神社 12:40
浅間山公園堂山(79.6m)と浅間神社 12:40
浅間山からの眺め 12:40
浅間神社 12:41
浅間山(堂山)三角点(標高79.6m)12:43
浅間山にて 12:43
浅間山にて 12:44
ムサシノキスゲ ユリ科ワスレナ属 12:45
ニッコウキスゲの変種、花形はノカンゾウ型である。
自生地はここ浅間山だけである。
ムサシノキスゲの調査研究現場 12:48
浅間山自然保護会
ムサシノキスゲの調査研究に取り組んでいる標識 12:49

府中市郷土の森博物館駐車場 13:22
府中市郷土の森博物館 13:22
入園料300円(なぜか大人の休日俱楽部会員は150円)
府中市郷土の森博物館リーフレット
府中市郷土の森博物館リーフレット
府中市郷土の森博物館モニュメント 「蔵」速水史郎作 13:28
「情報の蔵」という意味合いがあり、その守護神として石彫を置いた。

府中市郷土の森公園
旧府中町立尋常高等小学校、旧府中青年学校 13:30
府中学校看板
学校系統図(1)明治6年
学校系統図(2)明治14年
学校系統図(3)明治25年
学校系統図(4)明治33年
旧府中町立尋常高等小学校玄関 13:31
詩人村野四郎記念館へ
詩人 村野四郎記念館 13:39
村野四郎の詩の仲間 
村野四郎 芭蕉との邂逅(かいこう)
 村野四郎リーフレット
 村野四郎リーフレット
 村野四郎パンフレット
村野四郎パンフレット
村野四郎パンフレット
村野四郎パンフレット
教室風景 13:56
島田薬舗(旧島田家住宅 店蔵) 14:00
 旧府中町役場庁舎 14:00
奥:府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)

府中市指定文化財 ハケ上の農家・旧河内家住宅 14:00
浅間山近くの人見街道沿いにあった代表的な畑作農家。
江戸時代後期の建造だが養蚕が盛んに行われた明治時代後期の姿に復元した。
旧所在地:府中市若宮町3-34
ハケの茶屋 14:01
ハケの茶屋 14:01
ハケの茶屋にてアイスクリームと葛湯で休息 14:06
ハケ下の湧水 (ハケ下の流れ) 14:14
冷たくて美味しかった
未来へつなぐ水と緑のふるさと府中 14:15
府中市制50周年記念樹 平成16年11月3日 府中市
萩のトンネル 14:16
簓子下見板張り 14:23
蔵の取り外し可能な外装仕上げ板、腰板ともいう。

府中市郷土の森博物館

府中市郷土の森博物館エントランス 14:48
府中市郷土の森博物館リーフレット
府中市郷土の森博物館リーフレット
くらやみ祭パンフレット
くらやみ祭パンフレット
くらやみ祭パンフレット

ムラのはじまり
100万年前は海だった!
人類が住み始める100万年前は関東平野の大部分は海であった。
100万年前の海岸線
貝化石
府中市是政の多摩川の河原の地層から見つかった化石
現在の府中市は旧多摩川がつくった河岸段丘
ムラができた!
武蔵台遺跡:約3万5000年前の旧石器時代の遺跡
清水が丘遺跡・本宿町遺跡:約5000年前の縄文時代の遺跡
2万年前の海岸線と4000年前の海岸線
2万年前は氷河期、4000年前は温暖化の海進で海岸線が陸地側に移動した。
旧石器時代の石器
材料:チャート、水晶、黄色碧玉、黒曜石 
約2万5000年前 武蔵台遺跡出土
 約2万年前の石器(寿町)と約2万3000年前の石器(武蔵台遺跡)
左:槍先型尖頭器 旧石器時代・約2万年前 武蔵台遺跡出土
中央:細石刃 旧石器時代・約1万8000年前 多摩蘭坂遺跡出土
右下:有舌尖頭器 旧石器~縄文時代草創期・約1万6000年前 武蔵国府関連遺跡出土ほか
右上:府中で一番古い縄文土器 縄文時代草創期・約1万3000年前 本宿町遺跡出土
縄文時代早期の土器
深鉢 縄文時代 日吉町遺跡出土
槍先に付けた石器
5500年前の縄文土器と縄文時代の鏃(武蔵台遺跡)
縄文時代の石斧(栄町出土)と縄文時代の石器(武蔵台遺跡)
5500年前の縄文土器(武蔵台遺跡)
縄文時代の土偶(本宿町遺跡)、アクセサリー(清水が丘遺跡・本宿町遺跡・武蔵台遺跡)
縄文時代のピアス(清水が丘遺跡)
縄文時代の土偶(本宿町遺跡)
縄文中期の土器
コウモリ形の釣り手土器 縄文時代中期・約5000年前 武蔵台東遺跡出土
鍬の形をした石器 
縄文時代中期・約5000年前 武蔵台遺跡出土
深鉢 縄文時代中期 加曾利E式土器 清水が丘遺跡19号住居跡出土
まじないの道具(土偶の頭)縄文時代中期・約5000年前 本宿町遺跡
まじないの道具(土偶の頭)縄文時代中期・約5000年前 本宿町遺跡
まじないの道具(土偶の頭)縄文時代中期・約5000年前 武蔵台東遺跡
まじないの道具(土偶の足)縄文時代中期・約5000年前 本宿町遺跡
まじないの道具(石棒)縄文時代中期・約5000年前 武蔵台遺跡

弥生土器 弥生時代前期・約2400年前 日吉町遺跡出土
人骨を納めた壺 弥生時代 日吉町遺跡出土

古墳時代の土師器 古墳時代前期・4世紀 清水が丘西遺跡出土
古墳に供えられた土器(白糸台2号墳出土)
古墳から出土したアクセサリー(高倉10号墳ほか出土)
古墳に供えられた土器(白糸台2号墳出土)
村落首長たちの墓
御嶽塚古墳群、高倉古墳群
古墳から出土した土師器 古墳時代後期・6世紀 高倉3号墳出土
古墳に立てられた円筒埴輪 古墳時代後期・6世紀 御嶽塚16号墳出土
国史跡 熊野神社古墳パンフレット
国内最古の上円下方墳
国史跡 熊野神社古墳パンフレット
国史跡 熊野神社古墳パンフレット
国史跡 熊野神社古墳パンフレット
熊野神社古墳模型
刀の鞘の先端 
鞘尻金具 古墳時代末期・7世紀 熊野神社古墳出土
鞘尻金具 墳時代末期・7世紀 熊野神社古墳出土
鞘尻金具 墳時代末期・7世紀 熊野神社古墳出土
井戸から出土した土師器・須恵器 武蔵国府関連遺跡(府中町)出土
国府が設置された頃の多量の土器が捨てられていた。

奈良時代 国府が置かれた!
奈良時代・650年頃に珍しい上円下方墳の熊野神社古墳がつくられ、地域の中心になってきた。
700年ころ、武蔵国の範囲も決められ府中には武蔵国の中心とした国府が置かれた。
国府 マチの始まり
奈良時代の瓦 武蔵国府関連遺跡出土
武蔵国府国衙域出土の群名瓦・塼
奈良時代の瓦に押された文字をみて地名をあててみよう! 武蔵国21郡

橘樹郡(たちばなぐん)の瓦
古代の文房具 武蔵国府関連遺跡出土
平安時代の土器 武蔵国府関連遺跡出土
古代のお金 武蔵国府関連遺跡出土
武蔵国司 巨萬朝臣福信(展示説明員)
ただいま企画展「古代国司と国司館」で活動中
企画展「古代国司と国司館」パンフレット
企画展「古代国司と国司館」パンフレット
国府のマチ復元模型 14:57
国衙(こくが)
多磨郡の寺と役所 15:12

国衙と多磨寺 14:58
国衙の隣には「多磨寺」と呼ばれた寺院があった。
国府が執行する仏教儀礼の場として利用した。
多磨寺 
「多寺」の文字がある瓦
「府中」になった!
1185年(文治元年)、鎌倉に幕府が開かれ、府中と鎌倉は鎌倉街道上道で結ばれた。
1333年(弘元3年)、府中で分倍河原合戦があり、間もなく鎌倉幕府は滅びた。
この時代には商業や手工業も発展し、町は「府中」と呼ばれるようになった。
海を渡って来た焼き物 武蔵国府関連遺跡出土
中国製の白磁、青磁、釉薬陶器など
東海地方でつくられた土師器、奈良三彩陶器、都の近くでつくられた土師器 
武蔵国府関連遺跡出土
藤原京に運ばれた物品の荷札(藤原京跡出土)、平安京に運ばれた物品の荷札(平安京跡出土) 
須恵器 武蔵国府関連遺跡出土
国府のマーケット、秤の錘 説明図
武器武具、木工具、鍛冶道具 武蔵国府関連遺跡出土

埼玉でつくられた土師器 武蔵国府関連遺跡出土

国司たちの宴
陶製の硯、「国」「南曹」と書かれた須恵器、ベルトの飾り 武蔵国府関連遺跡出土 

郡の名を記した瓦や塼 武蔵国府関連遺跡出土 

板碑などの展示 15:04
板碑などの展示
鎌倉街道に立つ板碑
9万枚の銭が詰まった甕
室町時代・11世紀 武蔵国府関連遺跡出土
大國魂神社の参道の傍らで発見された。
国指定重要文化財 阿弥陀如来立像 弘長元年(1261) 上染谷八幡神社
六所宮に伝わった仏像
分倍河原合戦
1333年(弘元3年)、新田義貞軍と鎌倉幕府軍が激突した。
幕府はこの戦いで敗れ、一気に滅亡へ向かった。

変わりゆく府中 14:59
変わりゆく府中 15:00

柏屋 
1848年本陣をつとめ、明治天皇の休泊所にもなった
変わりゆく府中 15:03

府中市郷土の森博物館中庭 15:23
オブジェクト「魂」 速水史郎作
隕石(鉄隕石) 15:28
キャニオン・ディアブロ(アメリカ) 1891年
八王子隕石を記録した日記「県居井蛙録(あがたいせいあろく)」
1817年(文化14年)12月29日午後2時頃落下
八王子隕石説明板

はま寿司秋川店 16:45
はま寿司秋川店 17:35
はま寿司秋川店 17:35
生ビール、寿司7皿/1人、ラーメンなど:6,688円/3人

はま寿司秋川店17:45・・Su宅・・18:00自宅(走行距離60.0km)