2025年8月7日(木) 府中市遺跡および展示館見学
同期入社の3人で、府中市の遺跡や展示館、博物館などを訪れた。
真夏の遺跡見学だったため、遺跡では他の見学者とほとんど会わなかった。
(1)国史跡 武蔵府中熊野神社古墳(国内最古の上円下方墳)
(2)武蔵府中熊野神社古墳展示館(石室復元展示室)
(3)高倉古墳群・高倉塚古墳
(4)武蔵国府関連遺跡(武蔵国衙跡)
(5)大國魂神社
(6)府中市立ふるさと府中歴史館
(7)浅間山公園・浅間山前山遺跡
(8)郷土の森公園・府中市郷土の森博物館
見学を終えた後、はま寿司で冷たいビールやノンアルコールビールを飲み、早めに帰宅した。
国内最古最大の上円下方墳
コース
秋川駅(集合9:00)8:55・・(新奥多摩海道、国道20号線17.7km44分)・・9:39国史跡武蔵府中熊野神社古墳(国内最古の上円下方墳)~~9:50武蔵府中熊野神社古墳展示館(石室復元展示室)10:20・・(御猟場道1.6km6分)・・10:32高倉塚古墳10:35・・(鎌倉街道1.8km6分)・・10:52武蔵国府跡10:56~~10:57大國魂神社~~11:10府中市立ふるさと府中歴史館11:26~~11:31横浜家系ラーメン 府中大和家12:00・・(小金井街道、国道20号線、新小金井街道3.0km11分)・・12:16浅間山公園~~浅間山前山遺跡12:55・・(新小金井街道/都道248号線、多摩川通り2.5km9分)・・13:22郷土の森公園~~府中市郷土の森博物館15:30・・(多摩川通り、甲州街道/都道256号線、新奥多摩街道、睦橋通り、旧五日市街道22.6km63分)・・16:45はま寿司秋川店17:45・・Su宅・・18:00自宅(走行距離60.0km)
費用
交通費:走行距離60.0km/9.7km/l*160円/l=987円/3人
府中市郷土の森博物館入園料:300円
横浜家系ラーメン 府中大和家(AZism)塩ラーメン:970円
はま寿司秋川店(ビール、寿司など):6,688円/3人
2025年8月7日(木)
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳と熊野神社 9:41
墳丘に石が葺かれたものとしては、国内最古の上円下方墳である。
1段目が約32mの方形、2段目が約24mの方形、3段目が直径約16mの円形を表す。
3段築成の古墳で、高さは復元高で約6mである。
墳丘の表面は、2段目・3段目の全面に石がふかれ、1段目の外周に切石が並べられていた。
墳丘の中心部に、3室からなる複室構造の切石積横穴式石室があり、石室下には掘り込み地業が行われている。石室の切石は、表面を滑らかにする細かな仕上加工が施されていた。
平成17年7月14日、国の史跡に指定され、平成30年10月15日に追加指定された。
1段目の一辺は32m、2段目の一辺は23m、上円部直径16m、高さ約6m
武蔵府中熊野神社古墳展示館(石室復元展示室) 9:50
武蔵府中熊野神社古墳展示館 9:51
石室復元展示室 9:58
石室復元展示室 9:59
石室復元展示室 10:00
石室復元展示室の天井 10:00
墳丘土層標本 10:02
武蔵府中熊野神社古墳の盛土のようす
はぎ取り土層の説明 版築工法
武蔵府中熊野神社古墳展示館 10:03
①調査前(1997年)~⑨復元(2009年)
鞘尻金具、ガラス玉、環金具、鉄釘
出土した鞘尻金具は、鉄製の地金に銀で模様が付けられている。
七曜文は国産初の「富本銭」にもみられるだけで、他には見られない。
当時の文献や記録、出土品には人の名につながるものは無かった。
ここに葬られた人物は、武蔵国内を代表する有力者の一人であったと推察される。
武蔵府中熊野神社古墳は、平成17年(2005)に国の史跡に指定された。
平成19年(2007)に保存・整備事業が決定した。
保存にあたっては、古墳全体を造られた当初の姿に復元することになった。
同じ場所に復元するため、元の古墳の上にかぶせる形になった。
失われていた部分は、残存部や他の古墳を参考にした。
墳丘の復元に用いた葺石は多摩川から採取できないため、
山梨県の早川と群馬県の吾妻川の河原石を使用した。
「墳丘部に河原石で葺く」「大小の切り石」など
武蔵府中熊野神社古墳と府中市内の遺跡 10:06
御嶽塚古墳、高倉古墳群、武蔵国分寺跡・関連遺跡、武蔵国府関連遺跡・武蔵国衙跡、
白糸台古墳群、天神町遺跡、新町遺跡、浅間山前山遺跡、熊野公園遺跡、
朝日町遺跡、朝日町神明台遺跡、飛田給北遺跡
武蔵府中熊野神社古墳
府中市周辺の古墳と古代の遺跡
府中崖線沿いに6世紀前半から7世紀前半に造られた御嶽塚古墳や高倉古墳群がある。
武蔵府中熊野神社古墳が築かれて間もなく敷設された東山道武蔵路や
奈良時代初期に設置された武蔵国の国府と中頃に創建された武蔵国分寺がある。
府中市の地形は古多摩川によって形成された河岸段丘である。
多摩丘陵(A)、多摩川、多摩川沖積地(ハケ下)海抜約40m、府中崖線(ハケ)平均高度6~7m、立川丘陵(ハケ上)海抜約40m、浅間山(標高約80m)、立川丘陵海抜約70m、野川、国分寺崖線(ハケ)、武蔵野丘陵(海抜約80m)
古墳時代後期の古墳
京王線分倍河原駅西方を中心に広がる27基の高倉古墳群のなかで
墳丘が現存している数少ない古墳の一つである。
中世以降には,信仰の対象となって手厚く保護されてきた。
今までの発掘調査では、墳丘の構築法が判明し、
墳丘下層からは6世紀前半とされる土師器杯が出土している。
なお、付近の古墳群からも土器・直刀・鉄鏃・玉類が出土しており、
学術的にも貴重な古墳となっている。
特に昭和の初めに出土した、銀象嵌太刀および太刀四振りは、
平成6年2月に市の重宝に指定されている。
高倉塚古墳 10:32
高倉塚古墳説明板 10:32
府中崖線(ハケ)の斜面上に広がる周辺に、27基の古墳が確認されている。
これらは高倉古墳群と呼ばれている。
このうち墳丘が残っているものは5基ある。
この高倉塚古墳は高倉塚古墳群の中心に位置する。
高倉塚古墳 10:32
高倉塚古墳 10:33
武蔵国府関連遺跡(武蔵国衙跡)・大國魂神社へ
武蔵国衙(こくが)跡説明板 10:53
奈良時代から平安時代の約400年間、武蔵国を治めた役所の所在地を国府という。
その中核の役所群が置かれたところを国衙(こくが)という。
府中の地名は、「国府の中」から生まれた。
大國魂神社境内 相撲場 10:57
大國魂神社参道 11:02
京所道(きょうづみち) 10:03
甲州街道が開設(1648~52年)されるまで初期の甲州への道として重要な役割を果たした。
京所は府中市宮町2~3丁目にあった集落の中心地で、六所宮(大国魂神社)の社領であった。
昭和42年(1967)に市立図書館、郷土館として建てられたもので、
建物の外観はそのままに、内部をリニューアルした複合施設
1階:国府資料展示室・公文書史料室・資料庫
旧石器時代(約3万年~約1万3000年前)
右:浅鉢 縄文時代中期(約5000年前) 本宿町遺跡
中央:深鉢 縄文時代中期(約4800年前) 白糸台遺跡
浅鉢 縄文時代中期(約5000年前) 本宿町遺跡
弥生時代(約2400年前~約1750年前)
くらやみ祭り展示室(2階)
塩ラーメン 970円
夏限定メニュー 冷やしまぜそば
府中の名木百選「大國魂神社のケヤキ(大鳥居前)」 11:55
大國魂神社前交差点前
浅間山は多摩の台地が古多摩川などで削られるなか、小高い丘として残った。
堂山(約80m)、中山、前山と合わせて3つの頂を持つ山である。
浅間山公園 | むさしのの都立公園
東京都立武蔵野公園サービスセンター
東京都立武蔵野公園サービスセンター
大見四郎の墓石
「ここは鎌倉時代末期から南北朝時代 にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡と伝えられる
平成二年三月 府中市教育委員会」と記されている。
浅間山からは、人見が原合戦場 を一望に見渡すことができる。
正平7年(1352)に、新田義興・義宗らが 足利尊氏と人見が原・金井原一帯で合戦した。
この時代に活躍したのが人見四郎である。
人見氏は埼玉県大里郡を本拠とする武蔵7党の内の猪俣党の人見氏と云われ 、
浅間山の麓に一族が来ていたとされる。 近くには、旧村名「人見村」がある。
人見街道は府中から人見村、三鷹等 を経由して大宮まで行く。
近く(東京都府中市若松町4/5丁目)に縄文時代の浅間山公園前山遺跡がある。
ニッコウキスゲの変種、花形はノカンゾウ型である。
自生地はここ浅間山だけである。
府中市郷土の森博物館駐車場 13:22
府中市郷土の森博物館 13:22
入園料300円(なぜか大人の休日俱楽部会員は150円)
府中市郷土の森博物館モニュメント 「蔵」速水史郎作 13:28
「情報の蔵」という意味合いがあり、その守護神として石彫を置いた。
府中市郷土の森公園
奥:府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)
府中市指定文化財 ハケ上の農家・旧河内家住宅 14:00
浅間山近くの人見街道沿いにあった代表的な畑作農家。
江戸時代後期の建造だが養蚕が盛んに行われた明治時代後期の姿に復元した。
旧所在地:府中市若宮町3-34
冷たくて美味しかった
府中市制50周年記念樹 平成16年11月3日 府中市
蔵の取り外し可能な外装仕上げ板、腰板ともいう。
府中市郷土の森博物館
ムラのはじまり
府中市是政の多摩川の河原の地層から見つかった化石
清水が丘遺跡・本宿町遺跡:約5000年前の縄文時代の遺跡
2万年前は氷河期、4000年前は温暖化の海進で海岸線が陸地側に移動した。
材料:チャート、水晶、黄色碧玉、黒曜石
約2万5000年前 武蔵台遺跡出土
中央:細石刃 旧石器時代・約1万8000年前 多摩蘭坂遺跡出土
右下:有舌尖頭器 旧石器~縄文時代草創期・約1万6000年前 武蔵国府関連遺跡出土ほか
右上:府中で一番古い縄文土器 縄文時代草創期・約1万3000年前 本宿町遺跡出土
槍先に付けた石器
5500年前の縄文土器と縄文時代の鏃(武蔵台遺跡)
縄文時代の土偶(本宿町遺跡)、アクセサリー(清水が丘遺跡・本宿町遺跡・武蔵台遺跡)
縄文時代の石斧(栄町出土)と縄文時代の石器(武蔵台遺跡)
5500年前の縄文土器(武蔵台遺跡)縄文時代の土偶(本宿町遺跡)、アクセサリー(清水が丘遺跡・本宿町遺跡・武蔵台遺跡)
鍬の形をした石器
縄文時代中期・約5000年前 武蔵台遺跡出土
まじないの道具(土偶の頭)縄文時代中期・約5000年前 本宿町遺跡
まじないの道具(土偶の頭)縄文時代中期・約5000年前 本宿町遺跡
まじないの道具(土偶の足)縄文時代中期・約5000年前 本宿町遺跡まじないの道具(石棒)縄文時代中期・約5000年前 武蔵台遺跡御嶽塚古墳群、高倉古墳群
国府が設置された頃の多量の土器が捨てられていた。
ただいま企画展「古代国司と国司館」で活動中
国府が執行する仏教儀礼の場として利用した。
1185年(文治元年)、鎌倉に幕府が開かれ、府中と鎌倉は鎌倉街道上道で結ばれた。
1333年(弘元3年)、府中で分倍河原合戦があり、間もなく鎌倉幕府は滅びた。
この時代には商業や手工業も発展し、町は「府中」と呼ばれるようになった。
中国製の白磁、青磁、釉薬陶器など
板碑などの展示
室町時代・11世紀 武蔵国府関連遺跡出土
大國魂神社の参道の傍らで発見された。
分倍河原合戦
1333年(弘元3年)、新田義貞軍と鎌倉幕府軍が激突した。
幕府はこの戦いで敗れ、一気に滅亡へ向かった。
オブジェクト「魂」 速水史郎作
1817年(文化14年)12月29日午後2時頃落下
はま寿司秋川店17:45・・Su宅・・18:00自宅(走行距離60.0km)