2025年10月9日木曜日

小平市 国指定 鈴木遺跡(旧石器時代)他

2025年9月27日(土) 小平市鈴木遺跡および展示館見学
同期入社の3人で、小平市の鈴木遺跡資料館、江戸東京たてもの園、立川市歴史民俗資料館などを訪れた。見学を終えた後、スシロー福生店で冷たいノンアルコールビールを飲み、マグロ寿司など食べ早めに帰宅した。
(1)鈴木遺跡資料館
約3万8千年前から1万6千年前の旧石器時代の鈴木遺跡の遺物類が展示されている施設。
鈴木遺跡は、1974年鈴木小学校建設の際に発見され、2021年3月に国史跡の指定を受けた。
(2)江戸東京たてもの園
失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で
都立小金井公園内に設置された野外博物館。東京都江戸東京博物館の分館。
(3)立川市歴史民俗資料館
旧石器、縄文時代が向郷遺跡の遺物展示や立川市の歴史や文化、自然風土に関する知識と理解を深めるため、昭和60年12月1日に開館した。

鈴木遺跡出土の局部磨製石斧と打製石器 10:57
鈴木12文化層南117BL出土(黄褐色ローム層)
最古の文化層・後期旧石器時代初め(約38,000年前)
局部磨製石斧は、世界的に見ても最古に属し、旧石器時代に磨製技術が存在したことを証明する貴重な石器である。また、鈴木遺跡は、礫群・石器製作場・たき火址など発見され学術研究を行ううえで重要な位置を占めるようになった。

鈴木遺跡~3万年前の生活 鮮やかに~
朝日新聞 東京風土記  2014.6.17

コース
秋川(自宅)9:00・・(1.8km5M)・・Su氏宅・・(8.1km23M)・・Se氏宅・・10:22鈴木遺跡展示館11:17~11:19小平市立鈴木小学校11:21・・12:00小金井公園~12:17そば茶屋さくら(昼食)12:33~12:35江戸東京たてもの園屋内展示室13:05~(休息)~13:30江戸東京たてもの園屋外展示場14:50・・16:00立川市歴史民俗資料館16:35・・17:00スシロー福生店17:56・・Se氏宅・・Su宅・・19:10自宅(走行距離73.9km)
行程
国指定史跡 鈴木遺跡周辺航空写真(GoogleMap)

費用 約4,000円
交通費:走行距離73.9km/16.0km/l*163円/l≒753円/3人(251円/人)
江戸東京たてもの園入園料(65歳以上):200円
そば茶屋さくら(ざるそば):500円
スシロー福生店(Zeroビール、生ビール、寿司など):9,180円/3人(3,060円/人)

2025年9月27日(土)
鈴木遺跡資料館 10:22
武蔵野台地のほぼ中央、石神井川源流谷頭部を馬蹄形に囲んで形成された後期旧石器時代の遺跡の各種の剥ぎ取り標本や出土遺物の保存、公開を行っている。
https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/072/072847.html
鈴木遺跡は、昭和49年(1974年)6月に、現在の鈴木小学校用地で確認された。
局部磨製石器や礫群など数多くの遺物・遺構が見つかり、約3万8千年から1万6千年前の後期旧石器時代の人々の暮らしを知ることのできる、わが国を代表する遺跡として広く知られている。令和3年3月26日にはその価値が認められ、国の史跡に指定された。

1967年に発見され、回田遺跡と名付けられていたが、1974年6月末、現在の鈴木小学校の校地造成工事に伴って江戸時代の水車小屋に伴う水路や暗渠が発見されたことを契機に試掘調査が行われ、正式にその存在が確認された。その後、鈴木小学校の西を南北に走る都道2・1・3号線地点、御幸第I地点をはじめ、50以上の調査地点で範囲確認調査を含む発掘調査が行われている。

参考:岩宿遺跡は群馬県みどり市にある、日本で初めて旧石器時代の人々がいたことを証明した国指定史跡。1946年に民間考古学者の相沢忠洋が関東ローム層(赤土)の中から石器を発見し、発掘調査によって縄文時代以前の旧石器時代が存在したことが明らかになった。2つの石器群が発見され、
少なくとも約35,000年前(岩宿I石器文化)と約25,000年前(岩宿II石器文化)の時期があることが分った。

鈴木遺跡資料館 案内ビデオ視聴(映像資料) 10:28
鈴木遺跡資料館展示室 10:57
礫群たき火によって拳大ほどの石を多数加熱し、
肉などを焼いたり蒸したりしたと考えられる一種の調理場跡。
炉穴熱源として利用するために木材等を燃焼したと考えられる穴の跡で、
中に多量の炭化物片が含まれている。
石器製作址 11:03
鈴木遺跡資料館展示室・地層剥ぎ取り標本 11:11
背景は石神井川の南側の支流の先の部分を掘った時の地層標本で、
一番上に昭和40年ごろのグランドの芝生が見られ、
その下に江戸時代の水路や水田の土が見られる。
現代から後期旧石器時代までの時間の流れが標本に詰まっている。
立川ローム層:今から3.5万-1.5万年前に堆積した火山灰などからなる地層
鈴木各文化層 地層剥ぎ取り標本
各調査地点では立川ロームⅢ~Ⅹ層の間に都合12枚の文化層石器の形と組合せ・ほぼ同じ時期の人間活動の痕跡が地層の中に層をなすように見つかる)が確認され、多数の礫群や配石、石器集中部のほか、炉穴等の遺構も検出されている。
石器、剥片類はナイフ形石器を中心に多量かつ多種で、その数約3万7000点に上る。
とくにⅨ~X層を中心に検出された局部磨製を含む20点以上の打製石器は特徴的である。
中には刃部再生剥片と本体とが接合し、最終的に刃部が約一センチ後退したことを示す資料や、局部磨製石斧1点と打製石斧3点とが埋納遺構のようにまとまって検出された例もある。
また石材として黒曜石の比率が高いことも特徴で、武蔵野台地における石材獲得の拠点的な位置を占めていたとする見方もある。
各文化層における石器類の出土比率
鈴木12文化層出土の石器類(約38,000年前) 10:57
鈴木1、2文化層出土の石器類(約16,000年前) 11:02
黒曜石マグマが一定の条件下で冷却された際に生成される、黒色のガラス質の岩石。
割れ口が鋭いことから、切削、刺突用の石器の素材として多用される。
鈴木遺跡の石器 
石器群の変遷を層位別にみると、局部磨製石斧・ナイフ形石器に代表されるX~Ⅶ層、石刃技法によるナイフ形石器の卓越するⅥ層、各形態のナイフ形石器の盛行するV~Ⅳ層、尖頭器・細石刃中心のⅢ層となる。
また居住領域の時期的なあり方をみると、X層期に開始された居住は、Ⅸ・Ⅶ層期に広い分布を示すが、姶良丹沢(AT)火山灰降灰前後(Ⅵ・V層期)にいったん縮小し、Ⅳ層期に再び広範囲の分布を示すようになる。
遺跡は旧石器時代最末期になると衰微の傾向を示す。

陥穴(おとしあな)剥ぎ取り標本 11:04
鈴木遺跡で発見された狩猟用の遺構(縄文時代早期~前期)
祝 鈴木遺跡国指定史跡化 11:17
鈴木遺跡は、1974年鈴木小学校建設の際に発見され、2021年3月に国史跡の指定を受けた。
地下通学路・小平市立鈴木小学校へ 11:17
小平市立鈴木小学校への地下通学路(歩行者用アンダーパス) 11:18
新小金井街道(都道248号)
小平市立鈴木小学校 11:19
鈴木遺跡は、1947年の鈴木小学校建設の際に確認され、発掘調査の結果、後期旧石器時代(約38,000年前から16,000年前頃までの約22,000年間)に使われた石器が連続的に大量に出土した。現在に至るまで合計92次、約22,820㎡に及ぶ発掘調査で、累計40,000点を超える旧石器と7,000点を超える礫が出土し、総面積11万㎡に及ぶ大遺跡であることが判明した。
1947年(昭和49年)当時の発掘調査の様子

小金井公園・江戸東京たてもの園
小金井公園案内図 11:59
小金井公園 12:01
小金井公園内のそば茶屋さくら(昼食)12:08
ざるそば(冷)500円 12:18
ソースかつ丼ミニそば980円(Su) 12:19

江戸東京たてもの園 12:35
失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で都立小金井公園内に設置された野外博物館。東京都江戸東京博物館の分館。入園料200円(65歳以上)
江戸東京たてもの園のビジターセンター 12:35
正面の建物は、1940年(昭和15)11月10日の紀元2600年記念式典が皇居前広場で開催した式典のために仮設された式場であった。式典後、1941年現在地に移築し光華殿と命名された。その後は文部省数学局により教学練成所として使われた。戦後、学習院中等科が小金井に移り、光華殿や研究棟などを小金井校として開校した。1954年武蔵野博物館が設立され光華殿は展示室として利用された。1993年から江戸東京たてもの園のビジターセンターとして改修され現在に至っている。 
江戸東京たてもの園パンフレット
江戸東京たてもの園パンフレット
武蔵野郷土館 関連年表
1934~1945年、東京都と武蔵野会が有栖川記念公園内に「東京郷土資料陳列館」として開館。
1948~1953年、武蔵野文化協会が「武蔵野博物館」として開設。
1954~1991年武蔵野博物館と民族学博物館が「東京都立武蔵野郷土館」として開館。
1993年3月28日、東京都江戸東京博物館の分館として「江戸東京たてもの園」として開館。
武蔵野博物館と武蔵野郷土館の調査地
下布田遺跡(調布市)、下布田遺跡(国指定重要文化財)、広畑貝塚(国指定史跡)など
江戸東京たてもの園陳列室 12:41
石器、石槍、尖頭器など 旧石器時代 狭山遺跡(瑞穂町)など
石鏃 縄文時代後期・晩期 国指定下布田遺跡(調布市)
鹿角製鏃、骨鏃 縄文時代後期・晩期 国指定広畑貝塚(茨城県稲敷市)
広畑貝塚出土人骨 縄文時代後期 国指定広畑貝塚(茨城県稲敷市)
焼礫とローム層標本 旧石器時代後期 茂呂遺跡(板橋区)
深鉢形土器 安行3c式  縄文時代晩期 国指定下布田遺跡(調布市)
深鉢形土器 安行3c式  縄文時代晩期 国指定下布田遺跡(調布市)
台付深鉢形土器 安行3c式  縄文時代晩期 国指定下布田遺跡(調布市)

国指定重要文化財 土製耳飾 縄文時代晩期 国指定下布田遺跡(調布市)
土製耳飾を付けた様子
鉢型土器(弥生町式) 弥生時代 小豆沢貝塚(板橋区)
壺形土器(野沢式) 弥生時代中期 飛鳥山公園内遺跡(北区)
甕形土器 弥生時代 小豆沢貝塚(板橋区)
須恵器長頸壺、須恵器平坪 弥生時代 山崎横穴古墳(鎌倉市)

太刀形埴輪 古墳時代後期 観音塚古墳(大田区)
太刀形埴輪 古墳時代後期 観音塚古墳(大田区)
土師器臓骨器 奈良時代 東京都指定瀬戸岡古墳群(あきる野市)
土師器臓骨器 奈良時代 東京都指定瀬戸岡古墳群(あきる野市)

江戸東京たてもの園模型
江戸東京たてもの園 エントランス広場にて 13:14
午砲 13:15
1871年(明治4)から1929年(昭和4)まで、皇居内旧本丸で正午を知らせる空砲が発射されていた。
「ドン」と呼ばれ親しまれていた。
江戸東京たてもの園ボランティアガイド 13:30
江戸東京たてもの園案内図
常盤台写真館、上野廣小路バス、三井八郎右衛門邸 13:35
三井八郎右衛門邸 13:41
庭園の丸平石は借金の返済として譲り受けたとのこと。
デ・デラランデ邸「カフェ武蔵野茶房」 13:45

八王子千人同心組頭の家 13:48
茅葺き屋根がカラスの害にあっている。
綱島家(農家) 13:50
小金井市指定有形文化財 奄美の高倉 13:55
屋根の部分が穀物などを入れる倉庫。
保谷町にあった民俗学博物館の閉館に伴い江戸東京たてもの園の前身である武蔵野郷土館に移築された。
高橋是清邸 14:07
伊達家の門 14:14
万世橋交番 14:17
煉瓦造りの組積式構造の建築物は分解移転するのが困難で、「曳家」技術で万世橋交番をクレーン車でつり上げ、トレーラーに乗せて神田からこの場所に運んだ。
都電 14:20
下町中通り 14:20
丸二商店(荒物屋)、花市生花店、武居三省堂(文具店)、店蔵型休息棟、万徳旅館、子宝湯

下町中通り 14:23
川野商店(和傘問屋)、小寺醤油店、子宝湯
子宝湯の「銭湯絵」「ペンキ絵」 14:28
特に有名なのは富士山の絵は「縁起が良い」ので昭和初期から描かれるようになった。
空・松・富士山の描き方には、それぞれ修業年数の格言があるほど奥深い世界。
描いてはいけない絵は、猿(客が去る)、夕日(家業が沈む)、紅葉(葉が落ちる)である。
昔懐かしい「湯かご」 14:29
復元縄文住居 14:33
皇居正門石橋飾電燈 明治20年代 14:35

高橋是清邸 14:39
そば茶屋さくら 14:45

江戸東京たてもの園屋外展示場14:50・・16:00立川市歴史民俗資料館
立川市歴史民俗資料館 15:59
井上家土蔵 16:01
立川市歴史民俗資料館 16:02
立川市の歴史・民俗・自然風土に関する資料を収集・展示する社会教育施設で、昭和60年(1985年)に開館した。建物は「蔵」をイメージした造りで、地域文化の保存と継承を目的としている。
立川市内の遺跡分布図
立川駅周辺の遺跡 16:04


先土器時代の石器 16:23
縄文時代の石器 約8,000~5,000年前 大和田遺跡 16:23
勝坂式土器 約5,000年前 向郷遺跡(先土器・縄文)
勝坂式土器  約5,000年前 向郷遺跡(先土器・縄文)
勝坂式土器  約5,000年前 大和田遺跡
曽利式土器 約4,000年前 向郷遺跡(先土器・縄文)
阿玉台式土器 約5,000年前 向郷遺跡(先土器・縄文)
六面石幢(国宝・レプリカ) 16:23
普済寺の板碑 1364年(貞治3年) 錦町出土 16:25
東京都指定文化財 銅鉦鼓(立川原合戦供養・レプリカ)
立川市指定文化財 八幡神社本地仏像(レプリカ)
立川氏文書(レプリカ)
柴崎村絵図(享和4年・1804年)

諏訪神社獅子頭など
立川駅前写真 16:38

シロー福生店 17:00
シロー福生店 17:01
スシロー福生店17:56・・Se氏宅・・Su宅・・19:10自宅(走行距離73.9km)