2025年12月20日(日曜)~21日(月曜)
同期入社の3人で忘年会も兼ねて、長野市立博物館・川中島公園・香坂山遺跡・佐久市考古遺物展示室を訪ね、伊藤園ホテルズの伊香保温泉「とどろき」に泊まった。翌日は香坂山遺跡を訪ねたあと、Se氏の学友で佐久市にUターンしたTa氏の案内で佐久市考古遺物展示室やぴんころ地蔵を訪ねた。
日本最古の石刃石器群遺跡(旧石器時代約36,800年前)
白い円筒の建物:上信越自動車道八風山トンネルの換気施設
香坂山旧石器遺跡:第4次発掘調査 現地説明会(38:02)
香坂山遺跡出土石器 日本列島最古の石刃石器群出土
大型石刃(左上3点)、小石刃(左下 6 点)、尖頭形剥片(中央 3 点)、刃部磨製石斧(右 1 点)
ユーラシア大陸の初期後期旧石器時代の石刃石器群との共通性が指摘され た。
日程
12月21日(日曜)
秋川(自宅)8:00・・(1.8km5M)・・Su氏宅・・(8.1km23M)・・Se氏宅・・(3.5km10M)・・青梅IC8:29・・(圏央道・関越道・上信越道・長野道195.5km2H20M3,870円)・・10:53長野IC・・(2km3M)・・11:01長野市立博物館13:08・川中島古戦場史跡公園・信玄謙信一騎打ちの像・川中島古戦場の碑・首塚14:05・・14:10昼食手打ちそば「横綱」15:00・・(県道9号線4.9km11M)・・長野IC15:15・・(長野道・上信越道87.4km65M1,770円)・・16:10松井田妙義IC・・(国道18号県道26号経由40.2km1H09M)・・17:16伊香保温泉とどろき(走行距離344.7km)
宿泊費25,245円(8,415円x3名)+入湯税450円(150円x3名)+プラン専用アニバーサリープレート2,200円=27,895円(1人当たり9,298円)現地決済
12月22日(月曜)
伊香保温泉とどろき9:30・・9:36伊香保神社9:38・・(県道26号国道18号経由40.2km1H09M)・・松井田妙義IC11:00・・(上信越道33.8km26M1,080円)・・11:36佐久IC・・(県道 138号経由14.5km 23M)・・12:00妙義荒船林道~~12:08香坂山旧石器遺跡12:13~~12:24妙義荒船林道・・(県道138号14.1km22M)・・12:50佐久市役所13:00・・(県道138号経由750m3M)・・13:01佐久考古遺物展示室14:13・・14:22昼食「あっぷるぐりむ」15:15・・(県道138号経由)・・15:24ぴんころ地蔵15:28・・15:36佐久市役所15:40・・佐久IC16:04・・(上信越道・関越道・圏央道141.9km1H34M4,020円)・・17:54青梅IC・・(3.5km10M)・・Se氏宅・・(8.1km23M)・・Su氏宅・・コスモ石油32l・・18:40秋川(自宅) 総走行距離623.8km
〒381-2212 長野県長野市小島田町1414 内 川中島古戦場史跡公園
長野県埋蔵文化財センター(土日曜定休日)
〒388-8007 長野県長野市篠ノ井布施高田963−4
(一財)長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター
香坂山旧石器遺跡 〒385-0005 長野県佐久市香坂
佐久市役所 〒385-8501長野県佐久市中込3056電話番号0267-62-2111(代表)
考古遺物展示室(文化財事務所内)開館時間:午前9時から午後5時まで
休館日:毎週土曜日・日曜日・祝日・年末年始(12月29日から1月3日まで)観覧料:無料
所在地:佐久市中込2913(文化振興課文化財事務所内)電話:0267-63-5321
伊香保温泉 とどろき 〒377-0102 群馬県渋川市伊香保町伊香保106 0279-72-2222
費用 約17,825円
高速道路10,740円+ガソリン代4,522円+宿泊代27,895円=43,157円/3人(1人当たり14,385円)、
入場料300円+昼食代(蕎麦1,140円+トンカツ定食1,500円)+土産(山芋)700円=3,440円
12月21日(日)
青梅IC8:29・(圏央道・関越道・上信越道・長野道195.5km)・10:53長野IC・
11:01長野市立博物館
佐久平ハイウエイオアシスパラダ(スキー場)、一本松古墳3号墳
唐獅子と牡丹の瓦
虚構と真実 八幡原の戦い
入館料300円
とかく虚構の多い川中島の戦いだが、武田信玄と上杉謙信の両雄物語の世界と、戦国時代の実像に迫る。
川中島の戦いは数度に及び激戦とされる永禄4年(1561)の戦いについて紹介している。
戦国最強の騎馬隊との見方は賛否両論ある。
江戸時代に描かれた。小幡上野介憲重が背を向けているのが特徴
武田信玄の信濃への侵攻により、村上義清などの信濃武士たちが謙信を頼ってきた戦いであり、
また川中島の戦いは、戦死者の弔いのための戦いと正当性を説明している文書が多くある。
上杉謙信にとって信濃への出兵は信濃国や越後国内の国衆たちを振り向かわせるための手段であった。
上杉謙信の越後国内の掌握は川中島の戦いの後になって達成された。
宇佐美駿河守定行や鬼児島弥太郎勝忠は実存しない人物である。
江戸時代に流布した軍学書に登場する人物を家臣として加えた。
今の川中島(長野市川中島町)と戦国時代の川中島(川中島四郎)とは大きく異なる。
謙信にとって「川中島」は領国に接する地域であり、自国防衛の最前線であった。
信玄は調略によって川中島地域を支配しようとしていた。
①治承4年(1180)横田河原の戦い:木曽義仲(勝ち)と平氏方の越後国の城氏(負ヶ)
②建武2年(1335)中先代の乱:北条時行が諏訪で挙兵し篠ノ井周辺で合戦
③応永7年(1400)大塔合戦:信濃守護小笠原長秀は北信地区の武士の反撃にあい敗北
繰り返された川中島の戦い 11:32
武田信玄が信濃国に侵攻すると信濃国の村上義清らは上杉謙信に出兵を依頼し、川中島の戦いが始まった。戦いは5回あったとされているが、北信濃をめぐる争いはそれより多くあった。
永禄4年(1561)の八幡原の戦いは激戦であったが、他の戦いは小規模な衝突であった。
天文22年(1553)布施での戦い(第1次)
弘治元年(1555)旭山城をめぐる戦い(第2次)
弘治3年(1557)上の原の戦い(第3次)
永禄4年(1561)八幡原の戦い(第4次)
永禄5年(1562)犀川を挟んでの睨み合い(第5次)
飯縄大明神(謙信)、上下諏訪大明神(信玄)
この屏風には上杉方の荷物を奪う信州の民衆の姿も描かれている。(百姓たちの略奪)
「川中島の戦い」の戦況については「甲陽軍鑑」の甲州流の軍学書によって復元されている。
一方、越後流の軍学書としては「北越軍記」が知られている。
いずれも脚色されているが当時の状況を知るうえで参考になる。
「北越軍記」には、信玄・謙信の一騎打ちがあったのは天文22年(1553)布施での戦い(第1次)としている。永禄4年(1561)八幡原の戦い(第4次)ではない。
関東に侵攻した上杉謙信は、戦地で人身売買が行われ、人々を1人20~30銭(文)で取引したという。対象になったのは「足弱」と呼ばれる女性や子供、老人であった。
首を討ちとる行為(分捕り)で戦功が認められた。
人形浄瑠璃や歌舞伎で演じられた。
江戸時代の芝居は現在の私達からすると荒唐無稽に見えるものが多くあった。
山本勘助や諏訪法性の兜のイメージも刷物や芝居によって定着したとみられる。
古戦場周辺では、首を切られた兵士の怨念で穂の首が折れた麦穂がみられるという伝説が今も残っている。
八幡社境内の銅像は、1969年放映の大河ドラマ「天と地と」をきっかけにつくられた。
最古の感震器、西暦132年に中国の張衝という人が考案した。
地震がくると龍がくわえている玉が下の蛙の口に入る。
この感震器は人に感じない地震まで検出した。
杉久保系文化(上ヶ屋a群石器)東北・北陸地域、毛呂系文化(上ヶ屋b群石器)関東・中部地域
最古の狩人たちの道具
東山系文化(上ヶ屋c群石器)東北・北陸地域、国府系文化(上ヶ屋d群石器)近畿・瀬戸内地域
最古の狩人たちの道具
国府系文化(上ヶ屋d群石器)近畿・瀬戸内地域、神子柴系文化(上和沢遺跡)
宮ノ入遺跡
石匙(皮をなめす) 上浅野遺跡
磨製石斧(木材を加工する)松ノ木田遺跡・横田遺跡
有孔鍔付土器 縄文時代中期 横田遺跡
深鉢 縄文時代中期後葉 松ノ木田遺跡
土製耳飾 縄文時代後期・晩期 宮崎遺跡
大陸から伝わった磨製石器 弥生時代中期 松原遺跡
住居跡床面に敷かれていた編物で、蓆状のものと推定される。
この住居は火災にあったため、敷物も当時のまま炭化して残った。
イネ科の植物を数本束にして網代様に編んでいる。
箱清水文化の広がり 12:40
「箱清水文化」とは、主に弥生時代後期に長野県北部・善光寺平周辺で栄えた、
赤色に塗られた土器(箱清水式土器)を特徴とする文化のことで、
「赤い土器のクニ」とも呼ばれ、成熟した稲作と青銅器・鉄器が共存する独自の弥生文化である。
代表的な土器には赤く塗られた壺や高坏、櫛描文の甕などがある。
標式遺跡は長野市箱清水(長野西高校敷地)にある。
ベンガラ入りの小型壺 弥生時代後期 長野吉田高校遺跡
箱清水式土器文化圏、中島式土器文化圏、中部高地形縄文の分布
3世紀弥生時代後期になると大きな方形周溝墓に首長は葬られた。
身を守る武器である盾の呪力を高めるため、文様を描いたり赤く塗るなどしている。
この遺跡からは木製の槍も発見されていることから祭りの模擬戦に使われたものと考える。
千曲市から木島平村にかけての千曲川流域の古墳の埋葬施設として採用された。
大室古墳群(26例)、地附山古墳群、吉古墳群
大室241号墳の合掌形石室が最後になる。
嘴と翼があり、両手両足首に蛇を巻き付け、狐に乗るという飯縄権現像の典型的な姿
善光寺如来
毎年1月7日に松飾をおろして道祖神に持ち寄り、道祖神の石碑に異様な顔を作り、悪霊から村を守る。
木製飛行機 天童木工提供 朝日新聞記事
太平洋戦争末期、日本軍は米軍機の偵察をごまかすため、
本物の軍用機に見立てた木製の「おとり飛行機」をつくっていた。
詳しい資料はほとんど残っていない中、
山形県天童市の天童木工には「10機を製作し海軍に納めた」という記録が残る。
岐阜県立高山工業高校に保管されている木製戦闘機「キ106」の復元模型
太平洋戦争末期にかけて、戦闘機の機体を木材で製造する計画が進められた。
各地の企業が動員され、木材加工技術に優れた岐阜県高山市の家具メーカーも国策に巻き込まれた。
当時の技術者が残した手記や社史などを手がかりに木製機製造の経緯を追った。
実際には終戦になったため戦闘に参加しなかった。
八幡社
武田・上杉両雄一騎打ちの地 八幡原
武田信玄が陣構え、ご加護を仰いだ八幡大神を奉斎する時神社
どの戦争でも戦国時代でも指揮官である大将同士は戦っていない。
甲陽軍鑑には、白頭巾の武者(上杉軍の豪傑・荒川伊豆守)が信玄に襲い掛かったとある。
永禄4年(1561)八幡原の戦い(第4次)の戦いでは無く、
天文22年(1553)布施での戦い(第1次)の小競り合いで起きた事象らしい。
江戸時代に荒唐無稽な物語にした。
「信玄謙信一騎打ち」は「後世の脚色」と「別の人物による武功」が混ざり合ったものであるというのが現代史学の通説である。
永禄4年(1561) 9月10日、八幡原の戦い(第4次)の戦いの後、武田方の海津城主高坂弾正が戦死者約6千人の遺体を敵味方の別なく手厚く葬った塚の一つである。
これを知った上杉謙信は大変感激し、後に塩不足に悩む武田氏に対し、「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と塩を送り、この恩に報いたといわれている。
「十六夜もまた 更科の郡かな」はせを翁
武田軍の中間頭原大隅が、信玄の持槍を取って馬上の謙信めがけて、ひと槍突き出した。
槍は馬の三頭を打ったので、馬は驚きその場を狂奔した。
無念やるかたない原大隅は、傍にあったこの石を槍で突き通したという。
昼食手打ちそば「横綱」15:00・・(県道9号線4.9km11M)・・長野IC15:15・・(長野道・上信越道87.4km65M1,770円)・・16:10松井田妙義IC・・(国道18号県道26号経由40.2km1H09M)・・17:16伊香保温泉とどろき
伊香保温泉とどろき第2駐車場 17:16
伊香保温泉とどろき第2駐車場 17:16
走行距離:344.7km
伊香保温泉とどろき722号室よりの眺め
夕食前に8Fの絶景露天風呂「天頂」へ
メタケイ酸を多く含む「単純温泉(白銀の湯)」
飲み放題付!約50種類バイキング(90分)
伊香保温泉とどろき
宿泊費25,245円(8,415円x3名)+入湯税450円(150円x3名)+プラン専用アニバーサリープレート2,200円=27,895円(1人当たり9,298円)現地決済夕食後1Fの「大浴場」へ、その後就寝
12月22日(月)
第2駐車場への送迎バス待ち
もうサンタクロースが来ている。
コンビニの左上あたりから伊香保温泉石段街へ
石段は365段、意味は1年365日の賑わいへの願いがある。
送迎バスで伊香保温泉とどろき第2駐車場へ、そして伊香保神社へ 9:25
伊香保神社宮司からのメッセージ 9:37
伊香保温泉とどろき9:30・・9:36伊香保神社9:38・・(県道26号国道18号経由40.2km1H09M)・・松井田妙義IC11:00・・(上信越道33.8km26M1,080円)・・11:36佐久IC・・(県道 138号経由14.5km 23M)・・12:00妙義荒船林道~~12:08香坂山旧石器遺跡
伊香保温泉石段街 9:38
石段は365段ある。意味は1年365日の賑わいへの願いがある。
伊香保温泉とどろき9:30・・9:36伊香保神社9:38・・(県道26号国道18号経由40.2km1H09M)・・松井田妙義IC11:00・・(上信越道33.8km26M1,080円)・・11:36佐久IC・・(県道 138号経由14.5km 23M)・・12:00妙義荒船林道~~12:08香坂山旧石器遺跡
県道138号線、妙義荒船林道(冬期間通行止)交差点 12:00
上信越自動車八風山トンネル上部付近
上信越自動車八風山トンネル上部付近
香坂山遺跡のある妙義荒船林道が現在通行止めとなっている理由。
この林道は標高が高く冬場は路面の積雪や凍結により非常に危険な状態になるため、毎年11月下旬から翌年4月にかけて、佐久市・軽井沢町・下仁田町の全区間で車両の通行が禁止される。
1. 冬季閉鎖期間(積雪・凍結防止)
規制期間: 2025年11月21日(金)〜 2026年4月下旬ごろまで(予定)
2. 林道改良工事の影響
冬季閉鎖に重なる形で、2025年度は林道の改良工事も行われている。
工事期間: 2025年8月25日 〜 2025年12月30日(予定)
規制期間: 2025年11月21日(金)〜 2026年4月下旬ごろまで(予定)
2. 林道改良工事の影響
冬季閉鎖に重なる形で、2025年度は林道の改良工事も行われている。
工事期間: 2025年8月25日 〜 2025年12月30日(予定)
現在、日本最古の石刃石器群遺跡(旧石器時代約36,800年前)
白い円筒の建物:上信越自動車道八風山トンネルの換気施設
周辺は国有林・コナラの原生林
日本最古の石刃石器群遺跡(旧石器時代約36,800年前)
八風山周辺で採れる良質なガラス質黒色安山岩(石器の材料)が豊富だった。2021年8月11日から9月7日まで第4次発掘調査後に埋め戻した。
香坂山旧石器遺跡:第1次発掘調査 現地説明会- YouTube(1:21:11)
国史跡 香坂山遺跡リーフレット
香坂山遺跡は、日本最古級の石刃(せきじん)などが発見された非常に重要な旧石器時代の遺跡だが、林道沿いの険しい場所に位置している。
香坂山遺跡は、日本最古級の石刃(せきじん)などが発見された非常に重要な旧石器時代の遺跡だが、林道沿いの険しい場所に位置している。
2019年の台風19号で林道が大きく損壊した際、その復旧工事に合わせて本格的な発掘調査が行われ、多くの成果が上がった。
トンネルの換気施設概要
コナラの落葉と実(どんぐり)
太陽光発電事業の概要
佐久市香坂集落 12:33
古代〜江戸時代に上州(群馬)を結ぶ「交通・物流の要衝」として
香坂は、古くから信濃(長野)と上州(群馬)を最短距離で結ぶ「八風峠」の入り口にあたる宿駅として栄えた。現在の国道18号(碓氷峠)が整備される以前の古代・中世においては、この八風峠越えがメインルートの一つであった。江戸時代は 中山道の脇往還(支道)である「下仁田道(上州道)」の要所となった。信州からは米、上州からは塩や魚、茶などの生活物資が運び込まれ、多くの馬や荷受人が行き交う活気ある集落であった。集落内にある閼伽流山明泉寺は、源頼朝や武田信玄からも崇敬を受けたと言われる古刹で、信仰の地としても人々が集まった。現在、香坂集落を訪れると、見事な石垣(石積みの段々畑や屋敷囲い)が並ぶ美しい景観を見ることができる。これは、急峻な地形を切り拓き、交通の要衝として、また農業(かつては養蚕)で力強く生きてきた歴史の証である。
佐久市香坂集落 12:33
古代〜江戸時代に上州(群馬)を結ぶ「交通・物流の要衝」として
香坂は、古くから信濃(長野)と上州(群馬)を最短距離で結ぶ「八風峠」の入り口にあたる宿駅として栄えた。現在の国道18号(碓氷峠)が整備される以前の古代・中世においては、この八風峠越えがメインルートの一つであった。江戸時代は 中山道の脇往還(支道)である「下仁田道(上州道)」の要所となった。信州からは米、上州からは塩や魚、茶などの生活物資が運び込まれ、多くの馬や荷受人が行き交う活気ある集落であった。集落内にある閼伽流山明泉寺は、源頼朝や武田信玄からも崇敬を受けたと言われる古刹で、信仰の地としても人々が集まった。現在、香坂集落を訪れると、見事な石垣(石積みの段々畑や屋敷囲い)が並ぶ美しい景観を見ることができる。これは、急峻な地形を切り拓き、交通の要衝として、また農業(かつては養蚕)で力強く生きてきた歴史の証である。
香坂山遺跡に関する佐久市考古遺物展示室など一緒に同行してくれた。
佐久市考古遺物展示室リーフレット
縄文時代草創期の土器「爪形文」(約11,000年前)
縄文時代中期の土器「後沖式」・「勝坂式」・「郷土式」(約4,000~5,000年前)
弥生式の土器・画期的な金属器の登場
弥生時代後期の竪穴住居跡「周防畑遺跡」
文字や絵・皇朝十二銭・多彩な遺物
室町時代前半の地元領主屋敷跡「榛名平遺跡」
様々な焼物の流通
香坂山遺跡は日本最古級の石刃(せきじん)などが発見された非常に重要な旧石器時代の遺跡
広報佐久
祝国史跡指定 香坂山遺跡
広報佐久
祝国史跡指定 香坂山遺跡
広報佐久
祝国史跡指定 香坂山遺跡
広報佐久
祝国史跡指定 香坂山遺跡
長野県指定天然記念物固型マンモス(トロゴンテリイゾウ)化石(臼歯、切歯)約100万年前
臼田トンネル工事現場から発見
右上:浅科ナウマンゾウ化石(臼歯)約3万年前の氷河期
浅科八幡で個人住宅の井戸掘削した廃土から発見
香坂山遺跡(約36,800年前)、八風山Ⅱ遺跡(約36,300年前)
八ヶ岳山麓の台形様石器 立科F遺跡(約35,000年前)、高尾A遺跡
珪質頁岩を使った細石刃 天神小根遺跡(約17,000年前)
両面調整しを施した尖頭器 下茂内遺跡(約17,000年前)、八風山Ⅵ遺跡(約14,000年前)
約14,000年前のガラス質黒色安山岩の原産地遺跡、旧石器時代から縄文時代への過渡期
右下:刃部磨製石斧(後澤遺跡)約3万年前
佐久市考古遺物展示室の学芸員説明
人間の爪を使って文様が刻まれているのが特徴
押型文土器(若宮遺跡・約8,000年前)、条痕文土器(寄山遺跡・約7,000年前)
縄文時代中期の土器 13:33
浅間山を中心にした地域に展開した独自の縄文土器群
後沖(うしろおき)式土器 棚畑遺跡 約5,000年前
弥生時代の人面付土器・人形土器・ヒスイ製勾玉・金属製装身具勝坂(かつさか)式土器 寄山遺跡 約5,000年前
焼町土器の影響を受けた勝坂式土器
郷土(ごうど)式土器 駒込遺跡 約5,000年前
佐久市を代表する土器
弥生時代の人面付土器・人形土器
切れ長めの目が特徴の端正な顔立ち
右:人形土器 西一本柳遺跡 縄文時代中期ⅩⅫ 弥生時代後期
土器の表面にベンガラを磨り込んで焼いた「赤い土器」が盛行した。
貯蔵用の「壺」、盛り付けようの「高杯」や「鉢」などが鮮やかに彩られている。
瀧の峯古墳群2号墳(前方後円墳)の出土遺物
須恵器杯(身・蓋) 下芝宮遺跡、須恵器高杯 仲田遺跡 5世紀代
北西の久保17号墳出土埴輪 6世紀頃
円筒埴輪、朝顔形埴輪、器材埴輪、人物埴輪、動物埴輪など出土
形態的特徴から北関東地方との文化や技術の交流が考えられる。
馬形埴輪
馬形埴輪
佐久市考古遺物展示室 14:12
佐久市考古遺物展示室 14:12
佐久市考古遺物展示室から浅間山を望む 14:12
佐久市考古遺物展示室にて記念撮影 14:13
佐久市考古遺物展示室にて記念撮影 14:13
佐久市考古遺物展示室 14:12
佐久市考古遺物展示室から浅間山を望む 14:12
佐久市考古遺物展示室にて記念撮影 14:13
佐久市考古遺物展示室にて記念撮影 14:13
「元気に長生きし(ぴんぴん)、寝込まず楽に大往生(ころり)したい」を願う。
のざわ商店街によって2003年9月に建立された。
本山成田山より観請された不動明王をはじめ、大日如来、愛染明王、薬師如来、千本仏などが納められている。
クリスマスも近いのでサンタの帽子をかぶっている。
成田山薬師寺の山門までの参道の両脇には、約30店舗がある。
佐久市役所15:40・・佐久IC16:04・・(上信越道・関越道・圏央道141.9km1H34M4,020円)・・17:54青梅IC・・(3.5km10M)・・Se氏宅・・(8.1km23M)・・Su氏宅・・コスモ石油32l・・18:40秋川(自宅) 総走行距離623.8km