2022年1月2日日曜日

茅野市尖石縄文考古館、与助尾根遺跡、尖石遺跡、中ッ原縄文公園、棚畑遺跡、そば処白山

2021年12月11日(土)
アルペンドルフ白樺08:37~09:56茅野市尖石縄文考古館10:45~10:46与助尾根遺跡~10:59尖石遺跡~11:01尖石~11:02~11:21中ッ原縄文公園11:25~11:38棚畑遺跡11:43~諏訪IC12:05~塩尻北IC12:23~12:43そば処白山13:15~塩尻北7IC13:34~談合坂SA~青梅IC15:46~青梅(SE宅)~日の出町(SU宅)~16:30秋川自宅

アルペンドルフ白樺ロッジ・蓼科山 06:58
アルペンドルフ白樺 本館
アルペンドルフ白樺 朝食 08:03
蓼科山 08:13
八ヶ岳連峰の北端に位置する標高2,531mの火山
アルペンドルフ白樺 駐車場
アルペンドルフ白樺 レストランから
アルペンドルフ白樺から 美ヶ原高原方面
アルペンドルフ白樺 玄関ホール
車山高原・霧ヶ峰方面
2in1スキー場 駐車場 09:17
2in1スキー場駐車場
蓼科山(別名:諏訪富士)
2in1スキー場
2021年12月11日(土曜)オープン

茅野市尖石縄文考古館
縄文時代
縄文時代は日本列島で今から約16,000年前から約3,000年前まで続いた。
縄文時代以前は最終氷期の寒い時代であったが、
縄文時代は気候変動を経て自然環境が温暖な環境になった。
縄文時代の人口は、
縄文早期の2万人から縄文中期の最盛期の26万1千人まで順調に増加したが、
縄文中期を過ぎると反転し急激に落ち込み、縄文後期は16万人、
縄文晩期は7万6千人まで減少した。
約2500年前の縄文時代晩期から弥生時代初期にかけて、
日本を含み世界的に気候が寒冷化しており、
気温が下がったことで食料供給の減少が人口減につながったとみられる。
その後人口が増加したのは気候が再び温暖化し、
渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、
安定した食料供給が可能になったためと考えられるという。

「縄文のビーナス」
国宝「縄文のビーナス」
縄文時代中期(約5000年前)に製作されたと見られる土偶、茅野市尖石縄文考古館所蔵。
妊娠した女性のモデルをデフォルメした形で「ビーナス」と呼ばれている。
1986年(昭和61年)9月8日に八ヶ岳山麓の棚畑遺跡から
環状集落の中央広場の土坑に横たわる形で埋められておりほぼ完全な状態で出土した。
出土した遺跡の名前にちなんで『棚畑姫』と呼ばていた。
1995年(平成7年)6月15日に国宝に指定された。

「仮面の女神」
国宝土偶「仮面の女神」
中ッ原遺跡から2000年発掘
2014年8月21日に国宝に指定された。

日本遺産の構成文化財所在地地図
日本遺産の構成文化財一覧

茅野市尖石縄文考古館

昭和26年、宮坂氏自宅の一部を改造して「尖石館」を作った。
それ以前は自宅の縁側に出土品を出して公開していた。
昭和30年、現在の考古館から西に2kmの南大塩に開館した。
昭和54年、現在地に「尖石考古館」が建設され、
以降収納庫として利用されていたが南大塩公民館建設に伴い解体された。
昭和54年、現在地に開館した「尖石縄文考古館」が建設された。
「尖石縄文考古館」模型
茅野市尖石縄文考古館玄関 2020年7月14日撮影
尖石遺跡の発見
明治時代の桑畑開墾の際に土器や石器が出土した。
諏訪湖・八ヶ岳山麓周辺遺跡地図
『長野県史考古資料編遺跡地名表』には12,665箇所の遺跡が記載されている。
それらの遺跡数を時代別に示すと、旧石器時代330箇所、縄文時代7,970箇所
弥生時代2,099箇所、古墳時代884箇所、奈良・平安時代3,206箇所、
中近世(鎌倉~江戸時代)約1,000箇所となっており、
これらの数字の合計は、時代ごとに重複しているので15,000を超えている。
八ヶ岳山麓周辺遺跡地図
尖石遺跡、与助尾根遺跡、中ッ原遺跡、棚畑遺跡、駒形遺跡、阿久遺跡、上の段遺跡

尖石縄文考古館 ロビー
尖石縄文考古館  常設展示室C 八ヶ岳山麓の縄文文化
尖石縄文考古館 展示室
中空の装飾がある土器 永峯遺跡 
尖石遺跡出土の土偶、大正11年(1922年)
この土偶については、鳥居龍蔵氏とともに調査をしていた八幡一郎氏が報告している。
下ノ原遺跡から出土した土器
独立土器(X字状把手付深鉢形土器) 尖石遺跡
縄文時代中期後半(約4500年前)
把手付深鉢形土器 尖石遺跡
縄文時代中期後半(約4500年前)

国宝「縄文のビーナス」

国宝土偶「縄文のビーナス」
縄文時代中期(約5000年前)に製作されたと見られる土偶、茅野市尖石縄文考古館所蔵。
妊娠した女性のモデルをデフォルメした形で「ビーナス」と呼ばれている。
1986年(昭和61年)9月8日夕刻に八ヶ岳山麓の棚畑遺跡から
環状集落の中央広場の土坑に横たわる形で埋められておりほぼ完全な状態で出土した。
出土した遺跡の名前にちなんで『棚畑姫』と呼ばていた。
1995年(平成7年)6月15日に国宝に指定された。
高さ27センチメートル、重さ2.14キログラム

顔はハート形のお面を被ったような形をしている。
切れ長のつり上がった目や、尖った鼻に針で刺したような小さな穴、
小さなおちょぼ口などは、八ヶ岳山麓の縄文時代中期の土偶に特有の顔をもっている。
また,耳にはイヤリングをつけたかと思われる小さな穴があけられている。

頭は頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られることから、
帽子を被っている姿とも髪型であるとも言われている。
表面は、よく磨かれて光沢があり、粘土は雲母が混じっているので金色に輝いている。
国宝土偶「縄文のビーナス」発掘時の写真
国宝土偶「縄文のビーナス」X線透過写真

国宝土偶「仮面の女神」

国宝土偶「仮面の女神」
中ッ原遺跡から平成12年(2000年)8月23日午後2時に発掘された。
2014年8月21日、国宝に指定された。
高さは34センチメートル、重さは2.7キログラム

「仮面の女神」の顔面は逆三角形の仮面がつけられた表現になっている。
細い粘土紐でV字形に描かれているのは、眉毛を表現しているのか。
その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されている。
体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様が描かれている。
足には文様はなく、よく磨かれている。
この土偶は、粘土紐を積み上げて作っているため、中が空洞になっている。
こうした土偶は中空土偶と呼ばれ、大形の土偶によく見られる形態である。

国宝土偶「仮面の女神」
国宝土偶「仮面の女神」
国宝土偶「仮面の女神」
国宝土偶「仮面の女神」
中ッ原遺跡の「仮面の女神」と似た土偶は、
長野県辰野町新町遺跡や山梨県韮崎市後田遺跡で出土している。
国宝土偶「仮面の女神」発掘時の写真
国宝土偶「仮面の女神」X線透過写真
国宝土偶「仮面の女神」
土偶は、右足が壊れた状態で出土した。
しかも、割れたときにできた破片のひとつが、胴体の割れ口にはまり込んでいた。
それ以外の破片も胴体内部や右足の内部に入っていた。
もし、この破損が埋めている最中か埋めたあとにできたなら、
破片は割れたところかそのすぐ近くにあるはずである。
これに加えて、出土したときの向きで胴体と足が接合せず、
足を90度以上回転させたところで接合することも判った。
このため、わざと足を壊して埋めたのではないか、と考えられる。

縄文時代後期の「鉢被せ葬」 説明板
遺体の顔にかぶせた土器 中ッ原遺跡 
縄文時代後期前半(約4000年前)
国宝土偶「仮面の女神」の周辺から出土
国宝・浅鉢形土器 中ッ原遺跡
縄文時代後期前半(約4000年前)
環状把手のある深鉢型土器 茅野市下ノ原遺跡
縄文時代中期前半(約5000年前)
2点とも長野県宝
有孔鍔付土器
吊手土器 茅野市棚畑遺跡
縄文時代中期(約4500年前)
あかりをともす吊手土器
吊手土器 茅野市棚畑遺跡
縄文時代中期(約4500年前)
あかりをともす吊手土器
有孔鍔付土器
太鼓や酒造りの道具・神を祭るための道具
生き物を抽象図化したと考えられる文様をした土器 
長峯遺跡
有孔鍔付土器
1.2.有孔鍔付土器 長峯遺跡 (長野県宝)
3.有孔鍔付土器 一ノ瀬遺跡
4.有孔鍔付土器の胴部片 高風呂遺跡
5.有孔鍔付土器片 長峯遺跡
6.深鉢型土器片 棚畑遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000~4500年前)
有孔鍔付土器
1.2.有孔鍔付土器 長峯遺跡 (長野県宝)
3.有孔鍔付土器 一ノ瀬遺跡
4.有孔鍔付土器の胴部片 高風呂遺跡
5.有孔鍔付土器片 長峯遺跡
6.深鉢型土器片 棚畑遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000~4500年前)

顔面把手付土器 説明板
顔面把手
空洞に粒が入っていて振ると音が出る。

蛇体装飾把手付土器 説明板
蛇体装飾把手付土器に含まれる鉱物・デイサイトの分析研究 説明板
蛇体装飾把手付土器
蛇体装飾把手付土器
1の土器は蛇体装飾の下に、蛇を思わせる文様が施されている。中ノ原遺跡(長野県宝)
2の土器は蛇体装飾の下に、蛇を思わせる文様が施されていたと思われる。梨ノ木遺跡
3の土器は蛇がとぐろを巻いている様子が表現されている。梨ノ木遺跡
4の土器は蛇が鎌首をもたげた表現と這う文様が描かれている。梨ノ木遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000~4500年前)

2021年12月11日撮影
1.中空の把手のある土器 長峯遺跡(長野県宝)(他館の展示会に貸出中)
2.中空の把手に似た突起状装飾がある土器 中ノ原遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000~4500年前)
2020年7月14日撮影
1.中空の把手のある土器 長峯遺跡(長野県宝)
空洞の装飾が土器の上縁に4つ大きく飛び出して、土器の途中で大きくくびれている。
その結果、重心が土器の上にあり不安定であるが丁寧に作られている。
2.中空の把手に似た突起状装飾がある土器 中ノ原遺跡
3.中空の把手に似た突起状装飾がある土器 中ノ原遺跡
4.中空の把手に似た突起状装飾がある土器 勝山遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000~4500年前)
3.中空の把手に似た突起状装飾がある土器 中ノ原遺跡
4.中空の把手に似た突起状装飾がある土器 勝山遺跡
5.中空の把手に似た突起状装飾がある土器 棚畑遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000~4500年前)
抽象文がある土器、爬虫類をモデルにしたと思われる。
1.梨ノ木遺跡
2.棚畑遺跡
3.古御堂遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000年前)
抽象文 
抽象文 説明板
抽象文がある土器
表面の盛り上がるような立体感がなくなり、形も三日月を横にしたような文様になった。
端部は円形、星形などがある。星形は非常に珍しい。
1.梨ノ木遺跡
2.3.辻屋遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000年前)
抽象文がある土器
4.尖石遺跡
5.徳久利遺跡
6.7.高風呂遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000年前)
抽象文がある土器 説明板
長峯遺跡の土器
抽象文がある土器
1.長峯遺跡(長野県宝)
2.辻屋遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000年前)
抽象文がある土器
3.徳久利遺跡(長野県宝)
いずれも縄文時代中期前半(約5000年前)
抽象文がある土器
4.梨ノ木遺跡(長野県宝)
5.下ノ原遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000年前)
吊手土器 
灯火具として使われたと思われる。
奥:聖石遺跡、左:中ノ原遺跡(長野県宝)、右:棚畑遺跡
いずれも縄文時代中期(約5000~4000年前)
有孔鍔付土器
茅野市内各遺跡
いずれも縄文時代中期前半(約5000~4500年前)
有孔鍔付土器 説明板
有孔鍔付土器
大型の深鉢型土器 棚畑遺跡
縄文時代中期前半(約5000年前)
大型の深鉢型土器 中ノ原遺跡
縄文時代中期前半(約5000年前)

土偶
国宝「中空土偶・茅空」(レプリカ)
著保内野遺跡(北海道函館市)縄文時代後期(約3200年前)
1975年(昭和50年)8月24日、北海道の旧南茅部町(現在の函館市尾札部町)の
ジャガイモ畑から中空土偶が発見された。市立函館博物館蔵
2007年(平成19年)、中空土偶「茅空」は北海道内初の国宝に指定された。

国宝 土偶「縄文の女神」(レプリカ)
西ノ前遺跡(山形県)縄文時代中期
1992年6月から尾花沢新庄道路の建設ルートとなった
最上小国川左岸(西ノ前遺跡内)の発掘調査が行われ、8月4日から8月6日の間に、
直径約2.5メートル (m)、地下1 mの範囲から左足、腰、頭、胴、右足など
5つに割れた土偶が次々と出土した。
1998年6月30日に「土偶1箇 附 土偶残欠47箇 山形県西ノ前遺跡出土」の名称で
国の重要文化財に指定され、2012年9月6日に同じ名称で国宝に指定された。

国の重要文化財 遮光器土偶(レプリカ)
1886年(明治19年)出土した。縄文時代晩期(約1000~400年前)
1957年に重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館の所蔵となっている。
目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名称がつけられた。
遮光器を付けた姿の表現ではなく、目の誇張表現と考えられている。

亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)は、2021年(令和3年)、
「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。
遺跡は、1622年に津軽藩2代目藩主の津軽信枚がこの地に亀ヶ岡城を築こうとした際、
土偶や土器が出土したことから発見された。

国の重要文化財 みみずく土偶(レプリカ)
真福寺貝塚(埼玉県)縄文時代後期(約2000~1000年前)
東京国立博物館の所蔵
国宝 合掌土偶(レプリカ)
是川遺跡の対岸に位置する風張1遺跡(青森県八戸市)縄文時代後期
平成元年7月、長芋作付けによる緊急発掘調査で出土した。
平成21年7月10日、重要文化財の遺物666点のうち合掌土偶1点が国宝に指定された。

国指定重要文化財 大型板状土偶(レプリカ)高さ32㎝
三内丸山遺跡遺跡(青森県)縄文時代中期(紀元前3000~2000年)
三内丸山遺跡センター所蔵
三内丸山遺跡遺跡は2000(平成12)年11月24日、特別史跡指定。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」として2021年(令和3年)07月27日、世界遺産登録。

国指定重要文化財 板状立脚土偶(レプリカ)身長32㎝
有戸鳥井平4遺跡(青森県野辺地町)縄文時代後期
野辺地町立歴史民俗資料館で常設展示
テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」の登場人物クララにちなみ、
「縄文くらら」の愛称を持つ。

仮面土偶(レプリカ)
後田遺跡(山梨県)縄文時代後期
尖石縄文考古館所蔵
国宝の「土偶」(仮面の女神)とよく似ているが、
胴体のたすき掛けのような文様の傾きの向き、脚に文様がある等の違いがある。

土偶の色彩
赤い土偶
なぜ赤い?
遮光器土偶、仮面土偶、ハート形土偶の赤彩
おしりの文様
おしりの考察
おしりに文様のある土偶
髪の毛を表現した?
下手な土器
焼けていない粘土が付着した台形土器

新聞記事
和田峠の黒曜石矢じりが北海道に
縄文人 自宅で代々親族供養?
尖石遺跡 新たな住居跡
尖石遺跡西側に縄文時代の穴?
縄文人が描く顔 石にくっきりと
切手国宝シリーズに茅野の土偶2体
大きな弥生後期竪穴住居あと出土
「仮面の女神」国宝指定
縄文時代早期もトチノキの実、食べていた?
八ヶ岳山麓世界文化遺産に認定
縄文時代のくるみ入りかご 完全な状態で見つかる
尖石遺跡出土の縄文土器里帰り
茅野の「尖石石器時代遺跡」隣接2区域 特別史跡に追加指定

茅野市尖石縄文考古館テラス 与助尾根遺跡側
与助尾根遺跡 尖石縄文考古館展望ギャラリーから
与助尾根遺跡
八ヶ岳西側山麓地帯の大扇状地上(標高1050-70m)の東西に広がる長い台地の上にある。
台地の中央部に沢が走り、北側が与助尾根、南側が尖石にあたる。
1946年には与助尾根の発掘に取り掛かった。
与助尾根は1935年(昭和10年)に現地を開墾中に発見されたものであったが、
この時までほとんど手付かずであった。
与助尾根でも28か所の住居、石鏃10、打製石斧14、破片4、磨製石斧、
石皿、凹石など多数を発掘している。
宮坂は、ワナ猟とクリ林、黒曜石の交易が行われていたと考えた。
それに対し、藤森栄一は狩猟・採集以外の何かの生業、
例えば焼畑農業が存在したのではないかと考えた。
この集落遺跡は、東西170m・南北90mの範囲をU字形に巡り
中央に広場が存在していたことが判明し、
これによって日本で最初の縄文時代の集落の存在が確認された遺跡となった。
1993年4月6日には与助尾根遺跡の区域が特別史跡に追加指定された。

尖石遺跡
尖石石器時代遺跡
桑畑開墾時に土器が見つかり、これを地元の小平小平治氏が学界に報告したのが、
尖石遺跡が正式に報告された最初である。
当時は「広見の遺跡」と記して、まだ尖石遺跡という名前が付いていなかった。
尖石遺跡は昭和27年3月27日、国の特別史跡に指定された。
尖石遺跡 2020年7月14日撮影
尖石遺跡 2021年12月11日撮影
尖石遺跡
尖石
尖石
尖石説明板
尖石にて

中ッ原縄文公園
11:21中ッ原縄文公園11:25
平成14年建設
国宝土偶「縄文のビーナス」、国宝土偶「仮面の女神」の発掘した遺跡位置
中ッ原縄文公園 説明板
中ッ原縄文遺跡公園
国宝土偶「仮面の女神」の出土地、 土坑保存のため小屋が作られた。
中ッ原縄文遺跡、201×105cmの楕円形の穴「第3次70号土坑」から
平成12年(2000年)8月23日に国宝土偶「仮面の女神」が発掘された。

遺跡のほぼ中央にある墓と考えられる穴が密集する場所で、
穴の中に横たわるように埋められた状態で出土した。
右足が壊れて胴体から外れていたが、これは人為的に取り外したことが明らかである。
お墓に一緒に埋納されたものか、あるいはこの土偶だけが単独で埋められたものかは、
今後の研究を待たねばならない。

国宝土偶「仮面の女神」の出土地
中ッ原縄文遺跡、201×105cmの楕円形の穴「第3次70号土坑」
出土日:平成12年(2000年)8月23日
国宝指定日:平成26年(2014年)8月21日

茅野市湖東(こひがし)の中ッ原遺跡から出土した。
今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られた。
「仮面の女神」の愛称をもつこの土偶は、全身がほぼ完存する大形土偶であった。
顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれる。

国宝土偶「仮面の女神」出現 説明板
中ッ原縄文公園
中ッ原縄文公園から八ヶ岳方面を望む

棚畑遺跡
棚畑遺跡 11:38
日本電産サンキョー株式会社(Nidec)の協力を得て
「縄文のビーナス」の出土地に案内板を設置することができた。
平成23年 茅野市教育委員会
縄文のビーナスの出土地
出土日:昭和61年(1986年)9月8日
国宝指定日:平成7年(1995年)6月15日

棚畑遺跡は、米沢埴原田(はいばらだ)の工業団地の造成に伴い、
昭和61年4月~11月に発掘された市内でも最大規模の遺跡。
この遺跡からは、縄文時代の前期から江戸時代までの生活の跡が見つかっている。
特に今から約4000年から5000年前といわれる、縄文時代中期と呼ばれる時代については、
この土偶をはじめ、膨大な量の優れた資料が出土した。
発見された住居址は149軒、完全に復元された縄文土器は600点にもなる。
縄文時代の集落は、何軒かの家がお祭りなどに使う広場を中心にして環状に作られるが、
この土偶もその広場の中の土坑と呼ばれる小さな穴の中に横たわるように埋められていた。
出土した遺跡の名前にちなんで当時は「棚畑姫」と呼ばていた。

棚畑遺跡記念石碑
棚畑遺跡説明文 茅野市教育委員会
現在、土偶「縄文のビーナス」発掘場所は
日本電産サンキョー株式会社(Nidec)の敷地内にある。
日本電産サンキョー株式会社(Nidec)11:43

昼食
そば処「白山」12:43
長野県松本市寿豊丘532  0263-57-6267
自家製粉の十割そばにこだわった蕎麦屋
そば処「白山」店内
大勢のお客が居た。
そば処「白山」からの眺め
そば処「白山」
新そば料金表
新そば300gと海老天ぷら
海老三尾のほか、太いしめじ、椎茸、ピーマン、ゴーヤ、茄子、
南瓜、薩摩芋、大葉、えのきと豊富。
新そば200g
普通の量を希望の方は、そば粉で200g(生麵で300g)
海老天ぷら 1,100円
そば処白山
うまい!やすい!ボリューム満点!松本で一番のおススメのお店。
地粉を使い、蕎麦の香り、風味もあり、コシや喉ごしもしっかりした本格蕎麦。
海老天ぷらが安くてボリューム満点!

蕎麦は300gといっても、茹でて450gになる。
海老天ぷら1人前を3人で食べて、そば300gと合わせて食べると超満腹。
美味しいのを通り過ぎた。

そば処白山13:15~塩尻北7IC13:34~談合坂SA~青梅IC15:46~
青梅(SE宅)~日の出町(SU宅)~16:30秋川自宅
無時帰宅


費用:18,659円+土産代
①高速道路代8,750円、ガソリン代4,767円(31.78L、走行距離512㎞、約16km/L)
+②アルペンドルフ白樺宿泊代(3名)21,700円(ワイン等含む)小計35,217円(1人11,739円)
+③昼食代(なぎの館天龍うな重4,070円(1人)+そば処白山4,400円(3名)小計約5,540円
+④入場料(岡谷蚕糸博物館510円、岡谷美術考古館370円、茅野市尖石縄文考古館500円)小計1,380円
+⑤土産代(更科生そば、藪生そば、塩尻マスカットベリーA、信玄餅、信元お焼き、長芋)

高速道路代8,750円

藪 生そば(970円)    更科 生そば(970円)
岡谷産山芋6本(740円)
塩尻マスカットベーリーA(1,600円)
信玄餅5個入り(915円)



2021年12月10日(金)~11日(土)
(岡谷美術考古館、茅野市尖石縄文考古館、与助尾根遺跡、尖石遺跡、中ッ原縄文遺跡、棚畑遺跡)

2021年12月10日(金)
秋川自宅08:00~日の出町(SU宅)~青梅(SE宅)~圏央道青梅IC08:40~09:24談合坂SA~11:00岡谷IC~11:18岡谷絹工房~11:32岡谷蚕糸博物館12:29~12:54諏訪湖釜口水門~13:01うなぎの館「天龍」13:25~13:26諏訪湖釜口水門~13:57岡谷美術考古館14:40~14:41イルフプラザ(ILF PLAZA)14:50~15:50霧ヶ峰富士見台15:53~16:30アルペンドルフ白樺

2021年12月11日(土)
アルペンドルフ白樺08:37~09:56茅野市尖石縄文考古館10:45~10:46与助尾根遺跡~10:59尖石遺跡~11:01尖石~11:02~11:21中ッ原縄文公園11:25~11:38棚畑遺跡11:43~諏訪IC12:05~塩尻北IC12:23~12:43そば処白山13:15~塩尻北7IC13:34~談合坂SA~青梅IC15:46~青梅(SE宅)~日の出町(SU宅)~16:30秋川自宅

土産品