2022年5月25日水曜日

5.奄美大島北部・蒲生崎観光公園・アヤマル岬・ソテツのジャングル・土盛海岸・大瀬海岸(野鳥)・城間トルフ墓群・鶏飯・奄美パーク・田中一村美術館・土浜海岸・イヤンヤ洞窟遺跡・平家漁法跡・西郷南洲翁遺・ハートロック・ホテルカレッタ

 2022年5月23日(月曜)

伝泊ドミトリー&ランドリーのラウンジ 6:52
キッチン完備の共用スペースで朝食準備、自動販売機もある。
朝食 焼きたてのパン
Maさんが早朝の散歩でパン屋を探して買ってきた。
大型コインランドリーと小型コインランドリー 7:34
中型コインランドリー
サンゴ礁や貝 7:55
サンゴ礁や貝 
伝泊ドミトリー&ランドリー 8:00
朝食のパンを購入したパン屋 8:12
朝食のパンを購入したパン屋「北斗パン」

蒲生崎観光公園  8:26
蒲生崎観光公園 
奄美市笠利地区観光マップ 8:28
全29集落をめぐろう!
蒲生崎観光公園  8:30
蒲生崎観光公園 
蒲生崎観光公園 展望台 8:36
蒲生崎観光公園 展望台 
蒲生崎観光公園 展望台 
蒲生崎観光公園  8:39
蒲生崎観光公園 8:44
9:18
あやまる岬観光公園 展望台 9:18
あやまる岬観光案内所 カフェ
塩豚バーガーのぼり旗
あやまる岬観光公園
あやまる岬観光公園
あやまる岬観光公園 9:20
あやまる岬観光公園
あやまる岬観光案内所 カフェ 9:26
あやまる岬観光公園 9:31
あやまる岬駐車場 9:31
グンバイヒルガオ(軍配昼顔)ヒルガオ科
海岸、特に砂浜を好む海浜植物
グンバイヒルガオ(軍配昼顔)
あやまる岬の海岸砂浜 9:32
あやまる岬
やわらかな曲線を描いて海に突き出した岬の姿が綾織りのまりに似ている
あやまる岬の海岸の桟橋 前方:太平洋
あやまる岬の海岸の桟橋 後方:あやまる岬
あやまる岬の海岸の桟橋 9:36
あやまる岬の海岸の桟橋先端の海中
あやまる岬の海岸の桟橋先端の海中
右側に小さな魚が泳いでいる
あやまる岬の海岸の桟橋
あやまる岬の海岸の桟橋にて 9:42
あやまる岬展望台からの眺め 9:50
あやまる岬展望台からの眺め 
あやまる岬展望台からの眺め 
あやまる岬展望台からの眺め 
あやまる岬展望台にて 9:53
フォトスポット「黄金のどこでもドア」 9:59
公園スタッフ達がアイデアを出して作った。
フォトスポット「黄金のどこでもドア」
フォトスポット「黄金のどこでもドア」 10:00
あやあるソテツジャングル駐車場 10:05
あやあるソテツジャングル
あやあるソテツジャングル 10:06
ソテツの自生地
あやあるソテツジャングル
ソテツ
雌雄異株で精虫細胞(雄性の生殖)によって受精する。
動物、藻類やコケ植物、シダ植物、一部の裸子植物(イチョウなど)にみられる。
あやあるソテツジャングル
ランタナ 別名:シチヘンゲ
クマツヅラ科の常緑小低木
ブーゲンビリア 
オシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木
あやあるソテツジャングル
あやまる第2貝塚 
あやまる第2貝塚 
埋め戻し場所に浜木綿が育つ
あやまる第2貝塚 
埋め戻し場所に浜木綿が育つ
ハイビスカス
アオイ科フヨウ属の非耐寒性常緑低木、開花期は5月~10月、
通常朝開いて夜に閉じて1日で終わってしまう1日花
ブッソウゲ、扶桑花、仏桑花ともいう。
ハイビスカスとグンバイヒルガオ

あやあるソテツジャングル
天然記念物 ムラサキオカヤドカリ
軟甲網エビ目オカヤドカリ科オカヤドカリ属
アダン
タコノキ科タコノキ属の常緑小高木
あやある岬を望む
アダンの実
アダンはマングローブに混生して成育する
マングローブとアダン 10:15
熱帯、亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地にて植物群落を形成する常緑の木

土盛(どもり)海岸駐車場 10:26
土盛海岸駐車場 10:26
土盛海岸へ
奄美市笠利地区観光マップ
土盛海岸近くの駐車場
「旅サラダ」朝日放送テレビ撮影クルー
土盛海岸説明図
白い砂浜とエメラルドグリーンの美しい海、
地元ではブルーエンジェルとも呼ばれている。
離岸流が発生しやすい。
土盛海岸
土盛海岸
白い砂浜とエメラルドグリーンの美しい海
土盛海岸
土盛海岸
土盛海岸
土盛海岸
土盛海岸
土盛海岸 10:37

大瀬海岸へ 10:52
大瀬海岸
奄美における渡り鳥の楽園
大瀬海岸 10:54
大瀬海岸
大瀬海岸
岩場だらけで海水浴などには向かない。
ごつごつした岩が海岸や浜辺にある。
大瀬海岸
大瀬海岸 奄美の野鳥
大瀬海岸 11:02
大瀬海岸展望台
大瀬海岸展望台にて
大瀬海岸展望台にて 11:05

城間トフル墓群
鹿児島県指定遺跡 1993年(平成5年)3月24日指定
大島郡笠利町万屋字笠利地区に所在する。
城間集落の西側外れに位置しており、付近は小高い丘を成している。
墓地はこの丘の斜面に横穴を掘って作られている。
2号トフル墓 11:20
トフルは、「天国に通ずる道」という意味
2号トフル墓 11:20
2号トフル墓
1号トフル墓
1号トフル墓
1号トフル墓
1号トフル墓
城間トフル墓群

鶏飯「みなとや」 11:33
鶏飯「みなとや」
鶏飯「みなとや」、元祖けいはんの石標
昭和21年創業、奄美大島北部にある奄美大島の郷土料理・鶏飯専門店
全て手作りのため大量生産不可、材料がなくなり次第受け付け終了・閉店
営業時間11:00~15:00(材料がなくなるまで)
昭和43年、当時の皇太子同妃両殿下が来島の折に、
奄美を代表する食事として「みなとや」の鶏飯を提供したことから全島に知られた。
Maさんは鶏を食べられないので鶏飯「みなとや」の向かい合わせの
「むさしや」で昼食をとった。
鶏飯元祖の由来
鶏飯「みなとや」
赤木名集落めぐり案内板
鶏飯「みなとや」 
店内での待合は2~3人で、他の人は外で待っている。
順番が来て3人で待っている。11:44
鶏飯 11:47
鶏飯 11:47
とても美味しかった。
ご飯を3杯も食べたため満腹を通り越して苦しくなった。
みなとや鶏飯

庭先から出土した「杯状穴」12:07
奄美では「ニァーワリ石」と呼んでいる。
宇宿貝塚や宇宿小学校構内遺跡からも同じようなものが出土している。
庭先から出土した「杯状穴」説明板
奄美パーク 12:24
奄美パーク駐車場
奄美パーク 12:28
田中一村記念美術館(奄美パーク内)へ 12:29
一村の社 説明板
奄美を描いた日本画科「田中一村」
田中一村記念美術館 エントランス
田中一村記念美術館 展示室へ
田中一村記念美術館 群倉をイメージしている。
館長:宮崎緑
田中一村 ポスター
芸術の完成へ、奄美での転換点
 彫刻家を父に栃木県で生まれた田中一村(1908~77)は
幼少期から南画を学び神童と呼ばれた。
奄美大島に単身移住したのは50歳を過ぎたころ。
日展や院展での落選が続き、中央画壇への絶望が背景にあったといわれる。
田中一村記念美術館 展示室パンフレットより
作品の撮影禁止
「初夏の海に赤翡翠」1962年ごろ、「岩上の磯鵯」1959~60年ごろ
パンフレットより
一村の社 案内
ゲットウ(月桃)
サネン カシャの花 (優秀賞) 
2022年5月4日16:00撮影 山根香枝

奄美地方では月桃のことをサネンという。
沖縄ではサンニン、石垣島、八重山地方ではサミンという。
北から南へ移るとともにサネン、サンニン、サミンと変化する。
クマタケランのことをカシャという。

ゲットウ ショウガ科ハナミョウガ属の常緑性多年草 13:39
アダン タコノキ科タコノキ属の常緑小高木

奄美パーク 13:41
奄美パーク
奄美パーク
奄美パーク
奄美パーク 田中一村像
奄美パーク 田中一村像
奄美パーク 三線の練習 14:07
奄美パーク 三線の練習風景

土浜海岸 14:28
土浜海岸
珊瑚礁が張り出した土浜海岸は、潮が満ちても引いても独特の景観を見せる。
土浜海岸
土浜海岸
土浜海岸 14:33
小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」の8月の噴火でできた大量の軽石が漂着した。
海岸や港を覆い尽くしている。船の運航や漁業、観光などに影響が出ている。

土浜イャンヤ洞穴遺跡 14:47
土浜イャンヤ洞穴遺跡
土浜イャンヤ洞穴遺跡
土浜イャンヤ洞穴遺跡出土品
土浜イャンヤ洞穴遺跡に地元の方に案内してもらった。
標識もなくハブがでるところでは自力では捜せない。
土浜イャンヤ洞穴遺跡
草原にハブが出る恐れがあるため土浜イャンヤ洞穴遺跡に近づけない。
土浜イャンヤ洞穴遺跡に地元の方に案内してもらった。
土浜イャンヤ洞穴遺跡 14:51


15:13
龍郷湾での平家漁法跡 15:24
 鹿児島県大島郡龍郷町屋入
国道58号線沿い、海中に石が並べてある。
龍郷湾での平家漁法跡
龍郷湾での平家漁法跡
龍郷湾での平家漁法跡
龍郷湾での平家漁法跡
龍郷湾での平家漁法跡
龍郷湾での平家漁法跡
龍郷湾での平家漁法跡
龍郷湾での平家漁法跡 15:26

西郷南洲翁遺跡  表札:龍 15:43
西郷南洲翁遺跡周辺
西郷南洲翁遺跡周辺
西郷南洲翁遺跡周辺
鹿児島県文化財史跡 西郷南洲翁遺跡
西郷南洲翁記念碑
西郷南洲翁記念碑 明治31年建立
碑文 
天の此人に大任をくださむとするや、まず其のしん志をくるしめ
其身を窮乏すと、まことなる哉此言や唯友人西郷氏に於て是を見る、
今年君の謫居せられし旧所に碑石を設くるの挙あり、島民我が一言を需む、
我卒然としてこれを誌し以てこれに応ず。
明治29年晩夏 勝安房(海舟)
愛加那碑文
龍一族の次男家の娘として1837年(天保8年)生まれた。愛加那(23歳)は、
1859年(安政6年)遠島になった西郷吉之助(33歳)と結婚し、この家で暮らす。
菊次郎と菊草の二児が生まれた。吉之助は3年後に島を去り、
やがて二人の子・菊次郎(9歳)と菊草(14歳)も西郷本家に引き取られた。
愛加那はこの家でひっそりと暮らした。1902年(明治35年)66歳で逝去した。
愛加那は島妻の生涯を終えた。
西郷南洲翁記念碑と住居
西郷南洲訓より
夢は山より高く 愛は海より深く
西郷南洲翁具蹟
拓本
献陸軍大臣西郷隆盛 肖像
西郷隆盛肖像画

愛加那肖像画 昭和51年3月山田揮毫
西郷菊次郎 京都2代目市長(明治37年~44年)
西郷の座右の銘「敬天愛人」法務大臣西郷隆盛
道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛する也
西郷南洲野屋敷の跡
西郷菊次郎の鉱石を紹介記事
西郷菊次郎 元京都市長
西郷隆盛の直筆書簡 記事
西郷隆盛の直筆書簡
「敬天愛人」
道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛する也
西郷南洲謫居跡ポスター (真野響子)
謫居:流罪(るざい)になってその地に住むこと。
NHK大河ドラマ「西郷どん」
2018年1月7日から同年12月16日まで放送
西郷隆盛(鈴木亮平)愛加那(二階堂ふみ)
「ことばを旅する」細川護煕(もりひろ)
文明とは道のあまねく行わるることなり 西郷隆盛
愛加那が住んでいた住居
愛加那が住んでいた住居
愛加那が住んでいた住居
西郷南洲翁百周年祭記念碑 昭和52年9月24日施行
西郷南洲翁百周年祭記念碑 昭和52年9月24日施行
西郷南洲翁遺跡周辺 15:56

龍郷湾での平家漁法跡 16:30
鹿児島県大島郡龍郷町瀬留 県道81号線沿い
瀬留のカキ漁跡(平家漁法跡)
潮が引いたときに龍郷湾の浅瀬に現れるのが「カキ(垣)跡」
浅瀬に石を積んで垣を巡らし、潮の干満を利用して魚を獲る漁法で、
平家が伝えたといわれていることから「平家漁法跡」とも呼ばれている。
龍郷湾での平家漁法跡
正式には「ナーガキ」と呼ばれ、
九州の西海岸から奄美・沖縄・台湾・フィリピンまで広く分布している。
以前は二尺ぐらいの高さであったが、現在は埋め立てられ道路工事などに使用され、
その姿をほとんど留めていない。
瀬留のカキ漁跡(平家漁法跡) 16:31

県道82号線沿いにある駐車場からハートロックへ 16:44
県道82号線
離岸流に注意 看板
林の中へ入るとクワズイモやアダンなどの植物が広がっている 16:45
クワズイモ
林の中を通ってハートロックへ
林の中を通ってハートロックへ 
ハブに注意して真ん中を歩く
 林を抜けると海岸に出る 16:48
矢印方向にハートロックがある。
右奥にハートロックがある
右奥にハートロックがある
ハートロック
赤尾木(あかおぎ)集落の東側に面する海岸にあり、
干潮のときにだけ姿を現すハート型の潮だまり
ハートロック
ハートロック
ハートロックで記念撮影
ハートロックで記念撮影 16:53
ハートロック見物観光客
波が打ち寄せるハートロック
グンバイヒルガオ
グンバイヒルガオ
グンバイヒルガオとハマアズキ(黄色)マメ科ササゲ属
グンバイヒルガオに混じって黄色いマメの花が見えた。
葉は3小葉、多くの海岸植物と同様に葉にはほとんど毛がない。
ハートロックから駐車場へ 17:01
島とうふ屋 17:23
島とうふ屋
島とうふ屋 17:24
島とうふ屋 おしながき
島とうふ屋定食 1700円
17:26
島とうふ屋にて夕食
島とうふ屋定食(豚の角煮) 17:34
島とうふ屋にて夕食 17:34
島とうふ屋 17:57
島とうふ屋看板 17:58
島とうふ屋駐車場
島とうふ屋 18:00

ホテル カレッタ 18:21
ホテル カレッタ
ホテルカレッタのヤギ
ホテルカレッタ 18:21
ヨーロッパ調のホテルカレッタのロビーとプール
ホテルカレッタのプールとレストラン 18:30
 赤尾木湾沿いのリゾートホテル
ホテルカレッタ
ホテルカレッタ
ホテルカレッタ宿泊棟 18:31
ホテルカレッタ全景と赤尾木湾(奄美クレーター)
奄美クレーターは、昭和45年に鹿児島ラサール高校を中心とした調査によって、
星窪や赤尾木湾の円形地形は隕石落下が原因でできたものと推定され、
隕石物質として金属の玉粒・ニッケル・鉄の破片・微細隕石質・隕石質塊等が発見された。