2026年1月18日日曜日

東久留米市と清瀬市の遺跡探勝

2026年1月16日(金曜)
同期入社の3人で新年会も兼ねて東久留米市と清瀬市の遺跡を訪ねた。
獣面
把手深鉢 多聞寺前遺跡(南沢)出土 縄文時代中期(約5000年前)
イノシシの装飾がある土器(東久留米市郷土資料室
勝坂式台付土器 六仙遺跡出土 縄文時代中期(約5000年前)
竪穴住居跡から出土、 正面から見ると人の顔のようにも見える東久留米市郷土資料室 
柄鏡形敷石住居跡(竪穴住居跡、墓壙、焼礫集積、配石)
東京都指定史跡新山遺跡 縄文時代中期末葉(約4500年前)
下里小・中学校建設に伴い発掘された。
有孔鍔付土器 縄文時代中期 野塩前原遺跡群出土 清瀬市郷土博物館

行程
秋川(自宅)900・・(1.8km5M)・・Su氏宅・・(8.1km23M)・・Se氏宅9:20・・(都道5号経由21.0km48M)・・10:20東久留米市郷土資料室11:30・・(1.8km6M)・・11:39新山遺跡11:42・・(3.2km10M)・・11:53下里本邑遺跡公園(下里本邑遺跡館)12:03・・(3.2km10M)・・12:17六仙公園(縄文の丘)12:40・・(3.2km12M)・・12:54小山台遺跡公園(小山台遺跡)13:00・・(2.2km8M)・・13:11昼食「中国料理同心居」¥2,36013:50・・(1.3km6M)・・14:00清瀬市郷土博物館15:00・・(都道6,県道179号経由22.8km62M)・・16:15Se氏宅・・(8.1km23M)・・Su氏宅・・(1.8km5M)・・16:42秋川(自宅) 走行距離約77.2km
① 東久留米市郷土資料室(月~金) 
〒203-0033 東京都東久留米市滝山4丁目3-14わくわく健康プラザ内
② 新山(しんやま)遺跡
〒203-0043 東京都東久留米市下里3丁目21
③ 下里本邑(しもざとほんむら)遺跡公園(下里本邑遺跡館)
〒203-0041 東京都東久留米市野火止3丁目4-22
④ 六仙公園(縄文の丘)
〒203-0054 東京都東久留米市中央町3丁目
⑤ 小山台遺跡公園(小山台遺跡)
〒203-0051 東京都東久留米市小山1丁目10
⑥ 清瀬市郷土博物館
〒204-0013  東京都清瀬市上清戸2-6-41
行程

2026年1月16日(金曜)
東久留米市郷土資料室 10:20
旧滝山小学校、現在:
わくわく健康プラザ・東久留米市郷土資料室
東久留米市郷土資料室 10:20
東久留米市郷土資料室リーフレット
東久留米市郷土資料室リーフレット
東久留米市には、旧石器時代(3万年前~1万年前)や縄文時代(8千年前~4千年前)の遺跡から発掘調査によって出土した土器100点や石器250点などの「原始の人々の生活用具」や東久留米で使われていた農具などの民具を展示している。
東久留米市郷土資料室へ 10:22
滝山小学校沿革史 10:26
昭和50(1975)年4月開校、平成16(2004)年3月31日閉校
東久留米市郷土資料室 10:26
東久留米で使われていた農具などの民具展示
ハエ取り器、草鞋作台、明治の時計
振込み、柳久保小麦、くるり棒
北原俊幸昆虫標本コレクション 東久留米市指定天然記念物
多摩地域で生息していた昆虫の70%程度は東久留米市内では生息していない。

「原始の人々の生活用具」展示室
縄文時代の復元住宅と東久留米の縄文土器
東久留米の旧石器時代
東久留米に初めて人々が住み始めたのは約3万年前、
多聞寺前遺跡・下里本邑遺跡・西下里遺跡・自由学園南遺跡などで出土した石器を展示している。
旧石器時代の遺跡発掘 多聞寺前遺跡調査
多聞寺前遺跡から発見されたもの 
生活のあと(遺構)
生活の道具(遺物)
石器作りの流れ
石器のできるまで
石器のできるまで
石器のできるまで
東久留米市の旧石器時代の遺跡
西下里遺跡 第1号ブロックと第2号礫群
西下里遺跡 第1号礫群
石を集めて作った調理施設と考えられている。
東久留米の主な旧石器時代遺跡
多聞寺前遺跡・下里本邑遺跡・西下里遺跡・自由学園南遺跡など
地層累重の法則
旧石器時代の地層と石器
黒曜石の利用
黒曜石のとれる場所
黒曜石の産地調査(蛍光X線分析測定)

縄文時代の復元住宅 10:39
縄文時代の復元住宅 10:39
東久留米の主な縄文時代遺跡
新山遺跡、多聞寺前遺跡、向山遺跡、神明山南遺跡、新橋南遺跡、自由学園南遺跡
縄文時代草創期(約13000年前~11000年前)
東久留米の縄文時代
尖頭器から石鏃へ
弓と矢
石錐、石匙、スクレイパー
抉入磨石、礫器、矢柄研磨器
磨製石斧、凹石、敲石、磨石
石皿
縄文時代早期(約11000年前~6000年前)
縄文時代草期の土器 10:44
撚糸文系土器群
早期前半の土器 9000年前~8000年前 多聞寺前遺跡
 早期後半の土器 約7000年前 多聞寺前遺跡、向山遺跡、神明山南遺跡
繊維土器の登場、尖底から平底へ
繊維土器の登場 向山遺跡
尖底から平底へ 向山遺跡、神明山南遺跡
 早期後半の土器 向山遺跡、神明山南遺跡
縄文時代前期(約6000年前~5000年前)
縄文時代前期の土器 約6000年前~5000年前 多聞寺前遺跡
羽状縄文系土器群
南関東地方を中心に認められた羽状縄文系土器
縄文を構成する縄目の走行方向が鳥の羽状に相対した状態になっている。
縄文時代前期の土器 
神明山南遺跡、三角山遺跡、下里本邑遺跡、向山遺跡、新橋南遺跡
縄文時代中期(約5000年前~4000年前)
縄文時代中期の土器 約5000年前
縄文時代中期の土器 約5000年前
縄文時代中期の土器 約5000年前 向山遺跡、新橋南遺跡
獣面把手深鉢 多聞寺前遺跡(南沢)出土 縄文時代中期(約5000年前)
多聞寺前遺跡から出土した「イノシシの装飾のついた縄文土器」
縄文人とイノシシ
異形なるものと呪術
縄文時代中期前半の土器 蛇の文様
自由学園南遺跡、多聞寺前遺跡、六仙遺跡、山浦遺跡、第一小学校遺跡、下里本邑遺跡、小山台遺跡
蛇の文様
蛇の文様土器 自由学園南遺跡
勝坂式台付土器 六仙遺跡出土 縄文時代中期(約5000年前)
竪穴住居跡から出土、 正面から見ると人の顔のようにも見える。 
勝坂式台付土器 六仙遺跡出土
勝坂式台付土器 六仙遺跡出土
勝坂式土器 六仙遺跡出土
縄文時代中期前半の土器 蛇の文様 自由学園南遺跡
縄文時代中期の土器 約5000年前
不思議な立体装飾文様の発達
縄文時代中期の土器 自由学園南遺跡
拠点集落(自由学園南遺跡)、縄文ムラの繁栄
竪穴住居跡群 自由学園南遺跡
新山ムラの復元図
縄文時代中期後半の土器 自由学園南遺跡、新山遺跡、六仙遺跡、第一小学校遺跡
縄文時代中期後半の土器 縄文ムラの衰退へ
縄文時代後期(約4000年前~3000年前)
気候の冷涼化が起こり自然の恵みに頼った狩猟採集生活の環境が悪化した。
縄文ムラの衰退
柄鏡形住居跡 新山遺跡
縄文時代後期の土器 約4000年前
縄文時代後期の土器 約4000年前 自由学園南遺跡
縄文時代晩期(約3000年前~2000年前)
東久留米市からは縄文時代晩期の遺物はほとんど出土していない。
縄文人の服
縄文人の食
縄文人の家
縄文時代の環境
滝山小学校校歌 11:30
東京都指定史跡新山遺跡 11:39
東京都指定史跡新山遺跡 11:39
柄鏡形敷石住居跡(竪穴住居跡、墓壙、焼礫集積、配石)
 縄文時代中期末葉(約4500年前)
下里小・中学校建設に伴い発掘された。
新山遺跡(東久留米市下里中学校内・縄文時代) 11:39
新山遺跡(東京都指定史跡・昭和53年3月16日指定)は、縄文時代中期(約4500年前)の大きな集落跡で、下里小学校・下里中学校の建設に伴い、昭和51(1976)年から昭和53(1978)年に発掘調査された。
発掘調査によって、縄文時代中期末葉(約4,500年前)の集落跡で、居住施設(竪穴建物跡)・埋葬施設(墓壙)・調理施設(焼礫集積)・祭祀施設(配石)など縄文時代の集落にみられる特徴をとらえたムラであることが分った。その貴重な発見を残すため、発掘でみつかった竪穴建物跡などは校庭の下に保存されている。
また、把手のような張り出し部と敷石や埋甕(うめがめ、土器の一部を残して埋めたもの)がみられる柄鏡形敷石住居跡と呼ばれる縄文時代の遺構は新山遺跡を特徴づけるものである。
新山遺跡は、下里中学校の校庭下に保存され、1軒の住居跡が外から見られるようになっている。

下里本邑遺跡公園 11:53
弥生時代(約1700年前)、奈良・平安時代(約1200年前)の住居跡
都指定史跡 下里本邑遺跡
下里本邑遺跡公園 11:53
弥生時代の住居跡 11:53
弥生時代末葉(約1700年前)の住居跡が5軒発見された。
下里本邑遺跡公園説明板 11:54
旧石器時代(約3万年前~約1万年前)、縄文時代(8000年前~5000年前)、弥生時代(約2000年前)、奈良・平安時代(約1200年前)の人々が生活したムラの跡がこの地下に眠っている。
下里本邑遺跡館 11:54
下里本邑遺跡公園 11:55
旧石器時代(約3万年前~約1万年前)の礫群 11:56
下里本邑遺跡公園説明板 11:57
下里本邑遺跡(東京都指定史跡・昭和59年3月22日指定)は、旧石器時代から奈良・平安時代までの長い歴史をもち、黒目川と小支流の出水川との合流点下流左岸の標高54~60mの舌状に張り出す台地と低位段丘上にある遺跡。
昭和56(1981)年に発掘調査され、台地上では約30,000年前の旧石器時代の石器と礫群が9個所発見され、特に磨製石器が注目された。また縄文時代前期および中期、弥生時代後期、奈良・平安時代の竪穴住居跡等が発見された。台地上の低地(自然堤防状の礫層の高まり)からは、約12,000年前の旧石器時代最終末期の細石器と、約9,000年前の縄文時代早期の土器と石器が多量に出土した。このことは当時の人々に日常生活の活動の場が、住居を営んだ台地下の低地にまで及んでいたことを証明した重要な遺跡と言える。
また、遺跡の一部である8000平方メートルが遺跡公園として整備され、発見された遺跡が現地保存されている。公園の外に遺跡から出土した土器や石器、調査風景の復元展示を見学できる「下里本邑遺跡館」がある。
弥生時代末葉(約1600年前)の方形周溝墓 12:01
一辺が9m程の溝で囲まれた方形周溝墓と考えられる。
下里本邑遺跡公園 12:02
平安時代(約1000年前)の住居跡 12:03

都立六仙公園サービスセンター 12:17
都立六仙公園リーフレット
都立六仙公園リーフレット
都立六仙公園 12:17
都立六仙公園 12:17
都市計画公園事業のお知らせ 12:20
六仙公園は平成7年に計画された新しい公園で平成18年に計画地域の一部0.5haが開園した。
その後、旧東久留米市立第八小学校の跡地なども公園として整備され、令和6年4月までに約6haが開園した。
都立六仙公園・みはらし広場、遊具広場 12:21
都立六仙公園・旧東久留米市立第八小学校記念碑 12:22
東久留米市の市道のフェンス(飛び出し防止、管理区分のフェンス) 12:23
「ここまでは安全な公園」「ここからは車が通る道路」という境界を明確にしている。
都立六仙公園(東久留米市)の中に、フェンスで囲まれた道路が貫通している理由は、主に「公園の整備段階」と「公道としての性質」という2つの背景がある。
一見すると「公園の中に道路がある」ように見えるが、法的には「道路の左右に公園が飛び地のように作られている」という状態。公道(市道)が先に存在している。
六仙公園は、もともと住宅や畑だった場所を東京都が買収して整備を進めている「都市計画公園」で、 公園の中を通っている道路は東久留米市の「市道」であり、公園が完成する前から地域住民の生活道路として利用されてきた。公園の土地は「東京都」が管理しているが、道路部分は「東久留米市」が管理する公共の道である。
その道路を廃止(通行止め)にするには、代替となる道路の整備や、近隣住民の同意、市議会での手続きなどが必要になり、現在はまだその段階に至っていないため、道路として残されている。将来的に公園周辺の整備が進み、その市道を通らなくても周辺住民の通行に支障がない状態になれば、道路が廃止されて公園の一部(園路)として統合される可能性がある。そうなれば現在の物々しいフェンスも撤去されるはずである。
都立六仙公園案内図
都立六仙公園・縄文の丘(歴史の丘) 12:24
六仙遺跡モニュメント、野外学習広場
都立六仙公園・縄文の丘(歴史の丘) 12:25
縄文遺跡を守るため園路の高さを調整している地層模様の説明板 12:25
都立六仙公園・縄文の丘(歴史の丘)にて 12:28
歴史の丘説明板 12:28
都立六仙公園・縄文の丘(歴史の丘)にて 12:28
都立六仙公園・縄文の丘(歴史の丘)にて 12:31
都立六仙公園・縄文の丘(歴史の丘)にて 12:31
ばったランド 12:33
生物多様性スポット(仮設置)
東久留米市の市道のフェンス(飛び出し防止、管理区分のフェンス) 12:34
小山台遺跡公園 12:54
小山台遺跡公園 12:54
小山台遺跡公園 12:55
小山台遺跡公園 12:55
黒目川近くの「小山緑地保全地域」に含まれており、約4400平方メートルの広さがある。
市内を一望できる高い丘にあるため、夜景の美しい場所としても人気がある。
また、西武池袋線がすぐ横を走っているため、電車を撮影することもできる。
小山台遺跡住居跡 12:55
縄文時代中期(約5000年前)の竪穴住居跡3軒のうちの1軒である。
この高台の崖下に黒目川が流れ、湧き水もあり生活に適した場所であった。
東久留米市指定文化財 小山台遺跡説明板 12:55
昭和45年当時の発掘調査の様子
小山台遺跡住居跡 12:57
公園の東側を西武池袋線が通っている。
西武池袋線電車 12:58
新鮮こだわり中国料理「同心居」清瀬店 13:11
中国料理「同心居」清瀬店
中国料理「同心居」清瀬店 13:12
海鮮スーラータン麺 ¥1,380(税込¥1,518)
昼食時に定例会合 生ビール、ノンアルコールビール 1人約2,360円

清瀬市郷土博物館・清瀬市民文化センター 13:59
清瀬市郷土博物館・清瀬市民文化センター 14:00
清瀬市郷土博物館前で新築住宅建設中
清瀬市郷土博物館前の有料駐車場
清瀬市郷土博物館・清瀬市民文化センター入口 14:00
昭和60年清瀬市郷土博物館誕生
市民文化創造のために
清瀬駅開業100周年記念特別作品「Rail &Road時代を超えて」 14:01
地質時代の植物(第四紀)
強清水遺跡(旧石器~縄文時代晩期) 柳瀬川の河原石 14:01
伊勢遺跡 14:02
石器の製作所であった可能性が指摘されている。
野火止野塩遺跡(縄文時代早期)
野塩遺跡(縄文時代前期) 14:04
柳瀬川・空掘川流域の縄文時代遺跡分布図
野塩前原遺跡群(縄文時代中期) 14:07
野塩前原遺跡群は、野塩4丁目に広がる野塩前原遺跡と野塩前原東遺跡をまとめた総称である。この両遺跡は空掘川東岸の台地上にある縄文時代の集落で、野塩前原遺跡は2回の発掘調査で住居7基、集石6基、陥し穴1基が検出された。野塩前原東遺跡からは住居6基、土抗墓55基、集石2基、ピット42基が検出され、竪穴住居と墓域が共存していた。
有孔鍔付土器 (縄文時代中期) 野塩前原遺跡出土 
有孔鍔付土器 (縄文時代中期) 野塩前原遺跡出土 
有孔鍔付土器 (縄文時代中期) 野塩前原遺跡出土 
深鉢土器(縄文時代中期) 野塩前原遺跡群
深鉢土器(縄文時代中期) 野塩前原遺跡群
深鉢土器(縄文時代中期) 野塩前原遺跡群
関東地方における縄文時代の時期区分と清瀬の縄文遺跡
野塩外山遺跡出土品(加曾利E式土器、石鏃、打製石斧、石棒)(縄文時代中期)
弥生土器 野塩前原遺跡出土、勾玉・管玉 下宿内山遺跡出土
加曾利E式土器、石鏃、打製石斧、石棒(縄文時代中期)野塩外山遺跡出土
加曾利E式土器、石鏃、打製石斧(縄文時代中期)野塩外山遺跡出土
弥生土器 野塩前原遺跡出土、勾玉・管玉 下宿内山遺跡出土
清瀬の古代 14:31
古代武蔵野の景観
清瀬の中世
野塩村徒党高札(明和7年4月) 江戸時代
清瀬の大正
清瀬の民俗文化財 14:32
清瀬の民俗文化財
清瀬の昭和 14:32
国指定重要有形民俗文化財 「清瀬のうちおり」 14:28
「清瀬のうちおり」
Gemini ・NanoPananaProにて写り込んでいる人物・背景を削除した画像
袷長着 14:28
「うちおり」衣料の種類
「うちおり」衣料製作地

清瀬市郷土博物館15:00・・(都道6,県道179号経由22.8km62M)・・16:15Se氏宅・・(8.1km23M)・・Su氏宅・・(1.8km5M)・・16:42秋川(自宅) 走行距離約77.2km