2024年6月14日(金)晴れ 最高気温34℃
毛呂山町歴史民俗資料館と飯能市立博物館の見学ついでに近くにある石尊山(225.1m)と
天覧山(197m)に登って周辺の市街地を見た。
日程
自宅7:55ーSu宅ー8:25Se宅ー青梅IC8:33ー(圏央道、17.6km、740円)ー8:50圏央鶴ヶ島ICー9:11毛呂山町歴史民俗資料館10:31ー10:40川角古墳群10:48ー11:05毛呂氏館址(長栄寺)・・11:30石尊山(225.1m)・・11:48長栄寺駐車場ー12:04中華料理「大海軒」(昼食)12:30ー12:46鎌北湖13:00ー13:41飯能市中央公園第1駐車場・・13:44飯能市立博物館14:24・・14:29能仁寺14:31・・14:38天覧山(197m)15:28・・飯能市中央公園第1駐車場15:32ー16:31自宅(走行距離:103km)・・16:40江戸一(夕食)18:30・・18:35自宅
毛呂山町歴史民俗資料館、川角古墳群、延慶の板碑、中華麺店「大海軒」(昼食)埼玉医科大学病院付近、毛呂氏館址、石尊山(225.1m)
圏央鶴ヶ島ICから毛呂山町歴史民俗資料館への道路で、この踏切が一番狭い(一車線通行)
西戸2号墳 9:13
越辺川(おっべがわ)流域にある西戸古墳群の2号墳石室を平成2年にこの資料館に移した。
西戸2号墳は、6世紀末から7世紀初頭に築造された。8世紀頃の遺物も出土している。
明治26年(1893)発掘調査時の様子を記した記録碑
西戸古塚碑 説明板
長雨により表土が崩れ石室が出てきた。数体の人骨や遺品が出てきた。
人骨は主従関係にあるようで殉死者がいたようだ。
毛呂山町歴史民俗資料館 リーフレット
シンボル展示 流鏑馬(やぶさめ)射手像 9:21
毛呂山町の「秋のやぶさめ」は、15歳前後の男児が「乗り子」と呼ぶ射手を務める。
埼玉県指定無形民俗文化財 毛呂山町出雲伊波比(いわい)神社の「やぶさめ」
流鏑馬と毛呂氏の由来
縄文時代の年代観:縄文土器の形や文様など科学的測定方法の進歩で年代観が見直された。
草創期:約16,500~11,500年前(約5,000年間)、人口:約5千人
早期:約11,500~7,200年前(約4,300年間)、人口:約2万人
前期:約7,200~5,400年前(約1,800年間)、人口:約11万人
中期:約5,400~4,400年前(約1,000年間)、人口:約26万人
後期:約4,400~3,000年前(約1,400年間)、人口:約16万人
晩期:約3,000~2,400年前(約600年間)、人口:約8万人
(弥生時代:約2,400~1,700年前(約700年間)、人口:約59万人)
縄文前期中葉(約5,500年前)の土器 松の外遺跡J-1住居跡
縄文前期中葉(約5,500年前)の土器 松の外遺跡J-1住居跡
深鉢形土器 縄文時代中期 新田東遺跡出土
深鉢形土器 縄文時代中期 新田東遺跡出土
深鉢形土器 縄文時代中期 白綾遺跡出土
原料の採集、素地土作り、成形、施文、整形、乾燥、焼結
毛呂山町では弥生時代の遺跡はほとんど発見されていない。
古墳時代 古墳と祭礼
西戸古墳群箱式石棺墓の復元 (頭蓋骨:レプリカ)
常滑地方で焼かれた大甕
阿弥陀一尊種子板碑 往生礼讃の一節
令和6年度埋蔵文化財最新出土展 展示資料一覧
寄贈資料の紹介:大型石棒、石剣、磨石、磨製石斧
令和4・5年度発掘調査の成果:三ケ谷戸遺跡、堂前遺跡、中堂遺跡、加能里遺跡
胎蔵界大日如来の種子
浅間信仰は富士山を神と崇敬し、後に社が造られ木花咲耶姫命を神と設定した信仰
富士山本宮浅間神社を総本社とし、浅間神社は千三百余社に及ぶ。
富士仙元大菩薩は仏教的流れを汲む浅間信仰である。
日の出とスカイツリーがまじわるポイント標識 11:30
東京方面
毛呂山町、鶴ヶ島市、日高市、川越市、さいたま市方面
秩父方面
埼玉医科大学病院・JR八高線毛呂駅付近
中華麵店「大海軒」 12:04
桂木(かつらき)ゆずの産地(日本最古のゆずの産地)、香気成分が他県産の4倍ある。
ゆずは奈良時代に中国から朝鮮をへて渡来したと推定されている。
農業用貯水池として昭和10年に完成した人造湖、周囲約2㎞、水深20m
鎌北湖第一駐車場、多機能トイレ 12:46
天覧山展望台から十六羅漢へ 15:11
天覧山展望台から十六羅漢への岩場 15:11
鎌北湖堰堤から鎌北湖第二駐車場まで行ってみた。
飯能市立博物館(Hanno Municipal Museum) 13:44
2018年4月にリニューアル後名前が飯能市立郷土館から飯能市立博物館に変わった。子孫の繁栄や豊かな実りを祈ったり祭祀儀礼に使用されていたものと言われている。
⑥加能里遺跡、⑦張摩久保遺跡、⑧三ヶ谷遺跡、⑨張摩久保遺跡
⑩中堂遺跡、⑪堂前遺跡、⑫中堂遺跡、⑬中内手遺跡
山上の平安仏 国指定重要文化財「木造軍荼利明王像」 10世紀頃の製作山岳仏教の信仰に基ずく仏像(埼玉県最古の木彫仏) 常楽院蔵
飯能市立博物館の南側に入間川が流れている。
飯能市 市民会館利用者駐車場 14:24
飯能市立博物館の南側に入間川が流れている。北側に天覧山がある。
https://noninji.net/introduce.html
能仁寺山門 仁王像
もとは能仁寺の愛宕権現が山頂に祀られていたので愛宕山と呼ばれていた。
その後、桂昌院が綱吉の病気平癒のお礼に十六羅漢の石仏を奉納したので羅漢山と呼ばれるようになった。明治16年4月18日、明治天皇が近衛兵春季小演習を山頂から視察したことにより天覧山と改称された。明治45年4月に行幸記念碑が建立された。
天覧山中段 御駒繋ぎの松 14:50
明治天皇の愛馬「金華山」がつながれた松の跡(松は枯れたので無い)
天覧山展望台 14:59
天覧山(197m) 14:59
標高195mと記されているが、国土地理院の地図では197mである。
明治天皇の愛馬「金華山」がつながれた松の跡(松は枯れたので無い)
天覧山展望台 14:59
天覧山(197m) 14:59
標高195mと記されているが、国土地理院の地図では197mである。
天覧山展望台 14:59
山頂にかけて露出している岩石は、チャート(石英質堆積岩)で秩父中・古生層もしくは秩父層群と呼ばれ、古生代石炭紀から中生代ジュラ紀(約3.5~1.5億年前)に海底で出来た地層が隆起したもの。
山頂にかけて露出している岩石は、チャート(石英質堆積岩)で秩父中・古生層もしくは秩父層群と呼ばれ、古生代石炭紀から中生代ジュラ紀(約3.5~1.5億年前)に海底で出来た地層が隆起したもの。
丹沢山系、富士山方面を望む
飯能市市民会館と飯能市立博物館を望む
後方にDERUPARA(パチンコ・パチスロ)が見える
天覧山展望台にて 15:06天覧山展望台から十六羅漢へ 15:11
天覧山展望台から十六羅漢への岩場 15:11