第2日目(10月17日 土曜)
対馬・厳原港ー壱岐・芦辺港ー月読神社・鬼の窟古墳・風土記の丘・勝本港ー
辰の島遊覧ー猿岩・黒崎砲台跡ー岳の辻展望台・玄海酒造ーはらほげ地蔵・左京鼻ー
一支国博物館ー原の辻一支国王都復元公園ー郷ノ浦町ー芦辺港ー対馬・厳原港
壱岐島よかとこマップ
厳原 ツタヤホテル 5:57
厳原港 朝鮮通信使対馬易地聘礼(へいれい)200年記念壁画 6:11
最後の朝鮮通信使となった1811年の朝鮮通信使は、それまでの江戸城ではなく、
対馬で日朝間の国家儀礼を行うように変更された。
対馬 日本遺産の島 6:14
厳原港ターミナルビル 6:15
ジェットフォイル「BLUE-TSUSHIMA」待合室 6:19
ジェットフォイル VENUS2 6:34
厳原港発6:45ー7:50芦辺港着
厳原港 6:37
ジェットフォイル VENUS2 船内 6:41
ジェットフォイル VENUS2出船 6:53
時速約80km
壱岐島 7:39
壱岐・芦辺港 7:52
芦辺港桟橋 7:56
博多に行く人達がマスクを付けて並んでいる。
芦辺港ジェットフォイルターミナル 7:56
芦辺港駐車場 8:00
オリックスレンタカーは、車内にキーを入れたまま置いてあった。
会社の人によると「置いておいても誰も持っていかない」と言っていた。
月讀神社 8:34
カーナビに目的地としてセットしておいたが
由緒ある神社なので想像していたより目立たなかったので3度も見逃した。
茅の輪 8:36
心身を清めて厄払いや無病息災を祈願する
月讀神社 月夜見命月弓命月読命 8:37
石段の上の本殿・社務所の隣にあった。
「古事記」では月読命、「日本書紀」では月読尊と表する。
月読は、伊弉諾尊によって生み出され、天照大神の弟神、素戔鳴尊の兄神にあたる。
鬼の窟古墳 8:44
6世紀後半~7世紀前半頃に築造された墳丘、
外側に土塁が盛られた古墳(直径45メートル)
鬼の窟古墳 8:46
鬼の窟古墳 8:47
壱岐古墳群
6世紀後半~7世紀前半頃に築造された墳丘、古墳256基が残存している。
6基が国の史跡
対馬塚古墳、双六古墳、笹塚古墳、掛木古墳、兵瀬古墳鬼の窟古墳、
掛木古墳 8:56
掛木古墳 8:57
掛木古墳 8:58
風土記の丘 9:08
風土記の丘 古民家園 9:09
壱岐の伝統工芸品「鬼凧」 9:09
昔、壱岐は鬼ヶ島だったと言い伝えがある。
たくさんの鬼達は人々を苦しめ、首領の鬼、悪毒王と悪さばかりしていた。
そこで命を受けた百合若大臣は、海を渡り鬼退治にやってきた。
百合若大臣は鬼達と戦い勝利するが、首をはねたはずの悪毒王は、
天に舞うとまた地上へ戻り、百合若大臣の兜をガブリと噛みついた。
鬼凧はその時の様子が描かれた。
鬼凧は、家内安全、無病息災、魔除けとして屋内に飾られる。
風土記の丘 古物展示室 9:15
電蓄と共に石原裕次郎と山口百恵のレコード盤が展示されていた。
風土記の丘 古民家園 9:17
欧米人の観光客が一人旅をしていた。
屋外の五右衛門風呂 9:19
製縄機 9:23
納屋に製縄機が置いてあった。
勝本港 辰の島遊覧船 「宙船」(そらふね)パンフレット
海水が透明なので波が無いと船が空を飛んでいるように見える。
勝本港 辰の島遊覧船乗場 9:50
辰の島遊覧船 10:00出発 9:57
所要時間は約40分、
辰の島遊覧 名取島 10:03
辰の島遊覧 辰の島南端防波堤 10:09
辰の島上陸桟橋 10:10
辰の島海水浴場 10:11
辰の島遊覧 海の宮殿 10:13
辰の島遊覧 海の宮殿 10:14
辰の島遊覧 若宮島桟橋 10:16
かつて若宮島砲台が設置され、
1963年に海上自衛隊 壱岐警備所が設置された。
九州本土と対馬・五島列島を結ぶ通信拠点
辰の島遊覧 マンモス岩 10:18
アブラメ瀬戸
辰の島遊覧 マンモス岩 10:22
辰の島遊覧 日本海側からの眺め 10:22
辰の島遊覧 羽奈毛崎 奇岩断崖 10:24
辰の島遊覧 羽奈毛崎 奇岩断崖 10:25
辰の島遊覧 蛇ヶ谷 10:25
辰の島遊覧 蛇ヶ谷 10:26
辰の島遊覧 海中の岩に座った釣り人 10:27
生うに丼「大幸」10:50
昼食:生うに丼定食 3500円 11:00
猿岩 11:54
猿岩 11:54
岩と植物による自然の造形
猿岩 11:56
黒崎砲台跡 12:02
当時、世界最大で最新鋭の戦艦として建設中だった戦艦「土佐」に搭載されていた主砲だが
第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議で、米、英、日の主力艦の所有率を「5:5:3」に
調整することが決定された結果、廃棄することになった戦艦の主砲を壱岐に運んで設置した。
口径41cmのカノン砲二門の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km。
1度の試射が行われたのみで、実戦で使われることはなく戦後には解体された。
黒崎砲台跡 12:04
黒崎砲台跡 12:04
玄海酒造株式会社 12:45
臨時休業で麦焼酎を購入できなかった。
工場見学はコロナ禍で中止していた。
壱岐は麦焼酎発祥の地、7つの蔵元がある。
長崎県で2番目に広い穀倉地を有する壱岐。
古代より稲作が盛んで、豊富な穀物と良質な地下水を原料に清酒文化が発達し、
多くの農家ではどぶろくがつくられていました。
大陸から蒸留技術が伝わったのは、室町時代から安土桃山時代にかけて(16世紀)。
江戸時代(17世紀)には平戸藩統治下の重税のため、島民は米でなく麦を主食としていた。その余った麦を蒸留した自家製の焼酎と、米麹を融合させたものが、壱岐の麦焼酎の原型。
壱岐焼酎は、1995年に国税庁の地理的表示に登録されている。
玄海酒造株式会社 後方に貯蔵タンク群 12:45
玄海酒造株式会社 焼酎資料館 12:45
モンドセレクション18年連続受賞
消費生活製品のの技術的水準を審査するベルギーにある民間企業
審査料は食品部門であれば1製品につき1,150ユーロ
玄海酒造株式会社製麦焼酎「壱岐」22度
土産用に「壱岐」焼酎を購入できなかったので壱岐島でAmazonに注文した。
米麹の甘みと麦の香りが広がる壱岐の麦焼酎。
壱岐島の最高峰「岳の辻」標高212.8m 12:51
岳の辻展望台 標高212.8m 12:54
壱岐全島と眼下に郷ノ浦の町並み、その背後に原島、長島、大島の渡良三島が見える。
岳の辻展望台からのパノラマ写真 12:55
岳の辻展望台 12:50
新羅の襲来に備えた狼煙台(左側)が復元されていた。
はらほげ地蔵 13:31
八幡浦の海に祀られている六地蔵は六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)を表す。
地蔵の腹が丸くえぐられているから名付けられた。
干満時に供え物が流されないように腹部に穴を掘ったとのこと。
満潮時のはらほげ地蔵
はらほげ地蔵 13:31
左京鼻 観音柱 13:44
海中から細い柱を束ねたような玄武岩の柱状節理が突き出ている。
左京鼻 13:44
総延長1㎞の海蝕崖
左京鼻 龍神神社 13:47
八幡半島のほぼ先端にある
名前は、雨乞いをした陰陽師の後藤左京に由来するらしい。
左京鼻 13:49
左京鼻 13:50
内海湾 14:05
一支国の王都・原の辻を訪れる古代船が往来した玄関口、
ここで小舟に荷物を積みかえて原の辻に向かった。
壱岐のモンサンミッシェルと呼ばれる小島神社 14:05
干潮時に海が割れて神社への参道ができる。
満潮時には参道が海中に沈む。
小島神社 14:08
一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター 14:39
一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター 14:39
4165枚の銅銭が入れられた壺 14:43
弥生時代の壺 14:43
仏像 14:45
須恵器 14:46
双六古墳の首長の刀のつば等 14:47
対州馬の飾り14:48
古代木造船復元 14:49
原の辻一支国王都 模型 14:51
長崎県埋蔵文化財センター収納庫 14:58
壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター 15:02
設計:黒川紀章建築都市設計事務所
2010年3月14日開館
一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター展望台 15:04
内海湾方面を望む
一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター展望台からの眺め 15:05
右奥に原の辻一支国王都復元公園が見える。
一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター展望台 16:10
一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター15:10
原の辻一支国王都復元公園 15:24
原の辻一支国王都復元公園 15:25
原の辻一支国王都復元公園 15:25
原の辻一支国王都復元公園 15:25
原の辻一支国王都復元公園 15:27
郷ノ浦にてオリックスレンタカー返却 15:49
芦辺港待合室 16:36
芦辺港駐車場 16:51
芦辺港夕日 16:52
iPhone8 GPSデータ 17:43
芦辺港発17:05ー(ジェットフォイル)ー18:10厳原港着
iPhone8 GPSデータ 18:08
厳原港
厳原港 VENUS 18:14
石焼き 18:20
厳原「八丁」 サザエ、ケンサキイカ、ヒオウギ貝、サバ、どんこ、野菜
石焼き 18:26
事前にコンロで加熱してあった。遠赤外線料理
対馬の日本酒「白嶽」生酒 18:34