2021年10月26日火曜日

吉野ケ里歴史公園関連(邪馬台国と末蘆国)

2021年10月21日(木曜)
国営 吉野ケ里歴史公園 入口ゾーン 11:20

国営 吉野ケ里歴史公園

吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。
国の特別史跡に指定されている。
約117ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落跡で知られる。
1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された。
現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園である。
公演全体案内MAP
国営吉野ヶ里歴史公園 東口駐車場
国営吉野ヶ里歴史公園 入口ゾーン
背景:歴史公園センター
国営吉野ヶ里歴史公園 メインゲートにて記念撮影
利用券 シルバー(65歳以上)200円

天の浮橋(田手川) 右手後方:北内郭周辺
環濠入口広場
環濠
実際の環濠を保護のため30㎝くらい盛土してある。
遺跡の発掘と保存・活用
環濠集落前で記念撮影
環濠集落入口で記念撮影
環濠集落
防護柵、環濠と内側に先のとがった木の杭で防御している。

弥生くらし館にて
「邪馬台国と末蘆国」展示
弥生くらし館 体験工房
弥生くらし館にて 甕棺
土器棺
佐賀新聞 平成9年9月11日掲載
「邪馬台国と末蘆国」展示
中国の「魏志倭人伝」に記されている「末蘆国」と推定される松浦地域は、
壹岐・対馬を経由した中国・朝鮮半島からの大陸文化流入の窓口であり、
東側の糸島・福岡地域、南側の肥前・佐賀地域への陸上・海上交通の要衝となっている。
この松浦地域に焦点を当て、所在する遺跡の内容や最新の発掘調査成果を紹介して、
この地域の想定される「末蘆国」について検証し吉野ケ里遺跡との関係を探る。
「三国志 魏書東夷伝倭人の条」原文・読み下し文・注釈
「邪馬台国と末蘆国」展示室
展示品の撮影禁止、パネルは撮影OK。
佐賀平野の弥生のクニ
佐賀平野の弥生のクニの様子
淡路島出土の弥生時代の青銅出土地
方格規矩四神鏡
弥生くらし館
「邪馬台国と末蘆国」展示
南のムラ
札幌から勾玉造りに訪れた人
「2時間、熱中できるから良い」と言っていた。
親子で勾玉造り
吉野ケ里の体験プログラム
南のムラ周辺
「下戸」と呼ばれる一般の人々が住んでいた地域で、
竪穴住居や高床式倉庫など27棟の建物が復元されている。
「下戸」の弥生人になったつもりで木の下で持参した昼食を食べた。
南内郭 物見櫓
南内郭 物見櫓
南内郭
物見櫓4棟や王たちの家、煮炊き屋など、
王たちの居住空間も含め20棟の建物が復元されている。
南内郭 物見櫓からの展望
記念撮影
赤いそばの花 祭りの広場
赤い蕎麦の花
赤い蕎麦(原産地:ヒマラヤ山脈、中国雲南省)
中のムラから北内郭を見る
北内郭へ
北内郭案内図
北内郭
北内郭
吉野ケ里集落の中で最も重要で神聖な場所とされている。
当時、政事が行われていたと所と考えられている。
巨大な祭殿をはじめ9棟の建物が復元されている。
政事が行われていたところ
政事が行われていたところ
最高司祭者(巫女)
最高司祭者(巫女)
祖霊からのお告げを授かる儀式
北墳丘墓へ
約2100年前の歴代の王やそれに近い身分の人が埋葬された特別な墓。
墳丘からは14基の甕棺が出土し、その内1基には青銅の剣とガラスの管玉が、
7基には青銅の剣が副葬されていた。
甕棺墓列(かめかんぼれつ)
甕棺
甕棺
甕棺
全長300mに渡り約500基からなる墓列を中央の墓道と共に再現している。
北墳丘墓の御柱
北墳丘墓から環濠入口広場まで園内バスに乗った。
園内バスルートから「倉と市」を望む
園内バスからの風景
天の浮橋から歴史公園センターのメインゲートを見る 14:16