2022年4月29日金曜日

6日目 大沼公園、鷲ノ木遺跡、高砂貝塚、入江貝塚、北黄金貝塚、洞爺観光ホテル

 2022年4月26日(火曜)

概要

大沼からの駒ケ岳  10:11
大沼国定公園 集合写真を撮ってくれた親切な女性と共に  10:15
大沼国定公園 水芭蕉 10:16
大沼国定公園 遊覧船  10:38
鷲ノ木遺跡(北海道森町)3a 関連遺産
2022年7月ごろから鷲ノ木遺跡見学会を開催する。
北海道最大規模の環状列石を伴う祭祀遺跡。
環状列石は楕円形の配石を中心に円環状の列石が2重に巡り、
直径37mのほぼ円形である。周囲には縦穴墓域や配石遺構がある。
鷲ノ木遺跡は道央自動車道E5の上にある。
森町遺跡発掘調査事務所  11:16
土偶
森町遺跡発掘調査事務所
イカ形土製品と森町阿部商店のイカ飯  14:02
森町遺跡発掘調査事務所
入江・高砂貝塚館  14:51
高砂貝塚 (北海道洞爺湖町)3b  15:20
内浦湾(噴火湾)を望む低地に立地する共同墓地。
土坑墓と配石遺構からなる墓域、貝塚が配置されている。
土坑墓には土器や石器、石製品などの副葬品を伴い、ベンガラが散布されている。
このほか抜歯した人骨や胎児骨を伴う妊産婦の人骨も確認されている。
高砂貝塚出土品 入江・高砂貝塚館
入江貝塚(北海道洞爺湖町)3a  15:39
内浦湾(噴火湾)を望む丘陵上に立地する集落跡。
貝塚からは多数の貝殻、魚骨、動物の」骨や角、加工した道具が出土した。
墓から幼いころに筋萎縮症に罹患した成人の人骨が見つかり、集落内で手厚い介護を受けながら生きていたことがわかる。
入江貝塚 竪穴住居跡  15:41
入江貝塚 復元竪穴住居  
入江式文様土器  入江・高砂貝塚館
土偶  入江・高砂貝塚館
貝製装飾品  入江・高砂貝塚館
北黄金貝塚(北海道伊達市)2a  16:43
北黄金貝塚(北海道伊達市)2a    16:57
内浦湾(噴火湾)を望む丘陵上に立地する集落跡。
貝塚からは多数の貝殻、魚骨、動物の」骨や角、加工した道具が出土し、
海進・海退による環境変化に適応した漁労を中心とした人々の暮らしがわかる。
低地にある水場遺構では、意図的に壊された石皿ややすり石などの石器が大量に確認され、廃棄に伴う祭祀・儀礼が行われていたと考えられる。
再現した貝塚にはホタテ貝や鹿の角が置いてあった。


昭和新山 398m   17:34
昭和19年に始まった噴火活動で隆起した。まだ噴煙を上げている。
50年以上前に来たときは、周辺に畑の跡があった。


4月26日(火曜)日程
鹿部温泉 旅館倉敷 朝食  6:59
鹿部温泉 旅館倉敷 朝食  6:59
鹿部温泉 旅館倉敷  8:07
旅館倉敷周辺散策
旅館倉敷周辺散策  8:09
鹿部魚港 周辺散策  8:13
鹿部魚港  
鹿部魚港  8:13
鹿部魚港
鹿部魚港  8:14
鹿部魚港
鹿部魚港8:16
しかべ間歇泉公園ポスター  8:23

函館市縄文文化交流センター・道の駅「縄文ロマンかやべ」 8:58
史跡 垣ノ島遺跡
前日(月曜日)休館日だったので翌朝早めに訪問した。
函館市縄文文化交流センター  9:01
函館市縄文文化交流センター
縄文文化のはじまり  9:02
寒冷期から温暖期へ
新石器時代の世界
縄文時代年表
津軽海峡土器文化圏
謎はある。こたえはない。 じょーもんぴあ宮畑
北海道デジタルミュージアム 2022 SITE OPEN
縄文マジカル
仙台市縄文の森広場 山田上ノ台遺跡
山内清男の考古学 本庄早稲田の杜ミュージアム
函館市縄文文化交流センター
函館市縄文文化交流センター 壺展示
深鉢 
クジラ(椎骨) 大船遺跡
貝塚
石鏃(せきぞく) 八木A遺跡・大船遺跡
弓・矢・槍(復元)
横斧(復元)・石斧片など
縦斧(復元)・石斧/石ノミ・擦切残片
擦石 八木A遺跡・大船遺跡
つまみ付きナイフ
深鉢など
フラスコ状土坑
縄文時代早期の墓から出土した漆糸製品 9000年前
この発見により日本が漆文化の発祥地の可能性が高まった。
漆糸製品
赤漆塗り注口土器(複製) 垣ノ島遺跡  9:11
注口土器、下部有孔土器 八木A遺跡(函館市指定文化財)
注口土器 八木A遺跡(函館市指定文化財)  
注口土器 八木A遺跡(函館市指定文化財)
上:赤彩壺形土器、下:台付浅鉢形土器、右:深鉢形土器
臼尻C遺跡(函館市指定文化財)
赤彩壺形土器 臼尻C遺跡(函館市指定文化財)
深鉢形土器 臼尻C遺跡(函館市指定文化財)
台付浅鉢形土器 臼尻C遺跡(函館市指定文化財)
土偶
青龍刀形石器 垣ノ島遺跡
注口土器 臼尻C遺跡(函館市指定文化財)
アスファルト塊(複製) 豊崎B遺跡(アワビ貝殻付き)
アスファルト付着石器 麿光B遺跡・豊崎B遺跡ほか
装飾品 八木A遺跡
翡翠性装飾品 垣ノ島遺跡(縄文後期)
足形付土版 約6500年前の子供の足形
足形付土版
足形付土製品出土状況 豊原4遺跡
足形・手形付土製品 豊原4遺跡
足形・手形付土製品 豊原4遺跡
足形付土版 出土状況

国宝 中土偶   9:17
愛称:茅空(カックウ)
2006年、函館市(旧南部町)著保内野(ちょぼないの)遺跡から出土
国宝 中空土偶
国宝 中空土偶
国宝 中空土偶
国宝 中空土偶
国宝 中空土偶 愛称:茅空(カックウ)
製作方法によって粘土塊で作られた忠実土偶と
中が空洞の中空土偶がある。
実用的な道具でないので精神性を象徴する第二の道具といわれている。
ほとんどの土偶は女性を表している。
特に縄文時代中期までは妊婦表現などの母性を強調しているが、
後期には性的特徴がなくなり、性を超越した精霊のような表現となる。
カックウにも女性的なフォルムと男性的な髭や眉が混在し、
神秘的な表情になっている。
国宝 中空土偶 説明板
考第42号 国宝指定 土偶
函館市(旧南茅部町)著保内野(ちょぼないの)遺跡出土
平成19(2007年)年6月8日 文部科学大臣 伊吹文明
ポーズと幾何学文様
ポーズ土偶、玉抱き三叉文による乳房表現
土偶の故意破壊  9:20
都合の良い部位で壊れるように作っていたようだ。
ひとがたや精霊として作られた土偶を破壊するときの心理的負荷を想像すると
個人の意志ではなく集団的心性による行為であることが理解できる。
破壊することによって「死と再生」のイメージから永遠性に転嫁するという縄文社会が共有した心性・日本的な霊性の原点をここに見ることができる。

著保内野(ちょぼないの)遺跡の調査
深鉢、浅鉢、鉢 臼尻C遺跡
竪穴住居模型
竪穴住居跡 大船遺跡
さまざまな竪穴住居跡
竪穴住居 縄文生活風景  9:25
函館市縄文文化交流センターから垣ノ島遺跡を望む  9:27
函館市縄文文化交流センター・道の駅「縄文ロマンかやべ」
函館市縄文文化交流センター・道の駅「縄文ロマンかやべ」
史跡垣ノ島遺跡
史跡垣ノ島遺跡  9:27

北海道・北東北の縄文遺跡群
北海道・北東北の縄文遺跡群 17+2
大船遺跡
垣ノ島遺跡
北黄金貝塚
入江・高砂貝塚
キウス周堤墓群
三内丸山遺跡
小牧野遺跡
大平山元遺跡
田小屋野貝塚
亀ヶ岡石器時代遺跡
大森勝山遺跡
二ッ森貝塚
是川石器時代遺跡
御所野遺跡
大湯環状列石
伊勢堂岱遺跡
鷲ノ木遺跡
長七谷地貝塚
世界に誇る縄文文化
函館市縄文文化交流センター・道の駅「縄文ロマンかやべ」売店  9:32
函館市縄文文化交流センター・道の駅「縄文ロマンかやべ」売店  9:32

大沼公園
大沼湖畔の家 大沼南側  10:07
 北海道亀田郡七飯町軍川
大沼湖畔へ 北海道道338号線・大沼公園線
こぶし咲く大沼湖畔周辺 
北海道道338号線・大沼公園線
水芭蕉が咲く大沼湖畔周辺
大沼湖畔への木道
水芭蕉が咲く大沼湖畔へ 木道を歩く
白い水仙と黄色の水仙
水芭蕉
水芭蕉
水芭蕉
水芭蕉
水芭蕉
大沼湖と駒ヶ岳  10:10
大沼湖と駒ヶ岳(標高1131m)  10:11
大沼湖畔から
大沼湖と駒ヶ岳
大沼湖と駒ヶ岳を背景に記念撮影
大沼湖と駒ヶ岳を背景に記念撮影
大沼湖と駒ヶ岳を背景に記念撮影  10:14
大沼湖と駒ヶ岳を背景に記念撮影
声をかけられ撮ってもらった写真
大沼湖と駒ヶ岳を背景に記念撮影  10:15
集合写真を撮ってくれた親切な女性と共に
水芭蕉とギョウジャニンニク
水芭蕉とギョウジャニンニク
フキノトウとギョウジャニンニク
水芭蕉
水仙  10:18
JR大沼公園駅周辺 谷口菓子舗 二色だんご  10:28
谷口菓子舗 和菓子屋 二色だんご
白鳥台セバット 小沼湖  10:37
白鳥台セバット  10:38
セバットとは狭まった場所の意味。
約3万年前、駒ケ岳の噴火活動で山が崩れ川がせき止められて大沼の原型ができた。
大沼と小沼の間で水が動くのでほとんど凍ることがない。
遊覧船が小沼湖から月見橋を通って大沼湖へ向かう  10:38
遊覧船が小沼湖から月見橋を通って大沼湖へ向かう
大沼湖を望む
JR函館本線 左:月見橋  10:41
JR函館本線
北海道道338号線・大沼公園線と大沼湖
大沼湖を望む  10:41
大沼湖を望む
大沼湖を望む
大沼湖を望む  10:42


国道5号線 函館トヨタ自動車(株)森  11:16
森町遺跡調査発掘事務所展示室隣り
森町遺跡調査発掘事務所展示室  11:16
森町遺跡調査発掘事務所展示室
森町遺跡調査発掘事務所展示室  11:16
森町遺跡調査発掘事務所展示室
森町遺跡調査発掘事務所展示室
森町遺跡調査発掘事務所展示室
森町遺跡調査発掘事務所展示室
森町遺跡調査発掘事務所展示室
土偶の顔
土偶の脚
鷲ノ木遺跡群の発掘品
鷲ノ木遺跡群の発掘
赤彩土器
巻貝形土製品、軽石製品、ホホジロサメの歯
勾玉、勾玉形土製品
巻貝形土製品
土版
ミニチュア土器、赤彩土器
鷲ノ木4遺跡 斜面土坑群58号 埋葬状況の復元
鷲ノ木遺跡 環状列石の周辺に広がる遺構・遺物
鷲ノ木遺跡ジオラマ
北海道縦貫自動車道函館名寄線 七飯~長万部間
鷲ノ木4遺跡
鷲ノ木遺跡ジオラマ 環状列石
イカ形土製品
森町名産「イカメシ」に似ていることや
森町でしか見つかっていないことで希少価値がある。
イカ形土製品 森町文化財
鐸形土製品 森町文化財
鐸形土製品 森町文化財
鐸形土製品 森町文化財6点
縄文時代後期前半(約4000年前)に造られた祭祀・儀礼の道具

イカ形土製品 森町文化財
鳥崎遺跡 
函館本線森~石谷駅間の複線化に伴う発掘調査で畑跡と考えられる畝状遺跡が見つかった。
縄文時代後期のトリサキ式土器が発掘された。
土偶 縄文晩期 鳥崎遺跡 
遮光器土偶と似た模様がつけられている。
土偶 縄文晩期 鳥崎遺跡 
遮光器土偶と似た模様がつけられている。
壺形土器 縄文晩期 鳥崎遺跡
鉢形土器 縄文晩期 鳥崎遺跡
尾白内貝塚 
旧尾白内中学校(現在:パークゴルフ場)に所在
昭和25年(1950年)発見
クジラの背骨の一部、イルカ、アシカ
海鳥類、サメ、マグロ、シカ、ヒラメ、イルカ
石鏃、魚形石器、石斧
擦文時代 約1400年~約800年まえ、
土器が木のへらのような道具で擦った文様がつけられていた。

須恵器の大型壺 御幸町遺跡
青森県五所川原窯跡で生産されたものが森町に持ち込まれたと考えられている。
須恵器の大型壺 御幸町遺跡
森桟橋跡
満潮時は海の中にある。干潮時に曽於姿を見せる水際の遺跡。
明治5~6年に建造された木製の桟橋。
森と室蘭を結ぶ森蘭航路の発着口。
森桟橋跡
陣屋・台場跡
近世
出土品
続縄文土器
続縄文時代
続縄文土器
続縄文土器
イカ形土製品
板状土偶 鷲ノ木遺跡
左腕には縄文時代の修理の痕跡が残されていた。
埋設土器
ストーンサークルの横に埋められていた土器
埋設土器
埋設土器
鷲ノ木4遺跡 再現模型
鷲ノ木4遺跡 再現模型
玉、石棒
黒曜石
北海道では白滝が黒曜石の産地として有名。
石槍、削器
縄文時代の自然環境
縄文人の1年
石器のつくりかた
縄文時代草創期~前期
環状列石とその人々(想像図)  11:40
「JR森駅」と「いかめし阿部商店」  11:53
いかめし阿部商店
いかめし阿部商店  11:55
いかめし阿部商店 店内
いかめしべんとう780円、真空パック940円
いかめし阿部商店 店内
いかめし阿部商店 店内
いかめし駅弁 780円
いかめし駅弁 780円  
柔らかくてとても美味しかった。
スーパーマーケット RALSE MaRT森店  11:59
ラルズマート森店 店内
ラルズマート森店 店内
ラルズマート森店 店内
ラルズマート森店 店内  12:06
懇親会用の飲食品を購入

JR 長万部駅  13:26
長万部駅周辺 そばの合田
長万部駅前 蕎麦店合田
長万部駅前 蕎麦店合田
長万部駅
長万部駅前
そばの合田  13:28
天ぷらそば 850円
長万部駅前蕎麦店合田にて昼食  13:40
長万部駅構内  13:55
長万部駅時刻表
函館本線と室蘭本線が分岐する駅
函館本線下り俱知安・小樽方面 1日小樽行き3便、俱知安行き4便
長万部駅構内
長万部駅
長万部駅 観光案内所
長万部駅 magma  13:58
この岩がなぜ置いてあるのかな?

入江・高砂貝塚館  14:51
入江・高砂貝塚館
入江・高砂貝塚館  14:52
洞爺湖有珠山ジオパーク説明板
縄文時代の生活風景模型
入江・高砂貝塚
貝塚のある縄文の村 入江・高砂貝塚
釣針 入江貝塚 北海道指定有形文化財
銛頭 入江貝塚 北海道指定有形文化財
銛頭 入江貝塚 北海道指定有形文化財
猪牙製装身具 入江貝塚 北海道指定有形文化財
猪牙製装身具 入江貝塚 北海道指定有形文化財
貝製装飾品 入江貝塚 北海道指定有形文化財
土偶
土偶
暮らしの道具
入江式土器
入江式土器
入江式土器の文様
ヘラ状の工具で描かれた文様
入江式土器の文様
入江式土器の文様
入江式土器
入江式土器
入江式土器
入江式土器
入江式土器
入江式土器の文様
入江式土器
入江式土器
入江式土器
竪穴住居跡写真
竪穴住居復元
イヌとともに、いつからムラをつくりはじめたか?
動物骨製装飾品 入江貝塚 北海道指定有形文化財
貝製装飾品 入江貝塚
刺突具 入江貝塚 北海道指定有形文化財
縄文人の銛漁
さまざまな銛
回転式離頭銛のしくみ
回転式離頭銛
単式釣針、結合式釣針 入江貝塚 北海道指定有形文化財
縄文人の漁労 銛頭のかたち
骨の道具  銛頭のかたち
銛頭 入江貝塚 前期
銛頭 入江貝塚高砂貝塚 後期・晩期
高砂貝塚から出土した貝類と魚類の骨
単式釣針 入江貝塚
結合式釣針 高砂貝塚 後期
石鏃 石槍 入江貝塚
エゾシカの骨 高砂貝塚
ヒグマ、エゾジカ等の骨
高砂貝塚から出土した動物の骨
本州から運ばれてきたイノシシ
イノシシの骨 入江貝塚
イノシシの歯や骨で作られた道具、猪牙製装身具 入江貝塚
緑色手泥岩製石斧 入江貝塚
ヒスイ製装飾品 入江貝塚
遠隔地からの搬入品
墓跡からの出土品
墓域内出土品、配石遺構
地層
動物の骨の出土状況
入江貝塚 高砂貝塚 地層
骨が語る縄文人 
高砂A地点貝塚出土
高砂貝塚4号人骨(レプリカ)
入江貝塚9号人骨(レプリカ)
入江C地点貝塚出土 9号人骨
土器展示
土器展示
土器展示
土器展示
旧洞爺村発見の遺物 菊池豊吉氏寄贈資料
旧洞爺村の先史時代 展示品
旧洞爺村の先史時代 展示品  15:10


入江貝塚公園・高砂貝塚 どちらも歩いて5分  15:14
入江・高砂貝塚館  15:15
高砂貝塚  15:16
高砂貝塚 縄文シティサミット in とうや湖 開催記念碑
史跡 高砂貝塚  15:17
内浦湾の望む標高約10mの低地に立地している。
低地の南西側縁辺部を中心として貝塚及び墓域が形成されている。
墓域は土抗墓と配石遺構で構成されている。
祭祀場や共同墓地を支えた貝塚を伴う集落の一つと考えられる。
高砂貝塚 墓域へ
縄文の森 
ミズナラ、トチノキ、クリ、ハンノキ、ホオノキ
土層中に含まれる花粉化石から得られる樹種を植えて
縄文時代の植生環境つくりを行っている。
高砂貝塚  15:18
墓域  15:19
分かり易いようにホタテ貝の殻が敷き詰められている。
墓域へ
墓域へ
墓域
高砂貝塚  15:20
高砂貝塚
高砂貝塚にて
高砂貝塚 C地点貝塚  15:22
弧状の大規模な貝塚。
貝類、魚類が多量に出土、哺乳類の出土は少ない。
ここでは、縄文後期の墓坑が1基発見された。
C地点貝塚 出土品
高砂貝塚
D地点貝塚 
D地点貝塚 縄文晩期中葉(約3000年前)
楕円形の小さな貝塚。
タマキビやアサリを中心とした貝類やイルカなどの海獣類の骨が出土した。
銛頭が2点出土、海獣狩猟を行っていた。
北海道では、縄文晩期の貝塚は例が少ない。
ゴミ捨て場
高砂貝塚
竪穴住居跡 縄文後期初頭(約4000年前) 15:25
竪穴住居跡 縄文後期初頭(約4000年前)
近世の畝跡 1663年前(有珠山噴火以前)
イネ科、アブラナ科の花粉が発見された。
ヒエ、アワ、キビなどの穀物が栽培されていた。アタネも栽培されていた。
近世の畝跡
近世の森 ミズナラ、ハルニレ、シナノキ、ノリウツギ
近世アイヌ文化期(17世紀)につくられた貝塚や畑跡が見つかっている。
高砂貝塚
高砂貝塚
高砂貝塚
高砂貝塚
高砂貝塚  15:28
史跡 入江・高砂貝塚指定年月日碑 
史跡 入江・高砂貝塚指定年月日碑 15:29
史跡 入江・高砂貝塚 高砂貝塚公園
縄文時代後期の遺構と遺物の広がり
縄文時代後期のムラ
縄文時代晩期の遺構と遺物の広がり
縄文時代晩期のムラ
縄文時代晩期の墓と配石遺構
近世アイヌ文化期の遺構と畝跡の広がり
近世の畝跡と貝塚
縄文時代と近世の植生
オムナィ(高砂川)  15:30

史跡 入江貝塚  15:37
入江貝塚
史跡 入江貝塚
内浦湾の望む標高約20mの段丘上に立地している。
段丘の縁近くに竪穴建物による居住域と土抗墓による墓域で構成されている。
共同墓地を支えた貝塚を伴う集落の一つと考えられる。
史跡 入江貝塚
土抗墓から出土した成人人骨1体はポリオ(小児マヒ)に感染し、
四肢が不自由のまま周囲の手厚い介護を受けながら生きながらえたことを示している。
史跡 入江・高砂貝塚 説明板
入江貝塚の整備
入江貝塚の発掘の様子
入江貝塚の発掘品
入江貝塚の発掘調査②
入江貝塚の発掘調査
入江貝塚の発見
昭和17年の道路開削時に、現在のA地点貝塚の一部が発見された。
貝塚とは
入江貝塚
入江貝塚
竪穴住居の発掘
縄文時代のムラ
縄文時代の住まい
竪穴住居跡  15:40
竪穴住居跡 復元
柱にヤチダモという堅くて丈夫な木が使用された。
東北から道南にかけてはクリだけを使う住居が発見されているが、
縄文時代の北海道のほとんどの住居は、クリの他にヤチダモ、コナラ、
ハンノキといった樹木も使われている。また樹皮にはクルミの樹を使っている。
これらは花粉分析によって分かった。
竪穴住居跡
竪穴住居復元
土葺き屋根の竪穴住居
入江貝塚
入江貝塚
入江貝塚の竪穴住居
入江貝塚竪穴住居の発掘調査
入江貝塚の復元住居
竪穴住居の復元
意志で作られた道具
動物の骨で作られた道具
縄文人のアクセサリー
貝塚トンネル 貝塚地層展示  15:44
貝塚地層展示
下側は約5000年前、上側が約4000年前の層
貝塚地層展示
貝塚地層展示
貝塚地層展示
貝塚地層展示
史跡 入江・高砂貝塚ご案内図
墓としての貝塚
入江貝塚から縄文時代前期から後期にかけて人骨が19体見つかった。
貝塚に墓を作るということは、貝塚が単なるゴミ捨て場ではなく、
神聖な場所であったことを意味している。
弱者を助けて生きる
土抗墓から出土した成人人骨1体はポリオ(小児マヒ)に感染し、
四肢が不自由のまま周囲の手厚い介護を受けながら生きながらえたことを示している。
骨からわかる縄文人
縄文時代の道 交易
縄文人の道具箱
縄文人の食料(鳥類・陸獣類)
縄文人の食料(植物)
縄文人の食料(魚類・海獣類)
縄文人の食料(貝類)
黒い貝塚が語ること
貝よりも魚や動物の骨が多いので黒っぽくなる。
貝塚は縄文文化を知る宝庫
ようこそ入江貝塚へ
貝層露出展示ガイド番号
スマホでアプリをダウンロードすれば、ガイド番号の説明が見られる。
貝塚トンネル
貝塚トンネル
貝塚トンネル
貝塚トンネル 円筒上層式(中期)
貝塚トンネル 円筒上層式(中期
貝塚トンネル 入江式土器(後期)
貝塚トンネル
入江式土器(約3500年前)
入江貝塚で発見された縄文土器
縄文土器が語るもの
土器が発明されたことによって調理技術が向上し、
毎日の食料を得るために移動する必要がなくなり、
拠点をつくって生活できるようになった。
入江貝塚 15:48

北黄金貝塚
だて縄文の丘 北黄金貝塚公園 16:20
伊達市
だて縄文の丘 北黄金貝塚公園 駐車場
史跡 北黄金貝塚公園
洞爺湖有珠山ジオパーク
縄文人の精神性の高さを示す遺跡、縄文時代前期~中期(約7000年~4500年前)
丘の上には、貝塚の他、住居や墓、シカを捕るための落とし穴、
祭祀を行う盛土遺構などが発掘された。
調理道具を供養した跡(水場の祭祀場)や水汲み用の足場跡が発見されている。
縄文人にとって、貝塚は、「すべての生き物の墓地」であり、
ムラの中でも神聖な場所であったことを示している。

史跡 北黄金貝塚  16:20
この遺跡は1948年(昭和23年)に発見された。
史跡 北黄金貝塚
黄金開拓之碑
明治3年伊達家家老田村顕允公は家臣とともに入植し開拓した。
北黄金貝塚公園駐車場から北黄金貝塚情報センターへ向かう  16:24
正面の建物は伊達消防署黄金出張所・伊達市消防団第7分団
北黄金貝塚情報センターへ
北黄金貝塚情報センター前庭と北黄金貝塚とレンギョウ
北黄金貝塚情報センター  16:26
北黄金貝塚情報センターへ 
こぶしが咲き始めている
ムスカリ
ムスカリ
北黄金貝塚情報センターから北黄金貝塚公園を見る
縄文の森
縄文時代中期(約6300年前)は、今より温暖な気候であった。
そのため、この辺りでは落葉広葉樹が茂っていた。
史跡公園になる前は牧場であったので植樹ボランティアで毎年苗木を植え続けた。
北黄金貝塚情報センター  16:28
北黄金貝塚公園
北黄金貝塚公園と北黄金貝塚情報センター
北黄金貝塚情報センター  16:28
北黄金貝塚情報センター入口
クジラの骨でできた刀 (儀式のときに使う道具)
縄文時代前期後半(約5500年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号501
スマホでアプリをダウンロードすれば、ガイド番号の説明が見られる。
シカの角、クジラの骨でできたスプーン (儀式のときに使う道具)
縄文時代前期後半(約5500年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号502
石でできたネックレス
薄緑色の小型の玉:糸魚川のヒスイ、白い玉:メノウ、深い緑色の玉:蛇紋岩
縄文時代晩期(約3000年~2300年前)、北黄金貝塚情報センター裏の砂丘上
ポケット学芸員 展示ガイド番号506
ヘアーピン
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、B地点貝塚、C地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号503
石刀
土偶
シカの角でできた縦櫛
縄文時代前期後半(約6000年~5500年前)、C地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号504
鳥の骨でできたネックレス 縄文時代前期(約6000年~5000年前)
鳥管骨という、もともと管になっている骨を使用した。
ポケット学芸員 展示ガイド番号505
復元墓坑④発掘途中の墓(復元模型)
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号513
復元墓坑
復元墓坑
復元墓坑③男性(30歳代後半)の墓(復元模型)
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号512
復元墓坑②ベンケイ貝輪をつけた男性(20~40歳)の墓(復元模型)
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号511
復元墓坑
復元墓坑
すり石と石皿 北海道式石冠)水場から多く出土
縄文時代前期・中期((約6000年~4000年前)、北黄金貝塚全体
ポケット学芸員 展示ガイド番号531
出土品展示
北黄金貝塚センター展示室
発掘調査風景
貝塚が伝える縄文人の暮らし
海の幸に関した遺物 
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、北黄金貝塚全体
A’地点貝塚はオットセイの骨が多く出土した。
ポケット学芸員 展示ガイド番号517
海はこんなに近かった
A’地点貝塚(約5500年~5000年前)発掘調査
  山の幸に関した遺物
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、北黄金貝塚全体
ポケット学芸員 展示ガイド番号519
貝塚が伝える縄文人の暮らし 縄文人の手仕事に関した遺物
裁縫道具(縫い針)、作りかけの道具、道具を作るための道具
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、北黄金貝塚全体
ポケット学芸員 展示ガイド番号516,520
縄文人の手仕事
貝塚はゴミ捨て場ではなかった
すべての生き物の墓地
ポケット学芸員 展示ガイド番号521
墓に供えられた土器
北海道の人のルーツ
北海道の縄文人からアイヌの人々までの人骨は各時代の骨も縄文人の特徴をほどんど変えずに受け継がれている。縄文人は科を画四角張って彫りが深い顔つきをしていた。
ポケット学芸員 展示ガイド番号522

受け継がれた祈りのこころ
シカの角で作られたスプーンは実用的でなはない透かし模様が
つけられていることなどから儀式に使われた道具と考えられる。
縄文時代の次の続縄文時代になると同じ型のスプーンに熊を彫刻したものが使われた。
さらにのちの時代、アイヌの人々は熊送りの儀式に熊を彫刻したイクパスィ(神に酒を捧げるためのヘラ)を使った。同じような儀式の道具とともに祈りの心が受け継がれている。
ポケット学芸員 展示ガイド番号523
祭祀に関し遺跡
動物型の土製品はシャチを模したものと考えられる。
土製・貝製の円盤は何に使われたかわかっていない。
ポケット学芸員 展示ガイド番号525
祭祀に関し遺跡
軽石製のすり石や石斧は実用品とは考えられず祭祀に関するものと考えられている。
水場で供養された石の道具
石でできた道具は、使われなくなったり役目が終えたりすると、わざと水場で壊された。
壊すことで完全に「あの世」へ送られると考えたかもしれない。
そして底を打ち抜いた土器や刻みを付けた特別な石を備えるなどの儀式を行い、
道具への感謝と再生を祈った。水場を供養の場所としたのは、
水が生まれる神聖な場所であるとことと、
道具の材料となる石がとれる「道具が生まれた場所」だったからと考えられる。
ポケット学芸員 展示ガイド番号526
そこを打ち抜いて供えられた土器
縄文時代の墓や祭祀場から出土する土器は全国的に見ても底が無い場合が多い。
儀式に使うために、わざと底を打ち抜いて、
本来の煮炊きに使う道具という役割を無くしたと考えられる。
ポケット学芸員 展示ガイド番号529
すり石と台にする石(石皿) 縄文時代中期
ものをすり潰す道具
刻みをつけた特殊な石
する石(石皿)
する石(石皿)
すり石で何をすりつぶしたのか?
北黄金貝塚の土器
同じような模様や形の土器を使う地域を「土器文化圏」と呼ぶ。
土器の模様には縄文人の考え方や願いが込められているとすると、
土器文化圏は思想や信仰、言葉などが似通った地域だと考えられる。
北海道の南部と北東北は「円筒土器文化圏」と言われる。
この地域の縄文文化を代表する17遺跡が「北海道・北東北の縄文遺跡群」として
ユネスコ世界文化遺産へ登録された。
北小金貝塚で活躍する市民!
北黄金貝塚を支える人たち
噴火湾考古学研究、オコンシベの会
北黄金貝塚の発見 峰山巌
1948年(昭和23年)秋、北黄金の台地の斜面に貝殻の層が露出していたのを発見した。
北黄金貝塚A地点貝塚
伊達町黄金遺跡の調査報告
昭和25年6月下旬、第1回調査
峰山巌と郷土研究部員
峰山と生徒たち
伊達緑丘高校の生徒たちが発見した土器と骨角器
そこを打ち抜いて供えられた土器
そこを打ち抜いて供えられた土器

北黄金貝塚
北黄金貝塚パンフレット  16:43
北黄金貝塚  16:43
北黄金貝塚
北黄金貝塚
北黄金貝塚
北黄金貝塚 竪穴住居復元  16:46
同時期の存在した家は5軒ほどだった。20~30人が暮らしていたと考えられる。
縄文人は川か湧き水のある場所にムラを作って定住していた。
同じようなムラは7~10㎞ほどの距離を保っていた。
自然環境や資源を守り、人々の争いを防ぐという縄文人の知恵といえるかもしれない。
竪穴住居跡
囲炉裏に埋めれれた土器の種類から約4500年前のものと分かった。
竪穴住居復元
竪穴住居跡に上屋を復元
縄文の森散策路
B地点貝塚
5か所ある貝塚のうち最も古い貝塚(6300年前)
この貝塚がつくられた時期は、今より温暖でハマグリなどが採れた。
海水面は、今よりも高く、丘の裾近くまで海が迫っていた。(縄文海進)
ホタテ貝が敷き詰められている
貝塚の範囲として、ホタテ貝が敷き詰められている  16:53
ホタテ貝が敷き詰められている
ホタテ貝が敷き詰められている
ホタテ貝が敷き詰められ、シカの角が置いてある
A’地点貝塚
5か所ある貝塚のうち、最も大きい貝塚(5800年前)
貝殻(主にカキ)の他にマグロ、ウニ、オットセイ、クジラの骨が出土している。
このころは現在と同じくらいの気温になっていた。
貝塚から14体の縄文人の人骨が出土した。
A’地点貝塚
A’地点貝塚
北黄金貝塚 説明板
北黄金貝塚 説明板  17:01

昭和新山 有珠山の側火山  17:31
昭和18年12月28日夕に発生した異様な地震をきっかけに、
一日1mを超える上昇スピードで昭和20年9月末にかけて、
麦畑が隆起して出来た標高407mの溶岩塔推上による火山。
デイサイト質の粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されている。
形成当初の標高は400メートルを超えていたが、
現在では、それが温度低下や浸食などの影響で、398mまで縮んでいる。

新田次郎著「昭和新山」文藝春秋社(1971/11/05)記録文学短編集がある。
三松正夫(1888-1977)昭和新山観測像
2017年11月4日(土)放送、NHK『ブラタモリ #89洞爺湖』から
三松正夫観測写真
昭和新山ができる前の写真
火山活動2年後の隆起した昭和新山
三松正夫が観測した新山生成の過程を示した図(新山隆起図)は、
世界で唯一の火山誕生の記録として高く評価され「ミマツダイヤグラム」と命名された。
麦圃生山
「昭和新山吻語」(誠文堂新光社)の見返しに三松正夫氏が書いた文字。
壮瞥(そうべつ)郵便局長・三松正夫氏の観測記録と自然保存の活動記録碑
昭和新山にて  
約60年前に来た時には、まだ畑の跡があった。
昭和新山にて  17:34
昭和新山にて
昭和新山  17:35
まだ蒸気が出ている。昭和新山は三松家の私有地である。
1957年(昭和32年)には特別天然記念物に指定された。

洞爺湖
洞爺湖 セイコーマート 壮瞥温泉店周辺  17:44
洞爺湖畔 セイコーマート 壮瞥温泉店
洞爺湖畔 セイコーマート 壮瞥温泉店  17:44
洞爺観光ホテル  17:55
洞爺観光ホテル
洞爺観光ホテル周辺
洞爺観光ホテル
洞爺観光ホテル エントランス
洞爺観光ホテル  17:57
洞爺観光ホテル レセプション
洞爺観光ホテル レセプション
洞爺観光ホテル ロビー
洞爺観光ホテル ロビー
洞爺観光ホテル ロビー  17:58
洞爺観光ホテル ロビー
洞爺観光ホテルから洞爺湖を見る  18:02
洞爺観光ホテルから洞爺湖を見る
洞爺観光ホテルレストランへ  19:04
洞爺観光ホテルにて夕食
洞爺観光ホテルにて夕食
洞爺観光ホテルにて夕食  19:10
洞爺観光ホテルにて夕食  19:11
みたらし、あんこ、ごまの3種団子  20:27
懇親会で焼酎を飲みながら食べた。