2022年4月29日金曜日

北黄金貝塚

 2022年4月26日(火曜)

北黄金貝塚(北海道伊達市)2a
北黄金貝塚(北海道伊達市)2a
内浦湾(噴火湾)を望む丘陵上に立地する集落跡。
貝塚からは多数の貝殻、魚骨、動物の」骨や角、加工した道具が出土し、
海進・海退による環境変化に適応した漁労を中心とした人々の暮らしがわかる。
低地にある水場遺構では、意図的に壊された石皿ややすり石などの石器が大量に確認され、廃棄に伴う祭祀・儀礼が行われていたと考えられる。
再現した貝塚にはホタテ貝や鹿の角が置いてあった。
北黄金貝塚
だて縄文の丘 北黄金貝塚公園 16:20
伊達市

だて縄文の丘 北黄金貝塚公園 駐車場
史跡 北黄金貝塚公園
洞爺湖有珠山ジオパーク
縄文人の精神性の高さを示す遺跡、縄文時代前期~中期(約7000年~4500年前)
丘の上には、貝塚の他、住居や墓、シカを捕るための落とし穴、
祭祀を行う盛土遺構などが発掘された。
調理道具を供養した跡(水場の祭祀場)や水汲み用の足場跡が発見されている。
縄文人にとって、貝塚は、「すべての生き物の墓地」であり、
ムラの中でも神聖な場所であったことを示している。

史跡 北黄金貝塚  16:20
この遺跡は1948年(昭和23年)に発見された。
史跡 北黄金貝塚
黄金開拓之碑
明治3年伊達家家老田村顕允公は家臣とともに入植し開拓した。
北黄金貝塚公園駐車場から北黄金貝塚情報センターへ向かう  16:24
正面の建物は伊達消防署黄金出張所・伊達市消防団第7分団
北黄金貝塚情報センターへ
北黄金貝塚情報センター前庭と北黄金貝塚とレンギョウ
北黄金貝塚情報センター  16:26
北黄金貝塚情報センターへ 
こぶしが咲き始めている
ムスカリ
ムスカリ
北黄金貝塚情報センターから北黄金貝塚公園を見る
縄文の森
縄文時代中期(約6300年前)は、今より温暖な気候であった。
そのため、この辺りでは落葉広葉樹が茂っていた。
史跡公園になる前は牧場であったので植樹ボランティアで毎年苗木を植え続けた。
北黄金貝塚情報センター  16:28
北黄金貝塚公園
北黄金貝塚公園と北黄金貝塚情報センター
北黄金貝塚情報センター  16:28
北黄金貝塚情報センター入口
クジラの骨でできた刀 (儀式のときに使う道具)
縄文時代前期後半(約5500年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号501
スマホでアプリをダウンロードすれば、ガイド番号の説明が見られる。
シカの角、クジラの骨でできたスプーン (儀式のときに使う道具)
縄文時代前期後半(約5500年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号502
石でできたネックレス
薄緑色の小型の玉:糸魚川のヒスイ、白い玉:メノウ、深い緑色の玉:蛇紋岩
縄文時代晩期(約3000年~2300年前)、北黄金貝塚情報センター裏の砂丘上
ポケット学芸員 展示ガイド番号506
ヘアーピン
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、B地点貝塚、C地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号503
石刀
土偶
シカの角でできた縦櫛
縄文時代前期後半(約6000年~5500年前)、C地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号504
鳥の骨でできたネックレス 縄文時代前期(約6000年~5000年前)
鳥管骨という、もともと管になっている骨を使用した。
ポケット学芸員 展示ガイド番号505
復元墓坑④発掘途中の墓(復元模型)
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号513
復元墓坑
復元墓坑
復元墓坑③男性(30歳代後半)の墓(復元模型)
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号512
復元墓坑②ベンケイ貝輪をつけた男性(20~40歳)の墓(復元模型)
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、A’地点貝塚
ポケット学芸員 展示ガイド番号511
復元墓坑
復元墓坑
すり石と石皿 北海道式石冠)水場から多く出土
縄文時代前期・中期((約6000年~4000年前)、北黄金貝塚全体
ポケット学芸員 展示ガイド番号531
出土品展示
北黄金貝塚センター展示室
発掘調査風景
貝塚が伝える縄文人の暮らし
海の幸に関した遺物 
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、北黄金貝塚全体
A’地点貝塚はオットセイの骨が多く出土した。
ポケット学芸員 展示ガイド番号517
海はこんなに近かった
A’地点貝塚(約5500年~5000年前)発掘調査
  山の幸に関した遺物
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、北黄金貝塚全体
ポケット学芸員 展示ガイド番号519
貝塚が伝える縄文人の暮らし 縄文人の手仕事に関した遺物
裁縫道具(縫い針)、作りかけの道具、道具を作るための道具
縄文時代前期(約6000年~5000年前)、北黄金貝塚全体
ポケット学芸員 展示ガイド番号516,520
縄文人の手仕事
貝塚はゴミ捨て場ではなかった
すべての生き物の墓地
ポケット学芸員 展示ガイド番号521
墓に供えられた土器
北海道の人のルーツ
北海道の縄文人からアイヌの人々までの人骨は各時代の骨も縄文人の特徴をほどんど変えずに受け継がれている。縄文人は科を画四角張って彫りが深い顔つきをしていた。
ポケット学芸員 展示ガイド番号522

受け継がれた祈りのこころ
シカの角で作られたスプーンは実用的でなはない透かし模様が
つけられていることなどから儀式に使われた道具と考えられる。
縄文時代の次の続縄文時代になると同じ型のスプーンに熊を彫刻したものが使われた。
さらにのちの時代、アイヌの人々は熊送りの儀式に熊を彫刻したイクパスィ(神に酒を捧げるためのヘラ)を使った。同じような儀式の道具とともに祈りの心が受け継がれている。
ポケット学芸員 展示ガイド番号523
祭祀に関し遺跡
動物型の土製品はシャチを模したものと考えられる。
土製・貝製の円盤は何に使われたかわかっていない。
ポケット学芸員 展示ガイド番号525
祭祀に関し遺跡
軽石製のすり石や石斧は実用品とは考えられず祭祀に関するものと考えられている。
水場で供養された石の道具
石でできた道具は、使われなくなったり役目が終えたりすると、わざと水場で壊された。
壊すことで完全に「あの世」へ送られると考えたかもしれない。
そして底を打ち抜いた土器や刻みを付けた特別な石を備えるなどの儀式を行い、
道具への感謝と再生を祈った。水場を供養の場所としたのは、
水が生まれる神聖な場所であるとことと、
道具の材料となる石がとれる「道具が生まれた場所」だったからと考えられる。
ポケット学芸員 展示ガイド番号526
そこを打ち抜いて供えられた土器
縄文時代の墓や祭祀場から出土する土器は全国的に見ても底が無い場合が多い。
儀式に使うために、わざと底を打ち抜いて、
本来の煮炊きに使う道具という役割を無くしたと考えられる。
ポケット学芸員 展示ガイド番号529
すり石と台にする石(石皿) 縄文時代中期
ものをすり潰す道具
刻みをつけた特殊な石
する石(石皿)
する石(石皿)
すり石で何をすりつぶしたのか?
北黄金貝塚の土器
同じような模様や形の土器を使う地域を「土器文化圏」と呼ぶ。
土器の模様には縄文人の考え方や願いが込められているとすると、
土器文化圏は思想や信仰、言葉などが似通った地域だと考えられる。
北海道の南部と北東北は「円筒土器文化圏」と言われる。
この地域の縄文文化を代表する17遺跡が「北海道・北東北の縄文遺跡群」として
ユネスコ世界文化遺産へ登録された。
北小金貝塚で活躍する市民!
北黄金貝塚を支える人たち
噴火湾考古学研究、オコンシベの会
北黄金貝塚の発見 峰山巌
1948年(昭和23年)秋、北黄金の台地の斜面に貝殻の層が露出していたのを発見した。
北黄金貝塚A地点貝塚
伊達町黄金遺跡の調査報告
昭和25年6月下旬、第1回調査
峰山巌と郷土研究部員
峰山と生徒たち
伊達緑丘高校の生徒たちが発見した土器と骨角器
そこを打ち抜いて供えられた土器
そこを打ち抜いて供えられた土器

北黄金貝塚
北黄金貝塚  16:43
北黄金貝塚
北黄金貝塚
北黄金貝塚
北黄金貝塚 竪穴住居復元  16:46
同時期の存在した家は5軒ほどだった。20~30人が暮らしていたと考えられる。
縄文人は川か湧き水のある場所にムラを作って定住していた。
同じようなムラは7~10㎞ほどの距離を保っていた。
自然環境や資源を守り、人々の争いを防ぐという縄文人の知恵といえるかもしれない。
竪穴住居跡
囲炉裏に埋めれれた土器の種類から約4500年前のものと分かった。
竪穴住居復元
竪穴住居跡に上屋を復元
縄文の森散策路
B地点貝塚
5か所ある貝塚のうち最も古い貝塚(6300年前)
この貝塚がつくられた時期は、今より温暖でハマグリなどが採れた。
海水面は、今よりも高く、丘の裾近くまで海が迫っていた。(縄文海進)
ホタテ貝が敷き詰められている
貝塚の範囲として、ホタテ貝が敷き詰められている  16:53
ホタテ貝が敷き詰められている
ホタテ貝が敷き詰められている
ホタテ貝が敷き詰められ、シカの角が置いてある
A’地点貝塚
5か所ある貝塚のうち、最も大きい貝塚(5800年前)
貝殻(主にカキ)の他にマグロ、ウニ、オットセイ、クジラの骨が出土している。
このころは現在と同じくらいの気温になっていた。
貝塚から14体の縄文人の人骨が出土した。
A’地点貝塚
A’地点貝塚
北黄金貝塚 説明板
北黄金貝塚 説明板  17:01