2022年4月22日(金曜)
史跡 尾去沢鉱山
1300年の歴史を誇る銅鉱脈群採堀跡、日本最大規模の産業遺産。
尾去沢鉱山で採掘された鉱石は約3,000万トン、坑道の総延長は800kmに達する。
秋田県北東部はかって「北鹿地域」と呼ばれた日本最大の鉱山地帯であった。
「史跡 尾去沢鉱山」は、この北鹿地域最大の鉱脈型の銅鉱山であった尾去沢鉱山の坑道を
一般に開放した観光施設で、プレイランドやレストランも併設されている。
坑道内には巨大な採掘跡や鉱車、採掘機械類、立坑など多くの産業遺産が残されている。
明治に岩崎家(三菱)に鉱業権がわたり、閉山までの約90年の間、
三菱の経営により銅山として操業した。
昭和47年(1972)三菱金属鉱業(株)より分離し尾去沢鉱山(株)となる。
昭和53年(1978)銅価格の低迷と鉱石の枯渇により閉山。
平成18年(2006)「マインランド尾去沢」を「株式会社ゴールデン佐渡」が買収。
尾去西道金山 石切澤通洞坑入口 鉱山歴史の坑道
尾去沢鉱山 石切澤通洞坑 13:38
尾去沢鉱山 坑道案内図
近代化産業遺産
坑道
銅鉱脈
銅鉱脈
銅鉱脈
銅鉱脈
銅鉱脈
坑道
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ採掘法
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘
シュリンケージ法採掘
酒類 熟成貯蔵場
酒類 熟成貯蔵場
酒類 熟成貯蔵場
銅鉱脈
石切沢上部 坑内休息所
尾去沢鉱山
石切沢上部 坑内休息所様子(展示)
坑内休息所写真 昼食時の状況
坑内事務所
坑内事務所
坑内事務所
坑内事務所
黄銅鉱
黄銅鉱
日本アンホ火薬製造株式会社製火薬
トロリー式電気機関車
トロッコ列車
トロリー式電気機関車
坑内エレベーター
夘酋立坑(上下150m)
やめなさい 手順無視してまた作業 いつかは地獄へ直滑降
坑内エレベーターへ
雁木梯子
抜鉱
シュリンケージ法により採掘された鉱石を漏斗から鉱車に積み込む作業
ボーリング
鉱脈の探鉱および地質構造の探査
採掘現場から漏斗まで鉱石を掻き出す作業
鉱車に積み込み
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
シュリンケージ法採掘跡
尾去沢鉱山全景
尾去沢鉱山歴史
尾去沢鉱山歴史
尾去沢鉱山歴史
尾去沢鉱山歴史
中段運搬電車坑道
尾去沢鉱山選鉱場全景
粗砕、受入
水洗
手選
破砕
磨鉱分級
浮選
濃縮脱水
松子沢鉱滓堆積所
カソード(電気銅)99.9% 150㎏ 小名浜精練株式会社寄贈
火薬庫
当初ダイナマイトを使用していたが、1964年頃から安全かつ安価な
AN-FO(硝安油材爆薬)が使われるようになった。
南部藩西道金山奉行所
南部藩西道金山奉行所
尾去澤金山御教内二十七个條
南部藩西道金山奉行所
南部藩西道金山奉行所
南部藩西道金山奉行所
南部藩西道金山奉行所
からめ節
からめ節について
慶長年間 金鉱採掘坑道
380年前の坑道
慶長年間 金鉱採掘坑道
俗称「たぬき堀」跡
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俗称「たぬき堀」跡
手掘り作業
あかり掛り
支柱組立
手掘り作業
段欠場面
雁木梯子を使っているのは留大工
下で鉱石をかき集めているのは堀子(金工手子)
隠れキリシタン鉱夫
鉱山では一時、キリシタンは咎められずに働けた。
慶長17年(1612年)幕府は、キリスト教を禁じ弾圧にのりだした。
これにより西国より多くの信者が難を逃れ、
「隠れキリシタン」としてこの地の鉱山での 潜伏生活を送った。
最初は山法を守っている限り安全であった鉱山での生活も、
次第にその取締りが厳しくなり、
寛永20年(1643年)白根金山では多くの 信者が捕らえられ処刑された。
水潜人足
木製の桶を使い排水する
尾去沢鉱山 見学坑道内のエスカレータ 14:35
尾去沢鉱山の石(黒色泥岩)と黄銅鉱 14:38
尾去沢鉱山 土産店、駐車場、遊具施設 14:42
遊具施設